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  [No.4090] 種蒔く者達(ポケモンストーリーコンテストカーニバル A部門未投稿作品並びにポケモン小説wiki仮面小説大会参加作品) 投稿者:クーウィ   投稿日:2018/10/15(Mon) 01:55:36   246clap [■この記事に拍手する] [Tweet]

 薄暗い空が下りて来たように、山道を霧が覆っていた。崖際の小径は果てもなく続き、落ち込んだ霧に埋め立てられた谷底は、レントラーですら見透かせぬほどに険しく深い。
 時折カラカラと足音立てて、石の欠片が駆け下っていく。奈落の底まで大分あるのだろう。ずっと耳を澄ませていても、旅の終わりを察する事は叶わなかった。気流にあおられ濃霧に切れ目が生じた時には、剥き出しの岩肌が連なる先に、ヒトツキのような峰々が透けた。
「キリタッタ山脈とはよく言ったもんだよね」
 靄の中へと連れ戻され、歩くにも飽いた小柄な影が、無邪気な声で呼び掛ける。黙々と前を行く相棒と違い、好奇心に目隠しされてうずうずしている彼の手には、先程拾った石くれが三つ。己の特性を持て余しつつも、持てる機会はきっちりと生かす。旅慣れた冒険者達にとって、物資不足は最も身近な課題であった。
 一方先に立つポケモンの方は、そんな彼にも殆ど構ってくれはしない。「そうだね」と等閑に応じるだけで、欠片ほども警戒心を手放そうとせぬ親友の様子に、大きな尻尾のパートナーは気を悪くした風もなく言葉を続ける。――彼がそうやって己の姿勢を崩さぬからこそ、後ろの自分は好きなペースで旅を楽しむ余裕があるのだ。
「もう少し行ったら休憩にしよ。尻尾が濡れて重くなっちゃった」
「此処はダンジョンだよ」
 にべもない返事に含まれた意に、彼は密かに苦笑いする。コンビを組んで早数年、既に互いの会話に含まれるのは、言葉通りの意味だけではない。休息にかこつけ、道具袋の中身に手を伸ばそうと言う彼の目論見は、ヒト一倍敏いパートナーには御見通しなのだ。じっとり湿った自慢の尻尾を一振りすると、彼は変わらぬ歩調の後ろ姿に追い付くべく、トトトッと四つ足で距離を詰めた。
 そっけない返答とは裏腹に、追い付かれたポケモンはペースを緩め、後ろの相棒が身繕い出来るよう図らってやる。――どうせこの状況では、接敵の機会はそう多くはない。こうしたダンジョンで最も警戒せねばならないのは飛行タイプのポケモン達だが、彼らは視界不良を極端に嫌う。一部の例外はあるにせよ、このダンジョンにその手の種族が棲息するとは限らなかった。
 体長の半分以上を占める巨大な尻尾を背に乗せて、器用に水気を切っていくパートナーに合わせつつ。他方で彼は気を抜く事無く、周囲の状況を探り続ける。持って生まれた種族の強みを生かしつつ、足元の罠にも気を配る用心深さは、そのまま彼自身が辿って来た長い道程を暗示している。無理に意識を集中せずとも、ある程度の索敵範囲はカバー出来る。この濃霧の中ならば、二十歩先が見極められれば十分だった。
 霧の向こうで声がしたのは、それから直ぐの事だった。前を行く側がピタリと止まって身構える一方、後ろに続く彼の方は、ちょろちょろ身軽に前に出て行く。
「……此処はダンジョンなんだけどね」
 呑気な揶揄も意に介さず。早くも頭の房を揺らめかせ始める青い狗人の傍らで、尻尾を持て余していた彼の方も、二足の姿勢で立ち上がった。電気袋にエネルギーを溜め、拾った道具を反芻しているその耳に、次なる徴(しるし)が飛び込んで来る。
「誰か……、誰か助けて!」
 耳朶を打った悲痛な叫びに、隣の相棒がサッと駆け出す。躊躇いもなく地を蹴って、霧の奥へと身を躍らせるその姿に頼もしいものを覚えつつ。取り残された彼の方は、はてどうするかと首を傾げる。同じ様に飛び出した所で、足を踏み外し真っ逆様では堪らない。「あ〜れ〜☆」などと呑気な声を張り上げた所で、忙しい友の足手纏いになるだけであった。
 こういう時は動かぬに限る。そう理解している賢明な彼は、じたばたするのをきっぱり諦め、おもむろにトレジャーバッグに手を伸ばした。

 崖際の小道は逃げるに難く、襲撃者には格好の地形であった。霧に覆われ視界は利かず、利用出来る樹木の一本もない。元々森に住む種族である彼女にとり、剥き出しの岸壁が続くだけのこの場所は、余りにも都合が悪過ぎた。
 身軽さを生かせぬ彼女の焦慮とは対照的に、翼は愚か足すら持たぬ対戦相手は、この環境に何の制約も感じてはいない。浮遊するのは種族の特色、弱り始めた生命の灯はこの上もなく魅力的で、霧の奥でも見落としはしない。タイプ相性も一方的で、縮こまっている無力な森トカゲなど、獲物以外の何者でもないのである。
 思わず発した彼女の懇願を吹き散らすように、紫紺の風船が風を生み出す。吹き飛ばすには足りないものの、渦巻く風は体力を削り、既に疲弊していた彼女の身体を、容赦無く地に叩き付ける。特性による第二撃が無力な獲物に襲い掛かり、尖った岩肌に痩せた背中を叩き付けると、最早相手に起き上がるだけの余力はなかった。
 動けぬキモリにゆらりと近付くフワンテは、相手の首に腕を絡めて、そのままじわりと締め付け始める。絞め殺すまでに至らずとも、意識を混濁させれば十分であった。抗う意志さえ消してしまえば、魂魄を抜いて奪い去るのはそう難しい事ではない。
 弱々しく呻く獲物の様子に気を取られていた簒奪者が、打ちのめされたのはその直後だった。突如飛来したゴローンの石が横っ面に炸裂し、紫色の小風船は「ぺゃ!?」と潰れた悲鳴を上げて、地面にべシャリと墜落する。そのまま彼女は浮き上がる暇も与えられずに、強烈な一撃を叩き込まれて沈黙した。衝撃と共に弾けた冷気は周囲の霧を巻き込んで、風船ポケモンの全身を霜と氷柱で覆い尽くす。――再び動けるようになるまでは、相応の時がかかるだろう。
 一方救われたキモリの方は、何が起きたか理解し切れていなかった。不意に呼吸が楽になり、咳き込みながらも視野が広がり始めた矢先、何かがフワンテに飛び掛かって、強い冷気が頬を打った。
 凍り付いた風船の脇に立っていたのは、蒼い毛並みの見慣れぬポケモン。二足の体形は彼女とよく似ていたが、背丈は幾分か勝っており、赤い瞳は余韻を残し鋭い光を湛えている。捕食者のように迷いなく、有無を言わさず敵を仕留めたその様は、無力な彼女を震え上がらせるのに十分だった。
 けれどもその恐怖心も、長続きはしなかった。吐息と共に険を収め、此方に向けられたその表情は、敵愾心とは全く無縁で思いやりに満ちていた。
「大丈夫?」
「怪我はない?」と続ける相手に何とか頷いて見せた彼女は、次いで立ち上がろうとした所で、自分の負ったダメージを悟る。眩暈と共にくずおれる彼女をパッと支えたそのポケモンは、見た目に合わぬ腕力で軽々とキモリを抱き上げると、肩に乗せて歩き出した。
「少し我慢して。仲間と合流してから手当てする」
 少々驚きはしたものの、漸く助かったと言う実感が込み上げて来る中。彼女がふと目にしたものは、命の恩人が駆け付けて来たその先に口を開けている、足場一つない谷底だった。

 谷を迂回し元の位置まで戻って来ると、退屈していたパートナーが明るい笑顔で出迎えた。運ばれて来た客の容体を慮る事もなく、既に委細を読み取っている小柄なサポート担当は、からかい口調で友を突っつく。
「せめて抱えて運べば良いのに。それじゃレディに失礼だよ」
「両手を塞ぐのは感心しない」
 つっけんどんに返しながらも、均した地面にそっと怪我人を横たえているリオルに対し。「はいはい、ダンジョンだもんね」と応じた彼は、トレジャーバッグから青い木の実を探して寄越す。火傷に卓効がある事で知られるそれを、波紋ポケモンは静かに掌に包み込み、そのまますっと目を閉じた。
 ややもして淡い光が生まれ、仄かな輝きが徐々に色付き始めた所で、彼はゆっくりと目を見開き、若草色に輝いている自分の利き手を、キモリの身体にそっとあてがう。幾度も目にしたその手順を飽きず見守るパチリスの前で、波紋ポケモンが小さな矢声と共に、練り上げたエネルギーを解放した。

 ダンジョンを無事抜け切った頃には、キモリの体力はほぼ完全に回復していた。背中がまだ若干疼くものの、木の実では到底補い切れぬほどのダメージが綺麗さっぱり消えた事に、彼女はただただ驚かされるばかりであった。
「生命力を直接送り込んだから。治癒に頼るよりは早いよ」
 治療してくれたリオル――ルイン本人の言葉によると、『自然の恵み』と呼ばれる技を応用したものであるらしい。自然の恵みは木の実に宿る自然エネルギーを借り受けて放つ特殊な技で、木の実の種類によって自在にタイプを変えられる半面、高度な感覚や感受性を必要とし、使い手の向き不向きがはっきり分かれる技でもある。優れた使い手であるルインは、本来ならば攻撃に使うエネルギーを自身の波動と共鳴させ、生命力に置き換えた上ではっけいを通じ、相手に直接打ち込む事が出来るのだと言う。チーゴの実は草タイプのエネルギーを引き出せる為、彼女のような種族にはうってつけであるらしい。
「ボクは身体が凝って来たらお願いしてるよ! ……滅多にやってくれないけどね」
 そんなリオルのパートナー、パチリスのパッキィが残念そうに告白すると、生真面目な性質の波紋ポケモンは渋面になって首を振る。
「やらされる方の身にもなって欲しい。そんな用途で使う為に工夫した訳じゃないし」
「硬い事なんて言わない言わない! それに理由はどうあれ、経験にはなるじゃない。我が身を差し出し友の成長を助けようと言うオヤゴコロだよっ!」
「君の子供にはなりたくないかな……」 
 屈託のないやり取りに、彼女も覚えず笑みが零れる。まだ自己紹介が終わった程度の間であったが、既に堅苦しさは残っていない。何処か頑なで張り詰めた所のあるルインにとって、一見正反対とも見えるパッキィの明るさは、傍で感じられる以上に大きな存在なのだろう。
 しかしそんな明るい気分も、故郷に通じる最後の分かれ道に差し掛かると、急速に萎んでいった。テンケイ山に続く丘陵地を横切った辺りから、キモリのエレは足取りがどんどん重くなっていくのを感じていた。
「やっぱり戻りたくない?」
 一転して心配げな表情を浮かべるパチリスに「大丈夫」とは答えたものの、この先待ち受ける厄介事を考えると、気持ちの切り替えは出来そうにない。書き置き一つで飛び出した身が、翌日笑顔で帰るなど土台無理な話であった。
「どうやら着いたみたいだ」
 更に歩き続けた所で、リオルのルインがポツリと呟く。無論彼女にも分かっていたが、残るパチリスは全く実感が湧かないまま、きょろきょろと周りを見渡して言う。
「真っ白で何も見えないよ」
「確かにね」と頷くリオルが首を廻らせ、彼女に向けて質問する。何時もこんな有様なのかと言う問いに、エレはこくりと頷いた後、三年ほど前から霧が立ち込めるようになって、特にここ数ヵ月は殆ど晴れていないのだと説明する。
「最近は霧が掛かってない方が珍しいの。以前はそうでもなかったんだけど、今じゃ日本晴れでも長続きしないくらい。村のみんなも困ってる」
 驚く両者にことわりを入れ、彼女は先に立って歩き始める。村の住人として、客人を案内するのは礼儀であった。
「なんでだろう。霧の大陸じゃあるまいし」
「ボクはやだなぁ……漏電するし。木の実も育たないだろうし、終いには病気になっちゃうよ」
 首を傾げる二匹を伴い、彼女は濃霧の中を迷う様子もなく進んでいく。やがてぽっかりと浮かび上がったのは、固めた土で建てられた素朴な造りの家であった。
 エレは少しの間躊躇したものの、直ぐに意を決して扉を開ける。途端に、中から出て来ようとしていた大柄なポケモンと鉢合わせした。
「エレ!? 戻って来たのか!」
 安堵の色も束の間、「一体どう言う事だ」と声を荒げるドダイトスに対し、彼女は小声でごめんなさいと謝って、俯き気味に視線を落とす。尚も続けようとする大陸ポケモンだったが、彼女の背後に見慣れぬポケモンが並んでいるのに気が付くと、不審な表情で口籠る。
「この方達は?」
「助けて貰ったの……。キリタッタ山脈で」
「キリタッタ山脈!? 独りであんな所まで行ったのか!? あの辺りは霧が出始める前から危険で、村の者も必ず山越えの際は連れだって行くと知ってる筈だろう。……こっちは何処を探してもいないから、鉱山の連中に攫われたんじゃないかと大騒ぎしてたんだぞ」
 黙ったままのキモリにこれ以上灸を据えても仕方がないと思ったらしく、ドダイトスは客人の方に意識を戻し、努めて平静な声音で礼を言う。
「エレを助けて頂いて、本当に有難う御座います。山越えでお疲れでしょうし、宜しければ今夜は当家にてお休み下さい。御礼と言っても大した事は出来ませんが、せめてお食事ぐらいは。……御挨拶が遅れましたな。私、この村の纏め役をさせて頂いておりますトルトと申します」
「いえ……。では、折角ですし御厄介になります。僕はルイン、隣の彼はパッキィで、ふたりで探検隊として活動しています」
 手短に名乗りを済ませ、軽く礼を返すリオルに合わせて、パチリスの方もペコリと頭を下げて挨拶する。続いて幾らも経たぬ内に顔を上げた彼は、遥かに大柄な樹木亀に気圧される様子もなく、何時もと変わらぬ明るい口調で質問した。
「ところでトルトさん、この村にパブやカフェみたいなのはありますか?」
「パブ、ですか……」
 唐突な質問に面食らったように、トルトが微かに首を傾げる。どちらかと言うと対象が該当するのかどうかを思案していたらしい彼は、直ぐに頷くと答えを返す。
「パブと言うほどでもありませんが、それでしたら村の休憩所が東にあります。ヤナップのナト達三匹の兄弟が管理しておりますので、御利用頂けるよう声を掛けておきます」
「お願いします!」
 笑顔で応えるパチリスに何かあるのか、ルインが一瞬ジト目を向ける。他方のエレは一切口には出せないものの、小言で夜を明かす何時もの展開を免れた事に、そっと安堵の息を吐いたのである。

