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  [No.560] ●豊縁昔語―詠み人知らず 投稿者:No.017   《URL》   投稿日:2010/08/31(Tue) 00:04:45   154clap [■この記事に拍手する] [Tweet]
●豊縁昔語―詠み人知らず (画像サイズ: 600×400 61kB)

 ■豊縁昔語――詠み人知らず


 昔むかし、秋津国の南、豊縁と呼ばれる土地には異なる色の大きな都が二つございました。
 二つの都に住む人々はお互いに大変仲が悪うございました。
 彼らはそれぞれ自分達の色、信仰こそが正統だと考えておりました。
 今回はその二つの都のうちの一つ、青の都に住む一人の女の話をすることに致しましょう。

 その女は今の時代では貴族などと呼ばれる身分でありました。
 齢は四十と五十の間くらいでありましょうか。
 蓮見小町などと呼ばれた昔の彼女は美人だと有名でした。
 若い頃などは都の様々なものが、彼女を一目見ようと足繁く通ったものです。
 しかしやはり歳や老いに勝つことは出来ませんでした。
 今や長い髪には多くの白が混じり、肌の張りはなくなり、顔にはすっかりしわが増えてきたその女にはもはや言い寄るものは誰もおりませんでした。
 夫はおりますけれど、若い娘の宮に通うのに夢中です。
 彼女には見向きもしませんでした。

 そんな彼女の唯一の楽しみは時折開かれる歌会でございました。
 夜に集まった高貴な身分の人々は西と東にわかれ、東西一人ずつがそれぞれの五七五七七の歌を詠んでその出来栄えを競い合うのです。
 見目の美しさは歳を追うごとに色あせます。
 けれど和歌ならばどんなに歳をとっても、美しさで負けることはありません。
 歌ならば彼女はほとんど負けたことがありませんでした。
 季節の歌、恋の歌……歌会に出されるあらゆる題を彼女は詠ってまいりました。

「ふうむ、ハスミどのの勝ちじゃ」

 このように審判が言うと彼女の胸はすっといたします。
 自分に見向きもしない男達、若くて美しい女達もこの時ばかりは悔しそうな顔をします。
 そんな者達を和歌で負かして彼女は気晴らしをしていたのでした。
 全員が歌を詠み、甲乙がつきますと、歌会の主催である位の高い男が今日出た歌の総評を述べました。
 そうして、次に催される歌の題お発表いたしました。

「次は水面(みなも)という題でやろうと思う。十日後の今日と同じ時間に屋敷に集まるよう」

 こうして貴族達は次の題目のことを頭に浮かべながら帰路についたのでございます。

 ハスミはさっそく次の題で和歌を考え始めました。
 和歌の得意な彼女は一日、二日で題の歌を作ってしまいます。
 書き物をしながら、散策をしながら、題目のことに思いを馳せます。
 すると少しずつ何かが溜まりはじめるのです。
 彼女はその何かを水と呼んでおりました。それが溜まると和歌ができるのだといいます。
 よい和歌と云うのは、まるで庭にある添水(そうず)の竹の筒が流れ落ちる水を蓄え、ある重さに達したときのようにカラーンと澄んだ音と共に水を落とすように、彼女の中に落ちてくるのであります。
 彼女はいつものように水が溜まるのを待っておりました。
 ですが今回は何かが変でした。
 まるで何日も雨の降らない日照りの日でも続いたかのように彼女の中に水が溜まらないのです。
 どこかに穴があいているのか、それとも渇いてしまうのか、理由はよくわからないのですが、一向に和歌が降ってくる気配がございません。
 いつもなら一日二日で出来てしまうものが三日、四日経っても出来てこないのです。
 彼女は心配になって参りました。

「ハスミどの、歌会に出す歌は出来ましたかな」

 近所に住む貴族が尋ねます。

「ええ、もちろんですわ」

 つい強がってそのように答えましたが、彼女の中で焦燥は募るばかりです。
 困ったことに五日経っても、六日経っても歌が出来ないままでありました。

「ああ困ったわ。歌が出来ない」

 と、彼女は嘆きました。
 貴族の中にはあまり歌が得意でない者もおりまして、秀でたものに依頼などしているものもおりましたが、ずっと自作を通してきてそのようなものを必要としなかった彼女にはそんなあてもございません。
 しかしそうこうしているうちにも日は過ぎて参ります。
 そうして、八日が過ぎようとしたころです。

「ハスミどの、あなた様の相手が決まりましてございます」

 と、使いのものが来て言いました。
「誰ですの」と、ハスミが尋ねますと、「レンゲどのです」と、使いのものが答えました。
 彼女は絶句いたしました。
 その名前は夫が足繁く通っている宮に住む若い女の名前だったからです。
 負けたくない!
 絶対に負けたくない!
 と、彼女は強く念じました。
 けれどまだ歌ができません。

「わかっているわ。もう昔のように若さでも、美しさでも勝てやしない。歌を作るのよ、私にはもう歌しかないのだから……」

 と彼女は自分に言い聞かせました。
 けれどそうこうしている間に九日目になりました。
 ハスミはぶつぶつと呟きながら、お付のもの一人つけずに屋敷を出てゆきました。

「お願いします。どうか私に歌を授けてください。あの女に負けない歌を」

 困った時の神頼みと申します。
 彼女は都外れに静かに佇む、古ぼけた小さな社に供物を捧げると願をかけました。
 都の中央には海王神宮と呼ばれる都人達が多く参拝する立派な神社がありまして、神様の力で言うなら、そちらがよかったのかもしれません。
 けれどこんな願いをかけるところを人に見られたくありませんでした。
 ですからハスミは人知れずひっそりと佇むその社に赴き、願をかけたのでした。
 石碑に刻まれた名は擦れて読むことができません。
 それでも、人も来ず寂れていようとも、社そのものが壊されていないところを見るとおそらくは中央の神宮に祀られた海王様の眷属なのでしょう。
 気がつけば空は大分暗くなっておりました。
 道を見失う前に帰らなければ、と彼女は思いました。
 しかし、日が沈むより早く暗い雨雲が空を覆い、ぽつぽつと雨が降り出します。
 あたりはすっかりと暗くなってしまいました。
 それでもなんとか道を確認しながら彼女は都への帰路を急ぎました。

「水面、水面……水面の歌……」

 その間にも彼女はずっと歌の題を唱えておりました。
 そうして、都の門近くにある蓮の花の咲く大きな池の橋を彼女が渡っている時のことでした。
 どこからか低い声が聞こえたのでございます。

『ハスミどの、ハスミどの』

 ハスミは驚いて振り返ります。けれど彼女の後ろには誰も見えません。
 橋の向こうは暗く、ただ橋の上に雨の落ちる音が聞こえるだけです。
 するとふたたびどこからか低い声が聞こえてまいりました。

