※ポケ庭に匿名で投稿したものです。
仄暗い。
チカ、チカと電灯が切れかけている音がする。
目は閉じたままでも、それは分かる。
体は、未だにあるみたいだった。まだ、生きているみたいだった。
「……なんで」
目を閉じたまま、頭を長い胴に埋めたまま、草蛇はそう呟いた。
「俺が助けたんだ」
声は、すぐ近くから聞こえた。少しの間が経ってから、草蛇は首を持ち上げてその方向を振り向く。
四つ足で座る、青い体。頭と腕には貝殻で出来たような兜と小手を自らの体そのものに備えていた。
細い目と、少しだけやつれたような、それでも大きな口ひげ。そして、その肉体の至る所には血がこびりついていた。固まり、黒ずみ、爪で削れば簡単に落ちそうなそれは、しかしもう削るのが面倒というほどに、様々な場所にこびりついていた。
最終進化後に、とうとう貝から刀を扱うようになった、血の匂いを濃く漂わせる海獣。
「…………ありがとうございます」
その海獣に助けられた事に対して草蛇は、けれどそう嬉しくなさそうに、そして物怖じもせずに答えた。
そこは船の一室。赤い絨毯の上には、様々な調度品が脆さを示すように、破片となって地に転がっている。湿り気に覆われ、シーツなどの布類は気だるく固まっている。しかし、それら全てよりも異常な事は、部屋自体が傾いていたまま、動かない事だった。
そしてガラスの外は、完全な暗闇だった。
それは、深海の暗さだった。しかし、この船は潜水艦ではなかった。煌びやかで頑丈で、そして沈んだ豪華客船の、奇跡的に水が入らずに済んだ僅かな一画だった。
海獣も、そして長い眠りから目を覚ました草蛇も、それを知っていた。
助けが来る事をずっと、ぼんやりと祈りながらその脳裏に浮かぶのは、この手で殺した人間、獣達。
海に住処を持つ獣とは言え、深海の圧力に耐えられる獣はそう多くはない。この海獣も、そうだった。海辺で暮らす種族であり、海を常に泳ぐのではなく、地に足を置いて生きる種族だ。
沈み、それまでに脱出出来なかった海獣は、壁を破壊して出ると言う手段を取れなかった。
そして、まず殺したのは、僅かに居た、深海でも問題なく生きる事が出来る獣達。極度の混乱の中、唯一無二の人間の相棒をも捨てて壁を壊そうと外へ出ようとした獣達。
破壊の光線を今にも撃とうとしたその獣の背後から頭に剣を突き立て、引き抜く。隣でその状況を飲み込めていなかった、同じ深海でも生きられる者を次いで喉元から切り上げ、首をぼとりと落とした。
次に殺したのは、炎を身に宿し、そして自然と生きているだけで炎を身から放っている獣達。
助けが来るまでの間、より長く生きなければいけない。しかし、空気は有限となり、その炎が奪う空気を補えるほど、光合成が出来る獣もそう多くはなかった。
止めてと叫ぶ人間諸共、剣を薙いだ。必死に逃げ惑う炎猿を、体を捩じらせ、狙いを定め、必殺の投擲は胸を貫ぬき、そして壁へと磔にした。
そして、向けられた恨みは全て切り裂いた。
混乱は、長く続いた。殺したのは自分だけではない。殺されたのは自分が殺した以上の何倍にも及ぶ。
漸く落ち着いてきた頃に生き残っていたのは、三分の一以下だった。
それからどれだけの時間が過ぎたのか、考える事は早々止めた。
とぐろを巻き、起きた後も頭を埋めている。体はとても気怠い。この仄暗い場所に閉じ込められてから、全く光合成は出来ていない。その脳裏に浮かぶのは、黒い感情。もう戻らない日常。そして、胸に強く刻んだ決意。
自ずと湧き上がる感情は、堪えなければ慟哭として弾けそうだった。けれど、堪えなければいけなかった。
後悔が、何度も沸き起こる。
何でこんな船に乗ったのだろうというところからそれは始まる。人間が積み上げてきた知恵と獣の様々な力によって作られたこの巨大な船は、金を持たずとも、それに相当する何かを渡せば、そして秩序を守る事が出来ると認められれば、獣だけでも乗る事が出来た。
だからこそ、こんな事になってしまったのだ。
獣だけの王国からやってきた自らと友は、長い永い旅へ出ようとこの船に乗った。
