ガタンゴトン、揃いの吊革揺れる。窓の外に見えるのはチョコレート色の町並み……なんて可愛らしい物ではなく、ただひたすら暗い闇。均等な間隔で現れる白い四角い明りは、電灯だ。さながらフィルムのように見える。
ということは、この空間はフィルム上に焼き付けられた対象物か。もしこの映像がリアルタイムで幕に投影されていたら、あたしの間抜け面がドアップで見られることだろう。毛穴が見えるか見えないか、くらいに拡大されているかもしれない。
冗談はさておき、あたしは改めて周りを見渡した。
抹茶色のふかふかソファ椅子が前方後方の両サイドに連なっている。その上には揃いの吊革が揺れている。時折ガッタン、と一際大きな音と揺れの時に捕まれば、青あざになるのを防いでくれる代物だ。
椅子の後ろには同じ形の窓ガラス。黒いフィルムを張り付けたような景色が延々と続く。ずっといたら、今が昼なのか夜なのかが分からなくなってくるだろう。
時計を持っていても、AMなのかPMなのか分かりゃしない。もっとも、私がここに来たのは一時間ほど前。
空は青く、冬晴れだった。雲一つない、雨の気配は全くしない。湿度はゼロパーセント。振り切れて乾燥注意報が発せられていた。
感覚が正しければ、まだ午後……すなわち、昼間のはずだ。しかし今は冬。太陽は短距離走者のように素早く西に沈む。月が現れ星が瞬き出す頃までに、ここから脱出できるだろうか。
何の悪戯か、駅前を歩いていたあたしが人ごみに押され、こともあろうに地下鉄の列車に乗り込んでしまった。いつもなら綺麗に避ける所なのに、最後の日でぼんやり考えていたらうっかり避け方のステップを忘れてしまったのだ。
今日は今年最後の日。バトル狂にはそんなの関係ない。好成績を収めている人も、低成績のまま彷徨っている人も、バトルで締めてバトルで初めたいと思ったらしい。
おかげでいつも以上の廃人に押され、私はマルチトレインに乗ることになってしまった。違うんです、降ろしてくださいと叫んでも、列車は急には止まれない。そして、乗ったら負けるまで降りられない。
そして隣のパートナー(赤の他人)の顔を見る限り、負けることは許されないように見えた。
孵化厳選疲れだろうか。目の下に真っ黒な隈ができている。髪はぱさぱさで全く手入れされていない。爪はギザギザ。おそらく、目標個体が出ないストレスが爪齧りにいったのだろう。見ていてとてもつらい。
あたしが持っていたポケモンは、バクフーンにキリキザンという、とてもじゃないけど廃人施設には向いていないポケモンばかり。辛うじてキリキザンなら何とか……っていうけど、最近のレート全然見てないから分からない。
バクフーンは看板息子として活動はしてるけど、売られた喧嘩を買うだけでまともなバトルなんて全然したことがない。キリキザンは元々野良だったため、『戦わなければ生き残れない』という何処かのコピーみたいなそのままの生き方をしてきた。なので、正式なバトルは全く向いていない。
しかし、隣が隣なので何もしないわけにいかず、もっぱら強そうな技を指示していった。
そうしたら、何の悪戯か、21車両目まで来てしまった。
スーパーの名称は付いていないにしても、正直自分が来てもいいのか、という疑問の方が強い。店に来てコーヒーを煽りながら愚痴っていくトレーナーの中には、スーパーどころかノーマルすら勝ち抜けないという人も多い。
聞きながら、あたしはド素人だから、で会話を締めていたというのに、そのド素人は一回目でノーマルの最終車両まで来てしまった。嘘だと言ってよバーニィ! ……ではないけれど。
「あなた、結構やるじゃない」
「え?」
20車両目の回復ポイントで、初めて相手が声を掛けて来た。意外と可愛い声だ。
「使うポケモンが全然バトル向きじゃないから、どうしたもんかと思ってたのよ」
「好きで……来たわけじゃないんですけどね」
「どういうこと?」
「人混みに巻かれただけなんです。ここに来ようと思ってたわけじゃなかった」
怒られるかな、と思ったけど彼女は唖然とした顔の後、それもそれですごいわね、と言って来た。
「ここは強さだけじゃなくて、運も少しは必要なのよ。一撃必殺とか、当たるかどうかは必中技を使わない限り運次第だから」
「あたしは、その運を積み重ねてここまで来ちゃったんですね」
「いや、誇っていいと思うわよ? あたしもおかげでここまで来れたし」
意外と話せる子のようだ。バトルしかしていないコミュ症の子も時々いるから、カフェのマスターとしてはなかなか辛いんだよね。
まあいいや。
あたしは回復したことを確かめると、最終車両へのドアを開けた―――。
カフェのマスターという立場上、色々な話を聞く機会がある。当然、カフェの目と鼻の先にあるバトル施設……バトルサブウェイのことも聞いていた。
