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  [No.4083] 夏の終わりに 投稿者:イケズキ   投稿日:2018/09/09(Sun) 00:00:09   65clap [■この記事に拍手する] [Tweet]


 季節は次々過ぎ去っていく。このことは私の生まれる前から続き、死んだ後も変わらないことだろう。しかし、数多く繰り返される季節の中でも人生の中に一つや二つ、特別なものがあったりするものだ。そして私にとって今年の夏がまさしくそれであった。忘れることのないこの夏を今から記録していこうと思う。大切な、大切な、思い出だから。



その日は蝉のよく鳴く七月頭のことであった。照り付ける日差しが肌を焼くじゅうじゅうという音が聞こえてきそうな昼ころ。思えばあの時の私は暑さでどうにかしていたのかもしれない。私はいつものコインランドリーに洗濯物を入れ、待ち時間をぶらぶらと歩いていた。

 カナズミシティは、ここホウエン地方においては、一、二を争う大都市となる。その要因が私の職場でもあるデボンコーポレーションだ。主にポケモンとそのトレーナーに関わるグッズ開発を行いそれなりの成功を収めている。私がデボンに就職を決めた日、大喜びでほめてくれた両親の顔は今でもよく覚えている。将来安定、幸福な未来がきっと待っているとそう思っていたのだ。この私も。

 実際どうだったかというと、勤めだして二年、労働環境は良いし、先輩や上司にいびられたり、給料にそれほど悩まされるということもない(決して多いとは言えないが)。定期的に開かれる飲み会や合コンにも参加はしているがいまだ年齢イコール彼女いない歴のままだ。

 時折考えることがある。もしも就職を決める前の私が安定の道を避け、ポケモントレーナーになっていたらと。ポケモントレーナーとして成功できるのはわずかだ。長く苦しい修行の旅をつづけ、それでもうだつの上がらないまま終わっていく者は多い。しかしそれでも今の生活より刺激や楽しさのようなものがあったのかもしれない。

 コインランドリー近くの公園に着くと私はさっそくベンチへ向かっていった。ここのベンチには屋根がついておりちょうどいい日陰ができるのだ。私は太陽から逃げ込むように屋根の下のベンチに座り込むと買っておいた炭酸ジュースのペットボトルをぐいと開けた。五分の一ほどをムセそうになりながら飲み込む。この瞬間がたまらなく爽快だ。私はこみあげてくるガスを吐き出そうとちらっとあたりを見渡した。周りに人はいなかったが、思わぬ先客がいたことにここで初めて気づいた。ふぅと控えめにガスを吐き出し、先客のもとへ寄ってみた。

 テッカニンというポケモンは他のポケモンと比べても動きが速く、バトルでは高速で空中を飛び回り相手を翻弄すると聞いた。しかし今目の前で地べたに横たわっているポケモンはゆっくりとでさえ動けなさそうに見えた。死にかけているのだろう。
 近づく私に視線だけを向けている。
 そのテッカニンはもたれるように、あるいは抱きかかえるようにしてタマゴに寄り添っていた。興味の湧いた私はそのタマゴへ手を伸ばしてみた。

 ーージジジッー!

 鋭く大きな音を立て微動だに出来ないと思っていたテッカニンが威嚇した。とがった爪をこちらに向けている。

 このテッカニンはタマゴを守ろうとしているのだ。当然のことかもしれない。自分が今にも死にそうな中、野生のポケモンにのこされた使命はただ一つ、次の世代を確実につないでいくことだ。

 ところがその当たり前の行為が私にはなぜだかとても腹立たしく感じた。私は彼らに危害を加えるつもりなんてなかった。ただの興味本位でタマゴを手に取ってみようとしただけだ。ちょっと見せてもらった後にはちゃんと彼のもとへ戻すつもりだった。それをこの虫は気の狂った殺人鬼から子を守るようにして威嚇したのだ。

