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  [No.4019] チキン・デビル 投稿者:まーむる   投稿日:2017/07/14(Fri) 01:00:04   81clap [■この記事に拍手する] [Tweet]

0.
 ずるずると、青色の竜を引き摺って、前へ進む。夜、僅かな明かりの中、流れ出る血が軌跡を作っている。
 時間は無い。それが一番手っ取り早い方法だった。
 青色の竜の死体。地中を泳ぎ、仲間を何体も引きずり込んで殺した青色の竜。今は動かない。皆で炎を浴びせ、首を抉り、腕を蹴り折り、足に爪を突き刺し、口の中に炎を流し込み、腹を抉った。
 その死体を引き摺って、強い電気の流れる柵に押し当てた。体に電気は全く走らなかった。
 そして、俺ともう数体の仲間が押し当てている間に、他の仲間達がその死体を蹴りつける。
 がしゃん、がしゃん、と死体越しに柵が強い音を立てる。その内、べり、べり、ばりばり、と破れる音が聞こえてくる。この先は、ただの草原だった。自由になれる。この柵さえ破れば。
 希望が湧いて来る。
 でも、時間は無い。俺達が逃げようとしている事なんて、ニンゲン達にはもうとっくに知れ渡ってるはずだ。
 監視役の、水に溶けて自在に動き回れる四つ足の奴を、その水ごと焼き殺してから。

**********

 監視役を焼き殺したのが、全ての始まりだった。命を賭けた、失敗したらそれで終わりの脱走。
 最初の柵を、鍵の部分を何度も蹴って壊した。
 異変に気付いた、もう一体の四つ足を皆で蹴り殺して。それでも反撃されて、仲間の数体が怪我を負い。
 でも怪我をしたとしても、その先は無かった。動けなくなったら、致命的な怪我を負ってしまったら、もうそこでお終いだった。治せる仲間も、道具も何も無い。道具があったとしても、使い方を知らない。
 明かりのついた部屋の中へ踊り込む。焦る声で誰かに連絡を取っていたニンゲンと、護衛の敵が二体。見慣れた二体。いつも、俺達を死へと誘った二体。岩の巨体と、青い竜。
 岩の巨体の両手から唐突に岩石が飛んで来て、当たった仲間の体はいつの間にか弾けていた。弾けた血肉が体にびしゃりと跳ね掛かった。とても強い青色の竜が、地中へ潜り、泳いで、その中から唐突に仲間を引きずり込んだ。食い千切る音。疳高い悲鳴。泣き叫び、唐突に尽きる命。
 それでも、止まる事はもう、許されなかった。
 数は、力だった。岩の巨体に皆で飛び掛かった。皆で何度も何度も蹴った。とても硬い肉体も、蹴り続ければぼろぼろと崩れていく。暴れられて、壁に仲間が叩きつけられようとも。岩石で仲間がぐちゃぐちゃになろうとも。仲間が踏み潰されようとも。その血が、俺達に降りかかろうとも。
 地面に仲間が引きずり込まれる、その瞬間に炎を浴びせた。穴の中に、炎を流し込んだ。熱さに耐えかねて青い竜が飛び出してくる。その瞬間に回りに群がった。もう何もさせないように。その鋭い爪の生えた腕をべきべきにへし折った。腹に噛みついて食い千切った。脚に、俺達の爪を何度も突き刺した。倒れたその口を踏みつけ、鋭い歯をへし折った。そして炎を流し込んだ。首に爪を突き刺した。
 数は、力だった。でも、その強敵の二体を倒した時、怯えるニンゲンを皆で焼き殺した時、数は少なくなっていた。
 数は、力だった。



 この、俺達を育てて食べる為だけ場所から逃げ出す為に、皆でこっそりと、必死に、体を鍛えた。
 夜、見回りが居ない時間に、蹴りを必死に鍛えた。より熱い炎を出す為に、自らの体をも焦がした。爪を鋭くする為に、何度も研いだ。
 鍛えている最中にも、仲間は容赦なく連れて行かれ、殺されていった。
 青色の竜に無理矢理連れて行かれて。水を操る敵に弱らされて。岩の巨体に締め上げられて。
 それでも、必死に俺達は耐えた。自由になる為に、ここから脱出する為に、殺されていく仲間は皆、残った皆の為に、黙って死んで行った。
 そして、進化したばかりの何も知らない若鶏が新しく入っても来る。
 この先にあるのは死であるという事実を知らないまま、新しく入って来てしまう。
 丁寧に進化するまで育てられたのは、殺される為。食べられる為。
 青い竜が、岩の巨体が、褒美として貰う仲間だった肉体の欠片を貰う時に、それは分かる。目の前で美味しく食べている時にそれは分かる。
 絶望し、そして、俺は決意した。皆も、俺に続いた。
 ここから、逃げると。
 必死に体を鍛えた。ばれないように。逃げる為に。



 その仲間達はもう、少なくなっていた。共に我慢し、体を鍛えた仲間達。闇夜の中で、共に必死に鍛えた仲間達。
 鍵を壊して、濃い血の臭い、仲間達が連れて行かれて殺された場所を通り抜けた。暗闇だったのが幸いだった。踏んでいるものが何なのか分からないのが幸いだった。吐いた仲間を必死に立ち上がらせて。怪我をした仲間の肩を担いで。
 最後の柵は、とても強い電流が流れていた。炎を浴びせても全く破れる気配が無かった。
 考えている時間は無かった。でも、このままじゃこの柵を壊せなかった。最後の柵を。
 皆は、必死に考えた。敵が来る前に。誰かが提案した。死体を使おうと。
 他に考えている時間は無かった。
 もう一度、その濃い血の臭い、仲間達の臭いがする場所を通り抜ける。
 岩の巨体の死体が一番電気を通し辛そうだったけれど、一番重かった。青色の竜の死体なら、引き摺ってなら持っていけそうだった。
 また、その場所を通り抜ける。
 気持ち悪い。

