本は完売していないためすべては公開できませんが、今年の冬コミのゲッコウガ同人アンソロジー「放て!水しゅりけん」 に寄稿させていただいた作品 「時代」 のお試し版です。
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里が、燃える。
山の上から目下遠くに見える、炎を上げて焼け落ちる家々を見ながら、彼らは黙り、自分たちが生まれ育った里へ永遠の別れを告げる。
もうこの地に、彼ら『忍び』が生きる舞台は無い。
「行こう。これ以上の長居は無用、名残惜しくなるのみだ」
誰かがそう呟き、一人また一人と里に背を向ける。幼いながらもカゲマサは、必死にその地の最期を目に焼き付けようとしていた。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
大きく屈曲して流れる川に優しく抱かれたこの町には、日ごろから様々な人やポケモンが行き来している。町の外には豊かな大地が広がり、市街には石畳の細い路地が入り組んでいる。
目的地へと向かう道は人であふれていた。もともと国の中心へと向かう賑やかな街道だが、普段よりも増して活気にあふれ、酒や食べ物を売る屋台が軒を並べている。
「おい、そこのにーちゃん、にーちゃん、ちょいとうちに寄ってかないか、安くしとくぜ」
威勢のいいヒゲ面の中年の売り子が声を掛けてくる。何を売っている店なのか知らないが、特に欲しいものもなく、金も無い、彼は何も言わず軽く会釈だけをしてその場を立ち去った。
この青年の名はカゲマサと言った。姓は久瑞(クズイ)、名は景昌(カゲマサ)、そんな彼の故郷の字は、この異国の地で通じる者はいない。
使い古されて薄く色あせた藍墨色の外套で全身を覆い隠して、背中には大きな荷物を背負い、襟元に縫い付けられた頭巾(フード)を目深に被って、自らの顔を隠していた。彼の故郷では珍しくなかった漆黒の瞳に黒髪のいでたちは、この地では奇異の眼で見られてるため、人前に出るときは必ずこうして顔を隠していた。全身を覆い隠すこの風貌も充分奇異だが、本日だけは喧騒にまぎれて気にするものは誰もいない。
道の傾斜を登り終えて、ふと後ろを振り返ると町の一部を俯瞰する形となる、青い空の下に、白く塗られた壁と赤い屋根の四階建ての家が多く建ち並び、その隙間を埋めるように高い木が緑を茂らせて顔を出している。屋根を赤くするという発想は一体誰が考え出したのだろうか、派手さや無いがその優しい色合いには、思わずため息が出るような美しさがある。
カゲマサがその風景に少しの間だけ見とれていると、連れのポケモンに急かされたので石畳の道の歩みを進める。向かう先は王城の競技場だ。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
カゲマサはかつてここから遥か遠く、東の端にある日之本という島国で『忍び』と呼ばれる諜報業を生業としていた。
戦のある場所、忍びあり。
とある山奥の里を拠点として日之本の国を飛び回り、主(あるじ)に仕えて、巧みに乱世の世を渡り歩いていた。
だが不屈の武将イエヤスの元に、世は統一されて乱世は終わり、時代は忍びを必要としなくなった。里はそこで三つの選択をすることになった。
一つ目は、忍びを捨てて堅気の道を選ぶこと。
二つ目は、忍びを続けて時代と共に滅びること。
最後の三つ目は、この日之本を捨て、己の力を欲するであろう新天地を探すこと。
里の頭首は三つ目の選択肢を選んだ。
長く続いた戦によって国内の造船技術が大幅に進歩したことで、巨大海洋生物の接触に耐えうる船底を持つ船を作れるようになっていた。また、何匹かの大型水棲モンスターに船を曳いてもらう牽引船(トラクター)の技術が異国から伝わったことにより、より遠い場所にまで、果ては世界の端まで航海することが可能となっていた。遠い異国のどこかには、必ず自らの力を必要とする地はあるはずだと里の皆は希望を抱いていた。
一度旅立ってしまえば、もうこの地に戻ってくることはない。未練など残らないように住み慣れた故郷に火を放ち、里の金をはたいて購入した大型の牽引船にポケモンたちと共に乗り込んで、一行は海へ乗り出した。