 私は伸ばした手を引っ込めると代わりに右足を大きく後ろへと引いた。

 ジージーと蝉のうるさい音がする。うだるような暑さが思考を止める。

 気付くと私は引き上げた足を私は振り下ろしていた。

 蝉の鳴き声が止んだ。


 ポケモントレーナーを生業にしない者がポケモンやそのタマゴを持つべきではない。これは私の家庭内での認識だった。専門のトレーナーで無いものがポケモンを持っても百パーセントの飼育ができないし、それではあまりに無責任だということだ。私自身も親の教育のおかげか心底同意している。にもかかわらず、私はあのテッカニンのタマゴを家に持ち帰っていた。時刻は夜の八時、日も暮れ、クーラーの効いた部屋はとても涼しかった。
 結果的にはこのタマゴの親を殺してしまったが、私が手を下さなくともあのテッカニンは間もなく死んでいたろう。そう自分に言い訳したかったが、どうしても責任を感じてしまう。親のいない子供の野生ポケモンはきっと長くは生きられないだろう。
 とりあえずタマゴの扱い方について調べることにした。ポケモンのタマゴは人間が育てる場合には常に持ち歩く必要があるらしい。とは言ってもこのタマゴ高さにして五百ミリのペットボトル一本分、重さはさらにずっしりとして感じた。とても持ち運べた物ではない。もう少し調べてみると、どうやらポケモンのタマゴはボールに収められるそうだ。それなら連れ歩きに支障は無い。
 私は早速近くのフレンドリショップで一番安かったモンスターボールを一つ買った。野生のポケモンに対しては適度に弱らせた上で、性能の良いボールを使い、それでもいくつか捕獲に失敗しボールを無駄にしてしまう(一度使ったボールは再利用できない)事もあると聞いた。今回一つしか買わなかったのは相手が動かないタマゴだというのもあるし、高いボールを余らせても他に使う予定がないしもったいないと思ったからだ。
 買ったばかりのボールはゴルフボールくらいの大きさで持ち運びに適したサイズとなっていた。赤と白の間にあるボタンを押すとサイズが野球ボールほどになる。この大きさにしてから使うのだ。
 野生のポケモンに対しては通常投げて捕獲するものだ。しかし今の相手はいかにも脆そうなタマゴで、投げつけて割ってしまってはいけない。どうしたものか、とりあえずボールをタマゴへ近づけてみた。
 ーーポンッ!
 近づけられたボールは吸い寄せられるようにしてタマゴのそばに浮き上がり、赤い光線をボタンの部分から発射した。次の瞬間にはタマゴはボールに吸い込まれていった。
 ベッドの上で動かなくなったボールを手に取ると、当たり前のことだが、タマゴの重さはなく元のボールそのものという感じがした。
 私はなんだか不安になりボールをベッドの上の低い所から落とすようにして投げてみた。ボールは落下せず再び赤い光線を発射しその先から先ほどのタマゴが現れた。どうやらタマゴの捕獲に成功したらしい。

 翌日からは常にボールを持ち運ぶ日々がつづいた。買い物にも、コインランドリーにも、会社にも持っていった。家に帰ると毎日ボールから出して状態を確認した。ボールのボタンを押して構えるとポンという音ともにベッドの上にタマゴは現れる。三日間は全く変化が無かった。私は何か扱いを間違えているのではないか気が気でなかった。何か音がしないか殻に耳を押し当ててみたり、何度もネットで情報をあさってみたりした。
 四日目くらいから少しずつ変化が出てきた。いつものように殻に耳を押し当ててみたところ微かではあるが殻を硬い爪のようなもので叩くコツコツという音が聞こえるのだ。初めてその音を聞いた時、私は安堵と喜びで思わずタマゴを床に取り落とすところであった。

