1.朝と晴日(はるひ)
今日の日の出は午前四時四十八分でした。
晴日はその時刻の五分前には飛び起きて、日記の一行目にそう書き記す。晴日の字が一度できれいに枠の中に収まることは絶対に無い。幼稚園生のように列からはみ出し、前と後ろで取っ組み合いを始め、くしゃくしゃに泣き笑いしだす文字たちを晴日は消しゴムで何度も整列させていく。
だいたい良くなった所でちょうど、晴日の家に、晴日の住む小金市に、小金市も日和田の森も超えて広がるコバルト色の空に、朝日が顔を見せ始めるので、晴日は大急ぎで外へ出て、その日の最初の光を体中に吸い込む準備をする。ポッポがもう向かいの家の屋根の上で羽繕いをしていて、どこからかまた一羽舞い降りてくるのがいつも不思議だ。ポッポ達は寝て起きてそこにいるのではなく、朝とともにどこからともなく現れるんじゃないんだろうか、と晴日は思う。
晴日が作文の出だしを日の出の時刻で始め、終わりに日の入りの時刻を記すようにしたのは小学三年の二学期からだ。それまではずっと「せんせい、あのね」で始めていた。最初に習ったその書き方を晴日はずっと真面目に守っていたのに、いつの間にかクラスメイトは誰も使わなくなっていた。これも晴日には不思議な事だった。誰かがいつかにそうしようと決めたのでなく、いつの間にかそうなっている、ということは世の中に山程あって、その全てが不思議だった。もっと言えば納得がいかなかった。男子と女子が遊ばなくなったのはいつから?朝のヒーロー番組の話を誰もしなくなったのはいつから?
「それ」がいつ、どの瞬間に何がきっかけで始まったのか、それさえ分かればすっきりするのに、いつも晴日には分からない。晴日以外の人間はみんなエスパーで、テレパシーか何かで未知の情報をやり取りしているのだと晴日は半ば信じていた。エスパー同士のささやきあいが作り上げた透明な川のような何かの流れが晴日には苦しい。だから一日の終わりと始まりの瞬間が、太陽が登り沈むそれぞれの瞬間が、透明な川に打ち込まれたまっすぐな楔のように揺るがないのは、晴日にとって奇跡のように素晴らしく美しいことだ。
晴日は背筋をしゃんとしてその瞬間を待つ。家々の遠く向こうの山の輪郭が蜜のように溶け出す。この瞬間だけ世界中を包む金の粉が細かくふるえている。ここから見えないどこか遠くを飛ぶ黄金色のレディアンの羽音が晴日の耳に絶え間なく聞こえている。
2.月と一万歩
昼間、男は真夏の影のように部屋で縮こまっている。夏ってのはどうしてこうも無神経で、野放図で、憂鬱を知らないんだろうと思いながら、扇風機のぬるい風を浴び、緑の葉にくっついたキャタピーのようにブランケットにしがみついている。
真夜中の、世界中があらゆる悪事や悲しみや辛さについて見て見ぬふりをしてくれる間だけ、男は少し楽になる。することは何ということもなく、読みきった漫画を読み返したり、携帯ゲームで時間を潰すだけのことだ。腹が減れば泥棒のように階段を降りて、ダイニングに置いてある冷えたチャーハンや焼きそばを胃にかきこんで、またひっそりと自室に戻っていく。
男は、自分は人生というものからずれている、と強く思っていた。運動会の二人三脚で何度も転んで相手に怒鳴られたり、トレーナーになってもポケモンへの指示のテンポが遅れて負けたりの連続で人生ができていた。近所のスーパーで仕事をすれば、発注のタイミングやレジ打ちの遅さでまたずれた。彼一人が仕事でずれれば、お客様や取引先と本社の関係もずれる。迷惑がかかる。彼が自分と人生のずれを確信したのはこの時だった。男はもはや身動きがとれず、実家の一室から出られなくなってしまった。
六畳の自室の外が全て静まり返った午前三時、それでもまだ声が聞こえる。男の内側で、人生とぴったり足を揃えて走れていたはずの自分の声がする。キラキラ光るまっすぐな道のずっと向こうから呼んでいる。
「お前、何してるんだよ」「いつまでそこにいるんだよ」「そのままでいいと思ってるのかよ」
何日も何日もそんな夜が続き、ついに男は耐えられなくなる。彼の足が半年ぶりにくたびれたスニーカーに収まり、彼のジャージは初めて外の風を浴びた。歩く、歩く、歩く。行き先は知らない。撮影後の、照明が消えたジオラマのような住宅街を歩く、歩く、歩く。右も左もでたらめなコースで歩く彼の後ろを月が付いて行く。それは比喩でなく、小さな三日月の形が男の二メートルほど後ろにぼうっと浮かんで、音もなく付いて行くのだ。彼が部屋に篭もりだした頃に「世話のいらないやつが欲しい」という理由で、ネットを通じて見知らぬ誰かに貰ったポケモンのルナトーンだった。
実際このミニチュアの月はトレーナーに何も求めなかった。本物の月の光を浴びられる夜を貰えればそれだけで充分なようだったので、男は晴れた夜にはそうさせていた。真夜中、男がつかの間でもどこか許されたような気分になれたのには、きっとこのルナトーンの存在もあっただろう。どんなに時が過ぎても欠けも満ちもしない三日月の形、不安定を保ったまま静かに安定しているその姿を眺めている間は、彼の人生の遠く向こうから急かす声を聞かずに済んだのだ。
そのルナトーンがこんな無計画な家出だか散歩だかに付いてくる。歩調を速めても緩めても、本物の月と地球のように一定の距離を保って後ろにいる。地球はこんなでたらめな軌道で動きはしないだろうけど。
男が立ち止まって振り向くと、ルナトーンもその場に静止していた。真正面から見る三日月形は冗談みたいな顔だったので、彼は思わず吹き出した。実に半年ぶりの笑顔だった。ルナトーンはよろめいたように揺れ、今度は右斜め四十五度に向き直し、止まった。男はいよいよ可笑しくなって笑い出した。こんな愉快なのは何時ぶりだろう。ルナトーンのキメ顔なんて俺が初めて見たんじゃないか?
ぷいっと反対を向いたまま付いてくる、器用なルナトーンを連れて夜を行く。時々振り向いて話しかけても息の切れない速度で。――ほらお前の本物が空にいるぞ、キメ顔見せてやれよ、な?
