『冷蔵庫にプリンがあります』
冷蔵庫の扉に貼り付けてあるホワイトボードに母さんからのそんなメッセージがあった。
今日も死ぬほど暑い夏休みの平日、朝っぱらから普段行かない図書館に行ったらまさかの午後から臨時休館。真っ昼間の太陽がガンガン照りつける中、仕方なく自転車を転がして家まで帰ってきたところだ。
プリン。そういえば今日、早朝から叔母さんが来てたっけ。やったらパワフルでいつも世界中を飛び回っている何をやっているのか謎の母さんの妹さん。ちょうどパルデア旅行から帰ってきたところとか言ってたような。
そうそう、母さんに何かでっかい袋渡して「ナマモノだから!」とか言ってたな。平日の朝っぱらに突然来るもんだからみんなバタバタしてた上に叔母さんもさっさと帰っちゃったから詳しいことはわからないけど。
ナマモノ……まあ多分、冷蔵庫の中は叔母さんのパルデア土産なんだろう。外国旅行の土産に生菓子をチョイスするセンスがもうわからないけど、まあ叔母さんのことだし飛行機降りて即うちに来たんだろうな。
ま、何でもいいや。せっかくだからご相伴にあずかろう。冷蔵庫の扉を開けると、ホールケーキどころかウエディングケーキでも入るんじゃないかってくらいでっかい紙の箱が入っていた。これはまた随分……うち三人家族なんだけど、一体何人分入ってるんだ。っていうか母さんよく冷蔵庫に入れたな。昨日の晩ご飯のメニューが野菜と肉をトマトでごった煮にした奴と作り置き惣菜っていう、あからさまな冷蔵庫の中身整理メニューだったからたまたま空いてたのかもしれない。叔母さん妙にこういうののタイミングいいんだよな。平日出勤前の早朝に押しかけてくるけど。
何はともあれ、叔母さんのお土産とやら見てみよう。白い紙箱のふたをめくる。
鮮やかな青緑の瞳と目が合った。
そっとふたを閉じた。いやまさかねぇ、と首を振りつつ、一息置いてもう一度ふたをめくる。
ぷいっ! と丸い桃色の物体が元気に鳴き声を上げた。
生物じゃなくて生き物じゃねぇか!!
いやさ、頭の片隅で思わないわけじゃなかったよ。「プリンってポケモンのプリンだったりしてねーあはは」ぐらいのことは思ったよ。でも本当に入ってたらさすがに動揺するんだわ。何でだよ。何でプリンがうちの冷蔵庫に入ってるんだよ。
箱の中のピンクのナマモノは、じっとしたままこっちを見つめて何かぷゆぷゆ鳴いている。くそっかわいいな。いやそれより、ポケモンはそれなりに丈夫な生き物とはいえ冷蔵庫に数時間閉じ込められてたのはさすがに寒いんじゃないだろうか。氷とかせめて水とかのタイプでもないんだし。
そう思いつつふとピンク玉の頭を見ると、何か見慣れない物体が生えている。青色の、何か噴水みたいな形の……。そういえばこのプリン、何か妙にキラキラしてるような……。
あっ、これテラスタルだ。この前授業で習ったわ。パルデアとその他一部地域で見られる現象だって。テラスタルすると何か全身がキラキラして頭から何か生えるんだって。そんでタイプが変わるんだって。
そういえば耳のところに何かイヤリング? みたいな飾りがついている。キラキラした石だ。テラスタルと何か関係あるんだろうか。
頭についてるのが噴水の形ってことは水タイプ……ってこと? じゃあ氷までとは行かなくても多少は寒さに強
「ぷぇっくし!」
くしゃみした。寒いんじゃん。やっぱ寒いんじゃん。朝から昼まで冷蔵庫に突っ込まれててしっかり芯まで冷えてるじゃん。
白い箱を冷蔵庫から出し、扉を閉める。桃色の生き物を箱から取り出しダイニングテーブルの上に置く。ちょっと光ってるプリンはにこにこ笑顔のまま小さく身震いし、そのまま遠慮なくくつろぎ始めた。自由だな。何時間も冷蔵庫に突っ込まれていたことはいいのか。文句のひとつくらい言ってもいいと思う。まあポケモンだししゃべれないけど。
スマホが鳴った。画面を見ると例の叔母さんの名前。着信に出ると、やっほーと明るい声が耳に刺さってくる。
