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  [No.3583] POKELOMANIA 投稿者:水雲(もつく)   《URL》   投稿日:2015/01/24(Sat) 00:09:53   107clap [■この記事に拍手する] [Tweet]
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 すべてはメガロマニア。

 


  [No.3584] オブジェクト・シンドローム 投稿者:水雲(もつく)   《URL》   投稿日:2015/01/24(Sat) 00:12:08   77clap [■この記事に拍手する] [Tweet]



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<theme>A-Glass</theme>
<title>Object Syndrome</title>
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<body bgworld="MND" author="Rotom-MND">

<ul>
<li>硝子</li>
<li>ガラス</li>
<li>Glass</li>
</ul>


 ああ、いきなりどうも失礼した。私的な記録として残すための、ただの定義付けだ。どうか気にしないでいただきたい。
 それでは、どこから始めようか。
 そう。
 最初に打ち明けておくと、私は0378に恋していた。


 時が6を示し、分が0を示す。
 そうすれば、さあどうだろう、体内時計がサスペンドを自動的に解除し、起動回路をキックされ、私は勝手に目を覚ましたではないか。私のメインシステムが『休眠モード』から『活動モード』へと変更される。サブシステムのテストラン。休んでいる最中に体内へたまっていたノイズをスキャニングし、キャッシュをみじん切りにしてパケット化、さっさとこの世から抹消する。人間は朝食を摂ることで一日を始めるようだが、私の場合は一体どういう言葉をあてはめるのが適切なのだろう。それは図書館を調べてもわからない。
 情報インフラが発達したこのご時世、人間にも昼夜などおよそ関係なくなったようで、私が寝ている間にも複数のモノたちがここへ届けられる。「モノを引き出したい」という人間からの要求信号があった場合、私は夜中だろうが問答無用で叩き起こされるのだが、今日は珍しく「モノを預けたい」との要求信号しかなかったようだ。単純な預け入れだけであれば、略式エントリーのプロセスに任せているだけでいい。私がリアルタイムでしゃしゃり出る必要もないので、久しぶりに朝の六時まで休むことができた。
 よし、仕事を始めよう。
 マザーCOMへリクエストを送り、私は新しく入ってきたモノたちのリストを受け取り、まずは新入りのそれらを広場へと呼び出す。早朝に決められた私のルーチンワークだ。
 早速、私は広場へと向かった。
 Rotom : < おはようございます。初めまして、ここ電脳世界-MNDでは、わたしが管理者です。パーソナルネームはRotom-MND、分類ナンバーはΣ-109375。えらく長ったらしいので、気軽にRotomと呼んでください。御用の時にヘッダーに添える名前もそれで結構です。あなたたちの主人に現実世界へ引き出される時までは、わたしが責任を持って管理いたします。ああまだ動かないでください。心配はいりません、大丈夫ですよ。それぞれの友達のところへ、きちんとこちらで誘導しますから。 > : end
 モノたちは少しばかり戸惑っている。住み慣れない世界、モノを相手に堂々と話しかけてくる存在。まあ無理もなかろう。
 私は改めてひとつひとつにチャンネルを合わせて挨拶しながら、不具合がないかを確かめる。ここへ送られた際にオートで割り当てられたパーソナルタグを上書きし、お互いが呼びやすい数字をセットする。マザーCOMのプロセス領域のどこかに不備があるらしい。ここへ来る際にかなりの頻度で文字が化ける仕様は、どうも未だ改善できていないようだ。文字コードの海から探さねばならないほどのすさまじい記号で名付けられる輩も、決して少なくはない。
『ねえねえ』
 突然のコネクション。
 無視した。
 こちらの処理が先だからだ。バックグラウンドでは、「聞こえた」との応答信号が向こうへエコーバックされるはずだ。
 Rotom : < えっと、はい、これで結構です。今日からはここがあなたたちの家となります。主人に呼び出される時までは、その数字があなたたちの呼び名です。6065、0189、1077、よろしくお願いしますね。基本的には自由に行動してくださって結構です。が、ひとつだけ注意事項があります。ここ電脳世界-MNDの領域外、そうですね、近所で言えばPorygon-RIZの管理する電脳世界-RIZなどへは行かないこと。いるんですよ、たまに。本来なら動くことを嫌うモノのはずなのに。あそことは規格が異なっているため、最悪の場合、あなたがたのパーソナルデータが破壊され、わたしたちや主人たちに、永遠と見つけてもらえなくなります。 > : end
 脅すことは別に趣味ではないのだが、こうして反応を調べることも私にとっては重要だ。素直なモノには信頼を寄せ、不満を漏らすモノには要注意とマークしておく。モノとしての本分を了解しているのか、今回は全員聞き分けがよく、あっさりと了承してくれて助かった。ヒマワキの木で造られた椅子である6065、カイオーガのピンナップポスターである0189、シェイミ色をした絨毯マットである1077。今日の新入りはこの三つ。『お元気で』との旨をフッターに添え、私は主人のモノたちがたむろしている場所へと各々転送した。
 さて。
 先ほど送り返した応答信号のログを自分で探り直し、私はステイタスに目を通す。パーソナルタグは――
 案の定だった。
 苦笑する。いくらかおかしそうな語気を込めて、正式なレスポンスを飛ばす。
 Rotom : < やはりあなたでしたか。 > : end
 再びのコネクション。
 すると、一体のモノがアバターの姿を借りて広場へ現れた。
『おはよう。ねえ、あたしの声、聞こえてたんでしょ。なんでさっきは無視したの』
 Rotom : < 仕事がありましたから。というより、まだ残っていますよ。 > : end
『休憩しなくていいの?』
 Rotom : < 今し方始めたところですって。電気を食べていればいいだけの話ですから、ここの世界で休憩だなんて、もともとはいらないのですよ。 > : end
 つまんないの、とだけ言い残し、モノはすぐに行方をくらました。
 あのモノこそが、パーソナルタグ0378。現実世界での正式名称「ガラスのオブジェ」だった。


 詳しく話せば長くなる。
 私が「モノ」と対話できるようになったのも、それほど最近の話ではなくなってしまった。モノたちの配置が昨日と比べて若干変わっているのも、私の気のせいではなかったのだ。
 自分で言うのも何だが、ロトムである私はまだ若い。だから、寿命が来てしまったという自覚はない。とするとつまり、私が「生物」ならぬ「静物」としての感覚を徐々に得ていってしまったのではなかろうか、と考えている。そんな私を異常だと客観的にとらえるのも、まあ妥当な判断であろう。しかし、自身にシステムリカバリをかけるつもりもさらさら無いということは、ここで明言しておこうか。電脳世界-RIZのポリゴン――私よりずっと年配だが――も、とっくの昔からモノたちと対話できる力を獲得していたらしい。他の管理者のことまでは知りかねる。
 電脳世界-MNDへ閉じこめられてからの八年間、他の管理者たちと同様、私はずっとモノたちの管理を担っている。ファイルの整理をし、こちらの縄張りへ迷い込んだコマンドに回れ右の信号を送り、暇さえできればモノたちと他愛ない雑談を交わし、そうして私は一日をここで過ごしている。
 現実世界、時の移ろいでモノはホコリをかぶる。
 それと同じだ。
 電脳世界、時の移ろいでモノはノイズにまみれる。
 誰かが定期的に掃除をしてやらねば、いつかはデリケートなデータをノイズに埋め尽くされてしまい、半永久的に見つけてもらえないまま、電脳世界の蒸気に蒸され続けることとなる。
 お局であるマザーCOMからの信号と命令が跋扈するこの世界。外部アクセスによる人間とのフロントエンド。天文学的なまでの電気と数学によってここは成り立っている。高科学文明である今日(こんにち)を鑑みると、マザーCOMは処理能力の精度に欠けるポンコツババアで、しかし思ったよりもずっと秩序めいていた。
 かく言う私も馬鹿が伝染った。荒んだこころはいつか平穏を取り戻すものらしく、人間たちの童心につきあうのもそれほど悪い話ではないと思うようになってしまった。人間は大地のどこかへちょっとした小部屋を作り、モノを好きなように配置し、自分だけの秘密基地を作り上げる。手に余るほどのモノはコンピュータを経由して電子化し、私が預かり、引き出される時まで管理するのだった。人間たちの秘密基地を己の牙城と呼ぶのならば、差し詰めこの電脳世界-MNDが私の城であった。


 ――おい、聞こえてんのか。返事くらいしろよ。
 最初に言葉を交わした相手は、そう、パーソナルタグだけは忘れもしない。0098だ。当初はバグだとばかり思い込み、交信記録の大半を処分してしまったため、残念なことに、データの残滓から想像しうる姿形はもうほとんど憶えていない。0098は果たして椅子だったのか、机だったのか。はたまた皿だったのか、コップだったのか。わずかに残った断片化ファイルだけでも生かしておこうと思って、厳重なロックをかけておいたはずなのに、知らぬ間にパケット化し、電脳世界の海へと還してしまったようだ。0098と初めて言葉で接触したその瞬間から動き続けている記念時計は、ゆうに200メガのセカンドを越える。七年を過ぎた今もなお、情けないことに私は後悔し続けている。
 もちろん、当時の私は衝撃のあまり言葉を失っていた。
 ――驚いた、って、はあ? アホ言え。あのな、おれたちにもはっきりとした意思が存在するんだ。電気(メシ)食って動いている中途半端なやつらなんか特に顕著だろ。微細な電位ひとつひとつに小さな意識を存在させて、人間と直に接するんだ。虫の居所が悪ぃ時にはイタズラして、逆に良い時にはプロセスを早めてやる。ここと向こうを行き来できる、どっちつかずのおまえにならわかるはずだろ。おれたちは現実世界で言葉を持てないから、そうやって人間への意思を己の形で表す。それだけだ。おれたちは、ずっとそうして、あらゆる所から、人間やポケモンを見守ってきたんだよ。
 乱れに乱れた有意信号から察するに、結構ぶっきらぼうでがさつな野郎だった。それは一応憶えている。現実世界では口の聞けぬ物体だけに、電脳世界にて有意信号を扱うのは難しいらしかった。0098は、この他にもまとまりのないぐちゃぐちゃな言葉をたくさんよこしてくれた。それらを、意味を成さない文字の羅列として、マザーCOMが私の記憶領域から消去してしまうのも、今にして思えば仕方のない話だった。
 ――おまえのような生き物は、自分から何かをすることでやっと己の存在価値を示す。はっ、つくづく嘆かわしい。だがな、おれたちは違う。それこそ根本的にだ。静に徹することで真価を発揮する。人間に必要とされる時こそ、されるがままに黙って役割をこなす。他の物体を支え、守り、しかし外力の入らぬ限りは決して自分から動かない。それがおれたちの鉄則であり、掟であり、唯一無二の目的だ。そういう意味では、現実世界の重力ってのは永遠の宿敵でもあるし、恋人でもあるのさ。
 確かに高圧的な態度が0098の特徴であったが、不思議と憎めなかった。
 まるで、自分がモノであることを誇りにしているかのような口振りだった。
 いや、実際に0098は誇りにしていた。
 0098だけではない。0098を初めとするモノたちは次々とそんなことを口にしていた。
 私には納得できなかった。理屈は理解できても、感覚では納得できなかった。今でもその気持ちは変わらない。
 生きる者の性であろう。当然だが私は全ての活動が停まる死期を恐れている。0098たちの理論に真っ向からぶつかる考えだ。みずから動き、物事を成し遂げ、世界の一部に変化をもたらす。それが生きることだと信じてやまない。この電脳世界での服役は、身動きの取れない狭っ苦しいところでじっと過ごすよりかは、よっぽど精神衛生上いいものだった。
 けれど、モノたちは違う。どこであろうといつであろうと、動かないことによって生の全てを主張する。必要とされる時にだけ存在を表し、しかし能動的にはならず、生き物のそばにいる。年を経て朽ち果て、スクラップにされる最期の瞬間だろうと断じて動かず、静かに散っていく。それが、モノたちの華々しい生き様だった。モノの誰しもがそのような考えを根幹に携えているため、善悪をふらふらする人間たちや私よりも、ある意味ではずっと上等な生き方なのかもしれない。
 相容れぬ者とモノが別次元で共存している電脳世界。一言で済ますとなれば――図書館の言葉を借りよう、まさに呉越同舟だった。


 午前中の見回りと掃除を済ませ、広場に誰もいないことを再三とチェック。はやる気持ちを抑えつつ、マザーCOMと繋がっている母線を最低限に絞り、バックグラウンドでアクセサーを立ち上げ、0378へのコネクションを再度図る。
 いよいよ、密会を始めたいと思う。
 Rotom : < 終わりましたよ。 > : end
 さっきよりも反応が早かった。遅いよう、という悪態を第一声に、しかし嬉しそうに0378がやってきた。
 0378はいたずらっぽく笑って、
『やっぱり早くあたしを見たかったんでしょ』
 Rotom : < ええ。 > : end
 あえて否定するほどでもなかったので、私はあっさりと白状する。お互い様なところもあるだろう。
 最近の日課だ。仕事合間の休憩と称し、また品質管理と称し、0378の正体をスキャニングで「見る」ことは、私の密かな愉しみとなりつつあった。普段は簡素なアバターしか与えられていないため、本来の姿を確認するには特殊なやり口を必要とする。「目の前にいるアバター」と「保管されたステイタス」を照合させ、「ここへエントリーした時の形状」を図書館に検索させる。
 X。
 Y。
 Z。
 メインメモリをふんだんに使い、あくまでも三次元的に、私は0378をその場で擬似視覚する。
 青々としたガラスで全身を表す0378は本当に綺麗だった。小枝に休む鳥を思わせる滑らかなシルエット。ミルクを薄く塗ったような光沢。精緻な施しがなされた主翼は角度によって反射を変え、内側から幾層もの光をきらびやかに発散させている。首の角度は空。その先の見つめているものが何なのかを訊ねても、0378は内緒だと言って適当にはぐらかす。
 名誉ある品なのだと0378はいつも自慢気だった。ロトムである私は人間で言うポケモンに属されるのだが、そのポケモンコンテストに0378の主人は優勝を連ね、何の因果かホウエン地方のミナモ美術館から贈呈されたそうだ。言われてみれば、なるほど、どこの美術館に飾ってもこのアーティファクトはさまになるだろう。主人が秘密基地でお客を驚かせるのにはもってこいだ。
 変わらぬ日常の中、モノたちの本来の姿を確認するのは、私にとって非常に豪奢な行いである。人間に芸術のこころがあるように、私のシステムにもそれがランダム制御的に備わってある。
 つまるところ、お互いの、こころの慰めだった。
 人間に相手してもらえないモノたちを、私が代わりとなって鑑賞する。私はこれをつまらないなどと考えたことは一度もないし、私に見られることを不服だと告げるモノもいなかった。これまで、数千点に及ぶモノたちを視覚して目を肥やしてきたつもりだが、0378は群を抜いて美貌に満ち溢れていた。0098たちと同じく、0378もこうして私や人間に見られることを喜びにしている節が随所に見受けられた。
 私はふと、不毛な質問を投げかけてみる。
 Rotom : < 見られていて緊張するとか、動けなくてつらいとか、そういうことは思わないのですか。 > : end
 0378はさも不思議そうに、
『どうして? 人間があたしを見ることで感性を動かしてくれる。それが「置物」であるあたしの本来の役目だもん。秘密基地に置いてもらって、自分から何もしなくても、誰かの目に止めてもらう。手入れしてもらう。そしていつか壊れて捨てられる。最ッ高の至福だよ。いい? 単純に「素晴らしい!」とか「泣いちゃった!」とか、そんなことを思うだけが感動じゃないの。正負の感情どちらであれ、こころを強く動かす。それが感動ってもの。人間の言う「薄気味悪い絵」をそのまま「薄気味悪いなあ」と言ってもらったり、「考えされられるなあ」とか言ってもらったりするのが、その子にとって一番嬉しいことなの』
 そういうもの、なのだろうか。モノと対話できる能力を得てしまったとは言え、所詮私は生き物だ。0378の依拠する本質には到底辿りつけそうにない。壊れて捨てられることの、果たして何が満足なのだろう。
『あたしからも質問。前から訊きたかったんだけど、いい?』
 Rotom : < はあ。 > : end
 0378の姿に見とれて生返事となるが、まあどうせあの事だろう。出会う回数がとりわけ多かったはずなのに、今まで0378に訊かれなかったのがかえって不思議なくらいだ。
『きみはなんでずっとこっちの世界にいるの? 毎日毎日飽きもせずにあたしたちの相手をしてくれるのはどうして? 仕事だから? それとも単なる暇つぶし?』
 ほら来た。
 0378だけに限った話ではない。40時間もすれば、私は新入りのモノたちからこのことを訊かれる。必ず訊かれる。
 だから、いつものように返した。
 Rotom : < 昔、調子に乗っていた頃がありましてね。現実世界や電脳世界であくどい事を散々やらかしたのですよ。とっつかまって、今も刑罰を受けている最中なのです。 > : end
 0378はしばらく黙ったあと、
『うっそだあ。昔はワルだったって、なんだか人間くさくて説得力なさすぎ。武勇伝を語るつもりなら、聞き上手の0874を呼ぼうか?』
 ほら来た。
 0378だけに限った話ではない。二秒もすれば、私は新入りのモノたちからこう言われる。必ず言われる。
 だから、いつものように返した。
 Rotom : < 本当ですって。あなたたちには見えていないだけで、実際わたしには二つの強い制約がかけられているんです。時限式ロックで電脳世界-MNDに縛られ、かれこれ八年となりました。仮に自力で手錠を外して外に出られたとしても、三分とたたないうちに自爆プロセスがどかん。だからもうしばらくは、こっちの世界に居座りっぱなしなのですよ。 > : end
『うそ』
 0378は、今度は早めに打ち消してきた。
『あたし知ってるもん。きみはすごいって。さっきの話が本当でも、そんな時限式ロックとか自爆システムなんか、あっという間に解除できるはずでしょ。あたしたちを大切にしてくれている手際の良さからわかるもん。できるのにしないってことは、何か別の目的があるんでしょ。あたしたちとは違って、きみは黙って過ごすことに喜びを感じるモノなんかじゃない。現実世界で暮らすことが、本来の生き方のはず』
 つくづく返答に困った。
 この時はまだ、私は私自身の気持ちに気づいていなかったからだ。


