ある街に住む、名の知れたポケモン絵描きが一人。
絵描きは特に評価の高い絵を描くわけではないが、とにかく特徴のある絵を描くことから評判の人物だった。
何らかのモチーフありきで絵を描く、というと有り体ではあるが、かの絵描きはいつも悲劇・悲惨な物語を用意した。
そこらの土産物屋の商品から遺跡の出土品にいたるまで、絵描きにかかればありもしない悲劇が来歴に加えられていった。
しかしこれだけでは名が知れる特徴とはならない。実際、描く絵は不気味なものばかりで評価も売れ行きもあまりよろしくない。
そんな不気味な絵画が、見る人によっては心を吸い寄せられるような気になるらしい。絵の中の悲劇から助けを求めるような声が聞こえてきた、と語った人もいる。
オカルトを感じさせる噂に怖いもの見たさの人々が集まり、かくして絵描きは名前ばかりが売れ、「技術より発想やインパクトで売れるタイプ」という評価が下されていった。
さりとて有名と評判は事実。時に旅の人がアトリエを訪れることもしばしばあった。
今日にもまた、旅のポケモントレーナーがアトリエに立ち寄る。
「旅の方ですか? ようこそ御出でなさいました。
散らかった部屋ですみませんが、見ていってくださいな。ついでに買ってくださると……あ、いえ」
* * *
アトリエに立ち入り、まず目を引いたのはネイティオを描いたと思われる1枚。
日焼けが恐くないのか窓際で、明るく鮮やかな色使いが陽射しに輝いている。絵の中のネイティオも快晴の空に翼を広げて、らしくない仕草だが、お気楽に飛び回っているように見える。
しかしよく見ればネイティオは、その特徴的な両目に目隠しをされていた。
絵のタイトルは「恐いものなど無い」。
見えてしまう未来への恐怖にネイティオは身を竦ませる。何処へ目を向けても見えるその恐怖に、やがてネイティオは心を病む。
「眼さえ失くせば、見えるものなど何も無いだろうに」
ネイティオは眼を失くし、未来を見ることはなくなった。しかし未来はなくならず、ネイティオに見える未来はない。
「ネイティオというポケモンはほとんど身動きしないそうで。一説には、恐ろしい未来に怯えて身を竦ませているのではないか、とか。
この絵のネイティオは眼を失くした事で恐ろしい未来が見えなくなり、怯えることがなくなったのです」
タイトルの下に書かれた文章を読んでいると、絵描きが解説を始めた。つまりこのネイティオは、未来が見えなくなったことで恐怖から解放された、と。
「見えなくなっただけで未来がなくなったわけではないんですけどね。もっとも、こうなったネイティオに未来があるか分かりませんが」
嘲る様な笑みと共に絵描きは言う。なるほど、こういう絵を描く人間が言いそうなセリフだ。
「ところで、こうして抉り取られた眼は、身体を離れても過去や未来を見続けるのでしょうか」
と言いながら絵描きは、絵画の傍に置かれていた宝石箱を手に取った。
蓋を開け、見せてくれた箱の中にはただ1つだけ、真っ黒く光沢の無い球体が。
「これ、『ネイティオの右眼』という宝石なんですが、結構な骨董品でして。持っていると未来予知が……出来た、らしいんです」
過去形で言うからには今では無理という事。確かにこんな光の無い石では特殊な力も無いだろう。
ついで、絵描きは来歴を語り出す。
「大昔の施政者が国の危険を回避するために使ったそうですよ。当初は相棒のネイティオに未来を教えてもらっていましたが、そのネイティオは死の間際、眼の力を宿した宝石を残していったのです。
しかし宝石が今のように黒くなって力を失くすと、やがて国は衰退。現代では国名さえわかりません。
ちなみに眼の片割れ、過去を見る左眼は現在、大学の歴史研究室に保管されています」
そう言うあたり、本当に歴史的価値のある宝石なのだろう。ついでに、絵描きはモチーフありきで描いている、というのも本当のようだ。
なにより、絵の中のネイティオとはまったく無関係らしい。
「……まさか、絵の中のネイティオから抉り取った眼では、とか思っていませんか」