生まれて初めて足を踏み入れる土地は、どこも驚きに満ちた世界が広がっていた。日之本ではとても想像もできなかった奇想天外な異国の文化に触れて、かつて乱世が終わりを迎えた時のような、変わりゆくものを誰もが感じていた。だがどこも彼らの力を欲する戦のある場所ではなく、ホンコン、インディア、ホープケープ、イスパニア……と世界各国の港を巡るうちに、四年の年月が経過していた。
そして、とうとうカロスの地にたどり着いた。ここから先に船で進むと極北の地が待っている。だが、長年の航海で自分たちの船は激しく痛んで限界を迎えていた。また極寒の地であるため水温も低く、ラプラスのような寒さに強いポケモンでないととても牽引できない。
旅を止めて、里の一行はカロスの地に住家を作り、根を下ろすことになった。その頃には一緒に船に乗っていた仲間たちは、旅の途中で亡くなったり、そこまでの寄港地に残り永住する選択をするなどして、半分以下にまで人数が減っていた。
カゲマサとゲンジは、カロスからさらに陸路で進むことを選び、カロスから東に山を越えたベーメンブルクの地に一人と一匹で移り住んだ。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
ベーメンブルク王国の王の居城は町の高台にそびえ立つ。城が創建されてから、次々と新しい建物が付け加えられ、数多くの様式の建物が調和した複合建築となっていた。城の中には多くの中庭をそなえて、季節に応じて様々な花が咲き乱れる。
その城の建物の一つとして、水路を挟んで向こう側に競技場がある、ポケモンのワザを防ぐ封印の結晶が混ぜ込まれた煉瓦がふんだんに積み上げられており、城壁と同じように、多少のポケモンのワザを受けてもびくともしない。
騎士たちの演武や儀礼としての試合の他にも、そこに住む民衆たちが自由に使えるポケモンバトル場としても解放されており、民衆にとっては慣れ親しんだ場所であることから、この競技場のことを城と呼ぶ者もいる。
競技場に入ると奥の受付で出場者登録を行う、頭巾の奥から見える黒い髪と瞳を、受付をしていた従騎士にいぶかしがられてジロジロと見られたが、いつものことだ。もっとも、見られる視線ならば、この連れの方が辛いのだろうと彼は思う。
『……如何か?』
「ああ、いよいよだな、調子はどうだ?」
『無論、万全』
相変わらずのいつもの調子で返事をする、この連れのポケモンの名は玄次(ゲンジ)、種族はゲッコウガのオス。
忍びの里の慣わしとして里の子は人語を解するよりも前からケロマツ族と共に育てられる。そのためカゲマサはケロマツ族の鳴声に限れば、その意味を理解できるようになっていた。とは言え、人とポケモンの種族の隔たりのせいなのか、ゲッコウガのゲンジの言葉は少々カゲマサにとって聞き取りづらく、分かり辛いところがあった。
ゲンジもまた、鼠色をしたカゲマサと同じような外套と頭巾で全身と顔を覆い隠していた。
ジメジメした湿気のある暗い場所を好み、ぬるぬるとした肌を持つことから、この土地でカエルは悪魔の化身として忌み嫌われており、童話には醜き者や魔女の眷属として登場している。またゲッコウガという種族のポケモンはこの土地には一切生息しておらず、ここの住民たちにとっては得体の知れないモンスターであった。
そのため人前に出る際には、こうした外套を羽織り、道行く人を驚かせないように身体を隠していた。できることならばゲンジには、こんな外套などを脱いで、息苦しい思いなどせずに大手を振って街中を歩ける日々が来ることをカゲマサは願っていた。
宮廷音楽隊がトランペットを構え、開始が間近であることを知らせる、高らかなファンファーレが鳴り響く。すっかりお祭りモード一色となっていた。
「外から来た旅人たちは、これから楽しげな祭が行われるのだろうと勘違いをするだろうな」
『うむ。が、しかしこれは平和な祭に非ず』
「ああ、俺たちは、戦争をしにこの場所に来ているんだ」
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
このベーメンブルク王国の土地には古くから、一つの神及び救世主たる神の息子を信仰する宗教が信じられてきた。