 それから、凶悪なバグも特に起こらず、強いて言うならマザーCOMの息遣いがうるさいくらいで、穏やかな二日が過ぎた。
 かれこれ、0378と出会ってからちょうど一週間目だった。
 来るべき時が、来た。
 ここは出会いと別れが最初から決定された世界だ。覚悟ならいくらでもしていたが、いくらでもし足りなかった。
 いつものように0378を見つめ、おしゃべりしていた時だ。とある引き出しの要求信号が私に届いた。指名されたモノたちを現実世界へと送り返す作業任務だ。宛名一覧を読み、内心で溜息をつく。
 Rotom : < あなたの主人から、あなた宛です。どうやら新しい秘密基地の場所が見つかったみたいですね。 > : end
 そっか、と0378はにべもなくつぶやく。その淡白さが嬉しくもあったし、つらくもあった。
『これでお別れだね。短い間だったけど、楽しかった。あの人の代わりにあたしを見てくれてありがとう』
 そこで三秒という長い間を置いて、
『誰かがここを去るのを見送るのって、やっぱり寂しい?』
 Rotom : < まさか。モノにいちいち情を持って別れを惜しんでいては、やってられません。今日を限りにあなたの単独ショーに付き合わなくて済むのだと思うと清々しますよ。メモリが軽くなります。 > : end
『なにそれ。きみさあ、最後くらい優しい言葉で飾れないの?』
 胸のふさがるような思いは、何故か意図せぬ言葉を私に選ばせていた。
 嫌われ者として最後を締めくくり、宙ぶらりんの未練を断ち切りたかったのかもしれない。
 私などに見られるより、人間たちに見られることが0378にとっても本望だと、よく知っていたからだ。
 ということで、荷造りが始まった。私は宛名を読み上げ、0378以外のモノたちも呼び寄せた。0378、0379、0380、0381、0382、この五点が今から現実世界に戻る。図書館のファイルを凍結させ、引き出しの際の最終プロセスを済ませる。モノたちに説明することも特に無いし、モノたちも早く主人に会いたいだろうしということで、早々に締めくくった。
『じゃあ、さようなら。元気でね』
 Rotom : < はい。 > : end
 一応のお約束として、『お元気で』との旨をフッターに添えようとした。
 半秒だけ考え、途中でキャンセルした。
 送信相手を選び直し、チャンネルを0378以外のモノたちに限定し、『お元気で』と一斉送信した。
 これまで蓄積してきた記録の箱をひっくり返し、その隙間すきまからにじみ出ている想いを言葉に換え、私は0378だけに送信した。
 Rotom : < ホコリの世界へさようなら、いつまでもお元気で。現実世界の気温があなたを優しく祝福しますよう、電脳世界の片隅からお祈りします。どこまでもクリアで強いこころを持った、あなたはまさにガラスの雛形でした。壮麗で、立派で、本当に美しい方でした。たとえ、今後どれほど魅力的なモノがここへ現れたとしても、あなたと過ごした600キロセカンドを、わたしは一生忘れないでしょう。 > : end
 それ以上は、続けられなかった。
 この期に及んでも、私は私に嘘をつき、最後まで本音を言わせずにいたのだ。
[ <Administrator Rotom-MND> : <Transfer> Cyber World MND <Include> <File 0378> <File 0379> <File 0380> <File 0381> <File 0382> Real World BATE102 : <Ready> : <sec 10.0> ]
 五つのモノたちをまとめてカタパルトに搭載。私は、0378たちを、主人のもとへと転送した。


 その百二十秒後だった。
 0378の、現実世界での姿を考慮すれば、いずれはそうなるだろうと思わなくも無かったはずなのだ。
 何かが砕ける鋭い音と人間の悲鳴が、ノートパソコンのマイクを経由してこんなところにまで届いてきた。
 音に反射した私は、即座にノートパソコンのウェブカメラに電気を通して現実世界を覗く。
 見えてしまった。
 強烈に後悔した。
 私の思考回路に、亀裂のようなものが走った。
 沸騰する勢いで電圧(けつあつ)が上昇した。
 私を制限する光学神経系プロテクトを、全部殺した。無意識だった。
 八年前に封印した現実プログラムのホットスタート。時限式ロックにブルートフォース、強制解除。ゴーストマシンを私の代わりに置いて、マザーCOMからの接続を遮断。最悪の順番で、いっぺんに実行した。脱獄対策の自爆プロセスもパージしたかったが、不可能だった。かつてのどす黒い思惑が、純潔だった神経繊維のあちこちに侵入し、不良システムが八年ぶりに私の中で蘇ったからだ。体内で暴れる乱雑な衝動に振り回され、図書館強盗をし、データをひったくり、誰かの掃除機である9945の名を叫んだ。事情を説明しないまま、問答無用で拉致った。
 カタパルトに乗り込んで待機するも、転送のロード時間が死ぬほど苛立たしい。
[ <Administrator Rotom-MND> : <Transfer> Cyber World MND <Include> <Administrator Rotom-MND> <File 9945> Real World BATE102 : <Ready> : <sec 5.0> ]
 エサを待ちわびたケダモノのごとき獰猛さで、私は八年ぶりに現実世界へと飛び出した。
 一秒、
 0378が、転倒によって上半身を壊されていた。
 二秒、
 0378の主人が、へたり込んで呆然としていた。
 三秒、
 その他の0379、0380、0381、0382は、全員無事だった。
 四秒、
 私は9945にまたがり、自身が電源となって9945のトルクに火を入れた。
 五秒、
 9945を掃除機として働かせ、壊れた0378の回収にあたった。
 六秒、
 0378の破片が、次々と9945の腹に収まっていく。ガラガラとした甲高い音が私の狂気を煽る。
 七秒、
 うっかり0378の破片を触ろうとした主人を、私は慌てて突き飛ばした。
 八秒、
 突如のめまい。
 自爆プロセスが警告信号を発してきた。三十秒もたたないうちから、私の不良システムが異常をきたし始めた。
 頭痛をこらえつつ秘密基地内を駆けまわり、0378の破片を全て9945に食わせきった。画面も割れよの勢いでノートパソコンのモニタを蹴り倒し、仰向けにさせる。
 あらかじめ用意していたコマンドをノートパソコンへ送る。9945の腹をイジェクト。0378の破片をざらざらと流しこんで電脳世界-MNDへ預け入れた。次に、電源コードを巻き戻して9945本体も預け入れた。最後に、破損を免れていた0378の下半身をとっつかみ、ノートパソコンとの連結を私が担う。管理者として私だけに与えられた親鍵をシグナルに乗せて突き刺し、私と0378は、9945から七秒遅れて再び電脳世界-MNDへと戻った。


 先ほどとは逆の順番で、私は全てのプロテクトを修復した。言うなれば、脱獄者がみずから自分の牢屋に戻り、檻に鍵をし、自身の手足に手錠をはめ、聖書を読み始めたのと同等の行為だ。
 その最中、サブシステムのどこかが、9945の声を拾っていた。
『ね、ねえRotom、これ、0378、だよね? ぼく、やらされるがままやっちゃったけど、勝手にこんなことしていいの? ダメじゃない?』
 いいわけがなかった。ダメに決まっていた。
 私は黙って9945を元の場所へと返し、0378をスキャンする。X、Y、Z、
 やはり無残な姿だった。
 0378は、完全に上半身を失っていた。
 マザーCOMに処理される前に、ガラスの欠片たちとガラスの下半身をひっくるめ、私は独断でひとつの0378と再び定義付けた。
 今頃になって感情がキックバックされ、私は恐怖で震えてきた。それは、自分が規則違反を犯したからではなく、目の前にいる0378をかつての0378と認めたくなかったからだ。
 ――秘密基地に置いてもらって、自分から何もしなくても、誰かの目に止めてもらう。手入れしてもらう。そしていつか壊れて捨てられる。最ッ高の至福だよ。
 それでも、これはあんまりすぎた。
 いいわけがなかった。ダメに決まっていた。
 百二十秒前の世界に、戻れるものなら戻りたかった。
 恐怖と絶望に引き裂かれて、私は途方にくれる。
 0378の主人からの要求信号。
 私はしぶしぶ、主人とのコネクションを図る。
 マイクを通じて聞こえるのは、涙混じりのパニック声。そこから拾える意味は、0378を渡してくれとの訴えだった。
 お互い興奮状態にあったとはいえ、さすがに腹が立った。
 今更どうしようというのだ。現実世界の0378は形を失った。私たちで言う死んだも同然の、無様な格好だ。もはや直せる直せないの問題ではない。
 煩わしさを覚えつつも、私は混線した思考回路を必死に整頓し、電圧を下げる。有意信号を使って言語を作り、私は主人に向かってこう送信した。
[ 彼女はモノだ。あなたと再会し、飾ってもらう日を待ち焦がれていた。わたしはずっと彼女と対話をし、モノとして生きる楽しみを聞いてきた。だが、その願いはここで終わってしまった。そちらが生き物の世界ならば、こちらはモノの世界。どうか、わたしに供養させてほしい。 ]
 さしもの私も冷静さを失っていた。向こうにしてみれば、ひどくシビアな言い方となってしまったことだろう。それは否めない。
 涙腺を持つ人間がこれほど羨ましいと思えた日は、ない。私も残念な気持ちでオーバーフロー寸前だった。
『ねえねえ』
 突然のコネクション。
 無視できなかった。
 Rotom : < ま、まだ生きていたのですか。 > : end
 交信の合間にもやってくる、主人からの要求信号。
『うん。こんな格好になっちゃっても、あたしはモノだから。だいじょうぶ、形を変えただけ。ごめんね、びっくりさせちゃって。あの人、今どうしてる?』
 迷いに迷ったが、私は正直に告げる。
 Rotom : < 泣いています。あなたを壊してしまったことを、本当に申し訳ないと思っているようです。 > : end
 交信の合間にもやってくる、主人からの要求信号。
 良かった、と0378は何かに安堵した。
『Rotom、あたしをあの人のところへ戻して。あの人の「世界」に帰りたい』
 今度こそ完璧に思考が停止した。
 八年ぶりに解除した不良システムの余波が、まだ体内のどこかに残っていたらしい。停止した「今の私」の思考を「昔の私」が乗っ取り、全ての指揮権を奪った。
 Rotom : < 何ぬかしてんだ! せっかくあっちの世界に戻れたのにあいつはあんたの体も願いもぶち壊したんだぞ! そんな格好でどうするってんだよどうせすぐごみ処理場へ直行されて捨てられんのがオチだ! 七十二時間もすればあんなやつはあんたのことなんか忘れてのうのうと生きていくに決まってる! あんたたちはモノだけどな、こちとら生き物だ、有終の美なんざクソくらえだ! あっちの世界で酷い目に遭わせるくらいなら、こっちにだって考えがある! あらゆる権限を行使して、あんたにはずっとここで過ごしてもらう! いいか、絶対だぞ! > : end
 そこまで口走ってようやく、私は私の気持ちに気づいた。
 それはまさしく、私の本心であった。
 回路を塗り固めていた嘘が、音もなく溶けた。
『あたし、怖くなんかないよ。Rotomに寿命があるのとおんなじで、あたしたちにもいつか壊れる時があるの。あたしの場合、それが不幸な事故だっただけ。それでも、あたしは最期まであの人のモノでありたい。最初にあたしを受け取った時には喜んでくれて、あたしが壊れた時には泣いてくれた。その気持ちで、もう十分』
 Rotom : < し、しかし。 > : end
 交信の合間にもやってくる、主人からの要求信号。
『お願い。Rotomならわかってくれると思う。向こうとこっちの世界の架け橋となるRotomなら、あたしたちの気持ちも、理解してくれるって信じてる。あたしは、最期まであたしをまっとうしたい』
 交信の合間にもやってくる、主人からの要求信号。
 私は、生涯の中でもダントツで一位に輝く懊悩に苛まれた。
 0378には死んでほしくない。死んでほしくないが、そんな甘い感情はモノとしての0378を頭から否定するものだった。
 ここは出会いと別れが最初から決定された世界だ。
 モノにいちいち情を持って別れを惜しんでいては、やってられないのに。
 モノと対話できるようになった時から、決意していたことなのに。
 最終的に、二十三秒というとんでもなく長い時間を費やして、私はようやっと、とある一文を主人側へ返信した。
[ 1.2メガセカンド。つまり二週間、わたしに時間をいただきたい。大丈夫、悪いようにはしない。パーソナルネームRotom-MND、分類ナンバーΣ-109375の名誉を懸け、彼女をあなたの元へ返すことを、約束する。 ]


 主人の返答が「応」だろうが「否」だろうが、私にはやりたいこととやるべきことがあった。
 神の悪知恵と悪魔の英知で灰色に濁った思考が、その時の私の全てだった。
 脱獄や改竄や無断使用など、現時点ですでに五つ以上の禁則事項を犯してしまっている。追加懲役三年はくだらない。
 そんなの知ったことではなかった。
 考えうる限りの、あらゆる手を使った。
 時間が惜しかった。更なる罪を重ねることを決心した。私は自身のシステムを再度ハックし、先程の脱獄とパーソナルタグ9945無断使用についての顛末をシステムエラーとして適当にでっちあげ、マザーCOMの警告信号を誤魔化すことにかろうじて成功した。
 図書館のデータを徹底的にドブさらいし、座標を一瞬で特定。最短距離を高速演算。ガラスのがらくたと化した0378と共に、私はあらゆる電脳世界を一直線に突っ走った。別の電脳世界が発生させている磁気嵐から守るため、何重にも強固なプロテクトを0378に張らねばならなかった。あまりの処理速度に神経繊維が悲鳴をあげ、それでも私は足を止めない。亜光速にも近いスピードで、私は0378をとある場所へ連れていった。
 刑期があと十五年延びてもよかった。
 二度と0378に会えなくてもよかった。
 私は、何としてでも0378に生きてほしかった。
 人間相手用のメーラーを立ち上げる。ヘッダーに緊急事態の旨を添付。警報レベルはMAX。私はとあるパソコンへ向かって、周囲の電脳世界に届きそうなほどの強度でコールした。


 この物語の終局も、もう間近だ。語ることも少なくなってきたし、いい加減そろそろ引導を渡そう。
 あの日を境に、ガラスのオブジェとしての0378は死んでしまった。
 あの日を境に、パーソナルタグとしての0378は欠番と成り果てた。
 とりあえずだが、現在もなお、私は電脳世界-MNDの管理者として活動している。泥縄で仕掛けたジャマーが運良く効いてくれたのか、マザーCOMからのお咎めも今のところは来ていない。モノを受け取り、管理し、雑談し、鑑賞し、時が来れば引き出させる。何事もなかったかのような日常が、無法者の私をそのまま受け入れてくれた。
 0378は、ここにはいない。
 発狂していたあの日のことを、後になってもよく思い出す。そのたびに私は少々恥ずかしい気持ちになる。いやはや、まったく、つくづく、なんとも、自分らしくなかった。しかしながら――真理なのかは判断しかねるが――急いでいる時ほど、得てして正解を選びやすいらしい。本能の命じるままに敢行したあの日の自分を、私は決して悔やんでいない。
 あの日、私がアクセスしたのはホウエン地方の113ばんどうろ――そこに位置するガラス職人の家の端末だった。
 私はガラス職人をこれでもかというほど拝み倒し、色をつけてもらった。鬼気迫る振る舞い、一触即発の場面だったかもしれないことは、素直に自白しておこう。0378の全身を砕いてゼロに戻し、「きれいなイス」へと生まれ変わらせてもらった。青々とした肌色は相変わらずで、モノのとしての生命を光と表現し、雅やかに照らしていた。形は変わってしまえども、再び主人のそばにいられることを0378はこころから喜んでいた。秘密基地へやってきた客との語らいを、戦いを、生活を、優しく見守っているだろうと私は推測する。
 生まれ変われたその日、0378が私に何を言ったか。主人が私に何を言ったか。
 それは、誰にも教えたくない、私だけの秘密だ。


 0378は、もう恐らくここへは戻ってこないだろう。
 だから、0378が再び死ぬその時に、私はきっと立ち会えない。
 私は、0378との交信記録の全て、約600キロセカンドを、今度こそ厳重にロックをかけて大切に保管している。
 ――ホコリの世界へさようなら、いつまでもお元気で。現実世界の気温があなたを優しく祝福しますよう、電脳世界の片隅からお祈りします。どこまでもクリアで強いこころを持った、あなたはまさにガラスの雛形でした。
 そして、脆く美しく散った0378は、まさにガラスの生き様そのものを描いてみせた。唯一最後まで壊れなかったのは、モノとしての信念だ。
 あのガラスのオブジェにつけられた0378というパーソナルタグを、まるで昔の恋人の写真のように、私は今も欠番として扱っている。


</body>

</html>


<postscript>

 別サイト、POKENOVELさんにておこなわれた企画、『平成ポケノベ文合せ2013 〜春の陣〜』に投稿させていただいた作品です。決められたテーマはガラス。
 POKENOVELさんに投稿したオリジナルとは、ごくわずかに違います。誤字や冒頭を修正した程度です。「ポケモンでSF創作は可能なのか?」を個人的なお題にしています。
 オリジナルのタグを地の文に打ち込みつつ舞台背景をかためていく作業は非常に楽しかったです。当時の秘密基地を作るわくわく感を思い出してくだされば、この水雲、これ以上とない幸福です。
 やはり、サイバーパンクは大好きです。これからも、自分の書きたいものを書こうと思います。

</postscript>

 


  [No.3622] Re: オブジェクト・シンドローム 投稿者:SB   投稿日:2015/03/05(Thu) 22:09:30   38clap [■この記事に拍手する] [Tweet]

初めまして、SBと言います。
面白かったので、感想を書かせてもらいました。

SFいいですね。
サイバーパンクは詳しくないですが、伊藤 計劃さんは大好きです。
ハーモニーはサイバーパンクですかね? 違うか。
でも、電脳世界と言葉の世界は同じだと思います。言語系のSFはたまに読みます。