 翌日の昼下がり。ふら付きながら戻って来たパッキィを、ルインはしでかしたなと言う表情で、一方のエレは心配顔で出迎えた。朝一番で飛び出して、そのまま昼食の席にすら顔を出さなかった親友に対し、堅物の相棒は開口一番小言を垂れる。
「あのね、招待受けてるんだよ僕らは。なのにそれをほったらかして今頃呆けて戻って来るって、流石にどうかと思うんだけど?」
 眉間に皴を寄せて意見するパートナーに対し、明らかに顔色のすぐれぬ白リスは、それでもウフフと笑って応じる。
「ちゃんとお構いなくって伝えたでしょ? それにきちんと、誰にも迷惑が掛からないようにやってるし。……昨日も置いてかれた時点でやろうかなと思ったけど、それどころじゃないよねって思い止まった訳だし。石が飛んで来てたでしょ」
「はいはい、君の道義心に感謝します」
 仏頂面で溜息を吐く波紋ポケモンを横目で見つつ。未だ概要が掴めぬエレは、パチリスに向けて問いかけてみる。
「大丈夫、パッキィ? 酔い覚ましに何か要る?」
「いや、平気。寧ろ、これがすごく具合良いんだよ」
 にへらと笑うその様子に、彼女は思わず後ずさる。まだこの手の症状に触れた事の無いエレにとり、パッキィのあやふやな笑みと視線は、かなり不気味なものがあった。トリップ状態のパチリスに代わり、傍らの相棒が説明を添える。
「彼には変な趣向があってね……。邪悪なタネが好物なんだ。食べると気力が奪われて、身体の負担が大きくなるとても厄介なタネなんだけど、パッキィはどうやらその症状が気に入ったみたいで」
「嗜好品になっちゃってる」と首を振ったリオルに対し、漸く多幸感も薄れ始めたパチリスが、重い尻尾を持ち上げながら抗弁する。
「お酒よりは良いでしょ? 酔って暴れる訳でもないし」
「そうかも知れないけど、時々ダンジョンでも食べてるだろ。その間君を守るのは僕の仕事になるんだけど」
「何時も援護してあげてるじゃない」と混ぜっ返すパチリスに、結局ルインが先に折れた。諦めの仕草と共に切り上げた彼は、続いて不意に目付きを戻すと、低い声で話題を変える。
「……で? 向こうはどうだったの。何か成果は?」
 リオルが切り替えた途端に、パチリスの方も気だるげな顔付きを改め、不敵な光を目の奥に宿す。ほんの僅かな間にベテラン探検家としての表情を取り戻した両者の様子に、エレは思わず息を呑んで、彼らのやり取りに耳を傾ける。
「あったさ。抜かりは無いよ」
 何時もの無邪気な明るさとはやや異なる、自信に満ちた表情で。パッキィは自ら探り知り得たものを、鋭敏なパートナーと共有していく。歩んだ道は違えども、持ち得るものや互いの手管を知り尽くしている両者には、細かい指示や念押しはとうに不要となっている。
「向こうでも認識はほぼ一緒。炭鉱で働いてるポケモン達が犯人で、自分達を追い出そうとしてるに違いないってさ」
 昨晩夕食の席に連なった時、彼らは村長に当たるトルトから、炭鉱のポケモン達について様々な憶測を聞かされていた。なんでもここ数ヵ月の間、村では事故や嫌がらせ、小規模な襲撃事件が相次いでおり、以前から疎遠だった鉱山開発に来ているポケモン達との関係が、悪化する一方なのだと言う。この村は元々キリタッタ山脈の向こう側からやって来た開拓団によって拓かれた場所で、入植して直ぐ世界的な大災厄が始まったと言うのもあり、ごく最近までは息を潜めるようにして過ごして来たとの事だった。
「村長の言う通り、霧が出始めたのは三年前。問題が起き始めたのは霧が酷くなって来た時期とほぼ一緒で、それまでは鉱山のグループとは特にいざこざも無かったらしいよ。休憩所にもお客として顔を出すポケモンがいたらしいし、物々交換をする事もあったって話。何時からか誰も顔を見せなくなって、同時に色んな問題が起きるようになったと」
「襲撃は全部霧の中。目撃者もはっきりしない?」
「ビンゴ! 言っても他に該当する様なポケモンはいないし、同時に何箇所も襲われたりで疑う相手が他に居ないって感じだね。野生のポケモンなら組織立って動く事は無いし。実際鉱山側のポケモンに文句を言いに行ったら、あからさまに敵意を向けられて冷静に話し合うなんて到底出来たもんじゃなかったってさ」
 二匹の会話を追い掛けつつ、エレは村に戻って来た事を、否応無しに実感する。立ち込める霧と、不気味な夜。果て無く続く疑心暗鬼にも疲れ、勇を奮って飛び出した先に待っていたのは、自力で道を切り開く事も叶わない、自身の無力と浅はかさだけであった。リオルの声音が思案の色を濃くする中、彼女は彼らの抱いたらしい思惑が、何らかの実を結ぶよう願わずにはいられなかった。
「三年前と言えば、ダークマターとの戦いが終わってまだ間も無い頃だ。……となると、丁度その頃この村も活動を再開した事になる。まさかとは思うけど……」
「もしそうならボクの手には負えないよ。君は兎も角さ……」
『ダークマター』と聞き、エレは思わず頭を上げて、彼らの顔を凝視する。縋るようなその目には、紛れも無い恐怖の色が張り付いていた。
 そんなキモリを落ち付かせるべく、ルインが宥めるような口調で続ける。
「大丈夫。もしダークマターが関わってれば、ちゃんとそれなりの波動を感じる筈だから。この村にはまだそんな禍々しい気配は無いよ」
「なんでそんな事が分かるの……?」
 震え声で訪ねる彼女に、パッキィが努めて明るく答えを返す。
「ルインは戦った事があるんだよ。……あんな時でも、逃げずに立ち向かえたくらい強かったって事。だから大丈夫。もし何かあっても、きっと何とかしてくれるから!」
 思わず目を見張ったエレに対し、当事者のリオルは苦笑いしつつ、「誇大広告も考えものだよ」と釘を刺す。――村全体が息を潜めるように縮こまっていた当時の空気を思い返してみても、あんな中で戦っているポケモンがいたとは到底考えられなかった。彼女は勿論力自慢の大人達だって、言い伝えでしか耳した事も無いようなポケモン達がきっと何とかしてくれるだろうと、日々祈る事しか出来なかったのである。確かにルインは強かったが、どう贔屓目に見ても迫力はトルトの方が上であり、歳も彼女と同じぐらいだと言う事で、説得力に欠けるのは否めない。
 そんな彼女の心の動きも、ちゃんと御見通しなのだろう。ルインは虚勢を張る事も無く、小さく一つ頷いて、彼女にただ一つだけ誓いを立てる。
「何が起きてるかはまだ分からない。……でも、これだけは約束するよ。この件にケリを付けるまでは、僕らは絶対この村を離れない」

 その夜。床に就いた親友が夢路を辿っている最中、ルインは独り家屋の陰に身を置いて、静かに目を閉じていた。
 不寝番では、無い。元より来るか分からぬ犯人を当てに、翌日へ負担を持ち越すと言うのは、余り賢いやり方ではない。かと言って、気持ち良く眠っているパートナーの傍に転がっていても、反応が遅れ捕捉出来ない公算が強い。
 野外で立ったまま眠るのは、そうした様々な懸案に対する、彼なりの回答であった。厳しい修練を積んで来た彼にとって、警戒を解かずに仮眠する事はそこまで難しい芸当ではない。彼はその気になれば――パッキィから言わせれば、まるでワーカーホリックの末期症状であったが――歩きながらでも眠りに就く事が可能であった。
 一寸先も見えない闇に、違和感を覚えたのは何時だったのか。不意に覚醒したルインが、濃霧の奥に感じた揺らぎを捉えようとした刹那、突然深夜の静寂を引き裂いて、激しい破壊音が木霊した。立ち込める霧に呑まれながらもはっきり届いたそれに続き、家主と思しき悲鳴が響き渡って、寝静まってた村の住人を叩き起こす。
 てんでに外に走り出し、状況を確認しようと声を掛け合う村民達の喧騒を余所に、ルインは村の南に広がる池の畔で、黙然と独り佇んでいた。――予期せぬ追跡者に狼狽し、忽然と足取りを消した何者かの痕跡に、射るような視線を注ぎ掛けながら。

 明けて三日目の朝。村外れにある丘の上で、エレはルインを相手取って、戦いの心得を学んでいた。
 何時かは自力で村を出て、広い世界に旅立ちたい。そんな願いを改めて披露した彼女は、その為に必要な知識や技能を教授して貰えるよう、彼ら二匹に頼んだのである。
「空いた時間があれば」と躊躇いがちに切り出した彼女の依頼に対し、気忙しい夜を過ごした筈のリオルはすぐさま快諾すると同時に、即座にそれを実行に移した。案内されたこの場所で、「先ずは力量を見せて欲しい」と要請した波紋ポケモンは、意を決して掛かっていったキモリを苦も無くあしらった後、動きや技を繰り出す呼吸を、一から丁寧に教え始める。
 踏み出す時の姿勢や力を入れるタイミング一つで、技の威力は大きく変わる。また身軽な動きを褒められた彼女だったが、その敏捷さ故に相手の動きを読み取ろうとする意識や能力に欠けているとも指摘された。ルインの勧めに従い、エレは彼の繰り出して来る様々な技を捌きつつ、反撃する練習を重ねた。常に重心を保ちつつ、どんな時でも身を躱せる自信が持てれば、戦いの場でも驚くほど冷静でいられるものだと彼は言う。
 動きの修練と共に、技の習得も試みる。彼女の身のこなしに着目したルインが、最初に勧めてくれたのがツバメ返し、次いでアクロバットだった。どちらも動きの精度と速さが要求される技であり、身軽な彼女の特質にぴったりの大技だった。
 ある程度型が出来て来ると、次いで彼女は自ら願って、自然の恵みの取得にチャレンジする。
「この技はポケモンによって相性の良い木の実が違うんだ。繊細で気難しくて、事によっては全く使えない場合も珍しくない」
 ルインが渡してくれる様々な木の実やタネを取り替えつつ。エレは教えられた通り呼吸を整え、物言わぬ果実や種子に語り掛ける。――本来は自らが大を成す為に蓄えているエネルギー、天地の恵みを部分的にとは言え引き出し借り受けるその行為は、予めそう聞かされていたとは言え、想像以上に難しい。呼び掛けに応えてくれる木の実が見つからぬまま、エレはたっぷり一時間、成果の上がらぬ試みを続けた。
「三つ以上の力を引き出せたら、もう立派な達人だよ。僕も昔は全然駄目だったから」
 ルインの気遣いが幾分の慰めにはなったものの、結局試した木の実は全部駄目であった。落胆するエレにリオルは少し思案した後、自身のトレジャーバッグから小さな袋を取り出した。中から一つタネを選んで、彼女にそっと手渡してくれる。
「これは幸せのタネ。滅多に手に入らない珍しいものだから、仮に適性があっても使える機会はそう多くないと思うけど、折角だから試してみなよ」
 見るからに色つやがよく、美味しそうにすら思えてくる明るい色のその種子を、彼女は小さく頷き返して掌に包む。そっと目を閉じ静かに呼吸を整える内、ふと温かな波のような感触が、掌の内に漏れ出ているような気がして来た。――まるでずっと昔から知っていたような不思議な戸惑いを覚えつつ、エレは何とかその感覚を、引き寄せようと努力する。
 しかし、やはりそう簡単には行かなかった。集中しようとすればするほど、淡い漣(さざなみ)は意識に紛れ分からなくなる。三度まで見失い、四度目のアプローチを模索している時、不意に様子を見ていたルインの利き手が、苦闘しているキモリの掌に添えられた。
 そっと重ねられたリオルの掌を意識した直後、彼女はまるで何かに導かれるように、捉え損なっていたものを把握していた。意識と同調した温かな波が、彼女の意思に従い力強いうねりとなって溢れ出すのを感じつつ。ゆっくりと目を見開いた彼女は、自分の成した事が信じられぬまま、眩く輝く白い光を見詰めていた。
「もう良いよ。ゆっくり力を抜いてみて」
 ルインに促され、エレはハッと我に返ると、集中を解いて掌を開く。溢れる光は徐々に弱まり、小さなタネに吸い込まれるように消えていった。
「ありがとう。……ちょっぴりだけど、コツが掴めた気がする」
 仄かに顔を赤らめ礼を言うキモリに、波紋ポケモンは穏やかに微笑む。
「僕もこうやって教えて貰ったのさ。君よりまだ不出来な弟子だったから」
「貴方が?」
 思わず訊き返したエレに、ルインは何処か懐かしげな表情で応じる。初めて見せたその瞳には、彼が本来持っているのであろう、温和で優しげな光が満ちていた。
「昔、ね。僕と同じリオルの友達が、色々教えてくれたんだ。僕なんかよりよっぽどすごいポケモンで、何時だって僕は引っ張り上げて貰うだけ。自然の恵みも波動を練るやり方も、全部彼女から教わったんだよ」
「へぇ……。そのひとは今、どうしてるの?」
 純粋に好奇心からの質問だったが、結果として彼女は酷く後悔する事となる。一瞬口を噤んだリオルは、次いで何とも言えぬ寂しそうな笑みを浮かべて、「もういない」とだけ呟いた。

