オタコン没ネタ。(http://rutamaro.web.fc2.com/)
※登場人物の言葉遣いが汚かったり乱暴な行動をする場面があります。ご注意ください。
「退屈を打ち壊しに来た」
チャーレムに部屋のドアを破壊させた幼馴染は開口一番こう言った。
お前が壊したのは退屈じゃねえ、部屋のドアと俺の平穏だよバカヤロー!
ハア? ふざけんなよタカ、たしかに俺は退屈が嫌いだけど今日日インターネットに繋がった箱一つあれば退屈知らずなんだよ、だから俺は退屈なんかしてない、するはずがない。
と、マシンガンの如くまくし立てられたらよかったのに、あろうことか俺の声帯はストライキを始めていたらしく、掠れた吐息しか出なかった。
仕方なしに音速を誇るタイピングで意見を伝えようとパソコンに向かうも、ずかずかと無遠慮に侵入してきた幼馴染直々にぶっ飛ばされたため、敢え無くその試みは失敗した。くそったれが!
チャーレムに殴り飛ばされなかっただけましかもしれない。だが、痛いことに変わりはない。
無様に、いや華麗に椅子から床へダイビングした俺。畜生、鼻打った!
「なにパソコンに逃げようとしてんだよユーマ? ああん?」
こえーよ。そんなんじゃ女の子寄ってこないぞ。などと思うが黙っておく。そもそも声が出ないし、出たとしても言った瞬間ぶん殴られるのがオチだ。
実に二年ぶりに会った幼馴染は、いつの間にか俺の記憶にあるよりもバカでかくなっていやがった。最後に会った時は俺より少し背が高いだけだったのに、今や頭ひとつ分はでかいんじゃないか。肩幅もあるしお前はどこのスポーツ選手だ。散々俺のことをチビとからかってきたこいつを、いつか追い抜いてやると思ってたのに突き放されたとかそりゃないぜ。
対する俺の身長は伸び悩んでいるし、さらには引きこもりらしいもやしなわけで。
そんな体格差がありすぎる状態だから、反抗するにも命がけだ。無理に反抗するのはやめておく。
つーかちげーし。声が出ないからパソコン使って意思疎通を試みただけだし。と、痛む鼻を押さえながら心の中で言い訳する。
「さっきから口をパクパクパクパクしやがって。お前はコイキングか! 言いたいことがあるならはっきり言え!」
いやだから……。あーもういい。なんかねーかな。
おっ、あそこに昔懐かし鉛筆さんが転がっているじゃあ、あーりませんか。紙は……まあ適当でいいや。
『ちょいまち』
へろへろもいいとこの字だがこの際四の五の言ってる場合じゃない。意味さえ伝わればいいんだ。
我が親愛なる幼馴染殿は怪訝な顔をしつつもとりあえずは攻撃を中止してくれた。ったく、人の話はちゃんと聞きましょうって言われなかったのかよ。くそったれが。いや待て、俺はそもそも話をする段階にすら立っていないじゃないか。これじゃあ人の話を聞くもクソもねーや。
『こえでない ぱそこんつかっていいか?』
句読点? 漢字? カタカナ? 何それうまいの?
いやあれだ。一応俺なりに考えた結果なんだぜ? 句読点なんかなくても意味は通じるし、漢字じゃないのは時間の節約だし、カタカナでパソコンなんて書いたところで今の状態じゃパソコソ(ぱそこそ)に見えるかもしれなくて、そしたらなんだこりゃってなるだろ? 俺だってちゃんと考えてんだよ。
俺の渾身のメッセージを見たタカから、ちっと舌打ちが聞こえた気がしたが、聞かなかったことにしてパソコンに向かった。素早くテキストエディタを立ち上げ、キーボードで文字を入力する。
『何しに来た』
コンマ数秒の早業! 俺ってすげえ!
「お前を引きこもりから卒業させに来たんだよ」
『余計なお節介はやめてくれ』
まじで余計。俺は別にネトゲとかにはまって課金しまくったりとか、通販でフィギュアやら円盤やらのグッズの類も買ったりしていないし、怪しげなFXだの株取引もしてない。ただひたすら某巨大掲示板と某動画サイトに張り付いてパソコンの画面と向き合い続けてるだけだっつーの。たいして金銭的に迷惑はかけてないはずだ。風呂には毎日こっそり入っているが、食事も一日一回だけだしその量だってたかがしれてるだろ。なんなんだよ、邪魔しないでくれよ。
といったことを神業のタイピングで伝える。
『わかったら帰ってくれ』
「ハア? ふざけてんのか? 引きこもってるだけで十分迷惑だろうが」
タカは青筋を立ててマジ切れしている。怖くない怖くない怖……いわぼけ!
だがしかし負けるな俺。ここで引き下がったらどんな目に遭わされるかわかったもんじゃない。大丈夫だ冷静に、しかし強く押し切れ。きっといける。
『そっちこそふざけてんのかよ。さっさと帰れって言ってんのがわからねーのかよ』
ここで巨大掲示板に鍛えられた罵倒語の数々を書いてやってもいいんだが、それをやるとまじでぶん殴られるから控えめに、しかし自分の意思は明確に記す。このまま押し切れるか……?
「こっちはテメーの親から直々に頼まれて来たんだ。そう簡単に、はいそうですかそれじゃあ、なんていかねーんだよ」
そこで一旦言葉を切ったタカは、ていうか、と続けた。
「いつまで引きずってるんだ。いい加減にしろよ、この負け犬が」
その言葉を聞いた瞬間、俺の中で何かが爆発した。
ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさい! お前に、お前に俺の何がわかるっていうんだよ!
「……け」
「は?」
「でて、いけ……!」
いつ以来か覚えていないくらい久しぶりに声を出した。久しぶりすぎて掠れてるわ、そもそも舌やら喉の筋肉が満足に動かなくてきちんと言葉になっているか怪しいわで酷い有様。だけど、いい。どうでもいい。早く出て行ってくれよ! 頼むから早く!
頭を抱え込むように机に突っ伏す。何も聞きたくない何も見たくない何も知りたくない何もやりたくない。
が、我が親愛なる幼馴染殿はどうしたってほっといてはくれないようで。早い話が蹴っ飛ばされた。しかも無防備な脇腹を。
椅子から崩れ落ちた俺は声にならない声をあげ悶絶する。何しやがるコノヤロー! と思ったところで脂汗が滲むだけで声に出すどころかちょっとの動きで激痛が走る。くそったれが!
「甘ったれてんじゃねーよ!」
タカの説教が開始されるようだ。いやその前に助けろよ。こちとら呼吸もままならないんだが。
「いつまでも引きこもって親に迷惑かけてんじゃねーよ! この馬鹿! ウスラトンカチ! オタンコナス! クソチビ!」
うるせー! と言ってやりたいがまだ痛みがひかないから無理無理無理。つか罵倒語が小学生並みかよ。あとチビって言うな! 俺がチビなんじゃねー! お前が勝手にでかくなっただけだ! ○ね、氏ねじゃなくて○ね! そして縮め!
