キュウコン本「社の雨」に乗せてそろそろ1年弱。
縦書きを横書きに直すのが面倒だったので、特に編集せずに文庫版の物を引っ張ってきました。ポケモンハードSF? な作品ですが、読んでいただけると幸いです。
※全角スペースだった所が半角スペースになってますが、心の目で全角スペースと認知して読んでいただけるとさらに幸いです……。
プラス、修正前のものを載せていたので修正させていただきました。ご迷惑をおかけしました
第六惑星のナインテール
1
輪っかのかかった惑星。土星。
うちらの故郷の惑星の地球とは違う。
もっとも、うちがこの土星の衛星タイタンに着いてから二〇〇年。うちや寿命の長いポケモン以外は代替わりしていてここが故郷になっている。重力は地球の一/七しかないこの環境も、二〇〇年生活していると慣れ親しんで、地球と同じ一Gのスペースセツルメントに仕事で行くと体が重くてしょうがないという事に皆なる。
土星圏に住む人類は一五〇万人。対して、ポケモンは四〇〇万匹。ほとんどの人類もポケモンもタイタンに住んでいる。そして今、タイタンではスペースセツルメントの建設ラッシュが始まっている。人口一〇〇〇万人単位で人を収容できる円筒形状の構造物を、一気に五〇基作り上げようというプロジェクト。これは、今後二〇年で計画されている第二次土星移住計画の一環。すでに一号基と二号基は外観が完成していて、互いを連結する事で人工重力を生みだしながらもジャイロ効果を打ち消す段階まで進んでいる。次のステップは内部の環境づくり。まだ、遠心力で重力は生みだしていても、中は真空状態なので建造物を作りながら、大気循環を整えて植物相による大気組成の補助を計算した上で街づくりをしていく。
うちら第一次土星移民団は長期計画に基づいて、第二次土星移民団の受け入れをする為に二〇〇年間タイタンで準備を進めてきた。
衛星タイタン。土星の衛星の中で最大の大きさを誇る。そして、地球をも超す厚い大気を持っている。ただ、うちら地球からきた生物は宇宙服なしではタイタンの地表を歩けない。大気の組成が地球と違うから。窒素と若干のメタンの大気。そして、メタンの雨。
何かしらの生物がいるんじゃないかという期待が昔から囁かれていたけど、アメーバ一つ見つかってない。
そんな星に第一次土星移民団は八回に分かれて到着した。
うちが乗ってきたのは、第一次土星移民団第三梯団の移民船。第一次梯団と第二次梯団の移民船は、そのままタイタンの地表で解体されて都市の建設資材になっていた。第三次梯団の移民船の半数は前の二回と同じ運命を辿って、残り半数は地球へ戻る科学者や、今まで集めたサンプルを乗せて地球に帰ってしまった。見ての通り、ほぼ片道切符だった。
うちは、キュウコン。うちは地球で第三次梯団のプログラマーの一家に預けられたキュウコン。何で預けられたかっていうと。この第一次土星移民団のほぼ全員が、何かしらの技能取得者で占められていて、ポケモンも人間に従順。もしくは、人間と意思の疎通が可能、人間の作業の補助ができる。この点に絞られて集められたポケモン達だったので、それぞれの仕事に合わせて各家庭に預けられた。
うちは、そこの家庭で「クリスティ」という名前をもらった。どうやら、タイタンを発見した人の名前からとったらしい。でも、考える事は同じなのか、地球で支給されたポケモンやタイタン生まれの第一世代に「クリス」が入っている子が多くて、ややこしい事になっている。まあ、それもご愛嬌って事で、タイタンには「屋号」が復活していた。大抵、苗字じゃなくて屋号で、「五本辻のクリス君」とか「大島屋のクリスティーナ」とか呼び合っている。
話は逸れちゃったけど、うちはそんな感じでタイタンに来た。今も、この一家の家に居候しているけど、本当に居候しているだけ。この星に来た時は、プログラマーをしていた「お父さん」の手伝いとして、言われたものを取りに行ったり運んだりをしていた。うちらキュウコンは人の言葉を理解できるので、軽作業の手伝い要員として選ばれていた。そのうち、「お父さん」が亡くなって子供達はそれぞれの仕事についてしまった。うちは、「お父さん」の勤めていた空調管理所に残ってもよかったけど、別の仕事の募集があったのでそれに応募してみた。
それが、今勤めている図書館。
場所は、タイタンの赤道付近にある首都『ホイヘンス市』の官庁街。ホイヘンス市を覆う与圧ドームの中心部に官庁街はあって、うちの居候している家からも近い。
仕事の内容は図書館司書の補助。書架の整理や司書に依頼された本を探してくる。それで、うちはお給料をもらってそれで自分の食い扶持は得ている。土星圏にいるポケモンの半数はこうやって、誰か人間と共に暮らしながらも自分の食い扶持は自分で稼ぐ事が当たり前になっている。
ただ、どうして“人間と共に暮らす”かというと、これは人間側の事情。ここではポケモンも人間も所在だけはしっかりと管理されている。特にポケモンは人間の庇護のもとにいないと保健所行き。どうしてって?
