手紙とアンノーン ――賭けを、していたんだ。 と、数年ぶりに再会したあいつは最後に見たものよりも、遥かに大人びた表情で笑ってそう言った。 何年かかってもいい。 手紙と一緒にアンノーンを送り続けて、そうして、その間に一度でも私が帰ってくれば自分の勝ちだ、と。 最後の一匹を送っても私が帰らなければ、その時は負けを認めて潔く諦めるつもりだった、と。 どこか清々したような顔でそう告げたあいつは、しきりに首を捻る私の頭を何度も叩いて、ふわりと笑う。 一体何を賭けたのだと重ねて問えば、あいつは答える代わりに、宥めるような軽いキスをくれた。 ※ ※ ※ 「やっぱり行くのか」 差し出したグラスにビールを注ぎながらあいつが言うから、私は思わず目を瞬かせてしまった。 あいつの言葉の意味がわからなかったから……ではなく、本当に今更な言葉だったからだ。 「何を今更。 私は卒業後も大学に残るつもりはないって、前から言ってただろうに」 「ん、ああ、そうだな。そうだよな。 いや、わかってはいたんだが……ついにその日が来たのかと思うと、妙に感慨深くてなぁ」 お返しに私もあいつのグラスにビールを注いでやると、あいつは飲む前からほろ苦い顔をして顔を俯けている。 やけにしんみりした空気に引きずられるようにして、私も少しだけ感傷に耽った。 私はポケモン民俗学を、あいつはポケモン考古学を。似ているようでどこか根本的なところで違った道を志す者同士だったが、私とあいつは時に反発しあい、時に協力しあいながら、共に勉学に励んできたものだった。 まぁ、それだけ、というわけでもなかったが、こうして大学の卒業式を迎えて、ごく自然と二人で飲みに出掛けるくらいには、固い絆で結ばれていると思っている。 どちらかといえばアウトドア派でゆくゆくはフィールドワーカーを目指していた私と、インドア派で研究室にこもりがちなあいつとでは、一見そりがあわなさそうだが、余りに対極過ぎたせいかかえってうまがあい、共通の友人には不思議がられたものだった。 胸に去来するさまざまなことに思いを馳せながらどちらからともなくグラスを合わせると、何故だかあいつは何かを吹っ切ったような顔をした。 「お前が言い出したら梃子でも動かない性質なのはよく知ってるよ。 研究室に籠もりっきりが性に合わないのもな」 ビールを呷りながらにやりと笑うあいつに、私は肩を竦めて見せた。 「それで出不精なお前は外に出て足で稼ぐより、ねちねちと研究室に籠もって重箱の隅をつつくようにして資料を紐解くのが好きなんだったな?」 軽口には軽口を。 私は同じようににやりと笑い返しながら、思い出したようにグラスを傾けた。 苦味のある泡を寂寥とともに飲み干すと、不意に降りた沈黙に居たたまれなくなって誤魔化すようにつまみの唐揚げを頬張る。 「折角の門出なんだ、そんな辛気くさい顔してないで、祝ってくれよ。 別に今生の別れってわけでもないんだし」 ややあって、グラスを干した段になって、私は垂れ込めた微妙な空気を打ち払うようにわざとらしい明るさを取り繕って言った。 あいつは弾かれたように身動ぎすると、なんとも言い難い笑みを唇の端に刻んで目を細める。 「そう、だよな」 「ああ、そうだ。 離れていたって、民俗学と考古学という違いはあれど、同じ学問の道を志しているのには違いないだろう」 空になったあいつのグラスにビールを注いでやりながら言うと、あいつは少しだけ、たまらないと言うように顔を歪めただけで、何も口にはしなかった。 それでも気まずさを感じなかったのは、大学生活を送った四年間という少なからぬ年月を共にしてきたからだろう。 あいつと一緒に過ごすのは刺激的で、そのくせまるで長年連れ添った夫婦のようにしっくりと馴染んだものだった。 ――あいつも同じ様に考えてくれていればいいのだが。 そう思っていた私の目に、その日のあいつの表情はやけに強く印象に残っていて、今でも時折思い出す程である。 あの時――本当はあいつは何を言いたかったのだろうか――。 ※ ※ ※ 『この手紙を受け取る頃に、お前がどこにいるのかわからないが、きっと相変わらずなんだろう』 そんな書き出しで始まる手紙をポケモンセンターで受け取ったのは、ホウエン地方にある『りゅうせいのたき』の調査を終えて戻って来た頃のことだった。 「そういうお前も相変わらず研究づけなんだろうな」 あれから何年も経っているのに、ずっとかわらぬあいつの言葉に、私は思わず目を細めた。 いつの頃からか忘れたが、あいつは時折思い出したようにこうして手紙を送って寄越すようになっていた。 それも決まって、モンスターボールを一つ添えて。 今回も手紙と共に渡されたそれを片手で弄びながら、私は手紙を読み進めた。 『……こちらも相変わらず教授に振り回されながら研究の日々を送っているよ。 