押入れを掃除した。 小さい頃、大事にしていたぬいぐるみがあった。埃で汚れて、白かったはずのぬいぐるみが黒くなっていた。 久しぶりにあのときと同じように抱きしめてみた。 ジュペッタになってた。 ぺたぺた。ジュペッタが畳の上を歩く。あの頃、大事にしていたぬいぐるみがまさかジュペッタになるなんて予想もしてなかったけど、けど。 「これ、うん……」 長い間しまわれていた体は埃塗れ。ジュペッタの歩いた後に埃の道ができる。よろしくない。ジュペッタにとっちゃ、埃なんかどうでもいいものなのかもしれないが、一応は部屋の主である俺にとっちゃ、非常によろしくない。部屋が埃塗れになってしまう。それも、結構年代物、まさにヴィンテージ埃。一つ一つの塊として存在するような埃である。やっぱり、よろしくない。 「ちょい、こっち来てみ」 ジュペッタを手招きすると、何の警戒もせずとことこと歩いて俺の前に来た。小さい頃、大事にしていたとき、いつもこのぬいぐるみと一緒だった。その時の記憶ってまだ、あるのかな。 ジュペッタの体を抱えて、埃をはらってみる。大きな埃はいくつもいくつも落ちたが、いかんせん、まだ手にざらざらとした感覚が残る。布自体にこびりついた小さな埃だろう。これは、はらっただけじゃとれないだろうな……。 かと言って、この埃のついたまま放置すれば、部屋は汚れる。きっと、裸足で歩いた時に足の裏がざらつくようなことになるだろう。避けたい。しかし、ジュペッタだと気づいてしまった今、元通りに押入れに戻ってくれというのも出来ないだろうし。やることは一つしかない。 洗濯しよう。 風呂場。ジュペッタは俺を不思議そうに見上げていた。 ……いや、ちょっと待てよ。大きなぬいぐるみって洗うとかびるって聞いたことがある。ジュペッタが本当にあのぬいぐるみのままなら、濡らしたらかびる。絶対、かびる。でも、かびたジュペッタなんて話聞いたことはないし、それだったらジュペッタは水タイプのポケモンとは戦えないよなぁ。とか、言ったら炎タイプのポケモンと戦ったら、全焼してるよな。大丈夫か。ポケモンだし。 シャワーの蛇口をひねった。 「よーし、かけぶっ」 何が起こったのかわからなかった。気づいたら、足を滑らして腰と後頭部を打ってびしょぬれになってた。 深呼吸をして、十秒。 ……あぁ、なるほど。びっくりしたジュペッタにシャドーパンチをみぞおちに叩き込まれたってわけね、俺は。 「大丈夫だよ。じっとしてろ」 ジュペッタの指先に軽く水をかける。ジュペッタはそれが何かを理解したらしく、指先に纏った影を消した。小さな体をしているが、意外と、いや、かなり力は強い。昔、喧嘩のときにくらった一発とタメを張る威力だった。痛ぇ。 ジュペッタの体に水をかけつつ、手で汚れを落としていく。排水溝に流れていく水は結構な黒色をしていた。どれくらい、押入れから出てなかったか。一体、いつから、ジュペッタになったんだか。 まぁ、悪い気はしない。 綿が水を吸ってしぼんだりしないかと思ったが、洗い終わった今、体型に対して変化はなさそうだ。体の色は黒から、灰色に変わった。やっぱり、相当汚れてたんだろう。 プラスチックの洗濯籠にジュペッタを入れて、ベランダへ向かう。水を吸った体は重い。かなり、重い。米の袋を運んでいるみたいだ。 二本の物干し竿に板を渡してその上に置いて干す。要するに、枕の乾かし方と同じである。 ゴーストタイプだから、陽の光に当たっちゃまずいだろうかとも思ったが、ジュペッタにとっちゃそんなのは埃と同じく気にするものでもないらしい。陽に当たりながら気持ちよさそうに眠り始めてしまった。人にシャドーパンチくらわしといて、まぁ、何と言うか……気ままだな。 「これから、どうするかなぁ」 天気のいい昼。よく晴れた昼。強すぎず弱すぎず、吹いていると感じる程度の風。ベランダの手すりに体重を預け、ひと息ついた。今日は絶好の洗濯日和だ。 「ん?」 向かい側の建物の一部屋。よく見ると、黒い布のようなものがずらりとぶら下がっている。風は吹いているが、それほど揺れてはいない。きっと、洗ったばっかりなんだろう。なんの布だろう、あれは。 布がくるりとひっくり返った。そして――ぱちくりと布は瞬きをした。 「なるほど、ね……」 ひっくり返った布を元の状態に戻そうと出てきた人。俺はみぞおちにシャドーパンチをくらった。あの人はきっと、一日中ああいう風にひっくり返った布を見ては、元の状態に戻すんだろう。お互い、おつかれさんだ。 「全く、困った奴らだなぁ……」 気持ちよさそうに寝ているぬいぐるみ。そよそよと微かに揺れる黒い布。今日は、絶好の洗濯日和。二つを見比べて、俺は苦笑してしまった。 *** ベランダに干していたジュペッタのとなりに黒い布が一枚、二枚、三枚……。 俺がベランダに出るとカゲボウズが瞬きもせず、俺を見つめている。 ……。 「だめ。返してきなさい」 ジュペッタが恨めしげに俺を見た。 |