強い雨。 気象レーダーに映された黒い影は、ある時刻までは雲らしく動いていたが、山間のある位置まで来て急に止まった。 まるで、そこで立ち止まらねばならない、何かがあるかのように。 強い雨風が支配する空を、原色鮮やかな始祖鳥が飛んでいた。 その背には、肩にバチュルを乗せ、黒い髪に赤いメッシュを入れた女性を乗せている。 女性は目を閉じて、先程までテレビで見ていた天気図と、この辺りの地理を、まぶたの裏で重ね合わせていた。 その目を開く。 雨で視界は煙り、土砂崩れで地形が多少変わっていたが、目指す場所はそれと判別がついた。 「ロー、あそこだ。降下してくれ」 始祖鳥はケェーッと威勢よく鳴くと、彼女の指差す先へ、墜落に近い速度で、勢い良く降りていった。 激しく岩にぶつかる音がして、始祖鳥が着地した。 ことによれば二次災害が起こりそうな激しさだが、彼女は気にしない主義らしい。 「ありがとう。今は戻ってくれ」 水に弱いアーケオスのローをボールに戻し、周囲を確認する。 テレビの言う通り、あちこちの斜面が崩れ落ち、茶色の土砂や木の根がさらけ出されていた。 四十五度より急な山肌が、軒並み崩れたのではないかと思われる惨状。 今立っている足場も、いつ崩れるや分からない。 ……などど悠長に辺りを見回していたら、足場が流れ始めたではないか。 すぐ隣に存在していた巨木が折れ、茶色い流れが彼女を押し流す方向に動き始めた。 それでも彼女は眉一つ動かさず、 「やれやれ、ってとこだな」 さっきボールに戻したばかりのローを出そうとして、 「おや」 この雨の中、軽々と地を跳ね、駆ける、一匹のポケモンを見た。 紫の体毛、大きな耳に、二又に分かれた尻尾。 エーフィと呼ばれるポケモンはひらりと土砂崩れの中に身を踊らせた。 倒れ始めた巨木を、エスパーの力で弾き飛ばす。 そして岩石の陰の部分に飛び込むと、そこで虹色に光をばら撒く壁を展開した。 展開されたリフレクターは、土色の脅威をその場に押しとどめた。 元はポケモンの物理技の威力を半減させる技だが、こんな使い方もできるのか。 女性が感心している間に、少しずつ、リフレクターが押されていく。 やはり半減では辛いか、と呟いて、女性は手で弄んでいたボールのスイッチを押し込んだ。 「もう一度頼む、ロー。地ならししてくれ」 再び姿を現した原色の鳥が、雨を振り払うように大きく羽を打ち振るい、リフレクターと土砂崩れが押し合うその渦中に飛びこんだ。 青と黄の翼を広げ、茶色の流れを押し戻すように動かし、その次の瞬間、体を大の字に広げて、流れる土砂をを地面に押し込めた。 アーケオスの体が触れた部分とその周辺の土の動きが止まる。 安心するのも束の間、次の土砂崩れがアーケオスに向かって流れ落ちてくる。 猫又がローの前に飛び出した。額の紅い宝玉が光り、淡い壁を作り出す。 ローは空に飛び上がると、壁の前に飛び出して土を左右に散らし、地ならしを繰り出す。 何度か繰り返すうちに、流れる土砂がなくなったらしい。 土砂崩れの勢いが削がれてきた。 エーフィが身を翻し、岩陰へ走っていった。 ローは安心したのか、大きく息をついた。 「今のうちに休んでおけ、ロー」 女性がかざしたボールに安堵の目を向けると、アーケオスは小さな光となって彼女の手元に戻った。 水に弱い岩タイプのポケモンと言えど、雨が降るたびに死にかけるわけではない。 とはいえ、強まる一方の異常な大雨の中で長時間活動するのは体に障る。 この後に一戦控えているのだ。できるだけ良好なコンディションで挑みたい。 どのようにバトルを組み立てるにしろ、その戦いではアーケオスのローの動きが鍵を握る。 この地方に伝わる、大雨と大風、雷を呼び、作物を荒らすと言われるポケモン。 どうしても、何としても倒したい。 自分勝手な理由ではあった。 