**********

 俺と仲間数体が青色の竜の死体を抑えながら、それを仲間達が交互に蹴る。がしゃんがしゃんと音を立てて、暫くするとみしみしという音がする。
 更に暫くすると、べり、べりと破れる音が聞こえて来た。
 体が熱い。それは、とうとう外へ出られるという希望からか。それとも疲れた体が悲鳴を訴えているのか。急がなければという焦りからか。
 それは分からなかった。どれでもあるような気がした。今まで感じた事があるような、無いような、そんな経験の記憶が微妙にあるような感覚だった。
 抑えている間、青色の竜から飛び出した臓腑が俺の顔を叩いていた。
 千切れた臓腑からは、どろどろに溶けたものが出て来ていた。それには仲間の血肉も混じっている。
 吐き気がする。体が熱い。
 そして、唐突に体が前に倒れた。柵がより一層強い音を立てて、千切れた。
「やった!」
「自由だ!」
「生きられる!」
「逃げられる!」
 皆が歓声を上げた。空を自由を飛ぶ鳥のように。俺達に翼が無くとも、ただの羽毛しかなくとも、俺達は、自由になれた。
 でもうかうかしてられない。追手が来ているかもしれない。
 皆が外へ飛び出していく。俺も仲間に引っ張られて起き上がり、前を向いた。
 仲間の一体が、宙に浮いていた。
「えっ、なにっ、だれか、たすけっ、ぶぇ」
 ぼき、と、首が折れる音。宙で、だらりと力を失った、その姿。一瞬遅れて、地面に落ちた。
 もう、びくとも動かなかった。
 黄色い、首の長い敵が強烈な明かりを放った。一瞬にして闇夜の中の俺達の姿が露わになる。人間が、敵が、出て来た。
 黄色い、大きな髭を持った、手に金属の何かを持った、頭のでかい、敵。
 手を動かしただけで、もう一体の仲間が、宙に浮いた。
「やだやだやだやだ助けてええええええあああああああああああああああびゅっ」
 折られて、死んだ。また、死んだ。
 皆、一気に散り散りになった。
 それを皮切りに、暗闇から明かりの下へと、敵がぞろぞろと出て来た。
 背中に頑強な防御を持ち、型から筒を生やした青色の巨体。
 その筒から飛び出した強烈な水に仲間が撃ち抜かれて、そのまま遠くの木にまで叩きつけられた。血を吐いて、咳き込んで、血を吐いて、倒れた。
 空から唐突に巨大な鳥が舞い降りて来て、一体を空へ連れ去った。
「あああああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ」
 空へ遠ざかる悲鳴。
「ぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁああああああああああああっ」
 近付いて来る悲鳴。
 どちゃっ。
 地面に叩きつけられて、びく、びく、としか動かなくなった。
 紫色の、とげとげしい、大きな耳と大きな尻尾を持った怪獣が、体を回転させた。その尻尾に叩きつけられて、仲間が宙を舞った。落ちて、動かなくなった。
 逃げようとした、俺達を、屠って行く。
 水の勢いで、不思議な力で、筋力で、電撃で、空から落として。容赦なく、一方的に。赤い血が撒き散らされる。
 体が、熱い。助けて。
「やだやだやだやだ」
「どうしてどうしてどうして」
「僕達が何かしたって言うの」
「ああああああああああああああああああ」
 死にたくない。体がどくどくと胸打つ。
 助けて、助けて!
「助けて、誰か、いやだいやだ」
「やめて殺さないで、何でもするから殺さばっ」
「ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい」
 どくどく、どくどくと、段々早くなっていく。仲間が目の前に落ちて来た。
「ひゅっーひゅっー」
 絶望に染まった顔が、空虚な顔が、俺の目の前に投げ出された。
 どこへ逃げようとも、皆殺されていく。
 ただ、安全な場所は、一つだけあった。それは、元居た場所だった。そこへと追い詰められていた。そして、敵は容赦なかった。俺達同様に。逃げる事を完全に諦めない限り、容赦なく殺して来た。圧倒的な力で。俺達の努力を、犠牲を、踏みにじって。ぐりぐりと、踏みにじって。
 でも、それでも、柵の中へは、死んでも帰りたくなかった。
 体がとても熱かった。立ち上がる事さえ辛くなり始めた。
 どくどくと、体がみしみしと音を立て始めた。体を動かす事すらも辛くなっていた。でも、柵の中へは、後ろへは、戻りたくなかった。
 そして、同時に思い出した。
 ……これは、これは、進化だ。
 その瞬間、俺の体がふっと宙に浮いた。鳥に、強く掴まれた。痛い。でも、とても痛くはなかった。思わず声を出してしまう程ではなかった。
 体が胸打つ。みしみしと音を立てる。時間が緩やかになる感覚がした。
 俺を掴んで宙へ連れ去る鳥からひらひらと羽が散る。それが、くっきりと見えた。羽の、小さな毛の一本一本が。風に揺れる、その全てが。
 風が俺の体を撫でた。俺の体が、急激に大きく、より強くなっていた。
 鳥から、恐れを感じた。俺は、それを、無感情に受け止めた。太く、長く、強くなりつつある腕を伸ばすと、掴まれていた肩を、逆に掴めた。
 自然と腕から迸った強烈な炎が、鳥の全身を一瞬にして消し炭にした。悲鳴すら上げさせない、一瞬にして。それは、進化前とは比べものにならない火力だった。
 同時に体が一気に落ちていく。風を感じる。地面が急激に近付いて来る。
 けれど、それは恐怖ではなかった。新しい力が、今、俺には備わっていた。
 ぐちゃり、と仲間が墜落した、その光景。地面にはその、動かなくなった死体がただ、あった。
 その隣に俺は、その強靭な脚で、完全に衝撃を受け止めた。
 一瞬の静寂が訪れた。
 どさり、と黒焦げになった鳥が落ちて来た。灰を撒き散らして、そしてぼろぼろに崩れた。
 俺は、唐突に地面を蹴った。力だけではなく、気も満ち溢れていた。殺意はない。ただ、それは殺したくないとかそういうものではなかった。何でも出来そうな感覚、それが俺を満ち溢れさせていた。
 まず、青色の巨体に、一歩、二歩で瞬時に迫る。遥か高くから着地出来る脚力、それは景色が置いて行かれるほどの速さを誇る脚力。肩の筒が俺に向けられた。強烈な水を、屈んで避けた。
 下へ潜り込んで、腹を蹴り上げた。硬い。重い。でも、構わない。その程度だ。あの岩の巨体よりは、遥かに柔らかい。そして、軽い。げぶぅと涎が飛んできた。足を大地にめり込ませ、爪を食いこませた。
 腕にぐ、と力を込めて炎を噴き出させ、腹を殴り上げる。そして、蹴り上げる。更に蹴り上げて、殴り上げた。更に、更に、六、七八九十、そして、足に炎を、腕に炎を、噴き出しさせた勢いも加えて、膝を突きあげた。
 巨体が浮き上がる。血を吐いていた。閉じていた拳を開く。鋭い爪が、そこにはあった。強靭な指がそこにはあった。そして、何度も叩かれ、脆くなった腹。ぐ、と今度は指に力を入れた。鋭く尖った爪を上に向け。落ちて来るその腹に、両手の爪を突き刺した。ぎゅ、と握り締め、炎を臓腑へ流し込んだ。
「ガァァァァァッ」
 強烈な悲鳴の後に、巨体は膨らみ、そして爆発した。びちゃびちゃと、肉片が、血が、体に降りかかった。
 振り返ると、紫色の尾が迫っていた。血肉を握りしめたまま肘打ちで迎え撃ち、怯んだところを顔面を掴む。にちゃりとした、血肉を擦り付けた。
 紫色の怪獣はいつの間にか、俺より小さくなっていた。
 振り解かれようとする前に手を離し、両手でそのでかい耳を掴んで顎を蹴り上げると、耳は引き千切れた。悲鳴、怒声、痛みをこらえて強い殺意で向き直ったその脳天に踵を落とす。脳天が地面に沈む。首に足の爪を食いこませて、捻じ折った。
 次の敵へ向きなおろうとした時、唐突に体が動かなくなった。黄色の髭が、俺に何かをしていた。
 体が浮き上がって行く。必死で抵抗するその間に、首長の敵が電気を溜めていた。腕から炎を迸らせる。
 ぐ、ぐ、と体を、何かの力に抗わせる。動けないほどじゃない。足を、腕に、体に力を込める。
 ……間に、合わない。
 どうする、どうしようもない!
「うおおおおおお!」
 電撃を覚悟しようとしたその瞬間、仲間達がその首長に攻撃を仕掛けていた。放たれた電撃は、俺ではなく、仲間達に向けられた。閃光の後、数体が一気に倒れた。少しの間、びぐびぐと体が不自然に動いて、そして止まった。
 くそ、くそ! 俺を縛っていた何かの力は、その数瞬、緩んでいた。黄色の髭は、首長と仲間達の方に意識を割かれていた。
 俺はその隙に縛りを振り解いた。
 万能感で失せていた殺意が、一気に込み上げた。黄色の髭の、慌てた顔。距離は、遠くない。
 一足、二足で一気に迫った。距離を取ろうとした黄色の髭も速く、浮いて後ろへ逃げた。ただ、木にぶつかって頭をぶつけ、その顔面に蹴りを叩きこんだ。足の爪で切り裂きながら、突き刺しながら。一度、二度、三度で後ろの木が折れた。髭の大きな頭が、ぽろりと落ちた。
 残りは、首長だけだ。
 けれど、振り返ると、既に首長も倒れていた。仲間も、沢山。
 生き残ったのは、俺と、たった三体だけだった。
「ひ……」
 ニンゲンが、残っていた。
 その数人のニンゲンも追いかけて、全員殺した。
 そして、終わった。

 脱出は、成功したと言えるのか。
 皆、黙っていた。何も口に出せなかった。沢山、死んでしまった。
 ぐちゃぐちゃになって、へし折られて、落とされて、噛み砕かれて。
 とてつもなく、辛い気持ちだった。必死に頑張って来たのに。皆、生きようとしてきたのに。
 もうこれ以上沈む事が出来ない程に沈んだ気持ちで、でも、俺は前を向いた。俺と、もう三体は、前を向いた。
 生きなくてはいけない。
 僅かでも、自分達は、生き残れたのだ。
 だから。皆の思いを無駄にしない為にも、俺達は、生きなくてはいけない。そうしなくては、皆の犠牲は、何にもならなくなってしまう。
 自由を手に入れたのだ。
 だから。
 俺達は。
 ……俺達は。
 …………何をする?