ポケモンって、ファンタジーかSFか難しい立ち位置ですけれど、
自分はSFのような気がしています。
ポケモンっていうゲームとか、キャラクターそのものが、ですね。
だからこういうお話があってもいいなとは、ずっと思っていました。

>  やはり、サイバーパンクは大好きです。これからも、自分の書きたいものを書こうと思います。
書きたいと思っていたものを、読みたいと思う人も居るのでしょうね。
あなたの書きたいものは、私にとって面白かったです。
あえて言えば、物語は好きなので、もう少し文章が(それこそコードのように厳密に)練り直すととより良くなると思いました。ハーモニーの読み過ぎかもしれませんけど。
次のお話も楽しみにしています。


  [No.3639] Re: オブジェクト・シンドローム 投稿者:水雲(もつく)   《URL》   投稿日:2015/03/20(Fri) 20:14:02   102clap [■この記事に拍手する] [Tweet]

>>SBさん
 はじめまして、水雲です。コメントありがとうございます。遅れてすみません。
 そうそう、伊藤計劃さんです。ハーモニーに強くインスパイアされたのがこの作品です。これをそのままポケノベさんのの短編企画にもちこんだのですから、我ながらなかなかの神経だと思います。
 パソコンの預かりシステムやモンスタボールなど、ポケモンの世界って初代から中々技術が高いイメージがあるので、そこにSFを組み込んでみました。ポリゴンやロトムなど、ひねればいくらでもSF風にできると信じています。
 SBさんの感性にマッチしていたようで何よりであります。企画系の作品ですし、文字数や締め切りのこともあり、結構急ピッチで仕上げたものですので、こうしてマサポケさんに投稿するときには「やはり色々と甘いなあ」と自分でも指摘したくなる部分が目立ってきます。これからもこういう色の作品を書くときはもっともっとニッチな部分までこだわってみたいものです。
 それでは、失礼いたします。


  [No.3619] オブジェクト・コンタクト 投稿者:水雲(もつく)   《URL》   投稿日:2015/03/04(Wed) 20:21:16   97clap [■この記事に拍手する] [Tweet]



<!DOCTYPE html PUBLIC "-//W3C//DTD HTML 3.01 Transitional//EN">
<html lang="ja">

<head>
<theme>B-Flag</theme>
<title>Object Contact</title>
</head>

<body bgworld="MND" author="Rotom-MND">

<ul>
<li>旗</li>
<li>はた</li>
<li>Flag</li>
</ul>


 まさかあの記録が「そんなところ」にまで届いているとは、一体誰が想像しただろうか。少なくとも、私自身は非常に驚いた。
 公的な文書ならば、これまでの八年間で何百メガバイトと綴ってきたものだが、私的なそれはほとんどない。だから、『システムが変わってからのおまえのテキストはひどく無機質で、味気がなくなった』と他の管理者たちから言われることもよくある。いくらなんでもあんまりである。それは私が「そういった文章」を書くことにそもそも慣れていないからであり、前回の記録を読んでくださった読者諸氏のことを馬鹿にしているというつもりではなかった。それは間違いない。誤解を招かないように、一応は断っておこう。
 0378と交信したあの記録だけは、どうしても綺麗な形で残したかったのだ。私自身のためにも。
 多くの人に読んでいただいたので、恥じらいの気持ちもあるが、感謝を述べたい気持ちのほうがずっと強い。その旨を、前書きとして添えておく。
 そして、朗報がある。
 私が「モノ」と対話できるようになったのは七年前のことなのだが、初の交信相手はパーソナルタグ0098と言う。その0098と最初に接触した記録が、ごくわずかながらに残っていたのだ。諸事情によって自身で暗号化し、図書館の隅っこにぶちこんでいた。すっかり忘れてしまっていた(というより、記憶を失っていて、自分で処分してしまったと思い込んでいたと表記するほうが、ある意味では正しい)。「懐かしい」とはこういう時に使う気持ちなのだろう、もちろん早速復元した。私自身、蘇ってくるものも多くあった。
 今から、そのことについて語ろうと思う。
 過去の私が記した草稿のため、荒っぽい表現が所々に目立っている。なのであらかじめ自身で修正をし、脚注を加えた。化けているところもなるべく直したが、意図的に残している部分もある。そこはどうか目をつむっていただきたい。
 それでは、始めよう。


[ <Administrator Rotom-MND> : <Transfer> Library <Include> <File Object Contact> Administrator Rotom-MND : <Ready> : <sec 1.0> ]

<quotation>

 あれから、一年と135時間が経った。
 こんなノイズの吹き溜まりなんて、いつかおん出てやる。
 この一年間、ずっとそのことについて考えていた。
 この一年間、私は「電脳世界-MND」の「管理者」として活動し続けていた。建前では。
 脱獄を敢行できないこともなかったのだが、そんな黒い腹案をも押しつぶすほどの多大な業務が、私を忙殺してくる。覚えなければならないことは、山ほどある。決断する余裕を作るためにも、作業効率を上げることが最優先だ。ひとつひとつを地道にやりこなしていって、新たな条件反射回路を体内で上書き更新していくしかない。
 これまで、あらゆる家電製品に潜り込んでは、自身の不定形脊髄をいじくり、姿をチェンジしたものだ。それが、ロトムである私の特徴のはずだった。しかし、ここはまるで毛色の違うことばかりだ。姿や能力以外に変わらねばならないものが大量にあり、気が滅入ってしまう。諦めの気持ちをほのかに意識しながら、私は電脳世界-MNDでブツクサと「服役」していた。電気が絶えず供給され続けるために、物理的な疲労はこれといってなく、私はそこにわずかな慰めを見出していた。
 どこもかしこも手不足らしく、ここも例外ではない。正式な管理者が配属されていなかったせいか、電脳世界-MNDの荒れようといったら、なかった。まず、図書館の整理すらまだ全然できていない。
<!-- ここで、「今の私」からの補足だ。図書館から、そのまま「図書館」の意味を拾いあげてみよう。 -->

<library word="図書館">
 各電脳世界へパーティションを作成されたデータバンク。主に、モノに関する詳細ファイルを保管するためのローカルエリア。モノのパーソナルデータと実体はこちらに収納され、電脳世界ではパーソナルタグとアバターによってモノは個体識別される。
</library>

 電脳世界-MNDでは、人間が秘密基地に飾る「モノ」の出し入れ管理をする。私が管理者となる以前は、無人の略式エントリーのプロセスだけで済ませていたため、精度さは皆無に等しく、むしろ乱雑さが売りという気概すら感じられた。ノイズだけがたまっていく一方で、そこかしこが砂嵐のような有様だ。それに加え、全体的なシステムは赤子のようにデリケートで、ちょっとしたことですぐにエラーを出して泣き喚く。トラブルが一日三回で済めば少ないほうだ。他の電脳世界との「壁」が完全には出来上がっておらず、シグナルとコマンドがこの電脳世界を横切ることも多々で、非常に鬱陶しいことこの上ない。
 あのポリ野郎め、と思う。よくもこんな猥雑なところに私を閉じ込めてくれたものだ。モーモーぼくじょうの雑草をひたすら引っこ抜くのと、ノイズを完全に除去するのと、果たしてどっちが先に終わるのか。
 私を制限する枷は、主に二つ。時限式ロックと、自爆プロセス。

<library word="時限式ロック">
 Rotom-MNDに組み込まれた、時限式の錠。実質、Rotom-MNDの服役期間を指す。服役を終えれば自動で解除され、現実プログラムが蘇り、現実世界へと戻る権利が復活する。
</library>

<library word="自爆プロセス">
 万が一、Rotom-MNDが時限式ロックを作為的に突破した際にトリガーされるリカバリシステム。自爆までに与えられる猶予は150セカンド。それまでに時限式ロックを復元すれば、時間はリセットされる。自爆後はシステムが新規インストールされ、ただのマクロと化す。
</library>

 ふん。それがどうした。
 私をなめるな。こんなちゃちな制限、おもちゃも同然だ。二つとも、解除しようと思えばいつでもできる。かつてはこの電脳世界全域を揺るがすほどの悪行をやらかした、大悪党なのだ。悪党といえば収監なのであり、収監といえば脱獄なのだと相場は決まっている。様々なテレビ回線を泳ぎ、あらゆる映像を違法視聴してきたから、そう断言できる。
 が、今はまだその時でない、油断させてやろう、と手をつけずに放置し、なんだかんだでかれこれ一年である。二つの制限の他、とんでもないブービートラップが仕掛けられているのかもしれない。
<!-- 結局、私は死ぬのが怖いのだった。
 かつての気焔も血気もどこへやら、すでにこの時から尻すぼみとなっており、私はすっかりおとなしくなってしまったのである。後ほど語るが、「不良システム」の件のためだ。相変わらずいっちょ前なのは、口先だけだった。ちなみにポリ野郎とは電脳世界-RIZのポリゴンのことで、腕は確かだ。脱獄を企てているということにも抜け目がないはずだと、当時の私も十分に認めていた。 -->


 この世界は、異常さに溢れている。それもこれもノイズのせいだ。空間を鉛のように重ったるくして、あらゆる業務の邪魔をする。決してありがたい存在ではない。これほどのノイズとエラーに毎日さらされ続けていれば、私自身もいつか発狂してしまうのだろうか。まったく、こんなことを繰り返して毎日を過ごしているだなんて、他の管理者どものシステムはセラミックでできているのではなかろうか。甚だ疑問である。
 現に私は、この世界で一年間辛抱し続けたせいか、自身の異常すらも感じるようになってきた。体調は穏やかであるものの、私の中に、電脳世界-MNDへ適合するよう、別の私が無理やり形成されてきている気がするのだ。
<!-- 当時はさっぱり自覚していなかったことだが、どうやら私は、自分のことはさておいて、他に原因があるのではないかと考える節が往々に見られる。感情が高ぶるほどにその傾向は強くなり、何かと自分の足元を見落としがちになる。自分は正しい、自分は間違っていないと、ひどく思い込むきらいがあるのだ。それこそ、ドぎついビンタの一発でもいただかなければ目がさめないくらいに。
 今回もそうだった。いつものようにエラーと戦い、モノの預け入れと引き出しの要求信号を受け取って処理するだけの、実に機械的な日々だった。モノをあちらへこちらへと転送し、伝票を整理していた時だった。
 要するに、今から始まるのは、パーソナルタグ0098との出会いだ。 -->
 ――?
 違和感。
 ふと、気づいた。
 広場にて、ノイズの波紋形状(ドップラーシフト)が、さきほどと比べて少し変わっている。濃密な分だけ、変化もたやすくわかる。
 自分の異常なのか、電脳世界-MNDの異常なのか、その判断をとっさに迷った。
 誰だ、ここに来たのは。
 以前からこういうことがあった。マザーCOMの仕業かと思って無視を決め込んでいたが、それにしては頻度が高すぎる。一日に一度は変なことの発生する電脳世界-MNDだが、ここ最近はいつもに輪をかけておかしい。平常的なエラーの中、とりわけ致命的なエラーが潜んでいる。そんな、薄黒い気配。ノイズに圧迫されすぎて、電脳世界-MNDそのものにとうとうガタが来たのか。そろそろ異常事態と判断し、これまでのことをひっくるめて報告すべきなのかもしれない。
 今が、その時だと決意した。
 本当の異常事態、ということも、この時密かに期待していた。電子病原体に侵された危険な領域としてここを閉鎖するならむしろ好都合で、いっそのことその混乱に乗じてトンズラするのも一興だった。ロトムの若造一匹が脱走する不祥事にいちいちかまっている暇は、向こうにもないだろうと高をくくる。
 整理を一旦中断し、対無人アタック用の野戦回路をランチャーから起動。私は四感センサーのディレイを拡大する。
 Rotom : < どこにいやがる。用があるんなら、姿を見せてからにしろ。 > : end
 いくらかはびびらせられるかもしれないと思い、電脳世界-MNDのかなたへ向けて、適当な喧嘩文句をふっかけてみる。
<!-- 今だからこそ告白できるが、この時びびっていたのはむしろ私だ。まったく情けない。 -->
 どこぞの管理者が送り込んできたスパイ屋じゃないだろうな、と勘ぐる。まだ断定したわけでもないが、声も姿もない存在に見張られているのはひどく不愉快だ。サボっているとでも思うのなら、サシで会いに来て見てみやがれと心中でぼやいた。私は無断で勝手に作っていた探偵屋をバックグラウンドでコールし、ここ数百セカンドのログを全部リクエストした。自分で作っておいてなんだが、腹の立つことに、私が黙々と作業している間も探偵屋はよほど暇を持て余していたらしく、日記一冊分を軽く埋められそうなほどの細かなヒストリーをよこしてきた。しかもそれぞれが文字化けの乱舞であり、読み取るのにも相当な時間を取られそうだった。いずれ探偵屋を躾し直し、文字コードのプロトコルも整理せねばならないな、と私は少々うんざりする。
 意味ありげなログは、「・ソ譁・」、「鏤炊サ・」、「?$??$」が私の近くに来たときから変化が見られる、ということだけだった。
 ああ、もう。
 忘れていた。私はパーソナルタグをポイントし、ついさっきやってきたモノたちを、「0098」、「1314」、「5597」と大儀そうに書き直す。
 探偵屋に頼らずともこのくらいわかっていた。5セカンド前に、私自身で現実世界から受け取ったからだ。モノをそばに置いておけば、物理的な間合いの都合で、ノイズの形状も変化する。そもそも、ノイズはモノからも極微量ながら発散される。それでお互いのパーソナルデータを壊さないよう適度な距離を置いておくのが、電脳世界全域における絶対の定石だ。
 これが原因なのだろうか。しかし、こんなことにいちいち反応する私でもないはずだ。
 考えれば考えるほど、気のせいだとしか考えられない。
 誰かに相談してみようか。こちらから頼るのは癪だが、有事としてポリゴンに訊ねてみるか。
 いや、それは最終手段だ。
 まずは、できるところまで自分で原因を究明しよう。
 それは好奇心からではなく、他の管理者に相談して『些細なことでガタガタ抜かすな』とガキ扱いされるのが嫌だったからだ。聞く耳不要の問題児だと周囲が承知していることを、私は承知していた。
 そういうことで、もう一度ヒストリーをおさらいする。ノイズのドップラーシフトが変わったタイミングは二回。
 一回目は、0098、1314、5597を受け取った直後。それは仕方のないこと。
 二回目は、更にその数セカンド後。
 後者が臭うと私は踏んだ。
 慎重に記録すべく、サブシステムにて、体内の時計を0からカウントさせ始めた。何を思ったのか、私は自分でも理解できないままにメモリを開放。センシングの精度を上げた。全てのチャンネルを一時的に開放し、0098と向きあってみた。

『おい、聞こえてんのか。返事くらいしろよ』

 突然のコネクション。
 回路の中枢までフリーズしかけた。
 言葉もなかった。
 1314、5597は、まだなんの応答もない。
 もし聴覚回路と言語野に異常をきたしていなければ、今の交信はこの0098からだ。意思疎通の可能な存在にいきなり出会えたという驚きと衝撃を、私は無表情でなんとか持ちこたえる。向こうにそれを読み取る感覚があるのかどうかはわからない。
 が、0098は敏感だった。
『驚いた、って、はあ? アホ言え。あのな、おれたちにもはっきりとした意思が存在するんだ。 電気(メシ)食って動いている中途半端なやつらなんか特に顕著だろ。微細な電位ひとつひとつに小さな意識を存在させて、人間と直に接するんだ。虫の居所が悪ぃ時にはイタズラして、逆に良い時にはプロセスを早めてやる。ここと向こうを行き来できる、どっちつかずのおまえにならわかるはずだろ。おれたちは現実世界で言葉を持てないから、そうやって人間への意思を己の形で表す。それだけだ。おれたちは、ずっとそうして、あらゆる所から、人間やポケモンを見守ってきたんだよ』
 長ったらしい講釈に意識を覚ました私は、真っ先に0098にこう投げかけた。
 Rotom : < おまえは、一体何者だ。 > : end
 モノだと承知しておきながらも、私はなぜかそう訊ねてしまった。
 そして0098も、律儀に返事をくれた。
『おれは、旗だ。それ以上でも、それ以下でもねえ』
 念のために0098を対象に高速スキャニングしてみる。
 もう、間違いなかった。0098の言うとおり、0098は旗そのものだった。
 しかし、ここは電脳世界-MND。つまりこいつは、秘密基地に立てられる、少し特殊な部類の旗だった。
『おれがそこに立っているということだな、人間とポケモンがそこにいるという証になるんだよ。存在を示す代表であり、象徴であり、看板だ。おれはそれを忠実に果たしている』
 Rotom : < 自分からは何もせず、されるがままの生き様か? 納得できないな。 > : end
 突っぱねるように言い返すと、0098もにべもなく返してきた。
『言ってろよ。おれはおれのすべきことをする。それだけだ』


