カゲボウズたちは本来夜行性である。夜更けの町をひゅるりらと彷徨い、床につくにもつけぬような恨みつらみを吐き出す人間の家の軒下でその染み出した怨念をいただく。 その本質は、宿憑きのカゲボウズであっても変わらない。 集合住宅だというのにカゲボウズたちが騒ぎ出すのは決まって夜中であった。ささやくような衣擦れが部屋中いたるところからするというだけでも十分な安眠妨害だろうが、それに加えてこのボウズどもは、人間の道具で遊ぶのだ。カーテンレールをかしゃんかしゃんやったり、電灯の笠の上に乗っかって埃の雪を降らせたり。テレビをつけると興味を示し寄ってくる数匹のカゲボウズで半分近く占領されるわ、ストーブにあつまってきて熱風を遮るわ、ろくなことがない。 「おいカゲボウズども!」 ある夜、ついに宿主の男が切れた。 「明日が何の日だか知ってんのか、え、知ってんのか? クリスマスだよクリスマス! どっかの聖なる神様の誕生日で神聖な日なんだってよ!」 投げやりに言う男の口の端から妬みの念が零れ落ちるのを見逃さず、カーテンの裏からタンスの中からカゲボウズが集まってくる。 「お前ら静かにしてねえと、サンタクロースに浄化されんぞ!」 とたん、黒坊主たちに衝撃が走った。 わさわさ わさわさわさ (じょうか……だと……) (じょうかってなに) (うらみのねんをけされて まっしろになることだ) (くいあらためてしまうことだ) (なん……だと) (そんならおれら しろぼうずにされちまうわけか) (うわあ) (しょぼい) (ごーすとぽけもんの そんげんにかかわるな) (やばいな) (やばすぎる) (どくおーたすけてくれー) いっせいに黒い波が青年に押し寄せたが、慣れているのか微動だにもしない。 「せいぜい赤い服着た白髭の爺さん警戒してろ!」 25日のシフトを彼女持ちの同僚に交換され、「――さんなら代わってくれると思ってました(笑)」とまで言われた恨みをポケモンにまでやつあたりするしがない男は煎餅布団にもぐりこみ、立て付けの悪い雨戸の隙間風に震えながら眠りにつく。 その悪い夢のおこぼれを肴に、カゲボウズたちはずっとさざなみのごとくさわさわしていた。 (あかいふくにしろいひげ とな) (さんたくろーすとは なんだ?) (あぶないものなのか) (どくおのくちょうと さらにそのにくしみぐあいからさっするに そうとうきょうあくなそんざいらしいな) (きっとぼくらをじょうかする きょうふのだんざいしゃだぜ) 震えるカゲボウズの一部からティッシュを裂いたような悲鳴があがる。 (おいおい おくそくでことをかたるのはやめたまえ) そこへ現れたのは、賢そうな目つきの一匹。 (うわさとそうぞうにおどらされると しんじつがくもる。たいせつなのは おおくのじょうほうをえて それをえらび ときにはきりすて そしてかんがえることではないのかね?) (やいやいなんだおまえ) (くりすます おそるるにたらず。わたしはさんたくろーすのしょうたいにつながるじょうほうのいちぶをにぎっている) (おおおっ) 四畳半がざわめいた。 (さんたくろーすとは かみさまのつかいでな。よいおこないをしたものに しあわせをはこぶそんざいなのだというぞ) (なんてこった) (しあわせとな それはちょうきてきにみれば われわれにはまいなすですぞ) (いやいや そもそもここいらにすんでいるにんげんが よいおこないをしていたためしがありますか) (あるあ……ねーな) (どくおはこのあいだ じぶんのあらっているさーないとのあえぎごえで はなぢをながしていたぞ) (なんたるふらちな) (おんりょうのぽけもんによくにたあのおとこは またみょうなことばかりやっているしな) (あっし、あのおとこになべでにこまれたことがありやす) (な、なんだってー!) (くわれたのか どうだった) (へい、それがとんでもなく きれいさっぱり よのなかのしがらみをあらいがなしてしまい うらみぶそくでとべなくなるところでした) (じょうか……か) (ひいいいいいいい) (しかしここまであくぎょうをくりかえしたとすれば さんたくろーすはまず こないとみてよいだろう) (なるほど) 一同、ふう、と一息。 (とかく くりすますのまちからはうらみがあふれているぞ) (なんだと それどこじょうほうだ) (はんかがい いくか) (おれたるいからどくおでいいや) (おれも) (さいきん どくおのとりまきふえたな) (おまえらゆるんでるぞ そんなんじゃいまにほどけてただのぬのだ) (おっさんげんきだなあ) (じだいかねえ) イブの夜は沈み。 やがて朝が来る。それはクリスマス、大仰な名前のついたただの平日だ。そう思っている人は意外と多い。 はしゃぎまわるのは枕元にプレゼントを見つける子供か、記念日にかこつけてデートのタイミングを見つける子供か。 そんなように世間様を呪ってはカゲボウズのおやつにされる男の部屋へ、朝、少しだけ雪が降った。 「さむ」 男は作業着の上にダウンジャケットやらなんやらを着込み、悪態をつきながら出かけていった。 カゲボウズたちはたいがい眠っていたが、何匹か、夜更かしの常連がそわそわしていた。 勝手にストーブのスイッチを入れ、火にあぶられるものがあれば、せっせとお湯の栓を捻り暖まろうとするものがいる。 その中で、ひときわ小さな一匹が、なぜか暖かさとは対極の、結露した冷たい色の窓に向かっていた。 雨戸の隙間に張られた新聞紙をやぶいて外へ飛び出す。さむい。はあ、と吐き出した小さな吐息が白く染まる。曇天でまるで朝を覆い隠し、見下ろす街灯が点滅しているぐらいだ。隣では自動販売機がじーっと稼動音を鳴らしながら佇んでいる。 小さなカゲボウズは寒さに震えながら、軒下にくっついた。 ぷらぷら揺れながら、道路を通りすがる車なんかをみつめている。 やがてコートを着込んだ女性がひとり、通りかかった。 茶色の手袋をしたままポケットから財布を取り出して、小銭を取り出す。 が、指を滑らせたのか、きゃっと一瞬の悲鳴と金属音。コインはコンクリートの地面で跳ねて、自動販売機の下に転がっていってしまった。 女性はもうおろおろしてしまって、何度も何度も自販機の奈落を覗き込もうと試みていたが、さすがに這いつくばるのは気が引けるようで、そのまま手を突っ込むわけにもいかず、だいぶ難儀していた。 ぷちボウズが雪とともに舞い降りる。 女性は神妙な面持ちで突然現れたゴーストを見つめていたが、そいつがごそごそと自販機の底へもぐりこみ、うんとこしょよっこいせと何か引っ張ってくるのを見て、感づいたらしい。じっと見守る。 やがて五百円玉を咥えたカゲボウズは、重たそうにしながらもふよふよと女性の手元まで浮いてきた。 「ありがとう」 女性はにっこりわらった。しかし坊主は首をかしげるばかりである。 そしてなぜか、もう一度自販機の下まで降りてくると、今度は百円玉をもってきた。 次は女性が首を捻る。 「これは私のじゃないから」 それだけ言って、五百円玉を穴に落とし、コーンポタージュを買うとすたすたと去っていった。 ぷちボウズは百円玉をみつめている。 その頃、部屋はちょっとした騒ぎであった。 なぜなら突然、換気扇から見たことのないポケモンが煙のように侵入してきたからである。 赤い服に白い髭、黄色い嘴にふくらんだ大きな袋。 (さんたくろーすだ!) カゲボウズたちはいっせいにカーテンの裏へタンスの上へパソコンの後ろへ隠れると、さんたくろーすにプレッシャーの視線を送った。 いっぽうのさんたくろーすは、部屋の影という影から三角形の光がみつめているというのに気にも留めず、我が物顔で部屋を歩き回る。 (どうする、さんたくろーすがきちまったぞ) (ひがいじょうきょうを かくにん! こちらでんきのうえ、おーるくりあ! ほかで じょうかされたものは?) (こちらカーテン! ひがいなし! カゲのすけとカゲよがことさらにいちゃついております!) (よし、すみやかにひきはがせ! つぎ!) (こちらタンス! いじょうありません! でもいささかかずがおおすぎておっこちそうです!) (たえろ! つぎ!) (こちらあったかいきかいのうしろ! えまーじぇんしー! なんびきか かたいひもに ひっかかって みうごきがとれません!) (なんとかしろ!) わいきゃあやってるあいだにも、ぽてっぽてっと歩きつめるさんたくろーすはもう部屋の真ん中です。 