「あの、叔母さん……お土産の」
「ああ、プリンちゃんね! かわいいでしょ! パルデアで会ったから連れて帰っちゃった!」
密輸では? というツッコミに、プリンちゃんならカントーにもいるから大丈夫よぉ、多分、と叔母さんはけらけら笑う。本当に大丈夫なんだろうな。
何かテラスタル? してるけど……と聞くと、そうなのよぉ、と嬉しそうに笑う。
パルデアに学校あるでしょ? と叔母さんが言う。あぁ何だっけ、グレープフルーツ……ん? ミカンだっけ? いっそアップルだったかもしれない。何かそんな感じの有名な学校があると聞いたことがある。
「パルデアに行って、楽しそうだからその学校に入学したのよぉ」
「は?」
「そこで宝探しって課外授業があってね、そこでテラスタルしてるプリンちゃんに会ったの」
「はぁ……」
「で、学校で会った子が林間学校でキタカミの里っていうところに行ってね、楽しそうだから私も行ってみたの。自前で」
「は?」
「そこでてらす池ってところに行ったら底の方がきらきらしてきれいだったから、そのかけら持って帰っちゃった☆」
「はぁ???」
それはマジで持ち出しちゃいけない奴では? とつぶやくと、特に注意書きとかなかったから大丈夫よぉ、多分、とまたけらけら笑う。いいのか本当に。
あっ、と叔母さんは声を上げる。
「ごめぇん、飛行機の時間が来ちゃうからそろそろ行くわね!」
「は?」
「今からイッシュに行くの!」
「は???」
「イッシュの海底にブルーベリー学園っていう学校があるらしくて面白そうだから覗きに行こうと思って!」
「はぁ?????」
じゃあねぇ、と言い残し、叔母さんは電話を切った。何なんだあの人。前々からどうかしてる人だとは思ってたけどやっぱりどうかしてる。主に行動力が。
額を押さえながらため息をつき、スマホをポケットに入れつつ、ダイニングテーブルに乗せた叔母さんの置き土産に目をやる。
溶けている。頭に噴水のようなジュエルを乗せたまま液体のようにぺちゃぁと潰れている。「ぷえぇ……」という微かな泣き声、いや鳴き声が聞こえる。
そうだろうそうだろう。パルデアがどんなもんか知らんが真夏のカントーの地獄のような高温多湿は辛かろう。さっきまで冷蔵庫でしっかり冷えてたからなおさら。
しかも最悪なことに昨日の夜このリビングのクーラーがぶっ壊れてしまったのだ。修理はあさってである。従ってこの家はそれまで地獄の蒸し風呂状態である。現在進行形でクソ暑い。汗もだらだらだ。普段行かない図書館に朝っぱらから逃げたのもそういうことだ。目論見外れてまさに暑くなっていくタイミングで追い出されてしまったけど。
プリンがちらっと冷蔵庫の方を見、潤んだ目でこちらを見てぷえぇ……と何かを訴えるように鳴いた。あれだけ冷えてたのにこの灼熱地獄では冷蔵庫の中の方がマシと申すか。わかる。でもさすがにやめとこうな冷蔵庫は。
それにしても暑い。そしてそういえばまだ昼ご飯も食べていないので腹ぺこである。プリンも食べられなかったし。
昼、どっかに食べに行こうか、と机の上の桃色玉に声をかける。ぷぃー、とプリンはだるそうに鳴きながら片手をあげる。ポケモン連れられてクーラーきいててご飯食べられて夕方ぐらいまでいても大丈夫なところ……ショッピングセンターかな。フードコートで飯食って適当に買い物するかゲーセンで時間潰そう。
それじゃあ、と言いかけて、少し悩む。うん、まあ、それでいいか。
「じゃあ行こうか、『いちごミルク』」
ちょっとキラキラしたプリンがぷい、と返事をする。何だかんだでうちの一員になってしまったので名前をつけておこう。名前というか味だけど。プリンの味。
いちごミルクを抱えて玄関へ向かおうとして、あ、と思い立ち、ペンを手に冷蔵庫に向かう。
『冷蔵庫にプリンがあります』。
ホワイトボードの母さんの書き込みの下に、マーカーで追記する。
『プリン持ち出し中です』