お疲れ様ですー!
エネコロロVSゲンガーで書かせていただきました!
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「じゃあ行ってくるから。留守番よろしくな、エネ」
あの日あたしは、顔も見ずに尻尾を振って見送った。
『――先月24日、オツキミ山に登山に出かけたまま連絡が取れなくなっていたタマムシシティの20代の男性が28日、頭部のない遺体の状態で見つかり……』
テレビはそっけなくあいつが「帰ってこない」ことを告げた。くるくる変わる事件のニュース。小さな事件としてすぐに流れてしまった。でも当事者たちにとっては小さくなんかなくて、さらに遡ってその数日前。ポケモンレンジャーはこう言った。
『実は時々、似た事件が起こるのです。頭部は見つかりませんでした。残念ですが、これ以上の捜索は……』
その時あたしは、ポケモンレンジャーの言葉を呆けた顔で聞いていた。隣で聞いていたあいつの奥さんの顔は、あまりよく覚えていない。だいたいあたしと同じ顔をしていたと思う。花が枯れるように、二度と笑顔を見せなくなった。物もロクに食べなくなって、いつも綺麗だった家は荒れるようになって、あたしが鳴いても何も言わない。
仕方ないから、あたしは重い腰を上げた。本当は清潔で、気持ちよい場所でのびのび生活したいけど。あいつの“頭”を探してこない事にはどうにもならない気がしたのよ。
暗くて、湿っぽい洞穴の道を進む。昼とも夜ともつかないオツキミ山中――あたしは、記憶を辿るように道を選ぶ。あの馬鹿に引きずられて化石掘りに付き合ったのは、1度や2度ではない。少年時代の旅だって、あたしが一番長い付き合いなのだ。あいつの性格上、どの道をどう通ったかくらい見当はつく。
遺体は偽物だ! なんて言うつもりはない。遺体の手首に赤色のバンダナが結んであった。あいつは自分も含めて全員に色違いのバンダナ結ぶのが趣味なのよ。「戦隊ものみたいで格好いいよな!」って馬鹿丸出しの理由で。あたしの体にも鈴付きのピンクのバンダナが巻いてある。自宅で奥さんを慰めてるサーナイトには緑のバンダナ。馬鹿についてったはずのヤドランには黄色のバンダナ。青色のバンダナは募集中。
冷やりとしたものが体に触れた。
驚き振り返るが何もいない。気のせいかしら。洞窟の中だから寒いのは当たり前だが、どうにも気色の悪い感じだ。捜索隊が入った場所はとうに抜けた。夜目が利くとはいえ、わずかな光も射さない洞窟の中は危険だ。周囲を警戒して岩壁に背をつけた。ひえっ! 冷たい何かが背中を掠めた。飛び上がって勢い振り返る。誰もいないし何もない。無言の岩壁に見返されただけだ。
……何よ今の。全身鳥肌が立っていた。早々にここを離れた方がいいと直感し駆け出した。
暗闇から視線を感じる。間違いなく何かがあたしを見ている。背中で鈴がシャラシャラと鳴った。突き刺すような無数の視線は何なのだ。ズバットに目はない。イシツブテは餌と強さにしか興味はない。ピッピは自身に見惚れてる。人間は夜目が利かない。だったら誰が?
視界の端に青いバンダナが映った。
足を止めた。思い出す。見つかった遺体は青いバンダナを持っていなかった。
「4匹目の仲間を見つけた時のために」
って、いつもポケットに入ってたのに。その癖、気分で付け替えることもあった。
「俺がリーダーだ!」
って言い張るときは赤いバンダナ。
「クールな2枚目……俺は冷静沈着な男」
って格好つけるときは青いバンダナ。
きっとどっちでも良かった。4匹目の仲間が格好良ければ赤いバンダナを。美しいと思えば青いバンダナを。似合いの方を贈るつもりだったのだろう。
氷のように冷たい遺体に、燃えるような赤いバンダナはずいぶんと不釣り合いだった。
あの遺体は本当に彼だったのだろうか。疑問が頭をもたげる。誘うように、青いバンダナはいまだ視界の端をちらついている。追いかけるが近づけば遠のき、遠のけば近づく。必死に追いかけるあたしを笑ってる。深海に潜るように体温が暗闇に溶けていった。鈴の音だけがここが陸だと教えてくれる。走るほどに寒く感じた。あたしは青いバンダナを追いかけて、海溝にでも落ちてるんだろうか?
