台風一過とは、よく言ったもの。  


良く晴れ渡った青空の下、急ごしらえの物干しの上で、一揃いの上下はさっぱりと乾き、遠ざかる千切れ雲を運んでいく風に抱かれて、緩やかに揺れていた。
……突き立てた木の枝の根元には、乾燥作業に一役買ったとかげポケモンが、尻尾の炎をそよ風になびかせながらもたれ掛かって、静かに目を閉じている。


そんな場の空気を乱さぬよう注意しつつ、青年は静かに木の枝を組んで作った物干しに歩み寄ると、すっかり乾いたシャツに上着、それにズボンを取り外して、元の持ち主の所へと運んでいく。
……その道に心得のある人間ならではの、気配をも殺した忍び足。 身に付けていたその技芸により、彼はすやすやと寝息を立てているヒトカゲを起す事無く、当面の目的を遂行し終える。

横になっている救助者の周りには、大勢のトレーナーが集まっていた。
彼らは青年が近付くと、好意的な態度と共に脇にどいて、道を空けてくれる。

道を空けてくれた人々に対し、軽く頭を下げて謝意を示した彼は、やがて横になっている少年の脇へと辿り着くと、しゃがみ込んで容態を見守ってくれている一組のコンビに、運んで来た衣類を差し出して、黒髪を指で掻きつつ頭を下げる。
――着替えさせてやって欲しいと言う、彼の些か一方的な頼み事にも、少女とゴーリキーは嫌な顔一つせずに、笑顔で頷いてくれた。

早速受け取った上下を、気を失っている救助者にあてがっている怪力ポケモンを眺めつつ、青年はその器用な手付きに、彼女の仕事が生花園の手伝いであるという話を、ボンヤリと思い出す。
……救助者の面倒を見て欲しいと頼み込み、何とか地面に下ろして貰った時は、正直ホッとしたものであったが――他人の振りをしていたルカリオに天誅を下し、ちりぢりになっていた全員の無事を確認し終えた今では、甲斐甲斐しく少年の世話をしている命の恩人に対し、このまま何の返礼もしないまま立ち去るのは、如何にも非礼な事のように思えてきた。

そこで彼は、その場に放り出してあった自分のリュックを無造作に掴み上げると、暫く中を漁った後、赤く輝く親指の頭ほどの欠片を取り出して、ゴーリキーに向けて差し出した。
……少し戸惑ったようにこちらを見返してくる相手に対し、手の内に包み込ませるように握らせたそれには、故郷の守り神である、ヨルノズクの彫刻が施されている。
次いで、更にもう一つ。 今度はハクリューの姿を刻み込んだものを引っ張り出して、それは傍らの少女に手渡した。
――偶々拾った星の欠片に、暇を見つけては趣味の彫刻を施してきただけの代物ではあったが、何もしないよりはマシだろう。

貰ってもいいのかと尋ね返してくる相手に対し、「命の恩にしては、安過ぎるけどね」、と苦笑してから、彼は改めてリュックを背負い、別れの挨拶を述べる。
……もう先の目途も立った事であるし、これ以上ここに留まる必要性は、無さそうだった。
 
「もう行くのか」と聞き返してくる周囲の人間に、重ねて礼を述べた後――彼は次いで、残りのメンバーに別れの挨拶をして置くべく、少し離れたもう一つのグループに向け、ゆっくりと足を運んでいく。
……行く手の道際には、今回行を共にした三人のトレーナー達と、視力が不自由ながら様々なサポートを与えてくれていたらしい一人の少女が、それぞれのポケモン達を引き連れ、思い思いに身を休めていた。
 

 
荷を背負った青年が近寄っていくと、彼らはみな、彼の意図を察したらしい。
口々に簡単な挨拶を交わして行くだけではあったが、あんな事があった後であるならば、今はもうそれだけで十分、言葉は足りた。

「救助者の意識が回復するまで待たないのか」とも聞かれはしたが、彼は苦笑いしつつ、手を振って断りを入れる。
……自分に出来る事が無くなった今、この場に留まった所で、青年には何の甲斐もありはしなかったからだ。
彼は寧ろ、こう言ったごたごたの後に訪れるであろう一連の後始末から逃れる為に、早急にこの場を離れる事を望んでいた。

