Re:Birth




『もしもし、母さん?』
『今度ね、そっちに帰ろうと思うんだ』
『その、しばらくはいることになると思う。そっちで学校に入り直そうかと思ってるんだ』
『うん、うん……いろいろ整理とかもあるから、またくわしい日が決まったらまた連絡するよ』
『その、もう辞めるんだ。もう、諦めがついたから』
『それじゃあ』





 ロビーの椅子に座る俺とスマトラの目の前の床を、立派な髭をたくわえたダイノーズが滑るようにして通り過ぎた。彼が通った後はなぜか床がピカピカになっていた。その後ろをいかにも清掃ルックだという感じの、年配の女性が歩き、髭が回収し切れなかった大きなゴミを鉢で拾い上げ、手慣れた手つきでせっせとゴミ袋に入れていた。
 夕暮時が近く、コーディネーターや観客達が次々と撤収していく様が見えた。
 ある人は真新しいリボンをつけたポケモンと一緒だったし、ある人は足早に会場を去っていった。
 今俺達がいるのはヨスガのコンテスト会場。今日の競技プログラムは三十分ほど前に終了したところだった。

 ヨスガシティはシンオウ地方の中心を走るテンガン山の東に位置する、この地方でも特に大きな街のひとつだ。街の道路には段差が少なく、子どもやお年寄りでも住みやすいと昔から評判だった。街のはずれには大きな教会が立っており、信仰の有無に関わらず自由に出入りが出来、市民の憩いの場となっている。
 だがやはり特筆すべきはやはりこのスーパーコンテスト会場の存在だろう。バックに広大なふれあい広場を擁したこの国の最北端のコンテスト会場で、シンオウ地方からはもちろんのこと、南にある遠い地方からも挑戦者がやってくる。ヨスガシティはシンオウにおけるコンテストのメッカなのだ。

「本日のプログラムはすべて終了いたしました。次回開催は明日、ノーマルランクのコンテストを予定しております。またのご来場をお待ちしております」

 閉場を告げる音楽と共に、そんなアナウンスが聞こえてきた。

「なあスマトラ、あとちょっとだけさ、会場見ていかないか」

 競技プログラムのパンフレットを閉じて、俺がそう言うと、傍らでうとうとしていた藍色の獅子が面倒そうに片目を開けた。

「せっかく来たんだしさ……なぁいいだろ」

 俺が続けざまにそういうと、藍色の獅子――レントラーはゆっくりとした動作で、起き上がり、ぱちりと金の両目を開く。星に似た形をした尻尾の装飾が揺れた。
 クッション入りの防音扉を観音開きに開く。先ほどまで熱気に沸いていた観客席に残った熱。それを少しでも感じようと俺と藍獅子は入っていった。
 照明がまだついていたけれど、人が居なくなった会場は静まり返っていた。
 祭の後。俺はこのなんとも言えない雰囲気が好きで、だからときどきこういう酔狂なことをして、その度にスマトラをつき合わせていた。スマトラは何が面白いんだ、さっさと帰ってメシにしようとでも言いたげに俺を見上げているだけだった。
 会場に整然と並ぶ赤い椅子。俺はその中でも演技が一番よく見える椅子に座り踏ん反り返った。スマトラはまたはじまったとでも言いたげに呆れた顔でこちらを見つめるだけだった。

