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 “10/1が締切なので守れ。”9月30日にツイッター経由でこの連絡が来るのは遅すぎる。
 ただいま30日の17時、原稿はなんとかENDマークをつけることができた。いま絶賛推敲作業中。
 近年、ポケモン小説の水準が上がり(BWの発売もよかった。あれはほんとによかった)、
 “サトシ「いけピカチュウ!」 ピカチュウ「ピッカー」”みたいな小説が投稿されることもなかった。

 今回俺が提出しようとしている小説は、ピカチュウとそのトレーナーの心の交流の物語だ。
 ピカチュウをひたすら愛らしく、トレーナーはとにかくフィリップマーロウ並に男らしく書いた。かっこいい。
 こんな男は同世代にはいねえよと毒づきながら書いた。でも担当編集者のヤマダには大変好評だった。ヤマダは乙女だからな。
 俺も女に夢がありすぎて、どんなのが本物の現実の女なのかわからないぐらい女には夢がある。童貞だから。

 今その小説を印刷してる。チェック入れてデータに反映させて、22時くらいに提出する。あ、ちょっと喉乾いた。
 クロックスつっかけて半纏羽織ってアパートのドア開ける。
 空気が冷たいよバカ。俺が中学生の時は9月なんて熱中症レベルで暑くて、体育でバタバタ倒れてたのにな。
 自販機の前に立つ。なんだよ自販機の中身、全部「つめた〜い」じゃねえかよ、やっぱ最初の予定どおりコーラ(ロング缶)にしよう。ガゴンッ。
 早く戻ろう戻って赤入れて寝よう。
 レポート含めてもう3日も変な寝方しかしてないから、布団が恋しい。
 てか秋葉原見に行きたい。せっかく神田に住んでるのに、徒歩10分の大学にしか行ってない。惨めになりかける。いやいや原稿直さんと。
 玄関の扉を開ける。
「ただいまー」「おかえり」一人暮らしの静かな部屋と会話する。あー返事してくれるような彼女ほしい。この際ヤマダでいい。
 何かが足元で動いた。何かがいるんだ。下を向いた。




「ピカピ!!」

 そこにはピカチュウが居た。ぬいぐるみ持ってたっけ。あれ、動いた動くことも声掛けもできない俺の脚に、ピカチュウがしがみついてよじ登ってきた。
 俺はこの光景を一生忘れない。死ぬほど妄想したリアルなポケモンの、ピカチュウの動きだ。腹のあたりがこそばゆい。
 ピカチュウは俺の脚を登り切り、半纏と俺の腹の間の空間に入って「ピカピー」と愛らしく鳴く。
 ちょっと重くて暖かくて、生き物の肉の柔らかさがTシャツ越しに伝わってきて、赤面した。思わず半纏の袖から手を抜いてピカチュウを支える。
「ちゃあ」俺を見上げて奴はまた鳴いた。俺と目が合う。にっこり笑う。そして俺の胸に、顔をすりすりさせる。
 可愛いから止めろ。
 あまりのアピールに、ピカチュウが架空の生物だということをしばし忘れていた。なんでこれ生きて動いてるんだろうか。あー可愛い。
 マジ可愛い。あまりの愛くるしさにそんなことはどうでもよくなる。
 おれ今からピカチュウ愛好家になる。ハートキャッチピカチュウ。
 ピカチュウのちっちゃい胴を抱っこして、ベッドへゆっくり移動する。抱きしめすぎて痛い思いさせないように注意する。爪、切っとけばよかった。
 そろりそろりと歩く。ベッドまで来て、腰をゆっくり落として、ベッドのスプリングをきしませる。

 痛くないかー、ピカチュウ。あ、喉乾いてないか。コーラの缶を太ももで挟んで、開ける。一口飲む。ピカチュウもほしそうだ。
 缶の口に残ったコーラをぺろりと舐めて、にこにここちらを見ている。缶を少し傾ける。少しこぼす。半纏で拭く。
 これは、口移しであげないといけないのだろうか。ピカチュウにちゅーするのか…… ちっちゃい口元をじっと見つめる。
 うん、無理。俺にはハードルが高すぎる。なぜか勃起してきたし。
 すると機嫌が悪くなったピカチュウの赤ほっぺがぴりぴり言い出した。
 な、なんか代わりになるもの。あ、そうだ、カントリーマアム!! あわててカントリーマアムの袋を歯で開ける。
 ピカチュウがちっちゃいお手てをマアムを取ろうと伸ばす。なんでだろう、俺泣けてきた。
 マアムを手に取ってピカチュウはもぐもぐしている。涙が零れ落ちてきた。ビデオとか撮りてえ…… でも携帯充電中だ……。