1.

 空が明るい。雲がゆらゆらと浮かんでいる。
「ねえ、お兄ちゃん」
「なんだ? ミツバ」
 ミツバと、コテツと、ツメトギ。皆、自分自身で、名前を付けた。俺は、タイヨウ。そして、何故か俺は、その仲間達からお兄ちゃんと呼ばれるようになっていた。
 やめろよって何度か言ったけれど、やめる事も無さそうで結局諦めた。
 だって、お兄ちゃんが居なければ、私達死んでいたもの、とミツバは言っていた。
「私達、いつになったら進化出来るかなあ。お兄ちゃんみたいに早くなりたいよ」
「うーん……分からないなあ。毎日、ちゃんと鍛えてるか?」
「うん。昨日はコテツとあのハゲ山まで登ってきたよ」
 そう言って、雲が掛かっている高さの、近くの山を指さした。
「そうか……。今度は俺も、誘えよな」
 お前達だけじゃちょっと心配だ、という言葉を飲み込んで、俺はそう言った。
 結局、俺はお兄ちゃんになっている。
「分かった!」
 そう言って、ミツバはツメトギと手合わせを始めた。
 足と手を巧みに使って、互いに傷が増えていく。けれど、そこに必死さは無かった。
 ……俺は、あの状況だからこそ進化出来たんだろうと思う。けれど、何故、俺だけが進化出来たのか。それは分からない。
 誰よりも努力していたとか、そんな自覚も無い。あの状況じゃ、手合わせとか派手な事は殆ど出来なかったから、誰が一番強かったか、という事も分からなかった。
 ツメトギが、ミツバを転ばせて爪を突きつけた所で、手合わせは一回終わった。そして、一回休憩を挟んでから、また手合わせが始まる。
 暫くしてから、俺は聞いた。
「コテツはどうしてるんだ?」
「今日もハゲ山に登って来るってー」
 コテツだけだともっと不安だ。
「ちょっと様子見て来る」
 そう言って、俺は走った。

 崖の僅かな足場に爪を引っ掛けて高く跳ぶ。ひょい、ひょい、と鳥が高さを稼ぐよりもより速く。
 こつこつと斜面を登るのに、まだ進化前の皆はとても時間を掛けるのだろう。俺は、そんな時間を掛けずに一瞬で崖を跳んで行く。
 でも、この脚も、そしてこの腕も、まだ足りない。
 人や、その味方の敵全てと戦うには。俺だけじゃ、あの五体全てを倒せなかった。
 仲間達の犠牲が無ければ、俺も皆も、死んでいた。
 力が、欲しい。とても強い、力が。
 頂上まで、すぐに着いた。手頃な岩があった。
 蹴りを叩きこむ。一瞬、五連で皹が入り、それから強い一撃を入れて一気に破壊した。
 片足で、六発。一瞬の連撃と、溜めのある蹴り。
 これじゃ、駄目だ。もっと、短い時間で……そうだな、相手が死んだと自覚する事もなく、殺せなければ。
 俺がこれから何をするべきか。自由を手に入れてから長い時間を掛けて、自由の身で、考えた。
 そして出た結論は、俺がするべき事は、ニンゲンを殺す事だった。
 生きるだけの生活は、他の、森や様々な場所でただ幸せに生を謳歌するだけの生活は、俺にはもう、耐えられなかった。寝る度に、時々あの時の光景が夢に出て来る。
 俺だけではなく、皆も。ぐちゃぐちゃになった犠牲が。引きずり込まれた犠牲が。食べられた犠牲が。死んで行く沢山の、犠牲が。
 その度に、何度も目が覚める。やるせなさが、申し訳なさが、恐怖が、体に刻まれる。
 深呼吸を何度もして、水を飲んで、体を動かして。刻まれる度に、それを受け止めようとする。
 これは、ずっと続くのだろう。そんな中で、幸せな生を謳歌するなんて、そもそも出来ない。
 俺は、逃げただけだ。俺達を育てて食べる奴等全てを、殺せてはいない。きっと今もどこかで、俺達を育てて食べる奴等はどこかに居る。
 全てを、殺したい。
 それが、俺の贖罪であり、生きる理由だ。
 その為にも。
「力が、欲しい」
 ただ、どうしたら良いのだろう。
 悩みながらコテツを探しに行こうとすると、丁度目の先から黄色とオレンジの姿、コテツが見えて来た。
「あ、兄ちゃん、どうしてここに居るの?」
「ああ、コテツか」
 ふぅ、ふぅ、と息を上がらせて、俺の前まで走って来た。
「お前だけで山登りしたって聞いて、ちょっと心配になったんだよ」
「大丈夫だよ。ここ辺りには、……あんな奴等、いないし…………」
「まあ、な……」
 途端に顔が暗くなる。
「でもね、兄ちゃんが守ってくれるよね」
 ああ、お前はもう、戦いたくないんだな、とその一言で俺は察した。
 察しながら、俺は言う。
「ああ。守ってやるよ」
 コテツは、進化出来ないだろう。
 本気で、強くなろうという意志は無い。
 俺には、あるだろうか?
 この平和な状況で、本気で、今も強くなろうとしているだろうか?
 していない。俺の中の生きる理由は、贖罪だけじゃない。
 皆と生きていく。その、緩やかな理由も混じっている。
 それは、大切な事だ。とても。
 でも、俺は、それだけじゃ生きていけない。それも事実だ。
 俺は、どうしたら良い?
 でも、取り敢えず、前を向こう。やれる事を、やろう。
 とにかく、前を。

 夕方まで、そのハゲ山の頂上でコテツと鍛錬に勤しんだ。素早いキックとパンチの練習。それから口や手から炎を出して、体のエネルギーを使い果たさせる。毎日毎日そうしていれば、体も鍛えられるし、より長く、より強く動けるようになる。それは、あの場所に居た時から何となく分かっていた事だった。
 余り動けなくても、足や腕に負担を掛ける姿勢をずっと続けて、そうして鍛えて来た。
 疲れ果てた所で、持っていた木の実を食べて、軽く走りながら山を下る。
 ひぃ、ひぃ、ふぅ、ふぅ、と息を上げながらも、コテツは俺の後ろを必死について来る。
 俺は、そこらにあった木の実を跳んで複数捥いだ。
「食うか?」
「いや、帰ってからで、いい」
「分かった」
 暫くして、コテツが話し掛けて来る。
「お兄ちゃんは、疲れて、ないの?」
「疲れてるさ。でも、俺までそんなに疲れたら、お前達を守れないだろ?」
「あ、ありがとう」
 俺は、お兄ちゃんになった。それは、俺が守りたいからというより、ミツバ、コテツ、ツメトギが、俺にそういう役割を求めていたから、という方が強かった。
 麓まで降りて来て、あともうちょっとだけ走る。ミツバとツメトギが、もう木の実とかを集めて夜飯の支度をしていた。
 ぜい、ぜい、はぁ、はぁ、と息を切らしながらコテツが地面に転がった。
「お帰り!」
「ただいまー」
「ただ、いま……」
 呼吸を整えてから、座った。
 ふと、妙な気配を感じて後ろを振り返ると、コテツが転がっていて、その先には白い爪を生やした黒い獣が居た。片耳が長く、赤い。
 俺が気付いた事に気付くと、すぐに逃げていった。
「コテツ、危なかったぞ」
「えっ、なにっ?」
 全く気付いていない、か。
 俺は、顔には出さずに落胆していた。
 ここでも命のやり取りはある。様々な命のやり取りを見て来たし、俺自身も偶に殺してそれを食べて来た。
 でもそれは、あの場所であったような、一方的な命のやり取りじゃない。
 正しい、と言ったらそれは違うとも思うけれど、少なくともあの場所よりは正しい命のやり取りだ。
 俺は、そう思う。
 ただ、まだその命のやり取りは、あそこを出てから俺以外、誰もしていない。
 何か、危ない気がするのは気のせいだろうか?
「ごはん、ごはん」
 そう言って、コテツが起き上がって俺の隣に座った。目の前には色とりどりの木の実。
 一個、手に取って口に入れた。
 瑞々しくて、ちょっと酸っぱい、美味しい木の実。