青いバンダナがあちらへ、こちらへ。追うほどに体がずんと重くなる。
バンダナには決して追いつかない。あたし、足は速い方だと思ってたのに。どうして。
ねぇ、そのバンダナを持ってるのはあんたなの?
あの赤いバンダナをつけていたのは別の知らない人で、本当は青いバンダナを腕に巻いていたの?
怪我した誰かに巻いたの?
早く帰ってきなさいよ。みんな待ってるのよ。ヤドランだって、そろそろ近所の川が恋しい頃じゃない。
痺れたように足がもつれた、手足がかじかんで棒のようになってしまった。
うまく動かない足を前に出して飛ぶように暗闇を駆ける。不思議と息切れはしなかった。ただ締めつけるような苦しさがあった。走る音もズバットの鳴き声も自身の息遣いも、聞こえなくなっていた。焦燥感が全身を這いまわる。誘うような青いバンダナに追いつけない。逃げていくばかりであたしは泣きそうだった。走っているのに、止まっているような気さえしてくる。駄目だ。涙が出そうだ。泣いちゃ駄目だ。駄目だ。
あたしの願いを聞き届けたのか、青いバンダナが止まった。
それは姿を現した。見覚えのあるシルエットが近づいてくる。でもあたしは動けなかった。体が鉛のように重くて、顔なんて上げられない。あいつが笑ったのが分かった。今、目の前にいるあいつにはちゃんと首があった。やっぱりあの遺体はあいつじゃなかったのだ。あれは偽物で、本当は生きていた。
あたしは鳴き声をあげようとした。文句の一つも言わなくては。馬鹿、スカタン、なんで早く帰ってこなかったのよ。驚いたことに声どころか息もできなかった。息苦しさに喘いだだけだ。意図を察したらしくあいつはにっこりと笑いかけてきた。
連絡をしなくて済まなかった。まだ戻れそうにない。
あたしの頭を困惑が占める。言葉の意味が分からない。考えようとしたが上滑りするばかりだ。とぷとぷと単語の羅列が思考の海に浮かぶだけで全然くっつこうとしない。マダモドレソウニナイ。何、それ? ぐるぐるするあたしを前にあいつの言葉が続く。
エネコロロ、お前も一緒に来てくれると嬉しい。
あたしを見つめる赤い瞳はゆるく弧を描いていた。あいつが手が差し出してきた。あたしは口を開いた。ヤドは? あいつは一瞬止まったが、すぐに返答があった。ヤドランなら向こうで待ってるよ。ふっと、安心して息をついた。あぁ、そう……。体に力を込めるが動けない。冷え切った四肢はいうことを聞いてくれそうになかった。手を伸ばしたいのに。今すぐ懐かしいその腕に飛び込みたかった。ここはとても寒くて、心がとても寂しくて仕方がないから。あいつの手が近づいてくる。
不意に温かいものが首筋を掠めた。かすかな鈴の音――思考の霧が薄らいだ。滑るように言葉が口をついてでた。
なんであたしのこと、“エネ”って呼ばないの?
返答はなかった。あいつは肩を震わせていた。泣いているのかと思ったけど違った。あいつは笑っていたのだ。だんだんとくぐもった笑い声は大きくなっていく。聞き馴染んだはずの声が別人の声のように聞こえる。こんな笑い方聞いたことがない。あいつは口をゆがめて叫んだ。ああ、ああ。可哀そうに。気がつかなければ良かったのに!! あと少しだったのに! でもね――
もう遅い。
あいつはぐにゃりと姿が変えた。三日月よりも鋭い口元が引き伸ばされて哄笑がこだまする。生ぬるいような、冷たいような感触が全身を舐め上げた。恐怖に駆られて体を必死に動かそうとするけど全然動かせない。これは現実なの? それともあたしは本当は暖かい家のベッドにいるの? とんでもない悪夢だ! あたしは足を動かそうとする。痺れていて動かない! あたしは頭を動かそうとする。ぼんやりしていて働かない! やめて、やめてよ――!!
