風が吹いていました。風は、太陽には負けてしまうかもしれませんが、自然の中では強い存在でした。強い風は一瞬で森の木々を丸ぼうずにしてしまうし、人々の家の屋根だって吹き飛ばしてしまいます。
もちろん風は、生き物の存在をおびやかすだけのおそろしいことばかりではありません。風は、暑くてしかたのない日に私たちを涼ませてくれますし、穏やかな風とおどる草木は、はしゃぐ子どもたちに似ていると思いませんか?風は優しい存在とは言い切れないかもしれませんが、決して悪い存在というわけでもないのです。
あえて言うなら、そうですね……勝手気ままなのです。
風の向くまま、気の向くままというくらいですから。風は決して、誰の思うとおりにもならないのです。
だから風は内心ダーテングみたいに鼻たかだかでありました。むしろ勝手に風をおこして、ポケモンや人間にイタズラばかりしているダーテングに逆に襲いかかってやったことさえありますので、ダーテングより鼻たかだか、と言う方が正しいでしょうか。
風はいつでも気分よく吹いていました。ところがある日、誰の思うとおりにもなってやらないという風の考えをくつがえすような存在がいることに気がついたのです。
それは、ワタッコでした。
頭と両手に、白くなったタンポポのような綿毛をつけたワタッコは、風にどんないじわるをされても、最後には自分が行きたいなあと思っていたところに行ってしまうのです。
この前なんて四方八方からむちゃくちゃに吹いてやったのに、時々は海に落っこちそうになったり、冷たい空気に触れて名もない島で一休みをしつつも、結局自分が行きたいと思っていた隣の国に行ってしまったのですから。
どんなことにもへっちゃらという精神と、ふわふわのわたほうしという、車のハンドルみたいに便利なそれで体の向きや高度を調節して、ワタッコはどこへでも飛んで行くのでした。
もちろん風はあまりいい気分ではありません。というかカンペキに怒っていました。
あんまり腹が立ったので、風はワタッコの周りをグルグルと回ってやりました。ワタッコ一匹を困らせる程度の小さなものでしたが、立派な竜巻です。ギャラドスだってヒレと尾っぽを打ち鳴らして拍手をするくらい綺麗な形の竜巻です。
「あーれー」
目を回して叫ぶワタッコに、風はやってやった! という気分になりました。ところがワタッコときたら、わたほうしを当たりにまき散らしながら、こんなことを言うのです。
「クルクル目も体も回る、回るわー。楽しいかもしれないわー」
もちろん風はおかんむりです。今度は雨を降らして、その中をビュウビュウ走り抜けてやりました。
あら大変、台風です!
あの学校がお休みになったり、道が川になってしまう台風です! これは大変! ところで学校がお休みになったりのくだりで嬉しい気持ちになった子は、悪い子ですよ。そんな悪い子は、ヨノワールに連れて行かれておしまいなさい。
悪い子なんて放っておいて、ワタッコの話に戻りましょう。台風に巻き込まれたワタッコは、果たして無事なのでしょうか?
「雨も風も気持ちいいー。旅に疲れた体に染みわたるー」
無事でした! ああなんてこと! くさタイプであるワタッコには、台風なんてへっちゃらみたいです!