「ルインの友達は、ダークマターとの戦いに巻き込まれて亡くなったらしいよ。ボクも詳しくは知らないんだけどね……」
 午後の鍛錬を引き受けてくれたパチリスに、エレはリオルの過去について訪ねてみた。「ボクにもこれだけは話してくれないんだよ」とぼやきながらも、パッキィは自分の知っている内容を、彼女に対し教えてくれる。友達を失ったルインは失意のまま旅に出て、そのまま一度も故郷に戻っていないらしい。
「未だにあの姿なのも、その辺に理由があるんじゃないかと思ってるね、ボクは。彼、経験的にはとっくにルカリオになってる筈だもん。……昔の事を引き摺ってなきゃ、あんな取っ付き難くはならない筈だよ。根っこのところはすごく良いポケモンだし」
「困ったもんだ」とでも言うような口調だったが、エレにはパチリスがわざと軽い調子で話しているのが分かった。パートナーにすら明かそうとせぬ重い話題に触れた事実に、彼女は強い罪悪感を覚え俯く。
「どうしよう、悪い事しちゃった……」
「それぐらいで捩じくれるようなポケモンじゃないし、気にしないで良いよ。……ボクもフルサトなんてクソ喰らえな身の上だし、そう言う意味では似た者同士なのかもね」
 思いも掛けない罵り言葉に目を丸くしたエレに、パチリスは苦笑いしつつ事情を告げる。
「お里じゃ『タネ播くリス』って呼ばれてたんだ、ボク。ボクらパチリスは木の実が主食で、集めた奴を溜め込む性分なんだけど、ボクは食べるより芽を出すケースが多くてね。……要するに、成果を無為にするボンクラって意味さ」
「なんて言うか、食べるのが勿体無くてさ」と続けた彼は、木の実やタネが如何に不可思議なものかを語った。ちっぽけなタネが秘めている未来。小さな両手に収まるそれが何時かは見上げるような大木となり、悠久の時を生き続けながら、遥かに大きな恵みを以って支えてくれる――そんな現実に思い当たる度、彼は自らの好物に対し、戸惑いを覚えざるを得ないのだと言う。
「言い出したらきりが無いのは分かってるけど、やっぱり考えちゃうんだよね。探検家なら持てる物は最大限利用しなくちゃならないし、そんな甘ったるい事言ってる時点で御察しレベルなんだけど」
 鍛錬に使っていた飛び付きの枝を弄びながら、パッキィは独りごちるように呟く。けれども直ぐに表情を戻すと、パッと破顔して締め括った。
「だからルインに会って、すごく救われたんだ。彼に自然の恵みを教わった時、生まれて初めて自分の気持ちを信じる事が出来たから。……ルインに出会えてなかったら、多分ボク捻くれ果てて、お尋ね者にでもなっちゃってるよ」
「彼には内緒ね」とウインクすると、小柄な電気リスポケモンは再び陽気な声を張り上げ、道具の講習を再開し始めた。

 再び訪れた闇の中で、パッキィは独り考えていた。昼間のやり取りで話題になった諸々が、今でも彼の頭の中でぐるぐると渦を巻いている。
(やっぱり友達は、有り難いもんだよね)
 生真面目で優しくて、それでいてとびきり強情なパートナーを思い返し、彼は思わずくすりと笑う。偶々行きあって生まれた友情。同じポケモンを救けに行って、互いの知識や行動力に惹き付けられたその結果、今の関係が成り立っている。当ても無く世を拗ねていた彼にとり、手にしたタネを植える場所を探していると言うリオルのあやふやな目的は、自分を見詰め直すのに最適な生き方のように思えた。
 旅を続けていく内に、彼らは少しずつ変わっていった。――孤独のくびきから逃れたい、ただそれだけの為に歩いて来た両者に取り、自分の持てなかったものを補ってくれるパートナーの存在は、己の人生観を一変させるほどの影響力があったのである。
 そしてそんな過程で芽を出したのが、彼の社交性だった。頑なな雰囲気のある相棒と違い、生来楽天的な所のあったパッキィは、極々自然に友に代わって前に出ていた。買い物の交渉や情報収集など、表立ったやり取りを腰軽く引き受けている内、彼は以前とは見違えるほど前向きで、明るいポケモンになっていた。見知らぬ土地で打ち解けるのも滅法早く、友を作るのも朝飯前。どちらかと言うと黙考するのが得意なルインと異なり、彼は自ら結んだ関係を梃子に攻め込んでいくスタイルだった。
 事実、今もその方式である。現在彼の周りには、この数日で早くも仲良くなっていた、村のポケモン達が展開していた。トルトの一人息子であるプロトーガのオルトと、休憩所の管理を任されているヤナップのナト、ヒヤップのミト、バオップのムトの三兄弟である。オルトとは今までの冒険譚で、ヤナップ達とは余興でやったダーツ投げで意気投合し、共に「兄貴」の称号を勝ち得た仲であった。
 寝静まっていた昨夜とは違い、村の随所には不寝番のポケモン達が立っており、あちこちで動く者の気配がする。昨日の襲撃で村の南にある住居が破壊されており、これまでで最も大きな被害が出たのを重く見たトルトが、自ら自警団を組織して動き出したのだ。
 本来なら最も優秀な張り番であるリオルのルインは、外に出掛けて留守である。代わりに彼は、もし次に何か起こった際、犯人が使うであろう経路を予め伝えてくれていた。――波動の読み取れるパートナーほどは機敏に動けぬ彼であったが、待ち伏せして不意を突くなら十分勝機はある筈である。
 星も見えぬ無明の闇に、徐々に不安が増して来た頃。茂みに伏せていたパッキィは、漸く待ち受けていたものが現れたのを感じ取った。ペタリと地に付くお腹の白い毛皮を通し、微かな足音が伝わって来るのに気付いたのである。そろそろと身を起こし、足音を忍ばせて隠れ場所から出て来た彼は、ゆっくりと尖った鉄のトゲを取り出し、おぼろげな影に狙いを定める。……ところが此処で、思わぬ誤算が生じた。
「ッ! 誰だ!?」
 突然声を上げたのは、霧の向こうで動くものを見たオルトである。既に緊張感に参り掛けていた不慣れな彼は、それが直ぐ近くに伏していた兄貴分だとは夢想だにしなかったのである。俄かに騒然となった仲間達の様子に、慌てて掛けたパチリスの声も不味かった。
「ちょ、待っ――」
「どうしましたっ!?」
「怪しい奴ですかっ!?」
「捕まえるのですかっ!?」
 色めき立った小猿達に、オルトが決意も露わに呼び掛ける。
「兄貴をお助けするんだ!!」
「「「おーーーっ!!!」」」
 取り静める暇もあらばこそ。一斉に隠れ場所から走り出て飛び掛かって来る友人達に潰されながら、パッキィは近付いて来ていた何者かが、回れ右をして一目散に退散していくのを目撃する。尻尾に噛み付き引っ張ろうとするプロトーガにそれは自分だと叫びつつ、彼は一つだけ自分の認識を改めた。
 友達はとても有り難い。……けれども時々、好意が空回りする事もある。

 一方その翌日。ルインは予定していた聞き込みを終え、見送りに出たリーダー役に別れを告げて、山の炭鉱を後にした。
 既に予想していた通り、実際に会って話してみると、彼ら鉱山グループの主張は、村のポケモン達とほぼ同じだった。打ち続く事故や不祥事に、陰で蠢く確かな悪意。「調査団員」だと名乗った彼に、当初は疑いの色を隠さなかった彼らは愁眉を開き、漸く味方が現れたとでも言うように、口々に憤懣をぶちまけた。
「俺達は何も迷惑を掛けてないのに、奴らは無理矢理追い出そうとする」
 リーダーのガブリアスが声を荒げて岩を殴ると、周りに居並ぶポケモン達も一斉に怒りの声を上げる。片や聞き手であるルインの方は、ふと浮かんで来たその考えを手繰るべく、アクラと名乗った陸鮫に向け質問した。
「霧が深くなった途端にと言う事ですが、その頃何か変わった事はありませんでした?」
「特に何もねぇよ。……いや、待てよ」
 首を捻ったガブリアスが、傍らのドリュウズに確認を入れる。
「確か試掘に行ったのは、あの辺りの事だったよな?」
「へい。テンケイ山の試掘っすよな?」
「そうだ」
 頷きあった両者の内、もぐらポケモンの方が後を引き継ぐ。
「うちの若いもんが、新しいヤマを探す為に東にあるテンケイ山を探索したんっすよ。開拓村のすぐ北にある山なんすけどね。その時何かしら、不思議な事が起きたって……」
 詰まりながらも記憶を手繰るドリュウズの話を聞き終えた後。ルインは村のポケモン達の様子を伝え、双方共に軽挙は謹んで欲しいと要望したその上で、テンケイ山へと出発する。――全ての根源がそこにある事は、最早疑いようが無かった。

 深い森に覆われた山は、しんと静まり返っていた。登り始めて直ぐ立ち込めた霧は、忽ち周囲をすっぽり包み、進み続ける侵入者から視界を奪う。やがて狭い山道はふっつりと消え、馴染みの深いあの感触が、彼の本能に警戒を促す。――村を見下ろす美しい山は、不思議のダンジョンと化していた。
 ドリュウズの語った内容に、ダンジョンに関する証言は無い。構成されてまだ間もない事は、敵の姿が殆ど見られない所からも窺い知れた。
 疎らな敵影を苦も無くすり抜け、中腹をやや過ぎた頃。ルインは不意に身を翻すと、霧の中で稲妻のように前に出た。動きを止めて半身に構えたその手には、素早く抜き出した銀の針が握られている。鋭い眼差しで周りを窺うリオルだったが、霧に紛れた殺気の主が姿を現す事は無かった。
 やがて構えを解き、再び進み始めた波紋ポケモンは、そこが丁度ダンジョン部分の終着点に当たっていた事に気が付いた。

 昨夜の失態を嘆くオルトを、くよくよするなと慰めながら。エレは村を見下ろす例の丘で、技の練習に励んでいた。
 使っているのは、勿論あの幸せのタネ。相性の良いタネで練習するのが一番だと言うルインが、好意で貸してくれたのである。「必要なら譲ってあげても構わない」とは言われたものの、流石の彼女もそこまでして貰うのは気が引けた。時々やって来る行商人の話からも、珍しいタネがどれだけ高価なものかは弁えている。何より木の実やタネを単なる道具としてではなく、命を宿すものとして大切に扱っている彼らを見ていると、気軽に譲り受けようとは到底思えないのであった。
「でもすごいよなぁ……エレは」
 唐突に投げ掛けられた言葉に、彼女は思わず手を止めて、義理の弟に視線を移す。両親のいない彼女を拾い、家族の一員として受け入れてくれたトルト同様、このオルトも降って湧いた義姉(あね)を決して色眼鏡で見る事無く、たったひとりの姉弟として慕ってくれた。置手紙だけで旅立とうとした時も、一番気掛かりだったのはこの義弟の存在である。
「すごいって……?」
「だってそうだろ? 村の誰にも使えないような技を、もう形に出来てるんだから。そもそも独りで旅に出ようとするなんて、なかなか出来るもんじゃないよ。おいらじゃ絶対に無理だ」
「……オルトは、黙って出て行った事、どう思ってる?」
 ここ数日、ずっと気になっていた事――抱え込んだまま吐き出せず、裏切りにも似た後ろめたさを感じ続けていたそれを、思わず口にした彼女に対し。プロトーガは「確かにちゃんと相談ぐらいはして欲しかった」と苦笑いする。その上で、おいらは別に気にしてないよと返答した。
「エレが旅に出たがってたのは知ってたからね、おいら。隠してたつもりなんだろうけど、何年も一緒の部屋で暮らしてれば嫌でも分かるよ」
 ヒレを持ち上げた子亀が、ニヤリと悪戯っぽく笑って見せる。
「父さんはあんなだけど、おいらはエレがやりたい事をやれば良いと思ってる。……だっておいらは、エレの事が好きだもん」
 若干照れたように口籠った彼は、それでも自らを奮い立たせるように、力強い口調で言い切った。
「好きな相手には、絶対幸せになって欲しい。おいらにとってエレは、すごく大切なポケモンだから……だから、絶対縛りたくないんだ」
「エレが幸せなら。それなら、おいらも幸せ」――そう言い残した古代亀ポケモンは、最後は恥ずかしさに耐え切れなくなったように視線を逸らし、先に帰ってると伝え掛けながら、パタパタと精一杯のスピードで這い戻っていく。取り残されたエレは少しの間のぼせたように固まっていたが、やがて大きく息を吐くとくすりと笑い、晴々とした表情で技の練習を再開した。
 その時はまだ、彼女は想像もしなかった。――義弟の背中を追い掛けず、そのまま独りで帰した事が、とんでもない大事に発展する引き金となる事を。