「黙ってないでなんか言えよ」
うるせえ、睨んだって無駄だ。お前の蹴りで喋れないんだよバカヤロー。
呻き声から俺の状態を察してくれたのか、いやたんに無視しただけだな。長い付き合いだからわかる。思い切り舌打ちをしてくださりやがった親愛なる幼馴染殿は、俺を無視して何やらがさごそと部屋を漁っているようだ。何してんだコンチキショー。
「きったねー部屋だな。お前な、掃除くらいしろよ」
と心底呆れたように図体のでかい幼馴染が言ってくるが、俺以外の人間は誰も部屋に入らないし俺が生活するのに支障はないんだから問題ない。つーかそもそも何してんだよ。勝手に人の部屋のものをいじるなっての。
しかしながら、相変わらず俺の口から洩れるのはいいとこ呻き声で意思疎通は不可能である。くそが。
しばらくして俺がなんとか動けるようになってきた時、部屋漁りに満足したらしいタカが、どこから取り出したのか見覚えのない服を差し出し、着替えろと命令してきた。着替えるということはつまり外に出るということであろう。それくらいは容易に想像できる。
やっと痛みから立ち直った俺としては、正直外になんぞ出たくはない。が、目の前の幼馴染がそう簡単に許してくれるはずもなく、しぶしぶ差し出された服を受け取った。
ていうかこれ俺の服じゃないぞ。もしかして持ってきたやつなのか? じゃあ部屋を漁る必要なくね? てっきり服を探してるのかと思ったのに、そうじゃないならなんのために漁ったんだよ。
などと内心ぶつぶつ文句を言いながら服を着替える。するとやつはやれ左右のバランスが悪いちゃんと着ろだの、やれ顔を洗えだの、散々駄目出しをした挙句、やはりと言うべきか「よし、行くぞ」と声をかけてきた。
いやどこにだよ。だが大方の予想通り俺の意思など関係ないとばかりに、俺を引きずるようにして外へ向かう。近くでずっと待機していたチャーレムが、逃がさないとばかりに俺の後ろにぴったりと張り付いてきた。くそったれ、逃げ場がない。
「どうせ引きこもってるんだから退屈してるだろ? いいところに連れて行ってやるよ。遠慮なんかしなくていいぞ」
だーかーら、退屈なんてしてねーよ。という言葉が口から出ることはついぞなかった。喉はまだ本調子じゃないし、言っても無駄だとわかりきっていたから。
冷や汗が止まらない。体が震える。息を吸っているのか吐いているのかもわからない。気がつくと浅い呼吸を繰り返していた。なんで、なんでこんなところに。
タカに無理矢理連れて来られたのは、ポケモンバトルの大会が行われるらしい会場。どこを見ても、人、人、人。そしてポケモン。壁には大会を告知するポスターらしきものが何枚も貼られている。これだけ人がいるんだから、ざわざわと騒がしいのだろうが、全く耳に入らない。
「なん、だよ、ここ……!」
叫ぶように大声で問いただしたいのに、未だに舌も喉もうまく動かない。なんでこんなところに連れて来た、と聞きたいだけなのに。
「ここか? 大会の会場」
タカはしれっと答えるが、んなこたあわかってるんだよ!
「なんで、ここに」
「大会に参加するために決まってるだろ」
ここに連れて来た元凶は、何言ってんだこいつ、という目で俺を見る。いやいやいやお前こそ何言ってんだよ!
あっいや待て何も俺が出場する訳じゃないそうだよ当たり前だつーことはきっと俺は観戦だなまずは人混みに慣れるところから始めるんだろそーだろそーだろ大丈夫だ試合が終わるまで耐えればいいんだたいしたことない大会が終われば晴れて自由の身だ俺よ頑張れ何たいしたことないただ見ているだけ――――
「お前も参加するんだからな」
ハアアアアアアアア? 何言ってくれちゃってんのお前!? 正気かよ!?
「おま……なに、言って」
俺の顔を見てやつは腹を抱えて笑い始めた。おい、失礼だぞお前。そんなに面白い顔してんのか俺。いやいやいや百歩譲ってそうだとしても本人の前で笑うとかないだろ。いや待てもしかしたらさっきのはただの冗談で、それを信じ込んだ俺を嘲笑っているだけかもしれない。いいやそうに違いない。
「冗談、だろ? な?」
しかしやつはこう宣告する。
「は? ほんとだし」
ハアアアアアアアア? だからお前何言ってんの?
「心配すんなって。この大会、タッグバトルだから」
つまりなんだ、この親愛なるくそったれな幼馴染殿と一緒ってことか? そうなのか? ていうか無駄にでかいんだからおまえ一人で十分だろうが。
「オレがいるんだ、安心しろ」
そう言ってやつは俺の肩をぽんと叩き、受付に行くと言い残していなくなる。無駄にでかい存在が去り、一人取り残される俺。ちょっ、おいまじかよ。
途端に全身から血の気が引く気配がした。まじかよまじかよ無理無理無理無理無理無理無理。体に力が入らず、その場に座り込んでしまう。浅い呼吸を繰り返す。
あの時も、音なんか聞こえなかった。周りが何か叫んでいたはずなのに、俺は目の前で起きたことが信じられなくて、信じたくなくて。フィールドの向こうにいる人影が、観客達が俺を嘲笑っているんだと、そう思った。
傷つき倒れ伏すジュカイン。それを呆然と眺める俺。こちらに見向きもしない対戦相手の小さな背中。
オマエナンカガカテルトオモッタノカ。
「……ま、ユーマ!」
気がつくと俺の名を呼ぶタカに肩を揺さぶられていた。
「大丈夫か」
「……大丈夫なわけ、ないだろ」
どうしてだなんて言わせない。理由なんかわかりきっているくせに。この場にいる誰よりも、大丈夫じゃない理由を知っているくせに。
タカの胸倉を掴む。
「なんで連れて来た……!」
わかってるだろ、知っているだろ! 俺が、一番来たくない場所だって。なあ、なあ……。
胸倉を掴んだ手からはすぐに力が抜け、ずるずると座り込む。なんでだよ、なんで……と力無く呟くことしかできない。
「お前は今日、一人じゃない。あの日とは違う。だから、」
「ざけんな……、ふざけんな……!」
一人じゃない? だからどうしたんだよ! そういう問題じゃないだろ! なあ、そうだろ?
「とにかく、オレとお前で組んで出場する。心配するな。誰も何もしやしない」
嘘だ。さっきから周りがひそひそと囁いている。あれは誰だ、なんであんなやつと、もしかしてあいつ……? そんな声ばっかりだ! もう、やめてくれよ……。お前みたいなちゃんとしたトレーナーなんかと一緒にいるだけで俺は晒し者になるんだよ。
「行こう、オレとお前なら大丈夫だ」
なんの根拠があるんだよ、タカ。だが、やつは答えてはくれないし、相変わらず引きずるように俺を連れていく。
ロビーの隅に辿り着くと、タカは俺から手を離し、でかい鞄からいくつものボールを取り出した。そして何も言わず、躊躇うこともせず、ボールからポケモンを解き放つ。
「あ……」
ボールから飛び出してきたのは、見覚えのある、それどころかよくよく知っているポケモン達。
そうして俺は何の覚悟もないままに、あの日以来放り出したままだったポケモン達と再会した。
二年もほったらかしにして、すっかり忘れ去られていてもおかしくない。それなのに、久々に再会した彼らは最初こそ少々戸惑いを見せたものの、以前と変わらずに俺を慕う仕草を見せた。
お前らをずっと放ったまま、人に預けっぱなしだった俺を許してくれるのか……?
