しんぴのまもり




「育て屋さん……わ、たしの、クーちゃん……は?」
 喉の奥に熱い塊が込み上げてきて首の後ろがジーンとした。育て屋のおじいさんの顔を見上げると、おじいさんもおでこに皺を寄せて目を光らせていた。そして、私の肩にごわごわの大きな手を乗せて、言った。
「ごめんよ。おじいさんもおばあさんといっしょにポケモンドクターに診せにいったんだけどね、もう、ダメなんだよ……。よくわからない病気なんだ」
 その言葉を聞き終わらないうちに、激しい思いが込み上げてきて、私は大声で泣いた。泣きたかったけれど、泣けなかった。情けないことに、口からは息しか漏れなかった。 
 おじいさんが、私の頭を撫でてくれたけれど、私はそれを振り払った。
 みんなはそうやって、いつも私を子ども扱いする。身長が小さくても、私はもう十歳。
「おじいさんのバカ! どうしてクーちゃんを見捨てるのよぅ!」
 涙が、拭っても拭っても止まらない。



 私がハハコモリのクーちゃんと出会ったのは、今から三年前の夏だった。 
 私は隣町までお使いを頼まれて、長い道のりを歩いていたところだった。そこへ、威勢のいいトレーナーの声が聞こえた。
「ワカシャモ、かえんほうしゃ=I」
「ハハコモリッ!」
 ポケモンバトルだ! と思ったとたん、胸が高鳴ってきた。私はポケモンバトルを見るのが大好きだ。
 駆け寄ってみると、ハハコモリが戦闘不能になっており、その前でワカシャモが胸を張って立っていた。
 短パン小僧がワカシャモをモンスターボールに戻し、倒れたハハコモリを見下ろしている少年に冷ややかな笑みを浴びせた。
「お前には絶対に俺のワカシャモは倒せない。ま、せいぜいそのしょぼい弱い虫で頑張りな」
 ふんっと鼻を鳴らすと、短パン小僧は立ち去った。
「ちくしょう……」
 少年はハハコモリを戻そうと震える手でポケットからモンスターボールを取り出した。しかし、手が震えているせいでうまくモンスターボールを握れない。モンスターボールがハハコモリの横に転がった。
「こんな、もの……!」
 ギシリッと硝子の破片を踏み潰したような音が少年の足元から響いた。はっとしてハハコモリのそばのモンスターボールを見ると、ぺしゃんこにつぶれていた。
 クー……とハハコモリが鳴き、ゆっくりと起き上がった。
 その様子を見た少年はさらに機嫌を悪くしたらしい。
「この役立たず! なんであの時かわさなかったんだ? まったく、能力が糞だな!」
 ハハコモリがびくりと肩を震わせるほどの罵声だった。
「お前の帰るボールはもうないんだよ! ほら、とっとと行けよ」
 ひどい、と思った。あの時、こいつは「かわせ」なんて指示は一つもしていなかった。びびって突っ立っていただけだ。
 そう思った私は、気がつけば少年の前に飛び出していた。
「かわいそうでしょ! 自分が指示をミスったくせに。逃がすなんて、トレーナー失格!」
「なんだよチビ!」
「ポケモンのせいにするなんて、人として最低!」
 少年がしばらく黙り込んだので、「勝った」と思った……のもつかの間、少年が感心して笑いながら呆れたように首を振った。
「わかってないなぁ」
「あんたこそ、ポケモンの気持ちをわかってないじゃない」
「そうじゃない。トレーナーでもない奴に、ポケモンと人間の何がわかるのかって言うこと!」
 ふんっと鼻を鳴らして見下ろされて、なんだか不愉快になった。見下されているような気がして悔しかった。
「何よ」
「お前、さっき、ポケモンを逃がすなんて、トレーナー失格≠チて言ったよな?」
「そうよ」
「やれやれ」
 少年は、再び首を振った。
「じゃあお前は、使わないポケモンはボックスに放置して可哀そうだと思わないのか?」
「ボックス?」
「そうだ。パソコンの預かりシステムに使わないポケモンを預けることが出来る。そこでポケモンはじっと呼ばれるのを待ってるんだぞ? このハハコモリだって俺が逃がさなければその運命をたどることになる。そんな人生が哀れだと思わないのか?」
 言葉が出てこなかった。ボックスの中でいらないポケモンとして放置される。だとしたら、野生に戻してやった方がいいのかもしれない。だけど、何かつっかかるものがあった。
 私の様子を見て勝ち誇ったように少年が笑った。
「ほぅらみろ。だから俺はハハコモリのことを考えて逃がしてやってるんだ」
「でも……」
「まっ、お前みたいなチビにはまだわかんねーか」
 少年は頭の後ろで両手を組み、歩き出した。
 何か言い返してやりたかったけれど何も言えなかった。
 クー……と足元から声がした。ハハコモリは泣いていたのだ。あんな主人なのに忠実に従っていたハハコモリを、私はいとおしく思った。
「いっしょに帰ろ。『クーちゃん』……」
 


