ホウエン地方の、小さな村の出来事でした。
その村の近くにはゴクリンやマルノームがたくさん住んでいて、村人たちが世話をしていました。
ある日、小さな男の子がきのみを持って外に出かけたのもそのためだったのです。
いつものようにゴクリンたちにきのみをあげていた男の子は、森のちょっと奥に入るなり「うわあ」と声をあげました。
そこには、とても、とても大きな、マルノームがいたのです。
普通のマルノームと比べて、背丈は2倍くらいあるように思いました、
他のマルノームやゴクリンも、恐る恐るといった感じで遠巻きに見守っています。
こんなマルノーム、昨日まではいなかったはずですし、もしもいたら絶対気がつくでしょう。
一体、どこからやってきたのでしょうか。
大きな大きなマルノームはしかし、ポケモンや男の子を襲うことなく、ただそこに立っていました。
つぶらな赤い目はどこを見つめているのかわかりません。
その様子に、男の子は「怖い子じゃなさそう」と思ってそっときのみを一つ近づけてみました。
男の子の行動に気がついたらしい大きなマルノームは、これまた大きな口をぽっかりとあけました。
どこまでも続く闇のようなそこに男の子はきのみを投げ込みます。
モモンのみは、放物線を描きながら漆黒の中へと消えていきました。
すうっ、と口を閉じたマルノームを見て、男の子は、おや? と思いました。
なぜって、他のゴクリンやマルノームにごはんをあげた時と違って、このマルノームは口をもぐもぐさせなかったのです。
きのみを口に入れて、それっきり。
文字通りの「丸呑み」でした。
なんでだろう、あじあわなくていいのかな、と男の子は首をひねりましたが、ポケットの中の小さな重みを思い出してそれを考えるのをやめました。
ポケットに入っていたのは、昨日お母さんが間違って洗濯してしまい、壊れてしまった小型のゲーム機です。
洗濯機で回されたゲーム機はもう画面がまっくらで、何も出来そうにありません。
捨てることもなんとなく出来ず、どうしようかな、と思っていたのでした。
男の子がポケットからゲーム機を取り出して悩んでいると、また、大きなマルノームが口をあけました。
まるで、それも食べてやるというように。
「え? これ、食べたいの?」
大きく開いたマルノームの口に向けて男の子は尋ねましたが、返事はかえってきません。
ただただ、闇のような口が開いているだけです。
いいのかな、大丈夫かな、と思いながらも、男の子はそっと、ゲーム機をマルノームの口の中へ入れてみました。
さっきと同じように、すうっ、と口が閉じます。
そのまま、マルノームはゲーム機を飲み込んでしまったようでした。
男の子はびっくりです。
普通のマルノームやゴクリンは、「なんでもまるのみしてしまう」とは言われているものの、食べ物ーーきのみとか他のポケモンとかーー時として人間もですがそれだってゲーム機に比べたらよほど食べ物らしいですーー以外のものは飲み込まずに、戻してしまうのです。
マルノームが人間を丸呑みにしてしまう、恐ろしい事件もごくまれに聞きますが、その時だって携帯電話とか服とか、そういうものはちゃんと戻しているのです。それなのに、このマルノームはゲーム機を飲み込んでしまったのです。
たくさんのゴクリンやマルノームが見つめる中、男の子はごくり、と喉を鳴らしました。
男の子はこのマルノームのことを、お父さんやお母さん、友達、村の人たちに伝えました。
すぐに村人たちがマルノームの様子を見にやってきて、その大きさにびっくりしました。
男の子から聞いた話に、村人たちは壊れた電子レンジや使えなくなったモンスターボールや、ビニール袋なんかをマルノームの口の中に入れてみました。
マルノームはその全てを、すっかり飲み込んでしまいました。
村人たちはその様子に、ううん、と考え込み、ポケモンの専門家を呼んでみることにしました。
それから3日もしないうちに、何人かの専門家と、ウワサを聞きつけたテレビ局や新聞記者たちが村にやってきました。
専門家はしばらく、何やら難しい調査をしていましたが、結局「わかりません」と首を横に振りました。
困ってしまった村人に、一人の男性が声をかけました。
「この森の土地、このマルノームが住んでる一体を私に売ってくれないでしょうか」
突然の申し出に驚く村人に、男性はさらに言います。
「私にはちょっとした考えがあるのです。どうか何卒」
そうは言っても、と渋る村人や村長に、男性はさらに続けました。
「どうでしょう。もしも儲けが出たら、その一部は村にお支払いしますよ」
さてさて、こうして大きなマルノームの住む森の一部は男性のものになりました。
男性は会社を作って、「捨てたいもの」を募集するために広告を打ちました。
利用料を取る代わりに、どんなものでもキレイサッパリ処分するというのです。
それは勿論、マルノームによるものでした。
男性の商売は、大成功しました。