『水芙蓉 咲き乱れるは さうざうし うるはし君を 隠す蚊帳なり』

 ぽつぽつと雨音が響く中、低い声が呟いたのは歌でした。
 五と七と五七七の歌でありました。



 そうして十日目の夜に彼女は詠みました。
 結局それ以上の歌を作ることができなかった彼女は、あの雨の夜に聴こえた五七五七七の歌を詠んだのでございます。
 審判は即座にハスミに勝ちを言い渡しました。
 正面に見えるのは若い女の悔しそうな顔。
 ハスミはほっと胸を撫で下ろしました。

 前々から歌がうまいと言われていたハスミでしたが、これを機とし、彼女はますます歌人としての評判を高めたと伝えられています。
 水芙蓉の歌に端を発し、彼女は歌の世界は大きく広がった。
 瑞々しい女性の感性に、季節の彩(いろどり)と、あらゆる場所からの視点、懐かしさが合わさってより豊かなものになった、と。
 後の世で札遊びの歌を選んだとある歌人はそのように論じています。
 
 ハスミはより多くの歌会へ招かれて、より多くの歌を詠みました。
 幾度と無く彼女の勝ちが告げられました。
 歌会で彼女と当たったらどんな歌人も絶対に勝てない。
 都の貴族はそのように噂し、歌会で彼女と当たることを恐れたといいます。
 彼女は十年、二十年と歌を詠み続けました。




 さて、このようにして歌人としての地位を欲しいままにしてきたハスミでありましたが、やはり老いには勝てませんでした。
 ますます寄る年波はや彼女の身体を衰えさせていきました。
 すべての髪の毛がすっかり白くなってしまい、腰を悪くしたハスミは、やがて歌会にも顔を出さなくなりました。
 そのうちに彼女の夫が亡くなりました。
 彼女は都外れの粗末な庵に隠居いたしまして、時に和歌を作って欲しいという依頼を受けながら、ひっそりと余生を過ごしたのであります。
 そんなハスミのもとに時折尋ねてくる男がありました。

「サダイエ様がお見えになりました」

 と、下女が言いますと「お通しして」とハスミが答えます。
 すると襖が開けられて、烏帽子姿の男が入ってまいりました。

「これはサダイエどの、またいらしてくれたのですね。いつもこのような出迎えでごめんなさいね」

 下半身を布団に埋めて、半身だけ起き上がったハスミが申し訳なさそうに言います。

「いいえ」

 と、男は答えました。
 齢はハスミの二、三十ほど下でありましょうか。
 王宮仕えの歌人として、また歌の選者としても名を知られる男でした。
 最近は御所に住む大王(おおきみ)の命で、古今の歌をまとめたばかりなのです。

「噂はお聞きしましたわ。なんでも私の歌をまとめてくださるとか」
「おやおや、お耳が早いですなぁ」

 新進気鋭の歌人は笑います。
 
「ハスミどのは私の憧れです。どんな題を与えられても一級品、歌会では負けなし、もしすべての勝負事が歌で片付くのならば、今頃はあなた様が豊縁を一つにしておりましょう。私はハスミどのような歌人になりたくて研鑽を重ねて参りました」
「まあ、お上手ですこと」

 と、ハスミも微笑み返します。

「ご謙遜を。それに私は嬉しいのです。あなたの歌をまとめられることが」

 若き歌人は本当に嬉しそうに語りました。

「ご存知なら話が早い。今日はそのことで相談に参りました。和歌集にはそれに相応しい表題がなければなりませんからね。どのようなものがいいかと思いまして」
「そうねぇ……」

 ハスミは庵の外を眺めてしばし思案を致しました。
 彼女の部屋からは大きな池が見えます。
 蓮の花が点々と浮かんでおりました。
 この庵自体が池に片足を突っ込むような形で立っておりまして、彼女の部屋は池の上にあったのです。

「こんなのはどうかしら。……"詠み人知らず"というのは」

 しばらくの思案の後に彼女はそう答えました。

「よ、詠み人知らずでございますか?」

 若き歌人は目を丸くして聞き返しました。
 詠み人知らずというのは、作者不詳という意味です。
 記録が残っておらず、和歌の作者がわからない歌には、詠み人知らずと記されるのです。
 ですから自分の和歌集に詠み人知らずという表題をつけたいというのでは、男が不思議がるのも無理はありません。

「サダイエどの、あなたは以前に私の歌を評してこう言ったことがありましたね。私の歌には瑞々しさがあった。その後に季節の彩、あらゆる場所からの視点、懐かしさが合わさって、より豊かなものになった、と」
「ええ」
「そうして、こうもおっしゃいました。私の歌の世界が広がったのは、水芙蓉の歌以降である、と。さすがはサダイエどのです。大王もが認める歌人だけのことはございます」

 仕方が無いわねぇとでも言うように彼女は微笑みました。
 そしてこのように続けました。

「その通りですわ。だって水芙蓉の歌以降、私の名で詠われた歌の半分は別の方が作ったのですもの」
「……なんですって」
「別に驚くようなことではございませんでしょう。作者が別にいたなんていうことはこの世界にはよくあることです。あなたも薄々感づいていたのではなくて?」

 ぐっと男は唸りました。
 この年老いた女歌人にもう何もかも見透かされたような気がいたしました。
 彼も本当は知りたかったのかもしれません。

「……たしかに、考えなかったことがなかったわけではありません。……しかし、それなら誰だと言うのです。私は知りません。あなた様の代わりに歌を作れるような歌人にとんと心当たりがございません」
「ご存知ないのは無理もございません。その歌人は人ではありませんもの」

 ハスミは隠すでもなくさらりと言いました。
 彼女もうこの世に留まっていられる時間がそう長くないと知っていました。
 ですから遺言の代わりになどと考えたのかもしれません。

「私も姿を見たことはありませんの」

 と、彼女は言いました。
 そうして打ち明け話がはじまったのでございます。


 二十年程前、あなた様もご存知の通り、歌会で水面という歌の題が出されました。
 そのときに私、歌を作ることができませんでしたの。
 はじめてでしたわ。まるで枯れてしまった泉のように、まったく水が溜まらないのです。
 けれど、相手は夫が通う宮の憎い女。
 私は絶対に負けたくなくて、都の外れにある小さな社の神様に願をかけました。
 歌が欲しい、あの女に負けない歌を授けてほしい、と。
 その帰り道のことです。北門の池をまたぐ橋にさしかかった時に誰かが歌を詠んだのです。
 それが水芙蓉の歌でした。
 その歌で私は勝つことができたのです。

 けれども私にも歌人としての誇りがございます。
 自分以外の作った歌を使うのはこれきりにしようと思って、社へは近づかないようにしておりました。
 その後の何回かは自分で歌を作りましたわ。
 もう水が溜まらないなんていうこともありませんでした。私は自力で作り続けることが出来たのです。

 でも、十の歌会を経て、十の題をこなしたときに、私はふと思ったのです。
 あのすばらしい歌を詠んだ歌人ならこの題をどう表すのだろうかと。
 私は声の聞こえた橋に行きました。
 そうして、さきほど歌会で披露したばかりの五七五七七の歌をもって姿見えぬ歌人に呼びかけたのです。
 返歌はすぐに返って参りました。
 すばらしい出来栄えでした。

