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  [No.4026] 夏の青い記憶 投稿者:やさしいなつ   投稿日:2017/08/05(Sat) 00:59:39   52clap [■この記事に拍手する] [Tweet]

夏休みに入ったのだろうか。たくさんの荷物を抱えて、ろくに前も見えないだろう小学生の帰路を横目に、私は溜め息をついた。雨が上がったばかりの空はどんよりと曇り、まだ絞れば水が滴りそうだ。暑いよりは過ごしやすいのだが。
こういう時、私は祖父を思い出す。

「今年の夏は涼しくて過ごしやすい」

そう言って笑い、私の頭に大きな手を置いた祖父は、縁側に並んで座るように促した。祖父が亡くなったあの夏は、私にとって永遠の夏だ。夏が来る度に、私はいつでもあの夏に遡る。

「ほら、アイツも嬉しそうだろう。肌がツヤツヤしておる」

祖父の指が指し示す方向には、池があった。父方の実家は古かったが立派な庭付きの一軒家であり、庭の手入れは行き届いていなかったが、それがかえって子供の私にはジャングルのように見えて、魅了された。その草が生い茂る真ん中には瓢箪のような形の池があり、濁った水に水草が浮かび上がっている。溺れたらいけない、と、近づくことは許されなかったが、祖父と一緒に縁側に腰掛けて眺めることは多かった。そしてそういう時にはいつも、祖父は池を指さして「アイツ」のことを語った。

私は「アイツ」を見たことが無かった。

「いつの間にか、気が付いたらうちの池に住み着いていてね。水も合わないだろうし、すぐにいなくなると思っていたのだが。どうやらアイツはうちが気に入ったらしいんだよ」

子供だった私は、祖父がどんな顔をしていたのかまで見ていなかった。ただ、私には見えない「アイツ」のことを語る祖父を不思議に思って、首を傾げて話を聞いた。
初めて「アイツ」が祖父の話に登場した時、私は無邪気に池に目を凝らしたものだった。「アイツ」って、だれ? どこにいるの? 私には見えないけれど、おじいちゃんには見えるの?、と尋ねると、祖父はふっと微笑んでただ頷いた。それきり私は、「アイツ」は祖父にだけ見えるものとして、受け入れることにしていたのだった。

「ばあさんが死んでから、この家は無駄に広くてね。お前が遊びに来る時のために、とっておいているようなものだよ。わしひとりには、広すぎるんだ。そんな寂しい老人に同情したのか知らないが、アイツは池からわしを見守ってくれているんだよ」

祖父と最後に会ったのは、珍しく過ごしやすい日が続いた夏の盆だった。祖父は私達が帰っていった翌週に静かに息を引き取った。
両親は、ばあさんが盆に帰ってきて、そのままじいさんを連れていったのか、などと言っていた。
葬式で再び祖父の家を訪れた私は、遊んでくれる相手もなく、黒い服を着た大人達のつまらない会話に飽きて部屋を抜け出した。窮屈な真っ黒いワンピースを着せられ、じっと座らされて、もう我慢が出来なかったのだ。祖父はもういない、もう会えないのだと思うと悲しかったが実感は湧かず、私はいつものように縁側に腰掛けた。そしてやっと、ひとりで座る縁側で寂しさを覚えたーーその時、視線を感じて顔を上げた私には

「アイツ」が

青い肌の人間かと思った。しかし瞬きをしてよく見ると、それは人間ではなかった。青くぬめりのある皮膚、手足には鋭い爪が生えて水かきがあり、太い尻尾が草の上に横たわっている。額に赤い石をたたえた、その生物は、池を縁取る岩に腰掛けてこちらを見つめていた。私は微かに悲鳴をあげた。それを聞いて、「アイツ」は私から目を逸らし、ぬるりと池に入り込んで行ってしまった。元来濁っている池なのでその姿はすぐに見えなくなり、しばらくすると何事も無かったかのように水面も静かになった。私は動けなかった。ただそのまま、池を見つめていた。

大人になってから調べたところ、「アイツ」は「ゴルダック」というポケモンらしい。とても泳ぎがうまいポケモンのようだが、なぜあんな汚い池に住んでいたのかは検討もつかない。
あれから、私は川や湖や、とにかく水辺を見かける度に「アイツ」を思い出す。そして視線を感じる。見回しても何も無いのだが、水辺でいつも誰かに見られている気がする。
私は、祖父があのゴルダックに頼んだのだと思っている。自分を見守ってくれたように、孫の私を見守ってくれ、と。
もしくは、祖父の魂がゴルダックに乗り移ったのか、とも思っている。
どちらにせよ、再びゴルダックの姿を見ることは無かった。しかし、私が思い出す祖父の家にはゴルダックの姿が描けるようになったし、私の思い描く祖父は、ゴルダックに微笑みかけているのだった。

ーー気が付くと、ポツリ、と雨の雫が頬を打っていた。濡れたまま閉じられたビニール傘を震わせて、再び開く。駅までもう少しだったのに、と早めた足が、水溜りに踏み込んで小さな水しぶきをあげた。

通り過ぎる私を、揺れる水溜りから、青い影が見つめていたことは、誰も知らない。

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初めまして。実はお久し振りです、なのですが。
7年ほど前に、よくこちらのサイトで小説を投稿させていただいておりました。
かつての名前を忘れてしまいましたが、カゲボウズや救助リレーにも参加させて頂いたり…
小説コンテストにも何度か挑戦いたしました。
「足跡」の回で足跡博士とシキジカの話を書いたり、救助リレーにエーフィを派遣したりした者です。

少し落ち着いたので、また書いてみようと思います。

ぜひ、また宜しくお願い致します。