ドキリ、とする。内心を見透かしたような言葉だが、しかし、こんな絵と宝石の組み合わせではそう見られると絵描き自身が予想していたのだろう。
現に絵描きはしたり顔だ。狙い通りになったのようで何か面白くない。
「もちろん、そんなことありませんよ。ただ単にこの宝石から絵を描いただけです。それに、この石も古いのは確かですが、実は由来の証拠がありません。どうせネイティオの能力にあやかった昔の人が作ったものでしょう、というのが一般論です」
パタ、と箱の蓋を閉じる。そして「何かにあやかった品々というのは昔から多いですから」と言いながら、鏡や矢を持ち出した。それらも絵画のモチーフだったのだろう。
「太陽にあやかっての鏡や黄金への信仰とか、狩猟の矢に猛禽の羽根を使うとか。そうそう、ポケモンにあやかった道具でしたらこういうのもあります。チルタリスを模した笛なんですが……」
次に出てきたのは、チルタリスの頭の形をした笛。ハミングポケモンのソプラノな鳴き声を再現したものらしい。
試しに絵描きが吹き鳴らしてみると、確かに耳につくほど高い音色が響いた。本物の“うたう”でもないのに、聞いていると不思議と眠くなってくる。
「音色は本物のチルタリスに遠く及びませんが、音の高さだけは確かにソプラノです。聞いていると眠くなる点も再現されていますよ。音が単調で退屈だから、ですけど。
あ、ちなみにこの笛は旅行先で見つけた土産物です。店先に並んでいたこれを見たときにピンと来まして。『ドラゴンタイプであっても、チルタリスは鳥ポケモンである』とね」
絵描きは楽しそうに言ったが、しかし先の宝石とは随分な落差だ。示された絵もまた、印象が大きく違った。
大勢の人が倒れている中、頭の無いチルタリスが首を伸ばして佇んでいる。生きているとは思えないが、ドラゴンタイプらしい風格を感じられる。
見た目は明るいネイティオの絵を見た後だと、ストレートに凄惨なこの絵面はインパクト抜群だった。
タイトルは「ドラゴンを貶める者に」。
さる研究機関がドラゴンポケモンの血液から不思議な力を見出した。
特にチルタリスは手近なドラゴン。容易く捕らえられ、血を得るためにその首を切り落とされる。
「こいつは鳥に過ぎないが、ドラゴンでもある」
血液と共に首の気管から流れ出る笛の音。聞いた者を眠らせる喉歌はいつまでも止まらず、竜の血を求めた者たちを死ぬまで眠らせた。
「普通、首を刎ねられたら人間は死にます。けども、ポケモンにその常識が通用するのかどうか」
先ほどの笛を手に絵描きは言う。あんな絵を見た後ではその笛が何とも恐ろしげに思えた。実は何かが宿っているとか、音が続く間は目を覚まさないとかは、ないだろうが。
「実体を持たないもの、鉱物の身体を持ったもの、身体に炎や氷を宿すもの……いろいろいます。
しかしポケモンも生き物。死ぬときは死にます。こちらの絵は、そんなリザードンを描いたものです」
続けざまに示された絵画は、溶岩の傍らにリザードンのような形の岩がある、というもの。
しかしマグカルゴであるまいし、石像をどうしてリザードンと言えるのか。確かに翼を立てた体勢はまるで羽ばたこうとするリザードンに見えるが。
タイトルは「星になったリザードン」。
不死身を求めて考えたリザードンは、尻尾の炎が命とつながっていることに気づいた。
その炎を永遠とするため、尻尾ごと自らを燃える火山の火口へ投じた。
「尻尾の炎が永遠になれば、私の命もまた燃え続けるはず」
思惑通り尻尾の炎は星の炎とひとつになったが、溶岩から離れた途端、その身体は冷え固まった。
「炎ポケモンは火傷を負いませんが、しかし炎技でダメージを受けないとは限りません。自力では無い手段で尻尾の炎を燃やそうとしては、尻尾が焼けるというものです。
命と炎しか考えていなかったリザードンは、なるべくしてこうなりました。命の炎だけは確かに残り続けるでしょう。生きているのかどうか、判断つかないところですが」