「これで炭鉱のポケモン達が無関係なのもはっきりしたね」
 無事戻って来たパートナーの報告に、パチリスが小さな腕を組む。深夜の曲者を取り逃がして以来、次なる機会を待ち望んでいる彼は、まだ見ぬ敵の正体に気合い十分で思いを巡らす。一方のルインはと言うと、「まだ断言は出来ないけどね」と頷いた後、次いで更に声を潜め、今回知り得た情報の中で最も重い事実を告げる。
「そのままテンケイ山に向かったんだけど、案の定ただの山じゃなかった。……何があったと思う?」
「……君にしちゃ珍しい言い草だね。勿体つけるなんてらしくも無い」
 思わぬ問い掛けに眉を潜めつつ、それでも軽口を忘れぬパッキィに対し、ルインは息を殆ど使わない、独特の発声法で答えを告げる。波動の読める彼としては無用とも言える配慮だったが、態々声を憚った所に、事の重大さが現れていた。
「封印の泉だ。誰が作ったのかは分からないけど、間違いない」
「まさか……!?」
 予想もしなかったその答えに、パチリスの声が上ずった。それがどのようなものであるかは、彼も目の前の友人に教えられて理解している。
 封印の泉は、何時か復活するであろうダークマター――世間では既に消滅したとも思われている、この世界最大の脅威――に備うるべく用意された、最後の切り札の一つである。混沌と闇の集合体、負の感情が具現化したものであるとも言われているその力の前には、どれほど強大なポケモンも無策のままでは抗えない。その強力無比な暗黒の力を打ち消し、無力化する効果を持たせたのが、封印の泉に湛えられた光の水である。
 ダークマターはポケモンの生命エネルギーを吸い取って成長する性質を持っており、奪い取られたポケモンは身体は石に、精神は「虚無の世界」と言う辛苦に満ちた世界へと封じられてしまう。ポケモンそのものに憑り付き、自らの力を与えて意のままに操る能力も持っており、その闇の力に晒されていた数年間で、この世界は文字通り滅亡の瀬戸際まで追い詰められていたのである。ミュウと言うポケモンをリーダーに集結したポケモン達が必死の戦いを続けた結果、辛うじてダークマターの侵食は止まり、闇が色褪せていくにつれて石になっていた犠牲者達も元の姿に戻る事が出来た。生命力を司ると言われるゼルネアスが彼らの戦いをバックアップしていたのが、彼らが抗い続けられた大きな要因だったと言う話もある。
 封印の泉には特殊な仕掛けが施してあり、選ばれた者にしかそれを解く事は出来ない。その為外から泉の力を狙う者にはほぼ為す術がない筈なのだが、ルインは光の水そのものが枯渇する危険はあると指摘する。
「光の水は、ダークマターの力の対極にあるんだ。つまり負の感情が長期間、過剰に与えられ続ければ、泉の水は徐々に力を失って、最悪枯れてしまう事も考えられる」
「……なら、今回の犯人はそれが目的で?」
「いや、まだ分からない。ひょっとすると――」
「大変、大変よ!」
 首を振った波紋ポケモンの見立ては、最後まで続けられなかった。勢い良く駆け込んで来たエレが、彼らに向けて急を告げる。
「オルトがいないの! 木の実畑も荒らされてて、オルトの足跡がそこからふっつり途切れてて……。みんなこれ以上好きにさせとく訳にはいかないって騒いでるし、自警団のひと達はオルトを探すって炭鉱の方に向かってる! このままじゃ、何が起きるか分からないよ!」
 必死に叫ぶ彼女の言葉が終わらぬ内に、ルインが素早くトレジャーバッグを引っ掴み、颯のように駆け出していく。脇目も振らぬパートナーに追い付く術の無い白リスも、キモリと共に四つの足で地面を蹴って、懸命に後を追い掛け始めた。

 辿り着いた現場では、既に乱闘が始まっていた。逸早く駆け付けたルインが状況を把握するまでも無く、猛り狂った両者の勢いは増すばかりで、即時の対応が求められるのは明らかだった。
 それぞれのグループの者が勝手凌ぎにぶつかり合う中、リーダーである二匹のポケモン達は、一際激しく争っている。他がまだ精々擦り傷掻き傷程度の小競り合いなのに引き比べ、トルトとアクラの戦いは、最早喧嘩の域を越えていた。どちらも酷く傷付いており、相手を叩きのめすに留まらず、命すらも奪いかねない様相である。
「止めろ! 止めないか!!」
 波紋ポケモンの怒声を受け、先ず距離を置いて戦っていた幾組かが反応する。次いで遅れて駆け付けたパチリスのさわぐに、取っ組みあっていたポケモン達が怒りに満ちた目で此方を見やった。「止めなさーい!!」と言う頭ごなしの叱責に、敵意も隠さず睨み付けて来た彼らだったが、傍らのリオルが鬼気に満ちた目で威圧感を放射すると、一様に怖気を振るって我に返る。……しかしそれでも、荒れ狂う二匹のリーダーだけは全く聞く耳持たなかった。
 ドダイトスのウッドハンマーがガブリアスの顔を打ちのめすと、血唾を散らせた陸鮫ポケモンが爪を振り下ろし逆襲する。ドラゴンクロ―に頬を裂かれ、次いで下顎を蹴り上げられたトルトは、それでもいっかな怯む事無く、相手の足に喰らい付いた。
 苦痛に怒りを倍加させ、げきりんで甲羅を割れんばかりに殴り付けたアクラだったが、続けて痛打を見舞おうとしたその直後、飛び来た針に腕を縫われた。同時にトルトも鉄のトゲで脚を打たれて、かみくだくを中断して蹲る。投擲を仕掛けた二匹のポケモンの内、針を放ったリオルの方が声を張る。
「もう良い! そこまでだ!!」
 血走った目を向けて来る二匹のポケモン達に対し、彼は全く怯む事無く言い募る。
「ふたり共、自分が今どんな顔になってるのかよく考えろ! トルト、あんたは孫を背中に乗せるのが夢なんだろう!? そんな血だらけの甲羅で、自分の孫を喜ばせる気か!?」
 トルトがこの地に入植しようと決めた経緯を、彼らは歓迎の席で聞かされていた。新たな家族であるエレを迎え、彼女や将来生まれるであろう自分の孫の未来を慮った彼は、より広く恵まれた場所で大切な家族を育むべく、遥々キリタッタ山脈を越えて来たのである。
 緑に囲まれた静かな土地で、ポケモン本来の生き方を大事にしつつ、綺麗な水や美味しい木の実に親しみながら伸び伸びと育って欲しい。そんな彼の一途な願いがあってこそ、この村は産声を上げたのである。
 言葉を失った大陸ポケモンに続き、ルインは炭鉱側のリーダーにも矛先を向ける。
「アクラ、あんたも甥っ子達の為に学校を作ってやりたいと言ってた筈だ! 目の前の相手を打ち殺すようなポケモンが、一体どうやって次の世代を育てるのか!? 自分の過去や起こした事を、どう教えるつもりなんだ!」
 アクラのたった独りの家族である甥、フカマルのティルは生まれつき身体が弱かった。炭鉱務めの荒くれ男を束ね、日々仕事に追われる彼には、気の弱い甥の相談相手になってやる事も、友達を見つけてやる事も難しい。また自分達の専門分野以外には一様に暗い彼らにとって、外の世界を知らぬ実状は、何世代にも渡って悩まされて来た翳だった。
 学に乏しく価値観も凝り固まった自分達とは、別の道を歩んで欲しい。威勢の良さや仕事の出来に縛られず、怒鳴り声や慌ただしさに怯えずとも良い生き方をさせたい。そんな彼の強い思いを、ルインは強か酔って潰れかけていた、アクラ自身から打ち明けられていた。
 茫然と立ち尽くし、やがてまじまじと互いを見やる両者に向けて、ルインは重ねて言い添えた。――何も知らず、知ろうともしないその頑なな姿勢こそ、憎悪を生み出し膨れ上がらせる根源であると知っていたから。
「敵だと決めつける前に、先ずポケモンとして理解しろ」と言うその言葉が、思いもよらなかった互いの望みと重なり合って、彼らの頭の中に響いた。
「……あんたの息子にゃ何もしちゃいねぇ。誓っても良い」
「ワシらも、あんたの甥っ子の事は知らん。……探しているなら、ワシらも心に止め置こう。手が広がれば、その分何とかなるやも知れん」
 幾らも経たぬ内に話が纏まり、交わされた情報を元に手分けして探す手筈が整った頃。駆け付けて来た客人達は、とうに次なる当てを目指して、その場から姿を消していた。

 どうしても手伝うと聞かぬキモリに手を焼きつつ。ルインが一行を導いたのは、村の南に広がる池に程近い、古い共同墓地だった。村が出来る前からあったその場所は、遥か昔からこの地に住んでいたポケモン達が利用したらしく、暗く深いその内部は、不思議のダンジョンと化していると言う噂である。
 霧が出始めてからは勿論の事、それ以前から誰も近付かなかったこの場所こそ、彼の索敵能力が及ばない、唯一のブラックボックスだった。
「村の近くで中の様子が分からないのはここだけだ。ダンジョンの疑いがあるのもここなら、怪しい影や気配を見失うのもこの辺り」
 二匹の顔を見比べたルインは、淡々とした口調で見通しを語る。
「恐らく敵は複数体。夜霧の中でも自在に動き回れる事や、水面を無視したり屋内に何の痕跡も残さず侵入したりする手口から、ゴーストタイプのポケモンである可能性が高い。これほど濃い霧を生み出して維持する力を持ってる所からも、かなりの高位能力者が関わってるんだと思う。絶対に油断は出来ない」
 真剣な目をしたリオルの言葉に、パッキィがやれやれと言った調子で呟く。「心強い話だね」とぼやく親友を軽く睨むと、彼は改めてエレを見据えて、残って欲しいと言葉を掛ける。
「誰かが残らないと、何かあった時に取り返しがつかない。伝令役がいないと……」
「絶対、嫌。オルトを助ける為なら、私は梃子でも動かない」
 独りでも後を追うと言うキモリの言葉に、遂に諦めたリオルが首を捻る中。パッキィが満を持したように不思議玉を取り出して、「ボクの出番が来たようだね」と胸を張る。説明もせずアイテムを起動した彼は、無理矢理呼び付けられて目を白黒させている三匹のポケモン達に、大袈裟な口調で頼み込む。
「諸君、緊急の任務が出来た!」
「んぁ、パッキィさんっ……!?」
「どうしたのですかっ!?」
「エマージェンシーですかっ!?」
 口々に騒ぐヤナップ達に、パチリスは手短に状況を説明する。……傍から見ているルインとエレには、パッキィが一方的に彼らに用事を押し付けているようにしか見えなかったが、ノリノリで反応しているナト達を見るに、彼らも満更ではないらしい。
「現在我々は囚われた人質を救う為、拘置場所と思しきダンジョンに、突入作戦を仕掛ける準備をしている! そこで、諸君の力を貸して欲しいんだ!」
「ちゃーりーあるふぁですかっ!?」
「ようちあさがけですかっ!?」
「ばんざいちゃーじですかっ!?」
 何やらよく分からないにしろ、多分にずれた単語が飛び交う中。パチリスは委細構わぬ早口で、残りの要件をまくし立てた。
「突入チームはボク達三名。開始時刻はぜろだーくさーてぃ。ぜろしっくすまでに連絡が取れなかった場合、速やかにじょーそーぶに報告する事!」
「了解ですっ!」
「聞き届けましたですっ!」
「あ! でも、ぜろしっくすが精確には分からないですっ!」
「あ、そっか……。じゃ、取りあえず明るくなったらで」
「「「らじゃーっ!」」」
 若干の紆余曲折はあったにせよ。無事パチリスが今後の手当てを終えた所で、彼らはゆっくりと扉を開け、ダンジョンの奥へと踏み込んでいった。

