増援――二人目のレンジャー隊員が現場に到着したのは、一人目の若い人物が現場に現れてから、幾らも経たない内にであった。
・・・どうやらこの地方のポケモンレンジャーと言うやつは、彼の故郷の同職達より更に優秀で、訓練も行き届いているらしい。

しかも彼は、現れ方こそ少々アレではあったものの、相当経験を積んだベテランであるらしく、到着するや否や少年に応急処置を施し、容態を安定状態にまで持っていくことに成功したのだ。
――流石は、プロの仕事である。

今まで殆どバトルの経験ばかり積んできた青年には、『痛み分け』にあのような活用法があろう事など、考えた事すらなかった。
まさにポケモンの技の活用法は、トレーナー次第で何処まででも広がるものである事を、彼は改めて認識させられた。

今や少年の頬は、ちゃんと血の通った生者のそれにますます近付いて来たし、呼吸の程も安定し、意識を取り戻す見込みすら見えて来ている。
そこで彼は、再び岩陰に薪を積み上げると、何とかもう一度焚き火を作ることが出来ないかと、吹き込んでくる雨粒を顔から拭いつつ、試行錯誤してみた。
そんな彼の隣では、ビーダルのルパーが器用な手つきで、せっせと雨水でアルミの小鍋を洗っている。  ・・・冷え切った体を手っ取り早く温めるには、やはり熱い汁物が一番である。

救助対象者の容態が安定した事への安心感から、彼と若いレンジャーは思わず頬を緩めて、それぞれの作業を続けながらも、軽く無駄口を叩き始める。
――何でも彼は、自分と同じく海の向こうの出身で、故郷の豊縁地方から遙々と、この地方まで研修に来ているらしい。

同じ海を越えて来た身の上でも、知り合いの人物が渡海したついでに、気楽な思いで金魚のフンを演じただけの彼にとっては、なんとも耳の痛い話であった。
何のかんのと理由を付け、未だに当ても無い根無し草の身分で通している青年には、まだまだ若いにもかかわらず、自らの夢に向かって一途に走る駆け出しレンジャー氏のその姿は、正視するのも戸惑われるほどに、純粋で眩しい。

しかしそんな中でも、件のベテランレンジャーは、一人神経を張り詰めたままで、気を緩めかけた両者に対して、鋭い声で注意を呼びかける。

そして、そんな彼の言葉と心配のほどは、遠からずして現実のものとなったのだ。
 
 
漸く小さな炎が生まれ出で、更に遠くの空に雲の切れ目を確認出来た、まさにその時――
突然蹲っていたアブソルが立ち上がって、天に向けて咆えた。
続いて間を置かずに、足元の地面が不気味に揺らぎ、目の前のガレ場の上部が溶けて流れるアイスか何かの様に、形を崩してずり落ち始める。

「えぃ、くそったれ・・!」

今度ばかりは思った言葉がそのまま、口をついて出た。  ・・・そして、罵り声を上げる暇も有らばこそ。
滑落し始めた土の塊は、そのまま最も崖際に位置していたベテランレンジャー氏と手持ちポケモンのフーディンに、まっしぐらに迫ってきた。

例え瞬時に状況を把握して反応したところで、到底手当てが間に合うタイミングではなかった。  ・・・そんな中彼に出来た事は、ルカリオのリムイにヒトカゲを託す事と、チルタリスのフィーに、トロピウスが救助者共々飛び立てるよう、『追い風』の支援を命じる事。
――それに、土砂崩れに巻き込まれた時にどのように体を動かせば良いかを、頭の隅で微かに、反芻する事ぐらいであった。 
 
 
だがしかし、どう見ても絶望的であったレンジャーとフーディンのコンビは、突然自らを襲ったこの突発的な災害に、見事なまでの反応を見せる。
倒れ掛かったフーディンをレンジャーが支えると、間髪を入れず腰のボールからムウマージが飛び出して、諸共に後ろにのめろうとしていた両者を、サイコキネシスで受け止める。
更に支えられたフーディン自体は、強烈なサイコキネシスで流れ出した土砂の波を単身食い止め、一時的にではあろうとも、この緊急事態を押さえ込み、時を稼ぐ態勢を確立してのけたのである。