「まぁ、そんな顔するなって。いいだろ、だってさ……」

 俺がそうスマトラに声をかけたその時だった。

「すいません〜。誰かいるんですか」

 ちょうど後ろから声がして、俺は少しビクっとした。
 振り返るとちょうど十列ほど後ろだろうか、十三、四歳ほどの少年が椅子の下から顔を出したところだった。

「す、すみません! コンテストを見ている間に僕のポケモンがいなくなってしまって! 見かけませんでしたか? ああ、もうどこに行っちゃったんだろう……」

 少年は申し訳なさそうに言った。
 どうやら彼は椅子の下に潜って、この赤い椅子の海の中、自身のポケモンを探しているらしかった。

「ポケモン? 種類は?」

 俺が聞き返したその時だった。
 突然、スマトラがギャッと悲鳴を上げ、放電した。バチバチィっと激しい音を立てて会場内に火花が散った。

「おわっ!?」

 一瞬目を伏せた後に、俺と少年が見たのは、レントラーの尻尾に食いついた小さな茶色いポケモンの姿だった。胴よりひとまわり大きなつるっとした頭が特徴的であった。つぶらな瞳と表現するのが適切かどうかはわからないが、とにかくそのつぶらな瞳をした茶色いポケモンが、スマトラの尻尾の釣餌にひっかかって、見事に吊り上げられた姿を俺達は目撃したのだった。

「ああ! 見つけた!」

 直後に少年が叫んだ。
 茶色いそのポケモンは、スマトラが強い電撃を放ったにもかかわらず、ケロリとして、あいかわらず尻尾に噛み付いたままだった。



「すみません、カラメルが大変ご迷惑をおかけいたしまして」

 頭より小さな胴ををがっちり押さえつけられて暴れるありじごくポケモン、ナックラーを腕に抱きながら、少年は何度も何度も頭を下げた。俺はその度にいやいや気にしないでいいから、と何度も返す羽目になった。トレーナーの俺が言うのもなんだが、スマトラの電撃は結構強い。相手が地面ポケモンでよかったと俺は思う。

「ご挨拶が遅れましてすみません、僕はタツミと言います」

 タツミという少年は歳のわりに礼儀正しい印象を受けた。なんだか育ちのいい感じの少し押しの弱そうな少年だった。

「俺はミチユキって言うんだ。まあよろしくな」

 何がよろしくなんだろう。そんなことを考えながら、俺が名乗ると、彼はお詫びに夕食でもご馳走すると申し出てきた。明らかに年下の少年に奢らせるのもどうかと思ったのだが、タツミが何か話したそうな印象を受けたのとスマトラが期待するような眼差しをこちらに向けた為、俺はその申し出を受けることにした。まぁバトルに勝利して、賞金を得た。そんな風に思っておけば問題ないだろう。


 月に僅かな金額を国に支払っておくだけで、トレーナーはポケモンセンターでご飯を出してもらえる。だがトレーナーもたまには贅沢がしたい。そんな時は街に繰り出していって外食をする。
 タツミに連れて行かれたのは俺の中ではなかなかに贅沢ランクの高い店だった。ポケモン用メニュー有り、三メートル以下のポケモン同伴可能、そんな謳い文句が躍っている。安価な店だと少しでも大きなポケモンはテラスのみだったり、ボール収納が必須だったりするから、それだけでだいたいの価格帯がわかるのである。
 オオスバメみたいな服を着た店員に案内されたテーブルの横には大きめの空間がとってあり、俺のレントラーとタツミのナックラーを放すには十分すぎる広さだった。
「こちらの種族にはこのメニューがおすすめでございます」なぁんて店員の薦めのままにポケモン用のメニューを注文し、自分用にもほどほどのメニューをあてがった。
 食事が運ばれてくるのを待つ間、俺達は自分の出身地方の話をした。
 俺自身はシンオウのすぐ下の地方の出だけれど、タツミははるか南、ホウエン地方の出身ということだった。バトルはあまり肌に合わなかったので、コンテストをはじめたのだという。シンオウ地方には単身で乗り込んできたとのことだった。育ちのいいお坊ちゃまのような少年だったが、わざわざこの国最北端のコンテストにやってくるんだから大したものだ、と俺は思った。
 ひととおりそんな話が終わると順においしそうなメニューが運ばれてきて、今度は俺自身の話をせがまれた。
 コンテストのランクには、ノーマル、グレート、ウルトラ、マスターの四段階があって、俺はスマトラと一緒にかっこよさのグレートランクとかに出ている。もう少しでウルトラランクに上がれそうだという話をしたらいたく感激されてしまった。グレートランクなんてそこらへんにゴロゴロしているのだけど、彼はまだかけだしのノーマルランクであるらしく、いろいろ根掘り葉掘り尋ねられてしまった。
 結果、俺は旅のはじまりから話をすることになった。
 トレーナー免許をとって、シンオウの海の玄関口、マサゴタウンからスタートを切ったこと。その近くの草むらで当時はまだコリンクだったスマトラを捕まえたことを。