 ピカチュウがするりと腕から抜ける。とたんに悲しくなる。暖かい何かが触れているのって気持ちいいと初めて知る。
 テーブルの上にちょこんとすわってカントリーマアムをかじってる。

 ところでこいつはどうしてここにいるのだろうか。どうでもいいな、うん、ピカチュウはずっと居ていいんだよ。
 三食昼寝付きだよ。お前の飯代くらい稼ぐからな。ムヒヒ。
 さあ、お前を抱いて原稿に赤を入れようか。そしてヤマダに提出して、今夜は一緒にお風呂に入ろうか。
 ところが印刷された原稿を見て俺は青ざめた。
 この小説は主人公とピカチュウのハートフルな愛情物語だ。なのに、原稿のすべてのページから“ピカチュウ”の文字が抜けている。
 目を疑った。ワードのデータも確認した。間違いなくピカチュウの文字が無い。文字色を透明にしたわけでもない。
 そこだけきっちり4.5文字分抜けている。
 空欄に“ピカチュウ”と打ち込む。ひらがなで“ぴかちゅう”とすら入らない。ほかのキーを押すんんんんんんん 打ち込める。
 驚きすぎて冷静になる。メモ帳でも同じことを試す。入らない。ほかのキーを押すmmmmmmmmmmmmm 打ち込める。
 USBにデータを落として漫画喫茶で…… とも考えた。でもピカチュウをひとりにしては…… あれ
 ひょっとして、俺の目の前の生きてるピカチュウは、俺の小説のピカチュウなのだろうか。
 そうだよな、文字のピカチュウが消えたタイミングと、ピカチュウが現れたタイミングを考えれば、当然、そうだよな。

 印刷した原稿の上にピカチュウを置いて一生懸命、拝む。
 戻れー戻れー 今お前に期待されてる事は元の世界に戻ることだー。
 ……戻れェェェェェェェェェッ
 戻るんだピカチュウゥゥゥゥゥゥゥ
 印刷した原稿の上にピカチュウを置いて引き続き、拝む。
 戻るんだ戻るんだ、原稿の中に。早く戻れよ 早くしろ 部誌が落ちる
 白い原稿に1字もない ピカチュウの文字 早く戻れよ 原稿に 黄色い悪魔
 戻れ戻れ戻れ戻れ戻れ戻れ戻れ戻れ戻れ戻れ戻ってよ!今戻らなきゃ、今出さなきゃ、
 部誌が落ちちゃうんだ、部費が出ないんだ! もうそんなの嫌なんだよ! だから戻ってよ! 
 ……こんなときでもアニソンとアニメからの引用を忘れない自分のオタクマインドに嫌気がさす。
 ふっと顔を上げる。ピカチュウと目が合う。
「ピカピ」かわいく鳴かれてしまった。……違う! 早く俺に校正をさせろ!!

 ここで俺はとんでもないことに気が付く。ピカチュウと書いたら、ピカチュウが実体化したのだ。
 女の子の名前を書けば、女の子が実体化するのではないだろうか。ていうか、俺、女選んでヤリ放題じゃね
 童貞捨てる相手を誰にしようか、俺は考え始める。ピカチュウはどうでもいい。

 やっぱり芸能人がいい。見目麗しいほうが、いい記念になる。
 いや待てよ、俺は芸能人を知らない。和田アキ子とレディガガと黒柳徹子しか知らない。
 AKBとか団体名しかわからねぇ。二次元女子とか立体化されても怖いだけで、あれはあのサイズだからいいのだ。
 となると普段から知ってる女子だな。その方がエロい。……ヤマダしか居ねえじゃねぇか。

 ここで考え直してみる。ヤマダはまあ、胸がそこそこあって尻がそこそこあって髪が黒い。ときどきうっかりブラチラしてる。たぶん処女。
 普段からすっぴんの地味女子。背が低い。肌はきれいなんだよなー。脚も悪くないと思う。妥協してやってももいい。

