日々の送り方 恋をすれば日常はがらりと変わる。誰かが言ってた。誰かって俺の叔父さんだけど。恋ってのは麻薬みたいなものだ。一度知れば、普通の日常は送れない。そんな叔父さんは職業ギャンブラーでいつも新しい恋とギャンブルに手を出してはいつも酷い目にあっていた。俺が中1に時に遂に行方知れずになった。 叔父さんの迷言を俺は覚えてはいたが、それだけで、普通に毎日を送っていた。 「彼女に振られた」 「そいつはおめでとう」 「何故祝うんだ親友。あんなに俺に彼女ができた事を喜んでくれたのにいざ俺が彼女に振られるとその態度なんだ」 「うるさい。誰がいつお前に彼女ができたことを喜んだ」 「リア充死ねリア充死ねと笑いながら祝福してくれたじゃないか」 「してねーよ。全く祝福してねーよ。あー清々した。お前が彼女に振られて清々した」 昼さがり、弁当を食ってうとうとしていたら前の席でそこそこ大きな声で会話しだした。あぁ、誰かと思ったら勇次と健太か。二人とも俺の小学校時代からの腐れ縁だ。この間、勇次の奴が『彼女できましたメール』を送りつけて着て健太と二人で『この抜け駆け野郎』と呪いの言葉満載の祝福メールを送り返してやった記憶がある。そのあと『窓を見たらカゲボウズが張り付いていた!マジビビったww』と健太からメールが来た。さすがポケモンは敏感だなぁと感心した。 「嘘だ―。拓郎だって俺の事祝福してくれてたよなぁ」 俺に話題が降られた。とりあえず「黙れお前なんか全国の彼女無し男にリンチにされてしまえ」と健太の援護射撃をつとめる。 「ひどい、拓郎まで俺の傷に塩と唐辛子をすりこんでくるぅぅ」と泣き真似をしながら笑っている様子を見ると、立ち直りが早いのかそれとも演技なのか、多分演技だ。演じる余裕があるなら大丈夫だろう。 「で、何故振られた」 「やっと聞いてくれたな。分からんのだ」 「なんだそりゃ」健太と同じ感想を持った。なんだそりゃ。 「実はな、昨日、はじめてデートしたんだよ」 「死ね」健太は容赦ない。 「いきなりそれか」勇次は苦笑している。 「まぁいいや、続けろ」 「で、振られた」 「だからそれだけだと分かんないって。結果じゃなくて過程を話せ」 そこでチャイムが鳴った。また後でな、勇次が離れていく。前の席の健太と顔を見合わせた。 「原因なんだと思う?」 「多分デート中に別の女の子でも口説いたんじゃないの」俺の叔父さんみたいに。 「そりゃないだろう」 「やっぱり?」 先生が教室に入ってきて会話はそこで終わった。 好きな女ができたらまずは贈り物を用意する。なるべく相手の意表をついて且つ好みを抑えた奴が効果的だ。頼みもしていないのに叔父さんはよくポケモンと恋の手ほどきをしてくれた。女って言うのはサプライズに弱い。バトルも一緒だ。どんな奴だって自分の予想していない事態には判断が遅れるもんだ。意表をつけば隙ができる。そうやって俺は勝ってきたんだ。げらげら笑ってそう締めくくっていた。別にその様子は格好よくはなかったがやたらと印象には残った。 恋のアドバイスは全く活用する機会がないが、バトルのアドバイスは俺のポケモンバトルに大いに影響を及ぼして、そこそこの成績を収められるようにはなっている。 「ぶちまる」 相棒であるパッチールは名前を呼ばれてこっちに来た。相変わらずどこを見ているのかさっぱり分からない渦巻き模様。じっと見つめると気持ちが悪くなってくる。車酔いする感じで。ぼふぼふと耳に軽くジャブを打つとぐらんぐらんと揺れる。おもしろい。 放課後のバトルクラブで勇次の失恋話の続きを聞こうと待ち構えていたのだが、肝心の勇次が掃除を連続でサボった罰として居残り掃除をさせられているらしく姿が見えない。