「最初はさ、ポケモンリーグ目指してたんだ。だからジムにも挑戦したし、バッジもいくつか持ってる」

 と、俺は説明した。

「けどさ、最初はまぁ順調だったけどなかなか勝てなくなってきて。そんな時、テレビでマスターランクのコンテストを見たんだよ。あれは、なんというか衝撃だったね」

 すると、タツミがガタっと身を乗り出してきて言った。

「僕もです! 実家のテレビでコンテストをやっていて、それがヨスガ会場のマスターランクだったんです」
「マジで!? もしかして、ソノオタウンのレンギョウさんの演技を見たクチ?」

 俺は憧れのコーディネーターの名を口に出した。
 ソノオタウンのレンギョウさんは植物ポケモンの使い手だ。特に彼のロズレイドの花びらの舞は見るものを魅了してやまない。
 彼とそのポケモンの演技を目にし、コンテストの道を志すトレーナーは多いと聞く。俺自身も例の漏れずその中の一人だった。
 するとタツミは、予想通りと云うか目を輝かせて続けた。

「そうです! 僕、レンギョウさんのロズレイドを見てコンテスト目指そうと思ったんです! だから今日は生で見れて本当にうれしくて」

 タツミは初見の時と同一人物とは思えない、興奮振りで僕に語った。
 そう、今日はマスターランクのコンテストが開かれていたのだ。お陰で会場はいつも以上に大入り、落ちているゴミも多くて清掃のおばちゃんとダイノーズも忙しそうだった。
 人気のコーディネーターが出場するマスターランクコンテストのチケットは入手が困難だ。タツミも俺も、前日の夜から会場のチケット売り場に並んで手に入れていたことがわかって、俺達は大笑いした。
 それからの俺達はすっかり意気投合して、いろんなコンテスト談義に花を咲かせたのだった。
 レントラーのスマトラはまた悪ノリしやがってという呆れた顔でこちらを見ていたが俺達はまったくお構いなしだった。隣にいたナックラーのカラメルはスマトラの尻尾の装飾にかぶりつこうと虎視眈々と狙っていたが、スマトラは間一髪のところでひょいと尻尾を上げてかわしてしまい、その繰り返しだった。そして再びカラメルが噛み付くことを許さなかった。
 そんな俺達の会話に陰りが見えたのは、最期に運ばれてきたデザートがお互いにあと二、三口で食べ終わろうかというころだった。
 なぜそれがわかったかというと、

「そういえば明日のプログラムはノーマルだけど、タツミはどこか出るのかい」

 そう不意に俺が尋ねたとき、タツミがスプーンを口に含んだまま硬まってしまたからだった。
 俺は悟った。どうやら聞いてはいけない質問をしてしまったらしい、と。
 しばらく気まずい空気が漂って、俺とスマトラは互いに目を見合わせた。そして次にどういう言葉をかけようかと考えはじめた矢先、タツミは硬直をほどいたのだった。
 タツミは俺にこう告げた。