 職場での私は基本的に残業をしない。してもせいぜい一時間、家から職場までが近く自転車で通勤しているから帰りが二十時を回ったことはない。これは一人のキャパシティを超えるような仕事量を回されることがない優良企業に勤めているからでもあるし、私自身が、良い仕事は計画性を持って行うべきと考えているからでもある。
 そんな私が夜八時半を回ろうかという時間にオフィスの椅子に座ってパソコンの画面とにらめ合っている。それもこれも十六時から上司に連れられた外回りが長引いたせいだ……と、言いたいところだがそれはやはり言い訳だろう。事前に分かっていた外回りなのだから、帰りが遅くなることを見越して仕事を前倒しておくべきだったのだ。残業は嫌だが、決まった仕事を終えずに帰宅するのはもっとすっきりしない。自らの失態にうんざりしながら作業を続けていた。
 進まない作業にイライラが募っていく。向こうの席から私を連れ出した上司が立ち上がり「お先に」と 肩をポンと叩かれた瞬間、思わず握っていたマウスを机に叩きつけてしまった。
「すいません、処理落ちが酷くて……はは」無理矢理笑顔を繕い何とかごまかす。
 上司の方は初め呆気に取られた様子であったが、「あまり根詰め過ぎないようにな」と一言残し去っていった。
 上司の背中が見えなくなるとふぅと大きくため息を吐いた。
 昔からの悪い癖だ。短気というか、感情が昂るとすぐにそれを爆発させようとしてしまう。
 昔は確かにそんな事無かったのに。
 仕事は中途半端に残ったままであったが私は見切りをつけ帰ることにした。その前に会社の休憩室で缶コーヒーを一本買いふと自分のこの難儀な性格について考えてみた。
 昔は何をされても決して感情を表に出さなかった。母親は私に「いつでもみんな仲良く」を徹底した。もっと昔には誰かと些細な事で喧嘩をしたがその都度私を「お前があと少し我慢すれば丸く収まったはずだ」と叱った。成長するにつれ母親の言うことが至極納得できた。誰かといさかいになるくらいなら、ちょっと我慢した方が問題はすんなり片付いたしストレスも少なく済むように思われた。
 ちびちびと飲んでいたつもりのコーヒーは、気がつくともう三分の一程度にまで減ってきていた。
 しかし「少ない」事は決してゼロとは違うのだと今思う。それどころか我慢の程度は年を経るにつれ膨らんでいたのだ。兄弟に玩具の順番を譲るかのように私は母親に人生の選択権を譲ってしまった……。私の中の決して大きくない器はどす黒い感情が水滴のように溜まり続けた結果、遂には一滴分の変化も許せなくなってしまったのだ。
 飲み終えた缶を少し握りつぶすとゴミ箱に入れ私は帰宅の途についた。

 タマゴを見つけてから六日目、とうとうその時はやって来た。その日は休みだったので朝からモンスターボールをポケットに入れ散歩がてらタマゴをつれ歩いていた。すると唐突にボールが不規則に震えだし、私は慌てて家へと帰りタマゴを取り出してみた。タマゴにはすでに五センチほどの亀裂が入っており、みるみる内に破片が飛び散り中からその主が姿を見せた。
 生まれたてのツチニンはパソコンで見た姿に比べあまりに弱弱しかった。しわくちゃの皮膚は薄っすら透き通っており簡単に破けてしまいそう。産毛のような細い足がもぞもぞと動きベッドのシーツを掻いている。野生のツチニンは生まれてすぐ土に潜って成長を待つと聞いた。
「初めまして、ツチニン。君の家はこっちだよ」拡大したボールを傍に置いてみた。
 すると言葉が通じたのかツチニンは動きを止めボールの方へ向かって首をもたげた。私はすぐに彼をボールにしまってしまうのが惜しくて、試しに事前に買っておいたポケモンフーズを皿によそいボールの隣に置いてみた。すると、恐る恐るといった様子で餌に近づき、次第に夢中になって食べ始めた。
 食事中のツチニンを見ているうち生まれて初めて感じる妙な気持ちに戸惑っていた。彼がこの上なく貴重で、かけがえなくて、なんだか守ってあげたい。これは親心というものなのだろうか。
 食事を終えるとほぼ間を置かずにツチニンは動かなくなった。少し焦ったが単に眠っているだけだった。私は彼をボールに戻しそっと机に置いた。親心と同時に別の不安が脳裏をよぎる。
 ーーもしこの子の本当の親を私が殺してしまったことを知ったらどう思うだろうか。

