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  [No.3881] 祈りが雑音に変わるとき 投稿者:逆行   投稿日:2016/01/24(Sun) 23:53:04   41clap [■この記事に拍手する] [Tweet]

 山は、深緑の木々を身に纏う。山は、少々の霧に覆い被され、毅然と広汎に聳え立っている。
 山の手前には、住宅が立ち並ぶ。時折、森から強風に運ばれた葉が屋根に着地する。騒がしく鳴き声を飛ばしながら、今も電車が走っており、悠々と森までその音は届く。
 山ではポケモン達が、大層平和に暮らしていた。元気な子が、走り回る光景が良く見られた。木の下では、日が苦手なポケモンが、暗くなるまで談笑していた。
 彼らは、仲間外れを許さなかった。種族の隔たりなどという不穏な物は、一欠片すら介入させなかった。
 現在の森は、誰がどう穿った見方をしようとも平和だ。しかし、かつては違った。むしろ、真逆と言うべき惨状だった。
 乱獲が行われていた。人間は無慈悲残酷に、ポケモンを捕らえた。時には殺した。数える間もなく、仲間が減っていく惨事。仮眠する間すらなく逃げ続ける日々。彼らは、心身ともに疲れ果てた。とある者に至っては、心配する仲間が不敵に笑う人間に見え、更には風の音を銃声と紛うようになって、最後にはツルノムチで、自身の首を細くした。
 枯れ葉の上で、寝息を立てずに寝ていた、一匹のポケモン。見つけた仲間は、人間を更に恨む。同時に、復習なんて無理という、己の非力さを酷く悔しむ。
 今から、三十年ほど前か。乱獲の規制が、厳重化されたのは。ここでようやく、彼らの元に平穏が訪れた。平和、という状態がどんなものかさえ忘れかけていたポケモン達は、この上ない惨劇と絶望の反動で、凄まじい幸福感に包まれた。洞窟から抜け出して、外を駆け回れる自由。嬉しさを噛み締める日々だった。最も、人間達への恨みの感情が、決して消え失せたわけではないが。
 協力して、見張り役を割り当てた経験。人間に対する、共通した憎しみの感情。だから彼らは、連帯感に優れていた。それぞれの縄張りを、荒らす者はおらず。誤って、別の縄張りに入った子供。責め立てるなんてとんでもない。だいたいのことは、笑って許した。種族間での、交流も盛んだった。冬場は貯蓄していた、食べ物を交換し合った。


 山の頂には、ポケモンが多く集まる。特に午後三時頃は、生活音が絶えず聞こえる。そんな場所に、ほとんど毎日のように向かう、一匹のポケモンがここにいた。これは、そのポケモンの物語。
 彼女の名は、『アラン』という。チルット、という鳥系のポケモン。もちろん飛べて、短い嘴を持っている。綿雲のような、ふわふわの翼が特徴的。丸っこい体は、空のように素朴な水色一色で、塗られている。目はくりんとしている。長い爪の生えた足は小さい。
 アランはここで、歌を歌おうとしていた。歌うことが大好きで、いつもこの場所にやってくる。
 普通歌う時は、がやがやしたポイントは選ばない。自分の声が、聴きづらくなるのを避ける。人間なら、周囲の壁が防音の、カラオケボックスに入室する。けれども、アランは違った。音が乱れ飛ぶこの場所を、あえて選択するのである。
 倒れた巨木に、ちょこんと乗る。チルットは、綺麗好きな種族だ。しかし野生のポケモンは、木に生えた苔を、汚いとは感じない。故にカサカサした感触を、避けることはしない。落ち葉が乗っていたら飛ばす。翼で軽く風を起こして。
 束の間目を閉じて、集中を込める。ふわふわの翼を大きく広げる。嘴を開いて息を吸い込む。そして、歌い始める。誰にタイミングを、合わせることもない。眼前にも脳内にも、指揮者が登場することはない。
 歌声は響き渡る。とても良く、辺りに響き渡る。けれども、だ。森のポケモンは、特に反応を見せないのだ。すなわち、聴こうとしない。首を曲げないし、喋るのも動くのも止めない。ただひたすら、各々の生活を継続する。
 自分主体の活動に、揃いも揃って無反応。ただしアランはそのことで、膨れっ面になったりしない。却って彼女は反応が、ゼロであることを期待していた。
 ポケモン達の生活音、そして彼女の歌声が、幾重にも重なりあっていた。ここは極めて混沌だ。とてもとても、カオスである。
 近くてイトマルが糸を吐く音。遠くでピカチュウが、弱めの電撃を使用してオレンを焼く音。トサキントが、角から水面に衝突して、大きく水しぶきを上げる音。ドッコラーが、木材を橋にして、川を渡ろうとするも、バランスを崩して落下する音。それを見た、マンキーの笑い声。
 アランは、これが好きだった。この混沌を愛していた。自分の歌と他の音。混ざり合うのが快適だった。
 唐突に本当に唐突に、アランは歌うのを停止した。そろそろ飽きたからである。だから終了したのである。
 みじんも拍手は起こらない。アンコールなど都市伝説。それでもアランは満足だ。明るい気持ちで帰っていく。
 このチルットは、ただ自分の楽しみのために、心の解放を味わうために、たったそれだけのために歌う。