「ミチユキさん、隠していてごめんなさい。僕は明日、ホウエンに帰るんです」

 と。



 それから。
 タツミの長い長い話が始まった。デザートはとうに食べつくしていたけれど、ここからが本番だった。
 タツミは自分の半生を、生い立ちを語った。
 やはりというか彼はなかなかのおぼっちゃんだった。ホウエンの旧家の出であるらしく、相当大きな家に住んでいるのが話の隅々から伺えた。
 だが俺が注目したところは別にそんなところではなかった。
 薄々感じてはいたことだった。だが、話していてやはりと俺は確信した。彼はひどく自分に自信が無い。いわばコンプレックスの塊なのだ、と。
 末っ子であるタツミには何人か年の離れた兄や姉がいる。彼らはいずれも何らかの才能を開花させたのだという。
 兄の一人は会社を経営しているし、姉は楽器演奏の才能に恵まれ、様々な地方で演奏しているのだという。二番目の兄はポケモントレーナー。屈強なポケモン達を引き連れ、ホウエンリーグの上位常連なのだそうだ。

「ずっとずっと兄さん達と比べられてきました」

 そう彼は語った。

「それに比べて僕はどんくさくって。何も出来なくて。お前は本当に俺の弟かとよく兄に言われるんですよね。自力で捕まえたポケモンだってカラメルの一匹だけだし……周りの視線というか、なんとなく感じるんです。聞こえなくたって知ってるんですよ。みんな言ってるんだ、僕にあるのは家柄だけだって」

 彼はそう言って、藍獅子の尻尾を追いかけるナックラーを抱き上げた。

「シンオウへ来た理由は二つあります。一つは、さっきも行ったコンテストをテレビで見たから。もう一つは僕を知っている人がいない土地に来たかったから」

 タツミはいとおしげに自身のナックラーの頭を撫でた。
 その時、俺にはわかった。なんとなくだけどわかってしまった。この小さな茶色いポケモンは彼の唯一のプライドなのだと。
 たぶん俺の傍らに座るレントラーが、俺にとって似たような存在であるように。
 タツミの家の財力をもってすればいくらでもよいポケモンを森や砂漠を探さずとも手に入れられただろう。だがタツミはおそらくそれを拒み続けた。自らの力で手に入れたポケモン。それだけで、自ら道を拓こうと、そう試みたのだ。

「シンオウに来て、新しい生活をスタートさせれば、今までの僕ではなくなる。新しく生まれ変われる。そう思ったんです」

 タツミは自嘲気味に笑った。

「けどやっぱり僕はだめでした。ここに来てそれなりになるけれど、あいかわらずポケモンは捕まえられないし、コンテストの成績だって散々なんです。生まれ変わることなんて出来やしなかった。ダメな僕はダメな僕のままだった」

 腕の中でナックラーがごもごもと暴れた。
 カラメル、と名づけられたそのナックラーは、テーブルの縁をがりがりとかじりはじめた。

「でもね、無駄だったとは思いませんよ? これで僕はあきらめがついた。家柄だけの人間として生きていこうって諦めがついたんです。もう足掻かないし、望まない。ホウエンの実家に戻って静かに暮らしていくつもりですよ」

 俺は少しぞっとした。
 俺は見た。見てしまった。
 先ほどまであんなに輝いていたかのように見えたタツミの瞳から、すうっと光が消えていくのを見てしまった。
 そして、俺は気づいてしまった。
 俺は知っているということ。この瞳を、顔を知っているということに。
 それはまるで――

「だからシンオウ滞在の、最期の思い出にしようと思って、今日はマスターランクのコンテストを見にきたんです。やっぱりレンギョウさんとそのポケモンの演技は素晴らしかった。結局僕はああいう風にはなれなかったけれど。それでも見に来てよかったと思っています」

 タツミは光を失ったその瞳のまま淡々と続けた。

「母さんには一週間ほど前に電話を入れました。そっちへ帰るって。帰って新しく学校に入り直すって言いました」

 カラメルは相変わらず、がりがりとテーブルにかじりついていていてその光景を俺はぼうっと眺めていて、俺は思考だけが空中に浮いた感覚を覚えていた。

「ミチユキさん? どうしたんですかぼうっとして」
「え? ああ、ああ、なんでもないよ」

 俺ははっと我に返って返事をする。
 タツミに言われるまで、思考が飛んでしまっていたようだった。
 そうして我に返った時、"そうだったのか"と妙な納得を覚えていた。

