いつかどこかで、あったはなし。
ジラーチは目を覚ましました。ああ、今回はどんな願いを叶えるのだろう、とあくびをひとつして、ふわりと浮かんで飛び立ちました。
千年に一度、七日間だけジラーチは目覚めます。そうして出会った誰かの願いを叶えるのです。
満天の星が輝く中、ジラーチは、ほうと息をつきます。目の前には、色とりどりの花々が一面に広がっていました。今夜の月の光はあまり強くないのでよく見えませんが、きっと太陽の光の下ではさぞ目を楽しませてくれるでしょう。
それから、花畑の中心には、大きな木がありました。木には白い花がぽつりぽつりと咲いています。淡い月の光がぼんやりと白い花を浮かびあがらせていました。
ジラーチはこの数日の間にあちこちをまわり、いくつかの願いを叶え終えて、あとはもう眠るばかりになっていました。けれど、まだ眠りたくなくて、ふらふらとさまよっていたのです。ジラーチは寝てしまうまでの、あとほんの少しの時間を、ここですごそうと思いました。
ふわりふわりとジラーチは白い花の咲く木へと向かいました。すると、これまた白い衣装を身につけたひとがたたずんでいるのに気がつきました。ジラーチに気づいたそのひとは口を開きました。
「こんばんは。見かけないポケモンさんだね」
木の葉がこすれあう音のような優しい声でそのひとは言いました。
「こんばんは。僕は千年に一度しか目覚めないから」
ふうん、そうなんだとそのひとは返事をして、これからどこへ行くの、とたずねました。
「ちょっと休んだら、もう眠らないといけないけど、しばらくはここにいるよ」
ジラーチがそう答えると、そのひとはすこし考えて言いました。
「もしよかったら、少しおはなししない?」
その申し出にジラーチはいいよ、とうなずきました。
ふたりは大きな木の根元に並んで座ります。やわらかな月の光が照らすおかげでそんなに暗くはありません。静かにはなしをするにはちょうどいいくらいでした。
さて、なんのはなしをしようかとジラーチは考えて、自分がこれまで叶えてきた願いのことをはなすことにしました。
例えば、お金をほしがったひと、美しくなりたいと言ったひと、家族を助けてほしいと叫んだひと。群れの一番になりたいと願ったポケモン、つがいがほしいと言ったポケモン、普通の色になりたいと泣いたポケモン。それから、それから。
ひとしきりジラーチのはなしを聞いたそのひとはたずねました。
「みんな、幸せになれたの?」
ジラーチは、さあ、ぼくはすぐに眠ってしまうから、と答えました。そのひとは、そう、とだけ言いました。
そのひとは、このあたりのことを教えてくれました。
例えば、昼間には花畑をコラッタやオタチが駆け回り、バタフリーが花のミツを吸いにくること。それから、今の時期は日陰を求めてポケモンたちがこの木の下で休むこと。この木をねぐらにしているポッポやオニスズメのこと。夜になるとナゾノクサたちがもぞもぞと動き出して、ホーホーやヨルノズクが現れること。
「みんな、もういないけどね」
そう言って淋しそうに笑いました。ジラーチは、そのひとがあんまりにも淋しそうだったので、どうしてとは聞けませんでした。
ふっつりとはなしが途切れて、しばらくふたりとも黙ったままでした。やがて、そのひとが口を開きました。
「あなたは生き物が死んだらどうなるか、知ってる?」
「さあ、どうだろう。ぼくの起きていられる時間はほんの少しだから」
ぼくの知ってることなんて、とても少ないんだとジラーチは答えました。
「命はね、巡るんだよ」
巡るってどういうこと、とジラーチはたずねました。
「例えば、コラッタが死んでしまったとするでしょう。そうしたら、また別の何かに生まれ変わるんだよ。今度はポッポかもしれないし、ナゾノクサかもしれないし、たくさんのポケモンを休ませる大きな木になるかもしれない、もしかしたら人間になるかもしれない。人間だって前はポケモンだったのかもしれない」
そうして命は巡っていくんだよ、とそのひとは言いました。
ねえ、とジラーチは言いかけて、大きなあくびをひとつしました。ああ、もう眠る時間がすぐそこまで来てしまったのです。
「もう、行くの?」
うん、とジラーチは答えます。
「いろいろはなしができてすごく楽しかった。お礼にきみの願いを叶えてあげたいけど、今回の分はもう終わりなんだ。ごめんね」
ジラーチの言葉に、そのひとは笑ってかぶりを振りました。
「そんなのいらないよ」
でも、お願いがあるんだ、と言いました。
「ぼくにはもう、願いをかなえることはできないよ」
さっきそう言ったじゃないかとジラーチはとまどいました。
けれど、大丈夫とそのひとは笑います。
「約束をひとつ、ちょうだい。そうしたら前に進めるから」
約束? とジラーチは聞き返しました。
そう、約束。とそのひとは言いました。
「またここで、会ってくれる?」
「でも」
ジラーチは、そんなのできっこないと言おうとしました。けれど、
「言ったでしょう、命は巡っていくって。ずっと、認めるのが怖かった、前に進むのが怖かった。でも、あなたのおかげでもう怖くない」
だからお願い。約束を、ちょうだい。ほかにはなにもいらないから。
そう、告げました。
こんなことを言われたのは初めてでした。ジラーチの力を頼ってお願いされることはたくさんありました。誰もがジラーチの持つ力を求めてきました。なのに、そんなのはいらないだなんて。
「今度はポケモンかもしれない、人間かもしれない、もしかしたら一度きりしか咲かない花かもしれない」
誰もかれも、みんなみんな、ジラーチを置いていなくなってしまいます。親しくなっても、次に目覚めたとき、ジラーチの知っている誰かはどこにもいないのです。いつだってジラーチはひとりぼっちでした。
「何になっても、きっと待ってる。そのときが来るまで、ここで待ってる」
だから、会いにきて。そのひとは言いました。
その言葉に、ジラーチは胸がいっぱいになって、こう返すのが精一杯でした。
「うん、うん。きっと、きっと。きみに会いに行くよ」
そのひとは立ち上がると、ジラーチを見つめます。
「もう、行かなきゃ。ねえ、いってらっしゃいって、言って」
いってらっしゃい、とジラーチは言ってあげました。
「ありがとう。いってきます」
そのひとが走り出します。そうして振り返って、
おやすみなさいと、笑いました。
ふと気がつくと、そこにはもう、色とりどりの花が咲き誇る花畑も、大きな木もありません。ただ、ずいぶん前に倒れたのでしょう、ほとんど朽ちてしまった木があるだけでした。
ふわあ、とジラーチはひときわ大きなあくびをします。
「ぼくも、行かなきゃ」
それからぽつりとどこへともなくおやすみなさいとつぶやいて、ふわりとどこかへ飛んで行ってしまいました。
それからどうなったかは、誰も知りません。でも、ほら。耳を澄ますと、どこからか楽しそうな声が聞こえてきませんか。
いつかどこかで、であったはなし。
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一ヶ月遅れの七夕短編です。
毎年七月になると書こうとして、断念するのを五年以上繰り返し、ようやく書けました。
Twitterで背中を押してくださった皆様ありがとうございました。