けれど、一匹だけ近寄ってくることもなく、離れたところから俺を睨み付けるジュカインがいた。一瞬目が合ったものの、耐え切れずにすぐ目を逸らした。
苦い思いがこみ上げてくる。ああ、そうだな。お前だけはきっと許してくれないとわかっていた気がする。
それでも俺がボールの中に入ってくれと仕草で示せば、抗うことなく従ってくれた。一応はまだ、俺の言うことを聞いてくれるらしい。いつまでそうしてくれるか、わからないけど。
そんな俺達を見て、こうでなくちゃ、と満足そうな笑みを浮かべた親愛なる幼馴染殿は「よし、行くか」と俺の首根っこを掴んで歩き出す。相変わらず俺の意向は無視される運命にあるようだ。
ガキじゃねーんだから一人で歩けるっつの。とは思うものの、恐らく掴まれていなかったら一目散に逃げ出すだろうから、この判断は間違いではないのだろう。くそう、行動が読まれてやがる。コンチキショー、覚えてやがれ。
あばばばばばばばばばばくぁwせdrftgyふじこlpいやいやいやいや無理無理無理無理無理無理。いきなり試合開始かよ! 無理だろ常識的に考えて! ポケモンバトルから逃げ出した人間がどうして今更立ち向かえるっていうんだ!
といった言葉が頭の中をぐるぐると駆け巡る。立つこともできず座り込んで冷や汗掻いてがたがた震える情けない姿を衆目に晒すのは、恥ずかしいといった言葉を通り越してもはや死にたいとしか言いようがない。逃げ出そうにも足には力が入らないし、というかもう死にたい、消え去りたい。
なんでだ! なんでこんな場所に連れてきたんだよ! 俺はもう戦えないんだよ……。
傍らのタカは役立たずの俺を尻目に、冷静かつ的確に俺の分までポケモン達に指示を飛ばしている。俺いらなくね? なんのために俺はここにいるんだ。
対戦相手が何か言っている。多分俺のことだ。脳が理解を拒否しているから何を言っているかはわからない。だけどどうせ、俺を、そしてこんな俺と組んでいるタカを馬鹿にするようなことだろう。
俺が馬鹿にされるのは仕方ない。死にたくなるけど、仕方ないってわかってる。だからこそ人前になんぞ出たくはなかったのに。
だけど、タカは違う。俺なんかとは違って、ずっと努力し続けてきたし、実力もあってそれなりに名前を知られてきているような、ちゃんとしたポケモントレーナーなんだ。俺が引きこもっている間に新しいバッジも手に入れて、着々と実績を積んできたのに。俺なんかに関わって評判を落とすようなこと、する必要なんてないのに。
なんでこのくそったれなお人好しはこんなことをしているんだ。何がしたいんだ。俺なんか助けたっていいこと一つもないだろ。
なあ。頼むから、もう見捨ててくれよ。
だけどそうしてはくれないんだよなあ。どうしてなんだ。
タカが何か言い返しているのが聞こえる。やめてくれよ。そうやって俺を庇ったところで俺が駄目人間であることには変わりないんだから。俺が惨めな気持ちになるのは変わらないんだから。
一回戦、二回戦とひたすら俺はでかい幼馴染の陰に隠れるように縮こまって、バトルが終わるのを待っていた。情けない? そんなの、とっくに知ってる。
タカは怒らない。それどころか、試合後に俺を気づかって人気のないところを探して連れてきてくれるし、青い顔してうずくまる俺に冷たい飲み物を買ってきてくれさえする。なんで、責めないんだ。なんで、怒らないんだ。
そう思ってもただ黙って、次の試合を待っていた。俺とは違って、ちゃんとしたポケモントレーナーであるタカのおかげで、順調に勝利を重ねていた。
負けてしまえば、とっとと帰れる。だけど、もしそうなったらそうなったで、きっと俺のせいだと罪悪感で眠れなくなるに違いない。
どっちでもいいから早く終われ。早く、早く……。
そんな情けないことを信じてもいない神様に祈る。
重い足を引きずって臨んだ三回戦。相変わらず何もできないままただ見ているだけ、のはずだった。
タッグバトルは、二人一組のトレーナーがそれぞれ一体ずつポケモンを出して行う試合形式だ。似たものとしては、一人で二体のポケモンを出して戦うダブルバトルがある。
一人で全ての指示を出すダブルバトルと他人と組むタッグバトルはかなり勝手が違う。組んだ相手との意志疎通が大事だ。お互いが勝手な指示を出していたら、とてもじゃないが勝てない。呼吸の合わない相手と組むよりは、一人で全部やった方がずっといい。そう、タカがやっているように。
だが、二人で息を合わせることで、時に一人ではなしえないことも可能になる。自分にないものを補ったり、戦略だって一人で練るのとは幅が違うだろう。例えば攻撃役とサポート役に分かれるとか、交互に攻撃を繰り出して隙をなくすとか。まあ、俺はもっぱらシングルバトルばかりやってたから詳しくは知らないが。
少なくとも、一人の人間がその脳みそで処理できる情報量と、二人で処理できる情報量が違うなんて俺にもわかる当たり前すぎる話だ。全てに気を配るよりも、役割を分担しておいた方がそれぞれ最高のパフォーマンスを発揮できるだろう。もし、片方が何か見落としをしても、もう一人いればカバーができる。
まあこんな長々と何が言いたいかというと、親愛なる幼馴染殿が気づいてないことに、俺が気づいたということだ。
相手の出してきたポケモンはライボルトとアリアドスだった。
開幕早々、ライボルトには「こうそくいどう」、アリアドスには「ミサイルばり」で牽制しろという、そんな指示が聞こえた。
こちらも負けじとタカは対抗すべく声を張り上げて指示を出していた。俺? 立つこともできずにうずくまってるだけだけど。
あちらのコンビネーションはなかなかのもので、タカは後手後手に回るしかなかった。
なんせただでさえ素早いライボルトは「こうそくいどう」のせいで手が付けられないほどの早さでフィールド内を走り回り、時折「スパーク」を当ててはすぐに下がるヒットアウェイの作戦。ライボルトが下がったと思うと、今度はアリアドスの攻撃がとんでくる。誠に嫌らしいことに、「ミサイルばり」のような普通の攻撃もあれば、「いとをはく」で足止めをしてくることもある。通常であれば、「いとをはく」なんてさほど脅威にはならないが、素早いライボルトも相手にしないといけないのだ。ほんのわずかに動きが鈍った隙を突いてはライボルトがやってくる。
