「お前は辻斬り小太郎の噂を知っているか?」
とある小さな町のポケモンセンターにやってきたトレーナーに、白衣を着た男が声をかける。この町に入り、パートナーのオオタチを回復させるために預けたトレーナーの少年セントはつまらなさそうに返事をした。
「何それ、そいつを振ん縛って捕まえてくれば謝礼でもくれるの?」
「……人の質問に質問で返すなと学校で教わらなかったみたいだな」
「俺トレーナーだから学校とか行ったことないしー」
イライラしたような白衣の男の声にセントはあっけらかんと答える。舌打ち一つした後、男は続けた。
「捕まえて警察に持っていけば金にはなる。だが俺が言いたいのはそいつはトレーナーを斬る奴だから気を付けろってことだ」
「へえ、見ず知らずで教養のない俺のこと心配してくれるんだ?」
「そんなわけねえだろ。ここ二ヶ月で旅の途中でこの町に訪れたトレーナーが五人死んでる。あまり流れ者に死なれるとこの町自体に変な噂が流れるし遺体を片づけるのも面倒だ」
「ふーん。まあ普通の人にとっては怖いよね」
「ああ、今もこの町にトレーナーを殺した奴がいるかもしれないと怯える奴らも多い」
「うわーいかにもホラーとかでありがちー」
セントはへらへらとパートナーの回復を待ちながら答える。旅のトレーナーが何らかの理由で死んでしまっても自己責任だしそれを利用して襲うやつもいる。だからトレーナーにとっては珍しくもない。
「でもさ、辻斬りナントカってことは全員刀とかで切られてたの?」
「いや、刀じゃねえ。死んだ奴らの体には鋭く一閃、獣の爪による切り傷があった。それなのにポケモンの毛みたいな痕跡がねえ」
「おっさんやけに詳しいね?」
セントはそう呟いた。白衣の男はまたため息を吐く。
「……俺はこの町唯一の医者なんだ。死体を運んで埋葬するなら男手もいるし、ずっと駆り出されてる。うんざりだ」
「へー、ご苦労さま」
「だからお前が犠牲者にならんようこうしてわざわざ声をかけてやってるんだ。感謝の一つくらいしたらどうだ」
「はいはい、ここで俺がお墓作ってもらうことになったら感謝しまーす」
「ちっ……縁起でもねえこと言いやがる」
ポケモンセンターのジョーイさんに番号を呼ばれて回復したオオタチの入ったボールを受け取る。セントは話をした医者に何の興味もなさそうに立ち去ろうとした。その背中に、男が声をかける。
「いいか、辻斬りはポケモンを操る奴の仕業だ。そういうポケモンを持ってるやつに会ったら十分注意しろよ」
「おーしダチ。すっかり元気になったなー」
「聞いてねえ……」
ため息を吐く医者に一応セントは振り返ることなく右手をひらひらと振り、ダチとニックネームをつけたオオタチを連れてポケモンセンターを出る。ただ旅の途中で寄っただけの町だったし、こういう話を聞いて長居するつもりもなかった。適当に昼食を取ってしばらく足を休めた後、次の街へ行くために草むらへと入る。
「おーい!そこの少年、バトルしようぜ!」
「!」
あまり人通りのない道だったため周りに注意しつつも気軽に歩いていたのだが向こうから歩いてきた男に勝負を仕掛けられる。トレーナーとトレーナーが目を合わせたらそれはバトルの合図。断ることは許されない。
「……ああいいよ。ちゃちゃっと俺が勝つけどね! 行くよダチ!」
「オオンッ!」
「余裕だな、楽しませてもらおうか、出てこいランクルス!!」
オオタチが長い体をぐるりと丸めた隙のない体勢を取り、ランクルスがすとんっと軽い音と立てて着地する。プルプルとした液体の中に入った胎児のようなポケモン、ランクルスは念力や拳を操り戦うなかなか強力なポケモンだ。でも相手を切り裂くような技は覚えない。
「オオタチか……割とよく見かけるポケモンだな。いかにも少年らしい」
「馬鹿にしないでほしいな。俺のダチはそんじょそこらのオオタチとは違うからね!」
オオタチはどの地方にもいるノーマルタイプの進化系の一匹でありその中でも能力は低いと言われている。セントはそれを知ったうえでただ一匹の相棒として連れ歩いているのだ。そこには、彼なりの揺るがない自信がある。
「それじゃあ見せてもらおうか、行けランクルス、『ピヨピヨパンチ』!」
「ダチ、『突進』!」
「オオッ!」
相手のポケモンが特殊な液体でつくられた腕を振り上げて向かってくるのをオオタチは突進で迎え撃つ。ランクルスはスピードが遅いポケモン。腕を振り下ろす前にオオタチが本体へと一撃を入れる方が本来早いはずだ、しかし。
「躱せランクルス!」
「!!」
「そのままやれ、『サイコキネシス』!!」