「近くにいらっしゃるのでしょう。どうか姿を見せてください」

 私はそのように呼びかけましたが、姿は見えません。
 かわりにまた声が聞こえて参りました。

『貴女にお見せできるような容姿ではないのです』

 よくよく聞けばそれは私の足元から聞こえてくるようでした。
 私ははっとして橋の下を見ましたわ。
 けれど気がつきました。橋の下にあるのは池の濁った水ばかりだということに。
 するとまた声が聞こえました。

『私は人にあらず。水底に棲まう者なのです』

 驚きました。
 歌人は水に棲む者だったのです。

『ハスミどの。貴女が小さかった頃から私は貴女を知っています。二十を数えた頃の貴女はそれは美しかった』

 そう水に棲む歌人は言いました。そして語り出しました。
 私はこの土地が草原と湿地ばかりだった頃からここに住んでいる、と。

 あの頃の虫や魚や鳥、獣たちはは皆、人の言葉を操ることが出来た。
 私達は十日に一度は歌会を開き、その出来栄えを競いあった。
 だがこの地に都が建造されはじめた頃からか、だんだん何かがおかしくなっていった。
 次第に獣達は言葉を失っていった。
 はじめに話さなくなったのは虫達だった。
 それは鳥、魚へと広がっていった。
 親の世代で言の葉を操れた者達も、子は話すことが出来なかった。
 私達の子ども達も同じだった。彼らが言葉を発すことはついぞなかった。
 かろうじて言葉を繋いだ獣達も都が出来る頃にはどこか別の場所へ去っていった……。
 それはちょうど二の国が争って、各地で人による神狩りがはじまった時期と一致していた。知ったのはずいぶんと後になってからだったが。
 それでもその頃はまだよかった。
 私の社は青の下、同属のよしみで破壊を免れたし、水の中の友人達も健在だったからだ。
 私達は言葉を発し、歌を作ることが出来た。
 だが時は少しずつ奪っていった。
 言葉交わせる友人達も一人、また一人と声届かぬ場所へ旅立っていった。
 私は最後の一人。
 この土地の水に棲む者の中で人と同じ言葉を発し、歌を詠める最後の一人なのだ。

「けれど水の歌人は人を恨んではおりませんでしたわ。これはこの世の大きな流れなのだと、彼は云ったのです。多くの神々君臨する旧い時代が終わって、新しい時代がくるだけのことなのだと。自分はその変化の時に居合わせた。ただあるがままを受け入れよう、と」

 けれど私にはわかりましたわ。
 水に棲む歌人の哀しみが。
 まだ若くて美しかった頃、多くの男たちが私のところにやってきました。
 けれど年月はすべてを奪ってゆきました。
 私は次第に省みられることがなくなって、夫にも見捨てられ一人になっていった。
 私は見たのです。
 水の歌人の境遇の中に自分の姿を見たのです。
 私達は共に去りゆく者、忘れられてゆく者なのです。

「それからというもの、私は会の前の晩になると水の歌人と言葉を交わすようになりました。歌会の題でお互いに歌を詠い、よりよいと決めたほうを次の晩の歌会に出したのです」

 水の歌人はたくさんの歌を知っていました。
 自分が若い頃に作った歌、水に棲んでいた友人達の歌、空や野の向こうに去っていった鳥や獣がかつて詠んだという季節とりどりの歌を教えてくれたこともありました。

「だから私の詠んだ歌は誰にも負けませんでした。私の立つ橋の下には水の歌人を含めた何人もの詠み手がいたのですもの。たかだか三十や四十を生きた人間一人には負ける道理がないのです」

 そこまで云うとハスミは身体を横たえました。
 上を見上げると若き歌人が沸いてくる言葉を整理しかねています。

「ふふふ、ついしゃべりすぎてしまいましたね。今の話を信じるも信じないのもあなたの自由です。和歌集の表題のこと、無理に頭に入れろとは申しませんわ。けれど差支えが無いのなら、その烏帽子の中にでも入れて置いてくださいませ」

 そうして、彼女は布団をかぶり目を閉じたのでありました。



 サダイエのもとに訃報が届いたのはその数日後でした。
 世話をしていたものによれば、ハスミの死に顔はもう言い残すことがないというように穏やかなものだったといいます。

 しかし、奇怪なのはその後でした。
 ハスミの亡骸は人の墓に入ることはありませんでした。
 葬列に加わるはずだったその亡骸は、都を少しばかり揺らした小さな地震によって、庵と部屋ごと崩れて池の中へと投げ出されたのだというのです。
 やがて庵の廃材は浮かんできましたが、ハスミの亡骸が浮かんでくることはありませんでした。



「ハスミどの、あなたは水の歌人のもとへ行かれたのだろうか……?」

 サダイエは出来上がった和歌集のうちの一冊に石をくくりつけ、かつて庵のあった池の底へと沈めました。
 歌集はほの暗い水の底へ沈んで、すぐに見えなくなりました。
 そのとき、

「おや?」

 と、サダイエは呟きました。
 すうっと、何か大きな影が水の中を横切ったのが見えたのです。
 影には長い長い二本の髭が生えているように見えました。団扇のような形をした尾びれが揺れ、そして水底に消えました。

 ……今のは、今横切った魚は大鯰(おおなまず)であろうか。

 そのように彼の目には映りましたが、はっきりとはしませんでした。
 歌集を沈めた時の波紋が、まだわずかに揺らめいておりました。



 それは昔むかしのことです。
 まだ獣達が人と言葉交わすことが出来た頃のお話でございます。





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お題:詠み人知らず(自由題)



 水芙蓉 咲き乱れるは さうざうし うるはし君を 隠す蚊帳なり


意味:水芙蓉、すなわち蓮の花がたくさん咲くというのは寂しいものだ。咲きすぎた蓮の花は、水面に映る美しい貴女の顔を覆い隠す蚊帳となってしまうのだから。

有名な短歌から拝借してくるつもりが、合うものが見つからず自作しました。
本来は魚の視点から見た歌だけれど、水面を見る男女のどちらかが相手を想い作った歌という解釈もできるようにした(つもり)。



■豊縁昔語シリーズ
HP版:http://pijyon.schoolbus.jp/novel/index.html#houen
pixiv版:http://www.pixiv.net/series.php?id=636

【書いてもいいのよ】
【描いてもいいのよ】
【批評していいのよ】


  [No.564] Re: 豊縁昔語―詠み人知らず 投稿者:サトチ   投稿日:2010/08/31(Tue) 21:25:26   92clap [■この記事に拍手する] [Tweet]

去り行く者なのか、置き去られて行く者なのか。
我が身の落魄を嘆く小野小町を思わせる歌人と、時に忘れられ一人残された水の住人。
歌というよすがで出会った二者を、共に時に忘れられようとしている者として結びつけた意外性が新鮮。

最後にサダイエが見た大鯰は、彼女を迎えに来た水の歌人だったのか、
それとも水の住人へと姿を転じた蓮見だったのか。しっとりした余韻を残す佳品。


短歌は苦心の跡が見えますね〜。古典から探すと言っても、そうそうはまる作品はないでしょうし。
最初、「水芙蓉の歌の後、どうしても歌が詠めなくなった蓮見が水の歌人に魂を売って・・・」とかの
怖い系の話になるのかと思ったのはナイショ(^^;)


  [No.568] 花の色は うつりにけりな いたづらに 投稿者:No.017   《URL》   投稿日:2010/08/31(Tue) 22:34:52   90clap [■この記事に拍手する] [Tweet]

読了ありがとうございまする!

