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  [No.3504] この世界が負けてもいいようにできてることさえ 投稿者:逆行   投稿日:2014/11/15(Sat) 21:59:41   55clap [■この記事に拍手する] [Tweet]

 嘗ての景色は、やたら低い。
森に住んでいた。されど、緑色の丸い体を寝かせずして、木の頂点など見えなかった。高い所がどうなのか、立った状態では把握できない。えげつなく制限された視界。それは、特に飛行種族に対して、多大な幸福を齎した。
 ある日眼前に、二本の棒が出現した。棒は交互に動いて、近づいてきた。全体的に肌色。下部は白く、手前に出っ張る。以前も、似たようなのを見た。今回は毛がない。だから違うと、思った。ところが、棒が静止した後、ボールが降ってきた。赤と白のボールだ。弱小獣、弱らせる必要なし。人間だと分かれば、すぐに逃げた。後悔の波に溺れた。目を瞑った。しかし当たった感触あらず。どうやら外れたようだ。人間は去った。道具を切らしたか。捕まらずに済んだ。運が良い。

 まあでも、人間はそんな怖くない。たまにしか遭遇しない、何より殺さない。問題は、天敵の方。食物連鎖の底辺、キノコポケモンのキノココ。鳥タイプはもちろん、キャタピーも稀に齧ってくる。キノココには、栄養が詰まっている。嬉しくない取り柄だ。おかげで毎年、世界標的グランプリの最上位に君臨する。
 キノココは、頭に毒胞子を持つ。けれど、モモンの実と食べれば解決。第一に、それのみ口にしても死にはしない。毒は然程、脅威にならず。
 もはや絶望的。逃げ足も遅く、痺れ粉も精度に難あり。そして視界も狭い。それでも僕は何とか、今日まで生存できた。かつてオオスバメに襲われ、危なかったことはあった。激しい戦いの末勝てて、捕食から避けられた。何故あんな、巨大な燕を倒せたのか。僕は本当に、運が良かったのだ。


 月日が経ち、僕は人間に捕まった。生きて行く上で、最大の心配ごとが消えた。そんな瞬間だった。この時点では、捕まってむしろ良かった。仲間はほとんど喰われたから。
 主人は、やや精神が、不安定だった。けれど良い人だった。疲れたら、即回復させてくれた。道具も惜しみなく使ってくれた。何より嬉しかったのは、弱かった僕を、強く育ててくれたことだ。
 ゲットされた時点で、主人はバッジを二個得ていた。その後も、悪くないペースで進んだ。決して平らな道ではなかったが。主人は、勝つことに必死だった。勝つためなら、手段を使い尽くした。タウリンなどの、能力を上げる道具。それらを買いまくった。そのせいで、常にお金に困った。食費を切り詰め、野宿をして対処した。僕達に負担は一切掛けない。

 そんな主人に、向かい風が吹いた。主人のような行為は、ドーピングと蔑称され、好ましく思われていなかった。よって周りから、白い目で見られる。馬鹿にされる。トレーナー失格だと、おせっかいが説教を垂れてくる。タウリンは高価だ。貧富で差が出て不公平。だから嫌われている。禁止薬物が混入していると、嘘情報も流されていた。僕は生まれて初めて、誰かのために戦おうと思った。
 それでも、歩みは止めず。旅の途中で、僕はキノガッサに進化した。筋肉のついた、手足が生えた。太長い尻尾も得た。格闘技も覚え、力が大きく成長した。自分より遥かに大きいハガネールを殴り飛ばしたとき、その細長い鋼の体が宙に浮いたのを見て、しばらく茫然としてしまったのを覚えている。更に依然として、頭の胞子は残っていた。キノコの胞子で眠らし、覚ます前に格闘技で攻め倒す。この戦法は気持ちが良かった。強化された僕を見て、主人は嬉しそうに褒めてくれた。体を寝かせずとも、見上げるだけで、主人の顔が見えた。