「ごめんなさいね、ミチユキさん。最期の最期でこんな話をしてしまって。でも貴方との夕食はとても楽しかったです。僕、ホウエンに帰っても忘れませんから。よかったら帰った後も連絡させてくださいね」

 相変わらずの調子でタツミは続けた。
 が、さすがにカラメルのかじりを見かねたらしい。彼はモンスターボールを取り出すと、ナックラーを中に入れようとした。
 コンテストをやっていたというだけあって、ボールの外側にボールカプセルをセットしていた。カプセルに貼ってあったのは何枚かのシール。ボールからポケモンを出したときに、貼っているシールによって、光ったり、煙が出たり、様々な演出をすることが出来るものだ。
 カチリ。
 ボールを開く音がした。

「待った」

 と、不意に声が聞こえた。よくよく聞いてみるとそれは俺自身の声だった。
 そうして気がついた時、俺はタツミのボールを抑え、その動きを制止していたのだった。

「タツミ、俺、知ってる。生まれ変わる方法、知ってるよ」

 自分でも何を口走っているのかと思った。

「まだ間に合う! 今の時間ならまだ開いているハズだ!」

 次に気がついた時、俺はタツミの手を引いて、藍獅子と一緒に夜の街を駆けているところだった。




 自動扉がシャーっと開いた時に、目を血走らせた男とレントラーがものすごい形相で「にらみつける」を発動したものだから、フレンドリィショップの店員はかなりびびったことだろう。

「モンスターボール十個ください!」

 と、叫んだら「ハッ、ハイィ!」という上ずり気味の返事が返ってきた。
 俺は店員が出してきた複数のボールを確認すると、新品のボールカプセルとこの店にあるだけの種類のシールを出すように要求した。
 閉店間際の店の店員は迷惑そうな顔をしながらも、僕の目の前にシールを並べてくれた。

「うーん、そうだな……これと、これと、これ……あとこれもください!」

 自分の財布の少ない紙幣と相談をしながら俺はシールを丹念に選び、なるべく多く購入した。

「ありがとうございましたー」

 迷惑そうな顔をしている店員の顔は見ないようにしてさっさと俺達は店を出る。
 本当は明るいところで作業したかったが、これから言おうとしていることをタツミ以外の誰にも聞かれたくなかったから、あまり人がいない場所を選んだ。
 やってきたのはコンテスト会場の裏手にあるふれあい広場だった。一、二年くらい前までは特定のファンシーなポケモンしか連れて入れなかったのだが、なんで私の、僕の、俺様のかわいいポケモンは入れないんだよーー!! という苦情が相次いだ結果、今ではほとんどのポケモンをつれて入園できるようになっている。
 広場にあるベンチの一つ、そこに街灯の光がよく降り注いでいたので、俺はそこで作業を開始した。
 先ほど買ったボールのひとつを手に取った。そうしてその外側に、囲うようにしてボールカプセルをかちりとセットした。
 シールを並べる、お世辞にもあまりセンスはないけれど、彼のポケモンを意識して、丹念に選んで貼っていく。

「――出来た!」

 僕はカプセルをセットしたモンスターボールをあっけにとられているタツミとカラメルの前に差し出した。
 そうしてこれでもかというほどに恥ずかしい台詞を吐いたのだった。

「いいかいタツミ。これは君達のタマゴだ」

 タツミとそのポケモンが手元を見る。
 差し出したボールは白色に輝いていた。
 僕はタツミに向かって続ける。

「レンギョウさんがね、昔言ってたんだ。モンスターボールはタマゴなんだって」

 モンスターボールを十個買うとオマケでついてくるプレミアボール。
 何かの記念に作られたモンスターボールなのだと云う。
 その色は白色。
 まるで何が生まれるかわからないタマゴのような白色だ。