いくら人間と共に活動できる基準のポケモンでも、野生化したらどんな被害を出すか分からない。特に与圧ドームの壁が破られる事があれば、ここの住人は窒息死してしまう。
他にもポケモンに関しては制限事項が多い。その点は仕方がないとうちは思う。いざとなれば、ポケモンは人間の科学力に屈してしまうけど、暴れたポケモンの破壊力は通り過ぎる強烈な台風と変わらない破壊力をもたらす。だから、ポケモンも自立して収入があったとしても、人の庇護のもとにいる事を証明しないといけない。
ただ、ちゃんとうちらポケモンに対する配慮もある。人が一五〇万人もいれば色んな人もいる。辛く当たられるポケモンもいない訳じゃない。そういうポケモンがいれば、政府が責任を持ってポケモンの保護をし、新しい庇護者を見つけてくれる。
それが、衛星タイタン。
2
『字引きのクリスティ』
これは、うちの渾名。家の方は家で屋号があるのだけど、図書館に勤めてからそう呼ばれている。年の功は伊達じゃないって事だと思うけど。館長に「お前が人間なら、俺はクビだよ……」とボヤかせてしまってから、じわじわ街中に浸透してそう呼ばれてしまった。
朝起きるとまずする事、昔は人間の事を知りたくて新聞を読んでいたけど、最近は仕事の勉強の為に本を読んでいる。今後の為に、資格を取ろうと思っているから。
今の待遇でも全然構わないけど、趣味も兼ねてのもうちょっとランクアップを目指している。取る資格は、「司書補助士一級」。これはポケモンが取れる司書の資格の中で最上級。うちは今、二級を持っている。この際だし、一級を目指そうという訳。まあ、一級になれば給料も上がるけど、仕事の幅も増えるからね。取っておいて、損はないと思うんだ。
という訳で、今朝も家のみんなより先に起きて居間で『司書の手引き』の参考書を読み直している。これは何度も読んでいるから復習の範囲だけど、一番の難関は小論文。テーマが自由というのが困りもの。意図は分かるんだ、うちらポケモンの論理的思考力を測る為にあえてテーマを自由としていると……。
そんな訳で、うちは初心に帰って『司書の手引き』を読み直している。
「論文のテーマどうしようかな?」
思わずそんな独り言も出てしまう。
「姉ちゃん、まだ悩んでるの?」
遅れて起きてきた、この家の同居人であるプクリン。彼はこの星で生まれた第八世代に当たる。さすがに第八世代の人間の子供や、ポケモンは『クリス』の名前を受け継ぐ子は少ない。この子も名前は『アレックス』と、いたって普通な名前をもらっている。
「そうね。例年の合格者の傾向からすると、多少奇抜な答案じゃないといけないから……。うちはそういうの苦手だしな……」
「まあ、姉ちゃん頭固いしね……。ママさんとかに相談してみれば?」
「そうしよう」
ママさんとは、この家のお母さん。『サチヨ』さんという名前で、アレックスの一つ前の第七代の子。他にもこの家には、パパさんの『マホメド』さんと、第八世代に当たる娘の『マリカ』。あとは、付き合いの長い第六世代のお婆ちゃん『クリスティア』が住んでいる。ポケモンだと、うちとアレックスに、家庭内でポケモンと人間の通訳をするポリゴンの『カクバル』も家族の一員。
ママさんこと、サチヨさんは地球に留学した事もあるかなりのインテリ。タイタンに帰国してマホメドさんと結婚してからも、この街の私立大学で非常勤講師として教鞭を振るっている。専門学は野生生物学。全てが人工のこの街においても、野生とついてしまうものは少なからず生息している。代表格はネズミ。こればかりは、人間が行く所には何処であろうとついてきてしまう。あとは、ゴキブリなどの虫といった類。これも、どうやってもうちらにくっついてきてしまう。それらが、人工物の空間で共存していくというのをテーマにサチヨさんは研究を続けている。
ママさんに相談か、何かヒントでも出てくるかな?
仕事に行く前に、マリカの学校のお弁当と、マホメドさんと自分の分、そしてうちの弁当と四つの弁当を作ってくれて、朝食の準備も欠かさないママさんは本当に出来る女性だと思う。普通は、こうも出来る人はそうそういないんじゃないだろうか?
朝の忙しい時に相談するのも悪いから、『夜相談したい事がある』とカクバルに伝言をお願いした。
「いいわよー!! もし午後暇なら、研究室に来てもよいから!!」
あっという間に、ママさんからの返事が台所から響いてきた。
『じゃあ、一五時過ぎに伺いまーす』
うちは台所に叫び返す。人間には何を言っているか分からないポケモンの声でも、ポリゴン達がいれば翻訳に困る事はない。今では、知能が低いポケモンでもなければ大抵は会話が成立する。
「はいはい。待ってるー!!」
という訳で、アポが取れた。
朝食を早々に済ませると、家事をするアレックスとカクバルを残して、仕事へ学校へとみんな家を出る。
『いってらー!!』
アレックスの元気な声に送り出されて、うちらはそれぞれの目指す方向へ別れる。うちは、歩いて官庁街の方へ向かう。
官庁街も含め、この街の乗り物は全て電動式。なぜかというと、広いとはいえドーム空間内で化石燃料を燃やしたら、あっという間に空気浄化設備の限界を超えて一酸化炭素中毒でみんな死んでしまうから。これは、建設済み建設中のスペースセツルメントでも同じ。どうしても馬力が必要な物は水素式エンジンを使っている。酸素を消費するのは仕方ないけど、生成される水は電気で分解する事でまた酸素と水素に戻す事ができる。そのために必要な電力は、タイタン周辺の宇宙空間に浮かぶ太陽電池からマイクロウェーブで送電されてくる。
限定された空間だからこそ、地球以上に環境について考えないといけない。これはうちらがここに『ホイヘンス市』を建設した時からの生存上の課題。小論文のテーマも、環境についてでよいかな?