口を聞く彼の方を見えない目で見据えつつ、少し寂しそうな表情を浮かべた少女に対し、青年は改めて手を差し伸べると、打って変わった丁寧な口調で、リザードンとエーフィを派遣してくれた礼を言う。  ……更に、尚も何か言いたそうな彼女に対し、こう付け足した。

「若葉もやがて、大樹になるだろうから。  ……あのチビ助が、君のリザードン見たいになった時――その時に縁があったなら、また会うさ。 何せ俺達は、トレーナーだからね」

『礼は実力で示して貰うのが礼儀だから』と結んだ青年は、最後に、「こんな奴にはなって欲しくないけどね」と、自らを揶揄してにやりと笑う。
少女の表情が再び和らぎ、エーフィがその背をそっとフォローするのを見届けると、彼は握手を終えた手を外して、次の方角を向く。


視線を向けた先で目が合った二人のレンジャーに対し、彼は開口一番に、先に抜ける事への謝罪の意を述べた。  ……次いで自分の不手際を謝罪し、更に無責任さに言及しようとした所で、謝罪先である両者から、ストップが掛かる。

「最初に彼を発見したのは、あなたでしょう?」

「当初の応急処置やったのも、応援呼び来んだのも君。 そう一々、遜りなさんな。  ……寧ろ、こっちはレンジャーじゃないと知らされて、仰天させられたわ」

それに、お陰で久しぶりに楽しめたしな――そう口にしたベテランレンジャーの隣で、うずうずと何処か落ち着かない様子だったドンカラスが、翼を差し上げ誇らしげに啼く。
額に包帯を巻かれながらも、何か忘れていたものを取り戻したような、満足げな彼の笑みを見ているうち、青年もこれ以上無粋な言葉を続ける事の愚を悟って、苦笑いしつつ首を振り、大人しく言を収めた。
その周囲に控えるフーディンとムウマージも、激しかったであろう戦闘の片鱗も見せない健在ぶりで、彼らのチームワークの強かさを、無言の内に示している。

「これからどうするんですか?」

そう質問してきたのは、傍らにアブソルとウツボットを引き連れた、豊縁出身のレンジャー隊員だった。  

「取りあえずは、一番近いジムにでも、足を運んでみます。  ……実は当初は、そんな気なんか無かったんですけど……気が変わりました。 あなた方みたいなレベルの方達がレンジャーや警察官をやっておられるのでしたら、この地方のジムは相当楽しめそうですから」

自らの胸の内を、答えと共に包み隠さず告げながら――彼は自らの気の持ち様が、この短い期間の間に180度変わってしまった事に、内心驚いていた。
――故郷・新奥での苦い経験から、もう二度と人目に付くような真似はやるまいと、固く心に決めていたのだが……どうやら今回の出来事は、自身の抱いていたその手のトラウマに対し、相当に効用があったようである。

本来助ける側に身を置いていた筈である自分が、終わってみれば様々な面で、反って助けられている。  ……考えるだに、情け無い話ではあったが――それは決して、不愉快なものでもなかった。
それにもし、今回の出来事が無ければ、彼は結局、来年の春に知り合いが帰って来るその日まで、延々人気の無い山の中を、散策するだけに終わっていただろう――  そう思うにつけ、彼はこの短い間に起こった数々の出来事が、避けられなかったにも拘らず、とても掛け替えの無いものであったと、今更ながらに思い返す。 
 
 
やがて、それらの応答が一段落した後――彼は不意にその場の一同から、ある質問を投げかけられる。
――どうやら彼ら四人は、今回の騒動の元凶である二匹のポケモン達の処遇について、相談していた所らしい。

「お前はどう思う?」

そう聞いてきたのは、一同の中で一番多くの手持ちに囲まれている、精悍な顔付きの女性警官であった。
この場所に運ばれてきた時は、消耗とダメージに意識も定かではなかったにも拘らず、早くも自力で身を起こして、強い意志を帯びた眼差しを取り戻している彼女に対し、彼はまたしても苦笑をこらえられずに、軽い溜め息と共に言葉を返す。