弾いたような鈴の音が、大きく鳴り響いた。
音が悪夢の闇を切り裂いた。“眠り”から一気に意識が覚醒する。あたしの両眼に広がる闇。だが先ほどまでと違い現実感を伴っていた。夜目が闇に輪郭を与えていく。無限に続く暗闇などなかった。ぽっかりと開けた空間に大小のボールのようなものがたくさん転がっていた。そして自身を抱きしめる大きな影も。あたしは力を振り絞って影を振り払い、その場を飛びのいた。距離をとり、大きな影――ゲンガーを睨みつける。ゲンガーの赤い双眸がにやりと歪んだ。
あと少しだったのに。
不愉快な笑みを浮かべてゲンガーは闇に姿を溶かした。逃げたわけじゃない、気配を感じる。でも居場所は分からない。闇全体から嫌な空気を感じた。敵の体内にいるかのような不気味な感覚だ。加えてこの場所全体に満ちている鼻を突く腐敗臭にくらくらする。頭を横に振った。考えろ、相手の居場所をつかむ方法を。ぐにゃりと視界が歪みかけた。体を震わせバンダナの鈴を鳴らす。“癒しの鈴”が響き、ぐらつきかけた意識が清明に戻る。ゲンガーの舌打ちが聞こえた。
その鈴、嫌いだなぁ。そんなバンダナ捨てちゃいなよぉ。
イラついた声。よく言う。この鈴がなかったらあたしは悪夢に囚われてじわじわと殺されていたことだろう。
あんたこそ、その青いバンダナ似合ってないわよ。
あたしは言い返した。相手の声はあちこちから響いてきて、居場所はつかめそうにない。ゲンガーはゴーストタイプだ。けれど物理攻撃の時、混乱している時は実体化する。不定形の状態のままでは、相手もあたしも攻撃はできない。なんとかして相手の実体化を誘わなければ。機を見計らっていると、ゲンガーはバンダナをひらひらと振って見せた。
ホントは赤いバンダナが欲しかったんだけど駄目なんだって。
駄目? もしかして奪ったのではなく、バンダナはあいつからもらったのか? そんな馬鹿な。あいつは野生のポケモンには絶対にバンダナを贈らない。サーナイトもヤドランもあたしも、みんな仲間になってからもらったのだ。仮に本当にもらったのだとしたら、こいつは――
うふふ。馬鹿だよね。“ゲットしたら友達”なんて、本気で思ってたのかなぁ。
大きなボールが蹴られて転がってきた。いなくなったのは数日前で、元の顔が失われるには十分な時間だ。大きなボールは他にもたくさんあった。それらはすでに薄汚れた白だった。小さなボールの中は見えない。開閉スイッチの壊れたボールは何も言わない。
でもね、君のことは気に入っちゃった。もうメロメロだよ。胸がドキドキするんだ。
好きな相手を攻撃するの?
違うよ。ずっと一緒にいてもらおうと思っただけさ。
上ずった声が返ってきた。馬鹿馬鹿しい。何度も“舌で舐める”をしたから、メロメロボディにあてられただけだ。
普通は愛しい相手を攻撃しない。こいつは愛しい相手だから攻撃する。転がっている無数のボールはこいつの過去の遊び相手だ。忘れ去られた恋人たちのなんて多いことだろう! だが今だけは恋人ごっこに付き合ってやってもいい。息を吐く。可愛さ折り紙つきのエネちゃんが外道に愛を囁いてあげる。
あたしのこと、好き?
大好きさ!
だったら、ちゃんと唇にキスして頂戴。
……!!
ゲンガーが息を呑んだのが分かった。あたしは目を閉じる。メロメロが効いているのなら必ず来る。ゲンガーの気配が動いた。あたしは四肢と尻尾に力を込めた。相手がどこにいるのか分からないのなら誘い出すしかない。キスしようとするなら実体化しなくてはならない。
うふ、怖いなぁ。
その声はすぐ後ろからだった。“背後”からゲンガーはあたしに覆いかぶさった。四肢をがっちりと抑え込み羽交い絞めにしてくる。あたしの小さな肩に大きな影がかぶさった。
“ふいうち”か“だましうち”狙ってたんでしょ。怖い怖い。
体を震わせるとゲンガーはくすくす笑った。いくら技を放とうとしても四肢が抑えられていれば抵抗できない。その通りだ。唇を噛む。だがあたしだって、抑え込まれる可能性くらい考えていた。
――だから“仲間”に賭ける!