健太の奴は塾があるといって先に帰った。後で俺にメールで経緯を教えてくれと念を押してさっさと自転車で去っていった。そんな健太の頼みがあるため俺は帰るに帰れない。早く勇次の掃除が終るのを待つだけというまことに無駄な時間を持て余していた。ていうか、部長も顧問もいないこの運動場の隅のバトルフィールドで俺一人ぶちまるにジャブをかますだけのこの場でどうしろというんだ。暇だ。 構ってくれるのが嬉しいのか、ぶちまるはされるがままにジャブを受け続けてぐるんと後ろ向きにそっくりかえった。あ、やりすぎたか。手を止める。ぐるんは一回きりですぐに立ち上がった。体柔らかいなこいつ。そのままこちらに歩いてきて元の位置までやってきた。何が面白いのかへらへらしている。こいつの表情はぐるぐる模様の目とへらへら笑いばっかりで、時々ぶちまるは何かを本気で考えることなんかあるのかと思ってしまう。多分ない。きっとない。あっても俺には分からないだろう。恋とかするのかな、こいつ。それ以前に俺は恋ができるのか。 勇次の彼女できましたメールに対する呪いの祝福メールはぶっちゃけてしまえば健太の悪乗りに便乗して適当に恨み辛みをそれっぽく送りつけてやっただけに近い。現に、健太の所にカゲボウズは来たらしいが俺の所にはただの一匹だって来なかった。奴等の好物である怨念がこもってなかったからだろう。だって、俺は彼女欲しいかと言われたらよく分からないとしか言えないからで。そりゃいたら幸せなんだろう。ただその幸せという奴が恋という感情を挟んで得られるものだとしたら現時点で恋をしていない俺には彼女が出来ても幸せかどうかという自信がない。いや、自信とかいう問題じゃないと思うけど。要するに、俺は叔父さんが語る恋というものがなんとなく気にくわないわけで。あー上手く言えない。ぶちまるに対して延々とそんな感じの愚痴もどきをこぼす。 「なにやってんの」 後ろから声をかけられた。振り返ったら田代さんがいた。 リードされるかリードするか。基本的に女はリードされる方が多い。それが何故か判るか。昔からレディーファーストの精神があるからだ。女心は繊細かつ気難しい、時に嫉妬深く扱いに苦労する。女を怒らせたらいつも恐ろしいだろう?昔の男どもはそれを知っているから何事も女性に対して紳士的にふるまっていたんだ。嘘か本当か、半分は多分その場の思いつきであろう叔父さんの自論によると女の子というものは丁寧に扱うべきものだという事らしい。決してこちらからあれやこれや押し付けるべきではない。ちなみにこの自論は「要するにバトルは自分の流れに巻き込んだ方が勝ちだ!」という締めくくり方をされた。レディーファーストとバトルの流れがどこでつながるのかは未だによく分からない。 スポーツドリンクを片手に帽子をかぶった田代さんは「日陰にくれば」と言って俺とぶちまるに手まねきした。秋が近いにもかかわらず残暑厳しいこの時期に日向でぶちまるをジャブしている俺が奇妙に映ったらしかった。お言葉に甘えて立ち上がる。ぶちまるがふらふらしながらついてきた。 木陰は確かに涼しかった。 「誰もいないバトル場で何してたの」 「ぶちまるをジャブしながら愚痴を聞いてもらってた」 「なにそれ」 くてんとさながらぬいぐるみのように木にもたれかかっているぶちまるをちらりと眺めた田代さんは「まぁ、ぽかぽか殴りたくはなるね」とジャブに関して同意してくれた。そんな田代さんのポケモンは確かクロバットだった。最終進化しているポケモンを連れている様子が珍しくて一時期クラブ内で噂になっていた。 「ニックネームなんだったっけ」 「カ―ミラ」小説知ってる?俺にそう聞いて、答える前に俺の反応を見とったらしい。