下記と同じく、今年のポケモンストーリーカーニバルに掲載した作品です 説明不足注意
「ミクの木の葉が全部落ちたら、わしもレヒレのところへ行くよ。」
あなたが確信をもって言うなら、きっとそうなのでしょう。ついに口に出したそれに、ワタシは思っていたよりずっと驚きはしなかった。
分け入っても分け入っても白い雪。“あろーら”とやらは南国の地と聞いていたのに、この建物の中は床まで壁まで真っ白い。
だからきっと、住む人々の心の冷たさがここを凍えさせているのだ。
愛おしむように触れる手のぬくもりが、この甲羅の大きさを確かめた。
ミク。ミライ、未だ来ない時間。
海の向こうから来てくれたあなたが、何も知らなかったワタシを初めて呼んだ名前。
意味もよくわからないけれど、こちらから聞くこともできないけれど、それは”おや”と呼ぶにふさわしい響きを持ってまだナエトルだった自分を包んでいたことだろう。もう覚えていないけれど、きっと輝かしい瞬間だったに違いない。そう思って目を閉じた。
○
「なんでアイツが来ないんだよっ!」
わがままだと頭で分かっていても、ヤツの死を見守っていた人達に裏切られた気持ちを整理することはできない。
「さっき説明しただろう、いい加減にしろ?グランパの死を悲しむ気持ちは、みんないっしょだ。」
「嘘だね!」
だっておじさんは、住んでいるカントーとやらからじいちゃんが神経衰弱になってアローラに身体が移されてから、この方一度も見舞いに来なかったじゃないか。
じいちゃんが死んだのは勘違いのせいだっていう。エーテル財団が保有するホスピス紛いの真っ白な内装を僕のおじいちゃんのドダイトスの身体が勘違いして、
野生にいる時のように冬籠りの準備を始めた。それで木の葉を落とし始めたその背中の樹を見て、死期を悟ったような言葉をこぼしたという。
当のドダイトスは不思議なほど落ち着いていて、最近はボールから出るのもおっくうがっていたに留まらず、じいちゃんが死んでからは暴れ出すのを抑える身体的拘束にも全く抵抗しないようになった。
「けどさ、僕知ってるんだよ。本当にじいちゃんを殺したのはミクじゃない。それだけは知ってる。」
「…まだそんなこと言ってるのか?」
少しでもミクを安心させようと思って言ったセリフだったけど、後ろで僕を呼びに来たおじさんにとっては責めているように聞こえたようで、その末に僕もわがままとかんしゃくを爆発させてしまった。
遠い地に旅立って、時間と空間と心の旅をする。言葉にすれば美しいけど、じいちゃんが独り善がりな夢を歩んで家族に残したものは、人並みの遺産と、それを奪い合う愛人の娘だ。
アローラで生まれたじいちゃんはカプの因習に馴染めず、蒸発するようにキュワワーとシンオウに旅立って、いくばくかの地方を巡りバッジを集めてのち家庭を作った。
問題は、カロスに骨を埋めたとばかり思っていた彼は、その旅のはじまりの土地でも人並みに恋をしていたことだ。
それと、ドダイトスというポケモンになると人間の想像を絶するほどの年月を生きると、当時伝わっていなかったこともいちおう付け加えるべきなのかもしれない。
母はひるがえってアローラの地縁を大事にし、エーテルに就職したーーと、ここまでの説明を貰ったことはあるけれど。
僕だって知っている。マスクをつけたようなアバンギャルドな姿の別の地方のポケモン、シュシュプを看護の仕事の相棒にさえ選んだ母も、このアローラの、その質を選べないままに濃く続く人間関係と大自然に馴染んでいるとはとうてい思えなかった。だからなのか、いちおうの多くの看取り方の知識がある母が、その父さんであるじいちゃんと過ごした地に縁のゆかりもないアローラ風の葬儀を選んだのは、愛人へのあてつけなのだろう、というウワサは、その子供に隠しているつもりでも聞こえてきた。
アローラに多くの死との向き合い方があるのは、その土地を塗りつぶして息づいてきた、たくさんの文化の反映だ。
じいちゃんの墓は残らない。向こうの水際に立っているじいちゃんの家族は、みんなシンオウでそうであるようには真っ黒な服で悲しみを表したりはしない。
普通のアローラシャツやスーツとスラックスで談笑している。
キュワワーが遺灰を載せる草で作った舟を持って海に撒きに行くのを見送った後は、Zダンスを踊ったり歌って、賑やかに彼が辿った旅路を祝福するのみだ。
だから、きっと血なのだろうと思う。いつかは僕も、この場所から離れる時が来るのかもしれない。とっても自分勝手に。
ふと、後ろから、僕が思っていたよりずっと優しい顔をして、僕の名前を呼んだ。
「先に行ってるわね。」
母と香水ポケモンと毒ガスポケモンはふと足を止めて、言葉をつけくわえた。その言い方は、ここに来てくれなかった人達に似ているなと思った。
おじさんは、葬儀の喪主に急かされて、
「必ず来いよ。」
と言葉尻を緩めて、足早に走って行った。
僕の嫌いなそれらが織りなす華やかな香りが、アローラ一面に漂っているように思えて、でもそれを今は自分の一部として認めようと思うのだった。
「医者というのは、少しでも多くの命をこちらに留めておく罰当たりな仕事だから。じいさん個人に対して好きとか嫌いとか言ってられないんだ。ごめんな。」
というあの人からの今朝の電話で、整理をつけた、そのはずだった。
「今は自分の世界に閉じこもっているかもしれないけど、いつかミクにも新たな道に旅立つ日が来るわ。きっと来るの。だから、
あなたがその側にいたって、何の問題はないと思うの。」
母が昨日言った、託された言葉を思い出した。
だから、笑うことも出来ない自分は、きっと悪い子なんだ。
「だから、行って来いよミク。」
そう言いながら、僕は巻きついた足枷を外して、彼女を家族の元へ送り出す。
巨樹のポケモンはすぐには歩き出さなかった。軽くなった錘をすこし億劫そうに持ち上げて、それが肉体のひとつ(あし)に変わる。地を蹴る推進力(ちから)に変える。
おとな達は陽気に歌っていた。彼女は最後にもう一度振り向いて、
『じゃまもの』の意識はもうこの宇宙のどこにも残っていないから、世界は喜んでいるんだ。
だから空は吸い込まれそうな海のように青いし、こんなに綺麗な虹が出ているのだ。
とでも言っているように僕は感じた。
「ちがうよ。」知らず言葉が漏れる。
後ろに、どこから聞きつけたのか、シンオウのじいちゃんの愛人が立っていた。
「もう、どこにもいないんだよ。」
たましいを運ぶ船はいまさっきまで近くにいたのに、あっという間にほぐれていく。
「なんで泣いてるのよ、人の気も知らないで、ずっとあの人と一緒にいたくせに!」
波音が響いていた。シンオウとアローラと、同じ背中合わせの大陸を前にしても、心がずっと遠くに離れていく。
初めから、こんなのは儀式だって割り切れるはずだった。魂なんて信じていないなんて、真っ赤な嘘だったのだ。
「あの人に追いつくためにわたしは、わたしはーー!」
「僕だって、僕だっていつか島巡りを完遂して、立派な大人になります。だって、ぼく、もう11になるんです。それでーー」
泣きじゃくって、後半は言葉にすらならなかった。
キュワワーが、何も知らないような顔で戻って来た。
宴会が始まった。