 ポケモンをつれているということで私は学校のクラスでも一躍人気者になった。 
 そんな日々が続いたある日。
 同じクラスのガキ大将的存在の一人の男子が、ガーメイルを連れて私の家へやって来た。そいつといっしょに何人もの男子もついてきていて、はじめはわけがわからなかった私も嫌な予感がしてきた。
 こいつは人気者の座をとられたことに不満を感じている。
「な、何か用?」
 大勢の男子と話したことのない私は、どうやら緊張しているみたいだった。
 ガキ大将が、自分の頭の上に止まっているガーメイルを指差し、薄笑いを浮かべた。
「お前のハハコモリ、俺のガーメイルと交換しろ」
「え?」
「交換だよ、交換!」
「エ……」
「だから! 取替えっこだ!」
 背筋が寒くなった。クーちゃんを手放すことに、ガキ大将の頼みに、恐怖を感じた。
「ク、クーちゃんを……」
 激しい思いが湧き上がってきた。
「嫌だ!」
 元はクーちゃんはあの横暴な少年のポケモンだったけれど、それを私がもらったんだ。今ではクーちゃんは私の生活の一部となっている。こんな汚いガーメイルとクーちゃんの価値を同じにしてほしくない。
「絶対に、嫌!」
「なんだとぉ?」
 私が睨みながら大声で言ってやると、ガキ大将の顔が真っ赤になった。周りの男子が慌てたように騒ぎ出す。
「お前らうるせぇ! 帰れ!」
 周囲の騒がしさにガキ大将が怒鳴ると、男子たちは足早に帰っていった。
「おい、チビ。本気で言ってるのか」
「そうよ」
「泥棒のくせに」
「だ、誰がいつ泥棒なんてしたの!」
「お前がしたじゃねーか! 俺のクラスの人気者の座を奪いやがって」
「そんなの私の知ったこっちゃないわ。人のせいにしないでよ!」
 ますますこいつの顔が赤くなってきた。唇が震えていた。
「覚えとけよ!」
 ガキ大将はくるりと私に背を向け、他の男子たちと同じように足早に帰っていった。
 「勝った」と思った。クー? とクーちゃんが私の足元から私の顔を覗き込んだ。
「クーちゃんは、ずーっと私といっしょなんだもんねー」



 学校へ行くといつものようにクーちゃんについて質問をしてくるクラスの子たちが、私の方を見ながら何かを話しているのだ。この空気、この感じを、私は知っている。幼稚園の頃にも経験したことがあった。まぎれもない仲間はずれだ。
 帰り道、後ろから土を投げられた。授業中、話し合いの輪に入れてもらえなかった。だけど、そんなことは気にしない。そういう奴には、後から罰が当たるものだ。
 散歩に行く時にも、その行為は続いた。だから、私はクーちゃんを散歩へは連れて行かない。ガキ大将の憧れの的だったからだ。
「チビ! 泥棒!」
 そう言われて、男女共に私に土を投げつけてくる。私がそっぽを向いて無視をするので面白くないらしく、ますます土の量は増えていく。
「虫ポケモンを飼っているだけに、無視かよ! アハハ」

 ――クーちゃんのことをバカにするな!