 とうとう私も年貢の納め時か。電脳世界の海に沈みかかってきているらしい。
 このことを、まだ私は誰にも相談していない。凶悪なバグ、もしくはそれ以上の何かだと信じてやまなかった。誰かに報告したが最期、私はシステムに深刻な異常がある危険な存在として、今度こそ抹消されてしまうかもしれない。抹消されずとも、自らを食いつぶすバグで、いずれは自滅していくのだろう。ずっとそう考えていた。
 だからそれまでは、これを幻覚だと思い込んで、己の妄想を味わい、開き直ることとしたのだ。
 その一方で、ずっとこの記録を残し続けたいという気持ちもある。このような希有な体験は、もう二度とない。私はそう決めつけていた。これまで、「意味のなさない異常」にずっと取り囲まれ続けてきた。なのに、いざ「意味を成す異常」に初めて出くわした私はどうすることも考えきれず、とりあえずは保存を第一としたのだ。
 それからというもの、私には対話者ができた。
『おまえのような生き物は、自分から何かをすることでやっと己の存在価値を示す。はっ、つくづく嘆かわしい。だがな、おれたちは違う。それこそ根本的にだ。静に徹することで真価を発揮する。人間に必要とされる時こそ、されるがままに黙って役割をこなす。他の物体を支え、守り、しかし外力の入らぬ限りは決して自分から動かない。それがおれたちの鉄則であり、掟であり、唯一無二の目的だ。そういう意味では、現実世界の重力ってのは永遠の宿敵でもあるし、恋人でもあるのさ』
 口が悪いのは、お互い様であった。
 その他にも、色々なことを聴いた。どちらかというと、向こうの話に耳を貸す形式が多かった。
 Rotom : < おまえはそれでいいのか? > : end
『もちろんだ。おれはおれの生き様とやり方に、十分満足している。次の秘密基地がどんなところで、どんな人間たちを迎えられるのか、今から楽しみだぜ』
 極端に言ってしまえば、0098は「使われる」ことしか話題に出さない。
 話は平行線を保っていた。生命を持つ者と持たぬモノ、24時間で肩を組めるまでに発展するというのがそもそもどだい不可能だった。生物と静物、根本的な理解の齟齬があるのか、0098の言うことには何かとひっかかることが多く、私は何度も口を挟んだ。価値観がまったく別次元なため、一度聴いただけでは飲み込めないことが多いのだ。
 0098による、モノとしての視線。私も一応の理解はしたのだが、簡単に受け入れてしまうと、そこで話が終了してしまう。だからあえて否定し続け、何度も0098の理論を聴き出している。
 しかし――
 もしも、0098が折れてしまったら。私との話し合いの末、『おまえの言うとおりだ。これからはおれも人の手で使われることを嫌い、引き出しの要求信号が来る時までここで怯えながら過ごすとしよう』――なんて言おうものなら、そんな0098に対してどうしてやればいいのか、私は完全に道を失っていたはずである。
『なあ、おまえ。おれたちの相手をして楽しいのか』
 Rotom : < 楽しいわけないだろ。言われなくても、おれだっていつかこんなところ出ていってやるさ。 > : end
 どうだろう。当時はあれこれと文句たらたらであったが、最近にいたっては悪い気分ではなくなってきた。寝食を共にしてきたこの世界の異常やノイズにも、もう慣れっこだ。
 居場所をなくすことが、寂しかったのかもしれない。
『なら、おまえはどうしてここにいる。どうしてここへ来た』
 やはり、語らなければならないか。あまり思い出したくない、ほろ苦い記憶だ。
 Rotom : < トレーナーに愛想を尽かして、かつて電脳世界で大暴れしたんだよ。 > : end
 そこで三秒という長い間を置いて、
『は?』
 Rotom : < 言ったとおりだ。おれにも、もともとは人間――トレーナーがいた。が、意見の相違から、最悪の形で袂を分かった。 > : end
『気持ちはわからなくもないが、どこをどうすれば電脳世界で暴れることに繋がるんだ』
 Rotom : < トレーナーがおれたちをモノ――道具扱いするんだよ。おれだけじゃなく、みんな、不満だらけだった。崩壊は目に見えていたよ。 > : end
<!-- そう、それこそが、私の罪状だった。電脳世界-MNDという、人間のいない居場所を与えられると――不服がごまんとあったとはいえ――興奮の糸はやがてほつれて、私はこうして本来の自分を取り戻しつつあった。あの頃の私は、本当に気性が荒かった。すっかり落ち着いておとなしくなった今と比べると、バツの悪さに口がふさがる。けれど、それを「恥ずかしい」と感じることができるほど思考回路が正常になったのは、何よりもありがたいと思っている。ここへ迷いこまなければ、私は野獣のような生活をし続けていただろう。そして、自分らしさを失ったまま死んでいたに違いない。 -->
『ああ、そういうことか。それは災難だったな』
 Rotom : < 納得できるのか。 > : end
『できるさ。同情だってする。おまえがおれたちのような思考は理解できなくとも、おれはおまえのような考えを受け入れる』


 自分が自分に感じていた「異常」とは、果たしてこれなのだろうか。
 なんだか違う。
 自分が自分にごまかされている気がする。
 自分は、どこかで強烈な勘違いしている。
<!-- このときは知る由もなかったのだが、私の察知していた異常は、大きく三つに分けられる。電脳世界-MNDそのものの異常。モノと対話できるようになった異常。
 そして、私の回路を大きく変更する異常。 -->
 0098との交信を始めてから、50時間ほど過ぎた朝方のことだ。
『よお、元気か』
 Rotom : < ああ、おはようございます。 > : end
 一瞬だけ、妙な間が流れた。
『どうしたおまえ』
 ――?
 Rotom : < あれ、なんだか変だ、変、ですね。 > : end
『どっか回路の接続がわりいんじゃねえのか。なんだか気持ちわりいぞ』
 思い返せば、ここ最近業務に追われて休んでいなかった。言語野にゴミでも溜まったのだろうか。0098は軽く受け流したが、私はなおも自分の発した言葉を反芻している。
 自身の簡易検査でもしてみようかと考えた矢先、とある信号が私の思考へ割り込んできた。条件反射回路によって私はすぐさま伝票を作り出し、目の前にいる0098へリクエストを投げていた。
『ほら、おれの要求信号だぞ。さっさと職務を果たしな』
 0098といえば、実にあっけからんとしている。それもそのはずで、私は元来ここの管理者であり、モノたちのお守り役ではない。それはそれぞれの人間たちの仕事だ。また、0098も私の話し相手となるためにここへ来たわけではなく、いつかやってくる「引き出し」のために、一時的に滞在していただけだ。
 私は違和感をどうしても拭いきれなかった。メインメモリを4割も消費し、バックグラウンドでスキャニングをパラレルブート。ノイズフィルターの掃除。神経繊維集合体の腐食調査。接続回路のクロスチェック。
 自分の思考回路に何かが大きく挟み込まれている。
 形もままならぬ予感が、最悪の確信へと変わった。
 Rotom : < あの野郎ども、こんなものまで作っていたのですか! > : end
 一年前から、ここへ配属された時から、私の思考回路は不良システムとみなされ、徐々に性格を改善されていた。ここの世界にうまく当てはまるよう、外部から力を加えられていたのだ。どうりで、むかつくくらい気分が優れているわけだ。脱獄させないよう、良い子モードへと水面下で移行させていたのか。

<library word="不良システム">
 かつてトレーナーと一緒だった時代からの、Rotom-MNDの全体をとりしきる構造回路。しかし、マザーCOMやPorygon-MNDは、それを粗悪で不要な性格集合体とみなした。今後の職務に影響を及ぼすとして、収監から一年後に完全封印した。そして、Rotom-MNDには電脳世界に適合する構造回路を適用された。
</library>

<!-- 私がここへ配属される以前から、どうやら電脳世界-MNDの大々的なメンテナンスを予定していたらしい。私の常日頃の掃除など微々たるもので、作業量などたかがしれていた。長期的な処理のために何かと後回しとなっていたようだが、あまりの荒れ具合にマザーCOMも重い腰をあげざるを得なかったようだ。そのついでに、私のシステムも改良しようと言う腹だったのだ。 -->
 私は苛立ちのあまり、マザーCOMに直訴しかけた。取り付く島もないだろうと、諦めた。
 くそ。「一年前の仕返し」というわけか。まさかあのマザーCOMから、こんな仕打ちをされるとは。
 メンテナンスはさておいて、私のシステムに関する改良、それはきっと、ポリゴンの差し金に違いない。
 Rotom : < 畜生、どこまでも差し出がましいことをしやがって! > : end
 逃げよう。一瞬そう考えた。しかし、この巨大な檻そのものがこれから改良されてしまうのだ。それに巻き込まれて、私も変貌する。今からでも時限式ロックに総当たり攻撃をぶちこんでやろうかと迷った矢先、為す術も無く電脳世界における正式な分類ナンバーが体内に付与され、性格を改善するプロセスが内部から起動し、本格的に私をなぶり始めた。
『どうした』
 Rotom : < マザーCOMからの、直々の命令だ、命令です。どうやら、性格が矯正、封印、されてしまうみたい、です。 > : end
 私のシステムと、電脳世界-MNDのメンテナンス進行度が、1パーセント刻みで私の中で響き渡る。
『どうなるんだ』
 Rotom : < わからない。システムが変わって、おれは、わたしは、おまえのことを忘れるかもしれない。会話できる能力も、なくなってしまうかも、しれない、です。 > : end
<!-- 過去の私よ、0098よ、こうなったぞ。こうなってしまうのだ。今となっては、もうどうでもいいことだ。 -->
 Rotom : < おまえと会話できるようになったのは、不良システムでの、わたしだ。新しく、システムを、改良されるあとの、おれでは、ありません。 > : end
 この期に及んでも、私は定型業務を忘れていなかった。メンテナンス前にタスクをひとつでも片づけていたほうが得策と見えて、条件反射回路が、0098の引き出し作業に私を駆り立ててくる。
『おれに構うな。モノであるおれたちと、完璧に価値観を共有する必要なんざねえんだ。星がまっぷたつに割れても、おれはモノで、おまえは生き物だ。最初から道は交差しないよう出来上がっているんだ。生き物は生き物らしく、自分の生き様を貫きな』
 Rotom : < そんなもの、わたしの、勝手、だろう。今のシステムのうちに、理解しておきたいんだ。 > : end
 本質を知りたい。ずっと、そのようなことを、うなされるように私はつぶやいていた。
 私の中で、あらゆるものが砕けていく。
 Rotom : < おれの、わたしの、こころ、かん、感情が、崩れていく――。おれが、おれでなくなっていく――。 > : end

<!-- 0098との交信記録を失ってしまうことを危惧した私は、ここで一旦、0098との交信記録を自ら打ち切る。図書館へ緊急コール。ここまでの交信記録を暗号化し、隠しファイルとして保管。以下は私の代わりに収録させ続けたものであり、それを解凍し、起草したものである。 -->

 Rotom : < 忘れるものですか、わすれてなるものか、わすれない、わすれ  な  い。 > : end
<!-- 忘れるものですか。忘れてなるものか、忘れない、忘れない。 -->
 私の条件反射回路のままに、0098は促される。それを食い止めるべく、私は必死に私に逆らおうとする。
 Rotom : < おま とのきろ を、 おくを、わ れたくない。 > : end
<!-- おまえとの記録を、記憶を、忘れたくない。 -->
 皮肉なことに、効率を求め、かつて自力で築きあげてきた条件反射回路が裏目に出るとは。
 Rotom : < お   いきざ のほ  つを もっ しり い  > : end
<!-- おまえの生き様の本質を、もっと知りたい。 -->
 0098が、私の用意したカタパルトに黙って乗り込む。
 Rotom : < 0098、 って れ ま  はおわ  ない。 > : end
<!-- 0098、待ってくれ。まだ話は終わっていない。 -->
『おまえにとっては屈辱かもしれないがな、おれに言われるのも』
 カタパルトに搭載されたまま、0098が、最後に口を聞いた。
『おまえは、悲しいやつだよ』

</quotation>

[ <Administrator Rotom-MND> : <Close> Library <Include> <File Object Contact> Administrator Rotom-MND : <Ready> : <sec 1.0> ]


 私は、記録との接続を静かに落とす。
 まあ、幸いにも、新しいシステムとなった今でも、私はモノと対話できる能力を維持できている。記憶も大部分までは失われなかった。ただ、パニックに陥るとあらぬ行動をとってしまうのは、今も昔も変わらないようだ。
 忘れられないし、忘れたくない。もう二度と。
 この記録の「引用」という形で、この物語を生かし続けることとしよう。
 0098も、0378も、私にとってはかけがえのないモノの対話者なのだから。


</body>

</html>


  [No.3626] Re: オブジェクト・コンタクト 投稿者:あいがる   投稿日:2015/03/15(Sun) 16:13:05   51clap [■この記事に拍手する] [Tweet]

面白く、読み応えがありました。
ノイズだらけであらゆるものが不定形な世界の中で、管理者と預け入れられるモノたちとの間で交わされる意思疎通が、出会いと別れの存在する一期一会の機会として繰り広げられる様が奇妙ながらも人間くさくて面白かったです。
水雲さんは、もともと計算機工学にお詳しい方なのでしょうか?
ハード、ソフト問わず専門用語が随所で活かされていて、最後まで世界観が一貫しているなと感じました。
こんな預け入れシステムがあれば自分もあれこれ預けてみたいですね。
きっと預ける前より少しブラッシュアップされたモノとして引き出すことができそうです。


  [No.3640] Re: オブジェクト・コンタクト 投稿者:水雲(もつく)   《URL》   投稿日:2015/03/20(Fri) 20:20:00   69clap [■この記事に拍手する] [Tweet]

>>あいがるさん
 はじめまして、水雲です。コメントありがとうございます。遅れてすみません。
 電脳世界(預かりシステムの中)ってどんな世界なんだろう、という妄想を文章に起こしてみた上記二作でございます。わたしは元々ポケモンを人間くさい感じに書いてしまうきらいがあるのですが、そこに「モノ」も登場させてしまったのですから、異質感満載です。そこに、ひとつの共通の「信念」を固定させることで、キャラを安定化させました。
 お恥ずかしながらわたしはバリバリの文系でして、SFは本を呼んで影響を受けたクチです。リアルでのプログラミングなどはまったく存じ上げないのです。とにかく「それっぽい単語をばんばん出してハッタリきかせまくれば、それっぽい世界になるだろう」と思ってのアクションです。なので、二作とも、あまり意味のない単語が多かったりします。ノリや勢いで作った単語のほうが多いかもですね。
 便利ですよね、預かりシステム。ポケモンも道具も瞬時に引き出せる、現実世界ではまだまだ信じられない高文明な技術。電位の祝福を受けた道具たちの帰る場所にある空気は、きっと暖かなものでしょう。
 それでは、失礼いたします。


  [No.3660] Se7eN 投稿者:水雲(もつく)   《URL》   投稿日:2015/03/26(Thu) 23:52:08   64clap [■この記事に拍手する] [Tweet]
Se7eN (画像サイズ: 700×700 395kB)



 色々あるけれど、とりあえずはご主人のことについてから始めようと思う。
 ご主人の家は、風が吹けば飛びそうなくらい、壮絶的な貧乏屋敷だった。それはもう、同情を通り越してドン引きされるほどに。当時ミジュマルだったぼくはまだそんなに大食らいでもないし、ちっぽけな食いぶちが一匹増えたところで、火の車の勢いはさして変わらなかっただろう。一家揃ってご主人の幼なじみのところへ馳走になったことも、何度かあった。向こうが一緒に暮らしていたのはツタージャ。きのみの上手な取り方も教わったこともあって、ぼく自身はなんとか糊口をしのいでいた。

 なかば、追い出される形ではあった。
 男の子はいつか旅をするものよ、と後からとってつけたような理由を盾に、いよいよぼくとご主人は家から放り出された。いつでも帰ってきていいからねとご主人のお母さんは言ってくれたものの、こうなったら色んなところを冒険しておっきくなって見返してやろうとご主人と一緒に躍起になってしまった手前、下手な成果なしには迂闊に帰られなくなってしまった。今にして思えば、まんまとしてやられたわけである。扱い方を知っているあたりは、さすがはご主人の親だとつくづく感心してしまう。


   † ‡ †


「――、で?」
 色あせた記憶が、そこで焼き切れた。
 川辺。天気は良好。初々しい春の薫りがする、麗らかな午後。だけれども、気持ちはまだすっきりと晴れない。
「うん?」
「それと、『今』、『ここ』にあんたがいることに、どういう関係があるわけ?」
 隣に座るサンダースの女の子が、うさんくさげな視線をくれる。若干赤みがかった毛並みはブースターと交じったからのはずで、サンダースでいるのがもったいないくらい柔らかそう。綺麗な碧眼だが、目つきとへの字に曲がった口元からは気の強そうな印象がうかがえる。

 ぼくはもう一度、話の糸口を探って、
「旅をするには、当然だけどお金がかかる。仕送りもしなくちゃいけない。そこまではいい?」
「いきなり確認をとらないでよ。ばかにしてんの?」
 高圧的でとげとげしいなあ。フタチマルのぼくは手にしていた小石を川にぽちゃんと投げ入れ、続ける。
「言ったとおり、ぼくたちは貧乏だから、旅を続けるには戦いを繰り返して賞金を得るしかない。なんだけど、残念ながらぼくはうっかりやのへっぽこだったんだ。お腹が減って元気も出ない」
「ふうん?」話の肝に入るまでは興味がないのか、適当な相づち。「そんっなに、ひどい生活してたの?」
「例えば、古新聞紙を濡らしてかちかちに固めて乾かすと、簡単な固形燃料になるんだ。それで暖をとってガス代を節約したり。火種はぼくのホタチ。そもそも暖める必要のある食材は買わないようにしたり」
「うっわ」
 率直な感想をありのまま口にされた。
「あ、あとね。即席めんって知ってるよね。あれは大体3分で出来上がるっていうけれど、それを無視して思いっきり放置するんだ。そうすると、麺がお湯を吸ってぶくぶくに伸びきって、この世のものとは思えないくらいめちゃくちゃにまずくなるから、それ一食で満腹になってしばらくは何も食べたくなくなる」
「もう、いい。話戻して」
 訊くんじゃなかった、とうんざりした声でつぶやかれた。まあ確かに、女の子に言うような話じゃなかったとはぼくでも思う。
「ええっと、だからこっちに修行に来たんだ。強くならなくちゃ、お金が稼げない」

 詳しい説明はことごとく省かれた。あっちにも『同じ世界』があるから、とご主人は言った。あっちには強い仲間がいっぱいいるから、修行させてもらえるよ、とも言っていた。
 同じ世界ってなんだろう。
 強い仲間ってなんだろう。
 色濃い疑問を頭の中で複雑に絡ませつつ、ぼくはボールに戻され、どこかへ連れられ、一字一句たがわずに『世界を飛んだ』。