ナナクサ「コウスケ、この屋台で使ってる米はねハスミノコマチって言って、食べると和歌がうまくなるって言われてるんだ!」
ツキミヤ「……」

 ちょっと野の火のアキタコマチの描写、ハスミノコマチに変えてくるわ。
 内輪ネタすぎるかしら?w


> 去り行く者なのか、置き去られて行く者なのか。
> 我が身の落魄を嘆く小野小町を思わせる歌人と、時に忘れられ一人残された水の住人。
> 歌というよすがで出会った二者を、共に時に忘れられようとしている者として結びつけた意外性が新鮮。

 スランプに陥った歌人が人でない水の住人に歌を作ってもらう
 というあらすじを決めて書いていくうちに自然とこういう流れになりました。
 忘れ去られていく二人、その二人が生きた証を遺そうとする話でもあります。
 そのうちカゲボウズシリーズあたりに「これは蓮見小町の有名な和歌で……」とか出せたらいいな。

> 最後にサダイエが見た大鯰は、彼女を迎えに来た水の歌人だったのか、
> それとも水の住人へと姿を転じた蓮見だったのか。

 サダイエが見た大鯰は私の中で設定はありますけど、
 サトチさんの感想見たら黙っといたほうがいい気がしてきた。
 秘すれば花といいますしね。
 ご指摘の通り、蓮見さんは小野小町を意識しとります。
 サダイエさんはもちろん百人一首の選者のあの方ですw

 短歌はいろいろ検索してて、蓮の別名が水芙蓉だと知ったとき、
 フヨウ!? フヨウだと! これは自作するしかねぇ! と思いました(笑)。
 だが苦労の後が見えるようじゃあまだまだだねぇい。精進せねば。
「古典ぽい作風にするなら 「うるわし君」がもうちょっと比喩されてもいい、
 想い人への表現が直接的過ぎる気がしないでもないので、蓮の花よりも美しいと思えるなにかに! 」
 と、時折和歌を作ってるお友達が批評をしてくださったので
 サイトに載せるタイミングか、昔語二集を出すときに少し変えるかもしれません。


> 最初、「水芙蓉の歌の後、どうしても歌が詠めなくなった蓮見が水の歌人に魂を売って・・・」とかの
> 怖い系の話になるのかと思ったのはナイショ(^^;)

 さすがサトチさん、私がやりかねないことをよくご存じですね。フフフ
 実はこの話と対になる赤の都の男の話の構想がありまして。(やるやらないは別として)
 こっちはちょいと怖い系の話にしたいな、と思っておりまする。

でわでわ


  [No.574] 詠んでみた。 投稿者:桜桃子   《URL》   投稿日:2010/09/01(Wed) 21:22:47   79clap [■この記事に拍手する] [Tweet]

鳩さんの歌をもとに、少々古語ぽくひねってみました。

水芙蓉水面に咲きて乱るるは君が面影隠す帳か

水芙蓉あだや水面にな茂りそ陽恋うる魚の帳となるらむ

1つ目はほとんど意味は同じ、2つ目はより魚視点だけど男女の間の情という解釈も可能なはず。
「蓮の花よ、あまり水面にはびこってくれるな。陽光を恋い慕う魚にとっては邪魔な帳となってしまうだろう」

採用いただければ光栄ですし、さらに推敲するためのひねってたたき台にするもよし。

考えてみると、水中の住人にとっては蓮の花というのはあまり美しくは見えないものかもしれません。
水面に映る陽の光のほうがきれいに見えるのかも。

>秘すれば花
「余韻」については、ラストシーンだけでなく全体にかかるということで。
鳩さんの設定もお聞きしたい気がしますね〜。

P.S.書き忘れてたけど物語の冒頭、オランガタン(URL参照)を連想したりして(^^;)
赤の都の男の話も見たいですー。


  [No.575] おおっ 投稿者:No.017   《URL》   投稿日:2010/09/01(Wed) 21:55:31   83clap [■この記事に拍手する] [Tweet]

おお!

> 水芙蓉水面に咲きて乱るるは君が面影隠す帳か
>
> 水芙蓉あだや水面にな茂りそ陽恋うる魚の帳となるらむ

個人的には一首目が好きですねー。
意味もまんまだし。私が古語を知らない故にできなかった表現がうまいことまとまってる感じ。

> 「蓮の花よ、あまり水面にはびこってくれるな。陽光を恋い慕う魚にとっては邪魔な帳となってしまうだろう」

そうそう、この感じこの感じ。
候補に入れささせていただきますw


> オランガタン
こいつはすげえ! 何この豊縁昔語にぴったりな歌詞w


ミクシーで検討してたほうを某さんが投げてくれるというのでしばしまたれよ


  [No.576] Re: 詠んでみた。 投稿者:たけあゆ   投稿日:2010/09/01(Wed) 22:02:31   77clap [■この記事に拍手する] [Tweet]

はとちゃんとの会話抜粋。

たけあゆ :
はとちゃらし〜い短歌だね。古典ぽい作風にするなら
「うるわし君」がもうちょっと比喩されてもいいかなぁ
想い人への表現が直接的過ぎて無粋な気がしなくもないような。。。
蓮の花よりも美しいと思えるなにかに!

彼岸のNo.017:古語あんまり知らないので見逃してw
うんでも検討はしとくw
で、考えたんだけど「君」を「月」に変えるのはどうかなー。
満ち欠けはするけれど花と違って美しさを保ったままだし、
貴女は年老いてしまったけどその(内面的な)美しさは変わらないみたいな暗喩になるかなーとか、ならないかなーとか。
あ、
ミシマさんとツッキーが揃うからとか思ったわけではないよ?
ないよ?(笑

たけあゆ:
月!すごくいいと思います!!ちょっと試し書き。

【水芙蓉 咲き乱れるは さうざうし 冴えたる月を 隠す蚊帳なり】

なんて如何なもんかしら?