 焼いた方が美味い木の実と、そうじゃない木の実がある。俺の口に合わない木の実でも、他の誰かに合う木の実がある。
 そんな事も、あの場所では知れない事だった。あの場所で知っていた事なんて、数える程しかない。
 何もしなかったら死ぬ。飯は大体日が出て来た時間と、日が沈む前に二度、出て来る。
 不審な動きをしたら、強制的に黙らされる。
 その位の事だった。
 知れる事は、今は沢山ある。とても、沢山、あの時よりとは比べものにならない。多分、知っても知っても、も知れる事は増えていく。際限なく。
 強くなる、って事は知る事だとも思うというのは、多分合っている。
 俺の贖罪を、殺しをしていくには、もっと様々な敵と立ち向かわなければいけないのだから。無知のまま、万能感に酔いしれても勝てはしない事はもう、とっくに分かっている。
 先は、遠い。もっと強くならなければいけない。もっと知らなければいけない。もっと、もっと。
 俺は、そうしなければいけない。

 夜。
 皆が眠る前に、また走りに行く。今日は、月明かりが良く出ていた。コテツを狙っていた奴の痕跡も何とか目で追えた。
 とん、とん、と軽く、強く地面を踏みしめて森の中を走る。
 一足一足の足跡は深く付くが、音は余り出ない。
 余り時間を掛けない内に、その獣特有の習性の、岩に刻まれたサインが見つかった。削った痕はまだ真新しい。触れてみれば、ざらついた粉が少し指に付いた。
 そして、足跡も見つかった。
 息を整えて、足跡の続く方を見た。
 ……。
 強くなろうとしたら、木の実だけを食べているより、やっぱり肉を食わなくてはいけない事も段々と分かってきている。木の実よりも、肉の方が自分の力になり易い。
 そして、やはり肉は美味い。
 分かりたくなかった事さえも、分かって来る。色んな肉を、俺は食った。不味いものから、美味いものまで、腹を壊すものから、眠れなくなる程力が漲るようなものまで。
 ……多分、俺達の種族の肉は、他の様々な獣達と比べても美味しいんだろう。力も付くのだろう。だから、あんな事までして、俺達を作っていた。食べる為に。
 気持ち悪い。
 けれど、この気持ちとはもうずっと、多分俺が死ぬまで、付き合っていかなければいけないものなのだろうとも分かりつつあった。
 そして、付き合う為にはやはり、俺は、強くならなければいけない。肉を食わなければいけない。
 弱者を殺して、食らうのだ。俺達がそうされて来たように。
 まあ、死にたくなかったら足掻いて見せろ。そういう事だ。
 俺は、足掻けた。

 歩いて行くと、火が見えて来た。
 ……確か、あの獣は熱いのが苦手だったような。
 そう思いながら近付いて行くと、そこには人間が居た。
 人間。その姿を見るだけで、憎悪がふつふつと湧き上がって来た。俺達を食う為にただただあんな場所を作り上げた奴等。
 手に力が籠る。俺の中の炎が抑えられなくなっていく。
 そしてまた、ぞくぞくとしたものも込み上がって来た。
 人間を、殺せる。
 まだ、大勢を相手にして戦えるような力量は、俺は持っていない。あの青い竜とかでも、数体までなら同時に相手取れるだろう。でも、人間が沢山住んでいるような場所で暴れ回れる程、俺は強くない。
 それに、ミツバ、コテツ、ツメトギを置いて遠くにも行けない。
 だから、こんな近くでぽつんと居る人間を見つけて、嬉しくなってきてもいた。
 そう、嬉しい。
 まだそれ程強くなくても、俺は、この俺という命に染みついた怨嗟を人間に向ってぶちまけられる。
 ざむ、と枯葉を踏みしめながら、歩いて行く。
 ぞくぞくとした気持ちが、身体を支配していく。程なくして先に気付いた、その黒い獣が俺を見止めた。その瞬間に、その黒い獣は、後退った。
 いいよ、お前は。もう、別に。
 人間も俺に気付いて、ボールから獣をボンボンと出してくる。どれもこれも、そう大して強くはなかった。平凡に生きて来た、平凡な獣達だった。
 歩いて行く。人間が獣達に何か指示をしているようだったが、どれも動かなかった。
 度の獣も足ががくがくと震えていた。目は泳ぎ、俺が近付いて行くに連れて、後退って行く。
 人間が叫んだ。黒い獣が意を決して跳び掛かって来た。
 首を掴んで、そのまま腕の炎で焼き殺す。黒ずみになって、ぽろぽろと手から落ちていった。
 人間が崩れ落ちた。黒ずみになったその塊を虚ろな目で眺めていた。そして、うわ言のように何かをしきりに呟いていた。
 獣達がその主人である人間を捨てて逃げて行った。
 人間の言葉は理解出来ない。他の獣達の言葉も。
 でも、その姿は見ていて心地良かった。
 お前も俺達を食って来たんだろう?
 そうして、俺達を作って、殺したものを食べて、のうのうと生きて来たんだろう?
 人間の顔を足の爪で抑えて、踏みつけた。
 ぐりぐりと地面に押し付けると、人間は我を思い出したかのように必死に逃げようともがき出した。
 その願いを、俺達の願いを、お前等は踏みにじって来ただろう?
 じたばた、じたばたとするその体は見ていて心地良かった。そしてまた、こんな弱い人間にあんな目に遭わされていた事にとても腹が立って来た。
 足を上げると、怯え切ったその顔が目に入る。そして、踏み潰した。
 ぐちゃり、と中身が飛び散る。
 腹が立っていたのが一気にすっとしたようで、とても心地が良かった。
 ただ、足にこびりついたそれらは、どうも汚らしく思えて、また食う気にもなれなかった。
 足を自ら燃やして血やら肉やらを焼き流してから、帰る事にした。
 ああ、でも、ちょっと腹が減って来たな……。
 でもな。
 振り返って頭の潰れた人間を見る。
 何故か人間を食う気にはなれなかった。
 何故だろうか?
 高揚から冷め始めた頭で考えれば、意外とすぐに分かった。
 俺達を食ったその体を食いたくない。
 それは、当たり前だ。
 唾を吐き捨てて、帰る事にした。
 腹は多少空いているが、悪い気分じゃない。今日は、よく眠れそうだ。