大昔から脈々と受け継がれてきた教えには、長い歴史の中でさまざまな権威の影響を色濃く受けるようになり、人の欲の垢が付き、教会は私腹を肥やし、国との癒着を繰り返していった。しまいには金を払えば犯した罪が許されるという免罪符なるものまで配られるようになっていた。
これではダメだと主張する一派が、そうしたものを排除して、かつて千五百年ほど前にあった元々の教義を復活させようとしていた。教会はそれを弾圧しその一派を破門した、破門された一派は新たな教団を立ち上げ、これを新教とし、既存の教会を旧教と呼んで区別した。
当時のベーメンブルク国王は「新教も旧教も、同じ神を信じ、同じ聖書を守っている。互いにその隣人を愛し、尊重し合うべきである」と諫めて仲を取り持ち、新教徒の教団を認めて、共に手厚く保護をしたために、一つの国の中で仲良くやっていた。
だが、微妙に似通りながら異なる二つの思想は交わることができなかった、新教に対して猜疑心を抱く新たな国王が王座に就いたことで、国をあげた新教への弾圧が始まった。
ここで不満が爆発した、旧教は国王側に就き、新教は民衆側に就き、宣戦を布告した。
戦争。
と聞くと、土地は焦土となり、両者が血で血を洗う醜い殺し合いをイメージすることが多いが、この当時はそういうわけではなかった。
戦争で勝利すれば、敗者の土地や人民が手に入る。新たに開墾することはない農地が手に入り、敗者を奴隷としてその農地を耕させることもできる。そうして大量の穀物などを得て、自国の民の腹を満たすことになる。
いずれ自分のものになると考えれば、相手を殺して土地を焼き払った上で勝利をしても何の意味も無い、それは相手側も同じことを考えている。自軍はもちろんのこと、敵軍の犠牲も出来るだけ出したくない、それでいて敵を負かす必要が出てくる。お互いに示し合わせて、血を流さないような決着を探り合っていく。戦争の目的とは相手を殺したいからではなく、あくまでも自分の利益のためだ。
かつて五百年ほど前までは、土地は焦土となり、両者が血で血を洗う醜い殺し合いの戦争があった。
野生のポケモンの襲撃にすら手をこまねくというのに、ポケモンの強大な力に人間の文明と叡智を組み合わせて武器や戦術を練り上げる戦争は、双方ともに布の服で斧を振り下ろし合うようなもので、敵も味方も人間が塵虫(ゴミムシ)のように大量に死んでいく凄惨な戦場に成り果てた。
ローマ帝国の時代には既に電気ポケモンを利用したレールガンなるものまで発明されていた。東方からの騎馬民族が率いる大量のギャロップ軍団相手に籠城戦を仕掛けたところ、城壁を軽々と跳び越えられて、わずか五日で三つの街が焼け野原になったこともあった。ポケモンの力に対して人間の肉体はあまりに脆かった。
おびただしい死者に敵も味方も共に悲鳴が上がり、過剰な衝突を避けて双方で代表者を選出して戦わせる形式が生み出されることになった。その決着には文句を挟まず、それ以上の争いをしないという固い誓約が出来上がった。
この固い誓約の上で行われる勝負は『騎士』という文化と精神に強く結びつき、騎士は勇気と規則をもって国を背負い戦い、その名誉を敬われることになった。
お互いの大将が五名の騎士を用意し、それぞれが一匹づつポケモンを出して、一騎打ちを行う。
この形式に至るまでは少々複雑な歴史があり、元々は四名を選出し四対四の勝負であったが、いつしか最後に王自らがポケモンを出して戦うようになっていた。だが、よほどの武勇と指揮に優れた王でない限り、日々の鍛練を重ねている騎士たちに対して勝ち目がないため、最後の王の戦いは飾りになっていた。王侯貴族にとって血を流すことは卑しいこととされていたために、むしろ戦わないことが礼儀でもあった。
そのため実際には四対四であり、偶数の四名では決着がつかないため、いつしか騎士を五名選出するようになり、この時代では六対六の戦いとなっていた。
なお、ここでの四人+一は後に『四天王+チャンピオン体制』の元となり、六対六は後世のポケモンリーグ公式試合のレギュレーションとして、手持ち六体がフルバトルというルールに受け継がれている。また、最後の王が飾りと自覚した上で美麗なワザのパフォーマンスを行い、その美しさに相手が拍手して膝をつかせたことから、コンテストバトルという文化が生まれたとされている。