 とうとう、ポケモンリーグの出場権を得た。強敵しかいない場所。自分の参加は無理か、と考えた。だが一、三回戦に出させてくれた。一回戦は、相手がずっと眠ってくれた。睡眠から気絶に変えて勝利を決める。三回戦では敗北した。相手はカゴの実を所有。即座に起き上がって、攻撃をぶちかましてきた。次のミロカロスがギリギリで倒して次に進めたしたらしい。
 今度は四回戦。負けたのに、出番を貰える予定だった。
だが主人は、リベンジの機会として、出番を与えたのではない。あの人は、勝つことが全てと考えているから、そんなはずはない。

 かつての自分は、そんな主人に疑問を抱いていた。別に、負けてもいいだろうと。いやもちろん、勝った方が嬉しい。けれど、そこまで気負う必要もない。だって誰も、死なないのだから。バトルは安全第一。殺し合いではない。打ち所が悪くて逝くことはあるが、それは競技中の事故、すなわち異常な事態としてカウントされる。負けることと死ぬことに、因果関係はない。人間の方も、基本的には安全。トレーナーは離れて立っていて、攻撃はほぼ当たらない。そして当たってもだいだい死なない。奴らは思った以上に頑丈だった。主人は一度、火炎放射をまともに受けたが、即手当したのも幸いして、今では火傷の跡も消えている。亡くなる人もいるかもだが、スポーツとして成り立っているのだから、極僅かであると推測できる。また、リーグのスタジアムは、観客が流れ弾を受けぬよう、先端の技術が搭載されている。昨日、破壊光線が客席に飛んだが、透明な壁に阻まれて、掻き消されたのを目撃した。まさしく科学の力というのはすごい。
 対して野生の戦闘は酷い。喰うか喰われるかの対決。喰われようとしている側は命がけ。場合によっては、喰おうとする側も命がけ。勝たないと死んでしまうから、絶対に勝たなくてはならない。トレーナー同士のバトルは死なないのだから、そこまで勝ちに拘らなくてもいい。極めて単純明快な理論。
 それなのに主人は、いや主人意外の人間も、勝つことに必死だった。死を賭した世界に身を置いてきた僕としては、どうしても訝しく思わずにはいられない光景だった。あの頃は。


 このことを、仲間のトゲキッスに相談したこともあった。卵よろしく白くて丸い体型に、空気を切り裂く巨大な翼。目はくりんとしており、温和な雰囲気を醸し出す。しかし、性格はかなりきつい。感じたことをばんばん放つ。エアスラッシュで怯ませるのが得意で、僕と同じく運に左右されやすいバトルスタイル。後オスだ。
「結論から言うと、勝った方が正義になるからだよ」
 トゲキッスが、全てを悟っているかの如く堂々と話す。ちなみに彼は、昔別のトレーナーの元にいたらしく、長く人間を観察してきている。
「勝った方が正義 ? どういうことだ」
「勝った方が、善悪の概念の塗り替えるのさ」
「意味が分からない」
「人間は、どちらの意見が正しいか決めるとき、議論をするだろ」
「たまにやっているのを見るね」
「議論は、勝った方が正しい意見を言ったことになる」
「そうだけだも」
「同じで、バトルも勝った方が正義になるんだ」
「バトルと議論は違うだろ」
「一緒だよ」
「一緒にしたって、別に議論だって勝つためにやる訳じゃないと思うよ。互いの意見を交換して、分かり合うためにやるものだろう」
「定義上はそうなっているけど、実際は勝つためにやるものなんだよ。勝って相手の意見をねじ曲げることに、人間は快感を抱くんだ。そして意見をねじ曲げられることには、相反して不快感を抱く。だから是が非でも勝とうとする。分かり合うためにやるなんて、誰も思ってないんだよ」
 彼の話は、意味不明だった。最も今は違うけれど。