目の前のその一連の出来事に、押し寄せる泥土の波を、如何にして乗り切るかにのみ考えが集中していた彼は、一瞬だけ息を詰めて、視線の先で人柱になっている、三者の姿を凝視した。
・・・今ならまだ、何か手を打てる筈だ。 彼の腰のボールには、まだ最後の一匹の手持ちポケモンが、出番を求めて待機している。  

けれども件のレンジャーが彼に向けて発したのは、助力を求める救援の叫びではなく、人命に責任を負っている、プロとしての指示であった。

「行ってくれ! はやく、ここから逃げてくれ!」

それを耳にした瞬間、彼は己の拳を反射的に握り締めて、そのまま食い入るような視線を、相手に向けて注ぎかける。
――己の生業に誇りを持っている者にのみ可能な、確固たる意志の表示。  ・・・この場に彼を置いていくことは、情に於いて決して、肯んじ得るものではない。

しかし、ここで情に流されてもたつく内に、全員が諸共に全滅してしまえば、彼のこのプロとしての行いが、全て無為に帰してしまう事になる。
――結局彼は、相手の必死な視線に背中を押されるようにして、理に従った。

身を翻して仲間達の方向へと取って返すと、既に行動に出ている若いレンジャーとウツボットに手を貸して、迅速に後退出来る退路を確保すべく、アブソルの先導に従って手持ちを動かす。
・・・背後では、自身と共に身を以って盾と為している手持ちポケモン達への、ベテランレンジャーの激励の叫びが、吹きすさぶ風と雷鳴を圧し、聞こえてくる。
見捨てることだけは忍びない――今は兎に角一刻も早く退路を確保し、彼らに救援の手を差し伸べられるよう、努力しなくてはならない。
 
 

――しかし、彼らにも限界はあった。  

遂に何とか避難経路を切り開き、全員が崩落の範囲外まで、達し終わった頃・・・振り返った彼と若いレンジャー隊員との目に、再び動き始めた泥土の流れが飛び込んでくる。

間に合わなかった――そんな思いが、奥底から湧き上がって来る怒りとなって、彼の心を満たす。
・・・ずっと各地を回って修行を重ねて来たと言うのに、こんな大事な時に何の手も打てなかった自分の無力さ加減が、腹立たしいほどに情けなかった。

だがその時、同じく唇を噛んでいた傍らの若者が、不意に声を上げた。
それに反応してハッと顔を上げた青年の目にも、流れ落ちる土砂が再び何かにつっかえた様に動きを止める様が、はっきりと映る。

「行ってみましょう・・!」

そう声をかけて来た豊縁出身のレンジャーに頷き返すと、彼らは急いで、元来た道を引き返す。

驚くべきことに、現場に戻った頃にはすっかり泥土の崩落が収まっており、静まり返った土くれの海は、何かに均されたが如く、平らに押し固められている。

「これは『地均し』・・・  あっ・・!」

信じられない光景に唖然とする彼の隣で、その有様から使われた技を的確に見て取った若いレンジャー隊員が、泥にまみれた件のレンジャー隊員とポケモン達を、やや下降した位置に見つけ出す。  ・・・その傍らには、また新しく一匹のエーフィが、二股の尻尾を風になぶらせ、額の宝石のような赤い輝きを稲光の中に煌かせながら、静かに佇んでいた。
エーフィの所属が誰のものであるかは分からないにせよ、あのポケモンがレンジャー隊員の命を救ったことは、確かな様である。
そして更に、その直後――突然彼らの目の前に、一人のトレーナーが、ポケモンと共に降って来た。

驚いて立ち止まる彼らに気付くと、その人物 ― ゾロアークを連れ、肩にパチュルを乗せた黒髪の女性トレーナーは、一瞬感情の揺らめきをその面上に走らせたものの、直ぐに元の冷徹な風貌を取り戻して、彼ら一行を静かに見回す。
傍らの若者の質問にも、素っ気無い返答を返すのみの彼女は、次いで泥だらけのベテランレンジャー隊員の元に走り寄り、介抱を始めた彼らに背を向けて、3匹のポケモンを解き放ちながら、自らの用件を簡潔に口にした。

