(前書)
二人が出会ってそんなに経ってない頃の話です。
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『パスワードは↑↓↑↓←→←→LR』
「またかよ!」
とキランは入力装置を殴る。赤ランプが回って警報が鳴り響く。下っ端戦闘員がどやどやと集まってきて、各々モンスターボールを開放する。
キランはドリュウズを出して応戦する。その間に、犯罪の決定的な証拠資料やら悪の組織の首領やらを上司のレンリが確保する。そして、下っ端に追い回されるキランを回収する。
いつも通りと言えば、いつも通りだった。だが。
「もうちょっと、警察らしいというか、そういう仕事をやりたいんですよ」
後始末を終えて戻ってきた警察署で、キランは愚痴った。彼の机の上には、ねじねじ帽子とキラキラマントが、休憩、とばかりに重ねて置かれている。
愚痴られた方は、柳眉を寄せた。
「らしい、とは?」
聞き返される。キランはへばっていた机から身を起こし、上司であるレンリへ顔を向けた。
「つまり……」
血気盛んな若人の暴走族グループに毛が生えたような悪の組織じゃなくて、もっと高レベルな奴を相手したい。コソコソするんじゃなくて、真っ向から勝負したい。ねじねじ帽子だのキラキラマントだの、そういう悪の組織コスプレをして忍びこむのをやめたい。
おおよそ、今やってる仕事と真逆である。
ところで、キランの上司であるところのレンリという女性は、控えめに言って美人だ。
キランの好みは自分より背が低くて笑顔がキマワリのように素敵な子だったはずだし、上司がせっかくの綺麗な黒髪を紅色のメッシュで染めているのも気に入らなかったはずだ。
なのに上司から繰り出されるコスプレの指示を、キランはホイホイ聞いている。これが惚れた弱みというやつだ。
「今の仕事とは逆、ね」
レンリの紅い目が半ば伏せられた。この場面を切り取って、『憂い』とかなんとか適当な題を付ければ一枚いくらで売りさばけそうだ。実際やってる奴もいるらしい。
「二人だからな。あまり危ない橋は渡りたくないのだけれど」
『憂い』のまま黒髪を揺らしたレンリに、キランは慌てて前言撤回した。
「いや、ちょっと気の迷いというか、若気の至りというか、まあ、忘れてください」
そして、「そういえば」と言って話題を転換させた。
「レンリさんが“ゾロア使い”って呼ばれてるの、本当ですか? 僕、あまりゾロアを見たことがないんですけど」
あんまりな急転換である。それを誤魔化すように、キョロキョロ見回すジェスチャーも付けた。これでさっきの愚痴も忘れてもらえるといい。
視界に入るねじねじ帽子がうっとうしい。上から押さえた。
「ゾロアか。最近は連れてきてないな」
いつも通り淡々と、レンリは答えた。その後で「そうだ」と顔を上げる。目が輝いている。若干、嬉しそうだ。
「なんなら、何匹か連れて来ようか?」
言うが早いか、キランの返事も待たず、どこかへ電話を掛ける。
電話が繋がると同時に、彼女はキランに背を向けた。電話をする人の習性の不思議だ。キランの方も習性で、なんとなく息を潜めた。
「もしもし、レンリだ。サクラを頼む。……ああ、サクラ、私だ。急ですまないが、ゾロアを何匹か警察署に連れて来てもらえないか? ……いいや、警察犬じゃないよ。あ、そうだ」
レンリがちらりとキランを見る。また背を向けた。
「どうせだから、百匹くらい連れて来てくれ」
百? 聞き間違いか、と耳を澄ませた。
「二百匹でも構わないよ」
増えた。
「多いなら何匹でも」
上限が撤廃された。
「じゃあ、スケジュールは後で相談しよう」
ピ、と電話の切れる音がした。ふう、と潜めていた息を吐いて、キランが背を起こす。こちらを振り返ったレンリと目が合う。彼女はふっと笑った。
「あの、レンリさん」
「サクラは、普段ゾロアの世話を見てくれてるやつ」
「そう、ですか」
そんなことより、ゾロアを何匹連れて来るのか、そっちの方が気になるのだけど。
キランのそんな気は露ほども知らず、「大仕事になるぞ」とレンリは上機嫌だった。
一日経ち、二日経ち、三日経ち。
ゾロアを連れて来る約束は忘れたのかな? とキランは思い、そもそも約束というほどの確約をしていないことに気付き。
