昔々、カロス地方で一人の若者が悩んでいました。
貴族による悪政が続いたことにより民衆は革命を計画していたのですが、彼はそのリーダーであったのです。
彼のポケモンたちは皆強く、誰もが彼を信頼していました。
しかし彼は違ったのです。
自分にそれだけの力があるのか、自分はそれだけ強いのか、そんなことを悩むばかりの日々が続いていました。
果たして、そんな大役を担うほどの強さが自分にあるのだろうか。
そう考えている間にも闘いの日は刻一刻と迫り、若者の心を苦しめていました。
その時です。
『貴方は、強くなりたいと思っているのですか』
狭く薄暗い若者の部屋に、鈴を鳴らしたような声が響き渡りました。
父を亡くし、母を失い、ただ一人いた妹とさえも去年の末に病で別れた若者の家には、そんなことを言う者など誰もいません。共に暮らしているのは自分のポケモンたちのみ。ですが、そのポケモンたちも今は皆寝ています。
若者は俯いていた顔を上げ、何事かと辺りを見回しました。
『もう一度聞きましょう。貴方は、強くなりたいですか?』
そして、若者は息を呑みました。
今にも崩れ落ちそうなほどにヒビの入った壁の前、そこに、一匹のポケモンが立っていたのです。いつの間に入ってきたのか−−いえ、そんなことよりも今は驚くべきことがあります。
『答えなさい。強く、なりたいのかを』
薄桃色の柔らかそうな肢体。淡い黄色の、丸い手足。薄い耳の先から伸びている触覚はくるりと弧を描き、隙間風にその輪を揺らしています。
タブンネ、と呼ばれるそのポケモンは、若者に語りかけていたのです。
「…………ああ、それは、勿論」
若者は当然驚いていましたが、それでも何とか答えました。
「強くなりたい。皆の期待に応えられるだけの……違う。皆を、前に連れていけるような強さが、欲しい」
若者は言いました。タブンネはその目をじっと見ています。若者もタブンネも、何も言わないまましばらく時が過ぎました。
やがて、沈黙が続いた後。タブンネが静かに口を開きました。
『わかりました。では、今日から私が貴方を強くしましょう』
その言葉の真意がわからず、若者は唖然とするばかりでした。しかしタブンネがふざけているわけでも、自分を馬鹿にしているわけでも無いということはわかりました。
戸惑いが混じりつつも真剣な若者の両眼に、タブンネはよく通る声でこう告げます。
『勝ちたいと貴方がそう願うなら、私が貴方を導きましょう。強くなりたいという、貴方の望みに光あれ……貴方の瞳が前を向いている限り、私は貴方を祝福します』
そしてその夜から、若者はタブンネと鍛錬に励みました。若者のポケモンがどれだけ攻撃しても、タブンネは何度でも立ち上がりました。
それはまるで、彼らの行先を導くように。
何度も何度も、タブンネは若者の思いを受け止めるみたいにして、その身に技を受け止めるのでした。
やがて何日もが過ぎて、夜明けと共に革命が始まるという夜。
最後の鍛錬を終えた若者は、タブンネにこう、尋ねました。
「俺は、強くなれたかな」
若者はその答えを知っていました。
タブンネと出会ってから、自分とポケモンは信じられないくらいの勢いで強さを増したとわかっていました。
でも、まだ不安が残っていたのも嘘ではありません。強くなったと自覚はしていても、タブンネに「そうだ」と言って欲しかったのです。
『さあ。どうでしょう』
しかし、タブンネの答えは若者の期待とは異なりました。どちらともつかない曖昧な物言いに、若者の顔が曇ります。
やはり、自分の思い上がりなのではないか。そんな不安が若者の胸を締め付けました。
『そのような顔をするのはおやめなさい』
私が答えたからといってどうにもなりませんよ、という、全てを見透かしたようなタブンネの声に、若者は「だけど」と言い返そうとします。が、タブンネの言葉はまだ終わっていませんでした。
『仮にそうだったとして−−貴方は、もう満足だと思うのですか』
「…………いや、」
真っ直ぐに問うた声に、若者はそっと、しかしはっきりと答えました。
「俺はたとえ強くなっても、それでもまだ、もっともっと強くなりたい。みんなを守れるくらい……いや、本当なら、貴族の奴らだって、海の向こうの奴らだって、本当にいるのかわからないけど、昔の戦いのせいで眠っちまったっていうポケモンたちだって。みんなみんな、守れるくらいの力があればいい。それは無理かもしれないけど……俺は、まだまだ強くなりたいよ」