「野暮用だ。 この雨を降らす奴らに用があってな。」

その言葉を聞いた途端、青年の脳裏に、先程思い浮かべた伝説の内容が、改めて蘇って来る。  ・・・同時にそれは、普段は彼の心の奥底に息を潜めているある感覚を、唐突なタイミングで目覚めさせていた。

「風神と雷神か」

突然低くなった彼の声音にも全く動じずに、彼女は背を向けたまま遠ざかりつつ、言葉を返した。

「・・・さあな。 私が遭難しても、助けに来なくていいぞ、レンジャー」

いずれもこの地方で初めて目にする事になった彼女の手持ちポケモン達は、みな一様にトレーナーである彼女に対して強い信頼感を持っているらしく、何処か超然としたその言動と共に、彼女の実力の程をはっきりと物語っている。

5匹のポケモンを引き連れて離れていくその背中を見つめながら、彼は遂に堪えきれず、ある決心をして、傍らで同じくその背中を見送っている二人のポケモンレンジャーに向け、用件を切り出す。

彼の郷里では、『神』もまた一個の命――天と地の間に生きる、兄弟の一人として扱われる。  ――よって、『神』は敬われる一方で、それに値する振る舞いをも、同時に求められる事となっていた。
だがしかし、今日この場で起きている『神』の振る舞いの程は、彼が幼少時より親しんで来たその価値観からは、大きくかけ離れているものだった。  ――彼の郷里ではそんな時、人間達はその怒りを鎮める為に祈るのではなく、憤りと反省を促す意味を込めて、強い調子で抗議する事を旨としていた。

・・・そう――つまりは、そう言う事だ。


「済みませんが、しばしこの場をお任せしても宜しいでしょうか?」

そう口にした彼に対し、両者は既に彼の目論見を悟っていたらしく、一瞬彼の方を見つめて口ごもったが、やがてどちらからとも無く頷いてくれた。

「任せてください! これでも俺だって、レンジャーの端くれですよ!  なぁ、ウツボット! アブソル!」

若者のその言葉に、手持ちのポケモン達も一様に力強い反応を示して、主人の決意を後押しする。

「こっちも大丈夫だ。 ・・・彼の意識が戻ったなら、ついでに加勢もさせて貰うさ。」

フーディンとムウマージに代わる代わる手当てを受けているベテラン隊員の方も、体調の回復もあってか余裕を持って、彼の願いを受け入れてくれた。
そしてその言葉を首肯するかのように、腰に付けているモンスターボールの一つが、ガタガタと揺れる。  ・・・どうやら、ここにも一匹、頼りになる暴れ者がいるようである。

彼は念の為、その場にルカリオとビーダル、それにチルタリスの三匹を残して行く事にすると、更に残りの手持ちの内の一匹であるリーフィアに、付近の斜面を補強することを命じる。
そんな彼に向け、泥だらけのベテラン隊員の方が、急に改まった口調になって、こう指摘する。

「さっきの女性(ひと)なんだが・・・ 助けは要らないとか言ってたけど、どうも見たところでは、体調が万全とは思えなかったんだ。  ・・・後を追うのなら、その辺も心得ておいて欲しい。」

「えぇ、分かってます。  ・・・そっちこそ助太刀は有難いですが、無理してまで追っかけて来ないで下さいよ?  ・・・命の恩人にもしもの事があったら、俺はこの地方に足向けて寝られなくなっちゃうんですから。 そんなのは、真っ平ご免ですよ。」

――流石は本職だ。 彼自身はルカリオに諭されたその事実を、この人物は既にあの時目にした後姿だけで、しっかりと見抜いている。
内心は舌を巻きながらも、敢えて彼は軽い調子で言葉を返して、相手の懸念と心配の程に対し、余裕を持って受け答えする。

「じゃ、後は宜しくお願いします。 ・・・どうせ加勢は断られるでしょうから、勢子としてでも使ってもらって来ますよ。  ちょっとばかりして片付いたら、またちゃんと戻って来ます。」