 それは、突然だった。別のチルットが、森に現れた。アランとは、血の繋がりがない。名前は『サラ』。アランより体の色が薄い。嘴は若干丸っこい。足に生えた爪は綺麗に切り揃えられ、翼は少し小さい。しかし、そんな外見の違いは、アランにとってはささいなことだった。
 サラのことを、知っていたポケモン。知らなかったポケモン。半々に別れた。知っていたヒトは、サラの元まで駆け寄る。皆心配そうな表情を浮かべていた。ように見えた。現在の自分の状況と感情。みんなにサラは、それを話す。笑顔で話す。彼らは安心した表情に変わった。
 サラは一通り、知り合いと会話した。初対面だが声をかけてくれたワタッコとも話した。
 その後サラは、歌を披露した。その場にいた、何匹かのポケモンの前で。
 アランはそのとき、近くにはいなかった。遠くから歌声が聞こえて、すぐに駆けつけた。
 駆けつけたとき、既に一曲終わっていた。しかし、アンコールがかかっていた。サラは苦笑いを浮かべ、夕焼けの空を、チラと見た。じゃあ、もう一曲だけ。そう言って、再度歌いし始める。
 歌うことが、同じく好き。なおかつ、同じ種族。アランは、親近感がとても湧く。それは至極当然。この時この瞬間のアランは、嬉しい気持ちで満たされていた。サラの近くへと寄る。間近で聴きたい、これも至極当然の感情。
 ところが。
 アランはじわりじわりと、後ろへ下がっていった。悟った。好きではないと悟った。怒りすら覚えた。哀しみも生まれた。同類を見つけて、喜んでいた自分を恥じた。聴くだけでは、芽生えなかった感情。歌っている様子を見て初めて、芽生えた感情。サラの歌には、不純物が混ざっている。そんな気がした。いや、違う。何かもっと。分からない。言葉では表せない。確かな違和感が、存在する。
 アランは、最後まで歌わなかった。切りの良い所で切った。みんなはこぞって拍手をした。驚愕するアラン。サラは丁寧に頭を下げ、また赤い空を見る。
「もう帰らなくちゃ、みなさん聴いてくれて、ありがとうございます」
 悲しげな声。翼を広げる。不意に強風が吹く。夕方の、少々寒い風が吹く。その風に乗るようにして、サラは飛び去っていった。
 アランは束の間、ぼーっとした。はっとした後、急いで追いかける。焦って飛ぶ。どこ行くんだ、というドゴームの大声を無視する。
 なぜ、あんなに、あの子の歌が、受け付けなかったか。その謎を、解明したかった。
 サラはいったい、何者なのか。どこからきたのか。なぜここにきたのか。全ての情報をアランは持ってない。
 理由が、掴めるかも。彼女のことを、知れば。彼女と少し、話せれば。
 サラは、何やら急いでいたにも関わらず、捕まえようとする。これは、自己中心的だ。だが、衝動が抑えられないから仕方ない。
 サラが、森を出る。まさに、その直前。追いついた。追いついて、声を発した。
 振り返るサラ。同種族が迫ってくる。ものすごいスピードで。思わず目を見開いた。
 サラの近くまで到着。驚かせてごめんと、即座に謝罪する。ぜえぜえと空気を吸い込む。寒いにも関わらず、汗を大量にかいていた。
「初めまして私はアランって言うのだけど、あなたに聞きたいことがあるのだけど、どこからやってきたの、なんでもう帰っちゃうの?」
 いきなり質問を二つ。しかも一文で。普通なら戸惑う。だがサラには時間がない。速攻で簡潔に答えを出した。
「私は人間のポケモンです。元々この森に住んでいましたが、少し前に、自分から捕まりました。主人がいない間は、自由に家を出入りできます。けれども、流石にそろそろ帰らないと。今日は久し振りに、みんなと話せて楽しかったですよ」
 野生ではない。アランは息を飲む。
 人間は、ポケモンを捕まえる。モンスターボールという、道具を使って。捕まえたポケモンは、戦わせたり、ペットにしたり、仕事をやらされる。一般的には、良い扱いはされないと言われている。捕まりたくない。これが大半のポケモンの本音である。
 しかし、マイノリティもいる。この人間は、自分は気に入った、等と言って、自分から拿捕されにいく者も、一定数いる。どの集落にも、だいたい一匹はいる。ポケモン達は大概、そいつを行かせまいとする。大抵誰かは、号泣して説得する。それで、決意を緩めてくれる事例もある。だが変わらない奴は変わらない。
 そして、その後。野生のポケモン達の行動だ。これが、なかなか醜い。人間の下についた奴の悪口を、口々に言い始めるのだ。どんなに仲良く、していたとしても。どんなに助けて、貰ったとしても。必ず絶対に、手のひらを返す。そして叩く。あいつは、ろくでもない奴だと。
 特に、この森に住むヒトの場合だ。人間に対する恨みが、一際も二際も強い。だから、その傾向もまた強い。しかも、自分から捕まりに行ったポケモンだけでなく、捕まってしまったポケモンまで理不尽に叩く。アランは、この傾向にこう感じていた。肌が粟立つほど恐ろしい。
 人間と積極的に仲良く暮らす、という外れた行動に関して、アランは別に、良いとも悪いとも考えておらず、どっちの価値観も尊重すべき、という中立思考に落ち着いていた。
「では、私もう行きます」
 歌い終わった後と同様に、サラは丁寧に頭を下げる。そして背中を見せた。
 アランは束の間、うんうんと考えた。その後、すうっと高度を上げる。付近の町が見渡せる高さまで向かう。一匹の青い鳥が、同じく青い屋根の家に入る。それを確かに目撃した。