踊るように歩くふたりの上を、星と月がゆっくりと朝に向けて下降していく。男は自分の足が前に進むように自然な気持ちで、溜息みたいな薄雲が月を夜の端へ押しやるのを見ている。遠くから急かしてくるあの声はもう聞こえない。あれは誰だ。俺はここだ。地面に足をつけて俺は、俺の歩きたい速さで歩くんだ。
そして始めから決められていたように男の足は家路につく。丁度東の空が白く溶け始めた頃で、やけに周りがキラキラして見えた。だから斜め向かいの家の玄関にいたその少年のことも、夜明けの幻のように見えたのだ。幻でないと分かったのは、その少年が門扉ギリギリまで駆けてきたからだ。長らく使っていなかった朝の挨拶の言葉は、引っかかりながらも男の口から出てきてくれた。
その後すぐさま、少年が返礼と共に勢い良く頭を門扉にぶつけた音が、その日の住宅街の目覚ましの音だった。
3.十五年目のなみのり屋
マリルリの腹みたいな模様の浮き輪に体を預けて、あっちこっちの食い物屋から漂ってくる書き入れ時の香りやビーチでの子供喧嘩、スピーカーが流すぼやぼやした歌声なんかを遠くに感じながら入道雲を眺めているのが好きだ。空と海が一緒になって、俺の体まで波間の泡のひと粒になっちまったような気分でいるのが特に好きだ。
それで新鮮なイカ焼きがあればもう、何も言うことがない。プリっとした弾力ではち切れそうな固まりが、ブチンと口の中で弾ける。塩っ辛さと甘さが融け合い、風味が喉の奥へ消える時はやけに寂しくなる。その寂しさもやっぱり好きだ。
ただ、四方を赤白のブイで区切られた小さな海の中でそうしてると、唐突に甲高い声を浴びせられるのは好きじゃない。ワァ、ピカチュウ、カーワイイー!大声でしつこく呼びかけてくる子供よりはマシだが、ほっといてくれ。
とにかく俺は、くたびれた葉っぱみたいなサーフボードで宙返りして拍手を浴びるより、浮き輪に揺られてクラゲたちの真似事をしたり、イカ焼きを頬張っている方が好きだった。
それをしづらい理由が、今現在二つある。一つはさっきみたいな理由で、これは前からだから今更仕方ない。問題はもう一つだ。
俺が世話になってる土産屋の「なみのり屋」のカウンター裏でイカ焼きを味わってたら、今年現れた「もう一つの原因」が早速すっ飛んできた。
「師匠!こんな所でお昼ですか?こんなにいいお天気なんですから、お外で召しあがればいいのに!」
それはもうピッカピカのピカピカ声でそう言ってきたのは俺の自称弟子であるところの、夏の海と楽しい事とタコ焼きをこよなく愛する普通のピカチュウ、フリップである。彼女とその主人、ミナはうちでやってる「ピカチュウのなみのりショー」の今夏初日の最前列に現れて、最後のふたりになるまで残っていたかと思えば、俺の弟子になりたいから一夏の間住み込みで働かせてくれ、なんて突拍子もない頼み事をしてきたのだった。
「外で食うとお客が大げさに指差してくるからな、嫌なんだよ」
そう言うと、彼女はリボンみたいな尻尾を揺らして首を傾げる。
「でも、好きなものなのに、なんだか勿体無い気がします」
などと言うのだが、俺にしてみれば折角のくつろぎのひと時を他の奴に台無しにされる方が勿体無い。こいつの主人共々、どうにも若いのの勢いは苦手だ。
そしてミナの方は今、灯台守のデンリュウの光をそのまま音にしたような声を高く張り上げて呼び込みに精を出していた。
「アサギビーチにお越しのお客様、ご来場ありがとうございます!本日午後二時より『なみのり屋』にてとっても可愛いピカチュウのなみのりショーを行います!お代は頂きませんので、ぜひ御覧ください!」
可愛いピカチュウ、だとよ。レジを打ちながら親父がニヤッと俺を見る。十五回も人まみれの夏を過ごしているんだ、親父の言いたい事くらい分かる。なみのり屋の店主兼俺の主人に、俺は小さく溜息を返して準備にかかる。フリップが火花をぱちぱち弾ませて付いてくる。
どんなにダルいとか下らねえとか思ってても、親父の傍ら、ボロい小舟の上に立ち、サーフボードを両手に抱えると、腹立つくらいに背筋がしゃんとしやがる。
なみのり屋の手前の舗道の湖風で錆びた手すりの際にも、真直ぐ海に突き出た桟橋にも、小山のような人集りができていて、親父はその誰も彼もが知り合いみたいな口調で挨拶だのショーの説明だのをしていく。一生懸命ショーで使う道具の準備をしているミナにだって話しかける。
「いやあミナちゃん、あんまり暑くて、あの奥さんの連れてるメリープが、ショーが終わる頃にはデンリュウになってそうだなぁ?」
「そうですねー、あ!じゃあショーが面白かったらピカッと光って宣伝してもらいましょう!アカリちゃんみたいに!」
ミナは何年も前からここにいるように、軽く返事を投げ返す。さざ波のような笑いがそこらに起こり、それがショーの始まりの合図になった。笹舟のようなサーフボードに足を乗せれば、たちまち二十メートル四方の海は青い庭になる。
ブイにそって軽く一週。二周目は目があったお客の真ん前、お客が海に落ちないようボードを掲げて巡回してるフリップの真ん前で飛び跳ねてスピンしてみせる。ミナが投げ入れた三つのブイを右に左に避けて滑れば、飛沫が最前の子供に被って歓声があがる。
ミナが長い竿を高く掲げる。俺はその竿に吊るされた大きな輪の中心を睨み、足元に力を込める。波の下に何かがいて、ぐっと持ち上げてくれるような感覚。お客からは潮水でできたヌオーが首を伸ばしてるように見えるだろうな。俺は海色のヌオーの背を乗り越えて飛ぶ。空も海も音も無い感覚が一瞬全身を掠め、あ、と思う頃には輪を通り抜けて着水している。拍手、指笛、歓声の遠いノイズ。
竿も輪も無くなった空に踵を返すと、再び波底のヌオーを呼び覚まし、宙返りに向けて身を放つ。今度はあの感覚がしっかり俺を掴んだ。世界いっぱいに青が満ち、俺のサーフボードを柔らかく受け止めた。
親父の締めの挨拶。ミナの笑い声。奥さんのメリープはデンリュウにならなかった。ボードを抱えたフリップが真ん丸の目で俺を見ている。
目と耳に入る一つ一つが、まだ中空であの感覚に捕まったまんまの俺を丁寧にサーフボードの上に降ろしていく。人とポケモンで固まった小山が少しずつ散開していくのを見てようやく、ああ終わりだな、と思う。
ビーチを静けさが覆い始める夕方、ミナとフリップのなみのり練習を見てやってから、二匹で狭い海の中、浮き輪に乗ってイカ焼きとタコ焼きをそれぞれ食った。俺にとっちゃタコ焼きなんてのは、食ってるのがタコだかタレだかよく分からん代物だからあまり好きじゃない。そんな事を考えてたらフリップが急に話しかけてきた。
「やっぱり、勿体無いです」
「何がだ、俺がタコ焼き嫌いなことか」
「違います〜!」
呆けていて間抜けな答えを返した俺にフリップは頬袋を膨らます。それから真直ぐ俺を見て、言った。
「好きな物を、ちゃんと好きって言わないのは、勿体無いと思うんです」
俺は返事の言葉を探した。言えたのは、そうか、という一言だけだった。イカ焼きの方が好きだとか言って茶化すような事でないのは分かっていた。ミナとフリップが弟子入りを申し込んできた時の、まっすぐな夏の日差しみたいな瞳。彼女の眼差しが、あの時と同じだったから。
俺は今、好きなはずのクラゲの真似をして浮き輪に乗り、好きなはずのイカ焼きを味わっているのに、まるで冬空の下でそうしてるような気分だった。
「フリップは、なみのりが好きか」
「はい?えと、まだサーフボードに乗るのが精一杯ですけど、波の上に立つのって不思議な感じがして楽しいし、好きです!」
「…だよな」
俺はフリップの顔から目をそらした。真正面から太陽を見るのは、眩しくて痛い。
「じゃなきゃ弟子になんかならないよな」
独り言のように呟くと、今度はフリップが俺に問いかける。夕陽の放つ最後の光みたいな声で。
「師匠は、なみのりが好きだから、ずっとやってるんじゃないんですか?」
俺は波間に視線を落とす。15年もなみのりショーをやってきたはずの俺はこの質問に答えることができない。俺はくたびれた葉っぱみたいなサーフボードで宙返りして拍手を浴びるより、浮き輪に揺られてクラゲたちの真似事をしたり、イカ焼きを頬張っている方が好きだった。でもそれはいつからだったろう。思い出そうとすると胸の奥がチリチリした。
俺が好きだった本当の「なみのり」は、十五年の歳月のもっと奥にある。でも、それは――
「お前がもう少しなみのりが上手くなったら、教えてやる」
守れるかも分からない約束に、フリップは火花を弾ませて、はい、頑張ります、とピカピカの声で宣言した。プラスチックの容器の中、食い残しのイカ焼きはもう冷めていた。
4.留守番の晴日
――はるひくんは、キマワリみたいだね。それともネイティオかな?