でも、手垢がついてそうだしな……。仕事中に、余裕があったら論文検索でもして確認してみよう。
官庁街は、商業区に比べると朝の人通りも少ない。非常時の為に政府機関は、複数の都市に分散しているせいもあるけど、今はスペースセツルメント建設のために出張で宇宙に上がっている公務員が多いからなんだろう。
まあ、おかげで仕事場の図書館は閑古鳥が鳴いている。何しろ官庁街にあるっていうだけあって、法律や政策に関する本を中心に収蔵している。そのせいもあって、一般の人が本を借りに来る事はあまりない。
従業員口のセキュリティで、左前脚に埋め込んだICチップをかざすと認証されて扉が開く。このICチップはセキュリティだけでなく、人もポケモンも個人を特定する物として、生後すぐに腕か前脚に埋め込まれる。これがあるおかげで、買い物も交通機関の乗り降りも家の鍵の開け閉めも何でもできる。
従業員口から中に入って、個人ロッカーに荷物を詰め込む。職員である証のスカーフを、四苦八苦して首に巻くと準備完了。
『おはようございます』
図書館のカウンターに入ると人間の司書が二人と、ポケモンが三匹くつろいで座っている。
「おはよう。勉強は進んでいるかな?」
くつろいでいる人間の一人。ここの館長さんに挨拶がてら、聞かれてしまった。
『まあ、まあまあです。うちに残っている課題は、小論文です』
「あれは毎年、受験者を叩き落すための科目だからね……。対策は練っているだろうけど、奇抜過ぎても駄目だからね」
館長さんはお茶を飲みながら、軽い感じで言ってくる。あまり心配はされてないみたいで、ちょっと複雑な気分。まあ、小論文以外はうちと館長さんで模擬テストと模擬面接を何回も繰り返して、手応えはあるから心配されてないんだろうけど。
『あー!! おくれましたー!! すいません……』
始業開始ギリギリに飛び込んできたのは、うちと同じポケモン職員のカイリキー。
「よし、遅刻の常習犯もきた事だし。業務開始といくか」
館長の一言で、うちらはそれぞれ仕事にかかる。
いま、うちが担当しているのは書籍のデータベース管理。まあ、その中には論文の管理も含まれている。うちはまず、図書館が開館する前にネットで予約の入っている本と論文を手配する。本の方は、返却されていない本があった場合は、直接利用者にメールで催促をして、新刊の場合はデータか紙媒体の本かどちらかを手配する。
出版社が土星圏にあればすぐ手配できるけど、地球にしかない場合は問屋を通してデータを送ってもらう。利用者から紙媒体を求められたら、ホイヘンス市内の印刷所に製本を依頼する。
論文に関しては、総合的なデータベースが地球にあるのでそこに問い合わせをする。ただ、惑星間の通信は惑星の位置にもよるけど、分単位、数時間単位で問い合わせに時間がかかる。なので私は、問い合わせの多い論文は論文の管理者に問い合わせて、この図書館でデータベース化させてもらっている。
3
今日も、開館前に予約の処理を済ませてしまう。返却期限が切れた本の借り手にメールを送信して、あとは予約が殺到している本に関して、先着順に貸し出し許可のメールを出す。
最近の貸し出しの流行は、役所の人達からの問い合わせの多い宇宙空間での建設管理業務の法令集。ほかには、建設作業員の宇宙線による被曝回避の防護マニュアルなどの専門書や実用書。
次いで多いのは、今は六月の終わりで、八月の夏季休業にあわせて旅行にでも行くのか、木星圏や小惑星帯の観光地のガイドブック。こっちの方は民間人からの問い合わせが多い。
『今年の最新ガイドブック、発注するかな?』
出版社から送られてきたダイレクトメールを確認しながら、発注をするか悩む。発注するといっても、うちが発注したい旨を館長か司書の主任に確認してからになるけど。
『正直、毎年代わり映えしないんだよね……』
「リクエストはきているのか?」
館長が私のディスプレイを覗き込む。
「大して来てないなあ……。もう少し様子見でいいだろう。バカンスシーズンはもう少し先だ。ほっとけ」
そう言い、勝手にディスプレイの画面から、メールボックスを閉じてしまった。
「それより、どうせ今日も暇だろうから手が空いたら小論文の題材でも探しておけ」
『じゃあ、そうさせてもらいまーす』
という事で、忙しくなるまで書架の管理を同僚達にお願いして、うちは小論文の題材になるようなものがないか探し始めた。
『遠隔地間での書籍情報の共有』
『近似的要素を含む作品の著作権所有者決定裁判の判決事例』
『国連文化事務局年次報告書から読み解く十年計画』
うちの興味を引いたのは、この辺。ただ、一つ目はこの内容で多少奇抜な物を求められても難しい。
二つ目は、人類が太陽系中に散らばった為に起こるようになった裁判に関する事。ありとあらゆるデータのやり取りに分単位、時間単位のタイムラグが生じる。書籍に限ってしまえば、ほぼ同一と思える内容の本が別々の星で出版されて、しばらくして内容がかぶっている事に気がついたそれぞれの作者が裁判を起こす。そんな事が近年増加しているので、判例集や対策マニュアルなどが登場してきている。この問題に対する、解決策を提示する小論文もいいかなと思う。この話題は小論文の候補として高い。
三つ目は二つ目とかぶるところも多いけど、国連で文化事業の書籍に関する部分の十年計画について読み解いて、今後の出版業界のあり方について考える小論文にすればいいか。
というところなんだけど、正直うちの目から見ても奇抜さを出すというのは難しい気はする。
結局、奇抜さってなんなんだろう?
試験の小論文は配点比率が高いせいか、過去の模範回答なんかは出回らないし、合格者にも箝口令が敷かれていて内容が漏れ伝わる事がない。だから余計に頭の固いうちみたいなポケモンは、頭を抱えてありきたりな論文提出で落とされる。
正直、柔軟な思考って難しい。
お昼。うちのシフトは一三時までだから昼休憩は無し。なので、昼休憩をみんながとっている間に、同じシフトのサーナイトと二匹でカウンターに座って仕事している。意外とお昼ってこの図書館は混み合う、昼休憩時間に本を借りに来る公務員の皆さんがやって来るから。
「暇だね」
「うちら、いらなくない?」
さっきから、サーナイトと同じ会話しかしていない。一応、水曜日の平日なんだけど。まだ出張で宇宙に上がった人達が、帰ってきてないのもあるのかな……?