ランクルスの体がオオタチをすり抜けるように突進を交わしてさらに前に出る。そのまま肉食獣のような速さでオオタチから距離を取り、セントの目の前へ向かう。そして振り返りオオタチの方を向き直して攻撃を仕掛けようとするのを。セントは不敵に嗤って言った。
「やらせねえよ、辻斬り野郎」
まっすぐ突っ込んだはずのオオタチが、細長い体でとぐろを巻きながらセントの盾になった。ランクルスは指示に反して念力など使っていない。使われたのは鋭い爪で相手を切り裂く――『辻斬り』だ。防御姿勢を取った細長い体が浅く切り裂かれたものの大したダメージにはなっていない。相手の男とポケモンが驚く。その隙を見逃さず、セントは指示を出す。
「ダチ、『捨て身タックル』!」
「オオンッ!!」
「ゾアァ!?」
丸めた体を伸ばしながらの強烈な一撃に獣の様なうめき声をあげ相手のポケモンは大きく吹き飛ばされる。それはもうランクルスではなかった。ダメージを受けると同時に緑色の液体に包まれた体が真っ黒な獣へと変化し、化け狐ポケモンであるゾロアークになる。
「失敗したなおっさん。ゾロアークの特性『イリュージョン』で姿は相手を切り裂く攻撃とは無縁のランクルスにして警戒を解いたつもりだろうが、いくら姿をそっくりに変えても地面に降りた時の音は消せねえ。そしてランクルスは宙に浮いたポケモンだ。最初っからあんたのポケモンがゾロアークってばればれなんだよ。まあ、他にもわかった理由なんていくらでもあるけど」
だからセントは最初の攻撃で『突進』を命じた。そもそもオオタチは技としての『突進』を覚えない。セントが『突進』を命じたらそれは『影分身』で偽物を作ってそれで突っ込ませろという合図だとセントとダチは決めている。そうすることで迂闊にポケモンとの距離を離したと見せかけ、相手の化けの皮が剥がれるのを待ったのだ。
「ちっ……小賢しいガキが……」
「はいはい小悪党のテンプレ台詞お疲れ様。それで? 俺に直接辻斬りしようとしてくれたのはどう落とし前つけてくれんの?」
セントは自分に向けて明確な殺意を向けた辻斬り男ににやにやして言った。ポケモントレーナーの旅には危険がつきもの。これくらいの事でビビっていてはやってられないとセントは思っている。相手は顔を青ざめさせながらも殺意を緩めず激昂する。
「黙れ……てめえはここで死ななきゃいけねえんだよ! ゾロアーク、あのガキを殺せ!」
「全く、そんな風に殺気を見せるからばれるんだよ……ダチ、いくよ」
ゾロアークが本来のしなやかな動き、鋭い爪を槍のように構えながらセントに迫る。今度は真正面から切り裂くつもりかとオオタチは慌てず再び『とぐろを巻く』姿勢を作って相手の攻撃に備えた。体を丸め防御、伸ばす勢いをくわえることで攻撃時に素早さを上げることが出来る万能の体勢。しかしゾロアークはセントとオオタチから直接体の届かない距離で急停止し、口に力を蓄える。セントがはっとしたが、既にゾロアークの口にはその種特有の一撃が蓄えられている。
「『ナイトバースト』!」
「ちっ……! ダチ、奥の手を使え!」
オオタチが一瞬のうちに動いた後、ゾロアークの口から暗黒の衝撃波が放たれる。オオタチとセントにダメージを与えつつも両者の視界を月も出ない闇夜のような黒に変えて視界を奪う。セントもオオタチの瞳は焦点が合わず、ゾロアークを捕らえられていないと辻斬り男は判断し、ゾロアークに止めを刺させようとする。
「これは俺の復讐だ……止めだゾロアーク、『辻斬り』でこいつを殺せ!」
「ゾアアア!!」
ゾロアークの鋭い爪がセントの喉を切り裂こうとする。しかしその腕が降りぬかれることはなかった。体に触れるほんの手前で、腕が止まり動けない。辻斬り男がゾロアークにもう一度命じる。
「ビビるんじゃねえゾロアーク! これは俺達の復讐なんだ。こいつを殺さなきゃだめなんだ! お前だってわかってるはずだろ!」
「ゾアアア……!」
「ゾロアーク!!」
辻斬り男の必死の訴えにもかかわらず、ゾロアークは動けない。人間の体などどこであろうと易々と切り裂ける鋭さを持った爪は、セントの体に食い込むことはなかった。目の焦点は合わぬまま、次のセントが放ったのは命乞いではなくやはり嘲笑だった。
「そんなに吼えるなよおっさん。こいつは動かないんじゃねえ。動けねえんだよ」
「……!! 急げゾロアーク、間に合わなくなる!」
「もう遅え! ダチ、『捨て身タックル』だ!」
視界が効かなくとも、すぐそばにいる獣の気配を感じ取れないオオタチではない。とぐろを巻いた姿勢から二度目の『捨て身タックル』でゾロアークを吹き飛ばす。動けない体勢から腹に痛烈な一撃を食らい、ゾロアークは仰向けになって倒れた。