晴日があらゆる作文に日の出と日の入りの時刻を記し始めた当時の担任は、さぞや返事に悩んだに違いない。ある作文の評価欄の末尾に、こんなジョークが追記されていた。晴日はその事を今も強く覚えている。ただ、それは先生の冗談が忘れられないほど面白かったから、ではない。何故こんな事を書かれたのか、晴日には理解できなかったのだ。
自分は一日中太陽を見ているわけじゃないし、夜に落ち込むこともない。空を見るより他の事をしている時間の方が多いし、晴日の見上げた空に夜が来ている間は、晴日の足元の向こう側に昼が来ている、というだけの話だ。それくらいの事は晴日も知っているのに、何でこんな馬鹿にしたような返事が来たんだろう?
五年生になった今はもう、晴日はこの文の意味は分かっている。これは単なる冗談で、晴日がキマワリやネイティオのようにおかしな習性を持っている、と馬鹿にしたのではない。分かっているはずなのに晴日は今も、この文章が不意に頭に浮かぶ度に叫びだしたくなる。不安と怒りと、言葉にできない、何かもっと恐ろしい赤黒い想いで世界が歪む。狼男みたいに毛が逆立って牙を剥き、う、う、うー!と唸り声が漏れる。
晴日の「強く覚えている」は本当に強い。思い出した瞬間、周りの景色が全部その時に戻ってしまう程に。
狼男の晴日はダイニングを飛び出し、静かな脱衣所にしゃがんで必死に考える。どうして思い出したのか。今はお昼を食べていたはずだ。トースト三枚、卵焼き五切れ。晴日はきちんと数えられるものが好きだ。それと、始まりと終わりがきちんと分かるもの――朝と夜のように――そうだ、怒る前に「つきおとこ」の事を考えていたんだった!ハッとした晴日の牙が引っ込み、唸り声が止む。
晴日が「つきおとこ」と呼ぶその青年は、十日前から日の出の少し後に、小さな三日月を連れて晴日の家の前に現れるようになった。ルナトーン、というその不思議なポケモンを触らせて貰った時の、抜き型で月の砂をキュッと固めて焼いたような感触も大好きだけど、それ以上に晴日は、つきおとこがルナトーンを引き連れて、晴日に小さく手を振りながら家の前を横切っていく姿が好きだった。
晴日の額を朝日が照らす時、晴日の背後ではひっそりと月が沈んでいる。朝の始まりは夜の終わりなのだ。朝日の楔が打ち込まれた透明な川の対岸で、つきおとこが小さく手を振っている。手を振り返す晴日は、もう人間の姿に戻っている。
人間の晴日は機嫌良くダイニングに戻り、昼食の続きをとる。トースト残り一枚、卵焼き残り二切れ。蝉達がシャワシャワと鳴き声の雨を降らせている。時折、唸るような一際強い音が空気を震わすのは、ポケモンのテッカニンの声だ。最近この辺りで聞こえだしたその音が響く間、他の蝉は完全に沈黙する。鳴くというより音のビームを放つようなその声が止むと、蝉達は再び遠慮がちに鳴き始める。
両親は仕事に出ていて家には晴日の他に誰もおらず、晴日は一人で夏の音を聴いている。一人の時にテレビは付けない。虫達が体中を震わす音、鳥の朗らかなさえずり、子供のはしゃぐ声、風がざわりと街を一撫でする音。夏という季節は、それそのものが一つの音楽のようだ。
時々、静寂の休符が世界を包む。あらゆる声や音が止み、夏が静止したような瞬間がくる。小さい頃から晴日は不思議だった。この瞬間、世界に自分一人になってしまったような気分になるのは何故なのか。五年生の今はわかる。みんな「旅」に出てしまったからだ。
クラス中が旅の話題で持ち切りだった四年生の頃、晴日はその話に混ざれなかった。晴日と先生と母親での面談が何度かあった後、晴日はまだ旅に出ない方がいい、ということになったのだ。
この決定に晴日は猛然と抗議した。「十歳になる」と「旅に出る」の二つは、それこそ日の出の時刻に朝日が登るのと同じくらい晴日の中で強く結びついていた。自分の、自分でも少し扱いに困る性格が問題なのかと思い、実際そう母親に問いもした。しかし母親は首を横に振り、逆に晴日に一つ質問をした。
「なら晴日は旅に出て、どこに行って何をしたいの?」
単純な問いだったが、晴日は答えられなかった。考えたことがなかったのだ。自分のことは勿論、旅に出る誰もが何かしらそういう気持ちを持っているということを。
分からない、と呟いた晴日に、先生は静かな声で言った。
「晴日君が言った問題は、自分で色んな対処の仕方を学んだり、周りの助けでどうにでもできるし、担任として僕も助けてあげたい。ただ、肝心の晴日君が旅に出て何をしたいか、例えばリーグを目指したいとか珍しいポケモンを探したいとか、それが分からないと、どんな助けが必要かも分からないんだ」
そして今も晴日は「分からない」まま、留守番の夏を過ごしている。夢や目標、という言葉で語られるその気持ちを、皆がいつ、どうやって手に入れたのか。自分にその瞬間が訪れないのは何故なのか。晴日が入れない透明な流れのどこかに落ちているのだろうか。
夏の休符が一つ世界に降る度に、誰かが夏を通り越して晴日の行けない所へ行ってしまう気がした。また狼男になる気配を感じたが、晴日は人間でいたかった。木のテーブルにルナトーンの月の肌の感触を探すように、何度も何度も撫で続けた。
5. 十六年前の後悔
正確にはエアーリバース、というらしい。
なみのりショー歴十五年のそのピカチュウが、サーフボードを操りながら軽々と繰り出すスピンジャンプ。
本当は自然に起きる波と呼吸をあわせて飛ぶものらしいけど、そのピカチュウはとても小さな「なみのり」を軌道上で発動させ、それを利用して自由自在に宙に舞うのだった。
フリップは基礎練習の後、必ずこれを練習する。何度海に落ちて濡れネズミになっても、諦めるって事なんか知らない顔でテイクオフに入る。
「フリップ、今日はもういいから。あんまり無理しちゃダメだよ」