「帰ろうか?」
「早退しようか?」
欠伸しつつも、やる事がない訳じゃないから、視線をカウンターのディスプレイと図書館全体と交互に動かしながらデスクワークを片付ける。隣のサーナイトも同じように、自分の仕事をこなしていく。
彼女は、うちと同じ図書館司書の補助の仕事と、保安の仕事も請け負っている。彼女はこの星の生まれの第八世代。地球生まれの、うちから見ればひ孫みたいな感じ。ただ、キュウコンという種族が長寿なせいか、うち自身あまり年の差というのを気にはしてない。うち自身まだ若いつもりだし。そんな訳でか、ひ孫みたいなこのサーナイトとは親友のような感じになっている。そんな彼女も、うちに対して気安く接してくれる。
「クリスティは一三時上がり?」
「ナナコも一三時でしょ」
「そうなんだけど、仕事の後暇?」
「あー、ごめん。ママさんと一五時から約束があるんだ……」
「ありゃ、ごめん。じゃあ、また今度」
ナナコことサーナイトは、残念と少しため息を漏らすと仕事に戻ってしまった。何か相談事でもあったのだろうか?
今晩、電話してみようかな?
4
『お先、失礼しまーす!!』
「図書館で大声出すなー!!」
いつものやり取りを終えて、仕事を上がると休憩室で遅めのお昼を食べる。一四時までにはここを出ないといけないから、急いでお弁当を食べる。
ママさんの働く私立大学は、官庁街から離れた与圧ドームの外周区の側にあるので、地下鉄で一時間弱かかってしまう。急がないとママさんを待たせてしまうので、食事も早々に切り上げて、カバンを背負うと駅まで急いで向かっていく。
基本的に与圧ドーム内の移動は地下鉄か、路面電車にバス。後は自転車に歩きが主流。電気自動車も走っているけど、交通網は公共交通機関がホイヘンス市内を網羅しているので、自家用車で移動という概念はあまりない。そんな、タイタンの各都市間の移動方法は軌道エレベーター。ただ、軌道エレベーターは赤道上にしか設置できないので、基本的にタイタンの都市は赤道上に存在している。それ以外の場所になると、航空便が飛んでいる。飛行機ももちろん電動式。こっちは水素エンジンの飛行機はない。何でかっていうと、大気中のメタンガスに引火したら、大惨事になるので静電気による発火もご法度。静電気が発生しそうな場合は、航空便はすぐに欠航になる。だから、あまり軌道エレベーターを使わない赤道外の都市は多くない。
小論文の事を考えながら四六時中過ごしていると、どうしても無駄にタイタン開拓史を反芻してしまう。ただ、思い返してみるというのも復習にはなるのかなと思いつつ、駅の改札をくぐる。
ちょうどホームに入ってきた南北線に乗れた。あとは南駅で外回り線に乗り換えてしまえばいい。そのまま、何気なく地下鉄の路線図を眺める。外回り線、内回り線、南北線、東西線、新外回り線、新内回り線、軌道エレベーター線。市内に張り巡らされた、地下交通網はざっとこんな感じ。地上は地下より複雑な交通網になっているからなんとも説明しがたいけど、この街の構造的に道という道は街の中心部から放射状に伸びていて、それらの道は円を描く環状線で結ばれている。そして、要所要所を結ぶバスや路面電車が走っている。
地下鉄で一番新しいのは軌道エレベーター線で、東西線の西駅で乗り換えてドーム外に作られた軌道エレベーターの基部まで伸びている。そこから先は、軌道上から吊り下げられているエレベーターでステーションへ登ると、各軌道エレベーター行きのリニアに乗り換えるか、宇宙船に乗り換えて土星の衛星軌道を回る人工構造物の『土星港』に行ける。
『土星港』は第一次移民団の第一梯団が母船として使っていた大型移民船を母体に、年々拡張を繰り返して、外航航路の主要基地となっている。ここから地球や火星、木星などへの外航船や、建設中のスペースセツルメント群へのシャトル便が出ている。うちは土星港自体この一〇〇年ほど行ってないから、最近の充実っぷりは噂でしか聞いてないけど、一大娯楽施設としての機能もあるらしい。昔は、本当に寂れた田舎の空港って感じだったんだけどね。
さてさて、そんな事考えていたら南駅に到着。そのまま乗り換えて『タイタン科学技術大学駅』で下車して、名前の通りの『タイタン科学技術大学』の校門をくぐればママさんの所にたどり着く。
タイタン科学技術大学は、私立大学としてタイタンに最初にできた大学。最初は、技術者速成の専門学校だったけど、社会インフラが充実してきた頃に大学となり長期的な研究をする機関という事で私立大学として発足した。
うちのママさんもここの卒業生で、院に関しては先端学問を学ぶ為に地球に留学したけど、帰って来てから後進の学生を相手に教鞭をとっている。
校門をくぐると、セキュリティの警備員に用件を告げて、構内に入る仮のIDを発行してもらう。それを左前脚のICチップにダウンロードして終了。今日一日は校内を好きに移動できる。
何度か来た事があるので、そのまま正面玄関から建物の中に入って、セキュリティゾーンの研究棟に、発行してもらったIDを使って入る。研究棟と大仰な名前が付いているけど、研究と称して実験など大掛かりな事をするような、大きな研究室は大抵独自の建物を持っているので、ここはママさんの様な非常勤講師の控え室兼個人資料室的な場所になっている。まあ、ママさんの研究テーマみたいにフィールドワークで済む様な場合は、図書館も近いここの研究棟の方が勝手がよいという事らしい。
物理学や化学の実験を伴わない研究室もここに集まっている。階段を上がって、廊下を歩いてすれ違う学生達に声をかけられたりしながら、ママさんの研究室に向かう。
ドアフォンに脚のICをかざしてベルを鳴らす。
『失礼します!!』
自動ドアが開き、中から防虫剤の微かな匂いとコーヒーの匂いが漏れ出てきた。
「いらっしゃい」
いつもと変わらないママさんの声だけど、どこか凛とした感じがする。場の雰囲気なんだろうかな。
