あれは私が五歳か六歳くらいの頃だったかな?
コーンさんがポッドさんに子供らしい悪戯を仕掛けて逆襲に合い、わんわん泣きじゃくるという、今の紳士っぷりからはとても想像出来ない珍事件が多発してたっけ。
なんで急にそんなことを思い出したかって言うと。
「おぷッ! おぷおぷおぷおぷー!!」
「や…やぷぅ〜! やぷぷぷぅ〜!!」
この状況が、当時のそれにそっくりだからだ。
「またか…飽きないわね…」
バオップに後ろからちょこっと水鉄砲をかけて驚かせてみたヒヤップが、猛烈な反撃に合ってわんわん、もとい、やぷやぷ泣きじゃくっている。今日だけでもう三度目。ほんと飽きない子たちだ。
一度目こそ間を取り持ったものだけど、見ている内にこれは放っておいても大丈夫そうだと気がついて、今は完全に放置してる。だってしばらくすれば、絶えず号泣するヒヤップにバオップが先に折れて、なんとか泣き止んでもらおうと慌てて謝り始めるから。
この、なんだかんだで結局ヒヤップに甘いバオップの姿も、昔のポッドさんを見ているようで懐かしい気持ちになる。ポッドさんはコーンさんに泣かれると物凄く弱かったのよね。
少ししてヒヤップが声を収めていき、バオップがもう怒っていないか窺い始める。バオップは常時困っているような顔を綻ばせて、ヒヤップを安心させようと努める。その結果、二匹はあっと言う間に仲直り。ぎゅっと握手を交わした。
そんな光景を見つめていた私は途端に、現在のコーンさんの十八番・白け顔になる。そんなに仲良しなら最初からちょっかい出したり怒ったりしなきゃいいのにね、と、もっともなことをヤナップに向けて溢してみた。
「なぷ♪」
隣に立つ木の枝からぶら下がって、同じく二匹を眺めていたヤナップが、私を見て嬉しそうににこにこ笑った。この傍観具合はまさに、デントさんだ。
昨日、三つ子から小猿の世話係に任命された私は、食事や就寝は自宅で面倒を見て、他の時間は夢の跡地などの町外れに赴き三匹を遊ばせる、というサイクルを現在進行形でこなしている。
急にポケモンを――それも三匹も家に連れ込むことになってしまい、両親から何を言われるかと心配だったのだけど、二人の反応は随分とあっさりしたものだった。
「父さんたちは全然構わんぞ。一所懸命、頑張ってごらん!」
「メイは自分のポケモンを持ってないし、いい経験になるわねぇ!」
なんだろう。非常に淡泊。他にもっと言うことあるだろうに。もしかしたら三つ子と裏で何かしら通じていたのかもしれない。現に店の裏(と言うか奥)で常時通じているけども、無論そういうことじゃなく。
何はともあれ結果オーライだし、勘繰るのはそれくらいにした。
さて。丸一日一緒にいれば、三匹それぞれの性格や対応を粗方把握出来る。
ヤナップは一見おっとりしてるんだけど、三匹の中で一番好奇心が旺盛。大体いつも最初に事を起こすのはこの子だ。
バオップは常に体を動かしている行動派。じっとしてるのが苦手みたいで、せっかちなのかな。あと少し怒りっぽい。
ヒヤップはお利口さんに見せかけておいて、内実かなり甘えん坊で泣き虫。何かあると真っ先に私の所に飛んで来る。
彼らは始めから私に懐いていたし、チョロネコの時とは進展の速度がまるで違った。もう、この子たちのことならなんでも聞いて、って感じ。
今までこれほどの長時間、ポケモンとすぐ傍で過ごしたことは無かったから、色々と発見があったりして(モンスターボールって便利なんだな〜とか、ポケモンって結構臭いんだな〜とか)、なんだか少し楽しくなってきちゃった。
昨日のあの時点では不承不承だったのに、変化するものだなぁと、我ながら感心してしまう。
「おい、メイ!」
「へ? あ、ポッドさん!」
跡地の階段に三匹と並んで座り、果樹園で採って来た果物をおやつ代わりにかじっていたら(三匹の食欲と言ったら相変わらず凄まじい。朝も昼もたっぷり食べたのにまだまだ入るみたい)、ざくざくと雑草を踏みしめて、ポッドさんが顔を出した。
と同時に、すぐ近くまで来ていたミネズミたちがさっと瓦礫の後ろに逃げ隠れ、尻尾を立てた警戒体勢を取る。
「なんだよッ。オレそんな怪しいか?」
小鼠たちの反応に少々傷ついたのか、どことなく寂しそうに言うポッドさん。
「あんまり見ない人だから驚いただけですって」
とりあえずそうフォローしておく。