**********

 兄ちゃんは、とても強い。
 夜、洞穴の中で僕達はそんな事を偶に話す。
 兄ちゃんが居ない時に限ってだけ。
 兄ちゃんは、とても強い。いや、とんでもなく強い。
 腕から噴き出る炎も、口から吐き出す炎も、両方とも僕達が出すような赤い炎じゃない。青い炎が出る。
 それは、僕達でもきっと全く耐えられないような、熱いとか感じる間もなく死んでしまうような炎。お兄ちゃんが全力を出した炎は、大木をもぼろぼろの燃えカスにしてしまった。そして、その炎を纏ったパンチは、一振りで何でも壊すような威力があった。
 脚も、とんでもなく強い。
 岩なんかも簡単に砕いてしまうし、しかもその脚捌きは全く見えない。音が、ボボボボッて聞こえて、気付いたら岩が弾けている。その脚で、崖なんかも簡単に登ってしまうし、全力で走ったら僕達が幾ら追いつこうとしても絶対に追いつけない。
 でも、どうしてお兄ちゃんがそんなに強いのか僕達は全く分からなかった。
 僕達が進化しても、あんな風にはなれない気がする。いや、なれないとしか思えない。
 どうして、お兄ちゃんはあの時、あそこまで戦えたんだろう。どうしてお兄ちゃんは、沢山の敵を皆殺しに出来たんだろう。
 あの時のお兄ちゃんは、とても、とても格好良かった。もう駄目だと思っていた僕達が、もう死ぬしか無かった僕達が、生きていられるのは、間違いなくお兄ちゃんのおかげだ。
 でも、……でも、ちょっと怖いのもあった。
 正直、得体が知れないような怖さも感じる。
 自然にお兄ちゃんと呼ぶようになった。それは、お兄ちゃんが頼りになるからだけじゃない。その怖さもあった。
 がさがさ、と草むらを掻き分ける音が強く聞こえてきた。
 わざと強く掻き分けているその音は、お兄ちゃんが帰って来た音だった。
「ただいま」
「おかえりー」
 でも、お兄ちゃんはお兄ちゃんだ。
 怖さがあっても、お兄ちゃんが居なきゃ僕達は死んでいた。それは事実だし、やっぱり格好良いのも事実だった。
 お兄ちゃんみたいにはなれないけれど、お兄ちゃんの事は、好きだ。
 崖の下、お兄ちゃんが蹴り砕いたり、岩をも無理矢理焼き壊したりして作った広い洞穴の中。
 お兄ちゃんは何度か背伸びをして体をぽきぽきと言わせてから、草を集めて作った柔らかい地面の上に座った。
 ミツバがその様子を見て、何とはなしに聞いた。
「お兄ちゃん、何か良い事あったの?」
「あ、そんな体に出てたか?」
「うん、ちょっと違った」
 お兄ちゃんは片脚を眺めて、ちょっと間を置いてから言った。
「人間をな、見つけたんだ」
 ちょっと躊躇うような言葉遣いだった。
「踏みつけて、殺した。それがな、嬉しかったんだ」
 洞穴の中、ちょっとした炎の明かりの中で照らされるお兄ちゃんの顔。
 兄ちゃんの目は、口は、笑いを抑えきれないような顔だった。
 ちょっと時間が空く。
 その間、僕達は何も言えなかった。何も言えないのをお兄ちゃんは分かっていて、続けた。
「最初は、コテツ、お前を狙ってた黒い獣を追っていたんだ。そうしたら、その獣は人間と共に居た奴だったんだ」
 堰を切るように、お兄ちゃんの口調は段々と速くなっていった。
「人間を見つけた瞬間、俺の中で何かが湧き上がって来たんだ」
「それはな、嬉しさだったんだ。嬉しくて堪らなかった。こんな場所で殺せる事が嬉しくて堪らなかった」
「俺は歩いて行った。先にその黒い獣が気付いた。そしてまた気付いた人間は、一瞬で恐怖して手持ちの獣を全て出して来た」
 聞いている、僕達も怖くなってくる。けれども、お兄ちゃんから目を離せなかった。
 耳は勝手にお兄ちゃんの言葉を拾っていた。
「けれどどれも役に立たない。出た瞬間から皆、俺に怯えていたよ。足をがくがくと震わせて。そこに、俺はゆっくりと歩いて行った」
「それで、人間が獣達に命令するんだ。でも、全く動けない。段々人間の命令が荒くなっていく。それでも動けない」
「とうとう人間が叫んで、意を決したように黒い獣が跳び掛かって来た。でも俺はそれを掴んで、焼き殺した。ぼろぼろと崩れる程に、強く、一瞬でな。すると、もう他の獣達は逃げてしまう。主人を放ってな」
「で、その主人も膝から崩れ落ちて、もう、まるで悪夢を見ているようにな、その黒焦げの方をただ虚ろな目で見てぶつぶつ何か呟き続けていてな。その顔面を踏みつけると、我を思い出したかのようにじたばたじたばたと暴れはじめるんだ」
「滑稽で、溜まらなくて」
「うん、そうだな、今思い出しても良い気持ちだった。久々にあんな良い気持ちになった。いや、今まで生きて来て一番良い気持ちだったかもしれない。でもな、やっぱりこんな弱っちい奴等に囚えられていたかと思うとちょっとムカムカもしてきてな」
「まあ、最後に足を持ち上げてその滑稽な顔を見てから、踏み潰してきたんだ」
 淡々と、嬉しそうに。
 僕達の事を見透かしながら。僕達は、お兄ちゃんみたいになれないという事を、お兄ちゃん自身も理解しながら。
 ……お兄ちゃん。お兄ちゃんは、これから何をしたいの?
 ……そしてお兄ちゃんは、僕達にどうなって欲しいの?
 お兄ちゃんは、一息吐くと、僕達の目をじっと見て来た。見定めるように。
 お兄ちゃんは、僕達を守っているのと同時に、何かをして欲しい。その何かはきっと、いや絶対、とても暴力的で、とても危険な事だ。
 でも僕達はお兄ちゃんのようには、なれない。それは、断言出来る。
 進化出来ても、お兄ちゃんのような強さが手に入るなんて、逆立ちしても思えない。
 じゃあ、どうしたら良いの? 僕達は、お兄ちゃんは、これからどうしたらいいの?
「お兄ちゃん……」
 ミツバが半ば、恐る恐るというようにお兄ちゃんに聞いた。
「何だ?」
「私は……いや、私達は……お兄ちゃんのようには、なれないと思うの」
「そうだろうな」
 あっさりと、お兄ちゃんも認めた。
「お兄ちゃんは、どうしたいの?」
 お兄ちゃんは、僕達の顔をまた見回してから言った。
「……先にそっちから聞こうか。ミツバ、ツメトギ、コテツ。お前達は、これからどうしたい? どうやって、生きていきたい? どうやって、忘れられないあの場所と、あの過去と付き合っていくんだ?」
 僕達は、顔を合わせてそして、何も言わずに頷いた。
 僕は、言った。それは、もう、この平穏を手に入れてからずっと、悪夢に苛まれようとも、ふとした時に思い出してしまおうとも、忘れられないとしても、決まっていた事だった。
「忘れられなくとも、僕は、僕達は、忘れて生きていきたい。失くせなくても、あの記憶を無かったものとして、生きていきたい。ただただ、平穏に、何事もなく、ゆっくりと、ニンゲンの居ない場所で楽しく生きていきたい」
 お兄ちゃんの顔つきは、それを聞いても全く変わらなかった。
 僕達のこの向き合い方を、逃げると、忘れるという事を選ぶのを分かっていたんだろう。
 でも、ここまではっきりさせるのは、今日が最初で、そして最後なんだと思う。
 そして、お兄ちゃんは僕達と目を合わせ続けながら、口を開いた。
「俺は、忘れられないのならば、ずっと向き合って生きていく。この手足で、爪と炎で、ニンゲンどもを残らず焼き尽くしたい。俺達をこんな目に遭わせた奴等のその肉体の全てを、魂までをこの世から葬り去りたい。そして、きっと他の場所でも似たような目に遭っている俺達と同じ獣達を、助けたい」
 お兄ちゃんのその言葉は、本気だった。どこからどこまでも、本気だった。お兄ちゃんは、お兄ちゃんだけで、ニンゲンという種族に立ち向かおうとしている。
 その為には、お兄ちゃんにとって僕達はもう、枷でしかないのかもしれなかった。
「俺はその道を行くと、決めた。お前達も、決めたんだろう? お前達は、お前達でその道を行くと」
 答えるのに少しだけ躊躇した。
 その間に、お兄ちゃんは続けた。
「……俺と、お前達はいつか別れる。でも、それは今日じゃない。まだ、もうちょっと先だ。
 お前達が、お前達だけでも、平穏になら生きていけるようになるまでは、一緒に居るよ」
 それは、お兄ちゃんの最大限の譲歩だった。
 僕達は、それに対して「……うん」と頷くしか、出来なかった。
「じゃあ、今日はもう遅い。
 もう、寝よう」
 そう言って、お兄ちゃんは洞穴を明るくしていた炎を、手でもみ消した。
「…………うん」
 僕達は、間もない間に横になる。
 僕達は洞穴の奥の方で。お兄ちゃんは洞窟の入り口の方で、座って壁に凭れ掛かっている。腕を組んで何が起きてもすぐ対応出来るような恰好だった。いつも、そうだった。
 
 ……お兄ちゃん。
 僕は、お兄ちゃんの事が怖いよ。
 でも、やっぱりそれでも、お兄ちゃんの事はそれ以上に好きだよ。
 居なくならないでって、言いたいよ。
 でも、お兄ちゃん。
 お兄ちゃん。
 ……お兄ちゃん。
 僕達は、お兄ちゃんみたいにはなれない。
 お兄ちゃんは、僕達みたいにはなれない。
 僕達は、お兄ちゃんみたいになろうと思わない。
 お兄ちゃんは、僕達みたいになろうと思わない。
 互いに、互いに。
 そして、そのまま、きっといつか別れが来る。
 分かり合えない部分があっても、一緒に居たいと思うけど。でも、それは、出来ない。
 お兄ちゃんは、逃げないで、立ち向かうんだ。
 僕達は、お兄ちゃんに助けられたけど、そのまま逃げるんだ。立ち向かえない。
 …………ごめん、お兄ちゃん。

3.

