ギャロップは難関だった。
 炎ポケモンは本能的に水を嫌がる。つまり、すすぎができないということだ。
 しかしブラッシングだけならわざわざトリミングに来なくても出来る。ちょっと専門書を読めば余裕だ。

 しかし職場の先輩に聞くわけにはいかない。
 これは通過儀礼なのだ。どんなポケモンでも見事に洗い上げる。機嫌を損ねることもなく、ポケモンにも飼い主にも笑顔でお帰りいただく。それがポケモントリマーの使命なのだと。
 ここで甘んじてしまえば、俺は一生下っ端トリマーのままだ……。

 ギャロップを預けられた日、俺は昼休みに飯の時間を削って本屋へ飛び込み、炎ポケモンの洗いについて調べた。
 時間が無かったのでじっくりとは読めなかったが、どうやらブラッシング以外のシャンプーなどを使う洗いは炎ポケモンにとっては危険らしく、専門のトリマーに任せるのを薦める、としか書かれていなかった。
 場合によっては瀕死になってしまうこともあるとか。

 責任重大。

 むむ、と唸りながら戻ると、センターの洗い場の窓にいつものカゲボウズ達がぶら下がっていた。マスコットでもしているつもりか。
 あ、ぷち子が落ち……なかった。最近あのぷちボウズも慣れてきたのか何なのか、落ちかけても途中でふわふわ戻ってこれるようになってきた。かなり頑張って浮遊しているようではあるが。しかし大きさだけはまるで成長しない。カゲボウズにも成長期があるんだろうか?

 前はあいつを落とさないために、他のカゲボウズ総がかりだったのになァ……と感慨深く思っていると。
 落とさない?
 落とさない。

 思いついた。
 落とさなければいいのか。

 すすげないならばすすがなければいい。

 シャンプーを固めに泡立てて、マッサージの要領でギャロップを洗ってやる。
 そして丁寧に、タオルで拭いてやるのだ。
 使う水分は最小限。しかし石鹸カスは残さない。ここの配分は、ほら、あの普段右から三番目あたりが定位置のカゲボウズ。なぜか水嫌いのあいつの時の配分の、ギャロップはだいたい何倍ぐらいかな、なんてやっていく。
 しかし布と獣皮では結構な差があるので、最後は少し立腹したギャロップに蹴られかけたが。

 なんとか持ち主にかの火の馬を返すと、持ち主は嬉しそうに「ありがとうございます、見違えるようにキレイになりました」といってくれた。

「お前新人だっけ? ギャロップが骨折なしで洗えりゃ相当なモンだ。経験者?」
 そして受付のそばにいた一人の先輩にそう言われた。

 何だろう、この感覚……。やりがいってやつだろうか?

 自然と笑顔がこみ上げてくる気分なのに、カゲボウズ達はまだ窓のところでふよふよしている。
「お前らサンキューな。こいよ、特別にタダで洗ってやる」
 先輩には内緒だぞ。

 指でごしごしと頬をこすってやると、カゲボウズはきゅっと目を閉じてくすぐったがる。
 頭頂のツノ部分はよく汚れるので念入りに。なぜかここを触ると、カゲボウズはぴくぴくぴくと反応する。

「お前何洗ってんだ?」
 とかやっていたら早速先輩に見つかった。やべえ。こっそり洗剤とタライ持ち出してたのがバレる。
「いえ、あの、そのですねー、」
 頼む。言い訳を考える時間をあと十五秒。

「ああ、例の定食屋から頼まれてるヤツね」
 しかしそんな間もなく先輩はそう言った。

「え?」
「あ、知らない? ほらマップの、ここ、ここ。ここにある定食屋。カゲボウズ1ダースといえばここからぐらいしか来ないだろ。あ、ついでにこいつら、終わったら届けに行ってこいよ。そのままそこで飯食って帰っていいから。」

 洗剤は無臭の使えよー、と言い残して、先輩は呆然としている俺を置いて仕事に戻っていった。

 定食屋で、カゲボウズ。
 カゲボウズ定食?
 いやいや。それはいかん。人としていかん。そもそも多分こいつら食っても美味しくないぞ。

 尽きない疑問を抱えつつ、俺はカゲボウズをかごに入れて、"例の定食屋"へ向かった。



「待ってましたよ。さっきの全部盛りのお客さんでちょうどカゲボウズが切れちゃいましてね」

 店主とおぼしきおじさんが、裏口を叩いた俺を迎えてくれた。

 全部盛り?

「カゲボウズを盛るんですか?」

 ついつい聞いた俺に、おじさんはにいっ、と笑って答えた。

「食べて行きますかい? 冷やし中華」



「冷やし中華大盛り、カゲボウズ憑きー!」

 威勢のいい声とともに俺の目の前に出されたのは、キレイに盛り付けられた上手そうな冷やし中華、の上に盛り付けられたカゲボウズ。

「ええええー……」

 食うのか? 食わないよな?
 あそこにもたべられませんって書いてあるしな?

 しかしそのカゲボウズはどうやら、俺がなかなか満ち足りた気分だったせいもあってかなかなか空腹だったようで、麺の中にもぐりこむとツノまで麺を巻きつけて、全身を使って俺の冷やし中華を食べ始めた。

 そして俺の箸とカゲボウズとで、冷やし中華をかけた綱引きが始まる。

 俺は箸でカゲボウズを捕まえて「食うぞ、コラ」と脅しながら、そういえばさっきのカゴに入れたままだったぷち子、あいつがここに盛り付けられたら、キノコか何かと間違って食われたりしないだろうか、と真面目に心配になった。



 おわりりーら





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