心配して損しましたね。風も姿を見ることは出来ませんが、肩を落としているようです。雨がやんで、風も穏やかになってきました。
ひとまずワタッコにひとあわ吹かせることは諦めてしまったようです。風なのに吹かすことが出来ないとはこれいかに──。
拍子抜けしている私たちと、穏やかに見えながらも内心腹の虫が収まらない風をよそに、ワタッコは気ままな海上の旅を続けていました。
時折キャモメがグットラック、と片翼を動かしてあいさつをしていったり、知った仲なのでしょうか、あたたかい土地を探して飛んで行くスバメの家族がやあ久しぶり、相変わらず楽しそうに飛んでるねえと飛びながら雑談を交わしてはまた飛んで行ったりした以外は、至って平和でした。
ワタッコは、キャモメがあいさつをしてくれた時も、知り合いのスバメの一家と話をしていた時も、ずっとにこにこ笑っていました。その表情は、風にいじわるをされていた時も、全く変わることはありませんでした。
飛んでいる間は、どんなハプニングが起こっても、おんなじ顔をしているのです。風にはどうしてワタッコがそんなに楽しそうなのか、全く理解ができませんでした。
これまで見てきたみなさんにはお分かりと思いますが、風は結構負けずぎらいなとこがありましたので──。
ワタッコを穏やかに飛ばしながら、ずっと考えて考えて考えました。
そうして、自分が起こす竜巻みたいにグルグル回る思考は──。
いつの間にやら、どうすればワタッコの思考回路に少しでも近づけるのか、という題にすり替わっていました。
ワタッコのふわふわ飛ばされる旅の舞台は、海上から陸上に変わっていました。だけどまだワタッコは飛び続けています。
見たとおりの根無し草であるワタッコですが、今回はしっかり目的がありました。カントー地方の小さな町の近く、周囲を海に囲まれているちっぽけな孤島に住んでいる友達のモンジャラに会いに行くのです。
ペリッパー便が届けてくれたお手紙によると、おいしい木の実を用意して待っているということですので、ワタッコは今から楽しみで仕方がありません。
今はまだジョウト地方ですから、もう少しワタッコの旅は続きそうです。
今にもよだれを垂らしそうなワタッコのすぐ横を、冷たい風が通り抜けました。ワタッコは冷たい空気にふれると地面に降りる習性があります。
さっき冷たい台風の中でも平気でいたとおり、冷たい空気が氷タイプのポケモンの技みたいに苦手なわけではありません。風が冷たくなるのは日が沈むときです。つまり夜眠る時間が近いので降りて休む様子を、冷たい空気に触れると地面に降りる、と私たちの間で言われるようになったようです。
まだ日の沈む時間ではありませんが、せっかくだから休もうと思ったワタッコは、高度を落として地面にふわん、と降り立ちました。
ひゅううん。地面に降りたワタッコの横を、また冷たい風が走り抜けました。
まだ昼間なのに、どうしてこんなに風が冷たいのだろう──。そう思ったワタッコの横を、また冷たい風が通り抜けます。
なんだろう? と首をかしげたワタッコの横をまた風が通りました。
ひゅううん。ひゅうううん。
また風がワタッコにいじわるをしているのでしょうか?
おおむねこの推測は当たっているようですが、どうも様子がヘンです。さっきからワタッコの周りを回っている風は、ものすごい速さでわかりにくいのですが、明らかにワタッコとおなじ、実体があるのです!
なんだろうなんだろう? 頭のなかにいっぱいなんだろうとハテナマークを浮かべているワタッコを笑う声がありました。
ワタッコの様子に笑っている私たちというわけではなさそうです。笑い声はワタッコのすぐ近くから聞こえてきています。
「どうだどうだ、冷たいかー! まいったかー!」
笑っているのは、風でした。なんとまあ、風は実体を手に入れて、戸惑っているワタッコを笑っていたのです。
少しオドシシに似た四足で走る体は透き通った水のように真っ青で、頭から生えた結晶のような角も、同じ色をしています。
リボンのように頭の方まで伸びているしっぽは真っ白で、長く伸びたたてがみは紫色です。
ポケモンのようですが、まんまるとしてかわいいワタッコに比べると尋常ならざる容姿をしていました。
「まいったんならまいったって言えー! ワハハハハハハ!」
言動で全部台無しでしたが。
あなたは誰?