勧められるままに室内に入る。中は虫の標本や動物の剥製、分厚い博物学関係の本が戸棚に綺麗に並んでいる。ただ、来客用の応接セットとママさんの机は資料の本や、論文のコピーや、メモに書きかけのノートとかで埋まってしまっている。そんな状態でも、コーヒーカップを置く場所だけは作って、パソコンと向き合っている。
「ちょっと待ってね。レポートの採点がもうすぐ終わるから」
仕方ないので、室内の標本や剥製が収められている棚を眺める。標本はママさんが地球で採集してきたものもあるけど、ほとんどはタイタンにいつの間にか潜り込んできた虫達。剥製の方もネズミが主体だけど、いつの間にかタイタンに居ついている小動物達。全部、ママさんが標本や剥製にして保存している。この部屋の防虫剤の匂いは、標本や剥製に虫がつかないように戸棚に防虫剤が置かれているから。戸棚が閉めてあるから、そこまで強烈な匂いじゃないけど、ガラス戸を一つでも開けたら卒倒するにに違いないなあ。
「はい!! おまたせっ!!」
ぼーっと、ネズミの骨格標本を眺めていたら、ママさんに声をかけられた。
パソコン越しにこっちに顔を出して、ママさんがうちを見ている。
「司書学の小論文にするの?」
ママさんに『小論文の題材を司書学について』でどうかと単刀直入に聞いてみる。そうしたら、返ってきた返事は前述の通りだった。
『ありきたりですかね?』
「悪くはなさそうだけど、ちょっとインパクトに薄いかな?」
ママさんはコーヒー片手に一緒に考えてくれている。
自分のデスクに腰掛けたままのママさんは、天井を見上げて何事かつぶやいている。うちは、その様子を応接セットの机に置かれたお菓子をつまみながら見て待つしかない。
「そうね。今度の土日仕事ないよね?」
『はい』
「よし。じゃあ、私の出張に付き合って。いい参考になると思うわよ?」
『出張?』
ママさんは壁に貼ってあるカレンダーを指差す。
「そう。建設中のスペースセツルメントに出張。多分、あなたの目からウロコが落ちるわよ……」
なんだか含みのある言い方だったけど、特に断る理由はないし。うちは、ママさんの出張についていく事にした。
その後は、出張の内容を教えてくれなかったけど、ママさんが最近市内で見つけたネズミと虫の話をしてくれた。ここ二〜三年で急速に広がってきたらしい。どれも、地球からの貨物や、客船にくっついてきたのだろうと。土星港ではその七〜八年前から、木星では一五年前から見られるようになったらしい。地球の生き物達は徐々に人の手を借りて外の世界へ旅立っているという。人の手を借りていても、人の管理を受け付けない生き物達は脅威となるのか? それとも良き隣人として共存していくのか? ママさんはその事がどう影響するかそれを今も追っているという。ただ、年々新参者が参入してくるので、この小さな生態系の変化は激しいみたい。
上位種は常に移り変わって、先が読めない。そこがまた面白いという話だった。
二時間ほどママさんの講義を聞いて、そのままママさんと帰宅した。
5
その晩、うちはサーナイトのナナコに電話した。
一コール、二コール、三コール……。
「もしもし? クリスティ?」
「遅くにごめん。あと、昼間ごめんね?」
寝ぼけた声がしたから寝ていたのかもしれない。
「ああ、大した事じゃないけど、ちょっと小耳に入れた事があって。サチヨさんなら何か知ってるかなって?」
「ママさんが? 何で?」
ちょっとした間。
「ん〜。私の家、建設局で働いてるでしょ? で、小耳に挟んだんだけど。建設中のスペースセツルメントに地球から新しい管理局長が来るって話」
「何かママさんと関係あるの?」
電話の先で、軽く溜息が聞こえた。
「仮にも司書なんだから、新聞読んでるでしょ? 月で起きた事件」
月? 月? 確か、この前野生化したポケモンが与圧ドーム内で暴れて、非居住区の隔壁が破られたとか?
「野生化ポケモンが暴れた事?」
「そう、それ。それで、地球から来た管理局長がサチヨさんに、何か諮問するって話だけど?」
「聞いてないな? でも、うち。今度のスペースセツルメントの出張に、付き合う事になったなあ」
でも、それが、ナナコに何の関係があるのだろう?
「じゃあ、もしサチヨさんからなにか聞きだせたら教えて。何でも、管理局長は、ポケモンの行動に関する決まりを厳しくするために来たって話だから」
「へえ」
今度は、電話口から思いっきり溜息が聞こえた。
「暢気ねえ……。まあ、とりあえずお願いね」
「ん〜。うちでよければ聞いておく」
確か月はあまりにも人もポケモンも増えすぎて、人間のもとから逃げ出したり、人間が捨てたりしたポケモンが社会問題になっているんだっけ?
資料になりそうな物を、ネットワークから探す。
月への移民は、うちら土星への移民が始まるさらに一〇〇年前にはじまった。地球に近かったせいもあったのと、宇宙空間でもポケモンとはうまく活動できるだろうという楽観論が混ざって、人間達は地球にいる感覚でポケモンと暮らしていた。
月にジムが建設されたり、ポケモンリーグが組織されたり。野生のポケモンが街中をウロウロしたり。ポケモンの育て屋が血統書付の強い個体を売り出す中で、使えない個体を勝手にその辺に捨てたり。そういったポケモン達が人知れず増えていった上に、トレーナーが求めるポケモンは大抵強いポケモン。個体としては弱くても、種としては強いからバトルという物を抜きに考えると危険極まりない存在となっている。
そんな歴史があって、つい最近といっても半年前だけど。いつの間にか成長して、進化を繰り返していたガブリアス達が見つかって保健所が駆除に乗り出したものの、腐ってもガブリアス。しかも一〇〇匹近くもいたという事で、大捕物になって月のある街の隔壁が破壊されたって。そんなニュースがあった。
それで、対策にママさんがスペースセツルメントに出張ってなったのかな? 明日聞いてみるかなあ?
