娘は、生い茂る草むらの前で座り込んでいた。 この――血生臭い殺気は、明らかにこの草むらの奥で発生している。 力の無いただの盲目の女である自分を強く恨めしく思った。 もしも、私の目が見えたら……力強い男であったら、力強い仲間が手元にいたら……。 そんなことを今更思ったところで何も無いのはわかっている。 しかし、娘はただ震える手を握り締め、見えない目で草むらを睨み付けるばかりだった。 何度も勇気を奮いだして立ち上がろうとした、そして、何度も恐怖に打ち負けて再び座り込んだ。 もう泣きそうだった……娘は、ここに来れば、災害の元凶を見れば、なんとかなると考えていたのだ。 誰かが行かなければ、災害は酷くなるばかり。 そう考えて飛び出してきたまでは良かったのだが。 やはり、自分はそんな大事を成し遂げる器じゃない……娘は引き返そうかと思った。 あの海辺の崖まで戻ってエーフィと合流し、家に帰ろうか。 ここまで来たのに。 そのときだった。 不意に鋭い頭痛が娘に届いた。 娘は涙を流さぬ為にぎゅっと強く閉じていた瞳を開けた。 頭を手で押さえようとし、気付く。 目の前の景色が違う。 いや、目が見えている! 目の前で、崖がぼろぼろと崩れ落ちていた。 慌てて腕で身体を庇おうとする。 しかし、瞬間的に薄い紫色の壁が土砂の前に現れ、押さえつける。 これは……リフレクター。 振り返ってエーフィを探す。 しかし、後ろは真っ黒だった。 ふと気付く……崖の景色は、まるで映像のように、映し出されている。 目線からして、これは、もしかしたらエーフィの額の宝玉が見ている景色かもしれない。 そして、エーフィは、エスパーの能力で私にそれを見せている……。 娘は映像に見入った。 リフレクターは固く強く土砂を押さえていたが、一枚の壁では無理がある。 すぐに鈍い音がして、壁が消えかけた。 その瞬間、地面が大きく揺れ、壁諸共土砂がならされた。 もしも揺れていなかったら、エーフィは今頃土の中だっただろう。 振り返ったように、画面が横にスライドする。 そこには色鮮やかで目に眩しい原色の始祖鳥が飛んでいた。 そしてその下、始祖鳥に指示を与えていたのは、黒髪に紅色のメッシュの、すらりと背の高い美女だった。 女性は切れ長の瞳でちらりとエーフィを見ると、目を逸らし、そのまま始祖鳥にじならしを命じた。 エーフィも察したようで、リフレクターを繰り返し、始祖鳥を降ってくる波からカバーしながら土砂をしずめる。 ある程度静まったところで、女性は別の方向を向いた。 そこでは、一人の大柄な男性が土砂にのみこまれそうになっていた。 サイコキネシスだろう、淡い色のサイコパワーが男性を包み込み、辛うじて土砂から離している。 良く見ると、男性は、濃い紫のゆらゆらした身体に紅い玉を散らせた妖獣――ムウマージに背中を押さえられており、立派な髭をこしらえ銀のスプーンを握り締めた黄色の超獣――フーディンを太い腕で支えていた。 サイコキネシスはムウマージとフーディンが繰り出しているのだろう。 しかし、サイコパワーは今にも弱々しく消えそうになっている。 もしも今途切れたら……男性は仲間と共に土砂に巻き込まれ、もしかしたら還らぬ人となってしまうかもしれない。 画面――エーフィは男性の近くに飛び出して、超能力を発揮した。 咄嗟の判断だ。 ギリギリのところで、エーフィのサイコキネシスは男性に届き、間に合った。 零れ落ちてきた少しの土砂も共に、サイコキネシスはゆっくりと男性とその仲間を少しは安全な地に寝かせ、消えた。 エーフィはそのままの勢いで、崩れかけた土砂に向き合い、リフレクターやサイコキネシスを放つ。 女性の始祖鳥もじならしを繰り出して、どうにか、そこもおさまった。 