アパートを改装するそうだ。
 学生ばかりのアパートだから、大半の学生が実家に帰る夏休み期間を狙ったんだろう。
 でも僕は夏休み早々に用事で実家に帰った。僕は大学から実家が遠いから、一度帰るともう一度というのはかなり面倒臭い。お金もかかるし。

 ということを不動産屋に言うと、改装が終わるまでの一月の間、別の物件を借りられることになった。
 もらった資料をパラパラとめくる。大学から多少遠くても、狭くても、古くても、安いところがいいだろう。どうせ夏休みだし。
 と考える僕の目に留まったのは、とあるアパートの空室情報。
 昔ながらの四畳半。見るからに年期の入った外観。それを差っ引いても異常なほど安い家賃は、その部屋で何か良からぬことでも起こったのであろうことが予想できる。
 でも、まあ、いいか。安いし。


 外装と屋根の修理だけなので、大きな家具は置きっぱなしでいいらしい。それよりそれだけで一月もかかるのが不思議だ。
 服と食器と布団とパソコンだけを持って、僕は夏の間の仮住まいへ向かった。
 『幸薄荘』という、どことなく陰気なムード漂う名前。
 ここの206号室にしばらく住むことになる。

 大家さんへ挨拶に行ったら、大きな荷物ですね、と目を丸くしていた。まあ、持ってる中で一番大きなバックパックに荷物を詰めて、その上に丸めた布団をくくりつけて、さらにその上にヤミラミが乗ってるんだから大荷物だろう。
 でもこれだけなのだから、全体的には少ない。専攻柄このくらいの荷物なら背負い慣れてるし。むしろ電車や車が使えるだけ、いつもの荷物を背負って山の中を歩き回る研究よりましだ。

 2階の一番右端の部屋。
 扉を開けると、かびとほこりの臭いが襲ってきた。どれだけ人が住んでいなかったのだろうか。ヤミラミが大きなくしゃみをした。
 こりゃ何より先に換気だな、と思って、閉じっぱなしになっていたカーテンを開けた。

 軒下にずらりと並ぶ、黒いてるてる坊主。
 3色の瞳とバッチリ目があって、僕はカーテンを閉めた。

 何だあれ。前の住人が忘れていったのか? にしても、あんなにたくさんのてるてる坊主を作るなんて、そんなに晴れてほしかったのか前の住人は? フィールドワーク主体の僕としては気持ちはわからないでもないけど、いくらなんでも多すぎるだろう。しかも大きい。
 ヤミラミが興奮したようにギャーギャーと騒ぎ立てる。ああやめて肩によじのぼらないで。Tシャツが灰色になる。
 こいつがこれだけ騒ぐってことは、あのてるてる坊主、もしかしてポケモンなんだろうか。僕はポケット図鑑を取り出した。
 お目当てのポケモンはすぐ見つかった。
 カゲボウズ。
 負の感情を食べる、とか、魂の宿った人形、とか。何かよくわかんないけど、こいつもヤミラミと同じゴーストポケモンらしい。
 何で僕の部屋の窓にぶら下がってるんだろう。新入りの偵察とかそんなものだろうか。

 まあとりあえず、今は換気だ。僕はカーテンを開けた。カゲボウズたちは相変わらず軒下に並んでこっちを見ている。
 窓を開けると、真昼の蒸し暑い外気が部屋に入ってきた。それと一緒に、カゲボウズたちまでほこりだらけの部屋に入ってきた。7匹くらいいるだろうか。
 ヤミラミが興奮していきり立っている。一時期とはいえ自分の城となる場所に、よそのポケモンが入って来るのが気に食わないのだろうか。いや、部屋の主は一応僕だけど。
 僕は気にせず掃除をすることにした。こいつのことだから、しばらくしたらおとなしくなるだろう。案の定、数分もしたらヤミラミはカゲボウズたちとじゃれあってケタケタ笑っていた。
 天井のクモの巣を掃い、上から順にほこりを落としていく。前の住人が残していったのであろう電気カバー、小さな本棚、ちゃぶ台。家具は少ないのですぐに終わる。
 あとは畳をほうきがけするだけ、と思って床を見ると、そこには白い塊がいくつも転がっていた。
 よく見ると、それは全身ほこりまみれになったカゲボウズたちとヤミラミだった。ほこりのつもったの畳の上で転がっているうちに、元々黒かった体が脱色したようにすっかり白くなってしまったらしい。
 僕は水場に放置してあった、大きな金だらいを持ってきた。これも前の住人が置いていったものだろう。昔ながらの助け合い精神というものだろうか。それとも持っていくのが面倒だったのか。
 白っぽい粉をふくほどほこりまみれになっているカゲボウズたちとヤミラミを拾いあげ、金だらいに入れた。そして畳のほこりをすっかり掃いた。
 外へ飛び出していこうとするカゲボウズとヤミラミを押さえ付けて、金だらいを抱え上げた。重い。でも持てないレベルじゃない。
 ホースとタオルも持って、僕はアパートの外に出た。