 ぐっ、と足に力を込める。そして腕から炎を噴き出し、その反動も生かして蹴りを岩に叩きこんだ。
 連撃じゃない、一発だけを。自分の目でももう全く追えない蹴り。
 ガァン、と岩は弾けた。
「……砕けた」
 いつもは止まる脚が、伸びきった。
 ぱらぱらと落ちて来る岩の破片を受け止めながら、俺は自分の腕と脚を眺めた。
 俺は確実に、強くなれている。
 あの岩の巨体だろうが、今は一撃で破壊出来るんじゃないか。
 腕の炎を噴き出しながら、横薙ぎを、蹴り上げ、踵落としを振るう。見えない蹴りが、横に、縦に空気が置いて行かれるような風切り音を持って振り抜かれる。
 自分の目でも追えない、ただ、自分の感覚だけでしか追えなくなった蹴りだ。
 でも、まだ、だろうか?
 ニンゲンの事はまだ、俺は多く知らない。獣達の事もだ。
 俺がニンゲン全てを敵に回すとして、まだ力が足りないのか、それとも足りているのか、それが分からない。
 ……。
 がさり、と近くの草むらで音が鳴った。
 振り向いても、誰も居ない。
 風、か?
 見に行っても、何かが居た痕跡が僅かに残っているだけだった。
 ……何だ?

 コテツ、ツメトギ、ミツバ。時間が経つに連れて少しずつ、実力差が付き始めていた。コテツ、ツメトギ、ミツバの順にその差が目に見えるほどに。ただ、どれも強くなっているとは言え、まだ、俺が離れるには多少心配が残る。
 それに、誰もまだ俺のように進化はしていない。
 俺から離れたくない為にわざと強くならないでいるとか、そんな感じには見えないんだが、強くなるのがどうも遅いように見えた。
 それとも、俺が速いのか?
 ……多分、そうなんだろうとも思う。
 あの場所から脱走した時、どうして俺は、進化したてであの屈強な獣達を倒せたのか、俺自身分かっていない。
 それなのにコテツ達にそれを強いるのも結局無理な事だったのだろうと今は思う。
 手合わせを何度かしてから、また今日も適当に木の実を取って来て、飯にする。
 その最中に俺は聞いた。
「なあ、今日、何か変な事あったか?」
「なんかあった?」
「いや」
「お兄ちゃん、何かあったの?」
「いや、何も」
 見られていたかもしれない、程度の事だ。別にその程度の事、話す必要も余り無い。
 食べ終えてから、特に何事も無く、今日も夜を迎えた。

 夜、ふと、目が覚めた。
 体の感覚がどうも、ざわついているというか、そんな感覚が体をなぞっていた。
 何かの悪い兆候を、俺の体が捉えていた。
 目がすぐに覚める。コテツ達を起こすかどうか数瞬の間、迷う。体はその違和を感じ取っていても、それがどのようなものなのか、どの位の強さの何かを感じ取っているのか、それまでは全く分からなかった。
「……」
 起こしておくに、越した事は無い、か。
 コテツ達の体を揺する。
「……なに? お兄ちゃん」
「喋るな、じっとしてろ。何か、妙なんだ」
 そう言うと、すぐに黙った。
 それから外に出ようとすると、小さな声で「……お兄ちゃん」と呼びかけられた。
「……大丈夫だ」
 体は何かを感じ取っている。でも、それは、大した事じゃない可能性だって大いにあり得る。
 というより、まあ、そうだろう。
 洞穴から外に出る。月は細い。明かりは少なく、僅かに何者かの気配を感じる。けれど、この暗さでは辺りを見回しても、何も分からない。
 ただの獣の感覚じゃない。それだったら、俺は起きてないだろう。
 腕から炎を出して、周りを明るくして、もう一度辺りを見回す。
 その時、風を感じた。
 上から、巨体が降って来ていた。

 横に躱すと、巨大な尾が地面に叩きつけられた。
 そして、着地したそいつは、歯をむき出しにして、恨みの籠った顔で俺を見て来た。
「……」
 姿形が何となく、俺があの場所から脱走した時に殺した一体と似ていた。
 耳の大きい、尾の太い、紫色の怪獣だ。あの紫色の怪獣は見るからに雄っぽく、そしてこの青色の似た姿形の怪獣は、観る殻に雌っぽかった。
 ……なるほど。俺を恨んでいる訳だ。
 どうして見つかったのか、そこは正直分からない。あの場所からはここはかなり遠くだろうと思うのに。
 そんな事を思っていると、その太い腕で殴り掛かって来た。
 受け止めて、蹴り飛ばした。
 全力で蹴ってないのにも関わらず、ぼき、ぼき、と相手の骨が折れる感覚が伝わって来る。
 明らかに格下なのは間違いない。それを、相手も分かった筈だ。
 けれど、その雌の怪獣は血を吐きながらも、立ち上がって来た。強く地面に手を叩きつけ、膝から立ち上がり。
「……」
 恨みを受け止める筋合いは無い。また攻撃を加えてこようとしたら、俺はこいつを殺す。
 気持ちの良いものじゃない。
 ただ、俺がこれから進もうとする道は、こういう道ではある。
 まあ、俺は受け止める側にはならないが。
 殺して、殺して、殺しまくる方だ。気持ちの良い方だ。俺は、お前みたいに弱くない。強くなれた。そう出来る力を持っている。
 そのそいつは、俺がそんな事を思っている長い時間を掛けて立ち上がった。そして、歯を食いしばって、半ば投げやりに、半ば叫ぶように吼えながら、また殴り掛かって来た。俺はそれを避けて、脚で首を一思いに飛ばした。
 もう面倒臭いというのもあった。
 ぶしゅぶしゅと血が沢山出て、倒れる。
 びく、びく、と体が僅かに動いていた。
 ……美味いかな、こいつ。
 そんな事を思いながら、倒れた死体をしゃがんで眺めると、視界の隅で何かが動いた気がした。
 ……?
 いや、今、確かに動いたよ、な?
 何かが動いたように見えた、血がどくどくと首から流れ出ている方を見ても、何も居ない。何も見えない。
「…………」
 こいつだけ、じゃないのか? いや、だとしたら。他に仲間が居たとしても、どうしてこいつを見殺しにしたんだ?
 疑問が尽きない。
 その時、いきなり目の前に、何かが現れた。そして、弾けるような強い音が鳴った。
「!!??」
 何だ、こい、つ。緑色の、獣。いきなり、血だまりから、現れた。
 一瞬目を閉じてしまった。一瞬、驚いて、身体が固まった。
 怯んでしまってもそれは一瞬だ。すかさず反撃しようと思ったその時、目の前には黄色い獣が、俺の目の前で輪っかをぶらぶらとさせていた。
 輪っかが、ゆらゆらと、ゆれている。
 なんだ……? うん……?
 なん、だろ、う……それだけなのに、きもちいい。
 なんでだろ…………ああ、なんだろう……。
 ああ、きもちいい。
 ……スリーパーさま……スリーパー? スリーパーって……ああ、目の前にいる……。
 もっと、きもちよく……なりたい……。
 スリーパーさま…………もっと、もっと……。
「お兄ちゃん!」
 お兄ちゃん? あ、俺、何を。
 動かそうとした腕が、緑色の獣の長い舌で、いつの間にか締め付けられていた。
「お兄ちゃん!」
 振り解かないと……あ……スリーパーさま……。ごめんなさい…………。
 ずん、と音が聞こえた。金属の体を纏った、巨体。
「ひ……」
 後退る、皆。
「にげろ……」
 あれ、何で、俺、こんな事言ってるんだっけ……。
 スリーパーさま、教えてください……。
 スリーパーさま……。
 逃げていくのが見える……どうして俺は、ほっとしているんだろう。スリーパーさま。
 追い掛けろ……流石にスリーパーさま、それは嫌です……。
 どうして? それは、スリーパーさまと同じ位あいつらの事が好きだから……。
 流石にスリーパーさまの命令でも、それは……。
 それは、駄目です。
 え、なんですかそのスリーパーさま……いや、俺、どうして……いや、記憶を分け与えてやるって何ですか……。
 じゅわじゅわとした、お肉……。皮はパリっと、中はジューシーに焼き上がったお肉。
 一口頬張って噛み千切ると、その皮と肉の食感が口の中で合わさって、熱々の適度な塩気の肉汁が口の中で広がって。ああ、美味しい、美味しい!
 だめ、で、
 油で衣をつけて揚げられたお肉。カリカリとした衣。酸っぱい木の実の汁を掛けても良し、甘酢とタルタルソースを掛けて食べても良し。美味しい。
 いや、
 ぷりぷりにゆで上げられたお肉。ゴマのソースで冷たく頂く。美味しい。辛めのソースで温かく頂く。美味しい。
 ああ、
 櫛に刺してタレを付けて炭火で焼いて。
 美味しい。
 そのまま焼いて、タレに付けて。
 美味しい!
 縛り上げてタレにつけ込みながら焼き上げて。
 美味しい!!
 ミンチにして、出汁とか野菜とかと混ぜて、茹で上げて汁と共に。
 モーモーミルクと野菜と煮込んで。
 食べたい!
「そうか。なら、捕まえてくれるね?」
「喜んで、スリーパー様!」