ライボルトは素早すぎて攻撃が当てられないし、かといってアリアドスをどうにかしようとアリアドスに意識を向けると、またライボルトが突撃してくる。タカはなんとか致命傷は避けながら、少しずつ攻撃の指示を出しているものの、防戦一方だ。突破口はないか、とタカは必死に考えていたに違いない。
そんな時だ。
多分、その時タカも観客もライボルトに大半の注意が行っていたんじゃないだろうか。
ライボルトが「あまごい」をした。これはもうどう考えても「かみなり」をぶっ放すつもりだよなあ、と観客席の人間にもわかったに違いない。よほどのことがない限りは、雨天下で「かみなり」は命中する。多少なりともポケモンバトルをかじってるやつならみんな知っていることだ。
雨雲が広がり、辺りが暗くなると雨がぽつぽつと降り始めた。そして予想に違わず、ライボルトが派手に電気を溜め始めた、みたいだ。みたいだなんて曖昧なことを言うのは、その時俺の視線は上にはなく、うつむいて地面ばかり見ていたからだ。
そしてふと、違和感を覚えた。暗くてわかりづらいが、不自然にアリアドスの影が伸びているような気がした。それがなんなのか理解した瞬間、叫ぶ。
「タカ! 『かげうち』がくる!」
「かげうち」は影を伸ばして相手の背後から攻撃するゴーストタイプの技だ。ゴーストタイプの技ではあるが、目の前にいるアリアドスを含め、異なるタイプのポケモンにも使い手がいる。
通常、「かげうち」は事前に気づかれることがない上、使用するポケモンの素早さに左右されずに攻撃できる。威力は低いものの、相手に隙を作れるため、意外と使える技だ。しかしながら、幸か不幸か俺はその攻撃に気づいてしまった。
俺の言葉に、機会を伺っていたであろう相手はさぞ嫌な顔をしたに違いない。ある程度相手の体力を削った後、ライボルトに注目を集めさせ、その隙を突いて「かげうち」で相手を一気に崩すという作戦だったんだろう。それがばれたと見るや、途端に影が正体を現して飛びかかってきた。タカは俺の言葉にはっとして横への回避を指示する。それで完全に避け切れたわけではないが、直撃するよりはましだ。
こちらのペースを乱すつもりで、むしろペースを崩されたのはあっちの方だったのかもしれない。
焦ったのか、「かみなり」がでたらめなタイミングで落ちてきた。当然外れる。こんなことってあるんだな。
攻撃のリズムを崩したのか、それまでこちらを翻弄し続けた攻撃の手に綻びが見えた。息が合っておらず、どこかちぐはぐだ。
タカは相手に動揺から立ち直る暇を与えまいと矢継ぎ早に指示を出し、ここぞとばかりに攻め立てた。元々ライボルトは防御力に不安のあるポケモンだ。こちらの攻撃が当たり始めるとあっという間だった。そうして形勢は逆転した。
さすが俺の幼馴染。
ほんの少し、ポケモンバトル特有の高揚感を思い出したけれど、慌てて打ち消した。戻れやしないのだから。
「助かった。ありがとう、ユーマ」
試合終了後、またもや人気のない廊下の隅っこに辿り着くとタカはそう言った。
「たいしたことはしてない。基本的にはタカのおかげだろ」
「それでも、あの時叫んでくれなかったら危なかった。ありがとな」
ああ、そんな風に笑われたら。何も言えないだろう?
「それに……ちゃんと戦えたじゃないか。もうユーマは戦えるんだ」
馬鹿言え、そんな簡単なことじゃないんだ。
「あれは必死だったから。もう無理だ」
首を横に振る。あんなの、もうできやしない。心なんてとっくの昔に折れたんだから。
「違うだろ。一回できたんだ。またできる。お前は戦える」
「なんの根拠があって……!」
「ポケモントレーナーとしての勘」
あっさり言い切るその言葉を聞いた瞬間、カッと全身が熱を持つ。
「……んな、ふざけんな! そんなふざけた理由で決めつけるなよ……!」
タカに掴み掛かる。とはいえ引きこもっている間にひょろひょろのもやしになった俺と違い、毎日外を駆けずり回っているタカとじゃあ、あまりに体格差がある。これじゃあ掴み掛かるというよりしがみついているみたいだ。試合前に同じことをした時には体格差なんて頭から抜けていたが。
「じゃあなんでお前は喋れるようになった。なんでお前はあの時声が出た」
激高した俺とは反対に、俺の幼馴染は冷静だ。むかつくくらいに。
「だからあん時は必死で……」
「一度できたなら、またできるはずだろ。お前はただ怖がってるだけだ。逃げるな」
「やめろ!」
叫ぶ。聞きたくなんかない。俺は、俺には、そんな資格なんてないんだ。
俺なんか耳を塞いで目を閉ざして縮こまって隅っこでガタガタ震えているのがお似合いなんだ。だから、だからだからだからだからだから。
「もう俺をあそこへ連れて行かないでくれ……」
そうしてずるずると崩れ落ちて床に座り込んでしまう。力が入らずただ床を見つめる。あれほどの熱が嘘みたいに、血の気が引いてむしろ寒気がした。
「臆病者」
そう吐き捨てながら、タカは俺の胸倉を掴んで顔を上げさせる。記憶より成長した幼馴染の顔がすぐ近くにあった。
「あいつらの、あいつの気持ちはどうなるんだ。ずっと、お前のことを待ち続けていたんだぞ……!」
俺が何もかも投げ出して引きこもった後、俺の手持ち達の世話を引き受けてくれたのはタカだった。でも、そうしてくれって俺は頼んでない。
俺が家どころか部屋から出ることも拒否したため、ポケモンセンターの預かりボックスに預けることもできず、父さん母さんはかなり困っていた。そんな時にタカがポケモン達を預かると自ら申し出てくれたらしい。いつだったかドア越しにそれを知らされた。
「あいつはいつもお前ん家の方を見ていた。お前には時間が必要だろうからって、じっと待ってたんだ」
その後どうなったのか尋ねることもしなかったが、どうやらタカの家できちんと世話をしてくれていたみたいで、それには感謝している。自分のことだけでも十分大変だろうに、よくもまあ自分から申し出てくれたものだ。
今まで、どんな気持ちでいたんだろうか。タカも、あいつらも。いや、そんなの俺の知ったことじゃない。知る資格が、ない。
「向き合ってやれよ、なあ。あんまりじゃないか」
反応を返さない俺に嫌気が差したのか、タカは思い切り舌打ちをする。
