ジムリーダーになった際、両親とか博士とかそういう家族とそれに近い人を覗けば、真っ先にお祝いの言葉をくれたのは幼なじみのベルだった。ベルだって家族に近いくらいの付き合いではあったけれど、チェレンは家族に近い存在である彼女をずっと昔からかわいいと思っていたから、なんとなくその枠に当てはめるのに抵抗があった。
もう一人の幼なじみである少年からは、どこかでウワサでも聞いたのかハガキで「おめでとう」と簡素な言葉が自宅宛てに届いた。いそがしくて直接会いに来れないのは仕方ないとしても、ライブキャスターで連絡くらいくれればいいのにと思う。
敢えてそうしているのか、もしくは機械が対応していないほど遠くにいるのか、ここ数年彼はこちらから連絡を取ろうとしても連絡が取れない。
初めて冒険に出た少年が背負うにしてはずいぶんと重い使命を彼は背負わされてしまったから、カタが付いた今、しばらくは誰とも合わずにいたいのかもしれない。彼のことも気になるが、今はベルのことだ。彼女はチェレンがジムリーダーになることになったと知って、真っ先に駆けつけてお祝いの言葉とせんべつのいかりまんじゅうまでくれた。
いかりまんじゅうの箱を差し出した彼女が、おめでとうの次に言った言葉は、何だか前後の会話と微妙につながらないような、棚から見知らぬものが出てきたような、突発的なものだった。
「チェレンメガネやめたんだね、最近会えてなかったから知らなかったよお」
「ああ、コンタクトにしたんだ。ジムリーダーになるし、メガネかけてるよりとっつきやすくて柔らかいイメージになるだろう? ボクがジムで扱うのも、ノーマルタイプのポケモンだし」
ノーマルタイプのポケモンは、決定的な弱点が少ない代わりに、防御面では少し不安の残るポケモンも多い。その弱点を高い体力もしくは補助技で補う種族もいるから一概には言えないが、抱きしめた時のやわらかい感触も含めて愛されるような、そんな部分がノーマルタイプのポケモンにはある。かわいらしい見た目の種族の多さ、育てやすさから、トレーナーからそうでない人にまでとっつきやすいと愛されている。
ピッピとかプリンみたいに愛されたいというのとは違うけれど、親しい人間以外からは少し生真面目で近寄りがたいと言われる自分も、すこしはとっつきやすくなれればいいという願望も込められている。
「似合ってるよお。こう、えーっとね、チェレンの優しいとこがね、パアッとわかりやすく出てきたみたい!」
「そう?」
ベルの例えは半分くらいしか理解できなかったけれど、自分の望む方向にほめられているのはわかった。それが照れくさくて、彼女が来ると知ってあわてて締めたネクタイの位置をいじる。そういうベルは旅立ちの日から少なくとも外見は大して変わっていないかと思えば、そうでもない。
久しぶりに会った彼女は、二年前までつけていなかったメガネをかけていた。
ホントはベルの姿を見てすぐに気がついたのだけれど、彼女の独特なペースに飲まれて、なかなかそこにつっこむことが出来なかったのである。
「ベルはボクとはあべこべにメガネをかけはじめたんだね」
「うん、そうなんだ……博士のお手伝いしてたらね、視力さがっちゃって」
その事を父親に話したら、すぐ手を引かれメガネ屋に直行させられたのだという。ハラハラしながら娘を店に引っ張っていく様子が目に浮かぶ。どうもベルの父親の過保護は変わっていないらしい。
「ちょっとだけねえ、期待してたんだ」
「何を?」
「チェレンと、おそろいでメガネかけるの!」
きっと天真爛漫な彼女に他意はない。幼なじみの少年とおそろいだったら楽しいだろうなあということ以外の意味は。でもなんだかその言葉にドキッとしてしまうのは、密かな感情を隠している少年の、条件反射のような抗いようのない心ゆえだろう。
これだけでもチェレンはうれしかったのに、ベルはあまごいからかみなりでもぶつけるみたいに、言葉をたたみかけるのだ。
「でもでも、あたしと入れ替わりでチェレンがメガネやめたのも、ちょっと面白いなあって思うなあ」
「面白いってなにがさ」
「えーっとねえ、んー……チェレンととりかえっこしたみたい、っていうか」
自分がなれないネクタイをいじるように、ベルは赤ぶちのメガネを両手でいじって笑った。その表情はむかしからずーっと、密かにチェレンがこっそりかわいいなあと思っていたものとちっとも変わりはしない。
「チェレンの優しいところが、メガネをやめてパアッて出てきた代わりに、あたしがメガネをかけたら、少し大人っぽくピシーッてなったかなって。ほら、フーディンとかバリヤードのわざの、トリックみたいにとりかえっこしたみたいじゃない?」
なるほど彼女はエスパータイプの親戚なのかもしれない。なにしろ自分が言われてうれしいことを、ふにゃふにゃした言葉で的確にぶつけて来るのだから。だけどかえんほうしゃを出そうとしたらハイドロポンプが出てしまうくらい正反対の言葉しか、照れくさいことが苦手な、今の自分は言えないのだ。
「ボクがとっつきやすくなったかどうかは判断に任せるとして……ベルが大人っぽくなったっていうのは、どうかなあ」
「あー、ひっどーい! あたしだってね、アララギ博士のお手伝いして、いっぱい、いろんなこと知ったんだから!」
ひっどーい、なんて言っても、彼女が本気で怒っていないのはわかっている。長い付き合いだ。自分も彼女がちょっとしたことでは怒らないのを知っていて言ったし、彼女も親しいがゆえに生真面目くさい自分が憎まれ口を叩くのを理解してくれている。
「ジョーダンだよ。ボクだって、ジムリーダーとしても一人の人間としてもまだまだだし……ベルは確かに、少しおとなっぽくなったかもね」
「ホントにホントぉ!? うれしいなあ!」
「やれやれ、そういうところがどうかなあって言ってるんだけどね」
「だってだってえ、チェレンにほめてもらえると、また格別違うなあって思うんだよ!」
やれやれ。内心だけでチェレンは首を振った。彼女はどこまで考えて発言しているのだろうか。
いいや、彼女に裏などない。それは自分がよく知っている。だからチェレンにほめられると他の人と違う感じがするという言葉だけが真実なのだろう。
だけど悪くはない。だってチェレンはベルの裏のなさ、優しさ、トボけたところ、そんな要素全てをずっとかわいいなあと思っているのだから。
彼女の言うところのトリックが働いたのなら、まだそれは定着に時間がかかるのかもしれない。だからチェレンは、『優しいところがパアッと出てきた』のだとしても、今は彼女にうまく素直な気持ちをぶつけられないし、わずかにぶつけた素直な気持ちも、憎まれ口に埋もれてしまう。ベルはそんな自分を笑って許してくれるし、無邪気に接してくれる。
トリックで入れ替わったものが定着するまでは、少しずつ少しずつ、彼女に素直な気持ちをぶつけていこう。彼女の持ってきたいかりまんじゅうを、おいしいお茶でも入れて一緒に食べながら、少しずつ少しずつ。