 戻ってくる。案の定の光景が広がっている。サラの悪口が、あちこちから聞こえてくる。仲良くしていたヒトも、手のひらを返して蔑む。
「個人的に、人間に捕まろうとするのか全く理解できないよ僕には。自分で自分を、縛ってどうするのさ。なんで逃げられるのに、逃げないんだろう」
 冒頭に、必ずと言っていいほど、「個人的には」をつけて話すディグダ。彼はそれが、癖になっている。
「それな。意味分からんよな」
 誰かが何かを言うと、振り向きざまに「それな」と返すキモリ。それがカッコいいと思っている。
「近頃の若いものはこれだから。大変だった時期に、生きてないからのう。今は優しいようだが、そのうち奴のトレーナーは正体を現し、奴を虐げるようになる。そしたらいい気味じゃ。わしらより苦労してないのだから、存分にこれから苦労すればいい」
 若者を、苦労してないと決め付け、ここぞとばかりにこけ下ろす、老害のモジャンボ。
「まあ考え方は人それぞれだけど。でも私も人間に捕まってる子嫌い。後なんか、あの子顔キモくない? まあそれでもいろんな考えがあるんだろうね」
 客観的に言っているように、見せかけようとするラフレシア。
 決して言わない。本人の前では、本音を漏らさない。陰湿。不穏。気分が良くないこと。けれども、変わることはない。
 いくら、あの子の歌が嫌いでも、ここまで石を投げられていたら、気分が悪くなる。そう、思ってはいた。けれどもアランもまた、その本音は漏らさない。溜息もまともに付けない。
 理由は、彼らに歯向かえば、敵意を見せれば、自分まで嫌われてしまうからである。それ以外の理由はないが、その理由が大きすぎる。本音を一人に聞かれれば、その誰かが誰かに報告をして、報告されたヒトがまた別の誰かに知らせて、そうして、ねずみ算式に増えていって。最終的に、この森、いや、この世界のヒト達全員が自分のことを嫌いになる。そんな被害妄想に、アランは苛まれてしまう。もはや、彼らのことを言える立場ではない。本人の前で堂々と言わない彼らを毛嫌いする彼女もまた、そんな彼らに対して堂々と言うことをしないのだ。
 けれども、その利己性と矛盾性を、彼女は肯定する他はなかった。肯定しない限り、自分が壊れてしまうような、そんな感じがするからだ。それに、「陰口は嫌いだが、それを指摘しない。嫌われたくないから」、という類の矛盾に関しては、何故か世間から許しを得られるような、そんな感覚を持っていたのだ。
 けれども、このままでいいや、とも思っていない。このままでは、何回も嫌な思いをする。
「ちょっと……どうかなって……思うよね」
 飛んでいるアランの傍に、風に乗って寄ってくるポケモンが一匹。このポケモンは、ワタッコだ。アランとは親友であった。
「陰湿で嫌になるよね」
「サラさんと……話すときは……みんな心配している感じだったのにね」
「うん」
「別に……ヒトそれぞれでいいと思うけどね……人間に捕まったっていいじゃないかと……あまり……考えを押し付けて他人の自由を奪うのは……私はあまり好きじゃない……」
 ワタッコは、飛行タイプではない。けれども、巧みに風に乗って空を飛ぶ。体は青くて丸い。手には幾多の綿胞子。小柄な見た目と反して、ワタッコは最終進化系である。けれども、ワタッコはあまり強くなかった。それは、弱気な性格が起因していた。彼女は、波風立たせたくないタイプだった。だが見方を変えれば、優しい子であるとも言える。
 アランもワタッコも、この雰囲気にはほとぼと疲れ果てていた。それでいて二匹とも、面と向かって言いたいことを言えやしない。
「こうやって二匹でこそこそ言っている私たちもヒトのこと言えないけどね」
「それは……すごく思う……でも仕方ないよ」
「私は一回思い切って言ってみちゃおうかなあって、思うときはあるんだけどね。なかなか勇気が出なくて」
「いや……止めときなよ……」
「冗談だよ」
 完全に冗談、という訳でもなかった。言ってしまおうか、と本気で思うときが多々あった。言わないと駄目だろう、とも考えていた。
「私は、本当に……平和のままでいてほしい……それだけ……」
 そう言った、直後のことだった。木枝が大きく揺れる程の、強風が吹いた。宙を漂っていたワタッコは、その風によって飛ばされた。呆気無い。ワタッコは、風に乗って自由に飛べる。けれどもワタッコは、強風が一度吹くとこうなる。弱風に乗るのは巧いけれど、強風には滅法弱いのだ。
「あーあ。ちゃんと木の後ろに立っておかないから」
 そう呟くアラン。今もなお遠ざかっていく親友。


 翌日。アランは、サラの家の前にいた。昨日で場所を特定しておいたのだ。
 窓からそっと家を覗いた。その行為は、些か道理に反するであろう。それに、人間の町に飛び出したら、捕まる危険も普通にある。けれども、そんなことはお構いなし。それだけ、アランは例の理由に対する、関心の気持ちが増幅してしまった。
 小刻みに揺れている綿雲を、すぐに見つけた。少々見えにくいが、サラは一人の人間と、対峙していることが判明した。
 彼女は、その人間に歌を聴かせていた。人間は歌を聴きながら、うんうんと頷いていた。
 やはりアランの耳には、その歌は綺麗に届かなかった。その理由は、朧気ながら判明してきた。