「ふざけるなはこっちの台詞だ……!」
そうしてタカは俺を床に放り出して歩き去る。俺はそれを呆然と見送った。
見放されただろうか。いや、それすらもはやどうだっていい。俺が臆病者なのは事実だし、バトルの場で一歩も動けない現実がそれを裏付けている。あいつらが俺を待っていた? だけど、俺はこんな有様なんだ。もう、どうだっていい。何も見たくない、何もしたくない。
俺はうずくまって目を閉じた。
それからしばらくして、腰につけていたモンスターボールからぽん、とポケモンが出てくる音がした。なんだろうと顔を上げると、そこにはひどく見慣れた緑色の生き物がいた。
呆然としたまま、その名前を呟く。
「カズハ……」
睨み付けるようにまっすぐ俺を見ていたのは一匹のジュカインだった。
カズハ。俺の、一番の相棒。だったポケモン。
さっきも少し顔を合わせたものの、こうしてきちんと見るのは二年ぶりだ。
「――――」
何をしているんだ、と言われた気がした。お前は何をしているんだこの腑抜け、と。
俺はただの人間だから、カズハが何を言っているのか全くわからない。だけど、カズハが怒っているのだけはわかった。不甲斐ない、情けない俺に心底怒っている。
こいつはいつもそうだった。俺がうじうじ悩んでいたりすると叱り付けるように威嚇してきて、ビビッている様子を見せればそれを吹き飛ばすように叫ぶ。行け、自分達を信じろ。そう言われているような気がして、いつもいつも背中を押されていた。どうしたらいいかわからなくなった時も、カズハの目を見れば何とかなるって思えた。
そう、そうだった。家を出てからずっと支えられてきた。だけど、あの時からカズハの目を見るのが怖くなった。俺を見る目に失望が混じってるんじゃないかと怖かった。そうなって、当然だけど。カズハの目に浮かぶ失望感を見てしまったらもう立ち直れないと思ったから、だから逃げた。
思わずごめんと謝ろうとして、そんなことを言ってもカズハに怒られるだけだと気づく。だから何を言ったらいいかわからなくて、開きかけた口を閉じた。
「――――!」
カズハが声を荒げる。
幼馴染のもとで、何を思って過ごしていたんだろう。俺を待っていたとタカは言ったけど、本当だろうか。こんな俺に愛想を尽かしたに決まっている。
不意に、カズハの様子があの頃の様子と重なって、荒々しくドアを叩く音が耳の奥で蘇った。
「――――!? ――――!」
カズハの声が聞こえると、俺はそれにひたすら耳を塞いでいた。あの声は部屋に閉じこもっている俺を叱っていたのだろう。いやそれとも責めていたのか。
初めは毎日、やがて一日おき二日おきと間隔が長くなっていって、タカに預けられてからはぴたりと止んだ。カズハはもう来ないのだと気づいた瞬間、奈落の底へ落ちていくような錯覚を覚えた。ああ、自業自得だって知っているさ。
見限られたんだと、そう思った。いつまでも出てこない俺なんかに嫌気がさして当然だ。そもそも絶望感を抱くなんて烏滸がましいにもほどがある。
そんなカズハが俺を待っていた? なんの冗談だ。そんなことあるわけない。あるはずがない。
でも、
「――――! ――――!」
本当にそうだろうか。愛想を尽かしたなら、見放したなら、カズハはこんなに必死にならないんじゃないだろうか。
だけど。
「……れは、俺は、もう」
戦えないと言おうとして、なぜだか言葉にできなかった。その代わりにこう告げる。
「お前なら、俺なんかよりもっと優秀な人間のところにいってもうまくやれるはずだ。だから」
「――――――!」
それ以上続けようとする前に、カズハがそれ以上馬鹿なことを言うなと言わんばかりの剣幕で、ひときわ大きな声を上げた。
俺はお前の言ってることがわからないのに、お前は俺の言ってることがわかるのか。
それなら、なあ。
「覚えてるだろ、あの、負けた時のこと」
わかるだろう、覚えてるだろう、あの惨めさを。
なあ。
そう言えば、カズハは押し黙りじっと俺の目を見つめてきた。視線を受け止めたそこに、恐れていた失望の色は見つけられなかった。
あの頃は、世界が輝いて見えていた。何もかもがうまくいくと信じきっていたし、まるで世界が自分を中心に回っているような、観客達の上げる歓声が全て自分に向けられているような、そんな錯覚を抱いていた。
自分がこれから歩む道を信じて疑わなかった。この試合に勝って、大会で優勝する、そんな輝かしい未来を。
それはただの思い上がりに過ぎなかったけど。
対戦相手は年下のトレーナーだった。
前評判は聞いていた。最年少記録を次々に塗り替える化け物じみた強さの持ち主、と。だけど、それでも勝てると思い込んでいた。調子に乗っていたんだ。
そいつはきっと、俺が数年かけてたどり着いた場所にあっという間に到達して、そうして何の感慨もなく通り過ぎる、そんな人間だったのだろう。
意気込みとは反対に、始まってすぐに全てが崩れた。呆ける暇などないのに、あまりの衝撃で思考が白く染まった。
相手が出してきたのはマリルリだった。長い耳の可愛らしい見た目とは反対に、「ちからもち」という凶悪な特性を持ったやっかいな相手だ。「ちからもち」は物理攻撃の威力が上がるという特性だ。もちろん、「あついしぼう」――氷タイプの技や炎タイプの技のダメージを減らす特性――の可能性もあるが、「ちからもち」の方がバトルには向いている。これは気をつけないとまずいな、と思った途端。
「『アクアジェット』」
たった一言だった。こちらが仕掛ける前に、水を纏ったマリルリが突進してきた。
あ、と思った時はもろに食らっていて、俺の出したポケモンは倒れて戦闘不能になっていた。
信じられない気持ちで倒れたポケモンを見ていた。審判にポケモンを交代させるように促されて、我に返った。
攻撃を当てるチャンスすらないこちらに対し、あちらはただ一度「アクアジェット」を当てるだけ。その一撃が強力すぎた。
あれよあれよという間に、苦楽を共にしたポケモン達が一匹、また一匹とフィールドに沈んでいった。
「頼む! カズハ!」
縋るような思いでカズハをバトルフィールドに出したのを覚えている。勝てないことなんてもはやわかりきっていたけど、せめてタイプ相性で有利なマリルリだけでも倒せたなら。そう思ったんだ。
