ジョウトとカントーに跨る霊峰、シロガネ山。数多の強者がひしめくこの地に、一際名を轟かせる猛者がいた。
彼の名はライカ。シロガネの麓に生息するギャロップの中で、歴代最も大きな群れを率いた長である。
大地を駆ける音、雷の如く。たなびく赤焔のたてがみ、猛火の如き気性を表す。
畏敬と賞賛の念を持って、人々は彼をこう称した。
誇り高き炎馬の王、シロガネ平野を統べる主――そして、彷徨う孤独な炎馬の王、と。
これは、栄光と自由の中に生きた一頭のギャロップの物語である。
まだ幼い仔馬の頃から、彼はすでに王者の頭角を現していた。輝く炎を纏う美しい容姿もさることながら、その年に産まれたポニータの中で一番足が速く、また気性も荒かった彼はあっという間に仔馬たちのリーダー格に納まった。子分を従えて颯爽と走り回る様は微笑ましくもあり、同時に将来有望である事を予感させるものだった。
独り立ちを迎え群れを出た後は、同じく所属を持たない若い雄馬達を纏め上げて新たな集団をつくり、互いに争うことで自分の能力を磨き上げた。天性の俊足に加えて、戦闘での立ち回り方や仲間内での優劣のつけ方を学んだ彼は、数年後、小さな群れを率いる長へその座をかけた闘いを挑むことになる。
燃え盛るたてがみから激しい火花を散らしつつ、二頭の雄馬が対峙する。甲高いいななきで相手を牽制し、前足を踏み鳴らし地を掻いて自らの力を見せつけ、睨み合ったまま有利な位置取りを探してぐるぐると歩き回る。互いに一歩も引かないことを悟った彼らは、ついに雄叫びを上げて相手に突進した。
首筋を狙って食らいつき、身を翻して後足を蹴り出し、棹立ちになって前足を叩きつけ、ごうごうと音を立てて燃えるたてがみや尾を打ち振るう。両者の闘いは互角に見えた。年長の雄馬には豊富な経験と技量があり、若い雄馬にはがむしゃらに突き進む体力と気力があった。
何度もぶつかり合い、退き、またぶつかる内に、やがて群れの長に疲労の色が見え始めた。動きに僅かな躊躇いとふらつきを見て取った彼は、ここぞとばかりに相手を攻め立てた。とうとう決定的な後足の一打が相手の胸に叩き込まれ、長は悲鳴を上げてくるりと背を向けた。
走り去る敵を、彼は追わずに見送った。勝敗は決した、群れの長との激しい戦いに打ち勝って見事その座を手に入れたのだ。
野性の世界は厳しい。弱肉強食の理の中で暮らす生き物達は、本能的に強い者を求める。雌馬達は自分と仔を生かす為、老いた統率者より力を示した若き挑戦者を選び、自ら進んで頭を垂れた。座を追い落とされた古き長は失意のうちに群れを去り、代わって新しい長が誕生した。
自分の群れを手に入れた彼は、それを守るために全力で戦った。幼い仔馬を襲うリングマに真っ向から立ち向かって撃退し、縄張りを巡って他の群れと争い、虎視眈々と最高位の乗っ取りを狙う雄馬達を蹴散らし。全てにおいて優位を保った彼の元にはその強さを慕った雌馬達が集まり、また強力な庇護の下で産まれた仔馬たちは、外敵の脅威にさらされることなくすくすくと育った。時が経つほどに群れは栄え、いつしかシロガネ平原に住まう者の中で一大勢力を誇ることとなった。
しかし、彼に注目していたのは同族のみならず。野生ポケモンの最大の敵――人間もまた、この強く逞しいギャロップに深い関心を示したのである。
野を疾駆する彼の姿を見た者は、その速さに舌を巻いた。敵と対峙する彼を目の当たりにした者は、凄まじい気迫に度肝を抜かれた。燃えるたてがみを振りたてて誇らしげに歩く様は、見る者全てを魅了した。
大地を駆ける音、雷の如く。たなびく赤焔のたてがみ、猛火の如き気性を表す。その素晴らしいギャロップの噂はシロガネ山から遥か離れた土地まで轟き、いつしか人々の間で『シロガネ平野の炎馬王ライカ』として知られるようになった。