「彼はこう言っているんだ。カチリと音を立てて、世界が開かれる。中からはポケモンが出てくる。その姿はさながらタマゴから生まれるときのようだと」

 真新しいボールを差し出す。
 カラメルがもぞもぞとタツミの腕の中から顔を出した。

「だから、モンスターボールからポケモンを出す度に、自分も自分のポケモンも何度も何度も生まれるんだって。生まれ変わるんだって。だからあの人は、負けが続いた時にモンスターボールを変えたんだ。新しいタマゴから生まれる為に。生まれ変わる為に」

 ボールを差し出した俺の手は震えていたように思う。
 ありじごくポケモンはじっとその様子を観察していた。

「だから、出来るよ。君にだって、俺にだって出来る。生まれよう。生まれ直そう? お願いだ。こんなところで諦めないでくれ……お願いだから…………」

 いつの間にか目に、涙が溢れていた。
 その後自分が何を言ったのか、口走ったのか俺はよく覚えていない。
 ただナックラーが大きな口を開けて、白いタマゴを受け取ったことだけは鮮明に覚えている。
 


 こうして始まりの地シンオウのある一夜が過ぎ去っていった。




 鳥ポケモンの鳴き声が五月蝿くて、俺は目を覚ました。
 シンオウに生息する代表的な鳥ポケモン、ムックルの声はやかましい。
 ポケモンセンターの朝。
 俺は眠たい目を擦って歯を磨くと、スマトラと軽い朝食をとった。食器を返却口に置くと、ロビーのほうへ歩いていく。
 ポケモンセンターのロビーに何個かあるうちの、一番端の電話ボックス。俺は受話器を取った。
 別に携帯で電話をすることだってできるのだけれど、あらたまって電話する時はここにする。
 ちょうど二、三日前と同じ要領だった。
 俺は3×3に並んだ番号ボタンを順番に叩いて、受話器を耳に充てた。

『あ、もしもし、母さん?』

 俺は二、三日前と同じ調子で切り出した。
 電話ボックスにはアクリルの仕切りがしてあって、僅かながらに自分の顔が映っていた。

『この前話した件だけどさ、ごめん……俺、やっぱり当分帰れそうにないんだ』

 けれど、あのとき僕は知ってしまった。見てしまった。
 諦めの言葉を口にしたあの時、仕切りに映っていた俺はタツミと同じ目をしていたのだと。
 いけないと思った。このまま帰ってはいけない、と。

『そのさ、どうも弱気になりすぎてたみたいなんだ。もう上へはいけないって、もうここまでだって、もうだめだって勝手に決め付けていたんだ。だからさ。俺はここで、もう少しがんばってみようと思うから、だから……』

 昨晩の街灯の下の事が思い出された。
 ああ、たぶんそうなんだ。
 一番元気付けられたかったのは、俺自身だったんだ。
 たぶん俺はタツミを通して、自分自身を元気付けていたのだと、そう思う。
 誰よりも一番生まれ変わりたいと思っていたのは、俺自身。俺自身だった。
 
『ごめんね、また電話するから。じゃあ』

 電話のその向こうで母さんがあれこれ言っていた気もするけれど、そこまで言って電話を切った。



「スマトラ、」

 傍らのレントラーに声をかける。

「使いもしないのにさ。モンスターボール十個も買っちゃたよ。でもまぁいいかって思ってるんだ。とりあえず一個は使うしさ……」

 スマトラの顔を見た。珍しく笑っていた。
 金色の瞳に、燃えるような光が宿っていた。

「だから今日はさ、俺達のボールカプセルを買いに行こう」






 ボールを開く。
 カチリと世界の開く音。
 それはタマゴが割れる音。

 生まれる。生まれる。君も、俺も。




 昨日の自分。
 昨日までの自分。
 嫌いだった自分に別れを告げて。

 殻を破って。
 新しく生まれ出る――





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