 歌い終える。すると、人間があれやこれやとサラに指示を出し始めた。そしてサラはその指示に、時々難しそうな表情を見せつつも頻りに頷き、最後には真面目な表情になった。再び歌い始める。先程言われた箇所を、修正しながら。
 アランがサラの歌を、あまり心地よく感じなかった理由。それは、歌う目的が異なることを、感じ取っていたからに他ならなかった。アランは完全に自分の楽しみのために歌うに対して、サラは主人のために歌っていたのだ。誰かに聞かせるために歌っていた。

 再び歌い終え、サラは突として、外に視線を向けた。窓の近くには、予期せぬ存在。驚愕の表情を見せた。主人の方に笑いかけた。ドアを開けてもらって部屋を出た。
 サラは、二階の窓から飛んで出てきた。
「とりあえず、人間に見つかったら面倒なので、森の方へ行きましょう」
 サラの邪魔をしてしまい、申し訳なく思う。後悔がアランの胸を、少し焦がす。何はさておき、彼女の言っていることに従った。
「えっと、その、何のようでしょうか」
 森に移動が終了。いの一番にサラが口を開く。結構声が枯れていた。
「いや、なんか、その、あなたのことが気になって見に来ちゃって。邪魔してしまってごめん」
「下手に森から飛び出さない方がいいですよ。どうして私のことなんかが気になっているのですか」
「なんていうか、人間の下で生活するのってどういう感じなのかなって」
 ひとまず、遠回しに質問するアラン。するとどうだろう。サラは突然、笑顔になった。そして、饒舌になって話始めた。
「とってもいいですよ。人間の下で生活するのは楽しいです。私が歌を上手く歌い終わると、主人は手を叩いて褒めてくれます。ちゃんと歌っていなかったときは、誠意を込めてしかってくれます。彼と一緒にコンクールで優勝することを目指しているのですよ。優勝すれば、主人はきっと喜んでくれます。だから私はもっと練習しちゃいますよ!」
 そこで、サラは笑顔を止める。しまったという顔色を見せて、
「すいません、つい熱くなってしまいました。人間を心底憎んでいるヒトもいるのに、こんなことを嬉々と話すのは不謹慎でした」
「あ、大丈夫だよ。私は平気だから。それよりも、そうやって人間を喜ばすために歌うのって、楽しいの?」
 今度はアランが、しまったと感じる。一番聞きたいこと。一番不穏なこと。それを口走ったのは深刻な過失だ。
 サラは、考えこんでいる面持ちになった。その考えこんでいる面持ちは、「どっちだろう?」ではなく、「この人何言ってるの?」であることを、アランは見破って落ち込んだ。やがて、サラはきっぱりと、
「楽しいに決まっているじゃないですか」
 そう言い放った。
「でも私は、自分の楽しみのために歌った方がいいと思う。その方が窮屈じゃないし。自分が歌いたいように歌えるし」
 もう、やむを得ない。己の考えを、ずんとぶつけてみる。人間の下にいることは、とりわけ問題ないと思う。だが、自分の楽しみのために歌を歌わない。それは、賛同しかねる。  
「でも、それって自己満足じゃないですか。せっかくなんですから、誰かを楽しまさせた方がいいと私は思うのです」
 サラが言った後、そこで会話が止まってしまった。胸の中に確かに違和感は存在しているのに、なんと言葉にすれば良いのか分からず、言い返すことができないという、よくあるパターンに陥った。
 結局その後、サラに逃げられてしまった。帰りながら、アランは一匹で考える。けれども答えなど出なかった。


 この頃、変なチルットに目を付けられていて、サラは心底ウンザリしていた。
 相手を、刺激させたくない。そのために、敬語で接する。頭を下げる。反抗の意思をなるべく見せない。それが世の中を、上手に渡るコツだ。そうサラは考えていた。だから、あのチルットにもそうした。たが、そろそろイライラしてきた。
 アランという名前のチルット。彼女はいったい、何を考えているのか。自分が人間の下にいる。それが、癪に障ったのか。 
 でもそれよりも、歌を自分のためではなく、他人のために歌うって話、そっちの方が、真剣な眼差しを向けてきて、真剣な声で反発してきた。
 いったい何を、言っているのだろう。自分のために歌って、それで何が生まれるというのだろう。サラは正直、そうとしか思えなかった。
 野生のポケモン。人間に飼われたポケモン。価値観が違うのは、当たり前。気にする必要はない。そう自分に、言い聞かせる。そして、アランのことを、脳内から葬り去る。
 今日もサラは、歌を歌う。今度のコンクールでは絶対に一位を取る。主人を喜ばせるためには、一位を取る他はない。
 主人は現在いない。家にはサラ一匹。寂しいけれども仕方がない。一匹で練習するのは初めてではない。けれども、アランと話した後だ。主人が隣にいる状況。改めてありがたいと感じた。意識してしまった。だから寂しさを胸に宿らせた。
 

 アランは、今日も歌を歌っていた。この森の様々の音と共に、アランは歌っていた。この数分がすこぶる楽しい。だから、これでいいのだ。心にかけることはない。自分が楽しめるものを、自分が楽しめるときにやればいい。
 私は私。あの子はあの子。
 自分にそう言い聞かせていた。