彼岸のNo.017:
冴えたるときたかー、いいなぁ それいいなぁ。
こうなんか歳はとったけど人間として洗練されてきた感じがいいね。

たけあゆ:
かぐや姫にもあるように「月」は手の届かない美しさの象徴として
すごくいいチョイスだと思うよー

まぁそんな訳で、通りすがりに短歌に反応してみました(・w・*


  [No.577] 返歌、詠み人知らず 投稿者:きとかげ   投稿日:2010/09/01(Wed) 23:09:58   93clap [■この記事に拍手する] [Tweet]


 蓮の花音に聞こえし泉あり。
 虫獣鳥など日ごと集ひては歌詠み、時にとりて人もすなる歌会をせんとて、するなり。

 ある夜、蓮の花咲き乱るること、いとおもしろければ、蓮の花にて歌会せんと言ひけり。
 朔なれば、魚、蓮のみ集ひて歌詠みけり。
 蓮、魚、蓮と詠みて、蓮の歌すぐれたれば、誰か詠まんと言へども、詠まず。
 さればとて、若き鯰進み出づ。


 水芙蓉 咲き乱れるは さうざうし うるはし君を 隠す蚊帳なり


 魚、蓮ども、魚の歌すぐれたりと言へり。
 誰をか思ふは知らねども、蓮の花の盛りなれば、垣間見るべからず。
 魚、蓮に袖あらば若き鯰と共に袖ぞ絞らめ。

 水芙蓉の君、いかに、何かはと問へば、若き鯰、かたち知らず、ただ声のみ聞く。
 水の外より、水芙蓉の君、誰かは、蓮の花をかし、我も詠まんと言ふものあり。


 声までも 覆はましかば 水芙蓉 我と君とを 分かつ橋立


 またすぐれたる歌なり。
 若き鯰、かこそ君なれと言へば、蓮どもとく見よとて見んとするが、水芙蓉の君、葉を渡り、泉の彼の岸に消えぬ。
 小さき蓮、尾を見たり、柿色なりと言へども、水芙蓉あればついに見ず。


(現代語訳と訳注)

 蓮の花で有名な泉がある。
 虫や獣や鳥などが、日ごと集まっては歌を詠み、折に触れては人もするという歌会をしようと言って、するのだ。

 ある夜、蓮の花が咲き乱れること、とても興趣深いので、蓮の花という題で歌会をしようと(誰かが)言った。
 朔の日なので、(月明かりがないため虫や獣や鳥は泉に来れず)魚と蓮だけが集まって歌を詠んだ。
 蓮、魚、蓮の順で歌を詠んで、蓮の側の歌が魚の歌より勝っているので、「(魚の側は)誰か詠まないのか」と(蓮が)言うけれども、誰も詠まない。
「誰も詠まないなら」と言って、若い鯰が進み出た。

 水芙蓉 咲き乱れるは さうざうし うるはし君を 隠す蚊帳なり

 魚たちも蓮たちも、この魚の歌はすばらしいと言った。
「誰を思っているかは知らないけれども、蓮の花が今盛りなので、想い人の姿を(蓮の葉の隙間から)覗き見ることができない。
 私たち魚や蓮にもし涙があれば、この若い鯰と一緒に泣くだろう」(と魚や蓮が感想を述べた)

「水芙蓉の君とはどんな姿だ、(魚か獣か人か、)何だ」と(誰かが若い鯰に)聞くと、若い鯰は、「姿は知らない。ただ声だけ聞いている」(と答える)
 水の外から、「水芙蓉の君って誰でしょうね。蓮の花がきれいだわ。私も(蓮の花を題に)歌を詠もう」と言うものがいる。

 声までも 覆はましかば 水芙蓉 我と君とを 分かつ橋立

 またすばらしい歌だ。
 若い鯰は、「あれこそ水芙蓉の君だ」と言うので、(大きな蓮が)「蓮たち、はやく(水芙蓉の君の姿を)見ろ」と言って、
(命じられた蓮たちは、その姿を)見ようとするが、水芙蓉の君は蓮の葉を渡ってあちらの岸に消えてしまった。
 小さい蓮は、「尾を見た、柿色だった」と言うけれども、水芙蓉が(水面を覆って)咲いていたので、とうとう水芙蓉の君の姿を見ることはなかった。


(和歌解説)

 声までも 覆はましかば 水芙蓉 我と君とを 分かつ橋立

(「君の姿を水芙蓉が隠してしまう」と嘆くのに対して)
 どうせなら声まで覆い隠してしまえばよかったのに、水芙蓉よ。
 この花は私と貴方を結ぶ橋ではなくて、水面のあちらとこちらに分け隔てる橋であるよ。

(出典など)
『池端日記』
 執筆者、執筆年共に不明の日記もの。一説には作者は木石竜子とも。
 池のほとりに庵を結んだ作者が、各地の伝承を聞き伝で蒐集しつつ、折りに触れ過去を振り返るという内容になっている。
 百人一首、特に蓮見小町とその歌にまつわる伝承が多く記されているが、その多くが作者の創作だと思われる。
 この話も、「水芙蓉の歌は詠み人知らずである」という伝承に題材をとった作話とされる。
 庵の場所といい、日記中に小町の名前が出る頻度といい、作者は単なる小町シンパじゃないか、とも。



【書いちゃった】

水芙蓉の歌に返歌を詠みたい、詠みたいと念じた末にこのような形になりました。
池端日記の作者はどうも私のようです。

水芙蓉の歌は水の歌人がハスミを想って詠んだ歌だろう、と思いましたが、
「虫も魚もみな喋っていた頃のこと、蓮の葉が水面を覆っていて互いの姿は見えないけれど、水面のこちらと向こうで歌を詠み合い、惹かれ合う男女」
……という解釈で書きました。

でも、要は、どうしても水芙蓉の題で詠みたくなった池端の人が作話したということです。

ハスミノコマチ炊いてきます。


  [No.578] 返歌……だと 投稿者:No.017   《URL》   投稿日:2010/09/01(Wed) 23:35:25   87clap [■この記事に拍手する] [Tweet]

まさかの返歌……だと!
うおおおおおおおおおおおおおお!

弱ったなぁ、こんなの書かれちゃったら歌変えられないじゃんw
(引き続き検討はしてみるけど、変えにくくはなった確実に)

そういえば古語っぽくするなら
うるわし→うるはし ですよね。
危ない危ない、後で修正しておこう。

魚が蓮(ハスボー一族ですね!)と歌会というのがいいと思います!
これはよい!
すげえ風流……草木も歌ったのだ!

まったく和歌に需要がなかったから、和歌項目なくしたっていうのに……これは復活フラグなのか?
こうなったらポケモン視点で読まれた歌と解説を投稿していくスレもおもしろそうですね。



> 【書いちゃった】
> 水芙蓉の歌に返歌を詠みたい、詠みたいと念じた末にこのような形になりました。

うれしいこと言ってくれるじゃないの。
もっとやっていいのよ(


> 水芙蓉の歌は水の歌人がハスミを想って詠んだ歌だろう、と思いましたが、

うしし、そうです。
昔は人もポケモンも(以下自主規制


返歌、しかと受け取りましたぞ……!!!
うっひょい


  [No.594] 返歌です 投稿者:きとかげ   投稿日:2010/09/04(Sat) 11:19:42   82clap [■この記事に拍手する] [Tweet]

> 魚が蓮(ハスボー一族ですね!)と歌会というのがいいと思います!
> これはよい!
> すげえ風流……草木も歌ったのだ!