ミネズミは元々警戒心がポケ一倍強いらしいから、仕方ないと言えば仕方ない。ちなみに私は頻繁にここへ来るので顔を覚えられていて、ポッドさんほどは警戒されなかった。
数秒経てば、ポッドさんが着ているウエーターのユニフォームから(そんな格好で来たら汚れちゃうのになぁ)美味しそうな匂いが漂って来るのに気がついて、ミネズミたちは鼻をくんくんと蠢かせ、ゆっくりこっちに戻って来た。ついでにお騒がせトリオも食べかけの果物片手に吸い寄せられて行く。ポッドさん、急にモテモテ。
「あの、どうしたんですか? 何かあったんですか?」
わざわざ訪ねて来るなんて、何か深刻な相談事があるのか、重大な事件なんかが起きたのか。事によってはお騒がせトリオそっちのけで応援に行きますよ。
「別に? 手透きになったから見に来ただけだぜ」
「……そうですか」
由々しき事態予想は不発に終わった。
「なぷぷーっ!」
「おぷぷーー!」
「やぷぷーぅ!」
お腹が満たされ体力を取り戻した三匹が、再び跡地の中を遊び回り出すのを、私はぼんやり眺める。小猿たちがいなくなって空いた箇所に、ポッドさんがどっかと腰を下ろした。そうして、私と同じように彼らの方を見る。
三匹は、辺りに立ち並んだドラム缶を飛び石みたいにして順番に飛び移ったり、屋根を形作っていたはずの鉄筋を綱渡りのようにして、跡地の中を端々まで探険して行った。
「楽しそうだなー」
「楽しそうですねー」
実の無い受け答え。だけど本当にそうとしか言葉が出て来ないのよ、あの子たちの動き回る様子を見ていると。
一体、何があの子たちをあそこまでうきうきとさせているんだろう? 考えてみると、昨日デントさんを介して聞いた彼らの経緯が思い出された。
旅――。
彼らは独立するにも早い時分で、独立以上に難しい挑戦をしているのだっけ。
そうは言ってもまだまだ子供な訳だから、高度な判断力は持っていなくて、お陰で行き倒れになりかけたけど……それでも、ライモンシティからここまで三匹だけで来たと言うのは、充分賞賛に値すると思う。
旅と言う、夢中になれるものがあるから。色々な場所へ行きたい、という目標があるから。三匹はあんなにきらきらしてるのね。
そんな答えを私は導き出す。
そして次に考えるのは――そういうものを私は持ってないんだなぁ、という現実。
「目標があるのって楽しそう」
ふっと、ポッドさんが不可解そうな表情でこっちを見た。
あ。今の、声に出てた?
聞かれても問題無い呟きだったので、後に言い訳とか補足だとかは続けなかった。だけどポッドさんは変わらず、食い入るような眼差しで私を見て来る。そんなに変なこと言ったかな?
互いに一言も発さず、不思議そうな顔を睨めっこのごとく向かい合わせる。十秒くらいそうしたら、観念したのか相手が先に目を逸らし、表情を改めてから口を開いた。
「おまえさ。自分のポケモンを持って、勝負したいって思わねーの」
想像の網に掠りもしなかった言葉が繰り出され、一瞬「?」となったけど、素直な気持ちで答える。
「思わないですねー」
私は人並みにポケモンが好きだけど、トレーナーとか勝負とか、そういったことにあまり興味が無い。トレーナーの指示通りに戦うポケモンの姿を見て、かっこいい! とは思うのだけど……自分がそれをやりたいかって言うと、答えはノー。
勝負を持ちかけられても片っ端から断っちゃうかも。でもそれは相手に失礼だよなー、なあんて考えちゃって……だから私は自分のポケモンを持とうとは思わないんだろう。
ポッドさんからの問いを受け、私はこの時初めて自分の、ポケモンへの考えというのを掘り下げた。野生のポケモンを観察したり、人が連れているポケモンと触れ合うくらいが、私には合ってるんじゃないかな。
急に何故そんなことを言い出すのか不思議に思った。けど、直後に思い当たる節があることに気がついた。私の両親だ。
両親は近頃、私の将来が心配らしい。私がいつまでも、昔とさほど変わらないことを漫然と続けているから。周囲の同年代の子はみんなそれぞれに夢を持って、それを実現するため動き始めているというのに。
宅の娘は悪い意味で、ちっともブレないんだから――なんて風に案じているのだとか。……そう言われましてもねえ。
そういった二人の嘆きを、ポッドさんは小耳に挟んだのかも知れなかった。
だけど、どうして『トレーナー』なんだろう?
