いっぽんあし 「タマゴが孵った」 そんなメールが来たのはついさっき。 何の種族かは見てからのお楽しみだとも、追記にあった。言外に来いと言われているので、暗くならないうちに出かけようか。 窓の外を見れば、雨上がりだというのにすっきりとしない曇り空。雲はどっかに飛んでいって埋まってしまえ。じめじめじめじめと鬱陶しい。 そうと決めれば、さっさと行動しなければ。手始めに布団の上でまん丸に丸まっているサンドをたたき起こし、下敷きにされていたかばんを引っ張り出し……あ、サンドが落ちた。まあいいか、怪我をするような事ではないし。 寝ぼけて丸まったままのサンドをけりけり玄関へ。立てかけてあった傘を引っ掴んで家を出た。 水たまりに足を突っ込んだサンドが、不満げな声を上げた。雨上がりの道は見事にぬれて、水たまりが大量発生していた。地面タイプのサンドにはあまりよくないだろうと思ってボールに戻そうと思ったが、どうせ友人の家で遊ぶのだから、泥まみれになるのは同じだろうと思ってやめた。水は好きじゃないらしいが、別に命にかかわるとかいう問題でもないし。 水たまりに映る空は気まぐれ。晴れたり曇ったり忙しい。てこてこついてくるサンドを確認しながら、小さな交差点に向かって歩いていく。途中で車とすれ違って、少しビクッとした。今日のような日は、スリップというものが起こりやすいらしいから。自動車なんて、今時珍しいけどね。 小さな広場と中心として楕円形に広がるこの住宅地は、無駄に入り組んだ迷路状の道を持つため、迷子になる人が続出、目的地にたどり着けない、距離的には近いはずの友人の家さえも遠くなる不思議街。ちなみにうちの家は、住宅地の中でも一番外の道、いわゆる外周沿いにあって、迷うことは少ない。冬はどうしたんだというぐらいイルミネーションで光っていたが、今は逆に何も特徴がない。 小さな交差点の、ひびがトレードマークだったカーブミラーを横目に右に曲がる。そうすれば、もう友人の家のシンボルである大きな木が見えてくる。二階建ての屋根より高い木なんて、庭に植えるものじゃないと思うが、この街では目印になって便利かもしれない。 サンドが一声、キュウ……と呟いた。 「やあやあ、いらっしゃいまっていたよ?」 友人は、しっかりと玄関先でスタンバイをしていた。やっぱりあの追記は直接見に来いという意味であっていたみたいだ。 赤い屋根と、大きなシンボルツリーが特徴的なその家の庭は、結構広い。この辺りが山で土地が安いせいか、庭がある家が多いとは言ってもこの家の庭は大きいほうだろう。 庭に足を踏み入れたとたん、コラッタがチョコチョコよってきた。サンドの前まで来ると早速、サンドと二人でチュウチュウ、キュウキュウと会話を始めた。 「いいよ」 そうとだけ告げると、待っていたかのように二人そろってシンボルツリーのそばへと駆けていった。地面は雨でぐちゃぐちゃだから、家に帰ったらシャンプー確定。これに関しては諦めてもらうしかあるまい。 「サンドちゃんはいつもコラッタと遊んでくれて、私にとっては大助かりだよ?」 あの子達の分のおやつは用意しなくていいもんねと呟く友人は、腹黒い。 居心地の良いリビングに入り、座ってといわれたソファを見た私は、固まってしまった。 なぜなら、先客が居たから。そのソファを私に勧める友人はどういうつもりなのだ。 人に勧めたソファに座った友人は、愛おしそうに先客……ポニータをなでた。どうやらこの子がタマゴから生まれたというポケモンらしい。 座る場所がとられてしまったという大義名分を掲げて、もう一つのソファに陣取る。友人がなでているポニータは、子供だけあって、やけに小さい。でも、華奢なからだから立ち上る炎は、小さいながらも生命力に満ち溢れていた。ポニータから目を離せなくなってしまった私を見て、ニヤニヤしていた友人は心配そうな顔をした。 「また、ポニータちゃんは連れてこなかったのか。大丈夫かい?」 そういう友人の手は、クッキーの缶に伸びていた。あっという間にニヤニヤ顔に戻ると、ポニータの卵をもらってきた時のことや、生まれるまでのエピソードを語り始めた。親から誕生日プレゼントとしてもらったことから、苦労したこと、こんなことがあって割りそうになっちゃったというはなしまで。ほぼすべての話が聞いたことがある話なのは、事あるごとに話を聞かされてきた結果でもある。それだけ、友人はポニータが生まれるのを楽しみにしていた。 「それにしても、卵が孵ったってメールだけでよく、家に来いって意味だと分かったね?」 くくっと笑いをこらえながらいわれると、なんだかむかついてくる。ここ最近は、タマゴに変化があったというメールだけで、友人の家に来いという意味になっていたからね。わからなかった最初のうちは何にも反応しないで、友人の怒りを買った。わざと反応しなかったときもあったけれど。 