 さて、何かを着せたい。脱がせ方がわかんないけど、いきなり全裸の女子はちょっと、引く。
 胸元を強調するような服で秋に着る服。
 体にぴったりしたタートルネック(白)がいい。服の上からおっぱい揉んだときに手の動きが見えそうだ。
 待てよ、タートルネックだと首が見えない。やっぱりVネックがいい。鎖骨がちょっと見えるやつ。ヤマダの鎖骨に水を貯めて舐めとりたい。
 下も決めよう。うーん。やっぱ脚は見たいからミニスカニーハイがいいな。ヤマダはいつもジーンズだから、絶対に着ない。
 ニーハイはピンクと黒の縞々のにしよう。ミニスカはチェックの赤い制服っぽいやつ。靴はどうしよう。HARUTAのローファーがそれっぽいな。

 よし次は下着だ。ブラジャーとパンツおそろいのやつの白いのがいい。縦縞とかかわいいな。水玉もかわいいな。
 白地に黒とか控えめでかわいいな。フリルはケバい。
 あー、うん、ヤマダの肌は白いから実は黒とかかわいいかもしれん。いいな、黒。あれだけおとなしい感じで実は黒とかいいな。
 ときどき見えるブラチラでも紫とか見える。無理しなくていいのに、といつも思う。
 黒ならフリルでもかわいいな。白でもいいな黒でもいいな。……白で。最初だから。
 脱がせ方がわかんないからフロントホックがいいな。ぷちって簡単に開けられそうだ。


 よし決まった。
「白の下着を身に着けた上に、Vネックのセーター着て、
 赤いチェックのミニスカとニーハイを履いたヤマダください」とタイプしよう。手が震えてきた。
 あっ、でもどうしよう、俺避妊具持ってない。
 待てよ。大学に入学したときに先輩からもらったのが、どこかに。捨ててない。どこに置いた。
 積みガンプラ箱のむこうか それとも漫画本の山の向こうか それとも雑誌の山の中か
 財布の中だ! でも財布の中のは痛みやすいって聞いて、鞄の底に入れたんだっけ。
 いつもの肩掛けバッグの中を逆さにしてぶちまける。どれだどれだどれだ。漁る。
 あった! よしこれ使おう。つけ方わかんないから、そこはやってもらおう。
 そうだシャワー浴びてシーツ取り替えよう。テイッシュはあるから大丈夫。
 よし風呂入ってくる。風呂入ったら、さっきの文、打ち込もう。



 浴びた。シーツ変えた。今俺は全裸でパソコンの前に座っている。
 今、とても緊張している。体が熱いのは期待のためだけじゃない。静まれ俺の体とテンション。今触られたら出る。
 だ、大丈夫だ。よし、
 パソコンの前で正座して、キーボードの上に両手を構える。ピカチュウがちょこんとパソコン本体の上に座っている。
 ひらがな入力になってる。ローマ字入力に戻して、ああくそ、マウス持つだけなのにこんなに震える。

「ピッピカチュウ!」

 お前うるさいぞ、と言おうとしてピカチュウを見た。赤いほっぺから電気がぴりぴり出てる。そこはパソコンの上だ降りろ、という前に、
 ピカチュウが軽く放電した。聞いたことないような音を立ててモニターがばつんと暗転した。
 何が起こったか理解できなかった。「え」
 本体から煙が上がっている。本体の光っているべきランプはすべて暗い。モニターも暗い。ケーブル接続箇所はなぜかすべて外れている。
 体が一気に静まる。
 パソコン、こわれちゃったー。

「ありえねー……」

 ヤマダで童貞捨てて、女性声優とかアイドルとチンコ擦り剥けるまでヤる俺の計画が、パーに。
 さようなら。女の子たちの体液にまみれるはずだった日々。
 さようなら。腰痛めるまで腰をふるはずだった日々。
 さようなら。右にヤマダ左にヤマダを抱いて眠るはずだった日々。
 さようなら。セブンのかわいいメガネ女子高生店員の処女をもらうはずだった日々。
 さようなら。オリジン弁当の巨乳さんの乳首をくりくりするはずだった日々。
 さようなら。俺の、愛欲の日々。

 パソコンはあいかわらずしゅうしゅう言っている。これはもう、ゴミだ。
 腹の立つことに、ゴミになったパソコンの上で、ピカチュウは昼寝を始めていた。
 この幸せそうな笑顔で毎晩となりで眠られたら、人類の半分はこいつがどんなことしても許すと思う。
 でも、俺は許さないほうの半分だった。ヤマダとの幸せな日々を返せこのボンクラピカチュウ。おっぱいを返せ。
 恐らく自力だけでは手に入れられないものを手に入れかけて、それを目の前ですべて失った男の気持ちがわかるか。
 俺の幸せと俺の夢と俺の人生の煌めきを返せ。
 返してください。