土は土に、ということか。溶岩に身を投じれば炎ポケモンであれど溶岩の一部となる。そして溶岩となった身体は不都合が多すぎたようだ。つくづく、マグカルゴではあるまいし。
絵から目をそらせば、小さな灯りが目に付いた。室内の中でその灯りだけ、電気や陽射しでなくランプだった。
「そのランプは、ポケモンの炎を宿したものです。ポケモンが使う分には岩をも溶かしたんですが、こうしてランプに収めてしまっては小さな灯りでしかありません」
絵描きの言うとおり、風除けのガラスに囲まれた火は灯りにするには頼りないほど小さい。芯が小さいのだろうが、このまま風除けを退ければ忽ち火も消えるだろう。来歴の真偽がどうであれ、火は火でしかない。岩を溶かすこともできるが、少なくともランプの中にある以上それほどの勢いは望めない。
ランプの火の揺らめきに旅人の瞳も揺らぐ。目的があったとして、手段を間違えればあのリザードンのような結末に至るのだろう。そして命はランプの中に囚われる……。
「どうされました?」
言われて、ハッとした。小さな火に目を奪われていたらしい。危うげに思えて目蓋を揉む。
「たまにいらっしゃるんですよ、作品やモチーフに意識を集中してしまう方が。私としてはそのご縁から作品を買っていただける場合がありますので歓迎したいところですが、あるいは恐怖を抱かれてしまう場合もあります。そうなると、申し訳ないところでして……」
評判にあった『絵から助けを求められるような感覚』だろう。旅人にそのような声が聞こえたわけではないが、吸い寄せられるような感覚は確かに恐ろしく感じた。
呼吸を整えるポケモントレーナーに、絵描きは改めて声をかける。
「そうだ、トレーナーさん。あなたの連れているそのポケモンですが……えぇ、ノクタスですね、見ていたらなんだかアイデアが浮かんできまして。
よろしければ絵のモデルになっていただけないでしょうか? 一晩、預けてくださるだけで結構ですので」
絵のモデル、と聞いてトレーナーはゾッとした。
「……先を、急がれますか。それは残念です。では、良い旅を」
旅の仲間に悲惨なエピソードをあてられては堪らない。本当に危ういのはこの絵描きの頭の中だ。そうして丁重に断りポケモントレーナーは旅へ急ぎ、絵描きは少し寂しげな笑顔で見送った。
ただし、去り行くトレーナーとその後ろを付いて歩くノクタスの姿を、絵描きは確かにその目に焼き付けていた。
* * *
そして絵描きのアトリエには、人知れず作品が増える。
・絵画「敬われし剣」
様々な武具と共に、石壁に飾られたギルガルドが描かれている。
武力によって国を作った英雄がいた。王となった英雄亡き後、その武具は宝物殿へと納められた。
「建国の英雄の武具です。おいそれと持ち出せないよう厳重に保管しなければ」
戦士を王へと至らせた剣は、今や王でなければ目にすることさえ出来ない。
・ネックレス「宝物の墓」
古い鍵をネックレスに作り変えたもの。どこかの宝物庫の鍵らしい。
今更使い処が見つかったとして、中の宝物は博物館か研究室に送られるだろう。
・絵画「暴君、洞窟に君臨す」
洞窟の中で吠えるボーマンダと、囲むように平伏す小さなポケモンたち。
ねぐらを求めて洞窟に入り込んだボーマンダ。中に住んでいるポケモンたちを力で従わせて御満悦の様子。
「ここを俺の根城にしよう!」
その根城は翼を広げられないほど狭い。
・団扇「暴君の飾り羽根」
翼のような形の団扇。あおげば風が吹くばかり。
・絵画「ノクタスの生態」
砂漠を歩くノクタスの姿。視線の先には小さな人影が描かれている。
砂漠をさまよう人影がいつか倒れる日を待ちながら、ノクタスは後を追い続ける。
「誰にも知られず朽ちるなんて勿体無い。私が栄養にしてあげないと。それにしてもずいぶんしぶとい」
砂塵の向こうの人影は何日も休まず歩き続ける。ノクタスもまた、同じように。
・カード「ポケモンシルエットクイズ」
ポケモンのシルエットが描かれたイラストカード。
つばの広いとんがり帽子をかぶったような人型は、ノクタスのシルエットだろう。
遠目には人の姿に見えなくも無い。