そうした流す血を無くすための騎士による一騎打ちという形式は、非力な者が犠牲にならず、誰も死なない平和な戦争を作り出すことに成功した反面、多くの者にとって気楽な見世物になっていた。
戦わないものは遠くで笑って見ていられるが、戦うものはお互いに死力を尽くして命を削りあうものであって、血を流す醜い殺し合いの代わりなのだ、こうした時代の流れを嘆くべきか喜ぶべきか、カゲマサは少々複雑な気分だった。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
競技場の観客席には実にさまざまな人間とポケモンたちが集まっていた。国を挙げてのイベントということで、領主や爵位持ちの諸侯たちが各地から集結し、貴賓室では貴婦人たちがお茶を片手に談笑を繰り広げている。バトルというものに全く興味なく、皆が集まる舞踏会の感覚で出席していると見られる。
そして爵位持ちの貴族たちの席には、やはりというべきか、ルカリオというポケモンが多い。
この頃のモンスターを収納するためのボールは、木の実にちょっと手を加えただけのボールであり、中のモンスターが好きなように外に出ることができるという、扉が存在しない入れ物にすぎなかった。そのため人間との信頼が失われれば簡単に逃げ出したり、人間を攻撃するリスクが常にあったため、強いモンスターよりも、ちゃんと人間の言うことを聞くポケモンであることが最優先だった。現代のようにポケモンを沈静化させて落ち着かせたり、多少の抵抗ではびくともしないボール構造になるのはまだ先のことだった。
強いポケモンほど気性が荒く、手懐けることが難しい中、騎士や貴族たちが従者として所有するポケモンとして、ルカリオが圧倒的な人気を誇っていた。
特筆すべきは主人たる人間に対する強い忠誠心であり、基礎体術から遠距離攻撃、癒しの波動を用いた回復ワザを持ち、戦闘補助も完備、さらに専用の装備を一から鍛えずとも、人間の子ども用の鎧や兜をそのまま流用できることも評価が高い。多くの人に育てられてきたため育成ノウハウの蓄積があり、育成に悩むこともない。
また、オルドランの波導伝説や、シャラに伝承されるメガルカリオなど、ルカリオに関する伝説は昔から多く、それにあやかっていた、この頃には実用性ではなく慣習として育てるものとなっていた。
貴族や騎士は自分たちの子女にはリオルを与えて、従者としてルカリオへ進化させる。その需要の多さから貴族のみを対象としたリオル専門の里子業者も複数存在していた。
騎士と言えばルカリオであり、ルカリオと言えば騎士のポケモンだった。
戦いに備える控室の中で、カゲマサは身の周りの装備の確認に入る。ポケモンとポケモンの一対一のバトルであり、トレーナーの人間は指示をするだけで戦いに加わるわけではないが、自らの相棒ゲンジと心を合わせて戦闘態勢に入るために万全の装備で挑む。
腕には籠手(こて)、足には草履と脛当(すねあて)、腰には大きなベルトを締めてそこに道具袋と金具装備を吊るす、首には忍びの里に伝わる護石を掛けて懐にしまう。
故郷の里から大事に使ってきたものもあれば、この地で新たに買い足したり修繕し直したものもある、どれもカゲマサにとって体の一部として馴染んでいた。自分のものを手早く終えると、ゲンジの装備も確認にかかる。
カゲマサとゲンジは新教、つまりは民衆軍の三番手として試合にエントリーしていた。
多く領地と資金を持ち、たくさんの優秀な騎士を抱える国王軍に対して、民衆軍にはそのようなものは無く、各地の騎士たちは国王および領主からの庇護を失うことを恐れ、ほとんどが民衆の味方につかなかった。
新教への弾圧に怒って決起してみたものの、今こうして蓋を開けてみれば、自分たちに逆らう不穏分子を新教ごと潰そうという魂胆の、国王の巧妙な挑発に見事に乗ってしまったという形だった。その戦力に悩む民衆軍に、カゲマサは自分を売り込んだ。