「どう思うと言われても、ヘマした俺には発言権無いですよ。 耳と尻尾はあなたのものです」

そう、軽い口調で流しつつも――続いて彼は、これだけは言って置こうかと言った感じで、ただ一言だけ、自分の意見を付け加える。
……雨は万物の精であり、風は新たな命を旅へと誘う。 天から轟き落ち、地に伏す者を撃ち貫く稲妻でさえも、地に生きる者に刺激を与え、恵みを齎す事があるのだから――

「……ただ、俺の故郷にはこんな言葉があります。  ――『天から下ろされたものに、役目の無いものは何一つ無い』、と。  ……少なくとも俺自身は、ガキの頃からそう言い聞かされて育ちましたし、それが間違ってると思った事もありません」

そして、それだけ言い終えるや否や――青年は唐突にくるりと踵を返し、半身だけを後ろに向けてぺこりと頭を下げながら、「じゃあ、後の事は宜しくお願いします」と言い添え、「縁が会ったら、またお会いしましょう」と続けると、そのまま後は振り返る様子も無しに、スタスタと山道に続く斜面の方へと、出発を開始する。


……勿論内心では、まだまだ名残惜しくもあったが――これ以上居座って結局出られなくなる事だけは、避けて置きたかったのだ――



最初に降下してきた、急峻な崖――今は蔓状の植物で覆われている、その際まで辿り着いた所で、青年はすぐさま集まってきた手持ちのポケモン達の殆どを、再びモンスターボールの中に収容した。 
彼らの入ったボールを、いつも通り腰の定位置にセットした後、彼は残ったチルタリスの背中に自分のリュックを置いて、中からややくすんだマフラーと、使い古されたバンダナを引っ張り出す。  ……常々身につけているそれらは、嵐が来ると同時に急いで仕舞い込んだお陰で、ややジメついたままの着衣とは違い、まだほんのりと日向の匂いを留めている。
家に代々伝わって来た紋を刺繍したバンダナを頭に頂き、何代目かはもう忘れてしまった、緊急時の包帯代わりも兼ねたマフラーを軽く首に巻きつけると、彼はそこでもう一度、リュックを背負い上げながら、後を託した人々に頭を下げる。 それらが済んだ後に、彼はチルタリスの背中に跨った。

そして更に、飛び立つ前に――彼は未だボールに収容していないもう一匹のポケモンに向け、そのポケモンのボールを手に取りながら、身を屈めて語りかける。

「……お前は、好きにしな。 そろそろ、自分で自分の歩む道を決めてもいい頃だしな」

自らを見つめるリオルにそう告げると、彼はリオルの入っていたモンスターボールを、ポケットから出した万能ナイフの柄尻の部分で、一打ちに打ち割った。
……プラスチックの破片はその場に捨てず、バックパックのサイドポケットに放り込むと、少し戸惑っている様子のリオルに対し、もう一度言葉をかける。

「まだこっちに未練があるのなら、後から追いかけて来てもいい。 野に出て自由に生きるのもいいし、受け入れて貰える相手が居たのなら、そこで厄介になってみてもいい。  ……兎に角、一度自分自身で、自分の生き方を決めてみな」

青年が言葉を終えると、リオルは改めて元の主人の顔を真っ直ぐに見つめ返し、次いで頼もしげな表情を浮かべると、こくりと一つ、頷いて見せた。
――それを受けた青年の方も、限られた期間とは言え直接手を取って技前の程を仕込んできた相手に対し、優しく名残惜しげな微笑みを浮かべると共に、片腕を差し伸ばす。

一人前のポケモンとなった相手の頭を、最後に柔らかく撫でさすってやった後――彼はリオルの父親であるルカリオが入った半透明のボールを軽く叩いてから、チルタリスのフィーに合図を送り、短い間とは言え多くの感慨に彩られた、狭い谷地を後にした。
……背中を見送ってくれているであろうリオルの、その壮健を祈りつつ―― 一際目立つ存在である、巨大なマダツボミに手を振りながら、彼は一番近い町に向け、風を切って進路を取る。



――故郷の新奥から、嘗ての好敵手でもある知り合いの女性が帰ってくるまでは、後半年足らず。  ……彼女が携えて来てくれる予定の帰りの航空券を、果たしてその時、素直に受け取れるのかどうか――?

その答えは、漸く傾き始めた太陽の光を褐色の肌に反射させ、各地の風に染め上げられたバンダナとマフラーを風になぶらせている彼自身にも、まだ分からない事であった――







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