いつか帰る場所




 キッチン横の鏡。そこに映した私の姿。きれいなあの人の顔が映っている。もう何年も帰ってきてない。いつになったら留守番が終わるのかな。いつの間にか進化もしてしまって、帰ってきたときに私だと解るのかな。ため息ついたら、鏡の中のあの人もため息をついた。その様子がおかしくて口角が上がる。
「こんばんはー! おねえさんいますー!?」
 今日もここに遊びにきてくれる男の子。あの人はほほえみながらいつも話しかけていた。私は喋ることができないけれど、同じように男の子に接する。
「おねえさん、まだゾロア帰ってこないの? 見つかるといいね!」
 男の子はいつもあの人にふしぎなアメやおいしい水、モーモーミルクなどを日替わりで持ってきてくれていた。それは今も変わらない。今日は私にヒメリの実のパイを持ってきてくれた。なぜそうするのかはわからない。でも、あの男の子は疑うこともせず、持ってきてくれる。私がそのポケモンであることを知らないで。いつか私があの人でないということがわかってしまうのかな。ゾロアークの化身した姿ということを。


 私の元々の持ち主は世界的にも有名な男子トレーナーだった。新しくゾロアークを育成するというので、優秀な個体を確保するために私はうまれた。正しくは優秀な一部の個体の余りもの。いわば不要なゾロアとして生まれた。冷静でちょっとおこりっぽい。その性格を見たときに、トレーナーの視線は冷たくなった。抱き上げていた私を放り投げた。まだ上手く歩けもしなかったのに、着地なんて出来ない。背中から落ちて痛がっていても無視して自転車で走り去っていた。
 やっと起き上がってトレーナーを追いかけようにも、姿は見えない。迎えにくる気配もなかった。親を呼ぶ鳴き声を出しても誰も来ない。そこでやっと気がついた。私が捨てられたことに。

 どうしていいか解らなかった。とりあえずトレーナーの消えていった方に歩いていった。そしたらどうにかなると思っていた。確かにどうにかなったのだけど、根本的な解決ではなかった。私が歩いた先で出会ったのは、大量のゾロア。みな顔立ちが似ている。そう、先に生まれた兄弟だ。全て不要とされた劣等ゾロア。
「おい、お前もあのトレーナーに捨てられたんだろう?」
 一番体の大きいゾロアが聞いてきた。きっと一番最初に捨てられたゾロアだ。ゾロアは黒い毛皮で覆われているというのに、彼だけはところどころ毛皮がなかった。野生のポケモンとの戦いの古傷だ。
「そうだよ。さっき生まれて捨てられた」
「仲間に入れよ。みんな同じだから」
 私は兄弟たちと一緒に暮らすことにした。一匹では生きていけないと感じたから。

 しかし、野生の世界は厳しかった。その日の夜、集団で岩陰に眠っていると、私の近くにいた兄の悲鳴が聞こえた。思わず飛び起きると、月明かりに照らされた紫色のレパルダスが、兄をくわえていた。
「たすけて! 死にたくない!!」
 兄は暴れたけれど、レパルダスには何も通じない。そのままレパルダスはどこかへ消えてしまった。兄の声も消えていく。最後まで私たちに助けを求める声を発して。
 少し位置が違えば獲物は私だったのかもしれなかった。騒然となった群れの中、一人で立ち尽くしていた。すぐ上の姉にこづかれてようやく動き出す。
「ここは危ない、移動しよう」
 夜の道を、どこへいくでもなく歩いた。危なくないところがどこかなんて解らない。それでも、そこにいるのは危険だと思っていた。