 進み始めて直ぐ、猛烈な霧に視界を奪われる。波動を頼りにしっかりとした足取りで進むルインを先頭に、枝を握りしめたキモリと、きょろきょろ見回すパチリスが続く。手ぶらのパッキィはこんな中でも目ざとく何か拾い上げては、自分のバッグにぽそりと突っ込む。霧の狭間に浮かぶ光景はただただ不気味で、誰の者とも分からぬ骨が、朽ちた装飾品と共に散らばっていた。
 時折現れる野性の敵ポケモンは、全てルインが独力で押さえた。背後のパチリスが石を投げ付ける必要もなく、先に察知して奇襲をかけるリオルの強さに、エレは改めて舌を巻く。
 やがて更に奥へと進んでいく内。唐突にルインが立ち止まると、パッキィに向け合図を出した。事前の打ち合わせでそれが戦闘用意の徴だと知っているエレは、思わず息を呑むと同時に、手にした縛りの枝をしっかりと構え直す。ややもして、リオルが勢いよく前に踏み出したその直後、背後のパチリスがゴローンの石を投擲して、最初の戦闘が始まった。
 リオルが踏み込んでいったのは、左右に水路が迫って来ている、狭い一本道だった。左脇から何かがせり上がって来た瞬間、ルインは身軽に地面を蹴って、敵の待ち伏せを空振りさせる。足を捕らえ損なった薄桃色の触手が、気味の悪い水音と共に小道を薙ぐその一方、パチリスの投げた石礫が完璧なタイミングで飛来して、付け根に潜む本体を直撃した。
 怒りも露わに浮き上がったのは、大柄な♀のブルンゲル。影の塊を生み出しつつ、空いた触手で不思議玉を起動した彼女は、小道にひらりと降り立ったルインに向けて、シャドーボールを解き放つ。リオルが機敏に身を躱し、抜き出した銀の針を彼女の口元に打ち込むと、痛手を負った水妖は堪らず水中に身を隠した。代わって呼び出されたダストダスが、伸びる片腕で波紋ポケモンを絡め捕ろうと試みるも、ルインは伸び来たその手を脇に外して、逆に狙い澄ませたはっけいで応じる。急所を狙われ麻痺を来したゴミ捨て場ポケモンはバランスを崩し、水路にざぶんと落ち込んで、あっさり戦列から脱落した。
 リオルが小道で孤軍奮闘している間、エレとパッキィは集まれ玉で飛ばされて来た、別のポケモン達と戦っていた。ヤジロンが高速スピンで突っ込んで来ると、身軽なキモリは右に左に身を躱しつつ、機を見て枝で動きを封じる。目の前の敵を片した彼女は、直ぐ傍らで二体の敵を相手にしている、パチリスの援護に駆け付けた。
 パッキィに襲い掛かっていたのは、ニダンギルとランプラー。ノーガードで回避を許さぬ双剣ポケモンに対し、パチリスはアイアンテールで己の尻尾を硬化して、敵の斬撃を跳ね返している。片やランプラーは攻め口を探してはいるものの、炎の苦手な味方が常に相手の傍にいるので、なかなか攻撃に移れていない。やがて彼女と目の合ったランプポケモンは、そのままパチリスを放り出して、此方に向けて殺到して来た。
 相性としては最悪に近い天敵に対し、エレの選択肢は殆どない。手にした枝で制圧するのが一番確実だったが、先手必勝と放つ光弾はあっさり身を翻され、霧の向こうに掻き消える。お返しに放たれたはじける炎が周囲を焦がし、火の粉の余波を被ったエレは、その威力に顔を歪める。一発二発で倒されるものでは無いものの、爆風のダメージは馬鹿にならず、もし直撃ならば当然それで済む訳が無い。此方からはろくに手の無い難敵に、彼女は思わず気圧されるように後退った。
 対するランプラーは、ひたすら攻めの一手である。続けざまにはじける炎で畳み掛けていった彼は、巻き込まれたヤジロンが黒焦げになって気絶したのも意に介さず、部屋の隅に逃げたキモリに止めを刺そうと身構える。
 が、まさに技を撃つその直前。唐突に彼は見えない力に引っ張られ、強引に後ろを向かされて、火炎放射を放たせられる。直撃コースに浮かんでいたのは、相棒であるニダンギル。警告する暇も有らばこそ、まともにその身に炎を喰った二本の剣はぼとりぼとりと地面に落ちて、あっさり戦闘不能に陥った。この指止まれで攻撃を逸らせ、双剣ポケモンを盾に使ったパチリスが「御気の毒様」と呟く中、ランプラー自身も側面から何かに打ち抜かれて、成す術も無く地に落ちる。
 ランプポケモンを貫いたのは、影を纏った白銀の針。投擲物に自然の恵みのエネルギーを乗せ放つのは、多芸なリオルがが最も得意とする戦術だった。練達の仲間達に支えられ、何とか窮地を脱したエレは、次なる気配に身構えるパッキィに合わせ、今度こそ気負い負けせぬよう覚悟を据える。
 一方手を差し伸べたルインの側は、一転して苦境に陥っていた。意識が余所に向かった隙に、水中に身を潜めていたブルンゲルが回復を終え、再度襲撃して来たのである。今度こそ獲物を捕らえた彼女は、リオルの身体に触れるや否やギガドレインで攻撃し、相手の反撃を遅らせながら水中に引き込もうとする。
「う、く……!」
 生命力を奪い取られ、抗おうにも上手く身体が反応しないルインに対し、浮遊ポケモンは首に触手を巻き付けて、全体重を掛け水の中へと引っ張り込む。振り解こうともがいた所で、相性の差から掴む事すら叶わない。思うがままに締め上げつつ体力を奪う水妖に対し、水面下に沈んだリオルはほぼ全くの無力であった。
 しかしこんな状況でも、彼には打開策が残っていた。呼吸も出来ず追い詰められてはいたものの、辛うじて利き腕が動かせる事に気付いた波紋ポケモンは、波動を首に集中させてどうにか耐え忍びつつ、己の手先に漆黒の影を纏わせる。シャドークローに頬桁を突かれ、堪らず相手を放り出した浮遊ポケモンを尻目に、ルインは急いで水面へと浮上すると、荒い呼吸で激しい動悸を圧し鎮めた。
 続いて今度は自ら水中に舞い戻り、痛手から立ち直ったブルンゲルを待ち受ける。獲物がまだ水の中にいる事に気を逸らせた水妖は、水中戦には全く向かぬ波紋ポケモンを見くびって、真正面から直接触手で捕まえに掛かる。
 ところが今度は、全く勝手が違っていた。伸ばされた触手を見破るで無造作に掴んだルインは、思いがけぬ展開に戸惑う相手にニヤリと笑うと、利き手に忍ばせたまどわしのタネから借りた力を、出し抜けに浮遊ポケモンに叩き込む。はっけいで直接体内に打ち込まれた悪の波動が容赦なく全身を焼き焦がすと、ブルンゲルは一瞬で白目を剥いて気絶して、リオルを乗せたまま水面に向け漂い始めた。
 水面を割って舞い戻ったルインに対し、新たな敵と対峙していたパッキィは、直ちに独りで奥に進むよう促した。
「ねぇ、このままじゃ埒が明かないよ! 君だけでもさっさと先に行って、オルト達を助けて来てよ!」
 引き受けるとは言わず、敢えてさっさと行けと発破を掛ける友のもの言いに思わず苦笑させられながら、ルインは「了解だよ」と言葉を返して走り出す。後を追おうとする者はおらず、残されたふたりの前には、依然変わらず三匹のポケモン達が立ち塞がっている。
「さて、どうするかなこれ……」
 対峙している巨大な影にうんざりしながら、パッキィが小さく舌打ちする。彼の目の前に立っているのは、見上げるような体格の土で作られた人形だった。表情の読めぬゴルーグの右隣には、けらけらと笑うヤミラミ。左後方にはフワライドがおり、此方は反対側にいるエレと相対している。
「まぁ、やるっきゃないよね」
 そう独りごちた彼の言葉に合わせるように、正面に位置する泥の人型が動き出し、三対二の第二ラウンドがスタートした。

 リオルが辿り着いたその場所は、ただ何もない空間だった。ダンジョンの最奥と目されるそこには、水路や障壁は愚か、墓地である事を示すものすらない。
 しかしそれでも、足を踏み入れる価値はあった。彼の視線の先にいたのは、抱き合うように蹲る二匹のポケモン。プロトーガの方が先に此方に気付き、ヒレを差し上げて切羽詰まった様子で叫ぶ。
「ルインさん、来ちゃ駄目だ! ここには――」
「分かってる」
 落ち着いた声音で応じた彼は、次いで部屋の真ん中辺りに向けて声を掛ける。
「まだ人質がいる?」
「……いや」
 その声は、何もない場所で響いたように思えた。リオルが目を向けるその場所には、湿った土壁が形作った、無明の影があるばかり。――けれどもそこには、紛れもなく強大な何かが鎮座していた。
「テンケイ山以来かな。……今回もあんな感じで終えるなら、それはそれで構わないけど」
「そうもいかない。ここまで来られたからにはな」
 不意に地面が盛り上がるように思えたが、よく見てみれば床土は全く乱れていない。影そのものから現れ出でたそのポケモンは、対峙する彼とほぼ同じ大きさだった。
「初めて見たな。マーシャドー、ホウオウの守護者か」
「何時見破った(わかった)?」
 冷たい口調を保ったまま、マーシャドーが問い掛けて来る。――影で形作られた子供のようなその姿に、見た目の迫力は殆どない。けれどもルインは既に波動を通じ、相手のその存在が桁違いに巨大なものである事を見抜いていた。
「テンケイ山だよ。裏で糸を引いてるポケモンがいるのは読めてたけど、あの時点じゃ種族までは分からなかった。……とは言え、これだけの濃霧を操れるのはよほど高位のゴーストポケモンか、ボルケニオン辺りしかいないからね」
「……」
「ギラティナの線も疑ってたけど、あそこで全部合点がいったよ。ギラティナなら、態々他人の影に入ろうとはしない。相手の影に入りたがるポケモンと来れば、もう他に選択肢は無い」
 ここでルインは話題を切り替え、人質を解放して欲しいと要望する。影住みポケモンは少し考え込んだ後、まぁ良いだろうと言う風に、背後の二匹に顎をしゃくった。急いで走って来たふたりの内年長のプロトーガに、ルインは穴抜けの玉を手渡してやる。
「早くここを出て。外にナト達が待ってるから、先ずは彼らの所へ。……ティルを頼む」
 幼いフカマルを抱いて頷くオルトの背中を、優しく押してやった後。彼は改めて向きを変え、影の守護者と対峙する。
「今更戦う理由は?」
「お前達が邪魔だ。封印の泉を守るには、村のポケモン達には出て行って貰うしかない。その為には、障害になるだろうお前達を排除する必要がある」
「何故追い出す必要が?」
 食い下がるリオルに、マーシャドーの表情が険しくなる。黒一色の容姿が一変し、赤い瞳に緑のオーラを纏った影住みポケモンは、それでも即時に襲い掛かって来ようとはせず、険悪な目付きで語り始めた。
 事の起こりは、鉱山のポケモン達の試掘作業だった。何も知らずにテンケイ山に分け入って来た彼らに対し、マーシャドーは泉の秘密を悟られぬよう、上手く姿を隠して立ち回りながら、彼らの行き足を中腹までに留め置いていた。
 霧の動きをコントロールし、何処からともなく聞こえて来る物音や、不思議な気配に気を呑まれた侵入者達を無事下山させる事は出来たものの、その際疑心を生じた一匹が、ある考えを口にしたのである。「村のポケモン達の悪戯ではないか」と言うその意見を、殆どのメンバーは取りあおうともしなかったが、それでも面白くないと感じた者が全くいない訳ではなかった。
 そしてそんなポケモン達の内一匹が、今度は意向返しとばかりに、帰り道にある水路の門を引き抜いて、川辺の茂みに投げ捨ててしまった。折悪しく遠目に引き上げていく彼を目撃した住民がおり、水浸しになった木の実畑でそれを声高に訴えた所で、事態の悪化は決定的なものとなった。不愉快な噂話が広まるに連れ、相手方への不信感はどんどん強く根深いものへと変わっていき、それが更に多くの火種を生んで、不快な事件に結び付いていく。当初は何とか間に入り、誤解を解きたいと願っていた彼であったが、瞬く間に膨れ上がった憎悪と不信を見守る内に、果たしてそれが為すべき事か疑わざるを得なくなった。
 元々両者の間には、相応の懸念や隔たりがあった。村のポケモン達は鉱山開発が水質に影響しないか心配していたし、鉱山側は鉱山側で、物資の過半を村に依存する不安があった。元来横たわっていた互いの溝が今回の事態を引き起こしたのだと気が付いた時、泉の守護者である彼は、遠い未来まで確実に光の水を伝える為には、二つのグループを排除しなければならぬと結論付けたのである。
「例え僕らが何もしなくても、結局彼らはいがみ合うのを止めないだろう。今の状況を収めた所で、この先何時まで平和が続くかも分からない」
 所詮は気休めにしかならぬと断じたその相手に、ルインは「でも」と言葉を返す。理由を明かしたその上で、協力して貰うべきだと説いた彼だったが、最早目の前のポケモンを押し留める事は叶わなかった。
 冷たい表情でリオルの言葉を遮った後。マーシャドーはただ「問答無用」と吐き捨てて、戦いの幕を切って落とした。