 現在僕は、ボールの中にいる。ボールの中でも、外の様子は見れ音も聞ける。昔はそうではなかったらしいが、便利な世の中になったものだ。主人は、ポケセンの待合室で椅子に座っていた。スマホでゲームをやっていた。試合前の緊張をほぐす一つの手段だ。余談だが、スマホのゲームには、課金というシステムがある。課金とは、お金を払いゲームを有利に進められるアイテムを買うこと等を言う。されどこの課金も、ドーピング行為と同理由で嫌われている。課金するお金のあるなしで、有利不利が出てしまう。課金は卑怯という意見が世間を支配していた。

 主人以外にも、ポケセンには当然多くの人間がいた。近くで二人の人間が会話していた。彼らは何やら、お互いベストを尽くそうと約束し、目をぱっちり開けて、これ以上ない満面の笑みを浮かべつつ、極めて力強く握手をしていた。本日ぶつかる予定らしい。されど果たして、彼らの言動は本心か。たぶん違う。こいつに是可否でも勝たなくては。それが本心。人間がすごいと感じるのは、感情を表に出さずにいられることだ。彼らは様々なお面を持つ。ときと場合でそれらを使い分ける。すごいと思う反面、彼らの本性が分からずに、恐怖を感じることもある。
 心中では、勝った方が正義だと思いつつ、その本心を誰も口にしない。変わりにほざくのは、価値観は人それぞれだという、無難で偽りの綺麗ごとばかり。というのは、果たして真実か。そんなことを、考えていた。





 今と同様、待合室にいたときの話。違う場所ではあるけど。三人のトレーナーがいた。年齢は十代の後半か。三人とも、弱気そうな感じだった。痩せていたり、髪型が地味だったりしている。バトルも弱そうだ。案の定話を聞く限り、彼らは負け続けているらしい。
 そんな彼らは、「切断」について話題を変えた。切断とは、バトルで負けだと分かったとき、走って逃げてしまうという、露骨な反則行為のことを示す。切断をやると、法で裁かれる。手口はあまりにも単純。しかし唐突に逃走されれば、追いかけるのは容易でない。得られたはずの賞金を損してしまう。最近多発しているとか。主人も一回やられた。やっかいなのが、「捕まえてくれー」って叫びながら逃げる奴がいること。周囲の人間は、強盗やロケット団に追われている光景と錯覚する。バトル中に張られた緊張の糸。それを、前振りなくブツンと切られる。だから切断と呼ばれた。

 彼らの中の一人が、本日切断をやられたらしい。そのことに対して、憤っていた。それは至極当然のこと。けれど、憤った後に、冷静な声に戻って、真剣な表情を浮かべ放ったことが、なかなかに衝撃的で、未だに印象に残っている。
「前から俺はな、犯罪者は全員死刑にした方がいいと思ってたんだ。いいだろう極刑で。人殺しから、切断まで。そうすれば、真面目に生きている奴が損をしなくて済む。もちろん冤罪の問題もある。だがそれは置いといて。犯罪をして捕まって即死刑になれば、犯罪が大幅に減少するに決まっている。死ぬ覚悟で犯す者は稀だろう。ロケット団みたいな組織も、すぐに消滅する。俺は理不尽なことが嫌いだ。頑張った人が報われないで、ずるい奴ばかりが得をするのはおかしいだろう。犯罪者なんてどうせ更生しないんだから、殺した方がいいんだ。根が腐っている奴には、説得しようが辛い思いをさせようが無駄なのさ」

 彼は比較的早口で、ここまで言い終えた。直ぐ様、笑って誤魔かす準備を整えていた。聞いていた二人は普通に共感していたらしく、真剣な表情でうんうん頷いていた。彼は口角を元の位置に戻した。主人はスマホでゲームをやっていて、盗み聞きはしていない。
 どんな罪を犯した人でも全員死刑にしろ。殺してしまえ。何と危ない考えだ。弱気そうな彼の口から、飛び出して良いものじゃない。人間は主に、人を殺した場合死刑になる。まあようするに、国に殺されることになる。それ以外は、違う罰を与えられる。お金を払わされたり、牢屋に入れられたり。けれどそんな軽い罰では、被害者は満足しない。死刑にして欲しいと、不満を漏らす。
 この会話は、後に僕が勝つことに必死になるように心変わりすることに、大きく貢献してきた。