そういえばハスボー一族は草木でしたね!(完全に失念
多分、彼らは蓮の美しさを細やかに歌い上げたんだろうなーと考えながら書きました。蓮だけに、蓮の美しさはよく分かる、というイメージでのチョイスです。

> こうなったらポケモン視点で読まれた歌と解説を投稿していくスレもおもしろそうですね。

なるほど、そういうのもいいですね……
深海や大空で歌う歌、読んでみたいです。誰か書いて!(ぇ

> うしし、そうです。
> 昔は人もポケモンも(以下自主規制

そして人とアゲハントも(ry

> 返歌、しかと受け取りましたぞ……!!!
> うっひょい

受け取ってもらえた……!
うっきゃああ


  [No.580] 絶妙哉!>返歌、詠み人知らず 投稿者:桜桃子   投稿日:2010/09/02(Thu) 19:26:12   65clap [■この記事に拍手する] [Tweet]

物語全体の雰囲気が実に良い!
古文の出来もいいし、実に味わいがあり、ゆかしき風情がただよっている。
ついでに言うと解説、注釈等も大変それらしくて実にナイス!(笑)

もしポケモン世界に今昔物語があったなら、その一編に入っていそうな名品。☆☆☆!


  [No.595] Re: 絶妙哉!>返歌、詠み人知らず 投稿者:きとかげ   投稿日:2010/09/04(Sat) 11:53:45   80clap [■この記事に拍手する] [Tweet]

褒め言葉がこんなに降ってきて恐縮です!あんまり喜ぶと膨らむのでちょっと縮みます!

> 古文の出来もいいし

高校の古典の先生のお陰です。
「ゆかし」は完璧に忘れてましたよ!

> ☆☆☆!

つい、「☆十個で満点だろう」とか勘ぐってしまうきとかげです。いえ、素直に受け取ります。


  [No.596] それはですね… 投稿者:No.017   《URL》   投稿日:2010/09/04(Sat) 14:02:55   92clap [■この記事に拍手する] [Tweet]

> > ☆☆☆!
>
> つい、「☆十個で満点だろう」とか勘ぐってしまうきとかげです。いえ、素直に受け取ります。

あ、きとかげさんはご存じないでしょうけど
☆☆☆っていうのは最高評価です。
フフフ……

返歌いいよね!
すごくいいよね!
やっぱりサトチさんもそう思うよね!


あー、あと詠み人知らずの赤版出来たんですけど、内容がアレすぎる……これはひどい。
こっちは詠み人知らずと一緒に個人誌の豊縁二集に載せようと思ってます。
タイトルは「黄泉人知らず」となる予定です。


  [No.1852] ●豊縁昔語―黄泉人知らず 投稿者:No.017   《URL》   投稿日:2011/09/13(Tue) 00:45:23   137clap [■この記事に拍手する] [Tweet]
●豊縁昔語―黄泉人知らず (画像サイズ: 520×520 30kB)


 昔むかし、秋津国の南、豊縁と呼ばれる土地には異なる色の大きな都が二つございました。
 二つの都に住む人々はお互いに大変仲が悪うございました。
 彼らはそれぞれ自分達の色、信仰こそが正統だと考えておりました。
 今回はその二つの都のうちの一つ、赤の都に住む一人の男の話をすることに致しましょう。


 その男の齢は四、五十ほど。
 今の時代では武士などと呼ばれるのに近い身分で、名をタダモリと申しました。
 若い頃のタダモリは勇猛な指揮官として、名を知られておりました。
 侵略すること火の如し。タダモリ自身も相当な武人です。
 彼の率いる軍勢に攻め入られたら、冷静な青の武人も、抗う獣や土地神も敵うものはなかなかおりませんでした。
 彼らのとれる道は二つに一つ、命からがら逃げ出すか、首をとられるか、です。
 タダモリは都にいくつもの御印――すなわち首を持ち帰ったのでありました。


 ですが、そんなタダモリも次第に歳をとりました。
 ある時、愛馬から落馬してしまったタダモリは、腰を悪くして、戦場をかけめぐることは叶わなくなったのです。
 しかしながら戦をすることにかけては優秀な男でありましたから、赤の都で官職につきますと、様々な遠征の戦略を立てるようになりました。
 次に版図とする土地の情報を集め、火馬や駱駝は何頭、軍用犬は何匹、操り人と戦人は幾人かということを計画し、実行させるのです。
 ある者にはある土地の青からの守護を命じ、ある者には異なる色の国の国盗りを命じました。ある者には土地神の首をとってくるように言いました。
 彼の計画と計算はなかなかのものでした。
 ある者は立派に役目を果たしましたし、ある者は見事に国を盗りました。そしてまたあるものはタダモリの前に土地神の首を差し出したのです。
 
 そのように馬を降りても活躍するタダモリでありましたが、一つだけ苦手とするものがありました。
 都にいる官職の者達は、昼間は昼間でお役所仕事などしておりますが、夜は夜で様々な付き合いがございます。
 宴や五七五七七の歌を詠む歌会がそれでした。
 しかしながらタダモリは夜の付き合いがあまり好きではなかったのです。
 なぜなら和歌を詠むことが大の苦手だったからでした。

 しかし、現代の人々の感覚からは信じられないかもしれませんが、歌会での和歌の出来、勝敗というものは出世に関わりました。
 自分は和歌が苦手だから出席をしないとかそういう訳にはいかないのです。
 戦場では若い武人達がめざましい活躍をしております。
 特にこの間、新緑の国を落とした男などはその筆頭でありました。
 その多くの任命をしたのはタダモリ自身でありましたが、一方で彼は焦っていました。
 いつか彼らに越されてしまうのではないか。
 自分の地位を脅かされてしまうのではないか、と。このように恐れたのです。
 ですからなるたけ高い位に上り詰めたい、とタダモリは願ったのであります。
 そこで彼は人を雇うことに致しました。
 すなわち自分に代わって歌を作ってもらうことにしたのです。

「次の歌会の題は"夕暮れ"といたそう」

 歌会が終わると、次の歌会の題が告げられます。
 ダダモリはそれを持ち帰り、影の歌人を呼ぶのです。

「次の題は夕暮れじゃ、九日後には作ってくるのじゃぞ」

 そのようにタダモリは命じました。
 影の歌人はなかなかに優秀でした。
 たまには負けることもございましたけれど、多くの場合、勝ちを拾ってくれたのでありました。
 勝ちを拾った暁には、影の歌人に給金とは別に褒美を与えてやります。
 貧乏な歌人は懸命に仕えてくれました。
 こうしてタダモリは夜の世界でもうまく地位を上げていったのです。



