1.噂の座敷童と、横笛吹きの中学生
それは確か、ちょうど九月の始まる頃だった。
あっという間に過ぎ去った夏休みの後に、嘘かと思ってたけど、やっぱりちゃんと二学期が始まって、久しぶりに教室でユズちゃん以外の友達とも会って、早速二年生最初の実力テストの範囲表が配られて、呆気にとられていたあの九月の始まる頃だ。 うちの中学校――天原中学校では年に五回定期試験があって、生徒たちはいつも苦々しい顔をしてそれを歓迎していた。その隙間に挟み込まれる「じつりょくてすと」とはいったい何者なのだろう? 今回はどういう顔をしてこれを迎えたらいいのか、みんな迷っているようだった。
担任の三橋先生が言うには、二年生はどうやら「中だるみの時期」とかなんとか揶揄されているようで、試験の平均点は下がるし、生徒たちのやる気も下がるし、点数を見た親の気分はもっと下がる。そしておまけに、家庭によってはお小遣いも下がる。最初はこれが中二病ってやつなんだと思って「たいへんな時期だね―」なんておしゃべりしていたら、ユズちゃんにデコピンされてしまった。
ユズちゃんのデコピンはすごく痛くて、ヒットした直後は涙が出たし、五時間目の社会の時間中ずっとおでこが赤くなっていた。女子バスケットボール部のユズちゃんは握力がとても強かったのだ。もう知ったかぶりしておしゃべりしないように気をつけよう。そんな風に思った九月の始まる頃のことだった。
座敷童(ざしきわらし)がこの町に住み着いたという噂が、どこからともなく流れ始めたのだ。
「近頃は座敷童なんてもうほとんど人前に出て来なくなったから、噂が本当ならちょっとしたニュースね」
ユズちゃんはそんな風に言っていたけど、私は座敷童なんて見たことがなかったし、昔はごく普通に現れるものだったのかとか、どんな背格好をしているのかとか、実際のところ何ひとつ知らない。そんな私の困惑をよそに、噂にはどんどん情報が追加されていった。
私たちと同じくらいの年齢の女の子で、短く切り揃えた黒髪をしている、らしい。その子は夜になると天原(あまはら)駅に現れる、らしい。そして駅前広場に佇む「もろの木さま」と、なにやら話をしていた、らしい。
十月の一週目が終わる頃には、目撃証言をもとに、美術部の佐渡原くんが座敷童の絵を描いた。
「噂自体にはあんまり興味ないけど、みんな盛り上がってるからさ。でも描いてみると、なかなか風情のある光景だよね。もろの木さまと座敷童」
佐渡原くんがキャンバスに描いた、タイトル「静かな秋の、御神木のある風景」は、素人目から見ても完成度が高く、素敵な絵だった。青空と紅葉のコントラスト、座敷童(赤い着物を着た、おかっぱ頭の女の子だ)のせつなげな表情、繊細なタッチ。見事な作品だ。佐渡原くんは、天原町の生んだミケランジェロだ(と、美術部の顧問の堂阪先生は言っていた)。
天原町は、小さな小さな田舎町だ。だから、八百屋のカズくんの誕生日から、町内会長のタケじいちゃんの好物まで、みんなが知っていた。そういう町なのだ。噂なんて、あっという間に広まっていく。お寺の鐘の音が町中に響き渡るみたいに、隅から隅まで知れ渡ってしまう。何にもない町だから、新しい話題には、みんなすぐに夢中になるのだ。
「その座敷童さんは、もろの木さまに何か用事があったのかな?」
学校の昼休み、いつものように机を向い合せにして、私はユズちゃんとお弁当を食べていた。
十月ももう半ばを過ぎて、町はすっかり秋色に模様替えしてしまった。濃い緑色をした葉っぱの匂いも消えたし、ニイニイゼミで始まってツクツクボウシで終わった蝉たちの声ももうしない。夏服の期間が終わり、久しぶりに引っ張り出したブレザーを見ると、なんだが物悲しい気分になった。アイスを食べながら「あついあつい」と文句ばかり言っていたけど、私、夏は結構好きだった。
「茉里(まつり)は何をしてたんだと思う? その座敷童」