「いい加減幼稚なことはやめたら?」
 思わず漏れた言葉に、再びガキ大将の顔が真っ赤になった。「くぉの……!」と声を上げながらそばにあった拳二つ分ほどの石を持ち上げる。
「ちょっ、まずいって!」
 周りの子が止めようとするのもむなしく、ガキ大将はよろけながら私の方へ向かってきた。
 逃げなくては。今すぐに。
 そう思えば、足が棒になったように動かなかった。
「うおぉっ」
 ゆっくりと、石が宙を舞う。
 クゥゥー! と、澄んだ音が波紋のように響き渡った。ドゥッと、鈍く痛々しい音がした。
「クー……ちゃん!」
 とっさにしゃがみこみ、私はクーちゃんを抱き上げた。しかし、クーちゃんはよろよろと私の腕から離れ、私をかばうように立った。クーちゃんがそばにいてくれるというだけで、いつしか重くなっていた心がふっと軽くなった。
 しかし、ガキ大将たちは私をかばう者の登場が面白くないらしい。口々に罵りながら、小石を雪合戦でもするように投げ出した。
「やめてよ!」
 私がそう叫んでクーちゃんの前へ出ようと立ち上がった時だ。クーちゃんの紅色の両目がキッと碧色に鈍く光り、ぶうぅぅぅんと虫が羽を羽ばたくような音が波のように響き渡った。
「クー、ちゃん……っ」
 背筋がむずがゆいような奇妙な恐怖が全身を満たしている。
 クーちゃんを中心に、虫ポケモンの匂いのする生温かい風が吹き荒れた。
 気がつけば、ガキ大将も含め男子や女子たちは皆しりもちをついていた。
「む、虫のくせ、に……なによ……」
「そんなこと言って、またしてきたらどうすんだよっ」
「俺、帰るわ」
「あたしもっ」
「お、おおお、俺もぉ!」
「あ、大将待ってよー」
 またしても、気がつけば誰もいなくなっていた。
 男子や女子たちがいなくなると、すぐにクーちゃんが苦しそうに喘ぎ出した。
「クーちゃん……ありがとう」
 胸の奥がちくりと痛んだ。
 家へ帰ってお母さんに今日の出来事を話した。すると、お母さんはうんざりしたようにため息をついた。
「だから言ったのよ。あなたはまだポケモンを飼える年頃じゃないって」
 早口に言う。
「トレーナーでも最近色々な事情でポケモンを逃がす人だって出てきているみたいじゃない。それなのに、あなたがポケモンのお世話なんて出来るわけないって、最初から思ってたわ」
 クーちゃんを捨てた、少年の顔が頭に浮かび、思わず唇を噛み締めた。
 お母さんは、まだ続けている。 
「元々はそのハハコモリ、トレーナーのポケモンだったんでしょう? じゃあ、あなたもそれを見習えばいいじゃない。ポケモンを持つのは大きくなってからよ。ポケモンと人間にはそういったことも必要なの」
 それ以上は聞きたくなかった。
「うまく関係を築くためにはね」
「お母さん……」
「ポケモンが原因でいじめられてたら元も子もないでしょ」
「おかあ、さん……」
「お母さんは、もうサヨナラすることをオススメ……」
「お母さん!」
 耐え切れなくなった私は、気持ちを吐き出すように大声を上げた。お母さんはびくともしない。
「なあに?」
 クーちゃんを逃がすなんて嫌だ。自分勝手な事情に、ポケモンを巻き込みたくない。
 色々なことを言いたかったが、胸がいっぱいになって声が出なかった。だから、これだけ言ってやった。
「子ども扱い、しないで……!」
 お母さんの返事を聞くことが恐ろしかったから、そのまま逃げるように自分の部屋へ駆け込んだ。
 私のベッドには、今、クーちゃんが横たわっている。私の顔を見ると、クーちゃんは心配そうに起き上がった。
 クー……? という澄んだ鳴き声を聴いた瞬間、何かかはじけた。
 涙が目からみるみる溢れ出した。声をあげて泣きたいのに、何かにせき止められて泣くことが出来ない。肩が震えている。
 ベッドに突っ伏して嗚咽していると、クーちゃんの手が私の頭に触れた。
 フウッと体が柔らかく浮いている感じがした。見ると、私の体がオレンジ色に淡く光っていた。クーちゃんも同じ光に包まれ、光と光がつながっている。
「……しんぴのまもり=c…?」
 クーちゃんは、私のこれを状態異常だと考えたのかもしれない。その優しさが泣きたいくらい嬉しくて、声にならない声になって、心の中に何かが染み渡った。お母さんのおなかの中に入るような、幸せな……何かが。