 ところが、次の歌が出来るのを待つタダモリに、とんでもない知らせが届きました。
 タダモリの代わりに歌を作ってくれた影の歌人が突然死んでしまったというのです。

「馬鹿な、昨日はあれほど元気だったではないか」
「それが、戦から戻った火の馬だか駱駝だかが突然暴れだしまして、蹴り殺されてしまったと……」

 タダモリは呆然と致しました。
 次の歌会までに二日ほどしかございません。
 影の歌人にはまだ歌を教えてもらっていませんでした。死人に口なしです。

「急ぎ代わりの歌人を探せ」

 タダモリはすぐにそう命じましたが、そう簡単に代わりが見つかるはずもございません。
 次の日になっても歌人は見つかりませんでし、よい和歌も作れませんでした。
 おおっぴらに探していることを言うわけにも参りません。

「むうう、困った困った。歌人がおらぬ。歌が出来ぬ」

 歌会を夜に控えタダモリは嘆きました。
 歌会の主催は出世に影響力のある人物です。
 下手な歌を持っていくわけには参りませんでした。
 仕事もろくに手がつかず、日は落ちていき、空が紅く紅く染まりだしました。
 時期に夜になってしまいます。
 そんな時でした。

「タダモリ様、タダモリ様に目通りを願う者がおります」

 と小間使いの者が言いました。

「なんじゃ、今はそれどころではない。新しい歌人以外の話は聞きとうないぞ」

 と、タダモリは退けようとしましたが、追い払われる前に小間使いが言いました。

「は……しかしその者、タダモリ様にぜひ歌を聞いていただきたい、と申しております」


 人払いをさせたタダモリは、彼を尋ねてきたという人物を暗い座敷へと通しました。
 空では日が夜色に溶け出し、境目の時刻独特の色合いを見せております。
「面を上げい」と、タダモリは言いました。

「そなたが歌を聞いて欲しいという者か」
『はい……タダモリ様が歌人をお探しになっているとお聞きまして、馳せ参じました』

 そのように答える男は静かな落ち着いた声でありました。
 年齢はずいぶん若いように見えます。しかし奇妙な風貌の男でした。
 灰色とも土色とも形容しがたい肌の色をしておりますし、長く伸びた前髪が片目を隠しております。粗末な着物の下で身体をぐるぐると巻いた帯のようなものが見えました。
 ふん、怪しい奴、という目でタダモリは見下ろします。
 すると男が言いました。

『私の風貌を見て、皆そのような目をなさいます。この通り片目はつぶれて髪で隠しておりますし、肌がただれておりますゆえ、このように帯を巻いて隠しているのです。私はどこにも留まることが出来ず豊縁の各地を回って参りました。しかしそれゆえに都人が知らないたくさんの和歌を知っておりますし、私自身も励んでまいりました。どうか貴方様付きの歌人にしてくださいませ』

 一つしか開かぬ目がじっと見上げます。
 しかし、夕日の色が手伝って赤く輝くその瞳には落ち着きと自信のようなものが垣間見えました。

「ふん、ならば今この場で歌を詠んでみせよ。今宵の歌会に歌が必要なのだ。赤の都の歌会の場に恥じぬ夕暮れの歌を詠んでみせよ」

 タダモリが言いました。
 すると待っていたとばかりに歌人はすらすらと歌を詠んだのでありました。

『日は溶けて 暗き色へと 落ちぬとも 明けぬ夜なし 暁の空』



 タダモリは夜の歌会でその一首を詠みました。
 それは武人らしい歌として評価されました。
 戦は予想できぬのが常である。太陽が沈んでしまうように暗き色、すなわち青色に劣勢をとることもあろうがそれも一時のことよ、けれどまた日が昇るように勝つのは我々赤である。
 歌の意味をそのように歌人は語り、タダモリは歌会でそのままを語りました。

「よくやった」

 一つ目の歌人にタダモリは言いました。

「今日よりお前は私の影の歌人だ。私のために歌を作れ」

 タダモリは歌人に命じました。
 そうして次の歌の題を伝えました。

『承知いたしました』

 そのように歌人が云い、一晩明けた後には新たな一首を届けたのでございました。
 それは前の歌人よりずっとずっと早い出来上がりでございました。



 その後もタダモリの活躍は目覚しく、戦略を立て、兵を派遣し、豊縁の各地に赤い旗を立ててゆきました。
 土地が赤い色に塗り替えられていきました。それは人や土地神や獣達の血の色だったのかもしれません。
 タダモリの下にはいくつもの首が届きました。
 ある者は牙を剥き出しておりました。ある者にはツノが生えておりました。あるものには鬣がございました。
 それは都のある場所である期間晒されると、首塚に持っていかれます。
 狩り獲られた首達はみんなそこに集まるのでした。
 彼は血のように赤く染まった夕暮れ時になると影の歌人には歌を届けさせました。
 歌人は歌会の題を聞くたびにタダモリに極上の一首を提供いたしました。
 そうしてタダモリはその一首を披露します。彼はほとんど負けなしでした。
 そうしてタダノリは自分の地位をより確かなものにしていったのでございます。
 腰は悪かったものの、老いてますます元気。
 近々新しい位を賜ることになったタダモリもまだまだ歌会に顔を出すことになりそうです。

「お前が歌を作るようになって何年になるかのう」

 ある夕暮れ時に、タダモリは影の歌人に尋ねました。

『三年になります。タダモリ様』
「そうか、もうそんなに経つか。お前のお陰で夜の心配はせんでよくなった。大儀であったの。そのうちに別に褒美をまたとらせねばな。だがその前に、もう一題作ってもらいたい」
『どんな題でも致しましょう』

 タダノリの命に対して、影の歌人は苦にもしないとばかりに答えます。

「お前は優秀よ。私が題を与えれば一晩で作ってきよるわ。まったくどのようにすればそのように歌を作れるのだ?」

 めずらしくタダノリが歌に興味を示しました。
 すると歌人の一つ目が怪しく光ったように見えました。
 
『お知りになりたいですか?』

 と、歌人は聞き返します。
 そうして、タダノリの答えを待たずして続けました。

『それならばその秘密を教えて差し上げましょう。丑の刻に迎えに参ります』
「丑の刻?」

 タダモリは首を傾げました。
 丑の刻とは今で言う午前二時。
 世界が暗い色に沈み草木も眠ると言われる時間なのです。

「一体どういうことなのだ」

 と、タダモリは再び尋ねましたが、歌人はくすくすと笑ってはぐらかすばかり。
 それでは丑の刻に、と告げると下がってしまいました。
 


 そうして夜になりました。
 新月で月は見えません。
 布団をかぶったタダノリはしばらく歌人の言葉が気になり、眠れずにおりましたが、やがてうとうとしだし寝息を立て始めました。
 どれだけ時間がたったでしょうか、襖がすうっと開きました。