「あ……あ……何故、だ……」
この世の終わりのような顔で絶望する辻斬り男に、セントはようやく回復し始めた視界で無様な相手を見る。そして肩を竦めて説明した。
「こいつは単純な『トリック』だよ? 俺のダチには最初から『後攻のしっぽ』を持たせてた。こいつを持ったポケモンは絶対に後攻めしか出来なくなる。こっちが攻撃してないのに自分から攻撃することができない。あんたのゾロアークは『気合のハチマキ』を持ってたよね。『ナイトバースト』を使われる直前に入れ替えてそっちから攻撃できなくしたってこと、わかったぁ?」
オオタチの特性は相手の道具がわかる『お見通し』を持つものもいる。セントのダチがまさにそうで事前に相手が道具を持っているのもわかっていた。また耐久力の高いランクルスに『気合のハチマキ』を持たせることにも違和感があったのも『イリュージョン』を見抜いた要因の一つである。だが男はそんなセントの説明を聞いていない。ゾロアークをボールに戻すことすら忘れて腰を抜かし、それでも後ずさってセントから逃げようとしている。
「まあそれを気取られないように『とぐろを巻く』のポーズを取らせて相手の出方を伺ったりそもそも先手で攻めることの出来ない道具を持たせて戦う俺とダチが凄いってことで……って、おっさん聞いてるー?」
「み、見逃してくれ……」
セントが震えあがった男にやれやれとため息をつく。辻斬り男は必死に逃げようとするが、腰を抜かしていてまともに動けていない。少しずつ距離を離そうとする男に構わず、セントは生意気な笑顔を浮かべて言う。
「ダチは肉食だけどあんたみたいなおっさんを取って食ったりしないって。これくらい慣れてるし見逃してあげるよ」
「ほ、本当か……」
「うん本当本当! 俺って優しいなあ。なあダチー」
「オオッ!」
屈託のない笑みでオオタチを抱きしめるセント。命は助かったと思いようやく少しは安心したのか辻斬り男は立ち上がりセントから背を向けて逃げ出した。二人の距離が離れ、そして。
「……って。正体知ってて突っかかってきたくせにんなわけねーだろバーカ」
無防備に向けられた背中を、まっすぐに伸びた真っ黒い爪が切り裂く。それはゾロアークのものでは勿論ない。セントのオオタチが『シャドークロー』で伸ばした影の爪だった。背中に一直線、刀で切られたような大傷を受けて男は倒れる。もぞもぞと動いて何かを訴えるが、既に致命傷だ。セントもそれがわかっているから、助けることもせず何かそれ以上声をかけることもない。
「それにしても笑っちゃうよなーダチ。なんだよ辻斬り小太郎って。小太郎どっから来たんだよ。俺そんなだっせえ名前じゃないのに」
「オオッ?」
オオタチはセントがポケモンセンターでした会話を知らないので首を傾げる。それが可愛くてセントは頭を撫でてやった。己のポケモンに人を斬らせて、そのことに何の感慨もなく。
「そんな噂が立ってるなら、この町に寄るのは最後にした方がいいかなあ。そろそろ別の地方に行ってみるのもありかな? さて、お前も飯食ってこい。ロコンならともかくゾロアークなんてなかなか食えないからね」
「オオン!」
辻斬り男が完全に事切れたのを確認して、セントは男に近寄り金目のものを奪う。しかし大したものは持っていなかった。財布のお札だけ抜いて自分の懐にしまう。オオタチの見た目は愛らしいが生態としては完全に肉食だ。意識を失い倒れたゾロアークを、臓腑の詰まった腹から食べていく。パートナーの食事の間、セントは切られて死んだ辻斬り男の顔を見て呟く。
「復讐って事は、俺がこの前殺した奴の家族か何かかな? まあ、どうでもいいけどさー」
言葉に明るさと生意気さを併せ持つ少年、セントこそがここ二ヶ月でトレーナーを切り殺した張本人だった。男の顔を見て今まで殺した奴と似てるやつがいないかなと考えてみたのだが、そもそも今まで殺した相手の顔を覚えていないことに気付きやめる。
「あのお医者さんもまた苦労することになるねー。今まで片付けありがと。そしてさよならっ!」
セントはにこりと笑って、さっき出た町の親切な医者に向かってするつもりで敬礼した。まさか彼も警告した相手が辻斬り小太郎張本人だとは夢にも思わないだろう。食事を終え、血まみれの身体で帰ってきたダチを用意したタオルでくるんで血を拭いてやりつつセントは旅を続ける。パートナーのオオタチ一匹と、あてどなく誰かを殺める日々を。
「たまには返り討ちも悪くないけど、やっぱり自分から行く方が性に合ってるなあ……次の街ではどんなトレーナーを狙おうかな?」