「えぇ? 旅行に行くの? 一週間も?」
 突然のお母さんの話に、私はとまどっていた。クーちゃんは、私の足の後ろに隠れ、顔だけ出してお母さんをじっと見ている。
 お母さんは、機嫌がいいのかにこにこしながら言った。
「そうよ。でも、いろんな乗り物に乗るだろうからポケモンにはつらいと思うの。それに、ホテルにはポケモンをいっしょに連れて入れないのよ」
「じゃあクーちゃんを家においていけって言うわけ?」
 お母さんはどこからかパンフレットを持ってきて、私に見せた。「育て屋のご案内」と書いてあった。
「ここにポケモンを預けることが出来るの。庭はポケモンたちが住む自然を再現してあるんですって」
「ふぅん……」
 まだ納得のいかない私は低い声で答えた。
 お母さんはさらに微笑む。
「ハハコモリは虫タイプだから草木が大好きでしょ? たまには、野生ポケモンの気分を味わらせてもいいんじゃないの?」
 確かに、ずっと人間といっしょに家で暮らしていて窮屈な思いもしているかもしれない。
「わかった……」
「じゃ、決まりね!」
 お母さんは、さっそく電話をかけ始めた。
「クーちゃん、楽しんできてね」
 私がそういって頭を撫でてやると、クーちゃんは優しげに笑った。



 クーちゃんの具合がよくないと連絡が来たのは、私が旅行から帰ってきてクーちゃんを迎えに行く直前だった。詳しい事情は後で話すからすぐに来てほしいと言われた。お母さんとお父さんは用事がある。一人で行くしかない。
 育て屋なんて、信じるんじゃなかった。



「二日前くらいから様子がおかしくてね。その前までは、糸と葉っぱをつかって何かを作ってたんだ。嬢ちゃんにあげるための、何かを。多分、手袋だ」
 おじいさんの声は耳に入らなかった。ただ、今すぐクーちゃんに会いたいと思った。
「クーちゃんはどうしているの?」
 なんとか無理に泣き止み、私はおじいさんに詰め寄った。
「お庭にいるよ。ベッドに連れていっても、そこに戻ってしまうから。よっぽど嬢ちゃんのプレゼントを作りたいらしい」
 私は庭への扉を乱暴に開けて、クーちゃんを捜した。
「クーちゃん……!」
 クーちゃんは、庭の端の方の草の上に横たわっていた。そばに、手袋のようなものが一つだけある。
「……!」
 声が出なかった。
 クーちゃんの体は、まるでカビが生えたかのように汚れていた。声も、グズズゥゥゥ……というような、かれた声だった。
「こんなになるまで……」
 私は座り込み、クーちゃんを膝の上に乗せてやった。
 グズゥゥとクーちゃんが鳴き、体をよじって手袋を指差した。そして、かすかに笑ったように見えた。
 肩の震えが止まらない。
「ああ、クーちゃん……よく……」
 おじいさんの弱々しい声が聞こえた。すると、ガサッという足音がした。こんな時に、と腹立たしく思いながら振り向くと、あいつがいた。
 そう、クーちゃんを捨てた少年だ。
 こんな時によりにもよってこんな奴と会うとは。
「あんたって奴は! クーちゃんが、こんな時に……!」
「クーちゃん? クーちゃんって誰だよ」
 少年は、すっとんきょうな声をあげた。
「誰って、このハハコモリに決まってるでしょ!」
 クーちゃんを捨てた本人の的外れな質問とクーちゃんに対する思いとで、涙が込み上げてきた。
「クーちゃんは、あんたのせいでつらい思いをして、それなのに私に優しくしてくれて……」
 少年は、私の隣にしゃがみこんでクーちゃんの様子を黙って見つめた。クーちゃんが少年を力なく見上げた。
 クーちゃんの今の様子に、少年は驚いたみたいだった。クーちゃんの目に少年がしっかりと映っている。ふっと小さくクーちゃんが微笑んだ。そして、最後に私を見やり、笑いながら大きく一つ息をしてそのままもう息をしなくなった。
「クーちゃ……」
 クーちゃんが、死んだ。
 まただ。大声で泣きたいのに泣くことが出来ない。
 クーちゃんは私に贈り物をしてくれたのに。私は何もすることが出来なかった。泣くことすら出来ない。
 少年は、黙っていた。