大きなマルノームは何でも、なんでも、飲み込んでくれたのです。
色々な人が、色々なものを、その口に投げ込みました。
ある中学生は、いらなくなった教科書を口に投げ込みました。
あるおじさんは、処分に困っていた壊れた冷蔵庫を口に投げ込みました。
あるおばあさんは、息子夫婦の家に引っ越す時に出たゴミを全部口に投げ込みました。
大きなマルノームは、何でも、なんでも、飲み込んでくれたのです。
シングルバトルトレーナーになった元ラブラブカップルの女の子は、彼氏とお揃いにデコレーションしたモンスターボールを口に投げ込みました。
ポケモンマスターを目指して旅に出たけれど、夢を叶えることが出来なかった少年は、タウンマップとランニングシューズを口に投げ込みました。
ボスの主張に感銘を受け、下っ端時代から一生懸命活動していた悪の組織の幹部だった人は、ボスが何処かへ消えてしまったことに涙を流しながら、組織の制服を口に投げ込みました。
大きなマルノームは、何でも、なんでも、飲み込んでくれたのです。
ある海パンやろうは、買ってみたはいいけど履く勇気の出ないブーメランパンツを口に投げ込みました。
あるミニスカートは、おとなのおねえさんになるために、もう年齢的にきつくなってきたミニスカートを口に投げ込みました。
あるじゅくがえりは、勉強漬けの毎日にうんざりして、塾のテキストを全部口に投げ込みました。
大きなマルノームは何でも、なんでも、飲み込んでくれたのです。
あるトレーナーは、個体値が気に入らなかった生まれたてのポケモンを口に投げ込みました。
あるトレーナーは、経験値稼ぎのために、もうピクリとも動かなくなるまで攻撃した、ポケモンだったものを口に投げ込みました。
あるトレーナーは、ドーピングアイテムの使いすぎで、鳴き声すらまともにあげられなくなり、使い物にならなくなったポケモンを口に投げ込みました。
大きなマルノームは何でも、なんでも、飲み込んでくれたのです。
ある会社は、処理場に困っていたゴミを口に投げ込みました。
ある会社は、工場で出た水銀を口に投げ込みました。
ある会社は、新しく出来た原子力発電所から持ってきた放射性廃棄物を口に投げ込みました。
大きなマルノームは何でも、なんでも、飲み込んでくれたのです。
村は、だいぶ豊かになりました。
世界は、だいぶ綺麗になりました。
大きなマルノームが現れて、何十年かしたある日のことです。
もう男の子じゃなくて、立派な男の人になった彼には、一人の元気な子供がいました。
その子供は、いつかの男性が立てた会社によって張られた、立ち入り禁止の柵を超えて森に入っていきました。
子供は、大きなマルノームのところまでやってきました。
大きなマルノームは、あの日から変わらない、つぶらな瞳で、どこか遠くを見つめていました。
子供はずっと、このマルノームに会ってみたかったのです。
嬉しくて、うわあ、と声をあげました。
男の子は、持ってきたオレンのみをマルノームに見せました。
マルノームはいつものように、闇のような口をぽっかりと開き、そしてオレンのみを飲み込みます。
その様子に満足して、子供はにっこり笑いました。
と、その時です。
もう一度マルノームが口を開きました。
小さな息遣いと共に身体をブルっとさせたマルノームの近く、何かが地面に落ちました。
それは傷一つない、綺麗なままのモモンのみでした。
子供は「あれ? なんでも食べるって言ってたのに。おいしくなかったのかな?」と首をひねりましたが、すぐに、自分があげたのはモモンではなくオレンだということに気づき、ますます首を傾けました。
子供が悩んでいると、ふと、何か声が聞こえました。
それは、「え? これ、食べたいの?」という風に聞こえましたが、子供の他には、誰もいませんでした。
そこにいるのは、ただ、口をぽっかりとあけた、大きなマルノームだけですから。
子供はわからないことだらけで顔をしかめました。
でもすぐに、お昼ごはんがもうすぐなことを思い出し、マルノームに小さく手を振って、森から出ていきました。
森にはいつもと同じ、マルノームだけが取り残されました。
一匹だけになったマルノームは、その身体を小さく震わせました。
それは、「たくわえる」したものを「はきだす」する時のしぐさです。
「のみこむ」を使ってしまうと、使えない技でした。
大きなマルノームは、今ではもうプレミアがつくほど旧型になった、古いゲーム機を吐き出しました。
飲み込まずにいたので、濡れたことで内部が壊れている以外は綺麗なままのゲーム機でした。
森の中、大きな、大きなマルノームは澄み渡った青空を見上げています。
おや、また身体を震わせたようですよ。
偉大なる元ネタ:星新一「おーい でてこーい」
フォルクローレ収録、あきはばら博士さんの「丸呑に遭う」のネタをお借りしております。
この場を借りて、お礼申し上げます。