大地を踏みしめ全身に力を籠める。感覚を研ぎ澄まし風の流れを読む。
重要なのは体の力と風の力。
両方のバランスを取りベストコンディションになるのをひたすら待つ。
その時が来るのは、一瞬かもしれないし、丸一日経っても来ないかもしれない。
それでもただただ待っている。その時を待ち焦がれている。
睨み上げる先にそびえ立つは、人の手によって作り上げられたラジオ塔。
その建物から延び出ている頂上こそが、私の目的地だ。
私は必ずそこへ辿り着いてみせる。絶対にラジオ塔のてっぺんに昇ってみせる。
あいつらを見返せるのなら私は何でもしてやる。
このジャンプは、私のすべてを賭けた挑戦である――――そう、思っていたのに。
私は失敗した。失敗した。失敗してしまった。
力み過ぎたのがいけなかったのか。風を読み違えたのか。
努力不足だったのか。はたまた運に見放されたのか。
とにかく私のジャンプはラジオ塔の半分にも届かなかった。半分さえも届かなかった。
挙句の果てに風に飛ばされてしまう。私の落下予測地点は海面だった。泳げない私にとってそれは死を意味していた。
落ちる、落ちる。ゆっくりとだけど確実に落下している。
私の目指していたラジオ塔のてっぺんが、どんどん遠のいていく。
短い両手をその頂へと伸ばしても、空を掴むばかり。
風さえ、風さえあればまだ私は舞い上がれるのに。
すがる想いを背中に託しても、憧れの頂点は離れていく。
ああ、私の挑戦はここで終わるのか。
私をのけ者にしたあいつらを見返せないまま、終わるのか。
特訓したのに。頑張ったのに。努力したのに。この様か。
協力してくれたヒマナッツとタマンタにどう顔向けすればいいのだろう。
あんなに力を貸してくれたのに、応援してくれたのに。私はふたりに借りを返せないまま死ぬのか。
感謝の言葉さえ、まだ言っていないというのに。
塩辛い空気の味を噛みしめながら、終わりたくないと蒼天に願った。
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さて、失敗をしてしまった私には残り僅かな時間しか残されていない。
幸運かは微妙だが、お天道様に願ったおかげで私は走馬燈に陥っていた。
この恵まれたわずかな時を、気持ちの整理と回想に使いたいと思う。
まずは自己の再認識から。
私はハネッコ。ピンクの丸い体に尖った耳を持ち、頭から葉っぱを生やしたキュートな容姿をしたポケモンである。ハネッコとは、私の種族名であり、私自身の個を表す名前は無い。とりあえず友からはハネッコと呼ばれている。
外見以外に特徴を上げるとするならば、私はとても軽い体をしている。そよ風に吹かれるだけでも飛ばされてしまうほど軽いのである。突風に飛ばされて住処に帰ってくるのに何日もかかる場合もあるほど、ハネッコは軽い。
だが、その軽さは短所ばかりではない。私は軽いからこそ生かせる技を持っていた。
その特技とは――――「はねる」
跳ねる、という言葉を聞くと、ぴょんぴょんぴょこぴょこと低くジャンプするイメージがあるだろう。だが、ハネッコの跳ねるは根本的に違うのだ。
ハネッコは軽いからこそもともと重力に縛られにくい。更に「はねる」で高く跳べば跳ぶほど、地上との距離が離れるだけ体にかかる重力は距離の二乗に反比例して少なくなるらしい。つまり上へ跳べば跳ぶほど重力の枷から解き放たれ、ますます上昇できるそうだ。
反比例云々は物知りな知り合いからの受け売りなので、私自身は正直に言うとよく解らない。だがそういう理屈や仕組みがありそうなのは日頃ジャンプをしていて感じていたので、恐らくあってはいるのだろう。
そして力の入れ具合と解き放つタイミングさえ合わされば、一回のジャンプでニコニコ笑いながら山を軽々と飛び越すことも可能だという伝説も私達ハネッコの間では残っている。
ハネッコの「はねる」は、無限の可能性を秘めていた。
力説しておいてあれだが、所詮言い伝えは言い伝えでしかない。私が山越えを出来るかというと、まだその境地まで達していない。私の「はねる」はせいぜいニンゲンの住処である一軒家のてっぺんに届けばいい方だった。そして私の仲間内では一番低い方だった。
つまり私は、落ちこぼれジャンパーなのであった。
ハネッコ仲間から落ちこぼれた私は、とうとう群れから追い出されることになる。
理由は単純。周りのハネッコと一緒の高さまで跳ねることができない私は、渡りの時期に乗る風に乗れず、いつもグループからはぐれて迷惑をかけていたからだ。