「吸血鬼の小説」とざっくりとした説明をしてくれた。要するに、ズバットやゴルバットが『きゅうけつ』を覚えることから性別を含めて名前を頂いたらしい。 「物騒だな」 「こけおどしにはなるよ」意味を知っている人にしか効果ないけどね。けらけら笑っていた。 その点、俺のぶちまるなんて見たままのぶち模様から取っただけでウルトラ安直だ。そう言ったら「分かりやすさが一番だよ」と田代さん。そうかもしれないとすぐ思いなおす。 「前田は絶対、特性は『たんじゅん』だね」 「かもしれない」 「否定はしないんだ」田代さんは楽しそうだ。そういう田代さんの特性は何だろうかと考える。思いつかなかった。 本人に聞いてみる。 「『あまのじゃく』とか?」 別に天邪鬼な要素が見つからなかったので多分違うと言っておいた。 「えー、なんか憧れがあるけどな。天邪鬼」 「どこに」 「響きに」不思議な憧れだ。感心してしまった。 ぶちまるがいつの間にか俺の後ろに来てぐいぐいと服のすそを引っ張ってきた。なんだよ、と言うと田代さんを指差す。 「これ欲しいの?」 ほとんど空っぽに近いスポーツドリンク。あぁ、喉が渇いたのか。そういえば俺も何となく喉が渇いた。自販機がここから少し遠いのが面倒くさい。 「買ってこようか?」 「え」 田代さんの申し出に面食らう。 「向こうまで買いに行くのが面倒くさいって顔に出てたよ」やっぱり単純だ。帽子をかぶり直す田代さんをおもわずまじまじ見てしまう。 「でも、それはちょっと」 「スポドリの1本や2本、おごったげるよ?」 「いや女の子に買いに行かせるって」 「いーのいーの、ご褒美だと思いなさい」いつも頑張ってるんだからさ。ぽーんと肩を叩かれて、田代さんは走りだした。 へ。 ご褒美って、どういう事。 誰かの知らないところで誰かが誰かのためになることをしていたとする。学生のお前に分かりやすく例えるなら、当番が運んで行かなかった提出物を全然関係ない人が親切で運んで行ったり、他人が捨てたゴミを当たり前のように拾ったり、そんなところだ。で、そんなことをする奴らってのは基本的にその行為が誰にも知られてないと思ってる。だから、いざその事を褒められると慣れてないもんだから、隙ができる。これが女だったらここから先はちょろいもんだぜー、とここから先の叔父さんの教育上よろしくないと思われる女性の口説き方は聞いていなかった。どうでもいいし。 木陰でぼんやりとぶちまるの耳を引っ張っていたら普通に田代さんが帰ってきた。 「あれ、ジャブじゃないんだ」 「飽きたから今度はどこまでこいつの耳がぶよぶよするか遊んでるんだ」 嫌がっている様子は見られないので思いっきり引っ張ってから手を放してやるとみよよよんと妙な効果音がした。田代さんが口で言っていた。 「はいこれ」 ぺと、といきなり首筋に冷たいものが当てられて「ひやぁぁぁ」と変な声を出してしまった。「ぴやぁぁぁ」とぶちまるまで似たような声を出す。同じことをされていた。 「あっはっは、そっくりだねぇ」 元凶は声を出して笑う。冷たいスポドリをこんどこそ手で受け取る。ぶちまるは気持ちが良かったのかもう一回やってくれと頼んでいるらしかった。 「ぴやぁぁ」 田代さんが爆笑した。たぶん、ツボに入った。「飼い主にそっくりー」失礼なことで笑っていた。 「ポケモンはトレーナーに似るって本当だねー」 「じゃあ、田代さんのクロバットは」思いついた事を言ってみる。「後ろから噛みついてきたりして」 吸血鬼みたいに、と付け加えると「それはないない」と軽く否定されてしまった。 「もしかして、さっきの怒ってる?」申し訳なさそうな声になった。「いや、そういうわけじゃないけど」と言ってから、手の中の開けてないペットボトルにようやく意識が回った。 