忍びの者は影に生きて陰に死ぬ、とカゲマサは幼き時から教わっており、当然そのように生きるべきだと考えていた。この土地にも影に生きて闇に暮らす生業は存在していたが、主との強い信頼関係によってのみ成り立つものであるため、何代にも渡って王侯貴族と密接に結びついていたそのような仕事を、見知らぬ場所からやってきた余所者がありつけるはずは無い。
食うためには仕事をしなければならないが、そのためにはまず実績が必要だった。外套と頭巾で顔を隠し続ける影の暮らしにこだわらず、頭巾を脱いで光の前に出なければならない、カゲマサはこのチャンスを逃さなかった。
五人のうちの三番手とは、あまり期待されていないポジションかもしれないが、悪魔の化身を連れた余所者ごときが、この晴れ舞台に立つなど夢物語だろうと思っていたため、戦いの場に出られるというだけで充分な成果であると自負していた。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
「出番だカゲマサよ、出ろ」
簡易な甲冑を着た従騎士の男が、部屋で控えるカゲマサとゲンジを呼びに来た。
試合は勝ち抜き制であり、バトルフィールドには既に、騎士の装いをしたトレーナーと、先ほどこちらの軍のポケモンを倒したばかりの、マントのようにして翼を丸めて地面に降り立っているコウモリポケモンが、背筋を伸ばして待機していた。
決められた位置に着くと、ゲンジは着ていた鼠色の外套を脱ぎ捨てる。観客から大きなどよめきが上がり、先ほどまでうるさかった歓声が水を打ったように静まりかえる。醜い姿を見た悲鳴が聞こえてくるようにも思えた。
「ゲンジ、目の前に集中しよう」
『……御意也』
出来ることならば姿を晒さずに戦いたいが、そうはいかない事情がある。ゲッコウガは全身の皮膚を湿らせて、そこからも酸素を取り込むために機敏に動き回っても疲れにくいのだが、服を着ていると文字通りに息苦しい思いをしてしまう、そのため戦闘などで激しく動き回る際には脱くことにしている。
ゲンジの装備は出来るだけ身軽に、皮膚呼吸のために肌の露出を増やすべく、武装は最低限に抑えている。腕には藍色の手甲、足には藍色の脛当を備えており、久瑞家の家紋である『三つ剣紋』が白字で描かれている。ゲンジは手甲と脛当の裏に収納してある武器の苦無(クナイ)を一本だけ抜きとり、右手に構えた。
戦いには武器と防具の使用が認められている。武器はワザの補助としての扱うのが一般的であり、ゲンジが持つクナイとは忍びの里に伝わる両刃の武器で、大きさはダガーナイフほどだが、刃をあまり研がず、土を掘ったり壁に打ち込んで足場にすることができ、頑丈さに重きをおいた武器となっている。
相手トレーナーがこちらに向かって歩いてきた。あと二歩ほどの距離まで近づくと、軽く一礼する。
「はじめまして。アルビノウァーヌス子爵の第二子、フィオラケス・アルビノウァーヌスだ。よろしく」
「あ……ああ、はじめまして、名はカゲマサ、姓はクズイ、ご覧の通り爵位も無いの流れ者だ」
「やはり髪が……ふぅん、珍しいな」
「…………」
カゲマサの髪の色を不審がらず、好印象だったのか嬉しそうに笑みをこぼす。
「良き精神と共にあろう」
「ああ、あろう」
肩まで掛かるシルクのように透き通った白銀の髪と、突き刺すような目つきを持つ男だった。背が高くよく絞り込まれた体をしている。一般的な甲冑ではなく、馬に跨って狩りに出かける時に使うような軽い鎧で、マントと儀礼用のレイピアを腰に吊るしている。
軸足でくるりと半回転して、白い蝙蝠ポケモンの紋章が大きく描かれたマントを翻し、すたすたと元の自分の持ち場に戻っていく。
『主、何をやっておるのだ』
「突然のことにびっくりしたんだ、あと名前に、まさか律義に名乗ってくるとは、そういう作法でもあるのか?」
『知らぬ』
「アルビノウァーヌス卿の子だったんだな、子爵とは騎士にしては相当な身分だ、こんな俺が相手で大丈夫かな」
重圧に押されて気弱になり、このような舞台に日陰の存在であるはずの自分がいることに不安になっていた。騎士でされなくとも参戦できるとは言え、本来ならばあのような気高い騎士がここに立っているべきだろう。
何も持たず、たどたどしい返事しか返せなかった自分を、彼を笑っているだろうか?