長く暮らしてきた王国を友と離れ、大海原へと船が出る。大地がどこにも見えなくなり、不安を抱える自分を友は優しく宥めてくれた。
人間の道具を使えば、遠くの景色を見る事も叶った。岩礁で歌う獣、空から海へと飛び込み獲物を捕まえる鳥、悠然と泳ぐ超巨大な獣。
何もかもが初めてだった。独特な、ずっと続く揺れに気持ち悪くなったり、食べ物が塩辛かったり、そんな少し辛い事もあったけれど、楽しかった。不安は段々と薄れていった。水平線しか見えなくとも、明るい未来が見えていた。
寝ている間、唐突に激しい衝撃が身を襲うまでは。
―――
暫くして、海獣は立ち上がった。
それに気付いた草蛇は埋めていた頭を持ち上げた。
「……もう、食えるものに碌なものは無い」
それは即ち。
「……食べますよ。碌じゃないものなら、まだまだあるんでしょう?」
「…………ああ」
死肉しかない、という事だった。
海獣は暫くの間、壁に耳を当てて外の音を感じた。誰も居ない事が分かると扉を塞いでいた本棚をどけ、脚から剣をするりと抜いた。それは、血に汚れた肉体とは対照的に、今でも輝きを保っていた。
数多の獣を斬り殺してきたというのに、その血の痕跡は一片たりともなく、刃毀れも、目を幾ら凝らそうが見当たらない。
扉の鍵は壊れていた。いや、きっと海獣が壊したのだろうと草蛇は思った。
ここは人間向けの部屋だった。
海獣が扉に前足を掛けると、ギィ、とこの部屋の豪華さには合わない音が響く。
「本棚で塞いでおけ」
そう呟くように小さく言うと、すぐに外に出て、扉を閉めた。
閉められた後も、草蛇は暫くの間じっと、その扉を見ていた。足音は、全く聞こえてこなかった。
信頼出来るもの同士が各々固まり、いつ壊れるか分からないこの沈没船の中で助けを待っている。
助けが来ると、それだけを信じ、生を繋いでいる。
神経を尖らせながら、海獣はゆっくりと歩いた。混乱は収まり、今はもう物音すら余り立たないとは言え、誰が襲ってくるとは分からない。
血の痕跡は至るところにあった。死体は、食べられない毒を持つような者を除くと全ていつの間にか電気によって焼き焦がされていた。
誰もが信じられなくなるような混乱の後でも、皆で生き残ろうと必死に足掻く者は居るらしい。
信用できなくとも、食料の問題は、とりあえずは問題が無さそうだ。
剣先で突き、そしてほんの僅かだけ切り取り口に含む。
……問題はない。本当に、本当のお人好しが居るらしい。
心の中で強く感謝を述べながら、海獣は一部を切り取り、取って帰った。
脇に焦げた肉を抱えながら、戻り歩く。
その目は、半ば虚ろになりながらもまだ、しっかりと芯を保っていた。
非常灯がぼんやりと今でも点いている。これも、お人好しが何かやっているのだろうか、と思う。電気というものに関して詳しくは全く知らないが、明かりというエネルギーを供給する為には何かしらが必要だとは思っていた。
混乱が収まってきた頃、この一画が助けが来るまでの間までに壊れるような要因を全て殺した後、海獣は部屋の一画に陣取った。殺した獣を引きずり込み、それを糧として外に神経を尖らせながらひっそりと時間を過ごした。
隣の部屋からは、侵入者を凍らせて殺し、食べ漁る声が聞こえた。
もう片方の部屋からは、虚ろな声と、それを必死に励ます声が聞こえた。
通路からは、自分を仇とし、血眼に探す者達の声が聞こえ、それは後でひっそりと殺した。
だから、食料に困る事はなかった。けれど、精神は削れていった。出来る限りまともでいる為に、極力何も考えないようにして、耳に入ってくる音だけを感じながら。
どうしてこんな事に、いつになったら助けは来るの、本当に助けは来るの、誰か助けて。弱気になる声が両方から聞こえてくる。
自分もそう思った。けれど、自分は、その弱音を口に出して吐く訳にはいかなかった。自分は、自分だけなのだから。孤独に弱音を吐いてしまったら、一気に崩れてしまう気がした。
けれど、この焼け焦げた肉からは、焼け焦がした誰かからは、皆が滅入っているこの中で、強い希望を感じた。
羨ましかった。
本棚で扉を開けられなくする事もせずにまた草蛇は、とぐろを巻いて頭を埋めていた。