 俺はピカチュウなんかもう見たくもなかった。どこへでも行ってくれ。でもどこへ。
 近くのファミレスに行くときに、いつも前を申し訳なく思いながら通る“あの会社”に渡すしかない。
 アマゾンの空き箱に寝こけているピカチュウをつめる。その上からさっき俺が体を拭いたタオルをつっこんで、ガムテで開かないようにする。
 空気穴を適当にぶすぶす開ける。刺さっても知らん。心配するほど愛は無い。
 財布持って携帯持って適当に服着て、サンダル履いて外に出て、チャリの前の籠に段ボールを縦にして入れる。
 よし、出発。

 初秋の冷たさと寒さを足した空気の中を俺はチャリで急ぐ。紅葉ってまだ先の話か。今年があと三か月で終わることにもびっくりしている。
 今年の夏もどこにも行かないまま終わった。予定がなかったから。
 秋ぐらいはどこかに行ってもいいと思う。あ、紅葉観に行きたいな。春井は暇そうだから呼べば来るだろう。
 ファミマの前を通り過ぎた。夜のコンビニはいつみても落ち着く。さらに自転車を漕ぐ。デニーズを通り過ぎた。

 “あの会社”の本社は京都にある。でも神田にも自社ビルがあることは知られていない。うちからチャリで25分。
 ビル全体が真っ暗だ。ゲーム会社の本社って、もっとゴテゴテキャラクタが飾ってあるイメージだったけど
 すごく地味な、黒い色のただのビル。ここにはマリオもピカチュウも飾っていない。そしてありがたいことに、警備員もいない。
 自転車から降りて、段ボールを両手で持つ。ちょっと重い。何歩か歩いて敷地内へ入る。警報は鳴りださない。
 ガラスの自動扉のわきに段ボールを置いて、振り返らずに俺は自転車に飛び乗った。
 不思議なことに、ピカチュウに対する感情は何も、出て来なかった。ごめんね、とすらも思わなかった。

 来た時よりもゆっくり自転車を漕ぐ。冷気にも体が慣れたのか、もうあんまり寒くない。コンビニで酒でも買って帰ろう。
 1人で飲みたい。疲れた。自転車っていいな、心が癒される。
 ファミマに入る。黒霧島がまだあったはず。ツマミとファミチキ買おう、そうしよう。籠を手に取る。惣菜の棚まで移動する。マカロニサラダがいい。
 ムーッムーッムーッムーッ。あ、電話が来た。発信者の名前をみる元気もなく、通話ボタンを押す。

「ヤマダです」
「あ、おつかれさまです、ツツイです」一緒に飲みたい。
「原稿、どうですか。締切今日の24時なんだけど」

 しまったァ。血の気が一度引いた後、倍になって返ってくる。頭と顔が一気に火照る。ヤバいまずい。しかもパソコン壊れてる。

「あ、はい、今から書きます」無意識に言う。言えることこれしかないじゃないか。
 マカロニサラダを冷ケースに戻す。無印良品のノートとボールペンをレジに出す。
 俺のあまりの「ヤッチマッタ!!」の権幕にレジの人が半笑いだ。気にならないけど。どっか物が書けるところ、どっか物が書けるところ。
 あ、そうだ、デニーズ!
 事故だけは起こさないようにチャリで疾走しながら、頭の中ではずっと「うおおおおおおお」だとか「綾波ィィィィィィ」だとか叫んでた。
「間に合え、いま間に合わないと俺はマジで死ぬっ」とか叫んでた。
 通行人が今びくっとしながらこちらを見た。どうやら俺は叫んでいるらしい。どうでもいい、間に合いさえすれば。
 くそう、信号邪魔だ、どけ!もしくは色変えろ!! よっしゃ青だ行くぜー!ヒャッハァァァァァッ 
 車道を風になって走ってる俺、ちょっとかっこいい。今、俺は、風だ! 風なんだ!! 今の俺はかなり! イケてる!!