『弱気な。引け目を感じるならば、己の紋でも見ろ』
ゲンジは自分の手甲に描かれた家紋を見せる。
「ふっ、それもそうか」
カゲマサの口角が上がった。自分も長らく続いた里の血が流れているのだから、引け目を感じることはない。少々緊張してしまったのかもしれない。
カゲマサとゲンジは向き直し、対戦相手となるポケモンの姿をしっかりと見据える。コウモリのような姿をした、ここから西の山岳地帯に生息しているとされるオンバーンというポケモンだ。余計な肉はすべて削ぎ落されて、すらりと鍛え上げられた細い体躯には、その見た目からは想像できない大いなるドラゴンの力の秘めている。
しなやかな体をぴったり包み込むように、飛行能力を邪魔しないかなり薄い鎧を身に着けている。名のある鍛冶屋の手で丁寧に裏打ちされた鎧には、純白のオンバーンをモチーフにした蝙蝠の紋章が描かれている。白い獣は太古より神の使いとされて神聖視され、あれこそがアルビノウァーヌス家の紋章であり、誇り高き騎士の一匹であると言うことを威風堂々と見せつけている。
アルビノウァーヌス家は、代々オンバーンを育てる騎士貴族として名が知られており、カゲマサもその噂はかねがね聞いていた。ほんの小さく可愛らしいコウモリが巨大な飛竜に変貌することを突き止めたとされ、武芸に優れた名家だと聞く。領内の山から凶暴な野生ポケモンが下りてきて、人家が脅威に晒されれば、当主自らが剣をふるって退治に向かうらしい。
その息子であるフィオラケスは狩猟マニアの変人であり、家の中は自作の剥製や標本だらけで、黒髪の男娼をいつも連れて街を歩くなどあまり良い噂を聞かない。黒髪の男が好みだからお前は絶対に近づくな、と友人から忠告されていたので、その名を聞いた時に戸惑いがあったが、会った印象は真面目で実直そうな男と感じとれた。
「構え、準備はいいか?」
審判の問いに、両者は大きな声で了解の返答をする。
「よし!」
「よし!」
「では……はじめっ!」
審判の合図と共に、オンバーンは大きく翼を羽ばたかせて一気に急上昇しながら後退し、距離を取った。そして、空中で息を吸って蒼白い波動を作り出し、相手をめがけて[りゅうのはどう]を放つ。
ゲンジは[かげぶんしん]を作りながら、前に転がってその攻撃に避けて、数多くの分身を率いて多方向からオンバーンに向かう。
トレーナーからの指示を聞いて、すかさずオンバーンは大きく息を吸い込み、すさまじい破壊力を持つ[ばくおんぱ]を顔全体から鳴らした。虚ろな分身たちはたちまち消し飛び、ゲンジ自身はダメージを受けるが、充分な距離があったためかそこまでのダメージは受けていない様子だ。
「なるほど……」
こちらの攻撃が届かない上空から、貫通力がある高威力ワザの竜の波動と、当てやすく全体範囲ワザの爆音波を使い分けてくる。こちらから遠距離ワザを使えば、その身軽さでヒラリとかわし、ならば近づこうと跳躍すれば竜の波動や爆音波の餌食となるだろう。
おそらく日々の狩猟で鍛えた長射程の狙撃力を生かし、こちらの攻撃が当たらない距離から、あちらが一方的に攻撃を当て続けるのだろう。
だが、充分な距離さえ取っていれば、相手の攻撃の発射を見極めた上で避けることができる、避けることに集中して、欲を出さず不用意に近づかない限りは、一方的に攻撃をされることはないだろう。
『如何にする?』
「後の手を取る戦いをする以上は、あちらから仕掛けてくるはないと言える。戦の定石に従えば、攻めに出ずに持久戦を仕掛けるべきだろう。薄い鎧とは言え鉄は重い、飛び続ければ疲労をすることは免れない。こちらが地上にいる以上、先に疲れるのは飛び続ける敵だ」
『為らば、堪え忍ぶとするか。拙者は我が主の判断に従うのみ』
「……いいや、ここは攻めよう。出来過ぎた定石には乗るべきでない」
『御意』
賢明な者ならば、下手に攻めずに様子を見るべきだと判断する。だからこそこれは罠だとカゲマサは感じ取った。相手は持久戦を誘っている、誘うからには溜め技が存在するなどの奥の手や、何らかの理由があるのだろう、そうして作られた流れには乗ってはいけない、率先して逆らうべきだ。