混乱の中の後悔は、激しかった。
混乱の中、一番最初の一番大きい後悔は、何故、人の物になる事を選ばなかったのか、という事だった。この船には、救助用の道具は色々とあった。けれどそれは人間用の物が主だった。ましてや、巨大な肉体を持つ獣に対してのそれはそう多くはなかった。
人の物になれば、小さく便利な球体に肉体を、重さも鑑みずに納められる。人と共に脱出出来る。それを懇願すれば良かった、と思う。
プライドがそれを邪魔した。船が沈み始めるまでの僅かなその時間、自分も友も、それを躊躇してしまった。
そして植物の体を持つ自分にとって、海水は毒だった。沈みゆく船の船頭に出て、泳ぎながら助けを待つとかそういう事も出来なかった。
友は泳げる体を持っていたのに、自分の為に、沈む船に残った。それも、とても強い後悔だった。
追い出せば良かった。追い出せば良かった。
…………友は、死んだ。死体は確認していない、けれど多分死んだ。
あの海獣の手によって。
そして多分……。
海獣が戻ってきた。腕には焼け焦げた肉を抱え、そして本棚で扉を塞がなかった自分に対して、少し怒った。
多分……その理由は、自分を守る為。
―――
焼け焦げた肉が剣によって綺麗に二分され、付いた血と脂の汚れをベットのシーツで拭い、腕にそれは戻された。
「……ありがとうございます」
草蛇に分けられた量は、海獣の量よりやや多かった。
草蛇は少しだけ時間を置いた後、それに口をつけ、ごくりと飲み込んだ。
蛇は基本的に空腹には強い。しかし、助けを待つだけのこの状況で空腹まで襲ってきてしまえば、体は植物なのにこんな仄暗い海底に長時間閉じ込められてしまえば、それに強い事は余り関係がなかった。
草蛇は、襲い掛かる多重のストレスを、久々に満たされる喜びで自覚した。
胃酸が急激に分泌されていくのが分かる。涙が自ずと出てきた。
堪えようとしていた感情が、表に出ようとしてきた。起きた瞬間、自分の胸に刻んだ決意が、落ち着いた思考によって癒されていく。
海獣も静かに肉を食べていた。
その姿は、初めて目にした時から落ち着いていて。自分が起きた時も、混乱に陥ったこの船の中で誰かを殺している時も、まだ落ち着いていた船で見た時も、船に乗る前にその乗船する人の町で見かけた時も、獣だけの王国で見かけた時も、落ち着いていて。
過去の断片的な記憶は、この海獣を見ていた。
落ち着くに連れて、その海獣がどういう立場の者なのか、分かってきた。
分かってきてしまった。
草蛇は、尋ねた。
「…………貴方は、私達を陰から護衛していたのでしょう? 王国から出たその時から」
海獣は、そう、事実を言い当てられても、静かなままだった。
海獣は、あの瞬間、諦めたのだった。
二匹を両方、陰から守る事を。海獣自身ももう、限界だったのだ。幾ら兵士として鍛えられようとも。幾ら命令だと言えども。
こんな状況でも心の底から平然としていられる程、海獣は特別ではなかった。特別にはなれなかった。
「……ああ」
海獣は、静かなまま答えた。
「……そもそも、泳げる種族の貴方が、他に連れも居なさそうな貴方が、こんな場所に居る事自体おかしい事」
海獣はじっと、聞いた。
草蛇の話す推測は全て当たっていた。
混乱の中、淡々と邪魔者を殺す所を見たと。それは、友に恐怖を植え付ける為だったのではないか。深海でも泳げる友にその気を起こさせないようにする為だったのではないか。
私達が部屋に籠った時、その隣に居たのではないか。
食べ物を取りに行ったとき、都合のいい場所に新鮮な死体があったのも。
だから。だから……。でも、どうして……。
草蛇の口が、そこで止まる。
何から草蛇を助けたのか。
海獣は、口を開く。
「段々追い詰められていくあんた達の会話を、ずっと聞いてたよ」
その気になれば、皆を犠牲にして脱出出来るその友。
体は植物なのに、太陽の光を全く浴びる事が出来ずに心身共に消耗が激しい草蛇。
どちらも、身に受けるストレスは強かった。友は段々と、自分に当たるようになった。その度に謝り、そしてまた堪え切れなくなった様に自分に当たり。
草蛇の方に限界が先に来た。