 ツチニンには「アザミ」と名付けた。命名を思い立ってから一晩悩んだが結局しっくり来るものが浮かばず、なんとなく私の好きな歌にでてくる菊の花の名をつけた。あとでアザミの花の写真を見たところいわゆる菊花とも、ましてやツチニンの印象ともあまりにかけ離れた、紫の、とげとげしい姿だと知って名前を付けなおそうかとも思ったが結局そのままにした。
 ーー花言葉は「独立、報復、厳格、触れないで」
 なんと寂しく、悲しい花だろう。花言葉と言ったら「永遠の愛」みたいな浮かれたセリフばかりでないのか。
 ーーでも……もし、この子が私のしてしまったことを知ったら……。
 私はやはりなんとなく、このまま彼をアザミと呼ぶことに決めた。

 私はアザミを積極的に外へ連れ出した。さすがに会社でボールから出すわけには行かなかったが、週末にはあのコインランドリー近くの公園や人の集まるショッピング街、カナズミジムへバトルの見学なんかにも連れ出した。ジム戦は特に彼の興味を引いたらしく、帰ってからもしばらく「ひっかく」や「かたくなる」の技を、空を相手に繰り出していた。小さな爪と真剣な目で(少なくとも私にはそう見えた)技の練習をする姿は凛々しいというよりかは、やはりどこか可愛らしさを感じさせた。
 そんなアザミの姿を見、私はなんだか彼とポケモンバトルをしてみたい気になっていた。バトルなんて一度も経験無いし、これまでしてみたいとも思った事無いが、もしアザミと心通わせながら勝負が出来たらとても楽しいだろうなと思ったのだ。
 七月最後の週末にポケモントレーナーがよく集まっている道路にやって来た。我々が来たときには既にいくつかのペアが路上バトルを繰り広げていた。この辺は初心者トレーナーが多く、戦っているポケモンもキャモメやポチエナなどレベルの低いのが多かった。
 トレーナー達を見渡しているうち、早速一人の少年と目があった。トレーナー同士のアイコンタクトはバトルの合図。何も言わず位置に着くとそれぞれのポケモンを繰り出したーー

 初路上バトルの結果は三勝二敗とまぁまぁであった。普段からポケモントグッズに携わる身であれば、年下の初心者トレーナーより多少分の良いところもある。
 手持ちはアザミ一匹なので戦闘不能になる度ポケモンセンターへと駆け込むことになったが、それでも、アザミも私もバトルへの意欲を削がれる事はなかった。それほどにポケモンバトルは楽しかったのだ。
 日が暮れて路上にもトレーナーが少なくなってきた頃ようやく我々は家路に着いた。へとへとの足取りでポケットの中のボールを握りしめ、この子と旅できたらどれだけ楽しかっただろうなんて考えていた。