 森のみんなは未だに、サラの悪口を唱えている。どうしたら、止めてくれるのか。いつまで言っているのだろうこのヒトたちは。
「もう悪口は止めなよ」そう言ってしまおうか、アランは酷く悩んでいた。言ってしまった後に自分が嫌われるのは確定的だ。冗談だよって笑って済ませることは不可能に近い。
 それは、とても怖い。けれども、このままではとても辛い。
 とある大人のポケモンは、こんなことを言っていた。
「俺は、思っていることははっきりと口に出して言って欲しいと思っている」
 けれどもそのポケモンも、言われた後はやっぱり心の中で蔑むのだろうなあ。


 今日も、帰ってこない。毎日遅くまで、主人は何をしているのか。日曜日のこの時間は以前はいつもいた。
 自分のことはもうどうでもよくなってしまった。そんな悲願的な考えが、浮かんでは消える。それを幾度も繰り返す。浮んでくる度に、ふわっとした虚無感が襲ってくる。
 そんな状況では、集中できる筈がない。サラはついに、主人不在では自分は、歌えないことを認めるに至った。そして、ひたすらにぼさーっとした。時が過ぎるのを待った。時折、外の景色でも見ながら。
 ふとアランの脳内に、この前、不行儀にも窓から家を覗いていた同種族の、顔が遮った。
 このままでは、時間の無駄。だったら、外に出よう。アランの歌を、聴きに行こう。
 以前勝手に、歌っている所を見られた。だったら同じことをしても、文句を言われる筋合いはない。
 ワタッコと会話していたとき、そう言えば、この森にもチルットが一匹いるんですよ、って話しになって、アランはちょうどこの時間にいつも歌っている、って言っていた。場所は教えてもらっていないが、声が聴こえればだいたい分かる。
 すらすらと、サラは予定を立てた。そしてさっさと家から抜けだした。いつもどおり、二階の窓から出た。
 森に入って数分後。うっすらと、歌が耳に届いてきた。そして直ぐに、アランの姿を確認する。サラは、ギリギリ見える位置の木の枝に止まった。
 アランの近くには、見事に誰もいなかった。そこにまず、目を洗われる思いをした。周りに誰もいない状況で、寂しく歌っている。その光景にサラは、シュールさすら感じた。そして思わずくすっと笑った。誰も聞いてないのに、何を一匹でわーわーやっているのか。
 そもそも、なんでこんな騒がしい場所で、歌うのか。その思考回路も、てんで理解できない。
 確かに彼女は、楽しそうに歌ってはいる。けれども、あまりにも荒削りだ。基本がなってない。歌い慣れている、感じはするけれども。
 さて、もう良いだろう。羽を動かすサラ。やはり自分は、間違っていなかった。自分の歌の方か、彼女のより遥かに上だ。自分の方が、上手かった。主人のために奮闘していた私が、正しかったことの何よりの証拠。
 それを、確信できた。それだけで収穫が、十二分にあった。
 帰り道。歌っているときの、微笑んでいるアランの表情が、サラの脳内にはっきりと浮かんだ。サラはそれを掻き消すかの如く、大きく羽を羽ばたかせた。


 アランは、またしても、またしても。サラの、家の前まで来ていた。
 サラはサラ。私は私。分かっていても腑に落ちない。考え方は、人それぞれ。そうやって結論づけてしまえば、何もかも平和だ。けれども、アランはわかりあいたいのだ。どうしても、彼女の気持ちを理解したい。そうして、仲良くしたい。だって、同種族で歌うのが好きな子が、初めて眼前に表れたのだから。そのような気持ちになるのは、致したがないことなのだ。
 他のポケモンに、見られていないか。それが気がかりだ。一応、高い所を飛ぶから、視界に入ってないと思うが。飛行タイプのポケモンが、周囲を飛んでいないことも確認している。
 万が一、ばれてしまったら。サラと会っていることが、漏れていたら。考えるだけで、冷や汗が大量に沸いてくる。なんて思われるのか、想像に難くない。追い出されたり、罰せられたり、文字通りに石を投げられたり、そう言った類のことはない。けれども、影で色々言われる。それだけで、かなりの一大事。
 前回と同様、窓から覗く。相違なくサラはそこにいた。だが、様子がおかしかった。もうばれても構わない。アランは、体を乗り出して観察した。
 サラの傍らには、誰もいない。サラは、一匹で歌っていた。寂しげな雰囲気。下を向いていた。目がうつろだった。肩幅を狭めていた。声が伸びていなかった。心なしか、曲調も暗く感じた。  
 サラは、主人のために歌っている。それなのに、主人が不在。それは、苦痛以外の何者でもない。容易にアランは想像がついた。
 アランは心の中で、サラに向かって嘲笑を浮かべつつ、「だから言ったのに」と非常に腹が立つ口調で、言葉を投げている自分を想像した。そして悦に浸った。束の間胸を張った。すぐに虚しくなって止めた。違う、こういうことは違う。
 サラは、依然として歌っていた。時折かすれ声を出した。嘘の笑顔を浮かべていた。溜息をちょくちょく間に挟んだ。ついにはやけくそ気味になった。
 以前のようにアランは、聴き苦しいと感取していなかった。むしろそれは、大なり小なり心に響いた。サラのことを、未だ認めてないにも関わらず、そんな変化が、アランの中で訪れていた。