四日経つと、都合がつかないんだろうと思い始め。
五日経つと、その他の雑事に追われてゾロアのことは忘れていた。
そして、二日休日を挟み、休み明け。
「いい仕事ができるぞ」
とレンリは言った。
「いい仕事、ですか?」
「そう」
オウム返しに尋ねたキランに、レンリは上機嫌に答えを返す。
「キランの希望の仕事だ」
――迷いの森の奥に廃墟があるんだけど、そこに住み着いたグループがあるらしくてね。手っ取り早く、正面切って追っ払ってほしいんだ。
コスプレも、パスワード付きの扉もない。まさしくキランが望んでいた案件だった。
近所だから行きはよいよい、建物の見取り図もレンリが手配してくれたから、密偵エルフーンを放つ手間もない。
地図通りに着いた森の奥には、廃墟というには立派な建物が鎮座していた。廃墟ではない、というだけで、建物らしからぬ四角四面だ。扉のある豆腐と言っても差し支えないだろう。
その豆腐の大扉を開くと、玄関ホールにたむろしていた黒装束たちが腰を浮かせた。気分的には「たのもー!」って感じだ。言わないけど。
代わりにこう言った。
「君たちのリーダーはどこ?」
答えるわけがない。黒装束の一人が、たどたどしい手付きでモンスターボールを投げた。残りは逃げた。
一人目のボールから出てきたのはゾロアだ。キランはエルフーンのボールを投げる。
「ウィリデ、エナジーボール」
うにゃん、と鳴き声を上げて黒い仔狐が倒れる。突破して奥に進んだ先で、二人目のボールが開いた。コジョフーだ。
「もう一度、エナジーボール」
わざを食らったコジョフーの輪郭が溶けた。黒い仔狐の姿に戻ったそれは、うにゃん、と鳴き声を上げて倒れる。
……ん?
「いけ、チラーミィ」
「ウィリデ、もう一回エナジーボール」
緑の光球を受けたチラーミィが、うにゃん、と鳴き声を上げて倒れた。ボールに戻る直前に見えたのは、黒い仔狐の姿。
……んん?
向かってきたアーケンにエナジーボールをぶつけてみた。
「うにゃん」
ゾロアだ。やっぱりゾロアだ!
黒装束たちが通路を塞ぎ、各々ボールを投げる。そこから出てきたのはゾロアゾロアゾロアゾロアゾロア……
「うわああああ、ウィリデ、暴風!」
動揺しながら指示した暴風は、動揺しながら伝わって、ポケモンだけでなくトレーナーも吹き飛ばした。その輪郭も黒く小さく溶けていく。トレーナーとそのポケモン、合計十匹の
「うにゃんうにゃん! うにゃんうにゃん!」
――悪夢だ。
これは悪夢に違いない。
キランはドリュウズのボールを投げると、普段は選ばない高火力・広範囲わざを指示した。
「地震」
建物の四角四面が、ぐよんぐよんと豆腐のように曲がる。すわ倒壊するより先に、四角四面が溶けて消えた。
――幻影のアジトが消え去った後に残ったのは、黒山のゾロア集り。
放心するキラン。「あーあ」と肩をすくめるレンリ。
「ダメだったか」
ダメですね、と言う気力もなかった。そこに行き着くまでの言葉を組み立てる気力すらなかった。
そんなキランを尻目に、レンリは反省会を始めている。キランが喋れる状態ではない今、誰と反省会をしているのか。ゾロアだ。
「パンはボールの投げ方がいけないな。人間のフリをするならもっと手慣れた風にしないと」
「ターは建物をよく観察して。あんな豆腐みたいな建物はないぞ」
「ピーはまず化けようか」
「パン、コジョフーに化けるなら腕の動きに気を使って」
キランは思わず発語能力を取り戻した。
「パンって二回言いましたよ」
「何言ってるんだ? こんだけいるんだから名前ぐらい被るだろう」
間違いでなくて被りで正解らしい。レンリに抱き上げられたゾロアは、被った名前を呼ばれてしっぽを振っている。その他、数匹が足元に寄ってきてしっぽを振っている。何匹いるんですかね、パン。
推定二百匹のピーターパン以下ゾロア連中はレンリを囲い、揃ってしっぽを揺らしている。レンリもそれに応えて、笑顔を返していた。この場面を切り取ればプレミア価格が付きそうな、そんな笑顔だった。
なるほど、ゾロア使いだとキランは思った。そしてゾロアでないキランは、その輪を外から眺めていることしかできなかった。