「『アクアジェット』が来るぞ! 耐えるんだ!」
いきなりの指示にも関わらず、カズハは戸惑うこともせずすぐに防御の構えをした。俺の言葉を聞いて別の技でも出してくるかと一瞬思ったけど、そんなことはなかった。
威力が半減しようとも「アクアジェット」だけで十分、と思われていたんだろう。悔しいけどその通りだった。
予想通り、水を纏ったマリルリがこちらに突っ込んできてカズハとぶつかる。カズハはどうにか倒れずに済んだものの、大きく体勢を崩してしまった。それでも、
「そこから『リーフブレード』だ!」
カズハは俺の声に必死に答えようとしてくれた。バランスを崩しながらもその腕に力を込めて、マリルリに斬りかかる。
だが、やはり無理な体勢から放った技だからだろう。あるいはレベルの差だったのか。マリルリは多少痛そうな顔をしたものの、もう一度水を纏ってカズハに突進してきた。
「カズハ!?」
さすがに二度も耐えることはできなかった。カズハの体が宙を舞い、べしゃりとフィールドの上に落ちたのを覚えている。落ちた後、カズハは身じろぎすらしなかった。俺はそれをただ呆然として見ていた。
そうして俺達は、相手のポケモンを一匹たりとも倒すことなく敗退した。
何よりも耐えがたかったのは、自分よりも年下の相手に歯牙にもかけられなかったこと。あっちからしたら、俺なんかその辺に転がっている石ころ同然だったこと。
試合終了後に何か言ってくるでもなく、興味もなさそうにさっさと控え室に引っ込んで行ったのだ。俺のことなんか、見てやいなかった。無論、何を言われても傷口に塩を塗られるようなもので、結局ショックを受けていただろうけど、それでも。全く興味を示されない現実は受け入れがたかった。
遥か高みを目指して歩いている相手にとって、俺なんかは障害物ですらなかったことを思い知らされた。
「俺、あの時思ったんだ。到底、手が届かないって。お前だって、わかるだろう?」
気づかないうちにぼたぼたと涙を流していた。悔しいのか、悲しいのか、それとも全然違う理由なのかもわからない。
「どうしたって、駄目なんだ。無理なんだ。俺はあそこにはたどり着けない。夢は所詮夢なんだ」
馬鹿なことを言うなとカズハは思うだろうか。だけど、はっきりと現実を突きつけられたんだ。
「俺は……」
言うかどうか迷って、それでも口にした。
「俺には、無理なんだ」
突きつけられた現実に向き合うことが怖くて、俺は逃げた。自分の殻に閉じこもって、目を閉じて耳を塞いで。そうして俺は前に進むのをやめた。
泣きながらそんなことを言う俺に、カズハは何も言わなかった。まあ、言われたところで俺には理解できないんだけど。
「ごめん、カズハ。ごめんな……」
そう謝ることしかできなかった。
ひとしきり泣いた後。
「ユーマ、行くぞ」
上から降ってきた声にのろのろと顔を上げる。いつの間にか時間になっていたらしい。カズハはどこだろう。視線をさまよわせれば、少し離れたところにカズハはいた。何を考えているんだろうか。まあどうせ、俺にはわからないけど。
「ひでえ顔。あ、もとからか」
その言葉で視線をタカに戻す。自覚のある下手くそな笑顔を浮かべて返事をする。
「言ってろ」
思い切り泣いたせいか、気持ちが少し楽になった。これなら試合中も普通に立っていられるだろう。バトルに参加する気はさらさらないが、みっともない姿を晒すことだけはなさそうだ。
近くのトイレに入り冷水で顔を洗う。鏡を見れば青白い顔をした不健康そうな人間が見えた。確かにこれは酷いと苦笑する。
廊下へ戻ると、タカがカズハに大丈夫かと声を掛けているのが聞こえた。その様子を見て、俺なんかよりタカのような優秀なトレーナーのところへ行った方がカズハは幸せなんだろうなあ、という考えが頭をよぎる。
戻ってきた俺に気づいたタカが、カズハをモンスターボールに戻すよう言ってきたので従った。
会場へ向かいながらふと、ずっと疑問に思っていたことが口をついて出る。
「なあ、タカ。なんでタカは俺を助けてくれるんだ」
俺の言葉を受けると、タカは頭をがしがしと掻いて言い淀む。言いたくないというわけではなく、なんと言ったらいいか迷っている感じだった。
「……お前が引きこもって最初はちょっと嬉しかった。ライバルが減ったってな。ユーマはオレを軽蔑するか?」
するわけないだろう。そんな感情を抱くのはおかしなことじゃない。だから思ったことをそのまま口に出した。
「はあ? 知るかよそんなの。ライバルなんて蹴落としてなんぼだろ。意味わかんねー。つか、お前そんなつまんないこと気にしてたのかよ。ばっかじゃねーの」
俺が吐き捨てるように言うと、タカは虚を突かれたように目を見開く。考えが追いつかないのか、何度も何度もまばたきしたタカは、やがて顔を歪めて苦しげに絞り出すように呟いた。
「オレは、ずっとユーマが羨ましかった」
どこがだ? どこにそんな要素あった。俺の方こそ、タカのその身長が羨ましくて妬ましくて仕方ないんだが。
ほらあのテストではとか、あの時とか、とタカはいろいろ並べ立てるが、俺としては馬鹿馬鹿しいとしか言いようがない。
「ハアアアアアアアア? お前何言ってんの? それ言ったらタカは運動する時はいつも俺よりすごかっただろ。マラソンも鉄棒も跳び箱も。それにテストだって、タカに負けたことなんて何回もあるぞ。そもそも身長で勝ったことねーし!」
信じられない、という顔をしたタカに俺は続ける。
「まあ、俺もタカに勝ったことなんて全然覚えてねーし、そう考えると、負けたことばっか覚えてるもんなんだな、人間って」
だから俺はタカの方がすごいとずっと思ってた、と言って俺が笑うと、タカは小さな子どものように泣きそうな顔をした。お前、その図体のくせになんて顔してんだ。
そう思っていると、もごもごと何か口の中で呟いていたタカがぼそりと告げる。
「……ほんとにユーマはチビだな」
ハアアアアアアアア? この流れでそれ言うか!? つか、人がせっかく励ましてやってるのに!
○ね、氏ねじゃなくて○ね! そして縮め!
そうしてこれまでの流れを無視するように、笑顔を作った親愛なる幼馴染殿は爆弾発言をしてくる。
「よし、最後の試合だ。気合い入れていこうぜ」
……最後?