「だっておまえ、チョロネコ手懐けたんだろ。あいつらもすっげえおまえに懐いてるし……トレーナーの才能ありそうじゃんか?」
あいつらも、という所でポッドさんは場内を駆け回る小猿たちを顎で指し示す。
直ちに「チョロネコは手懐けたんじゃなくて打ち解けたんです」と訂正するも、「似たようなもんだろ」と即切り返された。似てないですって。似て非なるものですって。
「簡単にしてのけたみたいに言いますけどね。チョロネコとの戦いはそんなに甘くなかったんですよ?」
「へー。そうなのか」
ポッドさんの返答ではたと気がついた。そう言えば、私とチョロネコとの交戦録を誰かに話したことは無かったわ、と。
折角の機会だし、私はポッドさんに一部始終を話すことにした。
「始めはホント大変でしたよ…」
ある朝突然カラフルヘアートリオから、夢の跡地へ食材の調達に向かってほしい、との指令が下され、右も左も分からない林へ一人きりで入る羽目になっただけでも泣けるのに――
愛想良く近づいて来たチョロネコとじゃれていたら、その仲間のチョロネコに採ったばかりの果物を全部盗まれてしまったのだ。去り際に私の注意を引きつけていたチョロネコが、開いた口が塞がらない私に向かって、まるで人間みたいに「あっかんべー」って…………今思い出しても腹が立つッ!!
店に帰ればポッドさんに散々詰られるし、踏んだり蹴ったり。あそこにはもう行きたくない、チョロネコに会いたくないと訴えてみても、翌日にはまた向かわされてしまうから、さあ困った。あの時ばかりは「頑張ってね〜」なんて暢気に吐くデントさんが恨めしくてしょうがなかったのを覚えてる。
二度と騙されるもんかァ――!
決意を固めた私はチョロネコをいち早く発見して回避するために、跡地内では常に睥睨しながら歩くことにした。万が一チョロネコが愛らしく近づいて来ても、「お前たちの手口はお見通しだ」とばかりに睨みを利かせ、諦めさせる。作戦は完璧……のはずだった。
“あの”チョロネコを造作も無く追い返す、という挙動が余程恐ろしく映ったのか、ミネズミやムンナが必要以上に私から遠ざかってしまって……これじゃいけない、他の策を講じないと、と思い直した。
避ける方法ではなく、仲良くなる方法。それを見つけなければ!
「それで、チョロネコの関心があるものを探ろうと思って、観察を始めたんです」
休み時間に跡地へ赴き、遠くからこっそり観察し続けた結果、この辺りに棲むチョロネコたちは爽やかな香りと酸味を特に好むことが解った。跡地の林にはそういった香草や果実が数多く自生しており、それらに囲まれて育ったからなんだろう。私たちが言うところの故郷の味だ。
そこで早速彼ら好みの食材を用い、ポケモン用のお菓子を拵えて持って行った。彼らは一斉に「なんのつもりだ」と怪しむ目つきを見せたけど、匂いを嗅いで考えを改めたらしい、ひょいひょいとお菓子を持ち去ると全部、みんなで美味しそうに食べてくれたんだ。
それから一週間ほどの間、お菓子の他にも彼らが好きそうな花をプレゼントしたり、同じ目線になって同じ景色を眺めたりして、毎日少しずつ距離を縮めた。彼らが私に対してそう感じていたように私の方も、彼らに抱いていた警戒心が少しずつ薄れ、消えていった。
初めて会った日から三週間くらい経って、やっと私は彼らに騙し討ちをされること無く、食材を一つも欠かすこと無く、お店まで届けられるようになった。こうして私はチョロネコたちと信頼関係を築き、彼らとの間に丁度好い距離を作り出すことに成功したのだった。
「仲良くなりたい場合、食べ物を譲り渡すのが一番効果的なのは、人間もポケモンも同じかもしれないですね」
「あー。かもな」
「…………」
って。ポッドさんてば、人が真面目に話してるのに「へー」とか「ふーん」とか「はーん」とか、気持ちが籠ってない返事ばっかり!
旧知の仲だからか遠慮が無くて、私に対してお心遣いが結構な勢いで欠けてるのよね、この人。三ツ星のお客さんや私の友達なんかへの対応とは、明らかに温度差があるもの。その三分の一くらいでいいのでもう少し心を籠めて接しては頂けないでしょうか。
……話を戻そう。
大体、私はトレーナー業に関心が無い訳で。
「そう好きでもないことをやるだなんて、なんだかおかしいじゃないですか?」
そのように異議を申し立てる。
「そりゃあ、そうだろ……うん」
が、歯切れの悪い一言しか戻って来なかった。
「……あのー……?」
今日のポッドさん、なんか変だ。さっきから薄々変な予感はあったけど、いよいよ変だ。
階段に座した自分の両膝辺りに眼差しを注ぐポッドさんの横顔は、何かを躊躇っているかのよう。コーンさんが私に「服が裏表逆ですよ」的な発言をする前の表情、と表現するのが適切かな。でもそういう顔はコーンさんだから決まるのであって、元気溌剌・直情径行のポッドさんには似つかわしくない。
「ポッドさん。言いたいことがあるならハッキリ言ってくださいよ。ポッドさんらしくないですよ!」
このまましばし言い淀みそうだったので、助け船を出すつもりで指摘してみたら、ポッドさんはぽかん、とマメパトが豆鉄砲食らったような顔つきになった。
そしてぶるぶる頭を振ったかと思うとガバッ! と立ち上がる。
えっなに?!