「――休んでおけ、ロー」 静かに優しく女性がモンスターボールの閉開スイッチを押し、始祖鳥をもどす。 目を覚ましたらしい男性と仲間の歓喜の声が近くで聞こえる。 そして、その奥で、アブソルの悲鳴のような叫び声も……。 女性の表情が瞬間的に引き締まる。 エーフィは女性がどこかへ歩き出したのを確認し、軽調に駆け出した。 視界に吠えるアブソルが入ってくる。 まるで、怯えているように見えた。 アブソルは災害を頭の鎌のような部分で予知といわれている。 きっと、大きな災害をその身体で感じ――怯えているのだろう。 エーフィはしなやかにアブソルの隣に飛び移ると、俯いた――画面の向きが若干下向きになる。 神経を集中させているのだろう、空気から伝わってくる力を感じる。 空気を必死になって読もうとしているのだ。 命をどうにか落とさなかったあの男性に、若いレンジャーたちが駆け寄っている。 女性が髪の毛を風に靡かせ、何かを決心したように前を見据えている。 動き始めた未来、崩れ始めた未来。 過去は変えられないが、未来は変えられる。 エーフィの鼓動を感じられなくなり、映像がぷつりと消えた……。 ……娘は覚悟していた。 こんなにも多くの人たちが、協力し合い、命を危険にさらしてまで救助活動をしている。 そして、私は、災害の源の一番傍にいる。 エーフィさえも頑張っているというのに、帰ろうと一瞬でも考えた自分が恥ずかしい。 娘は今度こそ力強く立ち上がり、手の平を強く握り締めると、草むらに足を踏み入れた。 争いの悲鳴が耳に突き刺さってくる。 恐怖が襲ってくる。 だが、今災害を止められるのは私だけだ――。 草むらが開けたのを、当たってくる空気の流れで感じた。 ふっと風が止む。 雨が止む。 雷の音が聞こえなくなる。 何かに凝視されているような嫌な感じが娘を取り巻く。 これが、伝説の風神と雷神の威圧感。 娘に、神々の争いを止める力など無かった。 それは一番娘自身がわかっていた。 今私にできること――娘は必死になった。 風神と雷神の争いを止める神を呼ぶこともできない。 ならば、神々を移動させるしかない! あの女性は神々を受け止める力と意志を持っていたように思う。 だから――! 娘は首から下げていたペンダントの先端にくっ付いていたモンスターボールを握り締め、鎖からはずすと宙に投げた。 ぽん、と軽い音が頭上で響く。 そしてそれと同時に威嚇するような叫び声も辺りを震わせた。 「お願い、言うことをきいて、リザードン! あなたが私を認めていないのはわかってる、だけど今頼れるのはあなただけなの! 風神と雷神をエーフィのところまで弾き飛ばして! ドラゴンテールっ!!」 リザードンの火の混じった熱い息の音がする。 「お願い――」 次の瞬間に巻き起こった突風に娘は飛ばされて、何かに頭を強く打ちつけた。 あまりの痛さに意識の糸が切れそうになる。 どうやら、この風はリザードンのものではないらしく、すぐ近くで、リザードンの苦しそうな鳴き声が聞こえた。 何もなかったかのように、再び争いの音がし、激しい嵐が荒れ狂う。 駄目だったのか、と娘が諦めたとき、突然熱風が巻き起こった。 「リガァアア!!」 奮い立たせるようなリザードンの叫び声。 続いて、地面を震わせる攻撃。 娘は地面に伏せて揺れがおさまるのを待った。 あまりの恐怖に心臓が飛び出そうだった。 やがて揺れが静かになり、辺りに静寂が戻った時……。 雨は降っていなかった。 雷は落ちていなかった。 風は少しも吹いていなかった。 そして、争いの声も聞こえなかった。 「……!」 信じられない。 フゥ、とため息をつく音が隣でする。 その、安堵と「どや!」感。 娘はリザードンに思いっきり抱きついた。 風神と雷神は弾き飛ばされ――アブソルの悲鳴が轟く海辺に急降下していった。 |