揺れる。 揺れる。
「ぐらぐら」ではなく、かといって「ゆらゆら」という訳でもなく、
ゆっくりと鈍い音を立てながら、その柱は塔の中心で揺れ続けていた。
揺れ幅には一寸の狂いもなく、一定のリズムを保ちながら揺らぎ続ける柱。
気になったのでじっと眺めて観察してみたが、その動きはどうやら止まる事は無い様だった。
柱は、休む事を知らずに振れ続ける。
まるで、生きるために働き続ける私達の心臓のみたいに、マダツボミの塔の心柱は動いていた。
ふと思う所があり、私は手持ちのモンスターボールの中にいる相棒を眺める。
そのカプセル状の機械にすっぽりと収まった小さな命も、
「ゆらゆら」と弱々しくはなく、
かといって「ぐらぐら」と雄々しい訳でもなく、
静かに、だけどしっかりと揺れて――生きていた。
やはり、その一つの命から目を反らす事は、私には出来そうにも無かった。
……するつもりも、毛頭から無かったのだけれども。
◇ ◆ ◇
ジョウト地方、キキョウシティ。
古い建造物が多く残されているのが特徴的なこの町の北側、川を隔てた先にマダツボミの塔という名前の名所がある。
そこでは昔から、塔にいる坊主達とポケモンバトルをして見事勝ち抜くと、いあいぎりの秘伝マシンを譲り受ける事が出来るしきたりがあり、登竜門の意味も兼ねて多くのトレーナー達が訪れていた。
僕は小さな頃から、休日になると此処の手前の桟橋によく来て、このマダツボミの塔に挑戦しに来る人とポケモン達を眺める事を趣味の一環として生活していた。
何時から、どうしてこの趣味を始めたのかは、もう憶えていない。
だが、こうして道行く彼等を眺めたり、時には出会い、話をしたりして行く内に僕は何処かで“マダツボミの塔”という歴史を見ている様な奇妙な感覚を覚えていた。
些細な出来事からちょっと大きな出来事まで、同じ時間を共有出来る。
例え忘れてしまったとしても、その一瞬一瞬に遭えるのが堪らないのかもしれないから、今も僕は此処に来続けているのかもしれない。
そしてまた一人、今日も塔からトレーナーが出てくる。
出てきたのは、今朝方に塔に入っていった、ピクニックガールらしき恰好の女の子。
特に慌てた様子も無く、落ち着いて歩いているので恐らくは無事勝利と秘伝マシンをその手に掴む事が出来たのだろう。
何時ものノリで、話しかける。
「今日は、お嬢ちゃん」
「? 今日は、お兄さん」
いきなり話しかけて、驚かれるのはよくある事だ。一々気にはしない。
そのまま世間話を、振り始めてみる。
「秘伝マシンは、ゲット出来たかい?」
「ええ、はい。相棒が頑張ってくれました。今は少しボールの中で休んでもらっています」
「そっか。おめでとう、お疲れ様」
「はい。有り難うございます、私も相棒も疲れました」
「良かったら、お茶とお菓子があるし、少し休んでいくかい?」
言ってしまった後に、あ、しまった。これってナンパかな。と若干不安になりつつも、
「お言葉に、甘えさせて頂きます」
という彼女の返事を聞いて安堵した。
あらかじめ持って来ていた紙コップに水筒のお茶を容れて、少女に渡す。
少女はそれを受け取り一口飲み、「美味しい」と言葉を漏らす。お口にあって何より。
自分様の紙コップにお茶をいれた後、そのまましばし沈黙が続いたので、僕の方から彼女にいくつか質問をしてみた。
「お嬢ちゃんはこの辺ではあまり見かけないけど、トレーナーとして旅をしているのかい?」
「そんな所です。……と、言ってもまだまだ未熟者ですが」
「……ジム戦にはもう挑戦した?」
「はい、なぎ倒しました」
「なぎっ…… 最近の子達は、強いな」
「いえいえ」
話の区切りに二人で一服。
今度は逆に、僕が質問される番。
「お兄さんは、何をされているのですか?」
「フレンドリィショップの、店員だよ」
「店員さんでしたか」
「店員さんです。今後ともご贔屓に」
「はい。今度キズぐすり買いだめさせてもらいます」
「お買い上げ有り難うございます」
こういう機会にお得意様を作るのも、一興である。
また一服。その時にバッグから取り出したネコブ飴の袋を差し出す。
あまり、子供にはメジャーでは無いかなと思っていたが、案外どうやらそうでもないらしい。
「私、これ好きです。良く家で食べてました」と言いながら二つほど袋から取り出し、「頂きます」と食べていた。