思わず身構える私に、吹っ切れたような面差しでポッドさんは言い放った。
「アーもーいーや!!」
「…………へっ?」
今度はこっちが呆気に取られる番。
「オレの知ったこっちゃないしッ。よし! オレもう店に戻るぜ!」
すっかりいつものポッドさんに元通り。それはいいけど……こちとら何が何やらちっとも分からないんですが?
混乱している私を放かってウンウン頷き、「そんじゃ!」なんて軽いことこの上無い別れの挨拶を置くと、ポッドさんはすたこらさっさと跡地を出て行った。
「なんだったの」
取り残された私は一人呟く。当然、応える声は無い。離れた所で三匹が、楽しげな声を上げているのがわずかに聞こえて来るだけだ。
「…………」
あれほど煮え切らない態度のポッドさんを見たのは……私が知る限りでは、多分これが初めて。
本当は何かあったんじゃないか?
不審に感じながらも、私はまだまだ元気いっぱいな小猿たちの監視、及び観察を再開した。
*
お騒がせトリオとの共同生活、二日目。
今日はまだ薄暗い内から――六時にアラームがセットされてる目覚まし時計が鳴り出すより前に――三匹が私のベッドで跳ねまくって煩わしくてしょうがなかったので、仕方なく起きた。
父の提案を受け、今日は街の西にある公園へ行くことにすると、母が昼食にとお弁当を持たせてくれた(料理人作と言っても、サンドイッチに卵焼きにコロッケと、至って普通のラインナップよ。果物の量が異常なだけで)。小猿たちに急かされつつ家を出る。
出発は通勤ラッシュが始まるにも早い時間帯だったけれど、目的地へ到着する頃には、急ぎ足のビジネスマンやOLさんをぽつぽつ見かけるようになっていた。
辿り着いた公園は中央に大きな噴水が陣取り、周囲を滑らかに刈り揃えられた芝が占める。芝の上には点々とマメパトのトピアリーが立っていて、更に池が周りをぐるりと囲んでいる。
そこで、ランニングシューズを履いたお兄さん、ヨーテリーやハーデリアを連れたお爺さんお婆さん、それに野生のポケモンたちが、思い思いに過ごしていた。
「なぷっ!」
「おぷー!」
「やぷぅ!」
夢の跡地とはまた違った雰囲気の広場に、三匹はテンションが高まったようで、ぴょんぴょん飛び跳ねる。
「周りに迷惑かけないように遊んでおいで」
言うやいなや、ヤナップ、バオップ、ヒヤップの順で走り出す。それを感心と呆れの五分五分で眺め、噴水の縁に、背負っていたリュックをどさっと置いた。
こんなに重量感があるお弁当、お弁当とは呼べない。と言うか、どうして私が全部持って来てるのよ。半分以上はあなたたちが食べるんだから、あなたたちが持って来てよね。ブツブツ呟いてしまう私をよそに、三匹は散り散りになったり集まったり、抜きつ抜かれつ競争のように園内を駆け回る。かと思えば、進行方向から散歩中のムーランドがのっしのっしと威厳たっぷりに歩いて来ると、慌てて引き返して来たりもした。
「ふぅ…」
リュックの隣に座る。小猿たちが自分たちだけで遊んでいる間、私には平穏な……または、暇な時間が訪れる。時間を潰すための何かを用意して来た訳ではないので、当然の帰結と言うべきか、考え事に耽った。
今の時間帯、三ツ星ではモーニングとランチに向けての下準備が行われている。
本日の日替わりランチのメインは、ケチャップライスにチャイブの葉を混ぜた、ふわふわエルフーン風オムライス。あっさりシンプルな味付けで、カロリーも普通のそれより抑えてあるから、女性にも人気がある。私もお気に入りのメニューなの。
今日は誰が跡地へ行くんだろう。チョロネコにちょろまかされないといいけど。
ハーブの調達であれば、あの子たちの面倒を見ながらでも充分可能だと思う。それくらいはお手伝いしたいのに、私の気持ちとは裏腹にお店からの連絡は皆無。私はいなくても構わない、ってことなのかなぁ。そんな風に考えてしまって、ちょっぴり寂しくなった。
それと同時に、こんな考えも浮かぶ。
もし三ツ星で働いてなかったら、私は今頃どこで、どんな生活を送っていたんだろう……。