『タダモリ様、タダモリ様……』

 歌人の声が聞こえました。
 意識のはっきりしない目で声の先見ると暗闇に歌人の姿がぼうっと浮かんでいます。
 そう言って歌人は妖しく手招きをいたしました。

『お迎えに参りました』

 気のせいでしょうか。開いた襖から何やら生暖かい風が吹いているようです。
 それでも歌人の言葉に誘われるようにしてふらふらと起き上がったタダモリはいつのまにか用意された着物に着替えて屋敷の外に出ました。

『こちらですよ。タダモリ様』

 外で青白く輝く提灯を持った歌人が再び手招きしました。
 都はしんと静まりかえっております。
 青白い光を先頭にして二人は歩いてゆきます。
 首を晒す橋を過ぎました。彼らはどんどん都の外れのほうに向かってゆきます。

『到着しましてございます』

 ある場所で立ち止まると歌人は言いました。
 歌人は提灯を掲げます。大きな石灯籠に似た石碑を照らしました。

「……どういうことだ。ここは首塚ではないか」
『左様でございます。私はここで歌を作るのでございます』
「貴様、私を愚弄しているのか」

 タダモリが怒りをあらわにします。

『……愚弄してなどおりませんよ』

 歌人はくすくすと笑いました。

『ほら、皆々様がいらっしゃった』

 するとどうでしょう。
 闇夜に立つ首塚の形を浮かび上がらせるようにして無数の鬼火が現れたのです。
 それは歌人の提灯の色と同じ色をしておりました。
 タダモリは目を見開きます。
 歌人が鬼火たちに呼びかけました。

『皆々様、今日もタダモリ様から新しい題をいただきましたよ。どなたか首と身体が繋がっていた頃に題に合う歌を作った方は居りませぬか』

 すると鬼火の一つが歌人の下へやってまいりました。
 そうして炎はぼうっと燃え上がり、首の姿に変容いたしますと、一首を詠んだのでございます。
 その土地神には牙と耳が生えておりました。

「お、お前は! 先日首塚にしまった土地神の首ではないか!」

 タダモリは驚愕の声を上げました。

『左様で御座います。これこそが私の和歌を作る秘密なのです。貴方がたが神狩りをすればするほど、私はよりたくさんの歌を詠むことが出来る。私はその中から極上の一首を貴方様にお届けするのです』

 鬼火の冷たい光に照らされた一つ目がにいっと嗤います。

『私は首を狩られた土地神の皆々様に提案したのです。身体を失った貴方達の代わりにタダモリ様に歌を世に出してもらいましょう。土地や身体を取り戻せないなら、せめて後世に伝わる和歌集の一頁一頁を私達の歌で埋めてやりましょう。私達の生きた証を私達を殺した人の手を使って遺してやりましょう、と』

 タダモリは聞きました。
 くすくすけたけたと無数の笑い声が闇夜に響いたのを。

『皮肉なことでございますねぇ。貴方が歌会で詠み、多くの赤の都人が耳を傾けている和歌は貴方が滅ぼした土地神達の呪詛なのですよ』

 彼はすうっと血の気が引いていくのを感じました。
 まるで身体を乗っ取られたような面持ちがしたのです。

『今、赤の大王(おおきみ)の命で勅撰和歌集に載せる歌を選んでいるのだとか。私達の歌は何首載るのか……楽しみなことですね』

 ああ、なんということでしょう。
 自分達が滅ぼした者達、滅ぼしたはずの者達に自分は操られていたのだろうか、と。そんな恐ろしさにかつての武人は駆られたのでございました。
 そうして彼は目に焼きつけました。影の歌人の姿が変わっていく様をその目に焼き付けたのでございます。
 歌人の髪の毛がばっさりと落ちると、着物はみるみるうちに身体を覆う帯に変わりました。
 灰色の帯に隠された顔には大きく光る目玉が一つ乗り、赤々と輝いていました。そうしてもはや人のものではない大きな腕のその指がタダモリを指し、こう言ったのでございます。

『ご存知ですかタダモリ様、私が仕えているのは貴方様だけではございませぬぞ。歌会のあらゆる場所で私達の歌は詠まれています。貴方がたは夜の宴を開くたびに獣達の、土地神の首を持ち寄って競わせているのです』

 一つ目が赤く爛々と輝きました。
 タダモリはぐらりと視界が揺れて、意識が遠くなったような気がいたしました。

 そうして気がつけば朝でありました。
 タダモリは汗をぐっしょりとかいて、布団の中で横になっておりました。



 権勢を誇ったタダモリ。
 けれど彼はほどなくして政治の一線から退いたと伝えられています。
 噂によると後の日の歌会にて彼は恐ろしいものを見たのだそうです。。
 夜の歌会、自分に相対して並ぶ貴族達、自分の陣営の高貴な身分の者達、その両方の幾人かの持つ短冊が、狩り獲ってきた土地神の首に見えたというのです。
 彼は恐ろしさに震え、それでもなんとか自身の一首を詠もうといたしました。
 けれど歌の代わりに響いたのは悲鳴でした。
 短冊に書かれた一首を読み上げようとした時、手に持つ短冊が一つの首に変じたと云うのです。
 獣の首はタダモリの顔を見て、にたりと嗤ったそうです。


 それは昔むかしのことです。
 まだ多くの獣達が人々と話すことが出来た頃のお話です。






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日は溶けて 暗き色へと 落ちぬとも 明けぬ夜なし 暁の空

意味:
戦は予想できぬのが常である。太陽が沈んでしまうように暗き色、すなわち青色に劣勢をとることもあろうがそれも一時のことよ、けれどまた日が昇るように勝つのは我々赤である。

だが一方でこのような説がある。
これは赤や青によって蹂躙された土地神の歌である、という説だ。
それは次のような意味だと云う。

世は様々な色の神々の時代から、暗き色(=赤と青)によって蹂躙される暗黒の時代へと入った。けれど日が昇るように、明けぬ夜はないように、いつかの日か再び我らの世が訪れるだろう。





豊縁二巻が出るまで公開しないつもりでしたが、
マサポケ活性の一助になれば、と。
どういうことかっていうとみんなストーリーコンテスト出せよ!
出さないとサマヨールが土地神の首と一緒に化けて出るぞ!!!

影の歌人ことサマヨールさん「雇ってくれればストコン出しますよ」



■豊縁昔語シリーズ
HP版:http://pijyon.schoolbus.jp/novel/index.html#houen
pixiv版:http://www.pixiv.net/series.php?id=636

【書いてもいいのよ】
【描いてもいいのよ】
【批評していいのよ】


  [No.2865] 黄泉人知らず描いてみた 投稿者:No.017   《URL》   投稿日:2013/01/28(Mon) 02:39:09   97clap [■この記事に拍手する] [Tweet]
タグ:サマヨール】 【豊縁昔語
黄泉人知らず描いてみた (画像サイズ: 500×500 55kB)

ひさびさにサイトのほうを更新しました。
歌人さんです。