「跳び、手裏剣を切り口に、斬れ」
『承知っ』
ゲンジはクナイを収納し、相手に向かって走り出し、大きく上空に向かって跳躍する。
オンバーンは、しめたという表情を浮かべた。一度跳躍してしまうと空中では自由が効かなくなる、こちらに向かってくる的へしっかりと狙いを定め、今にも竜の波動を撃とうとした、その刹那にオンバーンの額に水の弾丸が命中した。
奥義、[水手裏剣]。
極めて短い予備動作から瞬速で撃ち出される水の矢は、竜の波動に先制して命中する。オンバーンは大きく驚き、ひるんで技が不発になった。
ワザを撃った反動を受けて、跳躍力が足りず空中で失速する中、踏みこむ動作と同時に、足先から真下に向けて水を噴出することで宙を捕らえ、ゲンジは空中跳躍をした。
そして、手甲から取り出した二本のクナイを両腕に掴み、相手を目掛けて、一気に振り抜く。
「クロスロードスラッシュ!」
縦方向と横方向の十文字の斬撃。
相手のオンバーンはとっさに身体を傾けて鎧で、その[つじぎり]の攻撃を受け止めるが、刃を防ぐことはできても、衝撃を受け止めることできない。羽ばたく力を失って空中で完全にバランスを崩したオンバーンの首を、すれ違い際に舌を伸ばして絡めとり、空中で思いっきり引きよせて、地面にたたきつけた。
審判の旗が振り上げられ、決着の合図がされると。
民衆の歓声がどっと巻き起こった。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
「まずは一勝か」
『然り。下の目標には到達できたか』
「ああ、最低限の仕事はできた」
次の対戦相手が位置に着くまでの休憩時間に話をする。
『仮に勝ち進み、大きな成果を得たならば、主は如何にする? カロスに帰るか?』
「それは……」
カゲマサは口ごもった、答えは定まっていたはずだが、自分の中でまだ迷いがあったかもしれない。
『御免、無粋な問いだ、忘れろ』
「いや失礼した、何か土産を持って、カロスに寄ってちゃんと詫びの一つは言わなければな、ただ帰るつもりは無い。俺はお前と忍びとして闇に住むんだと決めたんだ」
そう話しているうちに次の相手が位置に着く。続けての対戦相手はボスゴドラのようだ。
そのトレーナーもがっしりとしたガタイの良い男で、分厚い甲冑を着こんで彼自身もよく鍛えられている。強いポケモンほど気性が荒くプライドも高く、弱い存在には従おうとしないため、トレーナー自身の強さも必要となる、仮に暴れた際にはトレーナーがポケモンを組み伏せる必要があったため、ポケモンと共に騎士自身の鍛錬も欠かせない。
先ほどのオンバーン使いのように、相手の詳しい経歴までは分からないが、ボスゴドラを連れた騎士には心当たりがあった、力自慢の重量系戦士であったはずだ。
彼はこの土地では見ることがなく得体も知れぬゲッコウガの姿を、悪魔でも見るような眼で睨みつけていた。とはいえ軽蔑しているわけではなく、オンバーンを倒した確かな強者として警戒している様子だった。敏捷性に長けており水系統のワザを使うポケモンであるとは既に見抜かれてはいるだろうか。先ほどのように、相手の無知を利用して突破することはもうできないと見られる。
ボスゴドラは鋼鉄の皮膚の上から、全身を重厚で鈍い輝きをした鋼の鎧で覆い、両手で扱うために作られたはずの無骨な戦斧を片腕で軽々とつかむ。戦斧の柄の先端からはヒラヒラとした糸飾りが翻っていた。
硬くて重い鎧はポケモンの敏捷性を削ぐ上に、激しく動くと皮膚と鉄が擦れて怪我をするため、できる限りポケモンの鎧の面積は減らすべきだとされるが、鋼の皮膚には鋼の装備はしっくりと良く馴染むため、鋼ポケモンに限れば例外とされている。
「あれは、もしや……」
カゲマサは相手の装備について、ある疑念を抱いた。
「封印の結晶を埋め込んでいるかもしれない、まず確認をしよう」
『御意』
「波動展開、水と闇」
試合開始の合図と同時に指示を出す。ゲンジはそれぞれ小さなものであるが、右手に[みずのはどう]、左手に[あくのはどう]を作り出し、両方同時にボスゴドラに向けて放つ。それに対してボスゴドラは猛然と戦斧を振り上げて、まっすぐ走って向かってくる。
