サ一タヒ廾ソ天之 町は焼け野原となっておりました。 倒壊した建物。草木の一本すら生えない焼け焦げた大地。 何かが焦げるような異臭。あちらこちらで立ち上る煙。その下で何を焼いているのかは、想像に難くありません。 しんと静まり返った焼け跡の町を、幼い兄が妹を背負って歩いていました。 兄も妹も、幸い大きな外傷はありませんでした。しかし、家は灰になりました。食べるものも着るものも、お金も何もありません。 父は遠くの国へ行ったきり帰ってきません。母は焼かれて死にました。近くには身を寄せる親戚も、ふたりを養えるだけの余裕が残っている知り合いもいません。 焼け野原になった町の中で、幼い兄妹が二人だけで生きていく術はありませんでした。 更に悪いことに、元々体の弱かった妹が、体調を崩してしまったのです。しかし、薬はありません。医者もいません。 長く続く戦争は、幼い兄妹から何もかもを奪っていきました。 遠く丹波の町に、唯一の肉親である叔母が住んでいました。その町には、どんな病気でもたちどころに治す、秘伝の薬があるという話を聞いたこともあります。 兄は妹を連れて、丹波へ向かうことを決めました。 大の大人でも、七日七晩歩く道のりです。幼い子供の足で、一体どれだけかかることでしょう。考えただけで気の遠くなるようでした。 それでも、そこへ向かうしかありませんでした。例え焼け跡の町に留まったところで、生き残れる可能性はないに等しかったのです。 兄は焼け跡の中を方々駆け回り、何とか麦のおにぎりをふたつ手に入れました。どこかの家の焼け跡に落ちていた、風呂敷の切れ端でそれを直に包みました。 荷物はたったそれだけです。 兄は妹を背負い、焼け野原となった町をあとにしました。 町を抜け、誰もいない田舎のあぜ道を歩きました。まだ穂のついていない青い稲が揺れています。 日がじりじりと照りつけています。 妹は何やら落ち着かない様子で、ちらちらと何度も後ろを振り返っていました。 「どうした」 「兄ちゃん、後ろに誰かいる気がするの」 兄は後ろに目を向けました。蜃気楼がたっているように見えましたが、何も見えません。 「何もいないじゃないか」 「ほらそこ、そこにいるよ」 妹は何もいない場所を指差します。 きっと気のせいだよ、と兄はまた歩きはじめました。妹は納得行かない様子で、何もいない場所を見続けていました。 夕日が山の端に沈んでいきます。血のように赤い色をしていました。 大きな松の木の下で、兄と妹は夜を明かすことにしました。明かりもない夜の道を歩くのはあまりにも危険だと思ったからです。 何も食べず歩いていたので、兄も妹もおなかがぺこぺこでした。 兄は風呂敷を広げ、麦のおにぎりをひとつ取り出しました。兄はそれをふたつに割り、大きな方を妹に渡しました。 妹は、受け取ったおにぎりをふたつに割りました。 太陽がその姿を完全に山の向こうへ隠し、辺りはあっという間に光を失っていきます。 しかしその中で、たったひとつ、変わらず赤い光を放つ点がありました。 それは、黒い布を纏った、人間のしゃれこうべのように見えました。 眼窩の奥で赤い炎がひとつ、ゆらゆらと揺らめいています。 妹は、割ったおにぎりの片方をそれに差し出しました。 兄は駄目だよ、と妹を引き寄せました。 「あれは死神だ。母さんに昔聞いたことがある。あんまり関わっちゃいけないよ」 「でも、かわいそうなんだもん。あの子、ずっとさみしそうなの」 黒衣を纏った死神は、音もなく静かに妹のそばへ寄り、おにぎりを受け取りました。 妹は、死神ががつがつとおにぎりを食べるのを嬉しそうに見ています。 兄はそっと、自分の持っていた半分のおにぎりと妹のおにぎりを取り換え、小さくなったおにぎりを口へ運びました。 夜の風は冷たく、時が経つにつれどんどん冷え込んでいきます。 兄は妹を寒さから守るように抱きしめました。しかし、夜風は容赦なく幼い二人から身体の熱を奪っていきます。 死神が兄のそばへやってきました。 どこから持ってきたのか、死神は布をぱさりと兄の身体にかぶせました。柔らかな墨染の布でした。 たった一枚の布でしたが、それでも冷たい風から兄と妹を守ってくれました。 朝になり、ふたりははまた歩きはじめました。空腹でも、疲れていても、頑張らなければなりませんでした。目的地は遠いのです。 誰もいない青草の茂った野原の道を、兄は妹を背負って黙々と歩きました。 妹は死神の渡した柔らかな布がいたく気に入った様子で、それにくるまって背負われていました。 死神はふたりの後をついてきました。襲いかかるわけでも、邪魔をするわけでもなく、ただ静かに、兄と妹の後ろを追いかけてきました。 一日歩き通し、その夜過ごす場所を決め、古い小さな祠のそばに身を寄せた時です。兄は異変に気が付きました。 死神の数が増えているのです。妹の周りには、赤い炎がみっつ揺らめいていました。 妹は嬉しそうに、兄から受け取ったおにぎりをわけて、みんな死神に渡してしまいました。兄は自分のおにぎりを妹に渡しました。 目的地はまだまだ気の遠くなる道のりです。それでも兄は、妹を背負ってただ黙々と歩きました。 死神の数はまた増えました。兄妹と一定の距離を保って、ぞろぞろとついてきます。 日が暮れてきました。食べるものはもうありません。 沈む夕日の方を見ると、小さなお寺が見えました。