サーフボードに腹ばいになって桟橋に泳ぎ着くフリップを抱き上げて私は言うけど、素直に聞いてくれた事なんかない。この言葉を聞いたフリップは地面に降ろされるなり、大丈夫、と言うように体を思い切り震わせる。すると潮水でべったりした体毛が一瞬で焼きたてのパンみたいにふわっと膨らんで、彼女はまた海に出てしまう。
最初のポケモンは絶対にピカチュウがいい、と家族に頼み込んだ末にパートナーになったフリップと私は、旅立ちの勢いのままに何でもやりたがった。いたずらざかりのガーディのようにバトルに明け暮れ、ポケスロンのフィールドを駆け抜け、あちこちの素晴らしい景色と一緒にふたり、一枚の写真に収まった。全ての出来事が嵐のように、私達の歩んだ道を通り過ぎていった。
そんな私達がなみのりピカチュウの噂を聞いて浅葱を訪れ、その鮮やかなジャンプにふたりして取りつかれ、こうしてその技を習っているのだけど。
フリップが海にいる時間がだんだん長くなり、頭まで海に浸かって波と取っ組み合いをしている横で、私は何故か少し、もやもやした想いを抱える事が多くなった。
なみのりショーやお店の手伝いは自分なりに頑張ってるつもりだけど、肝心のなみのりの練習になると、私はさっきみたいに気を使って声をかけてやるくらいしかできない。それだって、本当に役に立っているのかわからない。
そのせいか、私はフリップと同じ温度で「なみのり」という技に向き合えているのか、分からなくなっていた。
私の横では親父さんのピカチュウが、波と格闘するフリップの姿を真剣に見つめている。声をかけたらかみなりを落とされそうな程の気迫だった。
最初は何度か手本を見せてくれたりもしたけど、フリップが波に乗る時間が増えていくうちに、親父さんのピカチュウは逆に海にいる時間が減っていき、私の横でフリップを見ているだけの事が多くなった。ベテランの彼に、私のピカチュウのなみのりはどう見えているんだろうか。
不意に彼は何かを振り切るように一つ瞬きした。と思ったらもう走りだしていた。一直線に舗道を突っ切り、なみのり屋の脇を通りぬけ、呼び止める間もなく。ほんのさっきまでそこにピカチュウがいた、なんてわからないほどの一瞬で、親父さんのピカチュウは姿を消してしまった。
異変に気づいたフリップが慌てて戻ってきたけど、私はマヒしてしまったように動けないでいた。フリップも彼の行き先の見当がつかないらしく、おろおろと視線を動かしている。
もう陽が沈みかけていた。暗い中で彼に何かあったら…恐ろしい想像が何百も頭を巡って、とうとう私は体のマヒを無理やり解いて、フリップと一緒になみのり屋に駆け込んだ、けど。
「あー、あいつは簡単にやられるようなタマじゃねえよ。逃げ足早いしな」
店じまいの準備をしていた親父さんから返ってきたのは、そんな気が抜けるような返事だった。聞けば、機嫌が悪くなると彼にしか分からない裏道に逃げ込むらしく、戻るまで放っておくしかないらしい。
「あいつは昔からああだからな。何かあるとすぐひとりになりたがる」
「何か……って、何でしょうか」
私は思い切って訪ねてみた。フリップが不安げに私達を見上げる。機嫌が悪くなった原因がもし私達にあるのなら、ちゃんと謝らなければ、と思った。そしてそれは、どう考えてもなみのりの練習のことだとしか思えなかった。彼自身の練習時間を奪ってしまった事なのか、それとも私達の練習方法に不満があるのか……
「いや、あんたらのせいじゃねえ。むしろ俺と…あいつの問題だ。それに、今のあんたらに聞かせるには辛い話だ」
私の考えは親父さんにはまるでおみとおしみたいだったみたいで、親父さんは少し寂しそうな笑顔でそう言った。
けど、私は、私達に少しでも関わる事なら一層聞いておきたかった。私がせがむと、親父さんは遠い目で、その事を話しだした。
――俺達はこの店をやる前、旅トレーナーだったんだ。もう十六年も前の話だがな…まぁそんなに驚くなよ。俺はともかくピカチュウの歳なんか外見で判断しちゃならん。
とにかく俺達は連戦連勝だった。なみのりを使うピカチュウなんて他にいなかったからな。なんであいつになみのりができたかは知らんが、天賦の才ってやつだろうな。ポケモンの中にはほんの時々、そういう普通じゃない事を当たり前のようにやってのけるやつがいるんだ。地中からでもその辺の川からでも水をドバッと呼び寄せて、その上で得意気に、本当に楽しそうに宙返りしてたのさ、あいつは。
ただ、そうは言ってもあいつは生粋の電気タイプだ。どっか無理してたんだろう、段々技が決まらなくなってな。ジムは勿論、野良バトルでも負けが込んできた。
ある時俺達はバッジ二つのトレーナーに負けた。俺達は四つだった。でもそれが悔しいと、俺には思えなかったんだ。それが旅の終わりだった。
幸い、面だけは有名になってたから、色んな人を頼って浅葱にこの店を開いたのさ。十五年前に――
外で何かが光ったのはその時だった。微かな足音が闇に溶けていく音が続く。
――あいつか。あいつはこの話嫌がるんだ。どこから聞かれてたかな…俺はいつもあいつに悪いと思ってるんだ。俺の指示がもっとちゃんとしてたら、まだやれたんじゃねえか、って。原因が心か体かは知らんが、あいつはバトルを辞めた。陸でなみのりしてた時みたいな顔も、もうしねえんだ。どんなにショーで拍手を貰ってもな。
フリップちゃんは一生懸命やってるよ。あいつがもう無くしちまったものを持ってる。でもピカチュウになみのり覚えさすってのはそういう事なんだ、ミナちゃん。普通じゃない事をやらすんだから、ほんのちょっとした拍子に、心か体がポキリと折れちまうかもしれねえ。それでもまだ、やりたいかい?――
私はとっさに答えられなかった。これまで何度も感じていた、言いようのない不安が形を持ち始める。問われた覚悟は想像よりずっと大きくて、簡単に前向きな返事なんかできない。
でも、フリップは?