しばらくして、少女がマダツボミの塔の方を見上げて、話を切り出し始めた。
「……そう言えば」
「そう言えば?」
一度咳払いをして、彼女は言葉を続ける。
「そう言えば、塔の試練を受けていて一つ疑問に思うことがありまして」
「疑問、というと?」
「このマダツボミの塔の、名前の由来になっている言い伝えについて、です」
「ああ、あの塔にあるいつも揺れている柱は実は巨大なマダツボミだったって話?」
この塔にある、有名な言い伝えだ。
「はい。30メートルもの巨大なマダツボミがその柱になったというお話は聞きましたが……この言い伝え、個人的には若干惨いと思うのです」
「……どうして?」
そう、問いかけると、少女は俯きながら
「いいえ、やっぱり何でもないです」
「私個人の感情論だというのは、分かってますから」
と、言葉を濁した。紙コップのお茶には、彼女の表情が映し出される。
「えっと、話がそれました」
「疑問、というのはですね、そのマダツボミがどういう風に、どういう事情で、どういう経緯で柱になってしまったかは、一切語り継がれていない事についてです」
「言われてみれば……確かに」
「僅かに残っているのはただ巨大なマダツボミが柱になった。という事実かどうかも本当には分からない不明確な結果だけ。塔の名前にもなっているポケモンの事なのに、アバウト過ぎます」
少し憤る彼女に、苦笑いで僕は返す。
「何百年も、昔の話だからね。仕方がないよ」
「だからこそ、しっかりして欲しかったです。出来るなら、腕の葉はどうなったとか、見えない最上階に頭部はちゃんとあるのか、どうして揺れ続けるのかとか、もっともっと詳しく知りたかったです」
ため息を吐き、心底がっかりした様子で、彼女は呟いた。
「これじゃあ、ちゃんと言い伝えられて無いじゃないですかー」
「ご、ごもっとも。だけど――そういう事は、お坊さん達に質問してみれば良いんじゃないかな?」
「聞きにくかったんです」
即答。まあ……内容が内容、だからなあ。
俯いてた彼女が、顔を上げた。
その表情は、すっきり……と言うよりはどこか腹をくくった様にも僕には見えた。
「……でも、やはりそうですよね。ちゃんと正直に話して教えて貰うのが、一番ですよね。うん」
そう、言い切って紙コップに残るお茶を一気に飲み干す少女。
この時、彼女が何に納得したかは分からなかったが、何か突っかかっていた物が吹っ切れたのだろうと、勝手に解釈させて頂く事にした。
「それじゃあ、私は一旦ポケモンセンターに行った後、もう一度塔を登ってくる事にします。お茶とお菓子、ご馳走様でした」
「いえいえ。あ、そうだ」
返して貰った紙コップを受け取りつつ、僕はふと、思いついた事を口に出していた。
「ねぇ君、マダツボミ、捕まえていないかい? もし良かったら僕のイワークと交換しようよ」
「持っていますが……嫌です。お断りします」
ありゃ。まぁ、口振りからするに、マダツボミ好きそうだもんなあ。
大人気なく、交渉を続けてみる。
「む、どうしてもダメかい?」
「ダメです。自分で捕まえて下さい」
「イワークはタフで大きくて、たよりになるよ?」
ほら、と僕は自分のモンスターボールから“イワーク”を出してみせる。
いわへびポケモンと呼ばれるだけはあり、そのゴツゴツとした頑丈そうな岩で出来た巨躯は、何時見ても立派な物だ。
「確かに防御は高そうですし、大きいですね」
「だろう?」
「しかし」
少女が彼女の手持ちのモンスターボールを開く。辺りが一瞬白い光に包まれた後中から“何か”のシルエットが浮かび出てきた。
ソレの身体は細くは無かった。
――太く、長く、最初は目の前に木があると勘違いした。
ソレの葉っぱは、決して小さくは無かった。
――急に暗くなったので、何事かと思い、僕は空を見上げる。
ソレの頭部は、僕のイワークの頭よりも微妙に高い位置にあり、しっかりと見る事は出来なかった。
――黄色。黄色黄色黄色。空の青がそこだけ切り取られている様だった。
ソレの頭が、此方を見下ろす。この時ようやっと、僕はコレがポケモンだと認識出来た。
そのポケモンの瞳は、つぶらだった。
「私のマダツボミの方が、強くて――大きいのですよ」
彼女がニヒルな笑みを浮かべながら言う。
僕は思わず背後の塔を見上げてしまっていた。