だが、それも仕方のない話である。はぐれた私を捜すことは、仲間にとってはとても危険なことだった。
まず、手分けして捜すと群れがバラバラになって二次被害どころの騒ぎじゃなくなる。風は都合よく流れてはくれない。かといって群れでまとまって低い場所をうろうろしすぎると襲われるのだ、鳥ポケモンの群れに。最悪の場合みんなまとめてフルコースである。
だから群れの危険を少なくするために、私を置いていくという判断はやはり正しい。正しいとわかっているだけに情けなく、そして何より悔しかった。
行き場をなくした私は悩んだ末に、飛ばされないように歩き昔迷子になった時に知り合った友を訪ねた。
ラジオ塔のある街の近く、海岸沿いにある黄色い花畑にふたりは居た。
片方は、黄色と茶色の縦縞を持ち、大きな黒い目を輝かせ、私とは違う葉っぱを頭から生やしたヒマナッツというポケモン。
もう片方は、海に棲んでいる青くて平べったい、長めの触覚と下まつ毛のある目がチャームポイントなタマンタというポケモン。
慣れない歩きに疲れた私はふたりの顔を見て泣き崩れ、これまでの経緯と悔しい胸の内を吐露した。
ふたりは相槌をしながら私の話を丸一日聞いてくれた。救われたし、ありがたかった。だが溜め込んでいた胸のつかえが少なくなるのと反比例に惨めさは増していって仕方がなかった。多分反比例とはこういう使い方なのだろうと、その時に悟った。
頭の葉っぱがしおれた私の心中を察してくれたのか、ヒマナッツがある提案をしてくれた。
「ハネッコ。悔しいのなら飛べるようになろう。他の仲間に負けないくらい高く、高く跳べるようになろう――――あのラジオ塔のてっぺんに、一回のジャンプで昇れるくらいにさ。そして見返してやろうよ」
何気ないそのヒマナッツの激励が、私の生きる上での目標、夢……いいや違う。
これが私の初めての、野望になった。
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それから、私の野望を叶える為の特訓と研究にヒマナッツとタマンタは協力してくれた。
まず初めにしたのは、ラジオ塔がどれくらいの高さかの把握だった。ラジオ塔の中から歩いて登ってみたのだ。(私だけでは重さが足りなくて入口の自動ドアに反応されなくて凹んだことは、心の隅に置いておく)
数えてみるとラジオ塔は六回建てで、その最上階の展望台から見た景色は、家々がずいぶん低い所にある風に見えた。私の限界点がこんなに低いものだという現実を突きつけられた。
タマンタは私の挑戦にまとわりつく身の危険を案じてくれた。
「この街は海に近いからね。もしジャンプが上手くいかなかったときは海に落ちる可能性が高い。そうしたら僕がハネッコを助けに行っても間に合わないかもしれない。それでも君は挑むのかい?」
そのタマンタの心配に、私は確かこう答えた。
どのみち群れに戻れても戻れなくても、高くジャンプできる力がなければ危険なのは変わりない。少しでも生き残りやすい方法を身に着けたい。それになにより私だって“ひとりで生きていける”とあの私を追放した者たちに言ってやりたい。見返してやりたい。と。
私の言葉を聞いたタマンタは、静かに「そう。なら止めないよ」とこぼした。その時のタマンタの表情は、どこか寂しげに見えた。
目標の高さを覚えた私は、一旦ふたりと別れ海から離れた森でひたすら跳ねる練習をした。
切り株の上で踏ん張りをきかせ、跳ねた。昼夜を問わずに跳ねまくった。
時に風に流され、エアームドの鋼の翼にかすり、ポッポの群れにつつかれ命からがらに逃げ、トランセルがバタフリーに進化して羽ばたく瞬間にも立ち会った。
時折ヒマナッツが差し入れてくれたモモンの実はとても甘くて美味しかった。
いくつもの太陽と月が昇っては沈んでいき、雨の日は切り株の虚の中でイメージトレーニングをして過ごす。
月日が経ち、着実に高く跳べるようになっていく。そしてとうとう森の上からラジオ塔のある街を見渡せるぐらいには跳ねられるようになっていた。
あとは、天気と風の情報が欲しかった。上手く風に乗れれば、ラジオ塔の頂上に届く自信はついていたのである。
私が天候を知るあてがなく困っているだろうと思ったのか、ヒマナッツが人間の家にひそかに忍び込んで、ラジオの気象予報をチェックしてくれていた。正直凄く助かった。
久しぶりに会ったタマンタは一回り大きくなっていた。泳ぐスピードも速くなっていて驚いた覚えがある。タマンタも特訓したのだろう。私も負けてはいられない。
天候の条件に合わせ体調が絶好調になるように維持し、ついにその時は来た。
