ひとと けっこんした ポケモンがいた
ポケモンと けっこんした ひとがいた
むかしは ひとも ポケモンも
おなじだったから ふつうのことだった
「みんな、この話知ってる?」
模造紙の四隅にマグネットを貼って黒板に固定する。その横に立ちながら黒の水性マジックで大きく書いた一節を声に出して尋ねてみたが、前に座る男女合わせて二十九人の子どもは首を傾げたり、黙ったり、隣の子と顔を見合わせたり。「知ってる」と言う声は期待できそうにない……が、まぁ、それは想定通りだ。大丈夫だよ、知らなくても大丈夫。と、僕は語り掛けるように話しながら笑んだ。そして、尋ねる。
「今、これを読んでみて何か思ったことがある人はいる?」
漠然な質問だ。口にした瞬間、しまったと思った。
何を聞いているのかハッキリしない質問は、できるだけ避けた方がいいと研修の際に何度も言われたのだが、気を抜くとつい言ってしまう。少しばかり覚えた焦りを顔には出さないように努めつつ、子ども達を見てみるが、「何かって、何をいえばいいの」と、困っている顔がちらほらと見える。それでも、手を挙げてくれた子どもはいたことにホッと安堵しつつ(もちろん、表には出さないように)、窓側に近い席に座るその子の名を呼んだ。少女はシズク。何の授業でも積極的に発言してくれる子だ。凛とした声で、はい、と答えた彼女が口を開く。
「人とポケモンが結婚するのって、不思議だなと思いました」
彼女の言葉に「同じです」といくつも声が続いた。それを聞いてホッとしたような、或いは満足したような様子で彼女は席に付く。声には出さなくても頷いたり、模造紙をじっと見つめていたりする子もいる。まぁ、それでもいいのだ。何かを考えていても、まだ言葉にする術を持たない子もいる。自信を持てない子もいる。そういった子には
「ミナミさんはどう?シズクさんと同じ?違った?」
と、声をかける。頷くだけでも、首を振るだけでも立派な意見だ。そりゃあ、理想は言葉で話してほしいけれども、苦手な子に無理矢理させたくはない。少しずつ、少しずつできるようになればいいのだ。経験は少ないけれども、これだけは譲りたくない僕のこだわりだ。
3人ほど、同じようなやり取りを繰り返した後でもう一度模造紙を示し、僕は口を開いた。
「これは、シンオウ地方に伝わる昔話でね……結婚、っていうのは皆にはまだ早い話だけど、つまり」
「先生は結婚してないですよね!」
「リュウセイ君、それ先生傷つくからやめて。」
どっと子ども達が笑う。クラスのムードメーカーの言葉に苦笑いを浮かべながら頷くと、彼も満足した様子で背中を伸ばした。
僕は、一度教室を見回して小さく息をついて言葉を仕切り直す。
「まぁ、簡単に言えば、一緒に過ごすってこと。皆の家にも色々あると思う。ポケモンがいる家、いない家。でも、皆の身の回りでも、野生じゃないポケモン……誰かと一緒にいるっていうポケモン、見たことあるよね」
「ジョーイさん!ジュンサーさん!」
「日曜に、引っ越しのトラックにゴーリキーが乗ってたの見たよ。」
「ねんりきで荷物運んだりもしてるよね。」
「給食の牛乳!ミルタンク!」
「ポケモン・バッカーズ!」
「この間、グラウンドにジジーロンが来てた。」
投げかけたと同時に、一人一人と矢継ぎ早に声が上がる。賑やかかだ、とても賑やかだ。時にはそれがムックルの群れ張りにやかましくなるその声は、ドゴームの叫びにも負けないかもしれない。それぐらいのエネルギーが子ども達にはある。
10歳になった子どもは図鑑とパートナーを受け取り、旅に出る。故に、この国での義務教育は7歳から10歳までの4年間となる。トレーナーズスクールといったものもあるが、それは公立の小学校とはまた違ったものだ。基本的に10歳を迎えた子どもの家庭は、その地域の研究所と相談した上で旅の日取りを決めていく。連絡を受けた教師は、その子の指導要録、学校生活に関する所見文を研究所に送ることとなっている。学校も一つの研究機関であるから、こうして研究所と連携することになっているのだ。しかし、学校ができることはここまで。子どもが旅に出ることに教育者が介入することはできない。だから、この4年間の間に教師は子ども達に伝え、子ども達に考える場を与えなければならない。
「人もポケモンもおなじだったって、どういうこと。」
そう投げかけた瞬間、子ども達の声が止まった。
この言葉を知ったのは、もう15年ほど昔のことになる。自分がこの子達ぐらいの歳の頃、シンオウ地方はミオシティの親戚の家へ遊びに行ったときに僕はこの神話を聞いた。不思議な話だ。幼心にそう思った自分は、母にその意味を尋ねたことを覚えている。
模造紙の一節に赤いマーカーを引いた。ぼそぼそと呟く声、自分の考えを伝える声を一度止めて、
「隣の人と相談してみて。終わったら前の席、後ろの席の人と相談してみてごらん。」
そう、声をかけた。
このクラスの子ども達は皆、9歳になった。旅に出るのは10歳の誕生日を迎えてからとされている――つまり、その日が来れば順次、この子達は旅に出ることだ。その日が来れば彼は、彼女らは、己とそれぞれのパートナーと共に、これから続くであろう先の見えない長い道を歩いていくことになる。
だから僕は、この話を伝えたいと思った。教育者という立場から言うのなら「道徳的実践力を養う」「正しい道徳観の涵養を目指す」といった堅苦しいものになるのだが、要するに、自分で考える力を持ってほしいのだ。何が正しいのか、どうあるべきなのか、そんなものは人の数だけ答えがある。
子ども達からは色々な考えが出た。
人は人、ポケモンはポケモン。
どっちも命。
ポケモンに助けられてる。
助け合って生きてる。
子ども達の言葉を箇条書きで書き連ねていく。
僕はこの問いに「答え」は出さないつもりでいる。
あの日、一緒に過ごしていけば貴方だけの答えが見つかると教えてくれた母のように。
『ひともポケモンもおなじ
↓
ひとも ポケモンも 互いに助け合う』
子ども達の声を繋ぎ合わせた言葉。黄色いチョークに力を込めて、書いた文字を丸で囲む。
「先生にこの言葉の答えは分かりません。だって、これは昔話だから。書いた人がどんな気持ちだったのか、予想することしかできない。だから、みんなで考えたこれが答えなら、それでいいと思ってる。」
この春、僕は初めて子ども達を送り出す。真っ直ぐにこちらを見つめる五十八個の瞳にあの日の自分を重ねながら。
その心の片隅に、今日の日が残ることを願いながら。