「やっぱり、おごってもらうのは悪いよ。金出す」 「だ―めだって。日頃から頑張っている人にはおごられる義務があるのだ」 そんな義務聞いたことないよ、ぼやいてから「頑張ってる人?」聞き直す。「そういえば、ご褒美とか言ってたけど」 「ほら、前田っていっつも最後まで残ってバトル場ならしたりしてるじゃん。他にも審判の数が足りなくなったらすすんでやったりとか。そうやって頑張ってるんだから、今日は素直におごられなさい」 妙な説得力のある言い回しで押し切られた。俺は「はぁ」と間の抜けたような声を出した。別に俺のやっている事は別段特別なことではないし、俺以外の人もやっているんだが。そう言ってみた。 「うん、その人たちにもおごったことあるよ」余裕の笑み。死角はないらしい。けど、その返事に何故かちくりとした。 そっか、俺だけじゃないのか。安堵すると同時に、妙なざわつきも覚えた。なんというか、よく、わからないけど。 「じゃあ、頂きます」そう言ってスポーツドリンクに手をかけた。「それでよろしい」田代さんは満足そうだった。 特別って思わせる事が大切だ。人間ってのは不思議なモノで、チビッ子の頃は何だって『あれも俺の』『これも俺の』って自分の、自分だけの、ってこだわる。大きくなっても心のどこかにはこれがしっかりのこってるもんだ。相手は自分だけには優しくしてくれる、とか、二人だけの秘密、とか要するに微妙なバランスの独占欲の満たし合いなんだな。で、恋っていうのはこれに気付いたら始まってるもんなんだ。叔父さんがそのバランス感覚が敏感だったかどうかは知らない。けど、少なくとも俺は意識した事はない。 そのあと、田代さんは「今日は多分誰も来ないと思うよ―」といって去っていった。妙に、清々しかった。 ぶちまるはすっかりスポドリを飲みつくし、のんびりしている。俺はまだすこしきつい日差しの方に目をやった。木陰から見る日向はどうしてこう眩しいんだろうとぼんやりしてみる。 早く勇次の奴が来ればいい。そして振られた原因を聞きだしてとっとと帰りたい。ぶちまるの耳を引っ張る。「ぷぎゃ」変な声を出した。 家に帰ったら健太にメールで報告して、飯食って、課題して、テレビでも見て、寝よう。日常っていうのはそういう事だ。別に今は恋はいらない。いらない、とかいう問題じゃないかもしれないけど。 ペットボトルを握りしめた。これも、特別ってわけじゃない。ただの、そう、彼女流にいうなら「ご褒美」って奴。 何故か帽子をかぶった田代さんの後姿がずっと脳裏にある。俺はこれから普通の日々が送れるのか。ちょっとだけ、心配になった。 ぺし、とぶちまるが寄ってきて膝を叩いた。 悩みなんてなさそうなうずまきがこちらを見ている、多分。 ……まぁ、心配したところでこれが叔父さんのいう恋とやらを自覚したのかどうか、それすらも分からない。ただ、田代さんから普段俺が当たり前だと思ってやっている事を思いがけず褒められて、叔父さん流に言うなら『慣れてなくて』嬉しかった、だけだ。あー馬鹿らしい。 きっと叔父さんにあれこれ言われ過ぎて俺が勝手に気にしてるだけだ。心配になってどうする。もはや、こう考えることもある種の言い訳にも見えてくる。思考までぶちまるのふらふらな動きのせいで混乱してきた気がする。気持ち悪い。 いまのところ、それだけ。考えるのをやめる。 むぎゅうとぶちまるを抱っこしてみる。 暑苦しい。早く来い、勇次。 ペットボトルはまだ半分くらい残ってた。 (6047文字) 〔作品一覧もどる〕
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