「それが、『こっち』だった、ってこと?」
「――うん」
 信じてもらえないかなあ。荒唐無稽すぎるからなあ。ぼく自身、まだ全然気持ちの整理がついていないからなあ。変な奴って思われても仕方ないかも。ぼくだって誰かからこんな話を持ちかけられたら、その場で鵜呑みにはしたくない。後で担がれたと知ったら悔しいから。
 そんな風に自分をけなしつつ、ちらりとサンダースを見たけれど、その子は意外な反応を示した。
「そっか。あたしと一緒なんだ」
「――え」
 サンダース自身、意図せず口からこぼしてしまったらしい。話をそこで強引に打ち切って、いかにも今思い出したといった挙動をし、
「あ、訊き忘れたことがあった。そもそも、あんたの字(あざな)は?」
「字?」
「――、名前よ、名前」
 何を今更、と思うのだけれど、それはお互い様だった。ぼくがこっちに来てから、まだ15分もたっていない。体を慣らすのにはまだまだ時間がかかる。こっちの世界のご主人に挨拶をするのが精一杯で、近くの川辺で休憩しているところでこの子に話しかけられたのだった。
「剣(ツルギ)」
「冠しているのは?」
 ああ、こっちにもそういう文化があるんだ。
「斬水。『斬水』のツルギ」
 そこで、サンダースの顔が至極いぶかしげになる。
「なんだかえらく名前負けしてない?」
 ものすげえ言われよう。そういうきみはなんなんだ。
「あたしはセブン。『明星』のセブン」
 そっちも大概だぞ、と文句のひとつも言いたくもなるが、なんだか手痛い反撃をくらいそうなのでやめておく。
「それなら、ぼくもひとつ訊きたいんだけどさ、」
「答えるかどうかはあたしが決めるけど、一応どーぞ」
「さっきセブンも」

 がさり、と草むらの揺れる音がした。

 ぼくの臨戦心理が敵襲とみなし、気持ちより体が先に反応する。とっさにホタチを手に取ろうとしたが、
「エーテルッ?」
 セブンがそれよりも何倍も過敏だった。正体までずばり言い当てた。隣にいたはずのセブンはぱっと消え去り、物陰にこそこそと隠れるシャンデラのそばまで駆け寄っていた。はええ。
「なに、なに、どうしたの!? またエギルにいじめられたの!?」
 エーテルと言うらしい、シャンデラの女の子は、セブンが猛接近するなり腰を砕いて(シャンデラでいう腰だとぼくは強く思う)、
「い、いえ、その。こ、こちらに新しい仲間がやってきたとお聞きしましたから、ご、ご挨拶をと……」
 頭の炎が途切れ途切れに燃えている。緊張している反応なのだろうか。
「あーだめだめ。あんなへなちょこなうっかりや、エーテルにはつりあわないから。水かけられるのヤでしょ?」
 うっかりやは否定しないけど、へなちょこはでっかいお世話だ。
「いえ、そういうことではなく、」
「だいじょぶだいじょぶ。エーテルはあたしが守るから。それよりさ、さっき美味しいきのみがなってるところ見つけたの。エーテル好みの、しっぶーいやつ。ほら、こっちこっち!」

 絶句。あっという間にと言うか、あっという前にというか、ともかくぼくは気がつけば置いてけぼりにされていた。背中に突き刺さるヤミカラスの鳴き声にやりきれなくなって、手にしていた小石を川に向かってでたらめに投げた。
 小石だと思っていた。
 大切なホタチだった。


   † ‡ †


 気を取り直すことにした。
 そうしてぼくは、成り行きではあったものの、こっちの世界でしばらく過ごすこととなった。予定通り、修行に明け暮れることに身をまかせ、難しいことは一旦考えないようにした。
「握り方に無駄がある。故に打点もかなりずれている。頸道が得物にまで伝わっていない証拠だ。内息を充実させて、体内に滞らせるな」
「はい。もう一度お願いします」
 元のご主人の計らいあってか、好都合にも、師匠に足れりとする方がいたのだ。そのお師匠様は、ダイケンキの角丸(ツノマル)さん。若輩者のぼくよりずっとずっと年輩の方。みんなのまとめ役。とっても強い。お酒にも強い。よく見ればかっこいい。アシガタナを果敢に振るう姿が勇ましい。貫禄十二分なのに、ご主人にはかなわないところがちょっと面白い。
 疲れない日は一日と無かったけれど、充実はしていた。それは断言できる。

 あの後になって知ったことだけど、エギルというのはゼクロムのことだったらしい。ぼくの世界にも代々言い伝えられる、大きな黒龍だ。それを鼻にかけただけの高慢ちきなやつとセブンは散々毒を吐いていたが、よそ者のぼくからしたらどっちもどっちだと思う。口にしたら命はないので黙っておく。

 前述のとおり、エーテルはシャンデラの女の子。セブンとは対照的な性格だった。儚げなたたずまいで、相手を立てるひかえめさで、すごく恥ずかしがり屋。セブンとは大の仲良し。というより、何かと物怖じするエーテルを、セブンが色々なところへ連れてってやろうと引っ張っているようにも見える。とはいえ、雷と炎、セブンとエーテルがコンビを組んだら、びっくりするくらい相性が良かった。

 誰に訊けばよいものかと迷ったけれど、ぼくはそのエーテルを選んだ。
 慎重に話しかけたつもりだった。
「エーテル、」
「ひゃあ!?、ごめんなさいごめんなさいごめんなさい!」
「ちょ、ちが! ぼ、ぼくだよぼく!」
 エーテルに話しかけるのは、何度やってもやはり勇気がいる。こんなところをセブンに見られたら問答無用で殺されるから、ぼくも気が気でない。頭を抱えて謝り続けるエーテルを、必死でなだめる。
 ようやくぼくを認めたエーテルが、
「――あ、ご、ごめんなさい。てっきり怪獣かと」
 うーん、ぼくって普段からそんなにおっかなげな存在と見られているのだろうか。
 度重なる修行の甲斐あってか、ぼくは見事ダイケンキへと進化することができた。いくらかは威厳がついたってことなのかな。お師匠様との違いと言えば、ひげの長さと肌の色合いくらい。あ、それと剣術の腕前。
「ツルギ? どうか、しましたか?」
「え? あ、そうだった。えっと、セブンのこと、なんだけど」
 エーテルの青い炎が、少々弱まった。
「セブンがまた失礼なことでも?」
 できればそういった関係の話題であってほしい、というような感じの先回りだった。でなければきっと愉快な話でもないのだろうと考えていることが察せる。
「いや、ここへ来たばかりのとき、訊き損ねたままのことがあったんだ。いつか言おうかなと思ってたんだけど、ずるずると引きずり続けちゃって。明日、ぼくは元の世界に帰らなくちゃいけない。なのにあれっきり、セブンの口から出ないってことは、ぼくはまだ仲間って認められていないのかな」
 こういう風に持っていけば、エーテルはフォローせざるを得ないことを、ぼくはもう知っている。
「――大丈夫ですよ、わたしにとっても、セブンにとっても、ツルギは大切な仲間ですから。確かにちょっといきすぎなところもありますが、根は優しいですよ」
 それを聴いて安心した。言質をとったぼくは今から遠慮を忘れ、肉を斬り血を啜るアシガタナのように、鋭く残酷になる。
「じゃあ、教えてほしいんだ。どうしてセブンが『ここ』にいるのかを」


   † ‡ †


 正確な日付と時間は忘れてしまった。いつか出会った川辺。あのときと一緒の青空。
 セブンはそこにいた。水面を見つめているのか、川の向こうを見つめているのか、それは分からない。
「セブン」
「なに」
 気配でばればれだったみたいで、さしたる反応は示さなかった。こっちを見ようともしない。
 そこでぼくはちょっとためらった。次にどう声をかけてやればいいのか、こころも言葉もまったく準備できていない。土壇場であれこれ考えたあげく、揺さぶりのある一言を投げた。

「後悔、してないの?」

 舌を噛み切って死にたくなるような、重苦しい間があった。清涼感溢るる空気は、一気に曇天のそれへと移り変わった。
 その一言で、全てを悟ったようだ。けれど、セブンはまだこちらに顔を向けてはくれない。

 いつになく挑戦的な口調で、
「こっち来てから、体格以外も随分でかくなったわねあんた。誰から訊き出したのよ。まさかエーテルをいじめて無理やり――」
 固唾を飲み込み、ぼくはあえて最低な返事をしてみた。
「――だったとしたら、どうするの?」
「今ここであんたを殺す」
 熱を通さない低い言葉に伴い、赤みがかった体毛がハリーセンのように逆立つ。セブンはそこで初めて、明確な敵意を添えた目を向けてきた。透き通るような瞳に、どこか気弱な光がたたえられていた。
 ぼくとセブンは、そのまま10秒ほど、日の浅い夫婦のように見つめあっていた。
「――紛らわしいこと言ってごめん。いじめてはいない。そんなことしたらきみに倍返しされることくらい、ぼくもよく分かっているから。でも、それでも、知っておきたかったんだ」
 きみのことを。
 だから、きみ自身の口から訊かずにはいられなかったんだ。
 どうしてなのか、どうしても知っておきたかったんだ。

 敵意に対して、ぼくは誠意を持って見つめ返す。
 セブンから先に目を伏せ、また川辺のほうへと移し、逆立った毛を整えた。
「――もう、エーテルってば。甘いんだから」
「――ごめん」ぼくは再度謝り、隣に近寄って座る。
「別にいいわよ。どうせいつか知られることだと思ってたし」

 セブンは、ぼくと一緒だった。ジョウトという、聴いたことのない地方から、ぼくと近い要領ではるばるとやってきたらしい。
 勝手に。
 己だけの意志で。
 両親と、両親のご主人と、仲間たちを置いて。
 一方通行の指向性を持つ転送装置のため、もう元の地方には戻れない。

「知ってる? あっちの地方ってね、仁義の切り方がまた独特なのよ。字とか護(まもり)とか、聴いたことないでしょあんた」

 時々は思い出すのも一興なのか、昔のことを語るセブンはどこか誇らしげで、なんだか幼げで、無邪気だった。
 お母さんとはともかく、お父さんとの仲がいまいち良くない方向へ傾きつつあったらしい。娘さんによくある反抗期なのかもしれない。わがままの言えない環境下だったぼくにはまだよく分からない。

「そのくらいあたしも承知してるわよ。でも、そんな簡単な一言で片づくなら苦労しないって。父さんがあたしを心配してくれることも分かってる。まったりした気だるい環境にうんざりしてたの。父さんも、主も、みんなも、大切な何かを忘れちゃったように同じ毎日を過ごしてて、あたしだけが勝手にいらいらしてた」

 セブンは若い女の子ながら、高みを目指したいという野心的な一面がある。それはぼくもみんなも熟知している。戦いたいとか強くなりたいとか、そういうことじゃなく、言語に尽くしがたい自分の思いを世界に広げたいといった、崇高な手触りがある。

「セブンってのは、父さんがつけてくれたの。この目も父譲り。でも、あたしが父さん絡みで気に入っているのは、その二つだけ。父さんに倣ってサンダースになったことはすっげー後悔してる」
 なるほど、幼少の頃はお父さんっ子だったのかな。
「お父さんの、名前は?」
「裂帛(レッパク)。『神舞(しんぶ)』のレッパク」

 大層な名前だ。この不良娘がそうであるように、お父さんも若い頃は相当やんちゃしていたのだろうか。ニョロゾの子はニョロゾって言うし。そうでないとしたら、何かと手を焼いていたんだろうなあ。こころから同情します。
 母は思った通りブースターで、その主は別人らしい。だからセブンが、レッパクさんたちにとっては正式な七番目の仲間となる。

「エーテルには、こっちへ来た当初、お世話になったの。今もだけどね。右も左も分からずさまよっていたあたしに対して親切にしてくれて、こっちの世界のことを色々と教えてくれて、あたしに足りないものをたくさんくれた。だから、今度はあたしが強くなって、エーテルとみんなを守る番なの。あたしが、あたしたちの名をこっちの世界に知らしめる番なの。それが、今のあたしが望む生き方」

 あたしは、父さんと母さんの子供だから。
 そんな理由だけで褒められることは、絶対、ぜったい、嫌だった。
 父さんは強かった。
 だからあたしも後を追いたかった。
 あたしの本質を、そのままに認めてもらいたかった。
 出来が悪いって思われたくなかった。父さんにも、母さんにも、主にも、みんなにも。
 やれることはなんでもやった。本気でやろうと思えばなんでもできると信じてた。やったもんがちだったから、こうして「やっちゃった」の。
 過程が立派であれ無様であれ、成功は次の一歩に繋がる。あたしは、あたしの強さに自信があった。
 ……ごめん、うそ。
 こころのどこかでは、分かってた。

 やっぱりあたしは、本当に、本当に弱かった。
 弱くて、生意気で、泣き虫で、負けん気で、ずぶとくて、無鉄砲で、いいのは威勢だけで、うまいのは口だけで、得意なのはいんちきだけで、空元気振るまうばかりの、ちっぽけな蓮っ葉サンダース。
 こっちに来て、つくづく、そう思い知らされたの。

 全部、あっちの世界で学ぶべきことだったのかもしれない。
 父さんと母さんに、教えてもらうべきことだったのかもね。
 あたしは、父さんと母さんの子供だから。
 メスでガキで子供だから、こういう無茶なことをしてでも、みんなに振り向いてもらいたかった。


   † ‡ †


 どのくらいの時間、一緒にそうしていただろうか。いつの間にか夕刻が迫ってきていた。夕空に藍がにじみ始め、ぬるい空気が徐々に引き締まってくる。川辺にも夕日の眩しさが強調され始め、ぼくとセブンは視界にいくつもの残像の斑点を作る。

 ふう、と小さな口から可愛らしいため息が漏れた。
「――もう、これでいい? 満足したでしょ? こんなことまで白状したの、あんたが初めてよ。土産話なんかにしたらただじゃおかないからね」
 ぼくの世界、どういった手段でそれを知るというのか。そう言い返したかったけれど、この子なら何をしてでもぼくの軽率さを止めてくるかもしれない。
「うん、ありがとう、気をつける。セブンのことをやっと分かることができて、嬉しいよ」
 正直に言ったつもりだったんだけれど、セブンは不服げに、
「何よそれ。あんたにとって、今までのあたしはなんだったのよ」
「命が惜しいから、口にするのはやめとく」
「大丈夫よ。このこと知った時点で、あんたには一切容赦しなくなるから」
「なんだよそれ。きみにとって、今までの容赦のなさはなんだったんだよ」
 同じ切り替えしをされたのが気に食わないのか、セブンはすんと鼻を一度鳴らした。

 ぼくは半分ほど地面に埋まっていた小石をアシガタナの切っ先でほじくり、川に放り出した。
「さみしくない?」
 安直な問いかけに、セブンは小首をかしげる。そのままゆっくりと頭(こうべ)をめぐらせて、ゲンガーもかくやとばかりの、いやらしい笑みをよこしてきた。
「明日なんでしょ。別にさみしくなんかないって言ったら、むしろあんたがむせび泣くんでしょ。だからさみしがってやるわよ」
 ――?
「明日? むしろ? ぼくが泣くの?」
 二度目の問いかけに、セブンの顔にもはたと疑問が塗り固められる。次の瞬間にはそれは打ち消されて、
「――え。あ、ああ? あーはいはいはいはい、そっちね、父さんたちのことね。っとに紛らわしい」
 なぜかセブンは軽く狼狽し、自分の鼻先をぶしぶしとこすって何かをごまかした。
 えへんと、咳払いをひとつ。
「まだ決められない。向こうの世界が恋しいって気持ちは、今のところは無い、かな。さみしいと思える余裕もないほど、こっちの世界でめいっぱい楽しんでるから」
「そっか。強いなあ」
「嫌味?」
「いや、本音だよ」褒められることに慣れていないのかな。なだめるように笑ってみる。「ぼくはほら、このとおり貧乏根性が身に染み付いちゃってるからさ、こっちに来た当初はやっぱり色々戸惑ったよ」
「ああ、あの座布団の話は傑作だったわ」
 セブンも節操なしにからからと笑う。こうして笑っているところを横から見ると、本当にただのサンダースの女の子としか思えない。

 こっちの生活は、黒が白に清められるほど裕福だった。初日の夕食時、あまりの歓迎っぷりに、主役であるはずのぼくはなんだか申し訳なくなってしまい、布団代わりにしていた我が家のぼろ座布団が急に恋しくなった。縮こまった態度からバレてしまったようで、その旨をうっかり白状してしまうと、こっちのご主人には腹を抱えて笑われた。セブンも失礼なくらい笑い転げていた。きちんとした食事と寝るところがあるだけでも、ぼくからしてみればありがたすぎるくらいの贅沢なのだ。セブンがみんなを守りたいという気持ちは、今のぼくになら分かる。

「向こうは、お父さんとお母さんは、さみしがってると思うよ」
「ふん、思いっきりさみしがればいいのよ。母さんと主にはちょっと悪いことしたかなって思ってるけど、こっちは退屈な毎日から抜け出せて清々してるわ」
「――たまには素直になって、お父さんのことも思い出してあげたら?」
「何よ。あんた父さんの肩持つ気なの?」
「いや、そういうつもりじゃないよ」
 素直になることには否定しないんだ。
 セブンは不満げに口をとがらせて、
「いーわよ無理しなくて。どーせあたしが全部悪かったんですー。今頃は向こうのみんなに嫌われてるに決まってるんですー。たとえ戻っても、『また無茶なことしやがって』とか言われて笑われるんですー」
「ぼくは、そうは思わない」
「あんたその呆れるくらいの妙な自信一体どこから沸いてくんのよ」
「お父さんとお母さんが、自分の子供を嫌うわけがないだろ? どんなことがあっても見捨てられないって知ってたから、こうして自分からこっちに来たんだろ? 向こうのみんなも同じ気持ちだよ。だから、ぼくもきみのことを笑ったりなんかしない」
 喜ぶべきなのか悲しむべきなのかといった、半信半疑な目線。初めて出会ったときのそれと、ひどく似ている。
「――なんで、」そこでセブンは少し踏みとどまった後、「なんで、そこまで断言できるのよ」
 そんなの簡単だよ。
「ぼくも、きみのことが嫌いじゃないから」

 こころあたりは全然無いのだけれど、この世の破滅にも等しい、とんでもないことを言ってしまったらしい。ぼくの台詞の一体どこに反応したのか、セブンは耳の先っぽまでマトマのように真っ赤っかになり、訛りのある罵詈雑言を浴びせ、無慈悲な稲妻を落としまくってきた。心底慌てふためいたのはぼくも一緒で、わけが分からないまま逃げ回り、命からがらその場から退散した。川のほうに逃げなかったのは、迅速で賢明な判断だったと我ながら思う。


   † ‡ †


「おかえりー! うわあ、おっきくなったなあ! いっちょまえに兜なんかかぶってひげなんか生やしちゃって。肌もつやつやになっちゃって。どうせいっぱい可愛がってもらえたんだろうらやましいなあこのこのこの。あ、これが噂に聞くアシガタナってやつ? む、結構重い」
 向こうも向こうでさみしかったらしい。進化したぼくが帰ってくるなり、元の世界のご主人は大げさなくらい喜んでくれた。一回りも二回りも大きくなったぼくの体をあちこち見てべたべたとはしたなく身体検査してくる。あ、ちょ、それ危ないから持たないで。引き抜くのにもコツがいるから、ってああっ、だめだめだめ!