 ガラガラの駐輪所にチャリを入れて、デニーズの階段を駆け上がる。「おひとり様ですか」「1人です。タバコ吸いません」で、窓側の二人掛けの席に座る。
 席に座る。「おかわり自由ドリップ珈琲ひとつください」「かしこまりました」
 さて、何を書こう。正直ピカチュウの心温まるストーリーなんか書きたくない。想い出したくもない。
 データは死んだ、アイディアもない。さてどうするかと考えようとしたところで、アイディアが降ってきた。これなら短い。いける。書ける。
 ヤマダにメールを打つ“デニーズ23時30分来て”。現在時刻は21時30分。よし、書くぞ。書かないでやっていられるか。



「あ、おかわり自由ドリップコーヒーとバナナブラウニーパフェください」ヤマダが俺の前に座りながら言う。
 書きあがったところから無印のリングノートをやぶって積み重ねたのを無言で差し出す。「よかった、校正するものがあるなら大丈夫です」と答える。
 無言になる俺とヤマダ。いつもなら怖いこの瞬間もぶっちゃけ、何も思わない。だって俺いま書いてる途中だもん。
 ヤマダが笑い始める。当然か。
 笑いながら原稿読んでる。いつものことだが、読むの早いな。俺はボールペンをひたすら走らせる。

「いやー、この男、マジでアホでしょう」声が笑っている。こんな大セクハラ小説、よく笑いながら読んでいられるな。
 俺はヤマダが冗談で流したBLドラマCDもダメだったのに。

「だって、ヤマダさんのことが好きなら、まだチャンスあるでしょう」声が笑いを含んでいる。
 やってきたドリップコーヒーを一口すすって、それでもまだ笑っている。飲み食いしながら笑えるなんて器用な女だ。
 俺はひたすらボールペンを走らせる。

「どんな恋愛だってそうだけど、最初の一歩はものすごく勇気いるよー。
 ちゃんと告白して、カップルになって、ずっと一緒に居られる男の人と女の人になるには、必要な一歩だけどね」
 それが言えれば俺、21年間も童貞引きずってねえよ。くそう、言うぞ、嫌がらせに言うぞ。
 産まれて初めて彼氏ができて、右手の薬指に指輪してるのを、すっげえ幸せそうな笑顔で見せてきた女に、「それと同じの“贈”ろうか」って言うぞ。





「あ、おかわり自由ドリップコーヒーとバナナブラウニーパフェください」ヤマダが俺の前に座りながら言う。
 書きあがったところから無印のリングノートをやぶって積み重ねたのを無言で差し出す。「よかった、校正するものがあるなら大丈夫です」と答える。
 無言になる俺とヤマダ。いつもなら怖いこの瞬間もぶっちゃけ、何も思わない。だって俺いま書いてる途中だもん。
 ヤマダが笑い始める。当然か。
 笑いながら原稿読んでる。いつものことだが、読むの早いな。俺はボールペンをひたすら走らせる。

「で、いまファミレスのシーン書いてるわけですね」そうだよ。
「わかりました、じゃあ校正始めるんで赤入れますね。」

 で、句読点が少ない。主人公の独白がわかりづらい。地の文だらだら入れたくないのでそうなりました。あとで直します。
 ピカチュウの出現シーンをもっとわかりやすく。あ、そこはあとでもうちょっとなんとかします。
 ヤマダに対する欲望がちょっとむき出しすぎますね。そこもうちょっとマイルドにします。
 こう、女性器とかは名称自体が出てくることがまずいですね。あ、はい、そこ全消しでいきます。なくても大丈夫。
 こういうやりとりが一段落ついたところで、ヤマダが笑い始めた。やっぱり気になるか、そこ。

「ところで、なんで僕、作中だと女の子なんですか あと、僕が頼むものの予想がついてるんですか」
「空想の中とは言え女の子いないと俺のテンションが上がらないから。お前が偏食家だから」
「わかりました」不服そうな顔でヤマダがうなづく。偏食は事実だろうが!
 誰だって友達の小説に無断で出演させられたうえ、性転換させられて、あやうくレイプされそうになっているとか気分は良くないだろう。
 まあそこは、友情出演ということで、ひとつ。すまんな、あとでなんか食わしたる。
「せめて小説の中の話なんですから、ツツイさんも幸せになりましょうよ」
「俺と同じ名前のキャラクターがリア充になるなんて断じて許さん」
ヤマダが爆笑し始める。そうだろうよ、26歳の“おとなのおねえさん”と付き合って2年、真剣に結婚とか考えてる男にはわかんねえだろうさ。

「書き終わったら一度これ、持って帰って、あとで僕の方にメールで“送”っておいてくださいね。」

 はいよ。ヤマダのためにやっとやってきたパフェを、奴は旨そうにほおばる。ああ、彼女、欲しいなあ。




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