噂が噂を呼び、ライカはますます神格化されて語られる。比類なきギャロップと称されたその内容は、残念ながら欲深な人間達を引き付けるに余りあるものだった。
「その足の速さはレースに使える、きっと優秀な成績を収めるだろう」
「いや、それほど力のある馬なら戦わせるべきだ」
「何を言う、美しい姿を活かしてコンテスト用に仕立てなければ」
各々の目的の為に、彼を手に入れたいと願う者は沢山いた。そんな人間が大挙して押し寄せ、基地とされたシロガネの麓は黒く染まった。無数に蠢く人間達を警戒し、恐れをなしたポケモン達は山の奥地や洞窟の中に身を隠したが、しかし彼の群れは逃げも隠れもしなかった。欲望にぎらつく二本足どもを横目に、悠々と草を食み野を駆ける。
ギャロップ達は知っていた。群れが戴く長は賢く力のある者で、どんな脅威からも守ってくれるのだと。
けれどギャロップ達は知らなかったのだ。人間がいかに狡賢く、執念深い生き物であるかを。
当初、狩人たちは個別にライカに挑んで玉砕するという流れを繰り返していた。彼と彼の群れの逃げ足は速く、生半可なポケモンでは追いつくことも難しい。かといって速いポケモンをけしかけると、先行しすぎて孤立し返り討ちにあってしまう。ライカの反撃は激しく、重傷を負ったり命を落とすポケモンも珍しくはなかった。
やがて一人ではどうにもならないと悟った彼らは、数人ずつチームを組んでギャロップの群れを追い始めた。各自が速力に優れたポケモンに跨り、できるだけ接近してから俊敏なポケモンを繰り出して先制攻撃を仕掛ける。この方法で群れを分断することに成功したが、取り残されるのは後方を走る一部のギャロップのみで、ライカを含む最も足の速い一群は彼方へ駆け去ってしまう。彼らの目標はあくまで炎馬王であり、老いたり弱った者は眼中に無かった。パニックを起こして暴れるギャロップ達は進路を塞いで邪魔なばかりか、それらの相手に手間取ると、態勢を立て直したライカが猛然とこちらへ突っ込んでくるのだ。
賢いライカは、周囲で牙を剥いて威嚇するポケモンになど目もくれなかった。狙うは人間を乗せたポケモンのみ、俊足を活かしてその横腹目がけて突進し、力を込めて突き倒す。悲鳴を上げて横転する騎獣達の背から、次々に人間が振り落とされていく。襲い来る戦闘用のポケモンを飛び跳ねて躱し、踏みつけ、周囲を炎の渦に巻き込んで目くらましと進行を阻む壁を作り出す。そうして指揮を失って混乱に陥った隙を突き、その場に取り残されていた仲間をまとめて一目散に走り去る、というのが彼のやり方だった。
本来ギャロップが苦手とする水、岩、地面の技を操るポケモンさえ、ライカは軽々といなしてみせた。わざと鼻先を掠めるように走り抜けて挑発し、怒らせて技を乱発させては軽快な動きでそれらを躱してまわる。躱し損ねてかすり傷でも負おうものなら、彼の炎はますます明るく燃え上がり、目は闘志に満ちてぎらぎらと輝いた。ぎりぎりまで攻撃を引きつけ、技を放つ瞬間に敵の眼前を横切って同士討ちに追い込むなど、その悪知恵と脚力は空恐ろしいほどだった。
執拗に攻撃を誘っては逃げ、とうとう相手が疲弊し決定打を失うと、からかうように周囲を回っていななくなど憎らしい程の余裕を見せつける。狩人が使い物にならなくなった手持ちを回収し、新手を出す頃には、すでにライカは手の届かぬところへ去っているのだ。
なお悪いことに、騎獣が雌のギャロップであった場合、彼の大立ち回りに魅せられてしまうのか、主を振り落としたまま野生の群れと共に駆け去ってしまうことがあった。相手を捕らえるどころか逆に手持ちを奪われ、虚仮にされたと感じた狩人たちは怒り狂った。それぞれ腕に自信のあるポケモン使いなだけに、受けた屈辱は相当のものだっただろう。