私は彼女の顔を見たかった。彼女がどんな思いでこの話を聞いていたのか知りたかった。
けど、フリップは私に顔を向けなかった。彼女は走りだした。全く突然に、親父さんのピカチュウのように、声もかけられない速度で、外へ駆けていった。
追いかけようとする私を押し留めたのは親父さんだった。親父さんは私の腕を掴み、何も言わずに首を振った。
それから外で何が起きたのか、どんなやり取りがあったのか私は知らない。
でもしばらくして戻ってきたフリップは、耳も尾も垂らし瞳を潤ませながら、でも、しっかりと橙色のサーフボードを両手に抱いていて。
私には、それで充分だった。
「分かった。私も勉強するから、沢山滑ろうね。一緒に頑張ろうね、フリップ」
私はフリップの小さな体を強く抱きしめて、何度も何度も声をかけた。自分にも言い聞かせるように。
6.いま
市民センター五階の和室で、晴日は仰向けに寝転んで、窓の向こうで逆さまに降る雨を見上げている。
畳の感触が心地いい。お尻の下の座布団も、真ん中にでんと座る大きな机も、机を取り囲んでざわざわと木々のように話している人達も、全てが心地いい。
「天国やわー」
思わず呟いている。やめなさい、と右隣で母親の声。たまにこうして怒られるけどやめられない。普段の晴日が化石化したカブトなら、この十二畳の和室にいる時の晴日はお風呂でふやけたオムナイトだ。頑なに張り詰めた心と体がふにゃりと倒れ、机にペタッと張り付き、のけぞって大笑いしてホヤホヤ暖かくなる。
「だって今日は二倍天国やもん。友達がおるし」
体を起こし、向かい側を視線で指す。そこに正座している青年は、晴日の家の前を横切る時の光を潜め、晴日と母親に向けて手を振る代わりに小さく頷く。後ろには地球と月の距離でルナトーンが浮かんでいる。
「リサイクルの会」という名のこの集まりは、世の中を形作る透明な流れに入れず、苦しくなってしまった晴日のような人達のための場所だ。その苦しさが人それぞれ少しずつ違い、時には医師の診断がつくことも晴日は知っているけど、それはあまり重要な事ではない。それよりも晴日にとってここは、会長のレインさんがいて、鈴蘭さんやロロさん、かのんちゃんと花ママさんがいて、時々顔を出すだけの人もいて、今日はつきおとこも来てくれた、そういう場所である。
この人達がいる空間では、晴日は狼男にならないで、人間のままずっといられる。誰とでも何でも話せるし、どんな悩みを相談しても笑われない。心から「天国やわー」と言いたくなる場所である。
どこかヌオーに似た雰囲気のレインさんの進行で1人ずつ自己紹介。会の始まりの恒例行事で、あだ名でも本名でも好きに名乗っていい事になっている。晴日はそのままの晴日で、母親の事は晴日が独断で「ソラ」と名づけてしまった。晴日と、空。名乗る度に母親は照れ笑いするが、晴日はとても気に入っている。
初参加のつきおとこの番になると、晴日は急にそわそわしだす。
「ソラさんの紹介で来ました。えーと」
「つきおとこ!」
本人に向けてこの名を呼んだのはこの時が初めてで、それまでに晴日は友達がその名で呼ばれて喜ぶシーンを心の中ですっかり作り上げていた。
「ロマンチックやね〜」鈴蘭さんがゆったり笑う。「いいねぇ!」レインさんが豆粒みたいな目を細める。が、つきおとこは笑いながらも小さく首を横に振り
「ツキオ、で」
と答えたのだ。何でや!と晴日は目に涙を滲ませる。
本人の意思を尊重しぃ、と母親のソラ。ちょっと長いんで、とつきおとこ、ならぬツキオ。
本人が言うなら仕方ない。ルナトーンが側に来てくれたので、撫でさせて貰ってやっと落ち着いた。
そのまま大人達は就職、仕事、生活の事など話しているので、晴日はルナトーンを撫でながら終わりを待つ。
――気に入った?
――うん。
――ゴムボールより?
――うん。
晴日とソラの小さな会話。いつも暇な時転がすゴムボールより、この月の砂の方がずっといい。
フリートークの時間が晴日にとっての本番だ。誰と何を話すのも怖くない。どこでもこうできたらいいのに、と思いながらつきおとこのツキオを見やるが、レインさんと何やら話し込んでいた。なので晴日は、自分の名を呼んだロロさんの側に腰を降ろす。
「ハル君大きくなったなぁ、今何歳や」
ロロさんはふわっとした笑顔が印象的な三十歳の男の人。隣にいる鈴蘭さんは二十七歳の女の人だが、化粧をしてスカートを履くより、晴日やロロさんと同じような格好でいる方が好きである。でも誰とでも気軽に話せるこの場所にいると、年齢も性別も意識の外にいってしまう。十一歳、と答えた自分の年齢さえも。
ここの外では、そうはいかないけれど。
「俺、歳取るのやめたい」
口をついたのはそんな言葉だった。外の事を意識した瞬間、思った事を言ってしまった。二人が気にするようなので、勝手に続きが出てきてしまう。
「分からんもん。俺、旅とか将来の事とか、分からんのに歳だけ取って。何でクラスのみんなはそういうの分かるん?」
言葉が急流になり、滝になる。言ってはいけないのに流れ落ちてしまう。
「俺が、普通の人みたいにできんからなん?」
言葉の滝から溢れた分が、涙になって頬に伝う。いつの間にかソラ母さんが側にいて、背中を撫でてくれている。もう片方の手で目頭を抑えているのは晴日には見えない。
ロロさんと鈴蘭さんは晴日をじっと見ていたが、やがて
「僕なあ!三十までに五回転職してん!今はポケモンバトルで壊れた壁とか床とか直しててな、いっくらでも仕事があぁわ!だけえハル君の年でそんな焦る事ない!」
ロロさんが言う。肩を叩かれるように力強く優しい声で。俯いて泣く晴日の背筋がはっとして伸びた。
「ハル君、私が旅始めたのが何歳か、言った事あったっけ?」
鈴蘭さんの質問に晴日は瞬きする。突然の問いかけだったので、すぐに思い出せない。でも鈴蘭さんはそんな春日を、ちゃんと知っている。
「何とねぇ、二十二歳!」
晴日はまた瞬きする。何度も、何度も瞬きする。十歳と違うん、漏らした言葉が鈴蘭さんの笑顔の前で砂糖みたいに溶ける。
「十歳っていうのは、許可貰える歳ってだけ。貰えたらいつでも好きに行っていいんよ」
そのまま晴日は鈴蘭さんの旅の話、友人や旦那さんと出会った時の事を、目をぱちくりさせながら聞いている。涙はもうすっかり止まっている。
「レインさんも旅で友達とか作ったんやったっけー?」
と、ロロさんが山びこをやるようにレインさんに質問を投げた。少し離れた所でツキオと話していたレインさんは晴日達の方に振り返り
「そぉよー、この子ね!イッシュの友達に貰った!」
と、モンスターボールを開く。晴日の目の前に鳥ポケモンのなり損ないみたいのが現れて鮮やかな羽を広げ、ギャッと一声鳴いた。
「アーケンのアッシュ君、仲良くしてあげてな」
晴日はその奇妙なポケモンと無言で見つめあう。羽から突き出た爪、トカゲみたいな顔。卵の中で鳥になる途中で出てきたみたいだ。晴日の不思議そうな様子を見て
「その子、化石からポケモンに戻ったんよ。面白いでしょ」
と、レインさん。
そういうポケモンがいる事は知っていたけど、こうして目の前に居られると、晴日は少し怖い気がしてくる。
「死んでたって事?」
「んー、正直難しい事は分からんけど、その子は『いま』生きてここにおる。もし死んだのが生き返って、僕と友達になってそこにおるんだったら、凄い奇跡でしょ?」
聞きながら、アーケンの目に自分が映っているのを、晴日は見ている。
「僕ね、世の中には、実年齢と関係なく自分の力で歳取っていく人がいると思ってて、ここにいる人ってみんなそうだと思う。ハル君も。僕ね、アッシュ君見てると実年齢とかどうでもよくなんねん。『いま』何してるかが大事やなって」
晴日は周りを見た。この空間で年齢や性別が遠いものになるのは、ここにいる人達がみんな、世の中から外れた自分なりの流れを自分で作り上げている、その途中の「いま」だけを持ち寄っているからかもしれない。
晴日が自分だけの流れを作り続けた先にロロさんの五つ目の仕事のような何かを見つけられるかもしれない、と思うのは少し怖い。日の出の時刻のようにはっきりしていないから。でも同時にそう思う事で、晴日の中で「十歳」と「旅」、「晴日」と「クラスのみんな」を固く結びつけていた鎖が緩む音がする。その音は晴日には「いま」と聞こえるのだ。
やがて晴日は四歳のかのんちゃんと並んで座っている。かのんちゃんは人にもポケモンにもあまり興味が無い。頭の中だけで遊ぶのが好きである。ソラ母さんと花ママさんが母親同士の会話に夢中なので、一心不乱に畳を撫でるかのんちゃんに、何しとるん、と聞いてみる。
あんきろしゃうるす、とだけ返ってきた。アンキロサウルス。遠い昔に絶滅して、晴日の頭の中からも消え去りかけていた懐かしい恐竜の名前。今も図鑑に載っているのだろうか?