だったら、もう出ちゃえば良いのに。
草蛇は、そう叫んだ。海獣は、その時、隣で立ち上がった。
友は固まった。友の躊躇いは、欲望に押し潰された。
草蛇の生きたいという欲求は、身に受けるストレスで押し潰された。
草蛇は、続けて、ぽつぽつと続けた。
でもね。出るなら、私を先に殺してね。溺れて、苦しんで死にたくないの。
友は、それを、承諾した。
海獣がその部屋の扉を壊したのと、その友が草蛇に冷気の光線をぶつけたのは、同時だった。
海獣はもう、陰から支えるという任務を続けられないと判断した。そして、出る欲求を抑えられなくなり、決意した目で友を凍らせたその世界一美しいと呼ばれる蛇と、たった今氷漬けにされた草蛇、その両方を助ける事は出来ないとも。
そして海獣は、自分の命も惜しかった。命を捨てる覚悟をしてまで任務を全うする、海獣はそんな特別では、なかった。
海獣は、その世界一美しい蛇の首を、斬り落とした。
「俺を恨むか?」
海獣は、聞いてきた。
草蛇は、今はもう、どうでも良いと答えた。
「でも……殺した姿を見ておきたい」
海獣は、暫し悩んだ後、草蛇の強い目を見て渋々と言ったように承諾した。
―――
海獣は音を立てずに歩く。後ろには、ずり、ずり、と時に血に湿った地面を這う草蛇。
殺意は、感じなかった。別の部屋へ引きずっていき、必死に介抱をし、そして目が覚めた時、草蛇が自分に僅かながら殺意が向けたのを、海獣は知っていた。
今は、感じなかった。
そう遠くはない、その部屋に辿り着くまでそう時間は掛からなかった。壊れている扉のすぐ近く。そこで海獣が後ろを振り向くと、通路にあった焼け焦げた一つの死体を草蛇は見ていた。
「誰が、焼き焦がしたのでしょうね」
「少なくとも、俺じゃない。俺は電気技なんて持っていない」
それは、弁明のようにも草蛇には聞こえた。
壊れた扉の先を海獣が先に見た。
その直後に、草蛇がその先を見た。
焼け焦げた、美しさなど完全に消えた、その世界一美しかった蛇の死体が、今は食料としてあった。
切り取られた跡が至る所にあった。
沈黙の時間が過ぎた。長い間。
草蛇は、聞いた。
「本当に、助けは来るのですか?」
海獣は言った。
「可能性は、かなり高い」
獣だけではなく、人も取り残された事。そして、この草蛇は、獣の王国の中でも、かなり位が高い家の出だった。もう一つ言えば、海獣が殺した美しい蛇も同じく。
「絶対、ではないのですね」
「……ああ」
それでも、絶対とは言い切れなかった。人との関係がそう多くない王国が、今どこまで知っているのか、海獣は知らなかった。人の命がどの位重いものなのかも、知らなかった。
その時、ずん、と船が揺れた。
海獣は驚き、咄嗟に抜いていた剣を地面に突き立て、足腰を踏ん張った。
そこに、草蛇はするすると絡みついた。
ギギ、ギギ、と音がする。それは助けが来たのか、それともこの船が壊れようとしているのか、分からなかった。
ちょろちょろと水が流れ出る音がした。それは、時間がそう経たない内に激しく襲い掛かるだろう。
海獣の心臓は、一気に強く音を立てた。ぎゅ、と肉体を締め付けられていた。その四肢を持たない生物の、四肢の全てを補う胴の筋肉は、海獣の抵抗を一切許さなかった。
「私……分かりません」
草蛇は、海獣の頭の隣で、弱弱しく言った。
「……何がだ」
「この先、助けられたとして、それからどう生きていけばいいのか」
「……何故」
「私はこんな事になってしまったのを、もうきっと一生後悔します。その後悔を背負ったまま、生きられる気がしないのです」
「……だから、ここで死のうと思うのか?」
「ええ」
草蛇は、限界に来ている、と海獣は再度思った。その限界は、自分が美しい蛇を殺した時のそれより一つ更に下だった。
肉を食べて少しだけ回復したところに、首を切り落とされ、そして焼き焦がされた死体を見せつけられ。持ち上げられたところに、突き落とされたのだ。突き落としたのは、自分だ。
「この振動は、助けが来たからかもしれない。目の前に手が差し伸べられていても、お前は死を選ぼうと思うのか?」