6
結局のところ、ママさんからあまりはっきりとした返事はもらえず。
「まあ、ついてらっしゃい。お友達には帰ったら詳しく話せばいいしね」
と、はぐらかされてしまった。
ナナコにはひとまず土日の出張から帰ったら話をするという事を話して、もやもやする木曜日と金曜日を過ごした。そして、金曜の夜に荷物を持ったうちとママさんは、軌道エレベーター線でホイヘンス市の軌道エレベーターに向かっている。
軌道エレベーターを見上げると、地面から巨大な塔が上空に伸びている様にしか見えないけど実際は逆。軌道エレベーター自体は地上と接していない。軌道上からこの塔の様な建造物が、地上すれすれまで垂れ下がっている。だから、一言でいうと、地上すれすれの場所で浮かんでいるなんとも不思議なものなんだけど、何で浮いているかは遠心力とか色々な要素が絡んでいるから、専門外のうちにはよく分からない。人が乗り降りする時だけ一瞬、扉の渡し板が星と接するぐらい。
タイタンは日常をつつがなく過ごしているけど、この土星圏は只今スペースセツルメントの建設ラッシュ中なので、土日を利用して自宅に帰る人達が、軌道エレベーターを使って宇宙から降りてくる。そんな帰宅ラッシュをよそに、うちとママさんは人混みを逆流して軌道エレベーターの搭乗口へ向かう。
ホイヘンス市の軌道エレベーターは三〇分に一本の頻度で運行している。
与圧区画の搭乗口で他の利用客と待っているけど、週末のこの日この時間に宇宙に上がろうという人は少ない。搭乗口の窓から外を眺めていると、タイタンの分厚い大気の向こうに太陽光を受けて微かに光り輝く土星が見えた。そして、上空に浮かぶ雲を突き破って軌道エレベーターの昇降機が降りてくる。
軌道エレベータの基部まで降りてきた昇降機は渡し板が繋がれて、搭乗口のボーディング・ブリッジが伸びる。まず、降りる乗客が退場ゲートに向かう。搭乗口で待機中のうちらは、昇降機内の清掃、安全点検が確認されてから中に通される。
昇降機の中は閑散としているけど、そのおかげでゆっくりと寛いで過ごせた。
気密の為に窓がないから、壁に設置されたモニターを眺める。モニターには現在高度や、外の様子、軌道ステーションでの乗り継ぎ便の情報やニュースが代わる代わる紹介されていく。
しばらく待っていると、ズンッと潰される様な感覚を感じて、そのままモニターの高度表記が上昇を始めた。徐々に加速をしていくので、それに合わせて体感的なGも大きくなる。ただそれもしばらくして、加速に体が慣れてくると体にかかっていた重みから解放されていく。うちは、荷物を降ろしたような感覚にホッとして。床に伏せて丸くなる。軌道ステーションまで一時間ちょっとだから、眠っていこう。
うとうとしつつも、徐々に体が重力から解放されていく感じがしてきた。久々の宇宙。ずっとタイタンにいたからこの感覚も懐かしい。
「クリスティ。着いたわよ?」
いつの間にか眠ってしまっていたのか、天井にくっ付いていたうちをママさんが引っ張って降ろしてくれた。まあ、宇宙空間には上下の概念がないけど、平面空間で生きてきた地球の生物には擬似的にでも上下が必要な訳で。宇宙に上がる時はしっかりと自分で上下の概念を持ってないと、脳が混乱して酔ってしまう。
ひとまず、床と天井を把握してママさんと昇降機を降りる。
通常だと、このまま土星港行きの出発便ロビーに行くのだけど。今回は、スペースセツルメント建設作業員達が一時帰宅の為に乗って来たシャトルがある。なので、そのチャーター便に乗せてもらって、建設中のスペースセツルメントに向かう。うちとママさんは、チャーター便のロビーで手続きを済ませて、チャーター機に乗り込む。チャーター機内は無重力なので、磁力靴を履いてふわふわ浮かび上がらないようにしないといけない。
この後は、八時間のフライトになるので、現地到着は翌朝の予定だからもう一眠りしていこう。チャーター便の同乗者達も同じ考えなのか、みんな毛布を体に巻きつけて眠り始めた。ただ一人、ママさんだけは何かの資料をじっと見つめて、時々ペンで何かメモを書き付けていた……。
7
『間もなく本機は“スペースセツルメント一号基”発着場に到着します。減速の加重に備えてください』
音量大きめの機内アナウンスで目が覚めて、座席のモニターにシートベルト着用のサインが出ているのに気がつく。うちは慌ててシートベルトを締めるけど、人間用のシートベルトがどこまで役に立つのかは正直分からない。
ママさんはすでにシートベルトを締めて、座席のモニター越しにだんだん大きくなってくるスペースセツルメントを見ている。
直径六キロメートル、全長三〇キロメートル。それが二基直列に繋がっていて、ジャイロ効果を打ち消すために一方は時計回りに、もう一方は反時計回りに回っている。
『大きい……』
あまりの規模に、思わず単純な感想しか出てこなかった。
「そうね。この一つに人口八〇〇万から、一〇〇〇万人の住人が住むんだから。二つ合わせて二〇〇〇万人弱……。見て、今は真空だけど。空気タンカーが集まってきてる。近々、気密試験と空気注入が始まるのね。その後は、植物相と生態系の調整をして建物を建てて、地球に溢れかえる人々を受け入れる。火星でも、木星でも同じプロジェクトが進められてるけど、はるばる土星まで人間は何しに来るのかしらね……?」
ママさんが言うように、空気タンカーが大小数十隻スペースセツルメント一号基と二号基の周りで漂泊している。そして、見える範囲では、何基ものスペースセツルメントの骨組みが形作られている。第二次移民団は5億人。タイタンは第二次移民団が来ると、その役割の大半をスペースセツルメントに譲って、小さな衛星都市圏として余生を過ごす事になる。
それが二〇年先まで迫っているなんて想像がつかないし、今タイタンに住んでいる人口の三〇〇倍以上の人間が押し寄せてくる事も想像がつかない。土星圏はどうなってしまうのだろうか? それよりも、愛着のあるタイタンは寂れてしまうのだろうか?