 これはゲットされて、間もない頃の話だ。何やら、たくさんの人間が集まっていた。二十人くらいで、老若男女様々。彼らの視線の先には、奇抜な格好をした団体がいた。合羽のようなものに身をつつみ、その上にエプロンのようものを着ていた。奇抜な格好をあえてして、人々を惹きつける目的か。彼らの中で、他とは異なる姿をした、風格のある男が一人いた。だがこれまた、良く分からない格好で、巨大な目が描かれた服を纏い、右目に用途不明の装置を付けていた。その男が今まさに、演説を開始する瞬間だった。
その団体はプラズマ団だった。プラズマ団に関しては、名前とどのような活動をしているか、概要だけは知っていた。ポケモンを、解放しようとしているのだ。ポケモンは人間に、自由を奪われ、戦わされている。この現状を、変えたいとのこと。
 されど僕としては、人間の元にいる方が、安全で良いと感じるのだけど。仲間や住む場所と離れるのは嫌だが、しかし正直、喰われないメリットがかなり大きかった。その心配のあるなしで、天国と地獄ぐらい違う。ただ、食物連鎖の上の方にいる者の気持ちは知らない。

 それで、演説もそのことについてな訳だが、話し方が上手いせいで、聞いている人達の多くが、完全に入り浸ってしまっていた。これはもう、洗脳されていると言って差し支えない。一方で主人は、あまりちゃんと聞いていなかった。主人が人の話に、耳を傾けない人で安心した。影響されたら一大事だ。主人に解放されたら、また命がけの日々を送る。せっかく手に入れた安心を、失ってはたまったものではない。僕はボールの中で、心臓はバクバクだったし、汗はだらだらだった。意外にも今日が数日前以来の、人生の分岐点になる恐れがあったのだ。
 演説が終了した。途端に、花火のようにうるさい拍手が発生した。これは、もしかしたら。この後主人が他の人に、解放しろと責められるんじゃ。まずい。これだけ大勢に言われるのだ。主人はいったいどうなるだろう。
でも、その心配は無駄になった。人々の集まりから、一人の男が、前に出てきた。ニ十代前半くらいの若い人。目が凛々しく、背筋は伸びている。拳を握りしめていた。プラズマ団は一斉に、こいつは何をするつもりだ、とでも言いたげな顔をした。流石の主人も注目していた。

 男は演説した人に向かって、堂々と叫んだ。
「人間とポケモンのあり方? そんなもの、人それぞれだ。それに首を突っ込むのは、意味が分からない。君たちがやっているのは、一方的な考えの押し付けだ。ポケモンと共存するという価値観を否定し、さも自分の意見が絶対的に正義だというように論理を振りかざし、人々を洗脳させる。はっきり言わせてもらう。不愉快だ。価値観を否定するのは、人間として最低な行為だ! それは、全ての戦争の元だ。絶対にやってはいけない。それに、君たちはポケモンの解放を訴えているようだが、そんな君たちが、他者の価値観を束縛するのは、明らかにおかしい。矛盾していることになぜ気がつかない」
 先ほどより一回り大きい、盛大な拍手が沸き起こった。しかも、うるさいと感じない、真に心のこもった拍手だ。洗脳が解けた瞬間だった。完全に、彼の言い分が正しいという雰囲気。僕は助かった。命がけの日々に戻らずに済んだ。
 価値観は人それぞれ。素晴らしい考え方だ。何が正しくて、何が間違っているのか。そんなことは、誰にも分からない。だから自分の価値観を、他人に押し付けるな。まさしく、その通りだと思った。この考えは、この世の全ての問題を解決する。そんな気さえもした。