思わず足を止めた俺があまりにもぽかんとしたからだろうか。タカもぽかんとする。
「ん? いまから決勝戦だぞ? ねぼけてんのか?」
「いや聞いてねーよ!」
と突っ込むものの、タカは何言ってんだこいつという顔をする。
「ぐだぐだ言ってないで、早く行くぞ」
え、いや、心の準備ってものが……ともごもご言おうものなら首根っこ掴まれて連行された。ひでえ。
歓声が聞こえる。さほど大きな大会ではないだろうに、意外に観客の数が多いようだった。今まで周りなんて見えていなかったから気づかなかった。
『キンセツシティ出身、兄弟ならではの抜群のコンビネーションで――』
アナウンスが流れる。そりゃ兄弟なら息もぴったりだろう。今までの試合結果が簡単に紹介されるのを聞き流す。まともに聞いてたら心が折れる。
『対するは――』
次に流れたのは俺達のこと。俺達というか、最近注目のトレーナーであるタカのことしか言ってない。俺のことにはあえて触れない優しさを感じた。が、観客からはヤジが飛ぶ。うん、そらそうだろうな。俺いなくてもいいし。タッグバトルの意味ないもんな。
なんてしみじみと思っていると、やけに神妙な調子のタカが呟いた。
「……晒し者にするつもりはなかった」
は、今更何を言っているのだろう、この幼馴染は。晒し者になるに決まっているじゃないか。どうしてそれがわからなかったんだ。
「お前があんな風になるほどだなんて思ってもなかった。バトルの場に出してしまえば、大丈夫だと思ってた」
そうだよな、普通あんな情けない姿を衆目に晒すなんて思わないよな。俺は最初から無理だとわかっていたけど。まあでも、
「逃げてばっかの俺が悪いから、さ」
やっぱり俺が悪いってことくらいは、わかってる。ちゃんと向き合おうとしなかった報いだ。
「ま、せめて最後くらいはちゃんと立ってるよ」
立ってるだけかよ、とタカは苦笑して、けれどそれを責めることはなかった。
そうやって言葉を交わしていると、審判に位置につくよう促された。
「なあユーマ」
位置につこうとする俺を引き留めるように、タカが言う。
「これが終わったらどうする?」
「そうだなあ、せめて引きこもりは卒業したいな」
「その後は?」
多分聞きたいのは、カズハを始めとしたあいつらのことだろう。
「あいつらは誰か引き取りたいって人に引き渡す。逃げるのはやめて、ちゃんと終わらせる」
そうか、とだけ呟いてタカは決められた位置についた。
始まった。とはいえ、俺がやることはしっかりと目を開いて見守ることくらいだが。
俺のポケモンとしてタカが選んだのはカズハだった。最後の最後に、か。俺に選ぶ権利なんてないから、いいけどな。
ああ、カズハはタカに引き取ってもらうのがいいのかもしれない。きっと、俺が引きこもっている間に、タカがどれだけ素晴らしいトレーナーか知ったに違いない。それに俺も、預ける相手が幼馴染であれば安心だ。タカの指示で活躍するカズハを想像すると、心が躍る。いいな、うん。ああでも、タカはもうある程度メンバーを決めているだろうから、そこに割って入るのは難しいだろうか。十分活躍できると思うんだけどな。ま、カズハならきっとどこへ行っても大丈夫だろうけど。
「カズハ!」
と、いけない。完全に試合から意識が離れていた。幼馴染の妙に焦った声ではっと我に返り、フィールドに視線を移す。
こちら側には、タカのチャーレムとジュカインであるカズハ。
対する向こう側にはマリルリと、チルタリスがいた。マリルリの姿に胸がざわつく。
どうしたんだと思えば、カズハは最初の位置から少しも動いていなかった。タカが指示を出しているのに、動こうとしない。何をやってるんだ。
よく見れば、カズハの体は濡れていて、紫色の液体を被ったような形跡があった。
……「どくどく」のような気がする。「どくどく」はただの毒ではなく、時間が経過すればするほど体力を奪っていく猛毒だ。長期戦はまずい。そう思うものの、相手のマリルリは水のリングを作りだし、自身の周囲に浮かべる。よりによって「アクアリング」かよ。こっちの体力を削りつつ、自分はじわじわ回復しようってことか。完全にカズハをなぶり殺しにする気満々じゃねーか。
そうして準備は整ったとばかりに、マリルリは水を纏った尻尾で何度も何度もカズハを打つ。
カズハはというと、その場から動かず避けようとしない代わりに、腕にエネルギーを集め、リーフブレードに近い状態を保って攻撃を受け流している。受けているのはダメージが半減する技だし、致命傷も避けているが、小さなダメージが積み重なっていくのは避けられない。そもそも毒を受けているから、時間が経てば経つほど不利になることくらい、カズハだってわかっているだろうに。
さらによく見れば、カズハの腕の葉が萎れているような。そう思った瞬間、はっとする。
……まさか、「そうしょく」?
ポケモンには通常の特性とは異なる、いわゆる隠れ特性というものがある。隠れ特性持ちは個体数が少なく、比較的最近になって発見されたらしい。
マリルリの隠れ特性は「そうしょく」。草タイプの技のエネルギーを吸収し、自分の攻撃力を上げる。つまり水タイプ持ちのマリルリには効果抜群のはずの技が効かない上に、相手を強化することになる。今の様子を見るに、マリルリがカズハに触れるだけでいくらかのエネルギーが吸い取られているようだ。
「反則だろ……」
すうっと血の気が引いていくのがわかる。相手がなぜ、ジュカインであるカズハにマリルリを当ててきたのかがわかると同時に、どうやったって勝てるわけないという絶望感が襲ってくる。無理だ。こんなの、無理だ。
チャーレムに視線をやる。チルタリス相手に善戦してはいるが、飛行タイプの技に警戒する必要があり、カズハを援護する余裕などない。タカは必死に巻き返しの糸口を探っているようだが、望みが薄いことは誰の目にも明らかだ。
なあ、カズハ。タカの指示に従ってくれよ。せめて避けてくれよ。頼むから、なあ。
そんな俺の願いとは裏腹に、攻撃が止むことはないし、カズハが避ける気配もない。まさか水色の悪魔であるマリルリを見て足が竦んでいる? そんな馬鹿な。カズハに限ってそれはない。じゃあ、なんで。
「何やってるんだよ、カズハ!」
たまらず俺が叫ぶと、カズハは声を張り上げる。
「――――――!」
カズハの叫びが胸を貫いた。
「な、にを……」
呻くような声しか出ない。
「――――! ――――!」
俺は、俺は……。
『ずっと、お前のことを待ち続けていたんだぞ……!』
不意にタカの言葉が蘇る。
そうして、出会った頃から変わらない、こちらを射ぬくようなあの目を、思い出す。
初めてのポケモンをもらいに行った、まだ幼かったあの時。たくさんいるポケモン達の中で、一匹だけ異彩を放っていた緑色のポケモン、キモリ。それがカズハだった。
他のポケモン達が人間に対して興味津々であったり、あるいは怖がっているのに対し、カズハだけはこっちを試すように睨んでいた。カズハの周りには人間はおろか同じキモリですらいなくて、そこだけぽっかりと空間ができていたのをよく覚えている。
一緒に来てた連中は、カズハのことを避けるようにして他のポケモンから選ぼうと見て回っていた。俺も目が合った時、その鋭い眼光に思わず固まってしまったし、そもそもこんな気の強そうなやつを選ぶつもりなんてなかった。だけど、どうしてだか目が離せなくて。他にいくらでも人懐こいやつや、大人しいやつだっていたはずなのに、もうそのキモリ以外は目に入らなかった。どうしてだろう。こいつだ、と感じたんだ。