通路を走ってくる様々な獣や人間達。右往左往する中、海獣と草蛇は、固まったままだった。
「……貴方には、分からないでしょうね。私の今の気持ちが」
「……だろうな。俺には、お前の友ほどに親しかった存在なんてそもそも居なかった。俺の今までは、兵士として育て上げられ、そして今、陰からの護衛が失敗に終わろうとしているところだ。
哀れだよ、俺は。そしてお前も」
最後、海獣は吐き捨てるように言った。
ギィィィ、と、音がした。遠くから、助けが来たという喜びの声が聞こえた。
「……生き残ったとして、これからどうなるんでしょうね」
「お前は、俺よりかは良い生活が待っているだろうな。俺は、この良家のお嬢様達の片方しか救えなかった、片方は殺したなんて知られたら、多分、処刑されるんじゃねえかな。
その前に逃げなきゃいけねえ」
「……意外と、適当なのですね」
草蛇は、口調の変わりように少しばかり驚いていた。冷徹に障害を殺して回っていた姿とは、起きた時の物静かな姿とは、全く別だった。
遠くから、もう持たない、早くこっちへ、と叫ぶ声が聞こえる。
海獣は走りたかった。草蛇を振りほどいて逃げたかった。
海獣は、特別ではなかった。特別になるようメッキを塗られただけだった。教育によって完璧に塗られたと思われたメッキは、沈没という事故によって、削られ、剥がれていた。
草蛇は、言った。
「私は……どうしたら良いのでしょう」
海獣は、叫んだ。
「そんなの助かってから考えろ! 死んだら何もかもお終いなんだよ!」
「貴方は、私の友を殺したのに。貴方は、沢山の者達を殺してきたというのに。そんな事を言うのですか」
草蛇は冷酷に言った。
ばきばき、とどこかが強く音を立てた。振動が激しくなった。背後からガラスが割れる音がした。水が流れてくる音が強くなった。
海獣は、この草蛇をどう説得出来るか、幾ら考えても分からなかった。
「こんな暗闇で、死にたくない……」
海獣は、泣き出しそうな声で言った。
草蛇は、体をびく、と動かした。
「暗闇……」
力が緩んだ。
「そうだ、暗闇だ。ここで死んだら、真っ暗闇で誰に弔われる事すらないんだ」
「……それは、駄目です」
そういうと、草蛇は離れた。
海獣は、一度倒れ、それから起き上がり、草蛇を正面から見た。
「時間は無いぞ」
草蛇は、蔦を出して美しかった蛇の死体を引き寄せた。
道連れにまでされようとした海獣に、付き合う義理は無かった。けれど、先の事を考えて手伝った。
深海のどす黒い海水がすぐ後ろまで迫ってきている。急いで這い、急いで走った。
途中、人が見え、ボールを出された。
それが意味するところは分かった。ボールに入れば、後はもう何もしなくていいだろう。
草蛇は死体を抱えて、素直にボールに入る事を受け入れた。草蛇はボールに入り、そして海獣の方のボールは、真っ二つに切り裂かれた。
海獣はボールに入る訳にはいかなかった。このままボールに入ってしまえば、自分は王国戻るまで何も出来なくなるだろう。
草蛇のボールを手に取り、海獣は走った。
唖然とする人を傍目に、海獣は走った。人は、後から慌てるように付いてきた。
―――
水上へと出て、別の船へと移ったところで翼の音が聞こえた。
その方を振り向くと、王国の鳥が降りてきていた。巨躯の、鮮やかな色をした猛禽だ。猛禽は、その鋭い目で、海獣の持っているボールの中身を見た。
「……貴様が居てこの様か」
「……」
海獣は、虚ろな目で猛禽を見た。
何も答えずにいると、猛禽は、冷徹な声で答えた。
「罰を覚悟しておけ」
そう言って飛び立とうとした所に、海獣は剣を抜いた。
「もう沢山だ」
そう言って跳躍して高く振りかぶられたその剣は、余りにも唐突だった。
飛び上がった直後の猛禽はそれを眺めるしか出来ず、今は太陽の下で光輝くその刃は、さっくりと猛禽を二つに分けた。
そうすれば、もう何も言わず、動かなかった。
後ろで悲鳴が上がる。
「さて」
刃を地面に突き立て、二足でしっかりと立ち。
すっかり落ち着いた海獣は小さなボールの中に目を向けた。
「お嬢様。私の逃避行に付き合ってもらいましょう」
そして刃を引き抜き、血を払った。