ルナトーンが食べかけのおせんべいみたいに畳に寝転んでいて、アッシュがその上ででたらめな音程の歌を歌っている。強いもの、大きいもの、自分も含むたくさんの命の終わりを超えて「いま」ここにひびく、半人前の鳥の歌。晴日は無性に嬉しくなって、ルナトーンを撫でにツキオの側に寄った。
そこでツキオがぼそりと言った言葉は、
「今度どっか遊びに行かん?」
晴日を畳に倒れさせるくらいの力があった。
「行く!!」
7.十六年ぶりのなみのり
「さあ『ピカチュウのなみのりショー』最終日の今日は、なんと二匹のピカチュウがなみのりをします!」
高らかに宣言するミナ。橙色のサーフボードを掲げて笑うあいつ。何故か客席に手を振ってる親父。拍手に指笛。
その全てに苛ついたまま、俺は黄緑のサーフボードを抱えて立っている。周りの景色が全て人事みてぇだ。これからこのクソ狭い海で宙返りを決めなきゃならんのに。
実際、こんなどうでもいい気分で滑ったこともあった。でも今は状況が違う。もう一匹いるんだ、なみのりピカチュウが。
そして俺はここ最近そいつとまともに話してなかった。大体親父のせいだ。少なくともきっかけは親父が昔の事をあいつらに喋りやがったからだ。……ったく、全部って言い切れたらどんだけ楽だろう。
「あいつは生粋の電気タイプだ。どっか無理してたんだろう、段々技が決まらなくなってな。ジムは勿論、野良バトルでも負けが込んできた」
ちげえよ。単に親父がアレに頼りすぎだったんだよ。最後の方なんか完封の連続だったじゃねえか。俺はあれで嫌というほど思い知らされたんだ。ピカチュウがなみのりで戦う事の限界をな。
「俺達はバッジ二つのトレーナーに負けた。俺達は四つだった。でもそれが悔しいと、俺には思えなかったんだ」
「親父」はそうだろうな。「俺」の気も知らねえで。あんなバトルが悔しくないわけないだろ。俺より明らかにレベルの低いイシツブテに特性だかでなみのり耐えられて、どろかけの連続でろくに反撃もできずに負けて。
俺は悔しかった。悔しかったんだよ。二度とこんな事やるかってくらいに。
俺は全部嫌になって逃げた。と思ったらすぐあいつに見つかった。あのお節介のピカピカ声め。
「師匠、すみません、なみのりの話、聞いちゃいました。……師匠、私に宙返り教えて下さい!」
いきなり何だよ、そのサーフボードは。どういう思考回路だ。
「師匠の昔の事は分かりません。でも、私の知ってる師匠は、宙返りの時、ちょっとだけ笑うんです」
知らねぇよ。目の錯覚だ。
「師匠は、何も嫌いになんかなってない」
知った風な事言うな。お前に俺の何が分かる。
「分かります!貴方の弟子ですから、好きな物くらい!浮き輪と、イカ焼きと、なみの――」
黙れ!!
……怪我こそさせなかったが、そんなの誇る事じゃない。電撃纏っただけであいつは泣き、親父は俺を叱った。傷つけたのと同じだって。
ああ、俺が苛ついてんのは、十五年も同じ所で止まったままの俺を、俺自身に嫌というほど見せつけられたせいだ。俺が俺に苛ついてんだ。
こんな気分で宙返りなんて悪い冗談みてぇだが、お日さんも客も待っちゃくれねえ。
あいつが視界の隅で波に乗った。俺もそうしなきゃならんって事だ。
ブイに沿って、俺とあいつを結ぶ電撃の直線が、一番短く綺麗に見える速度で周回する。俺らの距離に従って光の線が伸び縮みする。電気使いは電気に言葉を乗せる事もあるが、光が伝えてきたのはただの電気だった。
三つのブイをスラロームで避けていく。離れ、近づき、交差する俺とあいつの鏡写しの軌道が完璧な二重螺旋を描く。一瞬視界に映るあいつは客席に満面の笑みを向けていた。
苛つく。
飛べないあいつがいるので、ジャンプ演技は宙返りだけだった。あいつは狭い海の隅で待機している。俺はいつものように足に力を込めるが、波が俺を持ち上げてくれる「あの感じ」がない。いつまで経っても波は同じ所で馬鹿みたいに揺れてるだけだ。
おい、まさか「ポカン」かよ!よりによってこれを?俺は凍りついた。客席から沸き起こる手拍子が余計に俺を焦らせる。
頑張れ!ピカチュウ!ミナが叫ぶ。俺も叫びたかった。黙れ!気が散る!
バトルでボロ負けした時でさえ、こんなに惨めじゃなかった。これは罰だ。バトルで勝てない理由を全部親父に押し付けて、なみのりショーも惰性でやって、何も本気でやらずに一人で逃げてきた俺への罰だ。公開処刑だ。
腑抜けた俺を見て腹でも立てたのか、あいつが俺に近寄ろうとしたのが見えたその時、
全く突然に足元の波に突き上げられ、俺は中空に投げ出された。
空も海も音も無い感覚が俺を掴む。青の中にサーフボードが木の葉のように舞う。やめろ、俺を離せ。あれを返してくれ。あれが無いと今度こそ本当に俺は――
青に虚しく手を伸ばした、途端。
「師匠!しっかりして下さい!」
背に衝撃。ピカピカ声。飛べないはずのあいつの橙色のサーフボードが風を切る。親父の腕に受け止められた俺の前で、フリップは飛沫をあげて海に降り立った。
そして彼女の手前に、変な角つきの青い小山が浮かんでいた。丸い角が光を透かして揺れ、フリップの方に向く。明らかにポケモンで、俺をふっ飛ばしたやつに違いなかった。
ミナが大声で客とフリップに退避の指示を繰り返しているが、どっちも聞かない。フリップはさっきの勢いを完全に失い、怯えて固まっている。
俺は何をしてるんだ?心に波が沸き立った。後輩に励まされて、その後輩が危ない目に遭ってるのに、俺は、何を、してるんだ?