 大きな尻尾を右に左に振り立てつつ。地響き立てて振り下ろされるアームハンマーを掻い潜ったパッキィは、そのままひらりと相手の腕に飛び乗って、土の巨体を駈け登り始めた。行く手に浮かんだ鬼火を飛び越え、蠅を打つように叩き付けられた左の掌をすり抜けながら、彼は大きく肩を踏み切ると、突き出た頭にアイアンテールを叩き込む。頭部を強かに殴り付けられ、ぐらりとよろけるゴルーグの背中を蹴飛ばしたパチリスは、着地するなり横っ跳びに身を躱し、降り注ぐ力の結晶から身を守る。鬼火を飛ばし、今またパワージェムで狙い撃って来たヤミラミは、キッと睨んだ白リスに向け、嫌味な笑みで応じて見せた。
「お前、あの時逃げてった奴だな!」
 電気袋から放電しつつ、きしきし嗤う暗闇ポケモンに相対しているパッキィ同様、ゴルーグを挟み反対側で戦うエレも、受け持つ相手に見覚えがあった。不気味に浮かぶ気球ポケモンから漂って来る雰囲気は、あの時霧の中で刻み付けられた絶望と、全く同じものだった。
「あの時の……」
 後の続かぬキモリに対し、無言のフワライドは淡々と攻撃に移った。影を集めて球体にし、続け様に撃ち放って来られるに及び、エレも何とか地面を蹴ると、敵の鋭鋒を躱しながら反撃に出る。シャドーボールに続き、またも連続で繰り出された風起こしを電光石火で振り切りつつ、無事自分の間合いに持ち込む事が出来た彼女は、思い切って技を繰り出す。ツバメ返しに捉えられ、手傷を負ったフワライドが驚いたように身を引く一方、相手の動きに対応出来たエレの方は、今度こそ落ち着いて出方を窺う。――躱せさえすれば何とかなると教えてくれたリオルの言葉が、力強い響きとなって支えてくれるのを感じていた。
 立ち直ったゴルーグがぐるりと向きを変えた時、パッキィは背を向けたキモリの危機を覚って、大声で警告しつつ前に出た。乱れ引っ掻きで足止めを狙うヤミラミを電磁波で牽制し、拳を振り上げたゴルーグに草結びを仕掛けようとした彼だったが、暗闇ポケモンが電撃を跳ね返して来るに及んで、援護射撃を中断せざるを得なかった。マジックコートで電磁波を防ぎ、鋭い爪でパチリスの尻尾を削り取った影人は、自慢のトレードマークを傷付けられて怒り心頭の電気リスに、念を送って呪いを掛ける。怨みに毒され、力を失った電気袋を虚しく震わせた相手に対し、彼は尚もその動きを抑制すべく、不気味な両目を輝かせる。
 しかしヤミラミの思惑は、ここで初めて頓挫させられた。出し抜けに放たれたフラッシュが巨大な両眼を直撃し、暗闇ポケモンは放ちかけていた怪しい光を掻き消された上、視力を失い悲鳴と共に後ずさる。間髪入れず打ち付けられたアイアンテールが側頭部を直撃し、業に長けた影人は為す術も無く薙ぎ倒されて動かなくなった。
 何とか目の前の相手を仕留めたパッキィの許に、エレが飛び込んで来たのはその時だった。安否は如何にと気遣っていた当の相手の機敏な動きに、パチリスは束の間呆気に取られたように固まった後、次いでふふふと小気味良さげな笑みを浮かべる。
「やるね! 流石ルインが褒めてただけある」
 何処か嬉しげに声を掛けて来た彼は、続いてトレジャーバッグから鉄のトゲを取り出して、歩み寄って来るゴルーグに狙いを定めた。
「そう言うあなたも、良い教え子だと思うよ」
 此方も負けじと言い返すエレに対し、パッキィはフフンと鼻を鳴らして、「勘違いしてるようだけど」と言葉を続ける。
「投擲(これ)に関してはあべこべだよ。教えたのはボクの方」
「えっ」と振り向くキモリの反応を目一杯に楽しみつつ。電気技を封じられたパチリスは、身に付けた業を最大限に活用すべく、立ち塞がった相手に向けて先制攻撃の火蓋を切る。
 パチリスの言葉が決して虚勢でない事は、すぐさま証明された。己が身長には長過ぎるほどの鉄の矢を、彼は機敏に駆け回りつつ、自在に扱い投げ放っていく。巨大なゴルーグには然したる威力も期待出来ないと思われたが、身軽な白リスは手数でそれを補うべく、縦横無尽に攻撃を仕掛ける。相手を捉え切れないまま、見る間に手を負うゴーレムポケモンを援護すべく、フワライドが影を生み出し横槍を入れてみたものの、ただ相手の反撃を呼び込むだけに終わっていた。迫り来るシャドーボールを一投で打ち落とした彼は、尻尾に投げ上げた二本目のトゲを全身をしなわせる事により、手も使わぬまま矢のように放つ。
 身体の中心を貫かれ、痛手を受けた気球ポケモンが堪らず後退する一方、ゴルーグはエレの草結びを受け、地響き立てて粘土の上に引っ繰り返った。既にダメージの嵩んでいたゴーレムポケモンは、これを最後に力尽きて静止する。
 ところが此処に来て、パッキィの手がはたと止まった。トレジャーバッグから次の得物を取り出そうとした彼は、何時の間にか道具が封印されている事に息を呑む。思わず振り向いたその先で、受けたダメージに身体の傾いだヤミラミが、蒼褪めた顔に凄惨な笑みを浮かべていた。
「しまった! 差し押さえ……!?」
 上ずったパチリスの声音に応えるように、ニタリと嗤った影人が異形の指を打ち鳴らす。直後吹き荒れた闇色の風にあおられて、パッキィは駆け寄ろうとしたエレ共々宙を舞い、ゴルーグの巨体を軽々と飛び越え叩き付けられた。息詰まる衝撃から立ち直る暇も無く、二度目の怪しい風が襲い掛かると、二匹のポケモンを一緒くたに巻き上げて粘土の上に打ち付ける。トレジャーバッグを封じられ、回復手段も失ったパッキィが辛うじて立って身構える中、倒れ込んだエレの方は、焦るばかりで起き上がる事が出来なかった。
(身体が……重い……)
 嘗て襲われた時の記憶が、燐光と共に頭の中に蘇る。ゾッとして身を堅くする彼女を庇うべく、手負いのパチリスがこの指止まれを使い、敵の注意を引き付けながら走り出した。
「まだまだ、これぐらい……!」
 威勢良く駆け出したその動きは、それでもまだまだ素早かった。ヤミラミの撃ち出したパワージェムは、小刻みに向き変える彼の機動についていけず、粘土の床を掘り返すのみ。次いで立ち止まったパッキィは、フワライドの怪しい風を凌ぐべく、全力で守りの態勢に入った。
 パチリスが技で身を護る一方、エレは倒れた位置の関係上、風の影響を殆ど受ける事がなかった。ゴルーグの巨体が一種の防護壁となっており、少なくとも今この瞬間は安全であると言って良い。自分の位置を計算に入れ、囮になってくれた彼の好意に報いるべく、エレは必死に頭を働かせ、局面打開の切っ掛けになりそうなものを探し始めた。
 と、その時――不意に彼女は自分の腰の辺りに、微かな温もりを感じ取った。決して不快なものではなく、何処か懐かしい不思議な感触に導かれるように手を伸ばすと、小さな袋が指先に触れる。目を見開き、次いでもどかしげに手中に収めたその中には、あれ以来ずっと借り受けたままの幸せのタネが入れられている。
(間違いない……。確かに今)
 受け止めたその感触を肯定するかのように、手の内のタネが淡く輝く。ほんの一瞬、毛筋ほどに伝わって来たその僅かな働きかけでも、今の彼女には十分だった。目を閉じて大きく息を吐いたエレは、次いでやにわに口を開け、手にしたタネをサッと投げ込む。素早く噛んで呑み下すと、より広い空間を確保すべく、ゆっくりと身体を起こして立ち上がる。程無くして白い光に包まれた彼女は、徐々に遠ざかる黒い床土から目を逸らし、次に取るべき行動を、しっかりと頭の中で組み立て始めた。
 エレが再度立ち上がった時、パッキィは遂にフワライドに追い付かれて、サイコキネシスで縛り付けられた直後であった。電気を操る事が出来ず、体力的にも限界に近い今の彼を捻り潰すのは、常の数倍にまで能力を高めた気球ポケモンにとって、赤子の手を捩じるようなものである。
 ところがまさに止めを刺そうと言うその段階になって、不意にヤミラミが慌て始めた。無表情で振り返った彼女の視界に入ったのは、光に包まれた獲物の片割。ついこの間自らも経験したその事象を目にした途端、フワライドは躊躇う事無く標的を切り替え、無防備なキモリに狙いを定める。
 しかし結局その一撃も、解き放つには至らなかった。シャドーボールが膨れ上がったその刹那、彼女は無理矢理向きを変えさせられて、背後のパチリスと向かい合う。またしても指を掲げた電気リスポケモンは、続いて凄みのある笑みを刻んで、目の前のシャドーボールにタネ爆弾をぶち当てる。集約していたエネルギーが弾け飛び、二匹のポケモンを情け容赦なく呑み込んだ後、漸く技の効果から解放されたヤミラミが、遅ればせながら森トカゲ目掛け襲い掛かった。
 爪を唸らせ飛び掛かった暗闇ポケモンであったが、既に好機は過ぎていた。一足早く進化を終えていたエレは、微かに身体を沈めた直後、颯のように踏み込みながら、右の利き腕を一閃させる。草の刃(リーフブレード)が影人の胴を深々と薙ぎ、多芸な業師は今度こそ戦う力を失って、叩き付けられた蛙のように泥土に沈んだ。
 漸く次の一体を討ち止めたのも束の間、薄らぎ始めた土埃の合間から、フワライドが顔を覗かせる。相討ちを狙ったパッキィの意図も虚しく、防御力に補正の掛かった気球ポケモンは、未だかなりの体力を残しているようだった。無事進化を終えたエレの様子にも動じる事無く、紫紺の気球は相も変わらぬ無表情で、彼女に対し攻撃態勢に入る。
 無論エレの側も、背を向ける気は毛頭ない。身代わりとなってくれたパチリスの無念を晴らすべく、彼女は真っ直ぐ敵を見据えて、力一杯地面を蹴った。
 電光石火で飛び出したジュプトルに、気球ポケモンは新たな手管で応じた。波紋のように広がった電流の波に対応出来ず、エレはまともに電撃波に巻き込まれ、苦痛の呻きを漏らしながらつんのめる。即座に跳ね起きようとしたものの、既に次の手を重ねて来ていた敵の術中から逃れる事は出来なかった。間髪入れぬサイコキネシスで相手を捕えた気球ポケモンは、そのままジュプトルを宙吊りにして、幾度か地面に叩き付ける。ダメージが重なり、技を練るだけの集中力が尽きて来たのを確認すると、今度は宙吊りにした相手を捩じ上げ、押し潰すべく力を込めた。
「ぁ、ぐ……」
 凄まじい圧力に視界が霞み、捩じれた間接が不気味な音を立て始める。悲鳴も掠れ、意識が遠のきかけたその時、不意に「ぅンべッ!?」と言う悲鳴と共に、サイコキネシスが解除された。地面にくず折れたエレの隣に降り立つ彼は、技を解除した尻尾の先でそっと彼女の頬に触れる。
「パッキィ……!」
「立って、エレ! まだ勝負はついてないよ!」
 パチリスの声に励まされ、歯を食い縛って立ち上がった視線の先で、頭の天辺をアイアンテールでぶん殴られたフワライドが、ふらふらと浮かび上がるのが目に留まる。パッキィが投げ渡すタネを右の利き手に収めつつ、今度こそ相手に先んじたエレは、そのまま一気に撃尺の間合いへと踏み込んだ。
 ギフトパスで道具を渡したパチリスの方は素早くジュプトルの肩に飛び乗ると、彼女の掌で息づいているタネを使って、自然の恵みを発動させる。具現化したのは闇色の光。パチリスの呼び掛けに応じ生まれたその力は、技を繰り出そうとするジュプトルの腕に絡み付き、新緑の特性で切れ味を増した若草の刃に、悪属性のエネルギーを封じ込めた。
「やぁあああ!!」
「はぁあああ!!」
 右肩で吼えるパチリスに和し、エレ自身も残る気力を振り絞り、息を合わせて技を繰り出す。ただ一点を見据えたリーフブレードが狙い過たず急所を捉え、最後の相手を空を切るように両断した後。ジュプトルの肩からどさりと落ちたパチリスは、終わった途端に引き攣り始めた手足の痛みをこらえつつ、恨めしそうに虚空(そら)を見上げる。
「……穴抜けの玉シェアして貰うの忘れてた」
 絶望以外何も無いと言わんばかりの顔色のまま。パッキィはそっとトレジャーバッグに手を伸ばし、勝手知ったる私物入れの端っこから、色褪せた袋を引っ張り出す。そのまま中身を探ろうとした所で、脇からエレが手を伸ばし、タネの詰まった小さな袋を取り上げた。
「ダンジョンから脱出するまでが救助。……そう言ったのは誰だっけ?」
「……敵わないなぁ」
 目潰しのタネを戻しつつ、くすりと笑ったジュプトルに対し。起き上がる気力も残っていないパチリスは、ぼやきと共に溜息を吐いた。