 金だらいを運びだした。さすがに重かった。
 アパート外の水道の蛇口にホースを取り付け、金だらいに水を入れる。
 途端に、ヤミラミが短い叫び声をあげて飛び出した。そういえばこいつは水が苦手だったな。シャンプーさせる時はいつも、僕とこいつの攻防で風呂場が戦場になる。
 一方、カゲボウズたちは目を閉じて、気持ち良さそうに水を浴びている。金だらいの中の水はあっという間に汚くなる。
 さて、こいつらをどうしようか。さすがに水だけじゃ汚れがきれいに落ちない。金だらいの中のカゲボウズは、ひらひらがまだ少しまだら模様だ。
 せっけんかボディーソープを使うべきか。でもさっきの図鑑に書いてあったな。『カゲボウズは人形に魂が宿ったもの』って。そういえばこのひらひらはまんま布だ。ということは、洗濯用の洗剤か。でも一応生き物だしなあ。
 まぁ、一応持ってきてた手洗い用のせっけんでいいか。僕の使ってる洗濯用洗剤、漂白剤入りだし。カゲボウズが脱色されてしまったら困るもんな。

 タオルに石けんをこすりつけて、カゲボウズたちの汚れているひらひらを軽くたたく。くすぐったいのか、笑いながら僕の手にすり寄ってくるカゲボウズたち。すべすべなようなぷにぷになような、冷たいような温かいような不思議な感触。
 しばらくカゲボウズたちと楽しく戯れていると、突然腰を衝撃と鈍痛が襲った。
 ほこりまみれのヤミラミが、ギャーギャー騒ぎながら僕の頭にしがみついてきた。さてはこいつとび蹴りしてきたな。僕がカゲボウズたちを楽しく洗濯しているのが羨ましかったのか何なのか。
 僕は右手で蹴られた腰をさすりながら、左手でヤミラミの首の後ろをつかんで金だらいの中に放り込んだ。これもほこりを落とすためだ。我慢してくれ。
 水の中にダイブしたヤミラミは、奇声をあげて金だらいから飛び出し、逃げ出した。
 カゲボウズの洗濯で何だか気分がハイになっていた僕は、ホースの先をつぶして水流の勢いをあげ、浴びせかけながらヤミラミを追いかけた。カゲボウズたちは水を滴らせながらふよふよと僕を追いかけ、けらけらと笑っていた。

 残暑厳しい昼下がり、ホースを持ってカゲボウズと共にヤミラミを追いかける大学生。
 傍から見たらきっと怪しい光景だっただろうなと思ったのは、僕もヤミラミもカゲボウズたちも、頭のてっぺんから足の先までずぶぬれになってからだった。


 びしょぬれになったTシャツとカゲボウズたちを干す。カゲボウズたちは自力でロープにぶら下がれるらしい。便利なものだ。まあ確かに、初めて顔を合わせた時も自力で軒下にぶら下がってたし。洗濯バサミで止めようとしたら全力で拒否された。まあ確かに僕も、洗濯バサミで頭から吊るされるのは痛いから嫌だ。
 ヤミラミはさすがに干せないからとりあえずタオルで全身を拭いてやったら、日のあたる場所にタオル敷いて昼寝してた。もう夕方近いから昼寝って言うのもおかしいか。

 引っ越し、掃除、洗濯。更にヤミラミとの追いかけっこ。
 僕も何だか眠くなってきた。
 今日は早く夕飯食べて、さっさと寝よう。
 食材買ってないし、どこかに食べに行くか。冷やし中華とかいいなあ。

 というわけで、夏休みが終わるまではこのアパートにお世話になります。
 とりあえず、今日は初日だし、いい夢見られるといいな。



おわれ。





***

「昨日、知らない紫色のポケモンがリンボーダンスしてて、僕がそれを傍らで見て大爆笑してる夢を見た。 何だったんだろうアレ。夢で笑いすぎて目覚めが悪い」



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