「約束はちゃんと守ってくれないと困るぞ?  これ以上あんな目に合わされるのは、俺達だってもう御免だからな。」

お決まりとも言える去り際の一言に、笑顔で答える泥だらけのベテラン隊員。
あんな出来事の後でも、すぐに気持ちを切り替え軽口を合わせて来た相手の態度に、彼は改めてレンジャーと言う職種に対し、強い敬意の念を抱いた。
・・・もし無事にこの事態を乗り切って、更に何時の日か、漂泊の生活に終止符を打つ決心が付いたなら――その時は自らもまた、この道に足を踏み入れられるよう、挑戦してみるのも悪くはないだろう。

――まぁしかし、無論それが何時になるかは、皆目分かったものではなかったが。


その一方で、指示を受けたリーフィアが動き出し、崖際や斜面に苗床となる『タネマシンガン』を撃ち込み始めると、救助者を背負ったトロピウスの側から離れようとしなかったヒトカゲが、不意にここに至って、青年の下へと歩み寄ってきた。
何事かとヒトカゲに視線を集める一同の前で、そのポケモンは真っ直ぐに彼を見つめて、三本指の小さな拳を握り締め、降り注ぐ雨を物ともせずに、よく響く声で鳴く。
――倒れた主人の背中を怯えた表情で揺すっていたその目が、今は自らが為すべき行いを見つけ、力強い決意に満ちている。

そんなヒトカゲと、共に付き添って駆けつけて来たリオルとを交互に見つめる内、ふと青年の剃り跡の濃い、浅黒く精悍な面上に、誇らしげな微笑が浮かぶ。

「お前も来るか。 ・・よし、なら存分に暴な!」

しゃがみ込んでヒトカゲの頭を軽く掴んで揺すぶってやると、彼はチラリと主人である少年の様子を確認してから、立ち上がった。  ・・・少年の容態は安定し、意識を取り戻すのも遠くはなさそうであったが、今のところはまだ、泥のような夢の世界から帰還してはいない。
目が覚めていれば、この頼もしい相棒の『名前(ニックネーム)』を、聞いて置きたい所であったが――今は残念ながら、それは叶わないようだ。
 
 
リオルとヒトカゲを引き連れ、彼が闇の中に溶け込んだ女性トレーナーの背中を追いかけて、出発した直後――突然背後の崖の方で、再び雷鳴と風の唸りが激しさを増し、アブソルが一際高々と、天に向けて咆えた。
傍らに位置していたエーフィは俯いて神経を集中し、待機していたルカリオが、何かの波導を感じているのか、崖の方へと気遣わしげな視線を向ける。

「お出ましか・・・」

そうポツリと呟いた彼の表情は、つい先刻までとは打って変わり、相手を求めて各地を流離い、自らを研ぎ澄ますべく僻地に分け入る、ポケモントレーナー本来のそれに立ち返っている。  ・・・元々周りからどう見られようと、例え異端視されて疎外されようとも、自分の考え方・スタイルを靡かせないのが、彼の選択した生き方だ。
稲光をよく光る眼に反射させ、風にはためいた上着の内側には、海の向こうで手に入れた、幾つかのバッジが垣間見える。
他人を忌避する訳でなく、かと言って合わせる訳でもない孤独な根無し草の動向は、その場その場の成り行きと、『狩人』としての天性の本能で決まる。

背後で見送ってくれるレンジャー達の生き様に憧れながらも、彼らの世界に素直に溶け込む事を拒むそれは、押さえ切れない闘争心と言う形で、常に彼の生き方を制限して来た。
――しかしそれは同時に、ここまでずっと彼の命とトレーナーとしての人生を支えてくれた、最良の守護神でもある。

「借りを返さないとな。 ・・・一発お見舞いしてやって――」

そう口にして、ニヤッと愉しそうに笑う彼に答えるように、腰に付けている最後のモンスターボールがガタリと動き、リオルとヒトカゲが前方に佇む三匹のポケモン達の影に向けて、勢い良く走り出し始めた。







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