相棒のゾロアの母親が、密猟者に奪われた。 密猟者は山を越えて逃げた。 彼らの起こした大雨で、山を越える唯一の道が崩れた。 彼女は密猟者を逃がし、相棒の母の行方は未だ分からない。 本当はただ、自分が愚かだったせいだ。 警察だから、悪いやつはやっつけるというのも表向きの大義名分に過ぎない。 それでも、自分勝手は百も承知で、彼女は風神、雷神と呼ばれる彼らに挑むつもりだった。 ローの隣のボールがビクリと揺れて、中から紅いたてがみを持つ二足の獣人が出現した。 獣人は自分もやると言うように、紅い爪のついた手を胸に当てた。 「いいけど、無茶はするなよ。スー」 相棒のゾロアークはコクリと頷き、先程ローがならした地面へと飛び降りた。 続いて、彼女も地面へと降りる。 「あ、……あなたは?」 着地と同時に、後ろから声をかけられた。 エーフィが走り回っていたから誰かいるのだろう、とは薄々感づいていた。 ただ、いざ後ろを向いてみると、血の気のない少年を含め四人の人間がいたものだから、少しだけ驚いた。 ポケモンも、どれが誰のポケモンかよく分からないが、多くいる。 偶然居合わせたのか、助けに来て遭難したのか、彼女の知るところではなかったし、興味もなかった。 「遭難したんじゃ……ないですよね?」 そう尋ねてきた若いレンジャーに短く否定の言葉を返す。 「日本晴れを使えるポケモンとか持って」 「いないよ」 もうひとりの、ウツボットを連れたレンジャーにそう答えながら、彼女はトロピウスの背に乗せられた少年をじっと見ていた。 離れた位置からでは詳しい容態は分からないが、少年が喜ばしくない状況にあるのは分かる。 一刻も早く、病院へ連れていかねばなるまい。 しかし、トロピウスも、若い青年の傍に控えるチルタリスも、この雨風の中で十分な飛行能力を得られるポケモンではない。 飛ぶのより走る方が得意な彼女のアーケオスもまた然り。 やっぱり、倒すしか無い。 この嵐の元凶を。 彼女はレンジャーたちに背を向けると、ローとスー以外の三つのボールを投げた。 それを見たレンジャーの少年が「何をする気ですか」と彼女に声をかけた。 「野暮用だ。この雨を降らす奴らに用があってな」 「風神と雷神か」 寒さを堪えているのか、彼女の行動は馬鹿げていると言いたいのか、低い声で言ったのはチルタリスを従えた青年だった。 レベルの高そうなチルタリスだ、と思う。 「……さあな。私が遭難しても、助けに来なくていいぞ、レンジャー」 そう言って、雨の中へ一歩進む。 スーが雨を透かして一点を見つめている。 危険を感じているのだろう、アブソルが吠え声を上げる。 先のエーフィも立ち上がって、忍び寄る気配に細かな毛を震わせていた。 「さて、と」 彼女はポケモンを呼び寄せた。 その場に膝をついて、比較的小さな彼女のポケモンたちに目線を合わせる。 自分の心を落ち着けるように、ポケモンたちを順番に撫でた。 「少し、状況が変わった。 風神と雷神が来たら、全力で攻撃して、気を引いて。ここから引き離してくれ」 四本の長く白い毛をもつ灰鼠が、小さく跳ねて敬礼のポーズを取った。 つられるように、頭に花を掲げた少女のようなポケモンは胸に手を当て、薄紫のオコジョは片手を上げた。 ありがとう、と言って立ち上がる。 この場から引き離すことで、少しでも雨が弱まれば。 目が合うと、相棒が大丈夫だと笑って頷いた。 彼女は黙って、一歩進む。 岩陰からは一歩離れ、雨はさらに冷たさを増す。 急速に体が凍えていく。 滝のように落ちる水で、辺りは暗く、閉ざされたように感じた。 近くにいるはずのポケモンたちの温もりさえ、遠く感じる。 けれど、まだだ。 まだ、倒れるわけにはいかない。 肩に乗せたバチュルが、フィフィフィ……と細い笛に似た音を立てた。 危険が、もうそこまで迫っている。 |