俺は視線を走らせ、ブイに引っかかったそれを見つけた。緑のサーフボードを拾い上げ、親父の横で十五年ぶりに戦闘態勢をとる。信じられないって顔されたが、分かるだろ!こう尻尾をあげて電気を纏うのがバトル開始の合図だって!俺は前足でサーフボードを叩く。
早くしてくれ。あいつが待ってるんだ。
「…ランターンか…格闘技、まだ覚えてるか?いけ!でんこうせっかからのきあいパンチ!」
親父の指示を受けて俺はサーフボードに飛び乗り、でんこうせっかで一気に距離を詰め、腕に力を込めた。渾身の力でそいつの背に叩き込んだきあいパンチは、しかし突如俺とそいつの間に現れた桜色の風船みたいな何かに音も無く吸い込まれた。
桜色は唖然とする俺の拳をすり抜け、羽のような四枚のヒレを翻らせ、箒星のように俺の頭上を通り越した。
「プルリルだ!」観客席から声が上がる。知らない名だがそれどころじゃない。ヤツはフリップのサーフボードに取り付いたのだ。
逃げろ、と俺が言うより先に
「大丈夫です、皆さん!フリップ、なみのりで振り払って!」
ミナの毅然としたアナウンスが響き、フリップは猛然と滑りだした。飛べないうちから基本姿勢が良かった彼女は、スピードの出し方が凄く上手い。プルリルも二本の腕ヒレでサーフボードの後ろにしがみつくのが精一杯だ。
だがそいつは切羽詰った風には見えなかった。むしろ速度が増す程に足ヒレを宙に閃かせ、ひゃらひゃらと旋風のような笑い声をあげ、楽しくて堪らない、という顔でフリップの滑りに付き合っていたのだ。
ランターンの方を見る。プルリル達の様子を見て、飛び跳ねてはしゃいでいた。そういえば攻撃らしい攻撃も、こいつらはしてこない。
俺は親父を見た。親父も俺と大体同じ事を考えていたようだ。命令は技じゃなく、ただ一言。
「あいつと本気で遊んで来い!」
どちらともなく距離を取り、海色のヌオーの背から俺が飛んだのと、ランターンが大きく跳ねたのはほぼ同時だった。交差する瞬間、あの青一面の世界でランターンの姿がくるりと逆さまになり、その中で俺達はきっと同じ顔、楽しくて堪らないって顔をしてたに違いない。
そして着水した俺達をまず迎えたのは、最前列にいたガキの熱狂的な叫び声。あんまり凄いんで隣の兄ちゃんとルナトーンが抑えにかかってた。続いて、こんな大騒動にも関わらず逃げなかった命知らずのバカ観客による大歓声と拍手の嵐だった。
後で聞けばあいつら、やっぱり陸の様子を見てみたかっただけらしい。ランターンが電気信号で教えてくれた。楽しかった、楽しかったとやたら騒ぐので、つい俺も乗せられた。
「俺も、久しぶりに楽しかったぜ」
言ってすぐ後悔したのは、フリップに首が絞まるくらい抱きつかれたからだ。後ろでは親父とミナが別れの挨拶をしている。
そうだ、こいつらがいるの、この夏だけだった。
「また来いよ、ミナちゃん。あんたらがいないとショーが寂しくなる」
「はい!これもお返ししないといけませんし。自分のを買って!」
ミナが橙のサーフボードを両手に持つ。
俺はフリップに言うべき言葉が咄嗟に思いつかず、口篭った。師匠としてアドバイス、なんて柄じゃない。
「師匠」
先に口を開いたのは向こうだった。キリッとした顔が、花が咲くように綻んで
「今日は、楽しかったですね!」
そう言ってフリップは、笑顔の上にポロポロと真珠みたいな涙を零したので、今度は俺も照れずに、ちゃんと言った。
「俺も楽しかった。またやろうな」
別れの後、親父は乱暴に俺の頭を撫でながら
「お前まだまだ現役じゃねえか。来年はバトルコーナーでも入れるか」
と悪戯っぽい笑みを浮かべたので、俺も同じ顔で頷いた。十五年止まってた時間はすっかり解れて、今、また動きだした。それから俺らは今年最後のイカ焼きを味わいに、閉まり始めた屋台へ繰り出した。
8.「たのしかった?」
沈み始めると、まず最初に音が消える。海鳥の声、ひとの声、空気のうねり、波のさざめきが。
水面越しに一瞬、微かに届くその音達は「さよなら」の時に揺れた人びとの手のようにひらりと青い表面を掠め、すぐに彼らの元いた世界、自由に「そら」を駆け巡る空気に満ち溢れた世界へ還っていく。
次に、名残惜しげに海中に投げかけられる太陽の光が消える。ぼくの尾びれに、君の触手に絡んでじゃれついていたそれが海中にひとり取り残されても、まだぼくの背びれはしばらくの間、まぼろしの白い波のようにきらめくそれがぼくらを見送っているのを感じ取っている。
その気配が消えると、もはや海の水はただぼんやりとどこまでもうす青く、その遥か底から「よる」のように密やかに、暗闇が僕らを飲み込んでいく。
ぼくらは互いを見やる。すると不思議な事に君の「はな」のようにうっすら色づいたからだがはっきりと見え、君もぼくを見て、多分ぼくがしているのと同じ顔をする。光が、はるか水面に置き去りにしてきたはずの「なつ」の光がきらきらとぼくらを取り巻いているのにそこでようやく気づき、その嬉しさにふたりで笑い合う。
「たのしかった?」
君の泡のことばがぷくぷくと、暗い海に舞う。この泡のことばで君は、遠い海からの流れに乗って漂ってきた君は、ぼくにたくさんの事を教えてくれた。
君の元いた所のことばで「ゆき」はスノー。「うみ」はマリン。ぼくらと一緒に海底に降りていく白いちらちらは「うみのゆき」のマリンスノー。
ほんとうの「ゆき」はもっと大きくて、小さな生きものの死んだ姿はしていない。海の上の向こう側に咲く「はな」のように豊かな形をしているの。そんな事も君が教えてくれた。
「たのしかった」
ぼくは答える。君のことばを壊してしまわないよう、電気のことばではなく、同じ泡のことばで、そっと。
すると、空気を揺らす人びとの声たちが、飛び跳ねた時の少しひりひりした感触が、電気のことばで話した、あの小さなけものの笑みが胸の中で弾ける。あの「はくしゅ」の音のようにぱちぱちとさざめいて、ぼくらが纏う「なつ」の光が一層強く輝く。
「たのしかった?」
「たのしかった!」
もう一度、更にもう一度、繰り返すたびに、海の底に、永遠の「ふゆ」の世界にぼくらの「なつ」が弾ける。命の終わりを迎えた生きものたちが「ゆき」のように絶え間なく沈んでいく世界に僕らの命が光り輝く。
電気のことばであれば難なく伝えられただろう。この先に続くという「あき」「ふゆ」「はる」を、もう一度海の上に巡るという「なつ」をもう一度君と見たい、そういう気持ちを全て。
代わりにぼくは一つ一つの泡に「なつ」の光を閉じ込めて、果てのない闇に浮かべていく。