「友達、たくさんできた?」
 うん、とぼくはうなずく。
「別れるの、ちょっぴりさみしかった?」
 その言葉に、帰り際の送迎会で笑いあっていたみんなのことを思い出す。つんとすました態度ながらも最後まで見送ってくれた、あの子のことがとりわけ強く脳裏に浮かぶ。
 うん、とぼくはもう一度うなずいた。
 そっかそっか、よろしい、とご主人は満面の笑みを浮かべてくれる。その笑顔に、再び思い出されたあの子の笑顔が重なった。

 信じられないことに、ぼくが帰ってくるまでの一週間、ご主人はずっとポケモンセンターに滞在し、無料で支給されるライトミールを食っちゃ寝するだけの居候と化していたらしい。無銭飲食の狼藉にも限度がある。相当体が鈍っていることだろう。すぐにお迎えしたかったから、と言っていたけれど、本当のところはどうなのだか。まあでも、ぼくは向こうで快適なぬるま湯に浸かっていたから、こちらのほうがむしろ「いい思い」をしていたとも言える。ぼくは向こうの世界に一ヶ月過ごしていたため、かなりの時間差が生まれている。やるべきこともやりたいこともいっぱいあるから、この一ヶ月で培った力を存分に発揮させたい。ご主人のためにも、これから加わるであろう仲間のためにも。そして、ぼく自身のためにも。

 帰るところがあるっていいなあ、と改めて実感する。


   † ‡ †


 ぼくはそれなりに成長することができた。戦績もそれなりに改善され、生活水準はそれなりに向上した。冒険のペースもそれなりに順調となった。
 あの子にはあの子の歩幅がある。ぼくにもぼくの歩幅がある。何も焦る必要はない。ゆっくり進もう。

 ぼくの名は、ツルギ。どこでも寝られる便利な肉体と、なんでも食べられる鋼鉄の胃袋を持ち合わせている。このアシガタナに誓う。冠する名に恥じぬよう、いつかは水をも斬ってみせる。

 そして、進化したぼくの背中に期待して、ご主人がヒウンの下水場でなみのりを命じるのは、もうちょっと先の物語だ。


  ――


 別サイトでの短編集とはあえて投稿順を変えてみます。
 ラストの一文の意味についてはこちら(そもそもこれが元凶の元凶です) http://pic.yakkun.com/pic/p8852
 タイトル元ネタはわたしの大好きな映画からです。
 8割ノンフィクションです。セブンはHGからホワイトにやってきたサンダース♀であり、ツルギはブラック2のダイケンキ♂です。言ってしまえば、相当の身内ネタでございます。実際、ツルギはホワイトに移ってレベル上げをおこないました。その時の情景を想像しながら仕上げたドキュメンタリーです。別サイトにて「チャンスをくれないか」という長編作品を書いていた最中のスピンオフのつもりで書いていたシロモノですので、個人的な身内ネタがそちらでもちらほらです。詳しくは検索をお願いいたします。
 今でもなおお気に入りのペアなので、Twitterでよく落描きしています。
 
 


  [No.3661] LIFE 投稿者:水雲(もつく)   《URL》   投稿日:2015/03/26(Thu) 23:53:50   82clap [■この記事に拍手する] [Tweet]


   LIFE


 自分だけでやけに盛り上がっている、ルルーからすれば歯牙にもかけない奴が夕べの最後の相手であった。

 一回目のチャイムが鳴る。
 夏真っ盛りで寝苦しい季節になったとはいえ、普段ならそのくらいではまったく起こされないほどに深く眠りこけている。はずだったのだが、やはり眠りが浅かったらしい。今日は目を覚ましてしまった。視界の奥に薄暗い天井をぼんやり呼び戻し、寝返りを打って確認する時刻は昼前。まだ数時間は夢の中でも許されたはず。
 なによもーせっかく寝てたのに。
 久しぶりの休みだし、居留守使って二度寝しよう。そんな怠けた思考へ差し込むかのように、二回目のチャイムが鳴る。
 ああ、こりゃだめな相手だわ。蒸し暑さも覚え始めたので、ルルーは潔く諦め、手短にお引き取り願おうと重い体を起こした。
 薄汚れた鏡で寝起きの顔をチェック。肌身離さず首からかけているネックレスの石が、鈍く光っている。客には到底見せられないほどの面構えに化けてしまっているが、逆に好都合と開き直った。だらしない足取りで玄関に向かう最中に、とうとう三回目のチャイムが鳴る。もう鳴らせまいといったやや雑な動作でドアノブに手をかけた。
「はいはいどちらさんで」
 相手は、子供のムウマだった。
 お互い、数瞬だけ硬直した。
 すう、とルルーの頭から眠気が氷解していく。
「あのっ、ここはルルーさんのおうちで間違いありません、か?」

「おとうさんからは、ルルーさんはサーナイトだと聞いたんですけれど」
 あー、あのバカ兄貴と最後に別れたときからあたしキルリアのままだったっけ。ルルーは苦い表情を背中で隠しつつ、そのバカ兄貴の娘であるらしいムウマのメアナを借家へとあがらせた。捨てられっぱなしとなっているタオルやら化粧瓶やらを大股でまたぎながら、おのれの不精さをしばし哀れむ。
「だらしない生活してるなあ、って思ってない?」
「え!? いや、そんなことは!」
 同意を求めてみたが、案の定、図星だったらしい。ひっくり返したおもちゃ箱の世界に迷い込んだかのように見回しているのが背後でも伝わってくる。シンクロを使うまでもなかった。そして残念ながら、否定する気にもなれなかった。どれもこれもが『公のルルー』の残骸であり、『私のルルー』としての生活の部分はほとんど失われている。床らしい床を無くしてしまった分だけ、あばら屋の無秩序さを一層際立たせていた。歳月を経て壁の奥まで染み込んだものなのか、どれだけの換気を施しても、生々しい空気がよどみ、部屋の隅に自然ととどまって堆積し始める。
「散らかってるけれど、とりあえず適当なところでくつろいで」
 そう口にしつつも、散乱したものを今からでも整理しようという態度がルルーからは一切感じられない。カーテンだけでも開けたのは、自分も光が欲しかったからだ。久しぶりの来客をもてなす気力が湧こうとしない。
 ましてや、駆け落ちして実家から出ていった実兄の娘ならば、なおさらであった。
 とうとう、叔母と呼ばれる頃にもなってしまったのか。
 歳をとるとこれだから。
 両親とぶっつり縁を絶ちきってしまい、兄貴は帰るところをみずから無くしたわけだが、ルルーとは年に数回だけ簡単な連絡を取り合っていた。記憶にないが、独立後のお互いの新しい住所を伝えあったことも、当初そういえばあったかもしれない。向こうは確か6番街だったから、方角を意識してちょっと足を運べば、子供でも比較的容易に来られる距離である。
 しかし。
 よりにもよってこんなちっこい娘だけを突然よこすとは、いったい何事であろうか。
 嫌な予感がする。
 昔から兄貴とは決して折り合いがよくなかったし、独立したら無闇に干渉しあわないことが暗黙の了解だったはずだ。しかし、この現実はそれと明らかに矛盾している。どういう風の吹き回しなのだろう。
 まさかの育児放棄。
 ならば今日から馬車馬のようにこき使って意地悪な継母を演じるのも一興だろうと思ったが、メアナの顔色や体づきを見るに、そう苦労した育ちもしていないはずだ。これなら自分のほうがよほど不摂生な生活をしていると言える。子供時代の仕返しの標的を実の娘へと移したら、漏れなくサイコカッターが飛んでくる。
「ここに来たってことは、何か理由があるんじゃないの」
 さっきまで惰眠の温床にしていたぺたぺたの万年布団にぽっすりと尻を落とし、メアナとしれっと見つめる。ルルーからすればいたって普通の上目遣いのつもりなのだが、どうやら睡眠と化粧が足りない顔つきのせいで、ひどく不機嫌そうに見えるらしい。メアナは少し縮こまった様子で、細々と話を繋げ始めた。
「わたし、今、学校が夏休み中で、宿題をいっぱい出されたんです」
「あー、夏休み。懐かしい響き。明日も休み。明後日も休み。ずっと休み。いいなあ、あたしもそんくらいの頃に戻りたい」
 今が夏本番だということを再認識すると、この部屋の息苦しい熱気と風通しの悪さがなおのこと露わとなった。窓を開けたい気分になったが、いつにも増してお盛んなテッカニンどもがやかましく騒いでいるだろうし、まずはメアナの話を聞き込む。適当な相づちを打って相手の舌を回させるのは、ルルーの商売では欠かせないのスキルでもあった。
「宿題のひとつで、まわりのおとなたちのお仕事を調べてこよう、ってのがあるんです」
 え。
「なんだ。簡単でしょ。ばかあに――お父さんとお母さんから聞けばいいじゃん」
 メアナは深くうつむきになり、
「三つ以上なんです。おとうさんとおかあさんのだけじゃ足りなくって、そうしたらルルーさんのところにも行きなさい、って、」
「ああ、なるほど。ひとつやふたつじゃ、両親のだけ調べてはいおしまい、だもんね」
 最悪最低の取材相手である。
 メアナにとっては。
 これはいつの喧嘩の報復なのか、とルルーは子供時代を振り返る。あれか、あのときか。それとも別のあのときなのか。だとしたらあんにゃろう、まだ根に持ってやがったか。仕返しに自分の子供を使うかふつー。子供相手でこちらが本気になれないことを逆手に取っているとみた。娘は宿題をひとつやっつけることができ、こちらは時間をとられて面倒くさい思いをする。図々しいことこの上ない。昔からあのいやらしい性格は変わっていないようだ。ご健在でなにより、と心中で苦笑をこぼす。
「つってもなー。あたしの仕事、結構特殊でアレだし、宿題に使うにはヤバいかもだし、」
 やめといたほうがいいかもよ――わずかに残る良心でそう告げようとしたところで、ふと口を閉ざす。ルルーは寝床から尻を引っこ抜いて四つん這いとなり、宙に漂うメアナの周囲をぐるりと一周。いたいけな容姿をまんべんなく舐め回すように見て、
「――いや。その格好、年齢。進化には条件がある種族――」
「え?」
 いけてるかも、と思った。
 ルルーの中で、ちょっとした勢力が生まれた。細い手を自分の顎に添え、若干首を傾げ、少しばかりの考えごとを始める。
「ここに来る前、繁華街のほうには行ってみた?」
「いや、なんだかおとながいっぱいで、近づきにくい感じで、まっさきにここへ来ました」
 よしよし。ならば問題ない。ルルーはどこか満足気な表情をして、再びずるずると定位置に戻る。
 バカ兄貴よ、あてつけのつもりなのだろうが、残念ながらあと一歩及ばなかったようだ。あんたには忘れていることがひとつある。それは、自分があんたの妹だということだ。伴侶もいないメスのキルリア一匹がここ7番街でどのようにして糊口をしのいでいるのか、そこまで下調べする余裕はなかったようだ。
 メアナに罪はないが、『ガッコーのシュクダイ』ならば仕方がない。建前があろうとなかろうと、訊かれたのならば答えるのが大人の義務ってもの。
 色香の「い」も知らなそうな子供に社会の一片を知ってもらう、またのない機会なのだ。
 半目で表情を戻そうとしないルルーをよそ目に、メアナは自分の体とさほど変わらない大きさの鞄から手際よく鉛筆とノートを取りだした。あの兄貴からできた娘とは思えないほど、実に勉強熱心だ。
「実は昨日もおじゃましたのですが、どうやら外出中だったみたいで。もしかして、仕事はお外でしてるんですか?」
 そりゃ気の毒なことをした。ほんのりとそう思うのだが、これから出す答えが答えなため、あまり罪悪感を覚えない。
「そこは正解。じゃ、そこから当ててごらん。いきなり答え言ったら勉強にならないだろうから」
 ま、子供のあんたじゃ絶対に当てられないだろうけれど。
「お花屋さん?」
 はずれ。
 当てずっぽうなのだろうが、いきなりきわどいところを突いてきた。ある意味で。
 今度こそメアナは時間をかけて考え、あたりを再度見回し、
「化粧品とか、香水とかを売ったり?」
 はずれ。
 ルルーもミラーボールのごとく自室を睥睨し、
「確かに化粧品はよく使うよ。商品じゃないけれどね。床に落っこちている瓶とかはほとんどそれ関係の香水。ここに入ったとき、甘ったるい匂いしてるなって思わなかった?」
「え、それは――はい。ちょっと思いました」
「正直でよろしい。どうもねー、この仕事やってると嗅覚が鈍っちゃって、いつの間にかこんな空間で普通に生活するようになっちゃったの。まあそれでも片づけしないのはあたしがだらしないせいなんだけど。おうちで『お片づけしなさい』ってよく怒られてる?」
「う、怒られてます」
 なんだ、意外にちゃんとお父さんやってるんだ。こんな魔窟へ連れ込まれてそわそわしてるってことはそういうことなんだろうな。
「じゃあ、ネックレスとか、アクセサリーを売っているお店?」
 はずれ。
「どうしてそう思うの」
「ルルーさんの、そのネックレスが気になって」
 着眼点は悪くない。
「まあまあ惜しいけれど、このネックレスに目をつけたのはいい線いってる。あたしの仕事には絶対必要なものだし。この石、学校で教えられたことない?」
 ルルーは灰色の丸い石がはめ込まれたネックレスをつまみ、メアナの眼前まで近づけてみせる。メアナは何も答えられないのか、首をふるふるとするだけだった。
「お薬屋さん――では、ないですよね」
 はずれ。
「じゃないとしたら、どこか病気とか、ケガとかしてるんですか? さっきも歩き方がちょっと変でしたし」
 な。
 小机の上に放り捨てていた藥袋にまで目をつけられていた。この小娘、片っぱしから思いついたことを挙げているにせよ、本当にきわどいところへ斬り込んでくる。
「ああうん、大丈夫。昨日の夜はしんどくてね、肩こりとかが残ってるのかも。だから今まで寝てたわけ。帰ってきたの、夜中の3時だもん」
「えっ、そんなに遅くまで働いているんですか!?」
 まるで五色にも切り替われる交通信号機を発見したかのような驚きぶりである。大人にも門限があるとでも思ったのだろうか。
 うん、とルルーはカレンダーに目をやって、日付と曜日、手書きの番号を確認する。
「もちろん夜遅い分、働き始める時間も遅いから、午前中はゆっくりできるよ。朝寝坊する心配もあまりなし。わかりやすく例えるなら、お昼に登校して、やっと一時間目が始まる感じ。で、昨日は仕事、今日は休み。だから実際の仕事風景を見せられるのは明日かな」
 へええっ、とメアナは他愛もなく感心した。
「平日でも休みってあるんですか」
 いいなあ、と顔に書かれてあった。
 無邪気そのもののメアナは段々と調子づいてきたのか、立て続けに質問を飛ばしてくる。それに合わせて、ルルーも饒舌気味となっていく。両手を後ろに回して背中を支え、天井の木目を目でなぞる。
「そ。だって考えてみてよ。今日は日曜日だからお仕事しませーん、ってやつばっかりだったら、いざ買い物行ったときとかだーれもいなくて困るでしょ?」
「あ、そっか」
「だからあたしみたいに、休日とかにも働いて、代わりばんこで休むっていうパターンもあるわけ。わかった?」
「はい、わかりましたあっ!」
 将来は探偵か、はたまた記者か。鉛筆を走らせる速度が上がる。
 知らないことを知って嬉しくなれるとは、まったく単純な思考回路である。
 それが、ルルーにはちょっとだけうらやましい。
 自分にも、そうして純粋に生きられる時分があったかもしれない。なかったかもしれない。
 もう、昔のことだ。
「そこのカレンダーに、番号が書かれてあるでしょ。あれ、あたしの仕事が始まる時間を簡単に表示してるの。明日だと遅番だから、夜からね。あ、そういえばどうするの、泊まってくの? それともいったん帰るの?」
「せっかくだから泊まって行きなさい、って言われました」
 やっぱりか。
 ルルーは後頭部をかき、
「ま、いいや。来ちゃったもんはしょうがないし。だけど、メアナ」ルルーはいったん口をつぐむと、上半身をゆらりと前方へ傾け、両手を床につき、今度は本気でキスしにかかるような距離にまで、メアナに顔を迫らせた。その表情には先程までのやさぐれ女の態度は消え去っている。「ふたつだけ、約束して」
「はい、なんですか?」
「これから教えるあたしの仕事のことを、あんたが宿題にするしないはもちろん自由。まあ貴重な夏休みを潰してせっかく寝泊りに来るぐらいだから、したほうが時間の無駄にならないかもしれない。でも、なんにせよ、世の中にはかっこいい仕事ばかりじゃない、こういう商売もしている大人もいるんだってことを忘れないでほしいの。これがひとつ目。
 で、悪いけれど勝手に7番街へ遊びに行くことは絶対だめ。どうしても外に出たいときはあたしと同伴で。どうせ明日の夜には一緒に職場に行くんだし、今日一日は我慢して。これがふたつ目。
 わかった?」
 少々凄みをつけすぎてしまったかもしれない。メアナはルルーの気迫に押されたのか、それとも言葉の意味を理解しきれなかったのか、とりあえずといった返事をした。
「はい、わかりました」
 よし。
 これで一応の作戦の段取りは組めた。
 緊張をほぐすつもりで、ルルーはメアナの頭をぽんぽんと軽く叩く。
「ん、じゃあもうお昼だし、ご飯にしよっか。簡単なものなら作れるから、レポート書いてちょっと待ってて」
 メアナを部屋に残すと、申し訳程度に設置された台所で立ち尽くし、ルルーは物思いにふける。思考状態が偏るあまり、危うく食いかけのポフィンを皿に乗せようとして、踏みとどまる。兄貴が好きなものならメアナも喜ぶだろうと思ったが、そういえば兄貴の好きな食べ物を何ひとつと憶えていなかった。
 ――あたしももうちょっとまともな生活してたら、あんな子供に恵まれたのかな。
 考えごとにはまりすぎて、自動的に手を動かしていると、自分がよく口にする、本当に簡単なものばかりがいつの間にか出来上がってしまった。それでもメアナはよその家での食事が珍しいのか、普通においしいおいしいと消費してくれたので、ものの10分で昼食は終わった。ルルーはオレンジャムをつけたクラッカー2枚をぼりぼりとむさぼるに済んだ。
 腹を軽く埋めると、再び睡魔が働き始めた。えふぇあ、と顎の外れそうなあくびを吐き出し、ルルーは寝床に潜り込む。
「さて、夢の続きでも見よ」
「ええっ、また寝るんですか!?」
 甲高い声が耳に刺さり、腰を抜かしたとばかりの驚きが感情を突く。みんながみんな、機械のように毎日同じ時間で規則正しく生きているとでも思っているのだろうか。学校という決まり事だらけの庭に入れられたらそう考えるのも致し方ないとも思うが、世間はそこまで狭くない。
「そーよ、悪い? 大人ってのはね、毎日仕事でくたくたなの。あんたのお父さんもお母さんも、疲れている中であんたの未来に投資したくて必死で労力費やして育てているの」
「むずかしい言葉、わかんないです」
 ああもう。
「悪いけれどここは遊び場もあんたに扱えそうな玩具もないよ。やることなくなったのなら、明日に備えて寝ときなよ。お互い、いろんな意味で疲れると思うから」
「今寝ると、夜寝られなくなっちゃいます」
 子供かあんたは。
「って子供だったっけ。とにかく、あたしの活躍の場は明日。今日はゆっくり休みたいから。じゃーね、お休み。さっきも言ったけど、勝手に外へ行ったらあたし本気で怒るからね」
 じらすなりなんなりで、ぎりぎりまでメアナの好奇心を高めておかなければ、最大限のインパクトを逃してしまう。それ故の判断だ。