と尋ねるワタッコに、青いポケモンはぐるぐる回るのをやめて立ち止まり、得意気に言いました。
「俺様はいつもお前の周りに吹いていた風だ! そうだな、今の姿は……お前が通ってきた大きな水たまりみたいだから、スイクンとでも呼ぶがいい!」
大きな水たまりとは、どうも海のことのようです。元が風なせいか、少し変わった言い回しをするみたいですね。名乗りが終わると、スイクンはまたワタッコの周りをぐるぐると回り始めました。
「お前は冷たい風がどうも苦手みたいだから、寒い北風をベースに実体化してやったぞーどうだー!」
「? 別に冷たいのが苦手ってわけじゃないのだけど……」
「なにい!?」
ただなんか変な青いのが周りを回ってるから困惑していただけだということを悟った瞬間、スイクンは頭を抱えて落ち込みました。ワタッコみたいに二つの足で立っているならまだしも、四つの足で立っているスイクンがそのポーズを取ると大変シュールであります。
「私をおどろかそうってだけなら、風のまま周りをまわるだけで十分じゃない? どうしてあなたは、ポケモンになったの?」
ワタッコの疑問に、スイクンは立ち上がり、じっとワタッコを見下ろしました。
そのするどい目に、さっきのとぼけた雰囲気は存在しません。
ポケモンになっても風であることを証明するように、風もないのにたてがみとしっぽがヒラヒラと揺れていました。
「お前と同じように、ポケモンになれば、お前の気持ちがわかると思った」
「気持ち? 気持ちってなあに?」
「本当にふわふわしたやつだなお前……お前は、俺様がどんなにいじわるに吹いても、楽しそうだった。どうしてなのか、風だった俺様にはわからなかった」
「なーんだ、そんなの当たり前よ」
風にとってはむずかしい問題も、ワタッコには簡単みたいでした。ワタッコは再び宙に飛び上がりました。風に乗ろうとしたようですが、風がないせいでワタッコの体はまた地上にふわふわと戻って来てしまいます。
なのにワタッコの顔は相変わらず楽しそうでした。ちょうどスイクンとおんなじ目線になる高度で目が合っても、やっぱりにこにこしていて、今度はスイクンが困惑しました。
「いつでもトモダチと一緒にいるんだもの。楽しいに決まってるわ」
「トモダチ? 風である俺様がか? だって俺様は、お前が平気な顔をしてたとはいえ、すごくいじわるなことをしたじゃないか」
ポケモンであるワタッコが、風をトモダチだという感覚が、スイクンには理解できないようでした。しかもスイクンが自分で言ったとおり、風だった時のスイクンはワタッコに酷いことをしています。
なのにワタッコはまたふわふわと笑うのです。
「だって、トモダチは思いどおりになるものじゃないもの。誰にだって機嫌のよくない時はあるわ。だからいじわるでも、トモダチなの」
ふわふわ笑って、言うのです。
「ふわふわにも限度があるだろお前。おめでたいにもほどがありすぎてタイじゃなくてコイキングが来るぞ」
「おめでたくなんかないわ。だってあなたは台風だったときもあるけれど、優しくそよいでくれたときだってあったじゃない」
風は優しい存在とは言い切れないかもしれませんが、決して悪い存在というわけでもないのです。そのことをワタッコはなんとなくではありましたが、理解していたようでした。
「やはりお前はよくわからん」
「わたしも、トモダチのことでわからないことがたくさんあるわ」
「ポケモンの体でお前と同じように旅をすれば、わかるのだろうか」
「どうかしら。少しはわかるかもしれないけれど、やっぱりわからないこともいっぱいあると思うわ」
「そうか……それはまあ、旅をしながらゆっくり考えるとするかな」
スイクンの中で話は終わったようです。ワタッコに背中を向けたスイクンのたてがみとしっぽは、やっぱりひとりでにそよいでいます。
「行くの?」
「ああ。お前はお前で、自分の旅を続ければいい」
「そう。でも、あなたがこうしてポケモンになってしまったということは、風はもう吹かないのかしら」
「案ずるな。俺様は風の極一部分でしかない。お前はお前の旅を、これからも続けることが出来る」
風が吹いて、近くの木々や草むらを揺らしました。
「でもトモダチとこうして話せるようになったのに、もうお別れというのは少しさびしいわね」
ワタッコの言葉に、スイクンはもう一度振り向きました。
表情のわからなかった風だった時と違って、その顔は得意気に笑っていました。
「風はいつでもお前とともにある。だが、もしお前が俺様と話をしたくなったら、俺様を探せばいい。気が向いたら、お前の無駄話につきあってもいい」
「ありがとう。そのたてがみとしっぽ、ステキよ。ポケモンになったあなたもいい感じだわ」
「当たり前だ。なんてったって俺様はカッコイイ風そのものだからな」
スイクンがニヤリと笑った顔をお日さまの方角に向けた瞬間、その姿は消えていました。
代わりに遠くの方からワハハハハハという高笑いが聞こえてきます。
さすがに北風だけあって、移動速度も早いようです。
「さようならー、またねー!」
ワタッコがふわふわ綿毛の両手を振って、マイペースにお別れのあいさつをしています。
スイクンの高笑いが聞こえなくなるまで、ふわふわの綿毛は、ずっと振られ続けていたのでした。
これで風と、旅好きのワタッコのお話はおしまいです。ポケモンというのはまだまだ謎がいっぱいの生き物ですから、皆さんに語って聞かせたこと全部が本当とは限りません。
だけどワタッコを見つけたときは、そうっと物陰から様子を観察してみるといいかもしれません。
運が良ければ、旅好きのわたくさポケモンと楽しく話し込んでいる、真っ青なポケモンの姿が見られるかもしれませんよ。