 二つの影が交錯する内、広場はどんどん様変わりしていった。双方共に破壊的な技を振り回す訳ではなかったものの、鍛え抜かれた一撃の重さと手数の多さが、否応なしに周りの地形を削り取っていくのである。
 主に攻めるのはマーシャドーの方で、リオルは専ら回避に追われる側だった。身軽な彼が次々足場を変える度、足元の影が槍のように閃いて、壁や床土を鋭く穿つ。乱打される影打ちが波紋ポケモンを追いかける内、不意にその内の一本が、トレジャーバッグを引き裂いた。動きの邪魔にならぬようアレンジされ、タスキ掛けにされた布の袋の裂け目から、幾つかの枝や不思議玉と共に、見慣れぬバッジが粘土の上に零れ落ちる。
「それは……!」
 思わず手を止めたマーシャドーの視線の先で、くすんだ紀章は鈍い輝きを放っている。驚愕に彩られた影住みポケモンの表情が、次いで再び敵意に染まった。
「そうか……そう言う事か。お前はミュウの――星の調査団のメンバーだな?」
「『元』、だけどね」
 ルインが短く訂正すると、マーシャドーが新たな憤懣を爆発させる。
「なら、どうして僕らの邪魔をする! ダークマターと戦ったなら、あの泉がどんなに大切なものか分かってる筈だろう!」
「ダークマターを知ってるからこそ、手段を選べと言ってるんだ!」
 荒々しく吠える影の守護者に、彼も強い口調で言い返す。嘗ての記憶と戦いの日々が、波紋ポケモンの痩身に強い覇気と威圧感を蘇らせた。
「こんなやり方じゃ何も変わらない! 誰もいなければ、邪魔されなければ、そんな考え方で彼らを倒す事は出来ない! 拒絶や憎悪で、ダークマターを滅ぼす事は出来ないんだ!!」
 引く気の無いルインの様子に、影住みポケモンは怒りを交えて叫んだ。
「僕は虚無の世界を見た!」
 ぎりと歯軋りの音を立て、小柄な影が拳を固める。
「ゼルネアスに護られてたお前達とは違う! あそこで見たものを、僕は絶対に忘れない。あそこに送られたポケモン達が、どれだけ苦しみ抜いたかも。もう絶対に、あんな目に遭うポケモンが出るのを許す訳にはいかない!!」
 強い光を放つその瞳には、断固たる決意が滲んでいる。守護者としての責務を果たし、主の無事と引き換えに闇に呑まれた彼にとり、次の戦いに備える事は至上命題そのものだった。闇の力から無力な者達を護る為、己が主が心血を注ぎ用意した泉。その泉を守り抜くのは、彼にとって自らの存在価値に等しかった。
 例え僅かでも泉の存続に支障が出るなら、彼は決して捨て置かなかった。全ては虚無に打ち勝つ為――例えその為に幾許かの犠牲が伴おうとも、無視した結果訪れるだろう破局に引き比べてみれば、どれほどの事もない筈である。
「ホウオウは僕に、封印の泉を託すと言った! 彼の守護者として、僕は何があろうと泉を守る。邪魔する奴は容赦しないし、ホウオウも僕の判断に異議を唱えた事はない!」
「憎悪にコントロールされる世界の為に、僕らは戦ったんじゃない!」
 言い返すリオルの側にも、決して譲れぬ思いがあった。あの戦いの最中、幾度も擦れ違った真実。――結局気付けぬままに齎された結末が、彼の世界を永遠に変えてしまったのだから。
「そんな世界、恐怖で押さえ付けられてたあの頃と何も変わらないって何故分からない!? 誰かを犠牲にして成り立たせる――そんなやり方が、ダークマターを生み出したんだ!!」
 マーシャドーの主張に対し、リオルは厳しい口調で切り返す。鋭い目付きで睨め付けて来る相手に向けて、彼は更に意見を述べる。
「ホウオウにしたって、何も言わないんじゃなくて言えないのでは? 自分を庇って虚無の世界で苦しんだ君に、強く意見するのは難しい。僕はそう思う」
 波紋ポケモンの指摘に、小柄な影が更なる怒りを爆発させた。「つまり、僕の独り善がりだと?」と応じた彼は、最早何も聞く気は無いと言わんばかりに、真っ直ぐリオル目掛けて襲い掛かる。放たれたシャドーボールを真似っこで相殺しつつ、ルインはトレジャーバッグに手を伸ばして、銀の針を掴み出した。
 影を纏わせ投じられた闇色の針を、マーシャドーは固めた拳で払い落とす。続け様に二の矢を放ち、素早く跳び下がる波紋ポケモンを追い詰めるべく、彼は自らの影を操って、連結させたリオルの影を槍の穂先へと変貌させた。足元から伸びる鋭い刺突を避けるべく、背後に向けて跳んだ相手が壁面を蹴って逃れた時、動きを読んでいたマーシャドーは、既に追撃の呼吸を整え終えていた。着地点から岩の刃が突き出た瞬間、彼は己の戦果を確信して、瞳の内に残忍な笑みを覗かせる。――だが次の瞬間、それは驚愕の色に塗り潰された。
 ストーンエッジに貫かれる筈のリオルが再度空中を蹴った時、マーシャドーは波紋ポケモンの足元に、形もあやふやな何かの影を目に止める。主の代わりに技を受け、砕けて消えたその正体を悟る暇も有らばこそ、彼は息もつかさず技を繰り出し、身代わりを足場に飛び掛かって来た波紋ポケモンを迎撃する。炎を纏った蹴りを弾き、打ち消された冷凍パンチをシャドークローに置き換えると、着地したリオルのこめかみ目掛け打ち掛かる。上体を反らし掠らせもしない相手に対し、流れるように回し蹴りを繋いだ彼は、次いでリオルの見切りを打ち破るべく、呼吸をずらしフェイントを掛ける。謀られたと悟った相手が、咄嗟に構えた防御の備えを打ち破るべく、彼は相手の蒼い細腕に向け、折れよとばかりにシャドーパンチを繰り出した。
 けれどもその一撃は、決定打とはなり得なかった。構えた腕に波動を込め、サイドンですら骨折しかねぬその一撃を鉄壁で受け止めたルインは、逆に動きの止まった相手に対し、ドレインパンチで逆襲する。急所を打たれ、呻きと共によろめいた対戦相手を、彼は続いて強烈なブレイズキックで打ちのめす。火炎の尾を引く飛び回し蹴りが小柄な影を直撃し、流石の守護者も堪え切れずに、叩き飛ばされて地に転がった。
 それでもまだまだ、勝負を決めるには程遠い。歯軋りして立ち上がったマーシャドーの表情には、未だ消耗の色は皆無であった。
「よくもやったな……!」
 殺気立った目で睨み付ける相手に、波紋ポケモンも怯む事無く言い返す。
「何があろうと止めて見せる。変えられないなら腕ずくででも!」
 水を入れようと追撃を止めたルインの意思も、解されるには程遠く。断固たる物言いに反って戦意を掻き立てられた影住みポケモンは、烈しく気を吐くと瞬時に七体に分身した。自らを押し包むように攻め込んで来る敵影に対し、リオルは素早く道具袋に手を伸ばし、自らも一挙に帰趨を傾けるべく、次なる力に呼び掛ける。
 一気に打ちかかろうと画策していたマーシャドーだったが、その目論見は鋭く利き手で地面を穿つ、リオルの反撃に阻まれる。自らの影に腕を突き込んだルインに合わせ、影住みポケモンの足元から漆黒の闇が突き上げて来て、影の主を直撃した。
「ぐっ!」
 まともに入った真似っこ(かげうち)に足を止められた相手に対し、ルインは一気に畳み掛けるべく、自然の恵みを発動させつつ前に出る。電光石火で距離を詰め、迎え撃とうとするマーシャドーの備えをフェイントで引き外した彼は、ワープのタネから預かり受けた超属性のエネルギーを、そのまま一挙に相手の鳩尾に叩き込んだ。
 防御手段が一切通じぬ痛撃に、影住みポケモンの表情が歪む。「ぐあ!?」と息を吐き身体を折った相手に向けて、彼は全精力を傾け技を繰り出す。水平切りが一閃し、蒼い軌跡を描いて影住みポケモンを切り裂くと、断たれた影は力を失い地に滲むように消えていく。
 並みのポケモンなら落命しかねぬほどのダメージだったが、波動を通して相手の状態を読み取れるルインには、マーシャドーが未だ十分な余力を残しているのが分かっていた。全く衰えを見せぬその戦意を挫くべく、彼はもう一度狙い澄まして、鋭く踏み込みはっけいを繰り出す。だがその一撃は、全身を地に滑り込ませるように消え失せた、影住みポケモンを捉える事が出来なかった。
 直後、ルインは閃く殺気に追い立てられるように横に跳び、シャドースティールを回避する。もう一度影の中に潜んだ相手に対し、彼は全神経を集中して待ち構えた。
 だが完璧な態勢で待ち受けたにもかかわらず、彼はマーシャドーの攻撃を躱せなかった。見切りや守るを無力化する、ゴーストダイブ――影打ちやシャドースティールとは全く異質の奇襲に対し、ルインは不覚にも対応出来ず、背後から強かに痛打を浴びる。
「くッ……!」
 手前によろけたたらを踏んだリオルの隙を、影住みポケモンは見逃さなかった。吸い付くように身を寄せた彼は、踏み止まろうとする波紋ポケモンの痩身に、情け容赦ない連続攻撃を叩き付ける。インファイトに乱打され、堪らず地面に叩き付けられたルインは、次いで突き出した影打ちに腹部を突かれ、再び空中に跳ね上げられた。優に四身長分弾き飛ばされたリオルは受け身も取れぬまま墜落し、ゴボリと激しく咳き込んで、地面に赤黒い染みを零しつつも立ち上がる。
「……こらえるか」
 何とか構え直したリオルの様子に、マーシャドーが冷たい声音で看破する。荒い息を詰まらせながら、タスキ掛けにしたトレジャーバッグから何か取り出す波紋ポケモンを見守りつつ。対戦相手が力尽きるのを待つ彼は、そのまま静止した相手の様子を訝るような表情で探る。
 やがてリオルの利き腕が輝きだし、淡い光が荒れた床土に溢れた時。漸く彼は目の前のポケモンが、まだ諦めていない事に気が付いた。

 錆と黄水の臭いを振り払いつつ。ルインは辛うじて繋いだ戦う力を、既に限界まで高まりつつある、自らの波動で支え止める。追い詰められるほどに勢いを強め、輝きを増す生命の力。種族特有のこの性質が真価を発揮させた今、彼は漸く最後の切り札となるものを、己が利き手に掴み取った。熱いうねりが苦痛を退け、凝り固まった全身を闘争心で満たす中、彼は取り出した黄金のタネに向け、己が波動を注ぎ込んでいく。
 独りならば溢れるばかりの力の波は、呼び掛けられた種子を器に更にその威力を増して、新たな色と属性を得た。蒼い輝きに紺の光が入り混じり、タネに宿った竜の属性が目覚めた所で、ルインはぐっと目を閉じると、全ての意識を技の制御に張り付ける。
 竜属性(ドラゴンタイプ)――そは即ち、「統べる力」。時を司る力も空間を司る力も、タイプとして還元すれば、全てこの属性に辿り着く。数多の属性を横断し、それを凌駕する別格の力。それがこのタイプにおける、一般的な認識であった。
 けれどもそれは、この力の一側面に過ぎなかった。他にも例えばこの属性は、時として「生命力」の象徴としてあらわされる。生きとし生けるもの本来の力を引き出す、妖属性とはまた異なった、生命の根源的な存在。……しかしそれも、この力を正確にあらわしている訳ではない。
 本当の意味での、統べる力。それは異なるもの同士の間に入り込み、より大きな調和を生み出す為の、潤滑油の役目を果たすものなのである。それは決して他を支配する力でも、捩じ伏せ押し潰す破壊の源となるものでもない。異なる相の力同士を結びつけ、多くのものを繋ぎ支える事によって、結果的に自らもその勢力を保ち、万物の一部として存在する余地が生まれる。――それが「統べる」と言うこのタイプに込められた、真の意味であり役割だった。
 握り締めた手の内に感じる、温かな波。力の掛け橋に促され、徐々に広がり始めた光の波紋は、助力を願った一個のタネに留まらず、瞬く間に全ての木の実へと波及する。揺り起こされた無数の果実が同調し、共鳴する種子が巨大な力の渦を呼び起こす中、思いもかけぬ展開に焦りを隠せなくなった対戦相手が、影を伸ばして止めを刺そうと技を繰り出す。
 だが波紋ポケモンを貫く筈の一撃は、相手の全身を覆い尽くすまでに膨れ上がった、自然の恵みにかき消された。あらゆる属性が入り混じっている極彩色の障壁は、続いて放ったシャドーボールも苦も無く呑み込み、思わず立ち竦む影住みポケモンに強烈な余波を吹き付けて来る。一方のルイン自身はそんな動きには一切構わず、自らの波導と自然の恵みを完全に一体化させるべく、集中力を絶やさなかった。
「ダークマターにならないで」――不意に響いたその言の葉に、彼は奥の歯を食い縛る。決して忘れる事のない、過去の自分が犯した罪。今の自分を見出す代わりに失ったものの大きさを、彼は幾度も虚空に叫び、地に齧り付いて慟哭した。
 最後に顔を上げた時、託された願いに応える為に、歩き出そうと心に決めた。――その代償となった相手の、望みに支えられながら。

「私は何の為に生まれて来たんだろう……?」
 旅立ちの日、彼女はそう呟いた。強くなり、同じ能力(ちから)を身に付けて、何時かこの地に戻って来る。ただそれだけに望みをかけた彼の背を、村を出られぬ幼馴染は寂しそうに見送った。生まれながらに波動を操り、因習に縛られ「神子」として留め置かれる彼女を自由にする事が、彼が外の世界に駆け出した、たった一つの目的だった。
 そんな旅空の最中、戦いが起こった。乞われるままに闇に抗い、信を置かれた仲間達と持てる力を存分に発揮していた彼の下に届いたのが、故郷の村が襲われたと言う凶報だった。夜に日を継いで駆け付けた彼を迎えたのは、廃墟と化した生まれ故郷に君臨する、彼女の静かな狂気だった。長だったものの破片を砕き、「待てなかった」と微笑む少女に漆黒の憎悪が迸った時。彼は自分の生涯で最も重い決断を、下す以外に無いのを悟った。
 悪夢のような死闘を制した後。漸く心を開いてくれた彼女を通じて、彼はダークマターの本質を知った。――恐怖を力で抑え付け、嫌悪と怒り、敵意を以て応じていた自分達の戦いが、如何に虚しいものだったかも。師であった相手に加減など出来る筈もなく、自ら穿った傷口を必死に押さえる彼に向け、彼女は弱々しく微笑みながら、か細い謝罪と共に願った。『ダークマターにならないで』、と。
 痩せた亡骸を葬った後。長きに渡る戦いを終え、奇しくも同じ結論に至っていたリーダーに、彼は一切の役目を解かれた。パートナーと未来に赴き、今一度全ての決着をつけると決意した新種ポケモンは、自ら率いた仲間の内で彼ひとりだけ、何の役割も与えなかった。仲間達がそれぞれの役目を負って散っていく中、彼は為すべき事を見出せぬまま、再建を急ぐ故郷に背を向け逃げるように旅立った。
 当て所無い漂泊を続ける内、偶々手に入れた一個のタネが、彼に生きる目的を与えた。小さな標(しるべ)は友を呼び、やがてより大きな未来に向けて、孤独な旅人を導いてくれた。――タネに宿るは生命の力。天地を繋ぎ、未来に向けて芽生えようとするその力は、奪い去られた数多の過去から羽ばたこうとする、新たな世代への希望でもあった。
 ――自分達のようなポケモンが、二度と生まれる事の無いように。縛る事や閉ざす事、拒み憎む事によって保たれる世界を穿ち、揺り動かす一助となる為に、彼はこの力を使うと決めたのだ。