「たのしかった!」
「たのしかったね!」
やがてぼくらの垣間見た「なつ」の輝きが、深海に舞い降りた太陽のように、ぼくの角の先にまぶしく灯り始める。海の底に横たわる水が暗ければ暗いだけ、冷たければ冷たいだけ、ぼくらの泡の声はマリンスノーに逆らって、海面を目指してどこまでも上昇していく。
9.「楽しかった?」
今日の日の入りは十八時二十一分でした。
その一時間半前に晴日はそれを見つけた。
つきおとこの真似をして散歩に出ていた、その帰り。
(つきおとこはもう朝に晴日の家を訪れない。調理師の資格を取りに学校へ行くという)
(夜は友達のものだから、晴日は昼を巡る)
(晴日にとって、彼はやはり、つきおとこなのだ)
庭の樹の影。裏返ったテッカニン。油が切れた機械のように脚が軋んでいる。
晴日は慎重に側に座り込み、その最後の声、命の終わりの際の音に耳を澄ます。細い脚が不器用な動きで宙を撫でている。晴日はその動きが不意に愛しくなり、囁いた。
「楽しかった?」
蝉の王者は答えない。宙を撫で続ける。晴日は自分の軽率さを恥じ、それからは自分の息の音すら潜めて、一匹のポケモンの生の終焉を見守っていた。
ポケモンの死については研究が進んでいないという。特に野生のものは寿命や死因、死骸の行方等、未だ不明な事が多い。命が終わるのは悲しい事だから、みんな見たくないのかもね、と先生が言っていた。でも晴日は、終わりと始まりが一続きのものであることを知っている。つきおとこが毎朝教えてくれたことだから。
晴日はその事を自分の方法で証明したかった。即ちそれは記録することだった。テッカニンの体長。死亡時刻。気温。天気。この日を境に晴日の日記はテッカニンの死の記録で埋まっていく。
今日の日の出は五時六分でした。テッカニンの左後ろ脚をクロオオアリが、三メートル離れた巣穴に運んだ。
今日の日の出は五時七分でした。夜の間にテッカニンの腹が空っぽになっていた。全身が少し白くなっている。近くに二センチ五ミリの、名前が分からない黒い虫がいたので写真を付けます。
数字の列、記録の山はいつしか、晴日の足跡、晴日の道になっている。晴日が記した日の出と日の入りの時刻は今や、世界の透明な流れに抗う為の楔ではなく、晴日の「いま」を束ねた文集、晴日が作り上げた一つの流れになっている。夏の休符も、クラスメイトのテレパシーも、十歳の鎖もそこにはない。夜明け前の空に光る星々のような、一つの死を本当の終わりに導く小さなものたちの記録だけがある。
そして晴日はとうとう、終わりと始まりの境目を見つける。
テッカニンの死骸の影に、小さな赤いきのこが生えていた。
10.夏の終わりに
放課後の三階は、するりとした風が通って心地よい温度だった。学校の廊下には晴日の他に通る人もおらず、時間さえ許せばいつまでもこの静かな通りにいたくなってしまう。
去年は授業が終われば脇目もふらず家に帰っていたのに、今、晴日はこうして、廊下の壁一面に貼りだされたレポート、旅に出た生徒達の記した軌跡を熱心に読み込んでいる。
最初のパートナーのワニノコが進化した日の事、貰ったタマゴからププリンが孵って進化するまでの日々の記録、バトルした百人のトレーナーと撮った写真。数字や形で彩られるそれぞれの「いま」と晴日はまっすぐに向き合う。そうした形を持たない軌跡は晴日の目をすり抜けてしまうけれど、一つだけ、目の前にありありと浮かぶ「いま」の景色があった。
なみのりを覚えたピカチュウの話。美奈、というそのトレーナーと晴日とつきおとこの「いま」が交錯した日。ショーの後、晴日はつきおとこと食事に行き、晴日はカレーを、つきおとこは海鮮丼を食べた事まで思い出せる。それからつきおとこは調理師を目指し、美奈は旅の続きに出た。そして、晴日は。
「研究部門」と記された紙を境にレポートの様相が変わり、スリバチ山周辺のポケモンの分布図や、色々な場所にトランセルを置いて羽化日数を調べたものなど、発見の静かな興奮に満ち溢れた文章が展開され、晴日も呼応して身を震わせる。
紫苑町に身を置いたトレーナーの、様々な地方に伝わるポケモンを弔う儀式や施設をまとめたレポートを読むうち、晴日はいよいよ震えを抑えられなくなり、弾かれたように廊下を走りだす。これでは足りない。終わりだけでは足りないのだ。夜の後に朝が来るように、恐竜達の絶滅を乗り越えてアーケンが歌うように、蝉達の死を糧に生まれ来るものがあるように、終わりは始まりに繋がっている。そしてそれは「いま」晴日が証明しなければならない。旅に出なくてもレポートは書けるのだから。
赤い空に急かされるように家路につき、晴日は庭に座り込む。殆ど形を無くしたテッカニンの、羽の欠片だけが落ちているそこに、赤いきのこが二本生えている。
晴日の頭の中で鳥が翼を広げるように日記帳のページが開かれ、八月三十一日から順番に夏をさかのぼっていく。どのページに何が書いてあるか、いま、ここに日記がなくても全部分かる。晴日の不器用な右手は、薄い灰色の罫線の間に、文字や数字たちをていねいに並べてやった時のことを覚えている。晴日の瞳は、日和田の森の時渡りの神様のように、テッカニンの身体をもう一度土の上に見出し、再び土に還すことができるし、そこに赤いきのこがいつ、どのように生えて育ってきたかも、瞬きごとにありありと目の前に映し出すことができる。赤いきのこの下で、ほとんどの人が見逃してしまうほど微かに土をふくらませ、密やかに息づく何者かが、これから何をするつもりなのかを言い当ててみせることさえできるけど、晴日はそうはしたくなかった。晴日は土の中のそれと同じに息を潜め、飛び出しそうなほど鼓動を打つ心臓の上にそっと手をやり、始まりの瞬間を静かに見守るだけの生きものになりたかった。
風景の一部のように土の上で小さく息づく晴日の目の前で、不意にきのこがぐらりと揺れる。音も無く土が大きく沈む。きのこの菌糸が絡む鮮やかな背中が、一心に土を掻くとがった爪が、大きなまん丸い目が橙色の光に照らされて光る。六つの爪がその身体をぐっと土の上に引っ張りだして、その紅葉のような色の虫ポケモンの全てが夕陽の下に現れた。
パラス。きのこポケモン。終わりから始まった命。
おはよう、とも、こんにちは、ともつかぬ色の眼で見つめられながら、晴日もまた始まりを予感する。まだ自分が旅に出るかも、このポケモンがパートナーになるかも分からないけど、自分が留守番の夏を過ごすことは二度とないだろう、と。
晴日は携帯で素早く時刻を確認し、巻尺を取りに納屋へ走りだした。