背後に向って尻尾を振った。“猫の手”が“この場の仲間”の技を借りて光りだす。慌ててゲンガーが手を放した直後。あたしの尻尾から“サイコキネシス”が放たれた。至近距離で強い念力がゲンガーに直撃する。絶叫が響き渡った。拘束が解けた直後、振り向きざまゲンガーを蹴りつけた。手応えあり。ゲンガーは悲鳴をあげてボールに頭から突っ込んだ。動揺する声にあたしの口角が持ち上がる。
こんなもんじゃ済まさない。
足もとに無数に転がる何処かの誰かも。あたしも、あたしたちも、あいつに置いてかれた彼女の悲しみも、こんなもんじゃ到底釣り合わない!
絶対逃がしたりしない。追いかける。“猫の手”で尻尾が光り、今度は“水の波動”が飛び出した。無数のボールが巻き込まれゲンガーに襲いかかる。叫び声は水流に呑み込まれた。あたしはぐったりとしたゲンガーに向かって走った。全身に力をこめて“だましうち”を放――
三度目の鈴が鳴った。
誰かに、止められたような気がした。
びた、と動きを止めた。息を吸って、吐いて、気持ちを落ち着ける。ぴくりともしないゲンガーに近づくと、一応生きていた。ゆら、と自身の尻尾が動く。手を出してはいけない、“これは命令だ”。理性で抑え込み、攻撃の代わりにゲンガーの耳に囁いた。
次はない。
短い悲鳴。死なない程度にその頭を思いっきり踏みつけた。ばったりと動かなくなった。今度こそ気を失ったようだ。
青いバンダナを奪い取り、ボールの山に取り掛かった。見覚えのあるやつの入った小さなモンスターボールが見つかった。中を覗き込むと瀕死のヤドランがいた。バンダナにあいつの頭とボールを入れて、口と前足で包み込む。ピンクのバンダナも使って何とか体にくくりつけた。振り返る。気がつくと、ゲンガーは消えていた。
重い体を引きずって、あたしは帰途へとついた。
『――の男性の頭部が発見されました。発見者は男性のポケモンであるエネコロロで、調査の結果、ほかに複数の頭部とポケモンの遺体が……』
――目を覚ました。ニュースは相変わらず、くるくると変わっていく。小さな事件はすぐに埋もれて消えてしまう。だけど当事者の日常は大きく変わって叩き落されて、そこから少しずつ、元の場所を探すのだ。
奥さんは家事も行えるようになってきた。サーナイトや、たまにあたしも手伝って少しずつ日常を取り戻しつつある。ヤドランが回復して帰ってきたときには、ささやかなお祝いをみんなでした。
けれど夜にはわずかな物音にも怯えてしまうから。サーナイトが寄り添って、あたしが物音を確認しに行く。ヤドランは……寝てる。たいていはただの風の音だけど、その日は違っていた。玄関口に大きなポケモンが浮いていた。真っ赤なひとつ目に黒っぽい体で足はない。大きな胴体に金色の模様が入っていて、顔のようで不気味だった。サマヨールだ。
やぁやぁ、こんにちは。
灰色の見た目に反して陽気な挨拶をしてきた。はぁ、どうも。何の用ですか。返答するとサマヨールは手を振った。
用というか、お礼に参ったのです。貴女のお陰で、久しぶりにたっぷりと食事が摂れました。
食事?
先日、ゲンガーを見逃されたでしょう。あのゲンガーは随分と被害者を出していたようで、無数の魂がまとわりついていました。ニュースを見てすぐにオツキミ山に行きましたよ。
大きな腹を満足そうに揺すった。意図を察して、あたしが身を強張らせると慌てて両手を横に振った。
ご心配なく。私はゴーストなど、さまよえる魂しか食べません。ただ、食べた魂から一部始終を知りまして。どうしてあなたが殺さなかったのか不思議に思ったのです。
それは……。
“彼”を見て、納得しました。そんなに睨まないでください。何もしません。
サマヨールは何もない空間に話しかけていた。ぽかんとするあたしを横目に、ぺこりとお辞儀をする。
ではこれで。あなたも長居はいけませんよ。
ざぁっと、夜に消えていく。止める暇もなく。
動けなかった。最後の言葉の半分は、あたしではない人物に向けられていた。だからあたしも虚空に向って鳴いた。「エネ」と名前を呼ばれた気がした。風とも木々ともつかない懐かしい音が囁いた。
「ありがとう」
バンダナの鈴が、チリンと鳴った。