**********

 いいか、殺す時は、一瞬で殺すんだ。首を切り裂いてな。暴れる程肉はまずくなる。
 そしてまた、殺した後の事も重要だ。
 血を出来るだけ早く抜くんだ。血が残ってるとそれもまた、不味くなってしまう原因だからね。
 そして、殺した後は出来るだけ早く、私達の主人の元に持ってきてくれると嬉しい。そうすれば、主人が美味しく調理してくれるから。
「分かりました、スリーパー様!」

「あ、お兄ちゃん、無事だっ」
 ざくっ。
「お兄ちゃん? どうし」
 ざくっ。
「お兄ちゃん、どうして? どうしてなの? ねえ、お兄ちゃん! お兄ちゃん! だれか、だれか、助けて! だれかああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ」
 ざくっ。
「おいしいおにくっ」

「良し、良くやったバシャーモ。おお、血抜きもしっかり出来てるじゃないか」
「スリーパー、カクレオン、ボスゴドラも良くやった。おかげでこんな強い奴を殺さずに味方に引き入れられた。何人も殺されたとは言え、この強さは勿体ないからな、いやあ、良かったよ。まあ、ニドクインの事は残念だったが、もう止めても聞かなかったしな……しょうがないよな」
「じゃあ、帰るか、弔い飯として。哀れなこいつの最後の洗脳のシメとして」

**********

「スリーパーさま、あとどの位待つんですか?」
 スリーパーさまは、苦笑いしながら言った。
「何度聞くんだお前は。あの時計の長い針がもう一回転するまでだ」
「長いなあ。俺……ぼく、待ち切れないよ……」
 スリーパーさまが俺の方を向いて来た。……俺? あれ? ぼく? 俺?
「……ちょっと、もう一度これを見てみな」
「分かりました」
 ゆら、ゆら、と動く輪っか。
 ああ、ああ。
 ぼくは、スリーパーさまのしもべ。ぼくは、スリーパーさまのしもべ。ぼくは、ずっと、スリーパーさまのしもべ。
 ぼく、ぼく。
 ぼくは、スリーパーさまの、しもべ。
 みんなの、しもべ。

 ジュワジュワ、パチパチという音と共に、とても美味しそうな匂いが流れて来る。
 あれ、僕、はじめてだっけ。この匂い、なんか嗅いだことがあるような。
「どうしたんだ?」
「スリーパーさま。なんか、この匂い嗅いだことがあるような気がする」
「ああ、そりゃそうだろ。俺の記憶を渡したんだからな」
「あ、そっかあ」
「まあ、もう少しだ。我慢しな」
「はい」
 美味しいお肉。とても美味しいお肉。
 でも、なんか、引っ掛かるんだよなあ。
 どうしてか分からないけど。

 そして、とうとうご主人がお肉を持ってやってきた。
 とても良い匂いがする。涎が口の中で、たっぷりと出てきている。こんなの初めて。確か、初めて。
 ボスゴドラが専用の椅子に座って、鉄板に置かれたチキンステーキを豪快に鉄板ごと食べている。
「うめーなー、やっぱり」
 がりゅ、がりゅ、ごりゅ、ごりゅ、ごっくん、と飲み込んで。
 カクレオンが蒸し鶏を長い舌を延ばして巻き付けて、そして一気にごっくんと飲み込む。
「やっぱり美味いよな、ワカシャモって。美味いのに飽きないし」
 スリーパーが、焼き鳥を串から丁寧に外して、箸を使って食べている。
「やっぱりこの針から食べたくはないな……」
「それごと食っちまえよ」
「お前みたいな器ごと食う脳筋とは違うんですよ」
「軟弱め」
 そうして軽く笑っている。
 僕の前にも、チキンステーキが出て来た。
 赤くて辛いソースが掛かった、アジア風のチキンステーキ。
 ……やっぱり、僕、この匂い嗅いだ事があるような気がするんだ。
 でも、そんな事今はいっか。
 とても美味しそうだし。
 手で掴んで、がぶり、と食い千切る。
 ああ、こんな味初めて! スリーパー様の記憶で味わったけど、本当に食べると全く違う! 美味しい! 辛いのに、でも、とても美味しい!
 むちむちのお肉! パリパリな皮! とても、とーっても美味しい!
 ああ、病みつきになっちゃう!
「沢山あるから、もっと食っていいぞ!」
「ありがとうございます!」
 焼き鳥、クリームシチュー、鶏チャーシュー、チキンステーキ、チキンカツ、レバニラ、つみれ汁、ああ、どれもとても美味しい! どれもこれも味わうの、ぜーんぶ初めて!
 手に付いた汁も舐めとって、指とかべたべただけど、とにかく何でも食べたい! 全部、ぜーんぶ美味しい!
 美味しい! とってもおいしい!
 ……でも、やっぱり、チキンステーキだけだけど、なんか匂いが気になるっていうか。
 まあいっか。美味しいんだから!
 一番好きなのもチキンステーキ!
 がぶり、と噛みつくと、汁が鼻の近くに付いた。
 あ、思い出した。あの檻の中だ。
 そうかあ、あの檻の中で、青い竜が人間に焼いて食べて貰ってたんだった。
 ……あれ?
 俺、今、何食べてる?
 …………。
 ……………………。
「あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ」
 あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ

4.