 おじいさんに、クーちゃんをきちんとポケモンたちのお墓の所へ埋めてあげるかい、ときかれたけれど、私は断った。クーちゃんのふるさとに、クーちゃんを戻してやりたかった。少年によれば、クーちゃんのふるさとはすぐ近くの森だと言う。
 しかし、今はそんなことをする気分ではない。クーちゃんの亡骸をおじいさんに預け、手袋を持って私は育て屋を出た。夕焼け空が心に沁みる。気がつけばあの少年がいない。自分でもわからないけれど、少年の姿をなぜか捜した。少年はすぐそばの道をゆっくりと歩いていたところだった。
「ちょっと……」
 呼び止めると、少年が立ち止まった。こちらを振り返らずに。そして、やけにぶっきらぼうに言った。
「なんだよ」
「あの」
 クーちゃんの最期が頭に浮かんだ。
「クーちゃんは、喜んでたよ」
「あっそ」
「あんたに会えて」
「ふぅん」
 少年がかすかに振り返った。顔が見えない程度に。耳が、赤かった。
「バカか、お前。俺はあいつを、その、クーちゃんを……捨てたんだぞ」
「でも、喜んでた」
 確かにあの瞬間、クーちゃんは笑っていた。
 少年が再び顔を動かした。ちらりと横顔が見えた。目が、光っていた。
「っそ……」
 オレンジ色の黄昏の中の様子が、いつかのクーちゃんのしんぴのまもり≠フようだった。


 学校へ行くと、それまで私のことを男子と共に避けていた女子たちが心配して声をかけてきてくれた。
 しかし、私は決してそいつらを許さなかった。クーちゃんが病気になったのは、半分こいつらのせいなのに。だから片っ端からこいつらを責めた。「あんたたちのせいでクーちゃんは死んだのよ! いっしょになっていじめてくるから、ストレスだって溜まってたんだよ。どうしてくれるの!」と。女子たちは最初のうちは謝ってきていたけれど、私の怒りは治まらない。すると、いつしか女子たちは再び私から離れていった。
 ガキ大将や男子たちにも文句を言ってやった。
「あの時、土を投げてきたから、クーちゃんが助けに来て! 石がぶつかったから病気になったのよ!」
 しかし、ガキ大将を中心に謝りもせず悪口ばかり言った。
「虫なんて弱いポケモンを連れてたのがいけねぇんだろ。無視だ、無視」
 育て屋のせいにもしてやった。ちゃんと世話をしてなかったからだ、クーちゃんを見捨てたからだ、と。
 お母さんにも、そもそも、あの時旅行に行こうなんて言ったからだ、と言ってやった。
 すると、お母さんはぴしゃりと一言、こう言った。
「人のせいにするのはやめなさい!」



 そう言われてからは、頭に衝撃をくらったような気がして、思わず外に飛び出した。
 あの少年がクーちゃんを捨てる瞬間を見た時、私は……。
 ――「ポケモンのせいにするなんて、人として最低!」
 そして、ガキ大将がクラスの人気者の座を私に奪われた、と言っていた時、私は……。
 ――「人のせいにしないでよ!」
 一番誰かのせいにしていたのは、私だった。一番相手のことを考えていなかったのは、私だった。
 クーちゃんが死んだのが信じられなくて。クーちゃんや私をいじめていたあいつらが許せなくて。クーちゃんがそばにいないのが寂しくて。やりきれなくて。独りぼっちが……つらくて。
 原因がわからない病気というのに腹が立った。だから、誰かのせいにしたかった。すぐに勝ったと思い込んで。大人ぶって。強がって。人のせいにして。
 本当は、悔しかった。みんなに子ども扱いされることが。わけのわからない病気が、クーちゃんを死なせたことが。
 本当は、ずっと寂しかった。
 ――ごめんなさい、ごめんなさい。
 ――もう、一人は嫌なんだよ。ずっと寂しかったんだよ。
 涙が後から、後から流れた。私は大声をあげて泣いた。
 とん、と後ろから右肩に手が置かれた。大きな手だった。あの少年だと思った。
「育て屋が、呼んでるぞ」
 聞き覚えのある声がした。
 そっと手が離れた。
「じゃあな」
「待ってよ」
 振り返ると、あいつがいた。
「ありがとう」
 私がそう言うと、ぎこちなくガキ大将は笑った。