若者の言葉は、一点の迷いもありませんでした。
それを最後まで聞き終えたタブンネは、耳の飾りを揺らして若者を見つめました。
『それを聞いて安心しましたよ』
タブンネがそう言った、その時です。
若者の隣に座っていた薄桃色の姿が光を纏い、夜の闇に輝き始めました。
『貴方は強い。とても、強くなりました』
思わず目を覆った若者に、タブンネは続けました。
『今の私の姿こそが、貴方の強さそのものです』
瞼の裏に見える光はますます強く、若者は何が起きているのかすらわかりません。ただ、聞こえる声だけが心に沁み渡っていくことだけが感じられました。
『この姿は、貴方がそれだけ強くなったことの証なのですよ』
その言葉に若者がゆっくり目を開けると、神々しい光の向こうに見えたのは、今までのタブンネではありませんでした。
薄桃色の身体は純白に輝き、羽のように揺れる両耳は冷えた空気を優しく撫でています。
穏やかな微笑みを浮かべたその顔は慈愛に満ちていて、まるで教会に描かれている天使みたいだ、と若者の頭の中にそんなことが浮かびました。
眩しそうに目を細めた若者に、タブンネは言います。
導くように、照らすように。
強さを望む者に、未来を約束するように。
『さあ、今こそ……貴方の強さを、勝利に変える時です!!』
凛としたタブンネのその声に、若者は力強く頷きました。
そして、タブンネとの特訓の成果である強さを誇ったリーダーが率いる革命軍は、闘いの末に勝利を収めました。
革命軍や民衆は皆、リーダーとそのポケモンを褒め称えましたが、リーダーは本当に讃えられるべきは自分よりもあのタブンネだと信じて疑いませんでした。自分に勝利をもたらしてくれたあの薄桃色……いえ、今はもう白いあのポケモンこそが、革命の尽力者だと思っていたのです。
そう考えたリーダーは皆を振り切り、いつものようにタブンネの元に向かいました。が、そこにタブンネはもういませんでした。
リーダーが勝つ様子を見届けたタブンネは、勝利を求める次なる誰かのために、既に姿を消してしまっていたのです。
若きリーダーは必死にタブンネを探そうとしましたが、もはやどこにも見つけることが出来ませんでした。
一言のお礼すら言えなかった、と彼は酷く悲しみましたが、いくら悔やんでももう会えそうにありません。せめて気持ちだけでもいつか伝わればと願った彼は、自分たちを勝利に導いてくれた女神と称して、タブンネの像を自分の像の代わりに作らせることにしました。
長い年月が経ち、その像が纏う錆が風で剥がれ落ちた今。
タブンネたちは、今日も献身を続けているのです。
タブンネを攻撃するトレーナーの中には、確かに彼らを単なる経験値にしか見てない者もいます。どれだけ倒しても心を痛ませることの無い、無慈悲なトレーナーもいます。何度も何度も、繰り返し危害を加えてより多くの経験値を手に入れる輩だって少なくありません。
だけど、それでも。タブンネたちは知っているのです。自分の身に加えられる衝撃は、ただの暇潰しでも、つまらない苛立ちの矛先でも、くだらない破壊衝動でも無いことを。
自分たちを攻撃するポケモンや、自分たちを倒すよう命じるトレーナーには、必ず夢があるのだと。そう、タブンネたちはわかっているのです。
−−勝ちたいと貴方がそう願うなら、私が貴方を導きましょう。
いつか遠い昔に、革命の若きリーダーを勝利へ届けたタブンネは言いました。貴方が前進を続けるならば、自分はいくらでも協力すると。強くありたい、その心がある者になら、惜しみない祈りを捧げると。
白の女神と讃えられるようになったタブンネがどこかで永き眠りについた後も、その想いはタブンネたちにずっとずっと受け継がれています。強さを求める者を助けようと、タブンネは私たちの前に姿を現します。
その身がいくら傷ついたとしても、ポケモンとトレーナーがより高い場所へと進んでいけるよう、自分の力を分け与えているのです。
−−強くなりたいという、貴方の望みに光あれ。
タブンネたちのそんな想いは、例えるならば全てのポケモン、全てのトレーナーが抱く向上心との『絆』となって、
−−貴方の瞳が前を向いている限り、私は貴方を祝福します!
そしていつかタブンネたちを、成長と勝利を司る、純白の天使たらしめるのです。
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あけましておめでとうございます!!
誰にとっても素敵な一年になりますよう!!