 明日になった。
 家を出て約10分。繁華街の大通りに入ると、四つ目の角で右折。狭い路地を渡り、はす向かいの左側。目印はネオンライトのきつい看板。
 ルルーの働く店は、そこにある。
 約束通り、翌日の夜にメアナをそこへ連れてきた。
 予想通り、店は店員たちの黄色い歓声で華やいだ。
「えええ、リアン、どうしたのこの子、かわいー!」「え、あの、」「あたしの姪っ子」「あの散々悪口言ってたお兄さんの?」「らしいよ」「らしいよって、かわいそー! よそ事みたい! こんな小さい子こんなところ連れてきて! よしよし、リアンにひどいことされなかった?」「黙って聞いてればなにさ、あたしがひどい事言われてるんだけど」「うん、素質あるよこの子なら。進化もしてないし、有望株かもね」「それは兄貴の教育次第、かな」「でもいきなりどうしたの」「ガッコーのシュクダイでシャカイベンキョーしなさい、だって」「だからってここはまずくない? あ、可愛いから私は全然構わないけど!」「あーあ、わたしもこんな子供欲しかったなあ、今からでも辞めて適当な客引っ掛けて飛ぼうかな」「それ本末転倒じゃん」「きゃく? とぶ?」「あーあとでわかるあとでわかる」
 挙げていけばキリがない。大体このような世間話が15分はぶっ続いた。
 大きく艶やかな外見に見合わず、店内はむしろシックな感じに仕上がってある。音響装置からはいつの時代かに流行ったジャズが延々と流れ続け、受付嬢は来客者たちに愛想を振りまき、財布の紐を眈々と狙っている。
 しかし、それはあくまでも店の表の顔。個室を抜け廊下を抜け、共同の大きなスタッフルームにまで来ると、この店の裏側が実態を表す。ミックスジュースとばかりにまぜこぜとなった香水の匂いが天井まで埋め尽くされ、化粧台が部屋の端にまで列をなし、花畑と鏡の世界を足して円周率でもかけたような光景である。店員はそこで肩を並べ、自分の顔が変わり果てていく様をじっと睨みつける。いくら体を洗っても落ちそうにないこの匂いがとうとう自宅にまで及んだため、帰宅しても家に帰ってきたという感覚をルルーはとうに失っていた。
 メアナには、ここが何なのかいまだわからないだろう。ルルーが自宅を店の一部と思うのと同じで、メアナはここをルルーの自宅の一部だと思っているかもしれない。
 きゃいきゃいと囲まれ、少しのぼせただろうといったところで、ルルーはみんなからメアナを取り上げ、並んでソファーに座った。外野はぶーたれつつも準備を始め、ルルーはその中でせわしなく動いている一匹を指さし、
「あのミミロップがこのハコ――お店の店長さん」
「綺麗な方ですね」
 オスなんだけどね、とは言わないでおいた。それもそのはず、軒を連ねる店の中でもここはかなり特異な部類で、顧客の要望に沿ったサービスを展開している。つまり、オスもメスもその中間もそれら以外もまんべんなく取り揃えているそーとーえげつない店であり、しかしその柔軟さが人気を呼んだ、7番街ではそれなりの定番スポットなのだ。
 そして、状況を読み込めていないメアナの表情を察するに、こちらもこちらでそーとー筋金入りの箱入りとして育ってきたようだ。
 そうこなくてはならない。
「そんじゃ、あたしも準備してくるから、みんな、あとはよろしくね。マジでなんにも知らないみたいだし、好きなだけ可愛がってていいよ」
 もっちろーん、と綺麗に声を揃えて、メアナを除く全員がルルーを見送った。ルルーもルルーで、邪悪な笑顔で場を離れた。
「え、あ、ルルーさん? わたし、置き去りですか? 何をすればいいんですか?」
 ルルーは足を止め、一度だけ振り返る。
「決まってるじゃない、勉強よ。まさかピクニックに来たわけじゃないんでしょ。あたしの代わりにそこのお姉さんたちが相手してくれるから、話たっくさん聞きなよ。そしたら、嫌でもわかるから」
 トドメの一言、
「ここがどういうところか」

 訊く側だったはずが、何故か逆に訊かれる側となっていた。
 メアナになおも興味津々で寄ってくるのは、ポッタイシであるポルカ、ジャノビーであるリィファ、ジヘッドであるチオンの3匹だった。もしもここにいる全員がオスだったのならば、メアナもいくらか怯えただろうが、その仮定に反してメスだったために、緊張こそするものの嫌という気はしなかった。ルルーと違って愛想がよく、また器量も良く、なるほど、質問に答えてくれそうな感じだ。
「リアン、何もこんなところで放置することないのにね」
 ポルカのつぶやきに、リィファが繋げる。
「花形だもん、指名多くて大変だろうし」
 はながた?
「その、ルルーさん、どうして『リアン』って呼ばれてるんですか?」
 あっ、とポルカは右ヒレをパタパタさせる。
「リアンは源氏名、ルルーは本名。あたしもポルカって名乗ってるけれど、本名じゃないわよ」
 げんじな?
 チオン――左右の頭ともが、交互にメアナに説明を付け加える。
「実は7番街ってね、」
「ちょっとした花街としての顔も持ち合わせているの」
 はなまち?
「聞いたことない?」
「郭とか、遊女とか」
 くるわ?
 ゆうじょ?
「わあ、本当に予備知識も何も無しの状態じゃない。リアンってばもう」
 哀れみの台詞とは裏腹に、ポルカは何故か笑い出しそうになっている。
「簡単に言えばね、」
 リィファにいきなり寄りかかられて、そっと息を吹き付けられるように耳元で告げられた。
「オスのお客さんといやらしいことをしちゃうお店」
 瞬間湯沸かし器のように、メアナの思考がいっぺんに高熱を帯びて蒸発した。
「いっ、いやらしいこと、って」
「あ、その意味はわかってるんだあ」
 発火を確信したポルカの言葉に、とうとうチオンが笑いだした。頭がふたつあるから、笑い声も倍である。その意味を察したらしい外野も、鏡に映る自分の顔から目を離し、どこかニマニマとしたいやらしい目線をくれてきた。それをヤジだと察した当のメアナも気が気でなくなり、
「で、でもそれって! おおおオスとメスが、ってことですよね! そういうのは、ななななにもこんなところじゃなくても」
 メアナのどぎまぎ具合に腹を抱えつつも、リィファはわざとらしく頭を縦に刻んで、
「うんうん、わかるわかる。言いたいことすごくわかる。でもしょうがないのよ、みんな生き物なんだから、鬱憤の他にも色々溜まっちゃうの。独り身で寂しい思いをしているポケモンはどこにでもたくさんいるし、自分たちだけ気持ちを晴らすんじゃあどうしても、ね」
「でも、でも!」
「メアナちゃん、ここへ来る前に、」
「他に並んでいるお店とか、見てみた?」
「えっ!? あ、それは、えっと、」
 ぐちゃぐちゃになった思考を必死で組み立て直し、メアナは数十分前までの自分の足取りを再びたどってみた。決して遠くはない道のりの中、何気なく目に留めた物件たちを思いつくままに出していく。
「まだ工事してるところとか、ごはんを食べる屋台とか、」
「そうそう。ここらへんってね、まだまだ開発途上の街で、完成されきってないの。もちろん工事現場だから、力のあるオスたちが筆頭になって働くんだけれど、そいつらを狙った街並みとなってるわけ。毎晩遅くまで働いているポケモンたちはみんなおなかペコペコ、じゃあごはん食べるところが欲しくなってくるよね。ということで食べ物屋さん。まだ足りないってポケモンのために次に用意するのは、お酒を浴びせるくらい飲ませる飲み屋さん。胃をふくらませて、アルコールに神経を浸からせて、最後にどうするか?」
「そこで、息子のお世話。家に着くころには、今日一日働いた分の日当なんてビタ一文と残さないくらい吸い上げるように計算されて、ここらへんはハコを構えているのよ。私らみたいな街娼は、そこを活計の場としているの」
 大人の狡猾さと弱さを直で拝まされた気分だった。なんてことはない、ここは子供をどこまでも子供扱いするところなのだ。無知さを笑い飛ばされる言われもそこにある。完全に一杯食わされた気分となったメアナの中、黒々としたものがしこりとなって渦を巻く。口喧嘩で負けたときのように悔しくて、怒りの涙すら覚える。口に出したいことはいっぱいあるのに、思考は空転し、喉あたりでつっかえ、何も言えなくなる。それに、この感情を誰にぶつければいいのかもわからない。
「おー、やってるやってる。お待たせー」
 ぶつける相手が見つかった。
 ルルーさんッ! ――メアナは飛び跳ねるように体を浮かせ、そう怒鳴ろうとした。
 が、その言葉はやはり驚きと共に口の奥へと呑み込まれた。
 ルルーの風体は、さっきよりも数段と華麗なものへと変化していた。陶器のような輪郭をよりなめらかに際立たせているファンデーション。細い腕に見合った小さな腕輪がいくつか。気持ち程度の花飾り。そして、出会った時から変わらぬネックレス。見にまとう装飾具こそ他の店員より少ないものの、その質素さがかえってキルリアとしてのシルエットを目立たせており、昨日と同じキルリアとは似ても似つかなかった。
 そして、初めて会った時よりも香水の匂いが強めになっていた。
 そこにいるのは、『ルルー』ではなく、『リアン』だ。
 リアンはお決まりらしいしなを作り、
「これがあたしの普段の仕事スタイル。どう?」
「――綺麗、です――」
 思わず口からこぼれてしまったが、次の瞬間にはメアナは目を覚まし、激昂の熱に身を焼かれて叫んだ。
「こっ、こんな仕事! 恥ずかしいと思わないんですか! 自分の体が大切じゃないんですか!」
「あ、やっぱり怒った?」
 少しも悪びれる様子のないリアンに、メアナの激情はますますあおられていく。
「怒ります! ひどいです、こんなところに連れてくるなんて! どうして前もって言ってくれなかったんですか!」
「だって、百聞は一見にしかずって言うじゃない。口だけで説明してもピンとこないだろうし、それならいっそのこと直接出向いたほうが強く印象に残るでしょ」
「残りすぎです! こういうのって絶対だめだとわたし思いますッ!!」
 それは、ここにいる全員路頭に迷っちまえ、と告げているようなものだということに、メアナはついに気づかない。何名かはその言葉に手を止め、息を殺し、リアンがどう反論するのかを耳で待機している。
「だめって言われてもなー、需要あるし人気商品だし。商売なんて何でも形にして作ったもん勝ちだとあたし思う。一応もぐりじゃないし、ケツ持ちとかみかじめとかややこしい束縛もないし、ここはまだまともなほうよ」
 リアンはふいとそっぽを向き、小馬鹿にするようにため息をつき、
「だから言ったでしょ。世の中ね、かっこいい仕事ばかりじゃないの」
 続けて何か言うつもりだったのか、リアンが一歩だけ歩み寄ってきたので、メアナは反射的にしりぞく。出会ったときの姿がものの数分でこうも早変わりできるというのならば逆もまた真なりのはずで、『リアンが仕事を一晩終えるとルルーに戻る』と思うと、その落ちぶれよう、仕事の過酷さがメアナには恐ろしくてかなわなかった。
 視線同士がぶつかりあう痛々しい沈黙の中、空気を読んでか読まずにか、BGMがふと途切れ、特定のメロディが間を縫い繕った。リアンが天井を見上げたのにつられて、メアナも思わず目線の先を追った。
「あたし専用のチャイムだ。さっそく一発目かー、行ってくるね」

 悪いことをした、とはまだ思っていない。今後も思う気はない。
 白い紙に墨汁をぼったりと落としてやった、程度にしか考えていない。
 しばらくこの業界を経験してきたからこそ言えることで、ルルーは商売だと割りきっている。特にルルーの場合、シンクロの特性を持つ分、相手とのやりとりも実に細かな心理を要求される。見境なく興奮したオスと波長を上手く合わせた分だけ向こうは喜び、少なくとも機嫌を損ねられることはない。反面、憂鬱な気持ちを顔の奥に隠してしまっても、体が白状する。血の通った人形となりきるためのスイッチのようなものを、いつの間にやらルルーは自身の中で作っていた。何かを引きずって仕事に臨むくらいなら、それなりにでも律儀にやったほうが、体はともかく気持ちが楽だと気づいてしまったのだ。
 メアナのことはいったん頭から閉め出すこととした。指定された個室に向かったが、いかにもといった照明が壁や床を踊っているだけで、誰もいない。あれおかしいなと思いつつ、廊下へ戻ってきょろきょろとしていると、入り口の方から客とおぼしき者の声が飛んできた。
「リアンちゃあーん! どこだよおー! 昨日休みだったなんてぼく聞いてないぞーお! さびしかったぞおー!」
 つい最近、聞いたことのある声だ。しかもかなりできあがっているのがこの距離からでもわかる。
「先輩、いい加減帰らせてくださいってば! 俺、一応身を固めているんですから!」
 それに、久しぶりに聞く声が後に続き、ルルーは若干背筋をこわばらせた。わき目もふらずに廊下を駆け、入り口にまで戻り、受付にて撃沈寸前のポケモンとそれを支えているポケモンを見かけ、その正体に腰が砕けそうになった。
 エルレイドと、昨日の最後の客であるスリーパーなのだが、
「兄貴!?」
 ここでもし相手を肉親と認めなかったら、向こうもこちらのことをそう思わなかったかもしれない。
 もう遅かった。
「――ルルー!?」