兄はそこへ向かいました。 兄が声を上げると、お坊さんが厨から出てきました。 「すみません、何か食べる物をわけてもらえませんか」 お坊さんは少し渋い顔をしました。長く続く戦争で、お寺にも食べるものがほとんどないのです。 妹が、兄の背から降りて言いました。 「すみません、これで、これで何かもらえませんか」 妹はそう言って、墨染の布をお坊さんに差し出しました。 お坊さんはそれを手にとってじっくりと眺め、兄妹に尋ねました。 「あなた方は、これからお葬式に向かわれるのですか」 「いいえ、違います」 「これは喪服に使う、いちばん上等な布ですよ。とても強い霊力が込められている、特別なものです」 ちょっと待っていなさい、とお坊さんは厨の奥へ引っ込んでいきました。 戻ってきたその手には、真っ白な米で作られた大きなおにぎりが握られていました。 「持って行きなさい。この布も、大事に持っていなさい」 兄は何度もお礼を言って、風呂敷の切れ端に、もらった3つのおにぎりを包みました。 妹を背負うと、兄はまた歩きはじめました。 おにぎりのひとつは、妹が全部死神に渡してしまいました。 兄は半分にしたおにぎりを妹に渡し、のこったひとつと半分を風呂敷に包み直しました。 次の日は雨が降りました。それでも、兄は止まらずに歩き続けました。 ふわりふわりと、大きな蕗の葉が兄妹の頭上に浮かんでいました。死神が茎を持っていました。 死神はまた増えていました。赤い炎が何十あるのか、数えるのも面倒になっていました。 夜になっても、まだ雨は降り続いていました。 半壊した神社の、残された屋根の下でひと息ついていると、兄妹の周りを青白い炎が漂い始めました。 ほんのりと暖かい炎が、雨で冷えた体を癒しました。 妹はまた、もらったおにぎりをみんな死神にやってしまいました。 兄は残ったおにぎりを、みんな妹にあげました。 止まない雨音を子守唄に、妹が眠りに落ちた頃、死神が兄のそばへやってきました。 兄は膝の上で眠る妹を抱きしめて、死神に尋ねました。 「お前たちは、妹を連れていくために来たのか」 死神たちがざわざわとざわめきました。 その中からひとり、兄の前にやってきて、白い塊を差し出しました。妹が渡したおにぎりの残りでした。 すると、他の死神たちも、同じように兄に白い塊を渡しました。兄の手には、おにぎり半分くらいの白いご飯が握られていました。 死神たちは、期待するようなまなざしで兄を見つめました。 兄は死神にもらったおにぎりを口に運びました。半分食べたところで、残りを風呂敷に包みました。 死神は少し恨めしそうな視線を兄に向けましたが、兄はそれ以上手をつけることはありませんでした。 次の日は、すっきりとした晴れでした。しかし、兄の表情は曇っていました。 妹の体調がよくないのです。兄の背中に、ぐったりと力なくもたれています。 兄は目的地である丹波の町を思いました。道のりはまだまだ遠く思われました。 太陽が真上から西に傾きはじめた頃、兄は足を止めました。 妹の体調がいよいよ悪くなったのです。 元の病気がひどくなったのか、それとも別の病気になったのか、それは分かりません。 青草の茂る野原に、兄は妹を寝かせました。 妹は熱が出ていました。しかし、兄にはどうすることも出来ません。 兄は妹におにぎりを差し出しました。しかし妹は首を横に振って、受け取ろうとはしませんでした。 日が暮れ、夜になっても、兄は眠らず妹のそばにいました。 死神たちは、兄妹を遠巻きに眺めていました。 翌朝、東の空が赤く染まり始めた頃。 妹は、静かに息を引き取りました。 兄は妹の頭をそっと撫でました。 血の気のない顔はぞわりと冷たく感じました。 ふわりふわりと、死神が兄妹のそばへ寄ってきました。 兄は妹をぎゅっと抱きしめました。目から涙がこぼれおちました。 白い花が、兄の視界に入ってきました。 ひとりの死神が、どこかから摘んできた野の花を、妹のそばにそっと置きました。 次から次へと、死神たちは花を摘んできては、妹の周りへ置いていきました。 兄は目をこすりました。 黒衣を纏った死神の姿が、違うものに見えたのです。 自分や妹と同じような、人間の子供たちでした。 寂しそうな顔で、妹へ花をおくっていました。 どんどんと、寺の門戸を騒がしく叩く音が聞こえました。 お坊さんが外に出ると、赤い人魂がいくつか、ゆらゆらと揺らめいていました。 人魂たちはお坊さんを招くように漂っています。一体何事かと、お坊さんは人魂たちを追いました。人魂たちはお坊さんを急かすようにおいたてました。 西の空が茜色に染まる頃、お坊さんは目的の場所に着きました。 青草の茂る野原に、幼い兄と妹の亡骸が並んでいました。 しっかりと手を握り合ったふたりには、墨色の布がかけられていました。 そしてそれを覆い隠すくらいたくさんの、様々な色の夏の花が置いてありました。 お坊さんがお経をあげはじめると、亡骸を青白い炎が包みました。 たくさんの赤い人魂が、ふたりを取り囲んで揺らめいています。 暗くなっていく空に、煙がのぼっていきました。 長く続いた戦争が終わったのは、それから数日後のことでした。 じりじりと暑い、夏の日でした。 (4382文字) 〔作品一覧もどる〕
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