「俺と一緒に、来てくれるか?」
歩み寄って恐る恐る聞いたら、どうにもお気に召さなかったようで、ぷいと横を向かれた。どうしてもこいつじゃなきゃいけない、と感じていた俺は困ってしまって、「なあ頼むよ」と声を掛けた。場合によってはエサで釣れと言われていたのを思い出し、ごそごそとポケモンフーズを取り出したものの、でも一向にこっちを向いてくれなくて、半ばやけくそになって叫んだ。
「俺と一緒に来い!」
突然大声を出した俺に周囲からの注目が集まって、しまったと思った瞬間。
「――――!」
威勢のいい返事が聞こえて、あの目が真っ直ぐに俺を見ていた。
あの時の安堵感と喜びを、俺はつい忘れてしまっていた。
そうか。そうだった。カズハは俺を選んでくれたんだ。そして、待っていてくれたんだ。俺なんかのことを。
本当に? いや、この光景を見ても疑うのか。
だけど、なあ。本当に俺でいいのか。俺じゃたどり着けないかもしれないのにいいのか。
いつだって悩む。いつだって迷う。
だけど、それでも。待っていてくれるか。叱り飛ばしてくれるか。俺についてきてくれるか。
なんて、愚問か。カズハ、お前とならきっとどこまでだって行けるって信じてる。
だったら、
「カズハ!」
そのために戦わなくちゃな。
俺は次の言葉のために大きく息を吸った――――
「ごめん……、俺のせいだ」
試合終了後、会場を出たところで俺は謝った。
あの後カズハが奮起してくれたものの、動き出すのが遅すぎた。毒のせいでカズハが先に倒れ、チャーレムだけではどうしようもなかった。一矢報いるくらいはできたかもしれないが、それだけだ。
俺がもっと早い段階でカズハに指示を出していれば。またしても俺達は水色の悪魔に負けた。
「あのな、この大会に出た目的は優勝だと思うか? 違うだろ、お前を更生させるためだ。だから、お前がまたバトルする気になったのが何よりの収穫なんだ。気に病む必要なんてない」
タカはそう言って慰めてくれるが、俺の気持ちは収まらない。
「いや、でも」
「いやもくそもねーよ」
だって、と俺は思いを吐き出す。
「負けるのは、やっぱり悔しいんだ」
その言葉にタカは、はっとしたような顔をして、それからにやりと笑った。
「負けるのが悔しくないやつなんか、強くなれない。何度も負けて悔し泣きしてどうしたら勝てるか考えて、地べた這いつくばってでも勝とうとするのがトレーナーだろ? へらへらして負けを認められないやつや、負けたことから逃げ出すようなやつはいつまでたっても弱いままだ」
最後の言葉が心にぐさりと刺さる。そうだ、俺は逃げ出した弱い人間だ。
そんな俺を尻目に、幼馴染は続けた。
「だから悔しいって思えるなら、まだ戦えるってことだ」
いや、そんな、と俺が戸惑っていると、突然タカがまくし立てる。
「そういえばお前さー、知ってるか。お前を負かしたあのトレーナー、今絶不調なんだってよ。あんだけ天才天才と持ち上げられても、所詮は同じ人間。悩みもすれば躓きもする。世の中何が起きるかわからない、先のことなんて誰も知らない。だから、ユーマはそれでもいいんだ。それで、いいんだ」
そうしてタカは、ようやく戻ってきたな、おかえり、と告げる。
負けるのは、怖い。だけど、いつまでも逃げてなんかいられないから。
カズハの入っているボールをぎゅっと握ると、それだけで勇気が湧いてくる。
また、カズハと一緒に戦いたい。この気持ちに偽りはない。だから。
「ああ、ただいま」
退屈な時間はもう終わりにしよう。
これから先、負けることは何度だってあるだろう。頂点に立つなんて夢物語かもしれない。でも、タカだって逃げずにいるから。それにカズハがいるから。行けるところまで行こう。きっと、大丈夫。
それにまだ駄目って決まったわけじゃない。一回大負けしただけじゃないか。
「また、頑張ってみる」
「おう、その意気だ」
そう言うなり、ほれ、と幼馴染が何かを放り投げてきた。反射的に受け取ってから気づく。
「おい、これ……」
それは俺がトレーナーだった当時に使っていたバッジホルダーとそれに納められたいくつかのジムバッジ。
「懐かしいだろ、お前の部屋から発掘した。どうせ仕舞い込んでるだろうと思って探したんだ」
俺の部屋漁ってたのはこのためか。
「これ見せたらお前もやる気出すんじゃないかと思ったんだが……渡しそびれてた、わりい」
大敗した後、視界に入るのすら嫌で奥へ奥へと押し込んでいた。捨ててしまおうかとも思ったけど、どうしてもそれはできなかった。隠すように仕舞い込んでそのまま忘れていた。
経過した年月のせいか、昔は輝いていたバッジはくすんでいたけど、それでも手にすればあの頃の気持ちが蘇ってくる。一つ一つ、思い出が詰まっているバッジ。きっと、立ち直る前なら蘇る記憶や気持ちに怯えて拒絶してしまっていただろう。このタイミングで渡された方がずっといい。今渡されてよかった。だから素直に感謝を口にした。
「……ありがとう」
「ま、オレの方が多いけどな」
そんな殊勝なことをした俺に、タカは憎まれ口を叩く。
なんだよ、元々ぼんぐりの背比べみたいでほとんど差なんてなかっただろ! ちょっと休んでただけだし!
「すぐに追いついてやるから、覚悟しとけよ、タカ」
そうだ、タカぐらいすぐに追いついて、いや追い越してやる。目標は高く、夢はチャンピオン。なんてな。
そんな俺をよそに、タカはイラっとするような仕草で肩を竦める。
「どうかな。まあ精々足掻けばいい」
な、人がせっかく再スタートしようとしているのに、それを挫く気か! もっと優しく接しろよ!
俺がイラッとしたのを見たタカはにやりと一言。
「チビのくせに」
その言葉への苛立ちが先ほどまでの感謝の気持ちを完全に吹き飛ばす。
くっそむかつく! だからチビって言うな! そっちもすぐに追いついてやる!
○ね、氏ねじゃなくて○ね! そして縮め!
この恩は熨斗つけて返してやるから首洗って待ってろコノヤロー!
――――――――
オタコン没ネタ(http://rutamaro.web.fc2.com/)
お題:「あい」
使用副題:退屈を打ち壊しに来た
Q.没ネタと言いつつ応募作より長くて気合い入ってるってどういうこと?
A.期間内に書き上がる気がしなかったからだよ。あとお題のあいが行方不明だったからだよ。書き上げたけど今も行方不明だよ。相棒…?
オタコンは2012年の6月…。なんということでしょう。
完成してよかった。
この副題考えたのはどなたかわかりませんが、素敵なフレーズありがとうございました。
あれを見た瞬間、ドアをぶっ壊して誰かが入ってくるシーンしか思いつかなかったです(ドアはそんな簡単に壊れないとか言わないお約束
タイトルは久方さんの幼馴染シリーズに触発されました。でも内容が掠ってすらない不思議(
自分としては異様なくらいまっとうな話でどうしてこうなった。
ただまあ、全文に渡り、はいはい説明文説明文。描写?なにそれおいしいの?(
最後蛇足っぽいけど、幼馴染にむかついて終わりにしたかったのでこうなりました。
戦闘シーン書きたくなさ過ぎて困った思い出。ていうかそのせいで三年以上もかかった気がする!
ポケモンの組み合わせに、ねーよ!って言われそうですが、お話の都合ですという言い訳を書いて終わりにします(
相談に乗ってくれたもーりーありがとう。チルタリスかわいいよねもふもふ。
特性「そうしょく」の解釈はあきはばら博士のアイディアを丸パク…もとい参考にしました!
ありがとう博士ありがとう!
お粗末様でした。