二つの波動攻撃は鎧の表面に触れると、弾けて消し飛んだ。ゲンジのすぐ横を駆け抜けざま、戦斧の一閃が襲う。ゲンジは姿勢を低くして前方に飛び出し、戦斧の軌道を下に避けて、地面で一回転してすぐに立ち上がった。
「やはりか……そして速い」
カゲマサは一人で頷く。
《封印の結晶》と呼ばれる、ポケモンが持っている不思議な力を打ち消してワザを無力化する特殊な鉱石がある。本来ならば野生のポケモンの襲撃を防ぐために城壁や人間の盾に用いられるものだが、それを組み込んで鎧を作っているようだ。これを装備にするとワザによるエネルギー攻撃を防ぐことができる一方で、その無力化効果により装備ポケモンはワザが一切使えなくなってしまう。
だがワザを一切使わずともボスゴドラには元々の筋力と防御力、そして圧倒的な重量がある。ワザをお互いに封じ込め、元々のポテンシャルでの勝負に持ち込む心算のようだ。
かつ、これだけの重装備に似合わない敏捷性を持っていたことから、ボスゴドラは《疾風の首巻》という『ワザを封じ込める代償に素早さを上げる道具』を身に着けているのだと推測した、これは後世において《こだわりスカーフ》と呼ばれる道具の原型にあたるものだ。
つまり、唯一の弱点となる鈍足で無くなったこのボスゴドラに対して、純粋な力比べをしなければならないということになる。
「ワザは効かないようだ、構えろ」
『承知』
再び打ち込もうとする相手に、ゲンジは一本のクナイを両手で構え、間合いから一歩踏み込んで戦斧の柄の部分を捉えて、相手の攻撃を上手に受け流した。相手は無闇に打ち込むだけでは勝てないと察して立ち止まり、それぞれの武器を握りしめて睨み合う。
柔軟なゲッコウガの身体の欠点を埋めるために、硬く頑丈さが自慢のクナイであるが、戦斧の攻撃を受けることはできない。わずかでも届きさえすれば、鎧も盾も関係ない、すべてを叩き割って、一撃必殺となるのが戦斧という武器だ。
先に動いたのはボスゴドラだった、ゲンジの脳天めがけ、叩き割る一撃を振り下ろす、ゲンジはそれを回避しつつ斜め前に跳び、相手の背後に回り込んだ。そして、がら空きの背中に突きを繰り出す。しかし、すばやく向き直ったボスゴドラはそれを斧頭で受け止め、さらにゲンジの身体をクナイごと弾き返した。たまらず後退する。速さは互角、膂力(りょりょく)では完全に劣っている。ゲンジの足が半歩だけ後ろに下がった。
「隙は必ずあるはずだ。焦るな!」
カゲマサの声で、目を凝らして相手の視線の動かし方やわずかな力のぶれを探り出す、そしてゲンジが目を瞑ったその隙を狙い、大きく踏み込んで間合いを詰めて戦斧が振り下ろされる。
ゲンジは左足で踏み込んで、ワザの[まもる]を展開し、クナイの側面を向けて構える。結晶の効果でワザが大きく弱まっているため、まもるの障壁はあっけない音を立てて砕け散ったが、勢いを削るクッションとしては作用し、戦斧をクナイはぎぎぎと嫌な悲鳴を上げながら受け止める。
クナイを横にずらして手を離し、戦斧を身体のすぐ横に振り下ろさせる。そして同時に脛当から二本目のクナイを引き抜き、右足を軸に体を一回転半させて、自らの膂力と遠心力が合わさった一撃を背後から、相手の鎧の装備の隙間がある脇腹にねじり込んだ。
うまく刺さった。
ねじ込んだクナイをテコのようにしてこじ開けて、出来た鎧の隙間へ更なるクナイを楔として打ち込む、全身をくまなくガードするために複雑に組み合った鎧は、このようにされると関節が固定されて、自由な動きができなくなる。
「渦潮を起こせ」
ゲンジは地面に両手をつき、大地より大量の水を湧き上がらせて、身動きが取れない相手を巨大な[うずしお]の渦に閉じ込めた。結晶の効果はワザを完全に無力化するわけではない、クナイで作った装備の隙間から水が内部に浸水していく。またたくまにボスゴドラの体力を削りきった。
審判の旗が振り上げられ、決着の合図がされると。
民衆の歓声がどっと巻き起こった。