「さてと、仕事終わらせて、さっさと帰りたいわね」
『管理局長との会談?』
「そう。まあ、クリスティを誘ったのも、小論文の題材にいいかなっていうのと、私のサポートして欲しかったていうのもあるしね」
『サポート? 何すればいいの?』
シャトルが逆噴射を始めて、減速に伴う反動が全身を前へ押し出そうとする。
「大した事じゃないから、いつも通りにね!!」
『はあ?』
あんまり多くを教えてくれないママさんに苛立ちを覚えつつも、初めて訪れるスペースセツルメントにうちは釘付けだった。モニターいっぱいに広がる建造物に、ぽっかりと空いた穴が入港口だった。減速しながら徐々に入港口に近づく、画面いっぱいの建造物はもう全容を捉えられない。
ガイドビーコンにの流れに乗って、シャトルは土星圏最大の建造物の中に入った。入ってすぐに、ロボットアームに掴まれてドッキングハッチまで引っ張られていく。そして、ドッキングハッチに接続されると、扉のロックが解除されて乗客達はシャトルの外へ出て行く。うちとママさんもシャトルを出て、仮の到着ロビーに案内される。港の周りはすでに空気が入れられていて、空調も整っているみたい。
「さてと、一流ホテルはないけど。泊まる部屋は用意してくれているから、荷物を置きに行きましょう」
ママさんが手にしたスマートフォンの案内を見ながら、作業員区画の貴賓室まで歩いていく。建設中とは言え既に回転する事で人工重力が生み出されている。もちろん地球の重力に合わせて一Gで。久々の重力感覚に体が悲鳴を上げているけど、タイタンの住民は、人もポケモンも一定以上の筋力を維持する事が健康診断で決められているので、そこまで苦にはならない。けど、荷物が重く感じてしまう。
普段はここで建設作業なんかをしている人達が寝泊りする場所だけあって、設備はちゃんと整っている感じがするけど今は閑散としている。みんな、タイタンに帰ってしまっているからかな。
貴賓室といっても、多少他の部屋より広くて調度品が整ってるだけで、確かにホテルと比べるものではないなあ。窓もないし、ちょっと大きめのテレビが一台と保安センターにつながる電話が一台。
うちとママさんは荷物を置くと、ひとまず朝食を食堂で済ませて、到着した時の仮の到着ロビーに向かった。
到着ロビーには役所のお偉いさんとか、建設現場の監督とかが揃っていた。
「これから、管理局長が来るから。まあ、普段通りに礼儀よくしててね」
『分かった。でも、うちが邪魔なら部屋に戻ってようか?』
ママさんは静かに首を振る。周りの役所のお偉いさんや、現場監督達もポケモンを傍らに待機させている。人間達はどこか緊張した面持ちだ。ナナコが言っていた様に、今度来る管理局長というのは、ポケモンに対して厳しい人なんだろうか? でも、ここ土星圏では人間もポケモンも同等に近い権利を有している。そうしないと社会が回らないから。その事を、この人達は管理局長に訴えるつもりなんだろうか?
ママさんはお偉いさん達の輪から離れた場所に立っているから、自然とうちも他のポケモンの輪から離れている。輪の中でどんな話が交わされているのか気になるけど、もう直ぐ管理局長が来るらしいので、おとなしくママさんの後ろで座っている。
遠心力が生み出す人工重力のせいだけじゃない、なんとも言えない重たい空気が場を支配している。なんというか、しっぽ一本動かすのも憚れるそんな感じ。時々、視線を動かすと他のポケモンと視線が合うけど、互いに無言で頷く事しかできない。
8
「では、第一回スペースセツルメント環境会議を開催する」
地球から来た管理局長を迎えて早々、うちら一行は会議室に向かいそのままの流れで会議が始まった。お題は第一声を上げた管理局長の言う通りなんだろうけど、立ち上がって周りを見る管理局長の視線はどこか厳しい。視線が合っても逸らしてはいけない。そんな感じがする。
「まず、先ほど月で起きた野生化ポケモンの対応については事前会談で説明した通りだ。異議は後ほど伺うとして。ポケモンを管理した状態で、二〇〇年過ごした貴方がたタイタン人の意見を伺おうか? スペースセツルメントには一基最大一〇〇〇万人の人間と、その住人が各々持ち込むポケモンが生活する事になる。
勿論、タイタン人がポケモンを選別の上この地を踏んだ事例を踏襲すれば何の問題もない。しかし、この度の第二次移民団は人間もポケモンも選別された特技技能者の集団ではない。一般人、あえてきつい言い方をすれば、地球での食いっぱぐれの連中だ。不逞の輩も紛れ込むだろうが、五億ともなると見極めは厳しい。人間の管理監視は警察がすればいいとして。今後想定されるポケモンリーグ創設待望論とそれに付随する、過度な厳選による不法に遺棄されたポケモンの対応について忌憚のない意見を言ってくれ。月の事件の後でもあるという事と、地球から最も離れた場所に住む者として、各種支援が遅れる事を想定して述べてほしい」
誰の口も挟む事を許さない調子で一気に要件を管理局長は述べると、ドスンと椅子に腰掛けて次の発言者を待った。
「よろしいでしょうか?」
最初に起立したのは、警備局の局長。顔に見覚えがある。今は五〇を超える年齢だけど、若い頃はうちの勤める図書館に足繁く通っていた人だ。
「警備局長。どうぞ」
「環境会議という場ですが、環境は専門外なので最初に安全管理面だけでも意見させていただきます。
まず、建設局での資料では外殻は五重の層になっているので、通常のポケモンの技では五層に渡る隔壁の貫通は不可能となっています。これは警備局でも確認済みですが、月での例を参考にすると、不法に遺棄されたポケモンが行き着く先は、こういった外殻の人の立ち入らない区域になります。
その場合、五層にも及ぶ外殻を持つスペースセツルメント五〇基をもれなく警備巡回する事は、警備局と保健所の職員総出でも不可能と考えます」