 サラは、とうとう泣き始めた。ぽたぽたと不格好に涙をこぼした。それでも決して、奏でることは止めなかった。彼女は意地を張っている。それを、アランは悟っていた。そして、その姿にアランは感動していた。皮肉なことに、という表現が、これでもかと当てはまっている状況だった。
 

「ただ飯か食えるから、土曜日お前もいかないか?」
 大学の友人に、"彼"はこのように誘われた。
 そこに、彼は興味がなかった。されど彼は、人付き合いは良かった。友人の誘導に背く行為は、今までほとんど取ったことがない。だから、その手招きにも従った。少々悩みはしたものの。
 そこでは実際に、初回限定で、ただで昼ごはんを食べられた。小さい頃、学校の近くで、そこへの招待状を、怪しげな人物が配っていたのを、彼は覚えていた。招待状をもらった子供の多くは、それを道端に捨てていった。彼もまた、そうした。その招待状からは、独特の気持ち悪さが感じられたし、親からも、そこには行くなと言われていた。
 土曜日、友人に案内され、彼はその場所に辿り着いた。
 そこは、少々狭かった。田舎の、小規模な所である。人数も少ない。かなり、みすぼらしい格好を、している人が何人かいた。彼は思った。こいつらは、本当にただ飯目当て何だと。しかし、実際は違った。彼らは本気の本気の、紛れもない「信者」であった。
 ここに来た人は皆、「神に向かって」、熱心に手を合わせていた。彼も、よく分からずに手を合わせた。そして、意味も分からぬ呪文のような言葉を呟かされた。
 その後、彼は分厚い本を手に取った。初めて来た人は全員、その本を貰った。そして、その本を配った人が、「教え」を説いた。彼は眠気を、必死に堪えていた。
 帰宅して彼は、ベッドで寝っ転がりながら、何気なく、今日得た本を開いた。適当にパラパラとめくった。分からない単語が目に付いた。気になってしまって、ネットでその意味を調べた。
 一ヵ月後、彼は再び、同じ場所へと出向いた。横に友の姿はなかった。自分の意思でここに来た。彼は分からない単語を調べているうちに、だんだんと教えに興味を持つようになった。
 二週間後、また行った。その次の週も行った。その次は、馬鹿馬鹿しくなって行かなかった。しかし、そのまた次は行った。それからは、日曜日は必ずそこへ行った。
 彼は「教え」に関わる本を、大量に購入した。それらで、本棚の二段目を埋め尽くした。彼はそれで悦に浸った。いくつかのCDも、擦り切れるまで聴いた。質の高い傾聴環境を整えるために、高いイヤホンを購入した。教えについての知識量が、相当多くなった。
 何時しか彼は、その教えの虜になった。無関心だったその教え。今では、正しいものだと考える。彼は、誰よりも熱心に手を合わせた。心を込めて呪文を唱えた。神に認められるように努力した。
 シンオウ地方にある、ズイの遺跡には、次のことが書かれているものがある。
 全ての命は、別の命と出会い、何かを生み出す。
 彼は、この通りとなったのだ。教えと出会って、神と絆を結んだ。新たな考えを手に入れた。


 ここ最近の主人の不在率の上昇を、サラは切に憂いだ。先日に至っては液体を零した。
 日曜日のこの時間。何をしているのか。自分のことは、どうでも良くなったか。なんて悲壮感に漬かれば、取り乱すことを余儀なくさせられる。だから、考えないのが良策。しかし、そろそろ限界だった。
 聴いてもらわないと無意味。サラが歌う必要性が消滅する。主人を喜ばせることが全てという価値観は、ここにきて限界がやってきた。
 もういいや。主人なんて、どうでもいい。そうだ。認めてしまおう。私は見捨てられたのだ。
 サラは、完全に自棄になった。ここまで築き上げたものを、一気にぶち壊したいと思った。
 主人が、嫌いなように歌ってやる。
 サラは歌う姿勢になった。そして、主人が嫌悪するであろう感じで、わざと歌ってみた。
 少し経って、サラは笑顔になってきた。主人はこの歌を聞いたら、なんて思うのだろう。しかしこれもしばらくしたら、やはり虚しくなってきた。今度は、自分で好きなような感じで歌った。主人に縛られることもなく、縛られないことから無理やり逃れようとして縛られることもなく、完全に自由に。
 そのときサラは、感じた。楽しいと感じた。自分で自分の歌を聴いて、自分で歌って、ここにきて、それが楽しいと感じた。
 他人のために歌う。それは、聴いてくれる者がいないと成り立たない。けれども、自分で楽しむだけなら、そんな者など必要ない。
 アランは、自分の楽しみのために歌を歌っていた。それは決して間違いではなかったと、サラはたった今素直に認めることができた。
 サラは明日の予定を決定した。伝えに行くのだ。自分が間違っていたと伝えるのではなく、自分の楽しみのために歌うことも悪くはなかったって。もちろんアランに。

 
 アランは、自分の楽しみのために歌うこと、心の開放を味わうために歌うこと、それが正しいと思っていた。それだけが正しいと思っていた。けれども、今は違う。誰かのために歌う。誰かを喜ばして、認めてもらうために歌う。それも、決して間違ってはいない。
 アランの考えが、変わった原因。それは、紛れもなくサラだった。サラと出会い、会話し、歌っている所を見る。それによって、心に変化が訪れた。