 八月に入って最初の週末はジム戦の見学にアザミを連れてきていた。その日は虫タイプをエキスパートとする少年が苦手な岩タイプを克服すべくやって来ていた。彼の手持ちは奇しくもツチニンであった。
 アザミは自分と同じ種族のポケモンに興味津々といった様子だった。ジムトレーナーの手持ちはイシツブテ。相手は有利な相性であることを自覚しておりやや緊張感に欠けていたかもしれない。少年のツチニンが秘策として会得していた「どろかけ」をまともに食らい調子を乱されていた。泥かけは地面タイプの技であり、岩タイプのイシツブテには効果抜群である。とは言っても、泥かけはあまり威力の高い技では無い。加えてひ弱なツチニンの繰り出す技はそもそも決定打になりにくい。ジムトレーナーは動じない。
 しかし、少年はそれでもツチニンに対しヒットアンドアウェイで泥かけを命じ続けていた。試合も中盤に差し掛かり両者とも徐々に体力の減少が目立ってきたころでようやくジムトレーナーの方に焦りの色が見え始めた。イシツブテの攻撃がほとんどツチニンへ命中しないのだ。
 これこそが少年の狙いであった。泥かけは相手への攻撃手段である以上に、目眩ましとして有効なのだ。視界を泥によってほとんど塞がれてしまったイシツブテはとうとう自分の攻撃をツチニンに当てられず倒されてしまった。
 審判によりイシツブテの戦闘不能が宣言された瞬間、慎ましくも歓声と拍手が巻き起こった。思わぬ番狂わせに私も熱くなっていたし、誰よりアザミが大興奮の様子であった。アザミは爪でカチカチとギャラリーの床を踏み鳴らし今にもバトルフィールドのツチニンの元へ駆け出さんばかりであった。
 私はそんなアザミをよしよしとなんとか落ち着かせていた。今日のポケモンバトルをアザミに見せられて私もとても満足していた。この喜びようを見ていると自分まではしゃぎたくなってくるようだった。
 しかし、それも束の間ことであった。ジムトレーナーがもう一匹別のイシツブテを繰り出し、ツチニンの少年も控えのポケモンを繰り出したのだ。
 少年の控えのポケモンはテッカニンだった。ツチニンの進化形であり少年のエースといったところだろう。アザミはテッカニンを見た瞬間じっと固まり動かなくなってしまった。高速の動きで敵のイシツブテを翻弄する様はとても格好良かったはずだし、先ほどのツチニン戦にも負けない白熱した良い勝負だったのに、アザミはテッカニンを見つめたまま微動だにしなかった。
 虫ポケモン使いの少年は最後まで健闘し、最終的にはジムリーダーにも勝利して帰っていった。しかし、私はもうそれどころでは無かった。
 あれほど興奮して喜んでいたはずのアザミがまったくバトルに興味を示さなくなってしまったのだ。やはりあのテッカニンが原因だろう。家に帰り餌のポケモンフーズを出してもいつもの半分程度で残してしまった。それからはじっと私のベッドの上で休んでいる。起きているようだが声をかけても反応がない。
 ポケモンと人間がこれほど密接に関係を持ち、社会を構成しているというのに、今だ正確なコミュニケーションをとる手段はない。私は今この時ほど、その事実を腹立たしく感じたことはない。アザミが何を考えているかは分からない。いや、分からないことにしたいだけかもしれない。やはり自分の親のことを考えているのではないか、そんな気がしてしまう。本当にそうなのか、どうにか問いただしたい。もどかしい。
 ーーアザミの親はこの私なんだ。他の何者でも無い。そんなこと絶対に認めない。

 私はそれからジムへ行かなくなっていった。相変わらず時間を見つけてはアザミをあちこちへ連れ出していたが、ポケモントレーナーの集まるようなところは極力避けていた。しかし、アザミの方はジムが気になる様子で、カナズミジムの前を通る度、足を止めていた。ボールに入れたまま移動すればいいのだが、私は意地で連れ歩いていた。
 八月の長期休暇最後の日、私は隣町のシダケタウンへ遊びに行こうとしていた。途中またアザミがカナズミジムの前で動かなくなってしまった。その顔はいつもより頑固そうに私を見上げていた。
「今日はそっちには行かないよ。こっちへおいで」
 しかし何度呼び掛けて見てもアザミは頑として動かなかった。爪をブンブンと振り回して何かを訴えかけている。
「ワガママ言うんじゃない!」
 とうとう私は怒鳴ってしまった。それでもアザミはついてこない。
「この……」
 私は、アザミが言うことを聞かず、もしかしたら自分の出生について疑問を抱いていると思うと焦るとともに腹立たしく感じた。それはかつてこの子の本当の親へ向けたどす黒い感情の噴出に他ならなかった。
 私はアザミの元へつかつかと寄っていくと立ち止まった。もはや言葉が出てこない。右足が疼いている。この日も茹だるような陽気であった。
 あと少しでもう一つ罪を重ねるところであった。私を見上げるアザミの顔が見えた。私には彼の気持ちが分からない。同じくらいアザミも私の事を理解していないように思われた。突然黙りこんだ私を不思議そうに見上げているだけに見えた。
 私はモンスターボールを取り出すとアザミをしまい、そのまま家に帰ることにした。