トレーナーはシングルは三体、ダブルは四体、マルチなら二体選んで乗車する。一車両には同じ数のポケモンを連れたトレーナーがいて、それぞれのバトルを仕掛けて来る。
勝てば回復と次の車両に進め、負けたらそこでTHE・END……。次の駅で降りて下り電車に乗って戻らなくてはならない。
勝ち進んで行くうちにポケモンも強くなり、更に特定の番の列車にはボスがいる。
それがバトルサブウェイの車掌……サブウェイマスターだ。
ノーマルは21戦目、スーパーは48戦目。シングルなら兄であるノボリ、ダブルなら弟のクダリ、そしてマルチなら二人組んでのバトルとなる。
勝ち進んで来たトレーナーも、ここでつっかえて戻されるというパターンは多いようだ。挑戦者曰く、彼らは強いだけでなく作戦も高度らしい。そしてマルチの時は流石双子、というようなコンビネーションで攻めてくる。
うっかりミスをしようものなら、そこから崩されるからたまったものじゃない……そう言っていた。
鉄道員はよく店に来るけれど、その本人達が来たことはない。あたしは顔を見たことないから分からないけど、一度拝んだ人が常連客としていたから、もしお忍びで来たとしてもすぐに反応で分かるはずだ。
施設自体はよく雑誌に掲載されてるけど、本人達は取材を拒否するため、顔写真が出回ったことはあまりない。写真も禁止されているから、もし盗撮してネットに載せようものならすぐに特定され、施設に出禁になってしまう、らしい。
なのであたしも別段見る機会はないだろうな……と思っていた矢先がこれだよ!
パッと見て頭に浮かんだのは、黒と白の蝋燭だった。細い。頭に火を点けたらそのまま溶けて消えてしまいそうな印象。感情が見えないのも、無機質なそれを思わせるんだと思う。
もっと生き物で例えろと言われたら、ピエロ。着ぐるみでもいい。とにかく、二人とも何を考えているのか分からない。
口の形が上向きと下向き。常にム口、常に笑顔。
はっきり言おう。不気味だ。
「私、サブウェイマスターのノボリと申します」
「僕、クダリ」
「さて、マルチバトル。
お互いの弱点をカバーし合うのか、はたまた圧倒的な攻撃力を見せるのか、どのように戦われるのか楽しみでございますが……。
あなた様とパートナーとの息がぴたりと合わない限り勝利するのは難しいでしょう。
ではクダリ、何かございましたらどうぞ!」
追加。ピエロだけでなく、ロボットだ。この長い長い台詞をノンブレスで言えるなんて、この人は往年の名俳優さんかな。
ノボリさんはひたすら敬語で話す人だ。それに対してクダリさんは、片言で話す。
「ルールを守って安全運転! ダイヤを守ってみなさんスマイル!
指差し確認、準備オッケー! 目指すは勝利!出発進行!」
あたしは某戦隊ヒーローを思い出した。変身いたします、白線の内側に下がってお待ちください!
あたしはバトル描写が苦手だから、とりあえず結果だけ書いておく。
勝った。一応。
バクフーンが早々にやられてどうしようかと思ったけど、久々に思い切り暴れられると喜んだらしいキリキザンが、相性も何のその、ダストダスを八つ裂きに(でもないけど)してしまった。
元はといえばライモンの裏通りを根城にしていたコマタナ族の頭領。狭い空間に閉じ込められ、タイミングが合った時じゃないとバトルできないなんて苦手中の苦手。思い切り体を動かせると聞いて、ボールの中であの腕の刃を研いでいたようだ。
あたしの指示なんてあって無いような物。気付いた時には勝利していた。
「……お強いですね」
「うん! すっごく強い! でもコンビネーションがない!」
その通りなので何も言えない。ふと隣を見ると、彼女が頭を抱えていた。
「……ごめんなさい」
「いや、あまりにもそのキリキザンが強かったから」
参った。車内がすごく気まずい空気に溢れて息が詰まりそう。仕方ないので、あたしはウエストポーチに入れていた名刺ケースから、名刺を一枚出した。
「巻き込んじゃって、ごめんなさい。お詫びに今度来たら好きな物をサービスするわ」
ライモンシティ駅前、カフェ『GEK1994』。ついでに車掌二人にも渡しておいた。
急いで戻ると、幸いにもカフェはそこまで混んでいなかった。バイトの子や従業員達に必死で謝罪し、再び仕事に入る。
ああ、今年最後の日は、とんでもなかった。
ま、たまにはこんな年末があってもいいか。
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最後だし何か書くか、と思ってキーボードを叩いたらこんなことになってた。
ユエがバトルサブウェイと関わる話は、もう二年以上前から温めてたんだけど、まさかこんな形で実現するとは。
ちなみに本家本元のネタは、バトルサブウェイから注文受けたユエが品を持ってひたすらマルチトレインを突っ走るネタでした。書きたかったけど長すぎて断念した。
それは皆さま、良いお年を。