しかも、ごそごそと袋をあさりはじめました。 (おい、さんたくろーすは なにをはじめようとしているんだ?) (おそらく、ぷれぜんとをとりだすのかと) (ぷれぜんと……だと……) (ひさしくきかなかった ひびきだぜ) (もしや どくおをねぎらうつもりなのかもしれません) (なんだとぅー) (それはまずい) (きょうのどくおはことさらにどくどくしくかえってくるんじゃないかとみんながきたいしていたさなか、さんたくろーすの手によってしあわせがもたらされてしまい、おうどうてきかたるしすがはっせい、うらみつらみがうさんむしょうというわけか) (なんだあいつ わけわからんことばをつかうぞ) (にんげんのざっしをよみすぎたな) (わかることばでおk) (ともかくあのぷれぜんとをそしせねば) (そういん! じゅんびはいいか!) 掛け声にあちこちから念派があふれる。 それでようやくさんたくろーすも部屋の異常さに気がついて、あわててきょろきょろしはじめた。 (かかれぇー!) どくおのへやは くろいはどうを つかった! と表現しても差し支えないほどの黒いかたまりが、壁から影から隙間からひゅんひゅん飛んできて赤白のポケモンにぶつかった。そいつは翼のような前足で頭をおさえてひたすら耐える。が、ついに脳天に一匹が命中し、ふらふらと倒れこんでしまった。 (どや!) カゲボウズたちは部屋を守った自分たちの栄光にどっと沸いた。 が、さんたくろーすはしぶとく起き上がった。 白い羽毛を散らしながら、ぴょこたんと畳の上に立ち上がり、首を振ってくえくえ言う。 (全く、活きのいいカゲボウズなんてはじめてみたぜ。やっぱり洗濯ってやつの影響かね) カゲボウズたちはひっしにおばけのふりをした。 たちされー、たちされー (そんなに頑張らなくてもこいつを置いたらすぐに次の家に行くさ) と、さんたくろーすが取り出したのは、小さなプレゼント箱。 (こいつは、この部屋の主に綺麗にしてもらったポケモンたちの感謝のかたまりなんだ。こいつを置いて帰らないことには運び屋ポケモンの名が廃るってもんでね) カゲボウズたちはゆらゆらした。 (しかしお前らの執念には驚いた。この俺を出し抜いてみせたほうびに、何かお前らにもプレゼントをやりたいところだが、お前らの幸福は主の不幸か。さてどうしたもんかね) (べつにどくおはねんじゅうふこうだからいいよ) どいつかが言った。 (じゃあ後のことはなんとやら、とりあえずプレゼントだけ置いてさっさと退散するとしよう。じゃあな小さな悪意ども、メリークリスマス) さんたくろーすは窓の隙間に飛び込んで、煙か霧のようにしゅるりと消えてしまった。 ぽつねんと残ったのは、赤いリボンのプレゼントボックス。 さて、小さなカゲボウズはというと、冷たい道端で百円玉を必死に持ち上げ、自販機の穴に放り込もうとやっきになっていた。 よいしょよいしょっと必死に持ち上げ、たまには押しつぶされそうになりながらも顔を真っ赤にして持ち上げて――ついに、がしゃこん。 押し込めた達成感もままならないまま、ボタンに突撃する。 さっきの女性が押したのと同じボタン、思いきり押してみたが何もおこらない。本当ならおおきな音がして下の取り出し口にこの透明な壁のむこうのものとおなじものが出てくるはずなのだが。 なんどもなんどもぶつかるが、いっこうに出てくる気配はない。 それもそのはず、コーンポタージュは百五十円なのだった。 あんまりぶつかりすぎて、あたまのさきっぽが折れてしまうかと思われたそのとき。 突然、ぴろりろぴろりろと音がして、自販機が眩しく光った。 あまりの眩さにカゲボウズがぎゅっと目を閉じ、そろそろと瞼を持ち上げてみると。 取り出し口にコーンポタージュが落ちていた。 きゃいきゃいうれしそうにするちびボウズの後ろを、一羽のデリバードがぽてぽて歩きながら、調子のはずれたクリスマスキャロルをくちずさんでいた。 |