 プラズマ団の人達は、返す言葉がなくなっていた。何も言わず、黙りこんでしまった。どう反論すべきか、明らかに必死に考えていた。演説していた人は、やれやれと言った感じでため息をついた。演説を台無しにされた怒りに震える、等と言った様子は見せなかった。
プラズマ団は、顔を真っ赤にして去っていった。背中が見えなくなるまで、人々はブーイングを飛ばした。その後は、集った人々全員で、男を胴上げしていた。大袈裟な気もするが、これにてめでたしめでたし。ただ、洗脳されていなかった主人が、どことなく腑に落ちていない感じで、気になった。また、ヒーローになった男が、嫌に悦に浸っている表情をしていたのも、気になっていた。



 それから、数日後のこと。主人は、父親に呼ばれた。話があると言われた。電話では駄目らしい。一旦家に、戻らなくてはいけない。これはかなり大変だ。でも主人はバックレもせず、律儀に約束の時間通りに向かった。帰るまで、何度も父から電話が掛かってきた。今どこにいるのか、しつこく確認させられた。
「ちゃんと服洗っているか」
家に帰った息子に対し、父親が最初に放った言葉がそれだった。
「洗ってるよ」
「暑いときちゃんと帽子被ってる?」
「被ってるよ」
 なぜこんなに過保護なのか。そんなこと、わざわざ呼んで聞くのか。他にも様々なことを質問された。ご飯ちゃんと食べているかとか。朝起きれているかとか。
「最近どうだ順調か」
 と、ここでようやく本題に入りそうだ。本題に入るときは、自分から切り出すのではなく、相手から出すように仕向ける人が多い。
「別にどうというか……」
 主人は決して、苦戦している訳ではなかった。バッジは、一個も得られない人が大半だ。むしろ主人は、良い方だ。それなのに。
「約束覚えているか?」
「忘れた」
「嘘つくな。本当は覚えているだろう」
「今は百八個かな」
「本当は何個だ」
「三個。もうちょっと待って」
「もうちょっと待ってを何回繰り返しているんだお前は」
「百八回かな」
「だから冗談で誤魔化すんじゃないよ。お前はそうやって嘘をつくから駄目なんだ。ちゃんと正直に、どうしたいのか言ってみろ」
「まだ続けたい」
「別に続けていけないなんて言ってないから。考え方は人それぞれだ。俺は旅に出なかった。まだお前は違う。何が正しいなんてないんだから。俺はお前に旅を止めろなんて言わない。ただお前の本当の気持ちを知りたいんだ」
「だから、まだ続けたい」
「本当にそう思っているのか。これからきついぞ色々と。別にお前はやりたいようにやればいいんだけどな」
「本当にそう思っているよ」
「いやだから、俺は別に考えを押し付けるつもりはないんだ。ただお前の本当の気持ちを知りたいんだ。で、どうしたいんだ」
「……」

 明らかに噛み合っていない会話。どう見ても押し付けている価値観。主人が腑に落ちていない表情をしていた理由が、ここで判明した。父親は、本当は止めて欲しいと思っている。しかし、それを直接言うと、価値観の押し付けになる。そうなると、自分が悪者になってしまう。だからこうして、遠回りして責め立てる。

 考え方は人それぞれ。これが、広範囲に渡って浸透し、綺麗な道徳観として形成され、ギラギラした王冠を被った王様の如く、民衆から盛大に讃えられている。それを批判する者が現れれば、民衆から一斉にタコ殴りにされるのが目に見えるから、違和を感じても誰も指摘しない。かつては僕もその民衆になっていた。
ところが、心の奥底では、自分こそが正しいと、常に信じ続けている。そして、自分の描く心理を、他人に押し付けたいと、思っているのだ。父親が過保護なのは、子供の考えを支配したいと、考えているからなのだ。