私が選んだのは、澄み渡る青空の日。
植物の混じったポケモンである私は、晴天の下でたくさん陽光を浴びてエネルギーを溜める。
準備運動をしてコンディションを整え、ヒマナッツとタマンタが静かに見守る中私はひたすら風とタイミングを待った。
大地を踏みしめ全身に力を籠める。感覚を研ぎ澄まし風の流れを読む。
睨み上げる先にそびえ立つは、人の手によって作り上げられたラジオ塔。
風が来る。力の入れ具合はベストのタイミングに至る。
心から待ちわびた瞬間にたどり着き、全身全霊を持って地面を蹴った。
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そして私は失敗した。
本来の力を出し切れなかった。ラジオ塔の半分も届かずに風に流され海の方へ落下していく。
走馬燈のゆっくりとした時の流れをもってしても、もう海面はすぐ後ろにあるのを察した。
泣きたかったが、涙は出なかった。それでも口の中はしょっぱかった。
もう最後の瞬間くらい何も考えずに死ねたらいいと思った。だが私は思考を止めることは出来なかった。
色々考えたのちに、ある感情がこみ上げてくる。それは悔しさだった。
悔しい。
失敗したことが悔しい。
悔しい。
見返せなかったことが悔しい。
悔しい。
辿り着けなかったことが悔しい。
悔しい。
全力を出し切れなかったことが悔しい。
悔しい。
心半ばで死んで終わってしまうことが悔しい。
悔しい。悔しい。悔しい。悔しい。
嫌だ。嫌だ。嫌だ。死にたくない。終わりたくない。
まだ、死ねない。終われない。
その境地に至った私は、諦め悪く悪あがきでめちゃくちゃにみっともなく叫ぶ。
格好悪く、助けを求めた。
「嫌だ……まだ、終わりたくない諦めたくない――――助けて!!」
助けを求めたら背中を押された気がした。それは気のせいなどではなく、本当に背中を押されていた。
日差しが一気に強くなり、なんと海面から上昇する風が私の背中を押し上げた。
「「その言葉を待っていた!!」」
余裕のできた私は、それまで背にあった海面をようやく見下ろす。そこにはタマンタが「おいかぜ」の技で風を起こし、タマンタの背に乗ったヒマナッツが「にほんばれ」の技を使い日の光を強くして海面を温め、私の真下から援護の上昇気流を発生させてくれていたのである。
「風を掴め、ハネッコ!!」
「行くんだハネッコ、頂へ!!」
今度こそ本当に涙が出た。
タマンタとヒマナッツが生み出す風は温かく、心地よくて力強くて、即興で生み出されたものではなく、この風を作るのにふたりがどれだけ練習したかが伝わってきて……どこまでも高く跳べる気にさせてくれる。
頭の葉っぱでたくさん風をうけて、私は舞い上がり昇っていく。
塔の半分を勢いよく越え、展望台を越え、勢い余って頂上を通り過ぎた。
慎重にラジオ塔のてっぺんにしがみつくように着地する。
辿り着いた感想は、喜びよりも高さに対する怖さが勝った。何故なら、私は遥か彼方に広がる地平線よりも真下ばかりを見下ろしていたから。
石粒よりも小さくなってしまった。ヒマナッツとタマンタの姿を見つけるのに躍起になっていたから、その高さにビビってしまっていた。
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結局私は本来の目的である、昔のハネッコ仲間を見返してやることは出来なかった。
ジャンプに失敗し、友の手を借りてようやくラジオ塔のてっぺんに到達した私だ。まだまだ精進しなければならない。
ふたりにお礼を言った時に聞いた話だが、ヒマナッツとタマンタは始めの内は手出しをせずに見守るつもりだったらしい。私が失敗しても命だけ助けるつもりで、手伝う予定はなかったそうだ。だが私の根性を見て、ふたりは私がいつ助けを求めてもいいように上昇気流を作る特訓をこっそりしていたそうだ。
今回のジャンプを経て、一つ考えを改めたことがある。
それは、ひとりで生きていくことはやはり難しいということだ。
ヒマナッツとタマンタにはたくさん協力してもらっていたのに、私はそんな当たり前のことを見失っていた。
どんなに努力しようとも、強くなろうとも誰かに助けられてしまうことはある。だが、そのことを恥ずべきではないということを知った。
甘えすぎてもいけないけれども、助けてくれる友を持てたことは私の財産である。
いずれは私も彼らの力になれるようになりたい。そのくらい格好良くなりたい。
その大切な気持ちを胸にしまい、これからもハネッコらしく元気に跳ね続けようと私は私に誓った。