 家に帰ると私はアザミを出し自分も腰かけた。アザミはベッドの上でキョトンとしている。
「アザミ、これから大事な話をしなきゃならない」
 正直、ポケモンであるアザミが私の話をどれだけ聞いてくれるか分からない。しかしアザミは私が話しかけると真っ直ぐにこちらを向いた。
「テッカニンはお前が成長した姿だ。きっともう気付いているんだろうな」
 私の中でまたあのどす黒い感情が溢れだしそうになるのを感じていた。アザミは私をひたと見据えて動かない。
「あぁ、そうだよ! お前の本当の親は俺じゃない。本当の親は俺が殺したんだ。でも、しょうがないだろ!? あいつは元から弱っていたし、俺のことを悪者のような、お前のことを傷つける悪い奴みたいに見てたんだ。俺はこれまでだってずっと、ずーっと我慢してきた。何で今さら死にかけの虫けらに止めを差すことすら咎められなくちゃいけないんだ!」
 思いを言葉にしたらなんと呆気ないことだろうか、私はあのテッカニンが、この子の本当の親が残りの力振り絞って爪を立てた殺人鬼そのものだった。
 私は自分自身の正体を思い知り顔も上げられず泣いていた。幼い子供のように声をあげて、床に額を擦りつけて。
 ーーごめんよ、本当にごめん。お前の大事な人うばってしまって。
 思いの丈を吐き出した後には罪悪感だけが残っていた。最も大切な者にとって、最も大切な者を私が殺してしまった。自分自身が許しがたかった。

 しばらくの後、やっと少し落ち着いて顔をあげるとアザミがいなくなっていた。網戸の角に空いていた穴が大きくなっている。
「アザミッ!!」
 アザミがどこかへ行ってしまった。事実を知ったアザミが私に幻滅て出ていってしまったのか。動揺する私は何とか気を落ち着けようと必死だった。
 ーー失う事なんていつもの事だ。我慢には慣れている、きっとすぐ平気になる。
 ところがいつまで経っても、どれだけ自分を慰めても気持ちは落ち着かなかった。喪失感に耐えられなくなるなんて初めての事だった。
 とうとう私は家を飛び出しアザミを探しに出た。