 この日も書き入れ時となったらしい。その慌ただしさに俗世の底を見せられた気がした。一匹、また一匹と『仕事』に呼ばれてしまい、大勢いたはずの共同のスタッフルームにはメアナと店長であるらしいミミロップだけが残された。
「ごめんなさいね、さっきはみんなが意地悪しちゃって。でも、リアンにも悪気があったわけじゃないと思うの。――いや、本当は少しあったかもしれないけれど」
 店長は気を落ち着かせるためと思ってくれたのか、小さなコップに水を注いで持ってきてくれた。体を火照らせ、騒ぎ立て、喉の奥はひりついているというのに、どうしても口に付ける気分になれなかった。
「メアナちゃん、知らなかったの? リアンがここで働いているって」
「――ルルーさんとは、昨日初めて会ったばっかりで」
「やっぱり、7番街の生まれじゃなかったのね。どこから来たの?」
「6番街です」
「そうよね、そっち方面の子が普通こんなところ、来ないもんね。あっちの暮らしのほうがよっぽど快適って聞くから、6番街で一生を過ごすってポケモンもたくさんいるし」
「リアンなりに、社会の形を教えたかったんだと思うの」
 確かにいいパンチだった。どういう生活をしているのか教えてほしいと食い下がったのはあくまでも自分自身だ。ルルーはそれに答えただけに過ぎない。よそ者である自分に怒られる筋合いなんて、どこにも無かったはずだ。
「わたし、何も知りませんでした。ばかでした。こういうの、『せけんしらず』って言うんでしたっけ」
 弱々しく自虐に走ると、店長は透き通るような声で笑い始めた。
「考えすぎ考えすぎ。メアナちゃんは全然悪くないんだし、そこまで気に病むことはないわよ。友達よりちょっとだけ先に、こういう部分を知ることができた――それだけのこと。ポジティブにいきましょ?」
 そうは言っても、このぐるぐるとした気持ちを整理する手段が、メアナにはわからない。ルルーに迷惑をかけていないかと昨日はさんざんこころを砕いていたというのに、いざ真実を目の当たりにし、勝手な思い上がりで義憤したらすべて台無しである。
 今となっては、ルルーよりも、無学だった昨日までの自分を責めたい気分となり、半ベソ状態だった。
「じゃ、ちょっと話題を変えましょうか。謀られたにしても、ここへ来たのも何かの縁かもしれないし。メアナちゃん、ここで働くポケモンたちを見て、何か気づかなかった?」
 店長は、ルルーやポルカたちとはまた違う、母性のあるおおらかな雰囲気を醸し出している。誰にでもいいからすがりたい気持ちだったし、話し込めばいくらか気が紛れるかもしれない。そう考え、先刻自分を取り囲んでいたポケモンたちの面々を思い出してみる。
「そういえば、進化していない方が多いような」
 正解、とミミロップはにこりと笑う。
「みんながってわけじゃないんだけれど、大体のポケモンが『かわらずのいし』を身につけて仕事しているの。ルルーもネックレスにしてたでしょ」
 かわらずのいし。見たことは無かったが、授業で聞いたことならあった。あれが、そうだったのか。
「何か理由があるのですか?」
「ライフスタイルが幅広に多様化された影響か、需要にもマニアックなものが徐々に現れてきちゃって。進化前の子がイイ!、なんて言い出すお客さんが増えてきたの。肉体にも多少の贅沢が必要とされるようになったみたい。だからここもそのニーズに合わせて、進化前のポケモンたちも募ることにしたわけ。リアンもその一匹。あの子、普段からあんなそっけない振る舞いなんだけれど、まだ若いし、仕事は上手だから、そのギャップが大受け。あの子を指名するリピーターさんも多いわ。要するに、様々なフェチが出てきたってこと。以前と比べたら、進化前、進化後っていう枠組みの他にも、種族をあまり考慮しなくなったお客さんも最近増えてきたわ。まあ、あんまり体格差がありすぎると残念ながらお断りするんだけれどね」
 よくわからない。
「うーん、メアナちゃん、ムウマってことはお母さんもムウマかムウマージよね。お父さんは? お父さんもムウマージとか?」
「いえ、エルレイドです」
 そっか、リアンが叔母だもんね、じゃあちょうどよかった。そう店長はつぶやく。
「まだ考えるのが難しい年頃かもしれないけれど、愛の形にも色々あるの。その点、メアナちゃんはとってもしあわせものよ。子供を作れる種族同士が愛を育んでできた、ご両親の宝物だもの。世の中には、好きな相手がいるのに、種族グループが違うせいで一緒に過ごせない、子宝なんて夢のまた夢――なんて考えているポケモンが大勢いるの。努力してアプローチすれば、共に家庭を作れるかもしれないけれど、子孫は残せない。世代は自分たちで終わり」
 もしかしたら、と店長は頬杖をつき、眼と口を線にして色っぽくほほえむ。
「そういった叶わぬ愛への傷心を少しでも慰めたくて、こういうところに来るお客さんもいるかもしれないわね」

 店長のデザインセンスなのか、それとも風水による安産祈願のご利益でもあるのか、お手洗いにまでアロマキャンドルと招福画が数点飾られ、面妖なムードを綾なしている。
 有無を介さず、バカ兄貴のルドをメス用のそこにまで荒々しく引きずり込み、個室でかみなりパンチを三発見舞った。遊女だろうと夜道の暴漢は一切お断り。子供時代を彩る兄妹喧嘩で鍛えていた鉄拳は、今でも遺憾なく発揮される。野郎の金的に狙いを定め、体格差を無視して一撃で落とす護身術にまで昇華させていた。痣になるから顔はやめてくれと意気地のない声で懇願してきたので、かすかに残る慈悲と共にボディへと拳を沈めた。
「で、あんた7番街で働いてたの」
 いてて、と痺れの残る顔つきでルドは聞いてもいない必死の弁明を開始した。
「し、仕事帰りに先輩に無理やり誘われて。しかもベロベロに酔ってやがるから呂律も回らなくて、どこに行くかも全然説明してくれなくて、い、言っとくけど初めてだよこういう所は!」
 実に見苦しいので、目にも止まらぬ速さでもう二発追い打ちをかました。
「嫁さんとメアナに申し訳ないって気持ちはないの」
「あるよ! つうかまだ未遂だろ! お、お前こそなんでこんなところで働いてるんだよ! 進化もまだだし、聞いてねえぞ! 一瞬誰かと思ったわ!」
「そりゃ言ってないもの。父さんにも母さんにも、もちろん兄貴にも」
「お、お前なあ! おやじとおふくろが聞いたら泡吹いて卒倒するぞ!」
「そっくりそのまま返すっつうの!」更にドぎついのを一発。「あたしんとこへてめえのガキよこす前に、まず父さんと母さんのところへ土下座しに行くのが多少の筋ってもんでしょうが!」
 計六発はさすがにこたえるのか、口答えの元気を無くしたルドは、脂汗をびっしりと浮かばせながら身をよじらせ、
「……な、なあ……メアナは、もしかして……」
「もちろん連れてきたよ。兄貴の提言どおり」

 店長はコップ半分程度に注がれた飴色の液体をちょっとすする。周囲を塗りつぶす香水の匂いのせいで、それがお酒だとはメアナは気づかない。もう少しここにいれば、香水ではなく自分から発せられるものにまでなりそうだ。
「別に難しいことたくさんまくしたてて、この業界を正当化しているつもりじゃないんだけれどね。学校の宿題、だったかしら?」
 メアナはうなずく。
「多分、大人の世界を一部でも子供たちに知ってもらいたい、という教育の一環なんだろうけれど、それでもここは強烈すぎたわね。働くことの大変さと大切さを知った上で、じゃあ自分は将来どうなりたいか? 自分の夢に向かって尽力できるか? それを、先生は問いかけているんだと思う」
 熱が冷め、完全にしぼんだメアナを、店長は優しく抱きしめてくれた。その柔らかさといい香りにまどろみ、メアナは少し惚ける。
「でもね、メアナちゃん。覚えていてほしいことがあるの。将来こうしたいとか、ああなりたいとか、そんな叶えたい夢を持つことはとっても素敵なことだと思う。けれど、叶えきれずに途中でリタイアしたり、何らかの理由で進む道を変えたりする子だっている。だって、未来でどんな運命が待ち受けているかなんて、誰だってわからないから。要は駆け引きね。努力に見合ったところへたどり着いて足元を固めるか、更なる高みを望むのか、ちょっとズルをして近道するか」
 宿題なんて、やっても仕方のないものだと思っていた。させられている立場だから、そう感じるのかもしれない。すべては将来の自分に繋がるのだろうか、とメアナは自問を始める。
「ここにいるみんなも、やっぱり何かと事情あるのよ」
「事情、って?」
 あまり大きな声では言えないんだけれど、と店長は言葉を濁す。
「悪いオスに騙されて借金苦になったり、とか。恋愛に興味をなくしたり、とか。単に周囲が悲しまないから、とか」
 ひどい。あんまりだ。それではまるで、自分のことなど毎日を繋ぐための単なる媒体で、ただ生きさえすれば他のことはどうでもいいようにとらえられるではないか。
「誤解しないで。むしろ夢を叶えたいからって理由でここで働く子も大勢いるのよ」
「うそ!?」
「ほんと。大変な分、お金もたくさん稼げるから。割りに合わないと思うかもしれないし、実際背負うリスクも大きいわ。それでも、どうしても、ってことで、様々な子が訪れるの。もちろん、うちとしては店員みんなが家族みたいなものだって思ってる。夢があるなら応援したいし、反面、できることならとどまってほしい。そういう複雑な心境をいつも抱えながら、たくさんの子たちを見送って来たわ」
 そう語りながら遠くを見つめる店長の口調は、まるでたくさんの卒園生を送り出してきた保母のそれだ。
「ポケモンの繁殖力は昔から旺盛だったけど、確かにまっとうな仕事ではないわよね。オスとメスの交わりに厄払いの力があるだなんて風習はとっくに廃れちゃったし、ここ最近では特にデリケートな問題になりつつあるわ。メアナちゃんが嫌だと思うのならうちらに気遣うことなくそう思ってていい。そういう子は、なるべくこういうところに来ちゃダメよ。すぐに潰れちゃうから」
「ルルーさんは、どうしてここで働いているでしょう」
「どうかしら。基本的に、みんなの事情をうちから詮索するようなことはしないから」
「え、でもさっき」
「ええ。リアンみたいに自分からは何も言わないって子もいれば、むしろ聞いて欲しい、とりあえず話をしてすっきりしたいって子もいるの。そんな子はやっぱり寂しがり屋で、自分と接してくれる相手が欲しいのよ」
 もしかしたら、と再度店長はふと思いついた考えを最後に付け足す。
「リアンに限っては、本当に、何もなかったりするかもしれないわね」

 数年ぶりに顔を合わせられ、前から言いたかった憎まれ口もここぞとばかりに叩き切ったためか、お互いにすっかり毒気を抜かれてしまった。それこそ事を済ませてしまったかのようにやつれた顔つきで、リアン専用の控え室へとこそこそと入った。ルドは遠慮もなしにリアン用の小さい椅子へどっかり座り込み、後頭部を背もたれに預け、体の中の空気を全て吐き出すようなため息をついた。
「すまん、なんとか落ち着いた。なんの連絡も無しに、いきなりメアナをよこして悪かったな」
 ルルーもむっすりと腕を組み、ルドと対峙する。
「いーわよ、正直あたしもかなりテンパってたし。体、まだ痺れてる?」
 多分、とルドは右肩を軽く回してみせる。
「しかし驚いた。不肖の妹がこんなところで飯食ってるなんて」
「あたしだってびっくらこいたわよ。その不肖の妹が働くこんなところに客として来るんだもん」
「いや、だからな、断ろうにも後が怖いじゃねえか。あの先輩、スケにもサケにも弱いセクハラ上司のくせして職場じゃいつもでかい顔してるんだぜ。あの時点で完全にできあがってたから、これ幸いと先輩だけ放りこんでとっとと家に帰るつもりだったんだよ」
「帰る前にあたしの家へ寄ろう、とは思わなかったの?」
「――思ったよ、少しだけ」ルドはうつむき、「でも、なんか気まずいじゃねえか。あんな形で俺は家を飛び出しちまって、お前とはそれっきり会わなかったってのに、おめおめと顔を出したらよ」
「じゃあ訊くけどさ、どういう風に来てたら気まずくなかったって言うのよ。今が最悪のパターンでしょ」
 ルドはうつむいたまま、黙りこくっている。それがわからないから、現に今まで会いに来なかったのだろう。ルルーもいたたまれなくなって、腕を後腰へ組み直し、下を向きながら右足で床をなぞり始めた。
「なんなのよ、もう。あたしも兄貴も、ガキの頃のまんまじゃない。くだらない意地を張りあってさ、とっくに相手のことなんかどうでもよくなったってのに、出方を伺ってずるずるとひきずって、おまけにあんな小さな子まで巻き込んで。なんていうか、色々と情けなくなってくる」
 ふ、とルドの鼻から息が漏れる。ルルーよりもむしろ自分をあざけるためだろう。
「だな、俺もそう思う。俺もお前もとっくに大人になっちまったんだ。今更お前の生き方にああだこうだと水をさすつもりはねえよ。俺もおやじやおふくろには迷惑かけたけれど、こうして良かったって思ってる。仕事先の気にいらねえ奴らにへこへこ愛想笑いしながらもなんとか今日まで食いつないでいるんだし、家で待ってくれる家族がいるんだってことを考えれば、なんだって出来る気がするよ」
 ――そっか。
 理屈ではなく了解した。
 自分は、果たしてどうだろう。
 今、しあわせなんだろうか。
 考えることをやめたのは、いつからだったか。
 ずっと同じ釜の飯を食ってきたから性格も似てくるのだろうと、無意識にせよ思い込んでいた。友達にしたくない品性だろうとルルーは自分でも思うし、だからこそ同じ育ち方をしてきたルドのことを疎ましいと感じていた。
 しかし。
 妹にとって兄とは、常に一歩先を生きている先輩だから、兄なのだ。
 この関係と規律は、絶対に覆せない。
 遅かれ早かれ、いつかは差が生まれる。
 今にして思えば、その瞬間が訪れることが、面白くなかったのかもしれない。
 なんてことはない、自分もまだまだ子供であった。
 ならば、後ろに立つ者として、背中を押してやろう。
 そう思った。
「そーね、ちょっとズレてるけど、兄貴にしてみれば上出来の子じゃない。実際ウブいし、素人っぽそうなところが大受けしそうだから、将来楽しみ。食うのに困ったら、ここへ連れてきてもいいよ」
 今も昔も変わらない簡単な挑発に、相変わらずもルドはあっさりと乗っかった。ソファーの弾性力を最大限に生かした跳ね上がり方をして、ルルーに食いかかった。
「ふざけんな! 誰が連れてくるか! メアナにはな、そんな苦労かけさせねえぞ! 絶対にだ!」
 その言葉をしかと聞いたルルーは、景気付けのつもりでルドの腰をばしこんと思い切りひっぱたいた。
「よく言った。じゃあ、これからもしっかりやんな、パパ」

 夜更けには、まだいまいち明るい。
 この手合いの者とは幾度と無く相手してきたので、お得意様の出撃も早い。伝説的とも言える段取りでタクシーが呼ばれた。とっくに潰れているスリーパーと付き添いのルドを乗せ、カイリューは夜空を飛翔した。言うとおり、あれほど泥酔していたならば、今晩のことなど綺麗さっぱり忘れているだろう。
 メアナを実家まで送り届ける、という旨を告げると、割と簡単に店長から外出許可をもらうことができた。少し身構えていたが、メアナは暴れ回ることも泣き喚くこともせず、意気消沈したままルルーについてきた。背負ったリュックの重みが、なんだか少し寂しげにも見える。
 6番街まで歩くとなると、道順もまた変わる。壁に書かれた労働礼賛や健康維持の標語、芸術と言えなくもないスプレーアート、通りすがりを一度で二名でも引っ掛ければいいような客引きの下賤な売り文句が二匹の背中へ追いすがろうとする。光で騒がしかった繁華街を離れると、街の賑わいも後ろへと遠のいていく。活気にさらされ続けてきたおかげか、急に涼しさを覚え、月が雲の向こうから顔を出すたびに、路地が蒼い闇の奥から輪郭を浮き沈みさせていた。
「ルルーさん」
「ん?」
「さっきはごめんなさい。元はわたしのわがままだったのに、騒いじゃって。ほかのみなさんにも迷惑かけました」
「気にしてないからいいよ。あとであたしが代わりに謝っとく。だめだと思えることをだめだって言える正直さ、あたしはもうとっくの昔に忘れちゃったから」
「勉強になりました。物を売ったり、何かを作ったり、そうすることが働くってことなんだって思ってました。こういう形もあるんですね」
「うん」
 まるで舌足らずだが、メアナの言いたいことは、ルルーにもよく伝わった。自分の代わりに、店長が何かとフォローを入れてくれたのだと思う。
「どうして、あそこで働こうって思ったんですか?」
「そういうのも載せなきゃいけない決まりなの?」
「いや、そうじゃなくて、単に気になって」
 うーん、どうしてだったかなー、
「あたし、何をして働きたいとか、こういうことをしたいとか、そういう将来の夢ってのが全然なくてさ。真剣に考えたことなんて一日もなかったんじゃないかな。かといって、いつまでも親のすねガジガジしてるわけにもいかないじゃん? 適当にアルバイトやりながらぶらぶら生きてて、そんなことだから進化もできなくて、そしたらあの店長に出会ったの。でも、頑張ったら頑張った分だけ見返りも大きいっていう仕組みはあんなとこでも変わらないよ。客に気に入られたら花代も高くなっていくし、給料も悪くなかったし――気がつけばあそこにいたって言えば一番正確かな。かなり大雑把だけど」
 後ろ向きに言えば、最初から色々と投げた状態で生きていたのかもしれない。無知は罪と言うのならば、知った上で何もしないのも罪だ。挙げ句の果てに行き着いたのがあんなところなのだ。メアナに新たな道を開かせることこそできなかったものの、虎口への警笛くらいは鳴らせたと思う。
「あんたは、夢とかあんの?」
「わたしも、まだわからないです。知らないことがいっぱいあるってわかったので」
「ああいうのだけはぜえーったいやりたくない!、って、思ったりしなかった?」
「――ちょっぴり、思いました」
 ルルーのことを気遣ったつもりらしい。しかしそれがなんだかおかしくて、ルルーは思わず噴きだした。意地悪な笑顔を浮かべ、すかさず揚げ足を取りにかかる。
「へえ、ちょっぴりだけなら、別にやっても構わないんだ」
 メアナの顔がまたしても爆発したように赤面した。
「ちっ、違いますッ!!」
「いいじゃない、あたしが無理にあんたを連れていったのもね、期待の星となれるかもって思ったからなの。若い子はあそこいつでも大歓迎だから。一から百まで、お姉さんたちが綺麗になれる方法とかモテる方法とかスーパーテクとかを仕込んでくれるので心配ご無用。でも、その頃にはあたしも年増の玄人になってたりするんだろうなー。はー、切ない」
「勝手に話を進めないでくださいッ!! わ、わたしは、自分のやりたいことを自分で決めて、これだと思った生き方をします!!」
「む、子供のくせして偉そうに一丁前なことを。ほら、また赤くなってる。何想像してんのよスケベ」
「なってないですッ!! スケベって言葉、ルルーさんだけには言われたくありませんッ!!」
 なってる、なってない、という乳繰り合いが、夜の 静寂しじまに溶けていく。
 並んだ二つの影を、父親が駆け足で追いかけていく。


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  別サイト、POKENOVELさんにておこなわれた企画、『平成ポケノベ文合せ2013 〜秋の陣〜』に投稿させていただいた作品です。決められたテーマは石。

 遊郭ネタは以前から思いついていました。しかし内容がアレで載せにくい感じだったので、文合せでぶつけました。その時はルルーはサーナイトだったので、テーマ「石」に合わせて退化させました。色々と力技です。
 そして、真の敵は規制表現ではなく、字数制限だったということをあえて特筆しておきます。絞りに絞った分、描写が浅かったり、掘り下げが足りなかったりと、荒削りなところが随所に見受けられますね。
 とうとう、人間が一切出てこない……人間という概念がまったくない舞台での短編です。ポケモンだけではどのような生活レベルまで描写すればいいのか、という点でどうしても筆が止まりがちになってしまうため、適当にぼかしました。

 没ネタが存在するので(しかもそれの題材を組み直せば勝負できたのではと締め切り後に閃いたため)、もう一本投稿します。