 勝ち続けないと、駄目な状況。それが生まれてしまった。僅か過ぎる猶予を貰えた。もう少し伸ばしてくれと、言える空気ではなかった。それでも、主人には才能があった。また、主人は努力家でもあった。有象無象ではない。だから、先へ進めた。壁を越えられた。
だが主人は、憎まれていた。原因はそう、ドーピング行為だ。自分より才能のある人間が、誰もやってない愚行をしている。絶好の叩き対象だった。その状況を僕は、僕がキノココのとき、様々な奴から命を狙われていた状況に重ねた。現在の主人は、昔の自分だ。
 主人は、ドーピングを止めなかった。勝つことが困難になるのを恐れた。主人の実力を持ってしても、ドーピングに頼らざるを得ない厳しさ。敗北が続けば、父親の正しさに従わないといけない。絶対にそれは嫌なのだろう。主人は、旅を続けたかったし、何より自分の正しさに従いたかった。トゲキッスも言っていたが、人間は、意見をねじ曲げられることに不快感を抱くのだ。

 罵倒の声は、増幅する。バッジが増えれば、知名度が上がる。顔までも知られる。もう手遅れになった。行いを改めても意味がない。
 そしていよいよ現れた。タウリンを僕に使っていた主人の傍らに、一人の真面目そうな男がやってきた。主人よりやや年上の彼は、名前を確認した後、挨拶もせず説教を始めた。今すぐドーピングを止めろ。やっているのはお前だけだ。みんな悪いと思っているからやらない。タウリンには、禁止薬物が入っている。これは紛れもなく事実だ。それは、生物の寿命を縮める。そんなものを使って、無理矢理成長させられるポケモンのことを考えろ。
 黙りこみ、俯き、片手に持ったタウリンをしまいもせず、話を只管聞く主人に、そいつは更なる幾多の正論を浴びせてきた。正論、正論、正論。道徳的用語の、オンパレード。それを極めて真面目な声で。決して、責める側が悪人にならぬよう、ポケモンのことを、第一に考えている匂いを混ぜつつ。そして、彼は最後に、「悔しかったら見返してみろ」などという、お決まりの文句を吐いて去っていった。
 もちろん主人は、ドーピングを止めなかった。逆らうかのように使う量を増やした。そして主人は、新たな行動を取った。それは、非常に納得のできるものだった。

 ドーピングは、「正式」な反則ではない。「正式」な反則は、有名な別のものがある。それがそう、「切断」だ。主人はこの日、二度目の切断に出くわした。災難は畳み掛けるようにやってくるものだ。前回なら、主人は犯人を追いかけていた。しかし、今回は違った。逃げていく人を、主人はスマホで写真を撮った。そしてそれを、ネットに公開した。写真だけでは意味不明だから、文章を付け加えたのだろう。
 このようにして、主人は自己の正当化を図った。自分よりも、悪人扱いされている人。そいつに、私刑を与えたのだ。当然、ネットには本名で投稿したのだろう。それを見た人が、主人は良い人だと、認めるように。
悔しかったら見返してみろ、悔しかったら「これ」をやってみろと言われて、本当に「これ」をやろうとする人は、たぶんほとんどいない。それは、相手の思う壺であり、余計に悔しくなるから。だから普通は、「軸から外れた行い」をする。真の意味で見返すとは、全く想定されていなかったこと、あるいは背徳的なことをやり、相手の困った顔を見ることだ。そんなことは、人間間でもポケモン間でも常識だ。これを声に出すと、途端に周囲から馬鹿にされ、顔が真っ赤になる未来が見える。だから例え常識でも、誰も話さないのだろう。
 結果的に主人の行動は、あまり効果を齎さなかった。と言うのも、いくら知名度があっても、写真はそこまで、大勢の人に見られなかった。そもそもそれ一つでは、主人の潔白を証明するには不十分。相変わらず、責められた。

 そして、あるときのことだ。十歳くらいの幼い子供が、主人の前に立った。その少年は恐らく、トレーナーになったばかりだ。純粋無垢な子供。先ほどまで、ポケモンと仲良く戯れていた。そんな彼はしかし、主人が、最も言われたくないであろうことを、放っていったのだ。
「消えろ、犯罪者」
 主人は落ち込み、膝をついた。ぼたぼたとみっともなく涙を零した。ひと目を気にしてその場から離れる。とうとう切断をした連中と、同じ人種だと言われた。しかも、一切穢れのない小さい子共に。能力を上げる道具の多用は、決して犯罪ではないのに!