 育て屋へ行くと、あの少年といっしょにおばあさんが待っていてくれた。おばあさんは手に包みを抱えている。私がそばへ寄ると、震える唇で言った。
「あんたのハハコモリはメスだったね」
「は、はい」
 それを聞くなり、おばあさんは震える手で包みを差し出した。
「タマゴを産んでおった」
「タマゴ……」
 包みを開いてみると、緑色の大きな斑点があるオレンジ色のタマゴだった。温かいタマゴを抱いていると、胸の奥に幸せな気持ちが広がった。
 おばあさんは、涙ぐんでいた。
「茂みの中に隠れていたんだよ。お嬢ちゃん、ハハコモリの手袋みたいなものを持っているかい」
「はい、ここにはないんですけど」
「あれはね、お母さんが子どものクルミルにあげる服なんだよ」
「そ……っかあ」
 ハハコモリは、優しいお母さんだね。
「じゃあ……もう帰ります」
「ああ、お嬢ちゃん。その子のお父さんはそこにいる……ちゃんが預けた……」
 そんなことはどうでもいい。
 私はおばあさんの声を振り切って育て屋を出た。「お、おい」と少年も追いかけてくる。
 クーちゃんは私にプレゼントをくれたわけじゃなかった。そう思うと、悔しいような悲しいような思いが広がった。
「本当の独りぼっち……」
 クーちゃんは、ハハコモリは、私のことなんて思ってなかった。それもそうだ。私はハハコモリを、一週間も「放置」したんだから。育て屋というボックスの中へ。
「あいつは、お前のことを慕っていたよ」
 今度こそ私の右肩にあいつの手が置かれた。
「笑ってたじゃねーか」
「でも、どうせ、もうクーちゃんはいないんだよ!」
「いい加減、出てこいよ。タマゴから」
 お母さんに言われた時と同じ、頭に衝撃が走った。
 少年は回りこんで私の目の高さに合わせてかがんだ。
「これ以上、ク、クーちゃんに執着するなよ。いつかはお前だって、その殻を割らなきゃいけない時が来るんだよ。そん中のクルミルのようにさ」
「……」
「お前、俺がクーちゃんを捨てた時、俺にすっごく怒ってたよな。あの頃のお前が、クーちゃんだって好きだったんじゃねーの? この中のクルミルだって」
「……」
「お前のトモダチは、産まれた時からじゃない。タマゴの時から、もうトモダチだ」
 そうだ。私は一人じゃない。どんなに嫌な奴だって、クラスの子やお母さん、お父さん、育て屋さん、こいつだっている。
 そして、育て屋さんの言葉。この子のお父さんは……。
「この子のお父さん、あんたのハハコモリでしょ?」
 少年は、へへっと笑った。
「俺、タイプ相性だけで勝負は決まらないってこと、あの後に知ったんだ。シンオウの四天王の虫使いが挑戦者の炎ポケモンを倒しているところを見て、俺はおまえの言うとおり、最低だったなって。だから、一から育てなおしたんだ。そんで、たまたま二日間だけ預けた。あとさ……」
「何?」
「本当は俺がお前をここに呼ぼうと思ったんだけど、泣いてる姿を見たら、な。だから、あいつに頼んだ」
 私は、この人に呼んでほしかった。
 へへへっと再び笑うと、少年は私の頭に手を乗せた。温かな、ポケモントレーナーの手だった。
「お前は一人じゃない」
 そう言い残すと、少年は立ち去っていった。



 掘り起こした土の、甘い香りがする。
 私と少年はクーちゃんの亡骸をふるさとの森に埋めてあげた後、ご冥福をお祈りした。
「俺、また新しい虫ポケモンを捕まえようと思うんだ」
 少年が、頭をかいた。
「その時は、タマゴの中のクルミルと……会えるといいな」
「そうだね」
 私が微笑むと、少年は立ち上がった。
「じゃあな」
 言うと、立ち去ろうとした。とっさに私は叫んだ。
「待って!」
「なんだよ」
 今度は、横顔だけが見えた。耳が、赤い。
 私は大きく息を吸うと、小さく言った。背筋がむずむずするようで、恥ずかしかった。
「ありがとう。『クーちゃん』……」
 ピクッとクーちゃんの唇が動いた。
「どうして、俺の……」
「クーちゃんが死ぬ前、育て屋のおじいさんがあなたが来た瞬間に、『クーちゃん……よく……』って言ってたから。それに、おばあさんも、クーちゃんのお父さんのことを『そこにいるなんとかちゃんが預けた』って言ってたから」
 クーちゃんが、こちらを振り向いた。頬も、赤かった。
「その時は……お前と……会えるといいな」



「ミーちゃん、たいあたり=I」
 クルミルのミーちゃんが、ミイィィ! と鳴いてダッシュした。
「フシデ、かわせ!」
 フシデが、慌ててミーちゃんの攻撃をかわす。
 私とクーちゃんはお互いに微笑みあうと、同時に叫んだ。




「行け!」





(10000文字)