追い立て、囲いこみ、罠、眠り薬を入れた餌。何を試しても報われず、こちら側の被害が増えるばかりとあって、次第に彼を追う人々の間にも疲労と動揺が見え始めた。どうあっても炎馬王を捕らえてやると息巻く者もいたが、これ以上損害を出さない内に手を引くと宣言する者、あれはただのギャロップなどではなく魔性のモノだと恐れる者もいた。個々のグループは揉め始め、最終的に当初の半分以上のポケモン使いがシロガネ山を去って行った。
だが引き上げる者とは対照的に、ごく少数ながらも新規にギャロップ狩りに参加する人々がいた。その中に、特徴的に曲がった鼻から“鷲鼻爺さん”と呼ばれている老人がいた。彼はポケモンの生け捕りを主とする狩人で、百戦錬磨の猛者だった。ライカの名声と悪評に比例して彼の興味の度合いも高くなり、ついにはこの目で実物を見てやろうと山奥の住処からはるばるやってきたのである。
そうして、一目ライカを見た鷲鼻爺さんはすっかりこのギャロップに惚れ込んでしまった。人を寄せつけぬ荒々しく美しいこの雄馬を、必ず手に入れて御してやると固く心に決めたのである。
彼はまず、魔性のギャロップを追いまわす人々から話を聞いて回った。ライカだけでなく、彼の有する雌馬と仔馬の数、群れの行動パターンや危機に対する反応の仕方などさまざまな情報を集め、また自身も野に出て遠くから群れを観察した。その間、ライカを狩りに出かける人々から何度も誘いがあったが、鷲鼻爺さんは頑として同行を拒否した。たった一人で何ができると嘲笑されると、一人の知恵は大勢の無駄足に勝るのだ、と返して不敵にニヤリと笑うのだ。これを聞いて憤る者もいたが、どのチームとて何の成果もあげられない現状に、言い返す言葉が見つからないのだった。
ギャロップの観察と並行して、爺さんは密かに人間達の見極めも行っていた。誰がチームのリーダーか、どの程度の発言力があるか、自分が事を起こした時に賛同してくれるか否か。用心深い爺さんは、自分の求める全ての条件が揃うまで辛抱強く待ち続けた。
その甲斐あって絶好のチャンスがやってきた。もはや何度目かも分からない挑戦が大失敗に終わり、疲れ苛立った人々の間に険悪な空気が流れ始めたのだ。あちこちで言い争いや揉め事が頻発し、結果、山を下りたり追われたりする者が増えた。また予想以上の長期戦に装備が尽きて去る者も多かった。残ったのは執念深い古参と諦めきれない新参者が一握りといったところだろうか、初期に集まった人数に比べるとあまりに僅かである。
鷲鼻爺さんはこれを好機とみた。捕獲計画の人手をどう集めるかが問題だったが、今や有象無象の群れがふるいにかけられ、しぶとく強かな者だけが選りすぐられたのだ。彼らを使わない手はない。
そこで以前から目をつけていたリーダー格を狩小屋に呼び集め、自分の練った作戦を披露して説得に当たった。始めは半信半疑の顔で聞いていた彼らも、話が進むにつれ次第に真剣になっていった。
作戦はごく単純だった。まずシロガネ平野を区画分けし、各所へ人員を配置する。各自乗用のポケモンに跨って待機し、持ち場に馬群が現れたら一斉に飛び出して別の区画へ追い立てる、ただそれを繰り返すだけだという。手持ちの足の速いポケモンは全て乗用や勢子役に回して、戦闘に特化したものはボールから出さず待機させておく。ここで、爺さんは絶対に攻撃を仕掛けず追い立てるだけだと強調した。これまでの失敗の大半は中途半端に攻撃してライカを刺激した事と、チームメンバーの連携が取れていなかった事だと見抜いていたのである。餌場である草地などに近寄らせず補給を断ち、昼も夜も走らせ疲弊させたなら必ず群れを追い詰める事ができる、と爺さんはきっぱり言い切った。いつの間にか話に引き込まれていたリーダーたちは納得した顔で頷いたが、一人が最大の疑問を、つまり狩りが成功したとして一頭しかいないライカは誰が得るのか、と尋ねた。早い者勝ちか、一番功績をあげた者か?