そう言って、警備局長は席に着く。彼の後ろにはルカリオとカイリューが控えているけど、それぞれがなんとも苦渋に満ちた顔をしている。その意見を無表情で聞いていた管理局長は次なる意見を促す為に、会議場を見渡す。
「環境局局長のイシハラです。
先ほどの警備局長の意見に補足ですが。スペースセツルメントに大気循環等の設計耐久は人間一〇〇〇万人に、ポケモンが種によりますが二〇〇〇万から二五〇〇万匹を想定しています。ただ、過度な厳選が行われた場合試算では、年間最大二〇〇万匹のポケモンが卵から孵る事になり。大気循環は追いつかず各スペースセツルメントは二酸化炭素の蓄積により酸欠を起こしてしまいます。
よって、事前に法整備を行い、育て屋産業の規制と免許制。抜き打ち検査等の実施を行うべきと考えます」
環境局長もそれだけ言うと座る。
「持ち込む、種の淘汰という選択肢はあるのかね?」
管理局長が、鋭い視線を環境局長に向ける。
「それに関してですが……」
ここで、ママさんが立ち上がる。
「あなたは?」
相変わらずの厳しい視線で管理局長がママさんを睨む。
「タイタン科学技術大学のクスノキ・サチヨと言います。限定空間での野生生物学を専攻してますので、今回環境局のアドバイザーとして参加させていただきました」
「ふん」
「持ち込む種の淘汰に関してですが、我々の先祖が行ったように限定させる事は可能と思いますが、現状一五〇万人の人類という小世帯なので、環境局の規定するポケモン以外が紛れ込んできても水際で対処できます。
ただ、五億人もの人間に対して届く経済物資に紛れ込んだポケモンの水際での対処は不可能に近いです。現にポケモンでないからと、対処が追いつかずタイタン中に広まった哺乳類、爬虫類、節足動物などはかなりの数になります。
アドバイザーとして言える意見は、育て屋の規制以外にポケモンによる自治という事をお勧めします」
管理局長は身を乗り出して、ママさんを睨む。この人はこの場に対して何が不満なんだろうか?
「つまり君は、人間は人間。ポケモンはポケモンで管理しろと言いたいのかね? 君らタイタン人は選ばれた優秀なポケモンにだけ囲まれているからそんな発想をするのだろうが、現実は甘くはない。人間に一切触れた事がないポケモンが、人間に対して見せる敵意は真空で浮かぶ構造物では危険極まりないと思わないかね?」
「その点は、私は地球に留学した事があるので理解していますが、今の技術で人とコミュニケーションが取れないようなポケモンでも、ポケモン間ではコミュニケーションが成り立ちます。
そういう事例は、すでに過去から多数の論文で検証・確認されています。広く教育されたポケモンを野生化したポケモンと交流させる事で、人間ができないポケモンへの教育という課題をクリアしてくれると思いますが如何でしょうか?」
ママさんは、あえて感情のこもらない表情で管理局長を見ている。
「では、君の後ろにいるポケモンに聞いてみよう。彼女は第一次移民団で渡ってきた古老のようだからね」
えっ? うちの意見? 聞いてないよ……。
会場の視線がうちに集まる。
「好きな事言いなさい」
ママさんが唇を動かさずに、うちに小声でそう告げる。
「では、クリスティ君。君は相当な勉強家のようだ。資料を見ると、様々な技能を持っている。
そんな君に聞きたい。例えば、幼くて知能も低いナックラー。それに対して、君は教育というものの効果を発揮できると思うかね?
特に厳選の際に捨てられたナックラーであれば、地割れなどの危険極まりない技を習得して生まれてくる。どうかね?」
『うちは、粘り強く語りかければ克服できると思います。既に、この星で生まれた第一世代の子供達から数えて八世代に渡って、同じ一家にお世話になっています。生まれたて人間の子供は技こそ使えなくても、知能的には極めてレベルの低い状態。感情に支配された時期がありますが、それでも粘り強い親の声かけで緩和されます。
ポケモンも同じだと思います。ただ、育て屋の規制や知能の低いポケモンを低いまま放置するだけでなく、レベルを上げ鍛える事で社会に組み込んで、人間との共生を図る事は可能だと思います』
うちは、それだけ言うと管理局長が頷いたのでへたれこむ様に座った。
そのあとの会議は、放心状態でよく覚えてない。後でママさんから聞いた話だと、育て屋の免許制と、トレーナーの基礎教育。ポケモン同士によるコミュケーション実験などの研究課題が次回の会議までの課題として決議されたという。
うちは部屋に戻ると、緊張といつもより強い重力から来る疲れに負けて、床にへばりこんでしまった。
「いや〜。クリスティを連れてきて良かった。期待通りに、話を持って行ってくれたしね。後は、あなた自身の課題のテーマもできたんじゃないの?」
『テーマ……。自分であんな事言ってしまったし。小論文でやらないとダメだよね?』
「締め切りまでにうまく纏められれば、合格間違いないと思うけど?」
あ〜。『ポケモン間による教育効果と限定空間でのポケモン自治』という、大学レベルの小論文を書く羽目になってしまった。うちはどうしたらいいのやら……。
衛星タイタン。土星の周りを回る衛星。土星圏は変革期を迎えている。うちらポケモンも、自分達の権利を主張しないといけない。人間にくっついているだけの存在では、この宇宙では生きていけない。人間と肩を並べて、種族を超えた絆をさらに深めて、新しい時代を切り開かないといけない。うちが先陣を切る事になるとは二〇〇年前に地球を出る時には想像もしていなかった事だけど、これも運命なのかもしれない。
宇宙に進出してポケモンと人間の関係は変わってきている。技術の進歩もあるけど、環境の変化もある。ここを乗り越えないと、うちらポケモンと人間は袂を分かってしまうかもしれない。
これから先は読めない事が多いけど、未来なんて読めないもんだし。ここはひとつ一肌脱いでやってみよう。