 アランは現在、サラの家へと向かっていった。正直に、自分の思いを伝えるために。最初に突っかかったのは自分の方。だから、ちゃんと蹴りをつける義務がある。
 そして、彼女と出会ったら、もう一つやりたいことがあった。それは、一緒に歌を歌うこと。いつも自分が歌っている場所で、歌を歌う。
 もちろん、そんなことをすれば、回りのポケモンからは蔑まれるだろう。それでもいいのだと、アランは思っていた。嫌われることを恐れていては、何も生み出せないのだ。
 早く伝えたい思いが、アランの羽を速く動かす。今までに出したことのないスピードで空を飛ぶ。
 と、そのときだった。背後から、誰かの囁き声が聞こえた。
 最初はアランも無視をした。けれども囁き声が依然として止むことはなく、だんだん気になってきたので、急ブレーキをかけて振り返った。
 そこにいたのは、一匹のワタッコだった。風に乗って、ふよふよと浮いている。
「止めたほうがいいよ」
 いつもの、ぶつ切れ口調ではなく、極めて強い口調で、はっきりと、そう言ってきた。
「あのチルットに、何回も会ってるの知ってるんだよ。今日もまた、会いに行くんでしょ」
 アランはばれていたことに対して動揺していなかった。代わりに、動揺していないアランを見てワタッコが動揺していた。
「どうして、そんなことするの……。私以外の、誰かにばれたら、アラン殺されちゃうんだよ」
「殺されるって、大げさな。別に私はもう、誰かに嫌われるとか、どうでもいいの。私は、サラに会いに行く。サラと仲良くする。そして、これ聞くと驚くかもしれないけど、私はサラとあの場所で歌おうと思ってるよ。」
 そういいながら、アランはワタッコを退けて先へ進もうとした。
 次の瞬間。ワタッコは頭を大きく振り回し、チルットに向かって大量の「綿胞子」を付着させた。綿胞子が、アランの綿毛に入り込み、彼女のすばやさを急速に奪っていった。 
「ちょっと、何するの」
 ワタッコは、彼女の言葉を全く聞かない。どころか、綿胞子を更にアランに付着させた。
「もう逃げられないよ。絶対に行かせない」
 ワタッコは悠々と、逃げようとするアランの正面に立って見せる。もう完全に、素早さはワタッコの方が上だ。
「私はアランに傷ついてほしくないだけなの。この森が平和になって欲しいだけなの」
「傷つくとか周りが不穏になるとか、どうでもいいの。そんな理由で、自分の考えや行動を制限したくなんてない」
「アランは大丈夫なの? 森のみんなに嫌われて、影でこそこそ言われて、それで耐えられるの? 他人の悪口を聞いているだけでも辛かったのに? 自分が言われるとなったら、何倍も、何十倍も、辛い思いをすることになるんだよ」
 アランは落ち着いてしまった。走るのを止めれば、高ぶっていた気持ちも自然と冷えてくる。加えて、ワタッコから正論を諭される。
「私は……私は……」
 本当は、すごく怖かった。けれども、このままでは牢屋にいるのと同じことだ。自分らは、自由な野生のポケモンで、けれども色々なものに縛られていて、結局自由ではなくなっている。これで本当に、幸せとはいえるのだろうか。今回もまた自分の気持ちを隠せば、平和な日常が訪れる。けれども、また誰かの悪口を聞そこで少しずつ傷つくことになる。だったら、今日でまとめて傷ついてしまう方がいい。 
 もう、終わりにしてしまいたいのだ。
 アランは、一度緩めた決心を、再び固める。
「それでも、行くよ」
 そして、決意を堂々と示して見せる。
 しかしワタッコも、決して自分の考えを曲げることはしない。
「アランはいいかもしれないけど、私は辛いんだよ。親友が嫌われて、森中が不穏になって」
 決死の思いで、ワタッコは叫ぶ。
「私は、強風なんか吹いてほしくない!」
 それに対して、凛とした態度でアランは返す。
「一つ言っていいかな。ワタッコは、自分が今やっていることが分っているの? ワタッコは、自分の考えを押し付けているんだよ。そうやって考えを押し付けて、他人の自由を奪うことは嫌いなことだって言ってたよね。なのに、自分はやってもいいんだ?」
「……」
「あなたと、この綿胞子が、私から自由を奪っている」
 ワタッコは、言い返すこともしなかった。
「好きなように言えばいい。私はあなたをここから行かせない。それだけ」
「そう、だったら」
 アランは、ワタッコを睨みつけつつ、羽を広げる。
「こうする」
 ワタッコは、まさかのアランの行動に目を見開いた。アランは、力一杯羽を動かして強風を起こしたのだ。ワタッコは、いとも簡単に吹っ飛んだ。何かを言う暇もなく。アランは、吹き飛ばしも風起こしも使えなかった。けれども、強風に弱いワタッコ相手なら、紛い物のそれで十二分に役割を果たせた。
 親友であるワタッコを吹っ飛ばし、アランは再び走り出す。大量に付着した綿胞子のせいで、動きが大幅に鈍くなっている。それでも少しずつ一歩ずつ、着実に前へ進んでいく。


 体が限界に近づいていた。動きが鈍い体を無理やり速く動かそうとして、アランの体にはかつてないほどの疲労が蓄積されていた。後もう少しで、飛べなくなってしまうかもしれないのに、まだ森から出てすらもいない。
 それでも、アランは力を振り絞る。サラに会って一緒に歌う。それだけの目的のために。