そうそう、いつかお前にやったアンノーンを覚えているか? そのアンノーンだが、最近シンオウ地方で新しい形をした奴が発見されたそうだ。それがなんと、今度は『?』と『!』の形をしているんだと。 こうなると、いつかお前と話したことが強ちただの推測とも言い切れないような気がしないか? もし興味があるなら行ってみるといい』 アンノーン、の下りを読んで、私は思わず苦笑をもらした。 「覚えているもなにも……」 しれっとした顔でこの手紙を書いたであろうあいつのことを思い出しながら、私は添えられていたモンスターボールからポケモンを出した。 ポンッと小気味いい音と共に現れたのは――誰あろう、件のアンノーンである。 あの日――、結局朝まで飲んだくれて二日酔いの余韻が残る旅立ちの朝。 あいつは妙に真顔でモンスターボールを差し出すと、「餞別だ」と言って、戸惑う私の手にそいつを押し込めた。 訝る私にあいつはその中身をアンノーンという、最近アルフの遺跡で捕獲された謎のポケモンだと話した。 不思議な形はアルファベットによく似ており、事実アルファベットと同じだけの種類が存在した。 もしかしたら古代の人々はアンノーンを真似てアルファベットを作り出したのかもしれないと、早口で興奮気味に語ったあいつは、まるで何かの決意表明のように毅然とした様子で、 「俺はここで頑張るから、お前も頑張れよ。 それで、疲れたらたまには帰ってこい」 と、やけに熱の籠もった口調で言ったのだった。 ――実のところ、その勢いに気圧されて、なんと返事をしたのかは、自分でもよく覚えていない。 ああ、とか、うんとか、曖昧な態度を返したような記憶はあるが、何故だかそこだけ朧気だ。 わかっているのは、結局その日旅立って以来、一度も帰っていないという事実だけだ。 『……お前のフィールドワークの成果は俺も耳にしている。 一度ちゃんと話を聞きたいから、たまには帰って来い』 手紙の最後は、いつものようにそう締めくくられている。 この言葉を綴るとき、あいつはどんな気持ちでいるのだろう。 想像してみると、どこか切なく、それでいて嬉しいような気にさせられる。 私は読み終えた手紙を丁寧に畳むと、ふよふよと漂うアンノーンを見やった。 アルファベットによく似た、不思議なポケモン。 使えるワザはめざめるパワーだけだというのに、その効果が個体によって違うという点でも、研究者の脚光を浴びているポケモンである。 最初に餞別として渡された――Aの形をしたアンノーンを皮切りに、あいつはいつも決まって手紙と一緒にアンノーンを送って寄越す。 そこにどんな意図が込められているのか、想像するのは楽しかった。 今、目の前で大きな目玉を瞬かせてこちらを見ているアンノーンは――Z。 アルファベットの最後の文字である。 Aから始まりZまで。 それはとりもなおさず、あいつからの便りの数で、それはそのまま流れた月日を示すのだ。 思えば長いこと顔を見ていないような気がする。 勿論時折電話で連絡をすることもあるし、学会などの折に顔を見かけることもあった。 それでも、それは会った、ということにはならない。 ――一度、帰ってみるのもいいかもしれない。 不意にそんな考えが頭をよぎった。 今までだって、帰ろうと全く思わなかったわけではないが、なんとなくきっかけが掴めなくて、つい先延ばしにしていた。 だが、あいつからの便りが――つまりは送られるアンノーンが最後の文字まで到達したのは、いい契機かもしれない。 一度決めてしまうと、いてもたってもいられなくなるのが私という人間だ。 ここからジョウトに帰るまで、どれほどかかるだろう。 ああ、でも。 折角だから遠回りをしてシンオウに足を延ばして、新しいアンノーンを探しに行くのも面白いかもしれない。 土産に噂の新種を持って行ったら、あいつはきっと驚くだろう。 その時は、ポケモンバトルが下手で、研究に必要なポケモンをゲットするのにも四苦八苦していたあいつが、どうしてアンノーンを送り続けたのか聞いてみるのもいいかもしれない。 知らず、口元に笑みを浮かべた私はアンノーンをボールに戻すと、パソコンを通じて、専用のボックスに預けた。 綺麗にAから並んだアンノーンたちは、もうすぐ一つのボックスを占領する勢いだ。 同じくらいの勢いで、私の荷物の底にはあいつからの手紙が随分幅をきかせている。 大切な大切な、おもいと絆の証しを抱きしめて。 私は一人わくわくと心を踊らせながら、旅の計画を練る。 そうして帰ったら、あの時聞けなかった言葉を聞いて、言えなかった言葉を言うのだ。 それは――とてもとても楽しい考えだった。 (3912文字) 〔作品一覧もどる〕
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