「空気読めるやつで、KYだね、これからKYって呼んでいい?」 「それじゃ、空気読めないと一緒になるよ」 ちょっとむっとしたので、にらみつけてみたものの、にやっと笑われただけで飄々とかわされた。 「別に間違ってはいないよね?」 そうだった、こういう人だったんだ。なんだか怒る気もうせてしまったので、窓の外を見れば、サンドとコラッタがじゃれあっていた。シンボルツリーの周りをぐるぐる回ったり、尻尾でお互いを叩き合ってみたり。ちなみに、サンドは尻尾が短かったせいでコラッタとの尻尾たたき合戦には負けていた。かけっこでも負けていたみたいだけど。 「ねえ……ポニータ、病気にでもなったのか?」 ボソッと、友人が話した言葉は、妙な重みを感じさせた。 「ポニータなら、家で寝てるよ」 回答になってないよと心の中で言っているであろう友人は、ぎゅっと小さなポニータを抱きしめた。私のポニータより小さいそのポニータのそばでする会話はあったかくて、なぜか懐かしかった。サンドと違って家の中にいるのが好きなポニータは、いつだってソファに座っていたものだ。 あたりも薄暗くなってきて、遊びつかれたサンドを引きずって友人の家から出れば、すでに街灯の光がぼうっと灯っていた。 「今度は、ポニータを連れて来いよ?」 そういう友人には何も言えず、暗くなっていく道を歩き出した。 しばらくもしないうちにぽつぽつと雨が降り始め、あっという間にそれはどしゃ降りへと変わった。傘を叩く雨粒の音は減るばかりか、増えているように感じる。 意地でもボールに入ろうとしないサンドを引き連れ歩く道は闇に覆われ、青白い街灯の灯りだけが、行く道を示してくれる。 パチャ、と音を立て足を止めた。 てこてこと、後ろを歩いていたサンドが足にぶつかった。サンドにも、ぬれることにもかまわず見上げるのは一本足の鏡。 かつて、ひびがトレードマークだったカーブミラー 雨に弱いはずのサンドは、カーブミラーを確認したとたん水たまりを踏み越え、一本足の鏡の元へと駆けていった。かばんからミックスオレを取り出して、サンドに渡す。あの子が、ポニータが好きだったミックスオレ。受け取ったサンドは、震える手でそれをカーブミラーの根元に置いた。 雨に打たれているサンドの姿は、昼間のように遊びまわっている様子など、想像もできないほどに弱々しくて、悲しげだった。 私のポニータは、家で寝ているから。友人に言ったその言葉は嘘じゃなかった。ただその言葉の重みが違うだけで。 雨上がりのあの日、私を案内するように少し前を歩いていたポニータは誕生日だった。だから、お母さんがおいしいご馳走を用意していてくれていたはずで、ポニータはうれしくて、早く帰りたくて。 光が差した次の瞬間にはもう、鉄の塊が目の前にいて、ポニータは空を飛んでいた。空を飛んで、この一本足の鏡が止めを刺してしまった。曲がってグニャグニャになったそれはさっさと撤去されて、新しいものがここに。 私も、サンドも、ただ見ることしか出来なかった。それからサンドは、絶対に私の前を歩かないようになった。てこてこと後ろについてくるようになった。 若い酔っ払いの人はポニータに謝ることもしないで、お金だけ置いてさっさと姿を消してしまった。未だにポケモンがペットと同じ扱いである以上、どんなに家族だと主張したって越えられない壁が、そこにあった。 だから、いえなかった。友人にはそんなことはいえなかった。誰よりも一番コラッタを家族のように大切にしている友人に、違いをその現実を突き出すようなことは…… ポニータと、新しく生まれてくる友人のポニータを遊ばせるんだと目を輝かせていた友人に、夢が叶わなくなったなんて、ポニータが、亡くなったなんて。 自分でも、認めたくなんてなかった。 今日も同じ、背を向けて去ることしか出来ない。庭にいるポニータは、何を思っているのだろう。せめて、ポケモンタワーに連れて行ってあげるべきなのに、そうすることがポニータがいなくなったと認めることみたいで、認めたくなくて。 降りしきる雨は強くなるばかりで、おさまる様子を見せない。その粒はだんだんと大きくなってきて、涙と雨の区別がつかなくなってしまった。 遠くない日に、認めなきゃいけない出来事が起こる。 それまででも、あと一瞬でもポニータと一緒にいたいから。 まだ、ポニータは家で眠っているんだ。 落ちていた傘を拾って、びしょ濡れのサンドと自分の上にさした。いなくなる子がいれば生まれてくる子がいるなんて、よく言う人がいるけれど。その人は何を思ってそんなことを言っているのだろう、そんなの認められる気はしない。 てこてことサンドを引き連れて帰る道は真っ暗で、後悔も何でも飲み込んでしまいそうな闇だけが、広がっている。 (3983文字) 〔作品一覧もどる〕
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