 とりあえず心当たりのある場所を手当たり次第に探し回った。手始めにカナズミジムを当たったがその日は閉館しておりそこにはいなかった。一緒に歩いたショッピング街にも、 トレーナーの集まる道路にもいなかった。
 他にいそうなところは……と考えた時ふと一つ忘れていた場所を思い出した。あのアザミのタマゴを初めて見つけた公園だ。
 公園に着くとざっと辺りを見渡してみた。
「アザミ! いないのか! 出てきてくれ、もう一度……」
 呼びかけても返事はない。草むらに隠れていたスバメが何羽か飛んで思わず駆け寄ったがそこにはもう何もなかった。
 次にもしやと思い例の屋根の着いた、いつものベンチの所へ駆けていった。
「アザミッ!」
 ベンチの囲いを覗きこんで息をきらしながら名前を呼んだ。しかし、そこに誰もいなかった。
 私は半ば絶望的な気分でベンチに腰掛けた。時刻は夕暮れ。日が暮れたらアザミを探すのはより難しくなるだろう。
 どうしてこんな事になってしまったのだろう。
 タマゴを拾った時は確かにもっと軽い気持ちだった。野生でも生きられるくらい育てば逃がすくらいのつもりだった。それがいつしかこんなにも欠けがえなく、何もかも我慢してきたつもりの私が居てもられなくなるほど欲している。アザミともう一緒に遊びに行ったり、ご飯を貰って、頭を撫でられて、ポケモンバトルに勝って喜ぶ姿が見れないと思うと胸の奥底をぎゅっとつねられるみたいに、痛い。
 アザミとのことを思い出し、私はまた泣いていた。うつむいて下唇を噛み締めていた。暮れ時の夏蝉が鳴いている。まるで全てが終わっていくみたいだ。
 蝉の鳴き声は私の頭の中でどんどん大きくなっていった。どんどん、どんどんーー。
 はっとなり、顔を上げると音の正体が目の前にいた。
「アザミ……?」
 戸惑いながら声をかけてみた。それはアザミの姿が記憶と違ったものだったからだ。
 アザミはテッカニンへと進化していた。虫ポケモンの成長は早いと聞くが、それにしてまるきり姿の違う彼を見てなぜアザミと分かったか、勘というか、そう思いたかったのかもしれない。ただ、そう分かったのだ。
「ごめん! 本当に、どうしたって許されないことだって分かってる。でも、やっぱり、お前がいなくなるのは耐えられない……」
 どうにかアザミを止めておきたくて、許してもらいたくて必死に頭を下げた。次の瞬間ーー
 ーー痛っ!
 頭に鋭いものが突き刺さる感じがして思わずひるんだ。しかし私はそれでも顔を上げなかった。このままアザミに傷つけられたってかまわない。それで許してもらえるなら。
 ところが爪で傷つけられることは無かった。その代わり頭上にアザミがとまったまま大きな音で鳴き始めた。その音はどんどん大きくなり私はたまらず頭上にアザミに手を伸ばした。
 私が降ろそうとすると意外にもあっさり爪の力を緩め、鳴き声もぴたりと止んだ。
 どういう事か分からずアザミをこちらへ向けると右の爪に何か引っかかっているのに気付いた。
 紫の、とげとげしい姿のそれは一輪の”アザミの花“であった。こちらを見るアザミはしおらしく羽をたたみ、首をかしげている。
「これを探していたのか……?」
 問いかけるが答えは無い。はっきりした事は何一つないがどうやら私は大きな勘違いをしていたみたいだ。アザミは決して私に幻滅し出て行ったわけではないのだ。
 アザミの花を受け取ると私はそっと手の平でくるむように握った。ちくちくとトゲが肌に食い込むが、嫌な感じは不思議としなかった。
「いっしょに帰ろうか、アザミ」
 声をかけるとアザミはこくりと首を傾けた。

 アザミの花の悲しい花言葉は花や葉のとげとげしい姿に由来するという。触れれば痛いその花は周囲に人を寄せつけない、孤独な花だ。しかしこんな逸話もある。敵国の兵士が侵入しようとした際にアザミの花を踏みつけ、痛みのあまり声を上げたことで自国の兵士が夜襲に気付き見事国を守ったと。そしてその国では今でもアザミが国花として尊崇されているという。
 ポケモンと意思疎通の手段が無い以上、なぜあの時アザミが、”アザミの花“を私に持ってきてくれたかは知れない。希望的な考えだが、落ち込んだり、怒ったり、泣いたりする私をアザミが慰めてくれたのだと思っている。私がむやみに突き出した感情のトゲをこの子が全て受け止めてくれたのだと。
 これまで私の感情のトゲはアザミの花のように周囲を傷つけてきた。時には全く罪のない者にさえ。
 正直今でも自分をどこまで律せるのか自信は無い。しかし、今、私のそばには受け止めてくれる者がいる。それだけで感情の器に少し余裕ができた気がした。

 最後に、この記録の締めを漠然と考えていた。開いたノートの隣に置いたモンスターボールを指先で転がしながら、菊の花を浮かべたグラスをぼんやり眺めていた。
 今日は九月九日、あまり聞き馴染みないが、実は七草や桃と並ぶ菊の節句である。夏が終わり、次の季節がやってくる。目をつむってみるとあの、タマゴを見つけた日の映像が瞼の裏に浮かんだ。菊酒と夕日がもたらす酔いがらしくもない言葉を最後に残した。

(青空に残した心蝉の声)

 部屋の中を一陣、風あざみ過ぎていった。



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二年前の企画のお題で途中まで書いていたのをずっとちまちま書き続けようやく完成しました
主人公の好きな曲とは井上陽水の「少年時代」です。夏の終わりといったらこの曲ですね

夏の終わりに (画像サイズ: 816×612 112kB)