この問いに鷲鼻爺さんは笑って答えた。むろん炎馬王はわしのものだ、決まっているじゃないか、と。
場に飛び交う怒号を黙ったままでやり過ごし、皆が罵り疲れるまで静かに待つ。馬鹿馬鹿しいと席を立つものが出始めた時になって、爺さんはようやく口を開いた。
お前たちはライカ以上の物を手に入れるかもしれんのだぞ、という言葉に数人が足を止める。怪訝そうな彼らを絡め取るように、爺さんは滔々と語り聞かせた。
奴は確かに頂点に君臨しているが、考えてもみろ、今後何年その状態を保てるか。今は良くとも時が経つ程に体力も気力も衰えて、いずれ若い馬に座を蹴落とされる時が来るだろう。どんな豪傑も結局若さには勝てんのだ。
さて、その将来有望な若駒はどこにいる? お前たちは奴の群れの仔馬をよく見たか? あれらは父親に似て素晴らしい資質を持っているぞ。これから鍛えればレースでもバトルでもコンテストでも、思うがままだ。
もちろん母親だって捨てたもんじゃない。あの雌馬たちはライカに付き従い、シロガネ平野を駆け巡ってきた強靭なギャロップだ。おまけに腹には卵を抱えているときた、それが誰の種か知らないわけじゃあるまい。気難しい野生馬も、孵ったばかりの仔なら調教しやすかろうよ。
どうだ、宝の山じゃあないか。わしにライカ一頭を譲ってくれたら、後の奴らは好きに山分けするといい。参加した者それぞれに、費やした時間と資金に見合うだけの戦利品があると約束しよう。
この年になると欲の形も少々変わってくるもんでな、わしは将来の財産より今ある名誉が欲しいんだ。炎馬王を捕らえたという唯一の名誉、それだけでいい。
さあどうする? わしと協力して資産を得るか、一人で身を擦り減らすか……お前たちはどちらを選ぶ?
重い沈黙が立ち込めた。といっても否定のそれではなく、皆それぞれに顔を見合わせ互いの肚を探り合っている。ライカは欲しい、しかし捕らえられもしない名誉を追い回すより……そう、爺さんの言う通り、資産を確実に手に入れる方が遥かに旨みがある。もう十分時間も金もつぎ込んだ、そろそろ見返りがあってもいい頃だ。忌々しい魔性のギャロップは爺さんにくれてやる、自分はその子孫で将来大きなアタリを引く方に賭けようじゃないか。
一人、また一人と席を立ち、鷲鼻爺さんの元へ来て手を差し出した。協力を約束する彼らの手を握り返し、わしと組めば必ずや望むものが手に入るだろう、と爺さんは明言した。自信満々のその態度につられて狩人たちの士気も上がり、小屋の中には気勢を上げる男たちの声が響き渡った。
こうして、鷲鼻爺さんを頭に人間たちは結束した。ライカを慕うギャロップたちと同じ――いや、それ以上の情熱と欲望を持って寄り集まった。
作戦決行は二日後に決定し、爺さんから細かな指示を受けた狩人たちがそれぞれの仲間の元へ散っていく。皆ライカに劣らぬ闘志を燃やし、これから手に入れる報酬について声高に話し合っている。気の早い者は将来の計画について捲し立て、自分がギャロップの新時代を切り開くのだと息巻いていた。
そんな男たちを見送りながら、鷲鼻爺さんは薄く笑みを浮かべていた。これで魔性の炎馬を追い詰める下準備ができたと、第一関門を意外にあっさり通過できたことを喜びつつ、これからが本番だと気を引き締める。
雌馬も仔馬もくれてやる。お膳立てしてやった分、わしが確実にライカを手に入れられるよう、存分に働いてもらおうじゃないか。
そう一人ごちて、狩小屋に背を向ける。眼前には青々とした草をなびかせる平原が広がっていた。このどこかをあの不屈の雄馬が駆けている、誇り高きあの炎馬が遠からぬ内にこの手に落ちる、そう考えると爺さんの体に熱い震えが走った。
何も知らないギャロップ達は野を駆け、草を食む。後に史上最大規模とされるギャロップ狩りが、ついに始まろうとしていた。
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砂糖水さんの企画に参加させていただきました。http://masapoke.sakura.ne.jp/lesson2/wforum.cgi?no=3368&reno= ..... de=msgview
前編完成、後編に続く。
とり急ぎここまで。読了いただき、ありがとうございました!
感想をくださった逆行さん、砂糖水さん、焼肉さんに大感謝を捧げます。嬉しすぎて小躍りしましたよもう! お返事は後編でさせていただきます、もうしばらくお待ちください。