さる画家の老人から聞いた話。
ドーブルにはすごく稀に尻尾の絵筆が黒いの色のたドーブルがいるそうだ。
そのドーブルが黒で絵を描くと、絵はひとりでに動き出すらしい。
図工の時間が嫌いだった。
家は貧乏だから僕は絵の具を持っていない。
物のない時代、兄弟の一番上だった僕には兄弟からのお下がりなんてものもなくて、絵を並んで描くような友達もいなかった。
だから写生する絵はいつも鉛筆の黒一色だった。
先生はそれで許してくれたけれど、ずっと笑われている気がしていた。
写生の時間、絵をほっぽり出して学校を飛び出した。
けど行くあてもなくて僕は神社の賽銭箱の横にうずくまって泣いていた。
あのドーブルが現れたのは、そんな時だった。
境内のどこからか現れたそいつは水墨画から飛び出したみたいななりで、瞳と口の中以外は白黒の活動写真みたいな体色で、絵筆でもある尻尾の毛先は黒だった。
そのドーブルはにっこりと笑うと、境内の石畳に黒い尻尾の先で黒い絵を描き始めた。
まるで踊るように舞うようにドーブルは絵を描いた。
ある時は軽やかに跳ねて、ある時は駆け抜けた。
黒い尻尾の先の絵の具が石畳に跳ねて、飛び散った。
あれよあれよという間に石畳には一匹の龍が現れた。
ドーブルはその黒い龍を満足げに眺めると、自分の前脚を尻尾で染めて、完成、とでも言うように石畳に押し付ける。
すると信じられない事が起こった。
龍が途端に石畳から浮き上がって、実体を持ったのだ!
そいつは咆哮を上げ、神社の境内をくるくると飛んだ。
黒い龍ってかっこいいなあと僕は思った。
長い身体の龍は舞い続ける。
そのうちにその鱗の色が変化し始めた。
最初は藍色、次第に色が明るくなって青になり、紫、赤、橙へと変わっていく。
黄色までいくと金色に輝いて、次第に緑色を帯び、焦げ茶、そして最後にまた黒になった。
黒に戻った龍は上空へ登っていき、そして見えなくなった。
いつのまにかあのドーブルもいなくなっていた。
三原色と混色、という話を図工の時間に習ったのはそれからしばらくしてからだ。
絵の具の色は様々な色を塗り重ねる事でその色見を変えていく。色は重ね塗りのたびに暗くなっていき、最終的には黒になるという。
黒い龍が空に昇った後も僕の描く絵は相変わらず黒かった。
れど、もう色がなくて情けないという風には思わなくなった。
だって黒は全部の色を持っているのだから。
どんな色にだってなれるって僕は知っているのだから。