 次の日、道ばたで倒れているゾロアを発見した。既に息絶えていたけど、みなどうしてか解った。私たちの妹なんだ、この子は。私たちに会えなかったばかりに一人で死んでいった。
「これ以上は許さない。おれたち兄弟を見捨てやがって!」
 一番上の兄が吠える。その言葉に賛同するように声をあげた。
「復讐してやる、おれらを捨てたあいつに復讐してやるんだ!」
 妹の死を目撃したことで、群れはその方向に向かっていた。私はそこでも引っかかった。トレーナーに復讐したところで、どうするのかと。それを問うも、誰も聞いてくれない。
「おまえ、昨日の夜に一番近くにいたのに助けなかったやつだろ。復讐もできない、反撃も出来ない腰抜けは出て行けよ!」
 一斉に群れが私に牙を向く。昨日までは優しく接してくれたのに。戦えないなら不要。ここでも私は捨てられた。

 誰もが私を必要としない。だったらなぜ生きているのだろう。何日も経ち、群れからだいぶ離れてきた。でも、もう歩けない。体力がない。おなかがすいた、のどがかわいた。せめて、さいごに……。
「あら、ゾロアが倒れてる」
 私は持ち上げられた。兄のように食われるのだろう。それでもいい、誰にも必要とされないのだから。
 かなり歩いたところで、私は下ろされた。そして、飢餓を察するようにモーモーミルクとモモンの実をお皿に入れてくれた。何のつもりかは知らない。そんなこと思う暇もなかった。私は夢中で皿の中のものを口に入れた。
「食べる元気があるなら大丈夫ね。君はどこから来たの? よかったらうちに来るかい?」
 私をなでながら言った。これが、私とあの人の初めての出会いだ。

 あの人は私を必要としてくれた。森の木の実を取りに行くのも、街へ買い出しに行くのも一緒に付いていった。ご飯も作ってくれた。ヒメリの実のパイは得意な料理らしく、ヒメリの実がたくさん取れた日には必ず作ってくれた。
 優しいあの人。私にだけでなく、家に訪ねてくる子供やポケモンレンジャーたちにごちそうしたり、ポケモンと遊んだりしている。負けじと私も一緒になっているけれど、あの人の魅力には敵わない。人間もポケモンも笑顔にさせる程のあの人。
 けれども、あの人はある来客があると元気がなくなる。その人はいつも来るのだけど、顔を見た瞬間に声色が変わる。
「いつまでもこんなキャンピングカーの生活では狭苦しいでしょう?」
「いいえ、私はここが気に入ってます。戻る気はないとお父様によろしくお伝えください。失礼します」
 いつもそんなやりとりをして、扉を閉めてしまう。そして私の顔を見ると再び笑顔になる。心からではなく、私の為に作っている笑顔。
「ゾロア、私ね、結婚しろって言われてるのよ。まーだまーだ無理無理。相手が決まってて、結構な金持ちなの。その人に会ったことあるんだけど、すごい上品なのよ。私とつり合うはずないの」
 後で知ったけれど、人間は好きな人と結婚するものらしい。しかし結婚するのにつり合う必要があるのかは解らない。好きな人ならば、それはつり合っているということではないだろうか。私には人間の風習が解らなかった。