「俺は、俺は、俺は、俺は! 俺は、だめだ、ああ、いや、うう、くそ、だめだ、なんてことを、おれは、ああ、ああ、なんで、どうして、いやだ、ああ、ああっ!」
「俺は、何てことを! 俺は、どうして、どうして! 俺は食べてしまった! 俺は! ミツバを! コテツを! ツメトギを! 食べた! 俺は! 俺は! ああああああああああああああっ、いやだどうしてなんでああああ」
 地面を殴りつけた。何度も、何度も。
 主人を原型が無くなるまで奴等の前で殴りつけた蹴りつけた。スリーパーは消し炭にした。カクレオンは舌を引き千切って首をへし折った。ボスゴドラはその装甲をどろどろにしてそして動けなく固めてやった上で叩き壊した。
 この町の人間は皆殺しにした。人間のポケモンも全員ぶち殺した。逃げようとする奴等も全員全員どうせ俺達を食っていたんだろう! バラバラバラバラと空からヘリコプターがやってきていた。あの忌まわしいスリーパーのせいで知識がついてしまった。
「ごめんごめんごめんごめんごめんいやだごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいああ、ああ、ああ、ああ、ごめんなさいごめんなさい」
 全部名前が分かる。全部分かる。俺が食べたのがワカシャモというポケモン。俺はバシャーモ。ワカシャモを美味しく食べたバシャーモ!
「俺は、俺は、穢れてしまった。俺は俺は! 俺は!」
 死にたいでも死にたくない死にたいでもああああ。
「俺はどうしたら! どうしたらいいんだ! おれは! おれは!」
 ババババとヘリコプターが近付いて来る。うるさいうるさいうるさいうるさい!
 跳んで、腕から炎を噴き出した。全部、燃えた、全部溶けた、落ちていく。悲鳴が聞こえた。一番今までで強い炎だった。力がみなぎっていた。それはそれは!
 もう、何も聞きたくないもう何も見たくない。もうもうもうもうああああああああああああああああ。
「俺は俺はどうしたらいいんだおれはおれはごめんなさいごめんごめんごめんごめん」
 おれはおれはおれはおれはああああああ。
 そうだそうだ死ぬしかないよなそれしかないよなでも死にたくないでも死ぬしかないよな食べたのだもの俺は食べてしまったのだから俺は俺は俺は俺は。
 俺は駄目だ俺は俺は駄目だ食ってしまった殺してしまった俺は、大切だった皆を、この手で、切り裂いて、殺して、食べた。
 食べてしまった。
 俺は俺は。
「死ぬしかない……」
 ここまで来る途中に、池があったのを思い出す。
 ……そこで、死のう。
 俺はもう、生きてなんかいられない。
 俺は、俺は、駄目なんだから。俺は、俺は。
 立ち上がる。もう、俺は、何もしたくないなにも何も。
 歩きたくもない。走りたくもない考えたくもない俺は俺は。
「ごめん……ごめん……お兄ちゃん、お兄ちゃんは……」

 ふらふら、と森の中まで戻って来た。忌々しい洗脳された自分の記憶が蘇る。忌々しい自分が忌々しい。さっさと死にたいもう何もしたくない。
 ぼちゃん、と水の中に入る。
 暗い、暗い、水の中。冷たくて、苦しくて、息が、詰まって行く。
 ああ、ああ、俺は、俺は、なんでこんな事になったんだ。
 なんでなんで。
 どうして。
 どうしてこんなことに。
 くるしい。
 なんでおれはどうしておれはこうなってしまったんだどうしてだ。なんでだ。
 ごぽごぽと息が漏れていく。
 くるしくなってくる。
 俺は、どうして。なんで。何か間違ったんだろうか何かいけない事でもしたんだろうか。
 俺は、俺は。
 ああ、ああ。
 どうして、やりなおしたい。
 やりなおしたい。ごめん、ごめん、コテツ、ミツバ、ツメトギ。ごめんごめんごめんごめん。俺は俺は兄ちゃんなのに。
 俺は。俺は。
 くるしい、くるしい。
 ああ、俺は、こんなことになるなら、あそこで死んでたほうが良かったのか俺は。
 俺はどうして俺は俺はああああああああ。
 くるしい、ああ、いやだ、やっぱり、死にたくない。俺は俺は俺は俺は。
 ああ駄目だ死にたくない。もがきたいでもでもでもでも、ああでも、動きたくない俺は死にたくない。
 俺は……。

「げほっ、ああっ、げほっげほっ、いやだっ、おれは、しにたくないしにたいしにたくないしにたいしにたくないしにたいおれはどうしたらいいんだおれはおれは」
 死ねない。こんな方法じゃ死ねない。死にたくない。でも嫌だ。死にたくない死にたくない。でもでもでもでも。ああああああ。
「ああああ……」
 腹が鳴った。暴れ回って、死にかけて、それでも腹は減った。
 そして俺は、あの味を思い出してしまった。
「あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ」
 どうして、どうして食べたいと思ってしまったんだ! どうして、どうして!
「どうしてどうしておれはこんな事になったどうしてだよどうして俺はどうしてなんでいやだよやめてやめてああああ」
 もう何で。
 もう。
 もう。
 嫌だよ。
 がさり、がさり。
 …………誰か、いる。
「……だれ」
 そいつは、俺に臆する事なく近付いて来た。
「タブンネ……」
 そいつは、虚ろな目をしていた。
 無言で、池から這い出て来た俺の前で膝を付き、癒しの波導を流して来た。
「何を……」
 タブンネは、聞いて来た。
「……やり残した事は、無いのですか?」
「やり残した事…………」
 …………。
「そうだ。俺は。俺がやり残した事は、恨みだ。
 俺達をこんな目に遭わせた奴等を。俺達を食っている奴等を! 皆殺しにしたい!
 人間も! ポケモンも! 俺達を一度でも口にした奴等を! 俺達を閉じ込めて食うために育てている奴等を! それを見殺しにしている奴等を! 全員、全員、ぶち殺したい! 焼き殺したい! 首を潰して、人間の何もかもをぶち壊して、絶滅させて、全てをとにかく、壊したい!」
 ……。
「でも、俺には、まだ、力が、足りないんだ。俺には、俺には、どんな事があろうともそれをやれるような、力が、足りないんだ。ふと、ねこだましを食らっただけで、俺は、仲間を、食べたんだ」
「……。
 提案があります」
「提案?」
「……私を、殺して、食べてください」
 ……は?
「…………言っている意味が分からない」
「……私達は所謂ポケモントレーナーという人間達に良く虐げられる種族でした。
 そして、私はそれが嫌で強くなろうと思いました。
 でも、私の体は、鍛えても戦えるような体ではなかったのです。私は、戦う種族ではなかったのです。幾ら強くなろうとも、素早いポケモンや、頑強なポケモンには、全く敵わないのです」
「……それで、どうして俺に食べろ、なんていうんだ。
 丁度、弟同然の同族を食った、俺に」
「ポケモンは、鍛えた相手を倒す程、そして、殺して、食べるほど、その鍛えた量に比例して、力が付くのです。
 強いか、弱いかより、鍛えたか、に影響されるのです。
 私は、無駄に鍛えました。鍛えても、弱いままだったのに。
 そして私達タブンネは、元々何故か、倒されると相手の力が付きやすい種族なのです。
 力が付きやすいタブンネという種族、そして、鍛えた私……。それを食べていただければ、とても強くなれると思うのです」
「…………お前に、やり残した事はないのか」
「無いです」
 即答だった。虚ろな目のまま。
「仲間が沢山殺されました。でも、私達は、幾ら強くなっても虐げられる側から逃れる事は出来なかったのです。しかし、貴方には、力がある。
 私は、それに、賭けたいのです」
「………………」
 俺は、どうしたい。
 …………当然だ。人間を全て、殺すまで、俺は、死にたくない。死んでやるものか。
 そうだ。俺は。
「出来るだけ、苦しまないように、殺させてもらう……」
 タブンネは立ち上がって、ぺこりと頭を下げた。
「ありがとうございます」
 その顔は、ずっと虚ろだった。

**********

 肉を食う音。
 血を飲む音。
 暗闇の中、一匹のポケモンが、びしょ濡れのポケモンが、一心不乱に顔をその腹の中に顔を突っ込み、その肉体を我が物にしていた。
 腹が膨れ、苦しくなろうとも、食べる毎にトラウマを思い出そうとも、出来るだけ、無駄にしまいと食べ続けた。
 そして、その音が鳴りやみ、暫くして、そのポケモンは立ち上がった。
 腕から出た青い炎が、次第に体を包み込んで行く。ゆっくり、ゆっくりと。

 パンチや キックの かくとうわざを みにつける。すうねんごとに ふるくなった はねが もえて あたらしく しなやかな はねに はえかわるのだ。

 急激に強くなり続けた体は、一年も経たない内に、より燃えにくい羽を必要としていた。
 青い炎でも、全く燃えない程の羽を。
 耐え切れなくなった、古い羽がほろほろと崩れていく。草木に燃え移り、姿形が次第にはっきりとしていく。
 そのバシャーモの腕は、脚は、肉体は、何故か他のバシャーモより一回り大きかった。筋肉はとても密に詰まっており、そして、そこから繰り出される格闘技は、何者をも一撃で破壊してしまう程だった。
 そしてその顔には、とても深い、確固たる殺意があった。それは、自分へも向いている程の殺意だった。
 バシャーモは、今さっき殺したタブンネの体から、血を掬い取った。
 それを顔に塗りたくり、そして、前を向いた。
 拳を強く握り締め、一歩一歩、殺意を踏みしめながら、歩いて行った。