 主人が正しくなろうとしてやった行為は、全て無駄打ちに終った。無駄打ちどころか、負のループに突入している。ああ、どうしたら主人を、救ってあげられるのだろう。どうしたら主人は、正しくなれるのだろう。答えはもう、僕の中で出ていた。僕がやれること、やるべきことはそう、一つしかないのだ。
 人間は、犯罪者を殺したいと思う。人間は、正しくない人を犯罪者にする。議論でも何でも、勝った方が正しくなる。これらから導き出される結論は……。
 結局、それが真実なのだ。だから、こうする他はない。





 ようやく四回戦の、出場順が回ってきたようだ。主人はスマホをしまい、会場へと向かう。主人は今が、一番緊張しているだろう。始まる直前が、最も緊張する。バトル中は、さほどでもない。ポケモン側も、緊張のピークは待ち時間だ。そしてこの待ち時間が、トレーナーよりも遥かに長い。

 野性だった頃の、あの命がけの戦闘は今も忘れない。キノココだった自分は、オオスバメに喰われかけた。相手の素早い動きに、全く付いていけず。僕は何度か攻撃を受けた。オオスバメは、殺してから毒を除いて、落ち着いて食べるつもりだろう。一先ず僕は頭を振り回し、毒胞子を付着させた。体力は少しづつしか削られない。このままでは、先に僕がくたばってしまう。僕は賭けに出た。精度の良くない痺れ粉を使用した。麻痺をさせることには成功した。相手がずっと動けず、毒が回って倒れるのを狙った。しかし、麻痺状態でも動ける確率の方が高い。だから成功しないと思っていた。心の底では死をすでに覚悟していた。ところが、ああバトルは面白いものだ。思惑通りにことが運んでしまった。オオスバメは、痺れて地面に這いつくばる状態を維持していた。僕はもう、がむしゃらに体当たりした。相手の瞼が完全に、閉じられるまで。
 あのとき勝てたのは、やはり運だろう。実力ではない。けれど、それでもいいのだと思った。運でも実力でもどっちでもいい。とにかく勝てばいいのだ。主人が何故大事な四回戦に、運に左右されやすい僕を選んだのか。一か八かということなのだろうか。だとしても、運なんて関係なしに、僕は勝たなくてはいけない。
 会場にいよいよ入る。
 このバトルに勝たないと、主人は殺されてしまう。気負いすぎていない。これは、導き出された真実だ。仕方がないのだ。自分こそ正しいと思う奴らがいるから、仕方がないのだ。ポケモンバトル。それは結局、野生の戦闘と何ら変わりない。異なる点は、死ぬのは自分ではなく、主人だという所。だったら尚更勝たなくてはいけない。
 弱かった僕を、ここまで強くしてくれた主人。キノコの胞子と格闘技のコンボの練習に、明け方まで付き合ってくれた。強くするために、自らの生活を犠牲にし、悪役にまでなった。重症を負ったときには、寝ないで看病してくれた。残り少ない食糧をくれた。バトルでは喰われることはないから怯えることはないということを、教えてくれた。
 そんな心優しき主人を、絶対に失いたくはない。それに主人は、嘗ての僕と同じように、様々な奴から、命を狙われている。自分と同じ状況になったら、助けたくなるものである。

 鼓膜を突き破りかねないほどの、大歓声。観客から身を守る透明な壁は、音までは遮らないようだ。観客は誰一人として、主人のことを嫌ってはいないように思える。けれど違う。確かに主人は、ここまで上り詰めた。正しいと認められるための、確かな名誉を手に入れた。だが、まだ先がある。観客の中にはまだ、主人の正しさを信じない者が紛れている。そいつらを消滅させるために、これから戦うのだ。
 対戦者が現れる。そいつは右手を握って上げる。観客の歓声がピークになる瞬間だった。それぞれ所定の位置についた。お互いにボールを投げた。審判が旗を上げた。戦いの火蓋が切って落とされた。