 毎日のように人間はあの人と連れ戻そうとしていた。結婚の話にうんざりして、ひっそりとした森にキャンピングカーで暮らしているあの人を。今日もまた追い返されて、森から出ようとしていた。その日はなぜか気になってその人間を追いかけてみた。
「おや?」
 足元の私に気付いたのか、人間は私を抱き上げる。
「お嬢様のところのゾロアだね。……なあ、君からもお嬢様に結婚するよう言ってくれないか?」
 人間はそう言った後、何がおかしかったのか自分で笑い出していた。
「そりゃ無理だな、ポケモンが喋れるわけないもんな」
 私を地面に下ろして人間は手を振った。同じように振ろうにも振れないから、しっぽを適当に振っておいた。他の人間とも別れるときの仕草だ。
「そういえば、少し前にゾロアが集団で何者かに倒される事件があったな。まさかそのときの生き残りか? ああでも時期的にそれはないか」
 一人で納得して帰っていった。私は最後の言葉が引っかかり、すぐに住処に帰って古新聞を漁った。文字は読めないけれど、一緒に載っていた写真ですぐに解った。
 その写真を見つめて動かない私を、あの人は抱き上げてくれた。不審な行動におかしくなったのかと思ったか。しかしあの人は私が見ていた記事を見て、もっと強く抱きしめた。
「ゾロア、やっぱりゾロアの知ってるポケモンだったんだね」
 その写真には、見覚えのある古傷。戦いで負けたとあるが、たくさんのゾロアが一度に負けるなんて、トレーナーと戦ったとしか思えない。復讐をしようなんて、力もないのになぜ戦ったの。
「でもゾロアは冷静だね」
 冷静だよ、だから止めたの。けれど誰も聞いてくれなかった。こうして私だけ生きている。でもどうしてだろう、人間みたいに泣くことができない。そうだ、ゾロアだから泣くことが出来ないんだ。あの人が黙って古新聞を片付けている間も、悲しいとか辛いとか思わなかった。ただ、勝てない相手に向かっていったのはなぜだという疑問しか湧いてこなかった。

 死んだ兄弟の分まで生きるとかいうきれいごとではないけれど、私は生き抜いた。必要としてくれるあの人と一緒に。人が森の中で暮らすには不自由もあっただろうけど、あの人はそっちの方がいいと言っていた。相変わらず、人間が来ては説得していたけれど、いつもあの人は突っぱねていた。
「ねえ、ゾロア」
 先ほど、人間が追い返されていったところだ。あの人の様子がいつもと違う。すぐ笑顔になるのに、今日は真剣な顔のまま。
「あのね、ちょっと事情が出来たの。私のお父さんが倒れたのよ。あんなのでもお父さんだけど、死に目くらいには会いたいの」
 泣き出しそうな顔。あの人は今、父親との思い出が回っているのだろうか。私の親は顔も知らないけれど、育ての親のあの人が危篤だったら駆けつけると思う。
「だから、1週間くらい帰れないの。でも必ず帰ってくるね。その間、お留守番をお願いできる?」
 私は頷いた。あの人は急いで荷物をまとめて出て行った。

 数日後、あの人を訪ねて人がやってくる。男の子が籠にヒメリの実をたくさんつめて。
「あれ? お姉さんは留守? ゾロア、これ渡しといてー!」
 籠を受け取る。いつものようにテーブルにおいても、あの人はいない。自分で処理するしかないのだ。冷蔵庫に保存し、空になった籠をいつでも返せるようにキャンピングカーの外に出す。
「おや、今日はゾロアがせわしないなあ」
 さらに来客。そうだ、いつもあの人を訪ねる人は多かった。あの人の不在でわざわざ森の奥に来る人間たちを落胆させたくなかった。
 そうして、気付いたら私はイリュージョンを使ってあの人になりきっていた。鏡に映しても全く見分けがつかない。私に備わっている特別な能力、イリュージョン。対象になりきることができる。私はどこからどう見てもあの人になっていた。


「お姉さんいます?」
 今日も誰か訪ねてきた。ゾロアからゾロアークへと進化しても、人間の言葉を喋ることは出来なかったが、かなり表情や細かい言葉まで解るようになってきた。
「ゾロア帰って来ないね。いなくなってからお姉さんも喋らなくて、心配してるのにね。栄養のつくものおいていくから、今度またヒメリパイ作ってよ!」
 私は頷く。ゾロアークの身でも、喋れなくてもあの人の好きだった料理、木の実は覚えてる。あの人は何年も経った今も帰ってこない。けれど木の実を選んだり、料理をしているとあの人が一緒にやってくれるような感覚がしてならない。
 おしゃべりなハトーボーの噂によると、父親が亡くなった後もまわりが結婚の話を押し進めたらしい。けれどあの人は必ず帰ってくると言った。私はその言葉を信じて、あの人が帰ってきた時に困らないよう、このキャンピングカーを守って行こうと思った。




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