 立ち昇った力の渦に気圧されるように、影の守護者が半歩退く。瞬発力を生み出す為に取った動きに、無意識の内にもたげた怯惰が揺らめいたのにも気付かないまま。彼は漆黒の影を全身に纏わせ、持ち得る力全てを投じて、相手を一挙に抹殺すべく身構える。マーシャドーの漆黒が膨れ上がり続ける一方、リオルの光は徐々に一点に収束し、彼の利き手に吸い込まれるように凝縮する。最早どう見ても、防御障壁として機能する事は無いだろう。
 満身創痍の波紋ポケモンが脆弱な本体を曝け出した時、勝機を見出した影使いは、そのまま一気に疾走に移った。力を宿した左腕を避け、無力な胴を直撃すれば、痩せた五体は跡形も無く消え失せるだろう。走りながら相手の影に術を施した影住みポケモンは、動けぬリオルに止めを刺すべく跳躍し、敵に向けて真一文字に襲い掛かった。
 噴き出す影が巨大な尾を引き、闇色の鏃と化したマーシャドーが流星のように迫って来る中、ルインは利き手に集めたエネルギーを、満を持して解放させた。光が弾け、影の干渉を打ち消して影踏み状態を無力化するや、彼は溢れ始めたエネルギーを一瞬たりとも無駄にせぬよう、自らの波導で制御しつつ打って出る。
 融け合った生命の灯がダンジョンの闇を打ち負かし、強大な影を情け容赦なく剥ぎ取っていく中、彼は矢声と共に地を蹴ると、稲妻のような蹴りをすり抜け、突き刺さるようなはっけいを決めた。

 奔騰する光の波が消え去った後。力を全て使い切ったリオルに向けて、彼は小さく問い掛けた。
「何故……?」
 未だ崩れぬ彼の身には、目に見えるような傷は無い。一瞬で蒸発させられてもおかしくなかった圧倒的な波導の渦は、彼の身体を一切傷付ける事は無く、ただ吹き荒ぶ風のように、澱んだ体内を駆け抜けていった。
「僕はただ、止めるとしか言って無い」
 突き当てていた利き腕を収め、相手を支えてやっていた右手をそっと離したルインは、次いで傷だらけの痩身に似合わぬ気丈な声で言葉を続ける。
「それともまだやりたいと?」
「いや――」
 ゆっくりと下がった小柄な影が、消え入るような声で呟く。目の前のリオルではなく、対峙した全ての相手に向けて――命を分ち、生きる力に祈りを込めて呼び掛けてくれた彼らに向けて、彼は静かに意思を伝えた。
「僕の、負けだ」


 旅立ちの日は、それから五日後の事だった。造り掛けの学校を傍らに大勢の見送りを受けた三者は、村を離れるその前に、オルトと共に村を見下ろすあの丘へと足を運ぶ。
 既に力を失っている靄の中、ルインは風の道を考慮に入れつつ、水はけの良さそうな場所を選んで土を掘ると、黄金のタネをそっと埋めた。丁寧に土を被せ、たっぷりと水をやって立ち上がると、彼は周りのポケモンに一つ頷き背を向ける。――オルトが見守ってくれる以上、この上細々と世話を焼く必要は無い。
「約束するよ。ここを、良い村にする」
 別れ際にそう宣言したプロトーガは、自らの道を歩むと決めた姉弟を、激励と共に送り出した。
「穏やかで、誰もが受け入れられる村に。誰も何にも縛られず、自由に生きようとする意志を、温かく見守っていけるような――そんな村にして見せるから」
 トルトの後を継ぎ、木の実の世話をして暮らすと決めた一人息子は、最後に深々と頭を下げ、自分の居場所へと戻っていった。
 村の外れに至ると、次いでジュプトルが足を止める。彼方に広がるキリタッタ山脈を望みつつ、以前とは比べ物にならぬほど逞しくなった彼女は、「私はここで」と切り出した。海を渡って草の大陸に向かうと告げた彼女に対し、ふたりは手持ちの道具や路銀を割いて、肩から下げた真新しいトレジャーバッグに補充してやる。
「ふたりとも、本当にありがとう。命を助けて貰って、村を救って貰って……。私からは何も出来ないのが、本当に悔しい」
「気にしない気にしない! それに本気で御代を請求したら、多分みんな引っ繰り返るよ? なんたって、このパッキィさんが命懸けで解決したんだからねっ!」
「……こんな時ぐらいもっと格好付く事言ったら?」
 呆れ顔で突っ込んだリオルに対し、「ほぅ? 君が格好を気にするとは」とニヤニヤ笑いを浮かべるパチリス。そんな何時ものやり取りに、今更のように名残惜しさを覚えたエレは、暫しの間口籠り、暑気の薄れた季夏の微風を背中に感じる。
 やがてそれと察した両者がそっと視線を向けた所で、彼女は小さく息を吐き、恥ずかしそうに笑って見せる。
「ダメだな、こう言うの。……折角言いたい事があるのに、上手く出て来ないんだもの」
「それが人生ってもんだよ。大切な時に出て来ない。……肝心な時だけあっさり役立たずになって、何時までも後悔させられる。なんであの時、何時もの自分でいられなかったんだろうって」
 何時に無く真面目な表情で応えてくれたパッキィの言葉が身に染みて、彼女は思わず目をしばたかせた。込み上げて来た感情の波がゆっくりと通り過ぎるまで、二匹のポケモン達は優しい眼差しで見守ってくれた。
「……ゴメンね。なんて言うか、どうして良いか分からなくて。どうなりたいのかは、ちゃんと分かってるつもりなんだけど」
「泣いても笑っても良いんだよ。ボク達は感情を隠さなきゃならないほど、詰まんない関係じゃないって信じてる」
 パチリスの言葉に、傍らのリオルも「うん」と頷く。そんな彼らの飾らぬ言葉が、今の彼女にはどんな慰めよりも有難かった。
「ありがとう、パッキィ。……私、あなたと会えて本当に幸せだったと思う。一緒に戦ってくれて、あんなに心強い事は無かったよ」
「どう致しまして! まぁサポートに関しては、ボクの右に出るポケモンはそうそういないだろうからねっ! 誰かさんの相方が務まるくらいだし」
 当て付けられたパートナーがジト目で睨むのも意に介さず。陽気なパチリスはちょろりと前に進み出ると、屈み込むジュプトルと握手を交わす。頬にそっと口付けを受け、「わぉ……!」と嬉し気に歓声を上げるそんな彼に微笑みかけると、次いで彼女は残るリオルに向き直る。
「ルイン、あなたも。あなたが来てくれなかったら、私は今ここにはいない。……私だけじゃない。オルトも義父さんも村のみんなも、あなたがいてくれたから救われた。あなたがみんなの、村の運命を変えてくれたの」
「大袈裟だよ。偶々そうなっただけ」
 苦笑いして「結果論だ」と片付けようとしたリオルに、エレはそうじゃないと首を振り、赤い瞳を真っ直ぐ見据える。上手く言えるか分からなかった言の葉が、今なら言えると何故か思えた。
「あなたには、変えられる力がある。私やみんな、パッキィがそうだったみたいに。……それは、友達があなた自身を変えてくれたから」
 小さく口を開きかけた彼に対し、エレは更に言葉を続けた。――今伝えられなければ、自分は一生後悔する。そんな思いが、力強く背中を押しやる。
「技の練習をしてた時にね、オルトが言ってくれたの。好きな相手だからこそ、幸せになって欲しいって。大切な相手だからこそ、縛り付けられて欲しくは無いって……。私はきっと、その子もそう思ってるんじゃないかって思う。今もあなたの中に、自分の面影が残ってるのなら」
「……」
「彼女があなたに伝えたものは、今でもあなたの中に生きてる。あなたを変えたその力が、パッキィを変え私を変えて、村のみんなを変えてくれた」
 向かい合うその沈黙に、気圧される事の無いように。彼女は最後の勇気を振り絞って、目の前の恩人に意思を伝える。
「だから、私は――ルイン、あなたのようなポケモンになりたいの。何かを変えられるようなポケモンに、誰かを変えられるようなポケモンに。あなたやあなたの友達みたいに強くなくても、小さな事しか出来なくても良い。何かを変えられるようなポケモンになって、少しでも誰かの力になりたい。それがあなた達の贈り物に、私が報いるたった一つの方法だと思うから」
「……何かを背負って欲しくはないけれど、きっと出来るよ。君になら、何でも出来る。僕はそう信じてる」
 漸く応えてくれたルインが、柔らかな笑みを浮かべた時。エレは自分の思いが幾許かは届いた事を、透き通った瞳の奥に感じ取れた気がしていた。

「さーて! それじゃ、次はどうするの?」
 エレとも別れ、テンケイ山に臨む丘の上までやって来た時。相も変わらぬ呑気な声で、パッキィが伸びをしながら語り掛けて来る。「さあね」と答えた彼の態度に不服らしく、小さくむくれた白リスは、それでも今日は何も言わずに、間近に聳えるテンケイ山を仰ぎ見る。
 雲の影も疎らなそこに、もう守護者はいない。山を護るのは村のポケモン達の役割となり、役目を終えた影住みポケモンは、ホウオウの許へと戻っていった。
『ダークマター』とは決して、特定の怪物だけを指すものではない。それは誰の心の中にもある、極めて普遍的な感情の延長線上に萌すものだった。知らず知らずの間に理性を歪め、コントロールする心の闇。愛情や誇り・正義が悪意に染められた時、抜き放たれる鋭利な見えざる刃こそが、遥かな先の破滅を約す、魔物の正体に他ならない。自らの内に揺蕩うそれを、二度と表に出さぬと硬く誓って、影の守護者は事後を彼らに託しつつ、感謝の言葉を残して消えた。
 引継ぎや後始末には紆余曲折があったものの、幸い大きなごたごたもなく、新たな友人と掟を加えて、村の暮らしは旧に復した。マーシャドーに協力していたゴースト達も村を去り、住人達は新たな未来を築き上げるべく、力を合わせて再建活動に取り組んでいる。
「まーだ村は白っぽいままだね」
 そう呟いたパチリスが、身を乗り出したのに合わせるように。不意に一陣の風が地を払い、村を包む霧の幕を取り去った。一足先に空を見上げていたリオルに合わせ、自らも天を仰いだパッキィの目に、虹を背景に飛び去って行く、巨大な鳥の姿が映る。
「ホウオウだね」
 思わず息を呑むパチリスに対し、リオルが何時もの調子で言葉を添える。それだけでは普段の態を崩さなかった彼だったが、視線を下げた時には珍しく小さな声を上げた。
「へぇ……」
「うわぁ……すごい!」
 薄暗く靄に覆われ、今朝方までは縮れた葉が付いていただけの村の果樹が、虹の掛かった蒼空の下で、枝一杯に実を付けている。命を与える能力を持ち、再生を司ると言われるその力を目の当たりにし、大抵の事には動じぬルインも目を見張ったまま立ち尽くす。ふと気が付いたように身体を捻ってみた彼は、おもむろに巻き付けていた包帯を解き、綺麗に畳んでトレジャーバッグに仕舞い込んだ。
「きっと、彼なりの御礼なんだろうね。……若しくは御詫びか」
「どっちでも良いよ」
 結局素っ気ない対応に戻ってしまったパートナーに、パッキィは今度こそ大むくれとなる。「そんなだからろくに友達が出来ないんだよ」と毒づく彼に、連れない親友は「それなら君は異端児だな」と混ぜっ返す。更に機嫌を損ねた彼であったが、今日は珍しく相手の側がとりなしを入れた。
「僕みたいなのの友達でいてくれて、感謝してるよ」
 続いて彼は、思わぬ言葉に勢いを殺がれ、二の矢を継ぎ損ねたパチリスに向け、「それでどうするの?」と質問を返す。
「黄金のタネも植えちゃって、もう当ても残ってない訳だし。そろそろ故郷に帰ってみるなり、好きにしてくれて構わないんだよ」
「……ルインはどうするつもりなの?」
 戸惑いつつも投げ掛けた問いに、リオルは肩を竦めて苦笑した。その目の奥に、今までとは違った輝きが生まれつつあるのに気が付いて、パッキィは思わず顔を綻ばせる。
「何も変わらないよ。タネは他にもあるからね。植え切るまでは、そうそう終わりって訳にもいかない」
「……そう言う事なら、ボクももう少し友達でいてあげるよ。せめて君がオトナになるまでは、ついてってあげなきゃ不安だし」
 悪戯っぽく笑いつつ、彼は「だからこれからも、もっともっと感謝してくれて良いんだからね!」と陽気な声で締め括る。
「はいはい」と首を振って進み出す、友の背中を追い掛ける。――そう遠くない未来、友人は再び歩き始めるだろう。他の誰かの為ではなく、今度こそ自分の未来の為に。過去の呪縛を振り解き、種族としての新たな姿を受け入れるまで、共に傍らで歩み続ける。それが同じ苦しみから解放された、彼の唯一の望みだった。
 消えゆく村を振り返ったパチリスは、最後に小さな身体を目一杯に引き延ばし、彼方の丘に現れた一本の木に手を振った。
 遥かに見据えるその先に、霧の残滓に樹皮を濡らし、大きな実をたわわに付けたまだ若々しいオボンの樹が、くっきりと映える大輪の虹を頂きつつ、静かに村を見下ろしていた。



・後書き

はい、例によって間に合いませんでした(爆) めめさんごめんなさい……。そして取りあえずwikiさんに投げるしかねぇかと思って書き続けたのですが、そちらも結局見切り発車に。もうね、何をやっておるのやら……。
作風は思い切ってライトノベル風に。このところ頭の固い御話ばかり書いていたので、今回は厨二全開で行ったろうと決めてました。これはこれで楽しかったのでまぁ満足です!
加筆したい条項もまだまだあるのですが(元々連載用のネタだったのが原因)、今回はここで一度置いとこうと。末尾になってしまいましたが、テーマイラストをお書きになられた浮線綾さんに多大な感謝を捧げまして結びとさせて頂きます……。有難うございました!