 けれども、さすがにもう限界だった。アランはふっと意識を失った。そのまま落下した。運良く木に引っかかって、地面に衝突するのは免れた。
 速く行かなくては、夜になってしまう。自分を鼓舞してみるが、体に全く力が入らない。
 しだいに視界も霞んで行った。今日はもうだめか。明日でもいいか。けれども、またワタッコに止められる。また追い払えればいいが、次は何か対策を打ってくるに違いない。もう簡単にはいかなくなってしまう。それに、明日になれば自分の決心も揺らぐだろう。
 今日でなくては、駄目なのだ。
 自分の力の限界を嘆いていた、そのときだった。霞んでいく視界の中に、ぼやっと、自分に似た姿が現れた。それはしだいに近づいてきた。
 正体は、分かっていた。分かっていたけど、なんで彼女がここへきたのか、それは分からない。 
 アランは、きょとんとせざるを得なかった。まさか、サラの方からくるなんて、思っても見なかった。
 アランは枝の上で体を起こす。サラは、近くの枝に止まった。
「どうしたの?」
「あの、私、あなたに言いたいことがあるのです」
 彼女は、呼吸を整えながら言い放った。
「分かったんです。自分の楽しみのために、歌を歌うということの素晴らしさが。今まであなたのことを、ちゃんと考えもせず否定してしまってごめんなさい」
 アランは衝撃で目を見開いていた。サラの、たった今の告白は、自分が言おうとしていたことと正反対で、それでいて全く同じことだった。
「後、あなたのこと勝ってに遠くから見ていました。それもごめんなさい」
 アランはここで、ぷっと吹き出してしまった。これまでの行動まで、似通っていたなんて。これはもう、笑うしかない。
「私もね、同じことを伝えようと思ったの。私も、誰かのために歌うことの素晴らしさが最近分かって、それを伝ええようとしていた」
「そうだったんですか……」
 少しだけ沈黙して、お互い見つめ合った。その後、二匹は声を出して笑った。長い間、おかしくてずっと笑い合っていた。
 一頻り笑い終える。またしばしの沈黙があって、その間に、この後どうしたかったのか、アランは思い出した。
「良かったら一緒に歌わない?」
 彼女はほとんど、意外そうな表情を見せなかった。むしろ、待ってましたかの如く
「いいですよ」
 即答した。
「あともう一つお願いがあるんだけど、敬語はそろそろ止めてくれるかな」
「はい?」
 彼女が明らかに無理をして敬語を使っていることくらいアランは分かっていた
「分かった。敬語は止めるね。こんな感じでいい?」
 彼女は、すぐにやめてくれた。しかも、こっちの方が明らかに自然な感じだ。
「私たち、もう友達だもんね」
 サラは、満面の笑みで言った。


 二匹は、例の場所へと向かう。
 その途中で、聞こえてきた罵言は、もはや数え切れるものではなかった。アランが、人間に飼われているポケモンと、仲良くしている。一緒に楽しそうにしている。信じられない。裏切った。聞こえないと思っているひそひそ声の悪口のいつくかは、余裕でアランの耳に届いていた。
 けれども、そのどれもが、アランの心には響いてこなかった。というのは建前で、やっぱり多少は傷ついた。いや、多少ではないかもしれない。けれどもそれで、行動を変えることはない。アランはこれから、更に嫌われることを実行する。
 例の場所に辿り着いた二匹は、地面に降りて並んでみる。
「じゃあ行くよ」
 早速アランが合図を出した。けれども照れくさく感じてしまって、笑ってしまって結局仕切りなおす。今度は、サラが掛け声をだす。二匹は、同時に歌い始める。
 声量。巧拙。高低。伸び。全てが異なる二つの歌声。それが、見事に混ざり合い、森中に響き渡った。
 そして。
 森の音が、聴こえてくる。森の音が、歌声と混ざり合おうとする。そう。これが、アランが期待していたこと。アランの歌。サラの歌。森の声。この三つが混ざり合ったら、どんなものになるのだろうとアランは期待に胸を膨らませていた。
 ところが、だった。
 三つが混ざり合ったものは、あまり聴き心地の良いものではなかった。なんというか、違和感しかなかった。これはそう、サラの歌を最初に聴いた感じに近い。
 いったい、なんで。
 すぐにアランは悟った。
 それは、野生のポケモン達に、嫌われてしまったから、また、自分も嫌うようになったから。彼らを嫌いになればおのずと、彼らの音も嫌いになってしまう。
 もはや彼らの生活音は、「雑音」としか思えなくなった。
 アランは、途中で歌うのを止めた。サラも合わせて止める。
「なんかこのあたりうるさいね」
 サラは苦笑いを浮かべていた。アランは頷きながら、
「そうだね」
 同じく苦笑した。
「もう少し静かな場所へ行こうか」
「森の奥の方へ行こう。あそこなら、ポケモンが少ない」
 全ての命は、別の命と出会い、何かを生み出す。
 けれども同時に、失ってしまうものもたくさんある。アランは、ワタッコとは仲が悪くなった。森のポケモン達から嫌われた。自分も彼らが嫌いになった。
 そして、彼らの音とアランの声はもはや、綺麗に調和することはなくなった。
 空は、赤一色で染まりきっていて、破かれたかのような細切れの雲が漂っていた。黒く光る太陽に向かって、迫っていく二つの綿雲の姿があった。