ユズちゃんが、お弁当の卵焼きをもぐもぐさせながら箸を私に向けた。お行儀が悪い。
「なんだろう? なにかお願い事かな?」
「座敷童ってさ、災いをもたらしたりとかはしないけど、結構悪戯好きなんだって」
ユズちゃんは、にやりとして言った。彼女の言うことはいつもテキトーだけど、そのかわり、いかにも本当のことのように話すのが上手だった。
本人は「茉里がぼーっとしてるだけだよ」って言う。けど前に朝の職員室で、もっともらしい「宿題を忘れた理由」を語り、国語の山内先生を言いくるめていたのを見かけたことがある。そういう才能があるから、ユズちゃんはきっと、将来は人前で話すような仕事に着くんだろうなあと、漠然と思ったことがあった。
「悪戯なの? それ、困るなあ。うちのキャベツとか大根があんまり虫に喰い荒らされないで済んでるのはもろの木さまのおかげだって、お父さん言ってたし」
駅前広場に立っているもろの木さまは、天原町の守り神だ。この町にあるどの木よりも長生きしていて、おばあちゃんやおじいちゃんたちからは、敬意を込めて「御神木」と呼ばれていた。
「うちの銭湯だって、なんとか閑古鳥が鳴かない程度にやっていけてるのはもろの木さまのおかげなんだって。もしそんな座敷童がこの町に住みついてたら、うちのばあちゃん黙っちゃいないわね。竹ぼうき持って飛んでいくと思う」
町の人たちにとっては、もろの木さまは特別な木だった。私たちが生まれて、ずっと住み続けて、育ってきたこの町を、もろの木さまは守ってくれている。どんなふうに守ってくれているのかは知らないけど、でも、小さいときからずっとそう教えられてきた。
だから、私もユズちゃんも、町の人たちはみんなもろの木さまに感謝してる。見た目はちょっと大きいだけの、古ぼけたスギの木だ。でも、それがもろの木さまなのだ。もしもろの木さまが、厳かで、立派な佇まいで、嘘みたいに背が高くて、この町をしかめっ面で見下ろすような木だったら、私はちょっと嫌だ。
「もし、もろの木さまに悪戯しようとしてるなら、相手が座敷童だって関係ないわ。今日部活終わったら駅に寄りましょう? 噂が本当かどうかも、確かめなきゃね」
ユズちゃんが真面目な顔をしてそう言った。私はぎくりとした。こういうときのユズちゃんはとっても分かりやすい。今までも、ユズちゃんと一緒にツチノコとか河童とか木霊とか、いろんな生き物を探しに行った。噂好きな天原町だけど、どういうわけかこの町には「胡散臭い噂」が立ちやすくて、ユズちゃんはそれをいつも見に行きたがる。もちろん、ツチノコも河童も木霊もいやしなかった。
今回もたぶん、ユズちゃんは座敷童を見てみたいだけだ。
「えー、でももしホントにいたらちょっと怖いな。お化けなんでしょ? 座敷童って」
「お化けでもなんでも、会ってみなきゃどんなやつなのか分からないじゃない。それに、座敷童サンのためにも、行って止めさせた方が良いわ。うちのばあちゃんがシバきに行く前にね」
放課後、ユズちゃんとは校門で十七時半に待ち合わせをして(私はちょっと溜息をついて)、いつものように音楽室へ向かった。
ごく普通の田舎の農家に生まれて、一人っ子だからか少々甘く育てられて、勉強は悪くもなければ良くもなく、身長が低めで(「ちび」って言われるのには慣れたけど、「ガキ」って言われるのはちょっと傷つく)、運動神経は絶望的。そんな私が唯一「特技」と呼べるものがあるとしたら、今、吹奏楽部で担当しているフルートだった。
小学校の頃からリコーダーを使う音楽の授業が好きだった。通信簿では、音楽は六年間ずっと「よくできた」だった。いつも「がんばろう」と励まされていた体育とは対照的だ。下校のときや家にいるときだって、私はいつもリコーダーを吹き鳴らしていた。
そして小学五年生の時の誕生日。お父さんとお母さんからのプレゼントを開けると、箱に入っていたのは銀色の横笛だった。とっても嬉しかった。私は、遊び盛りの子犬みたいに、家中を転がりまわって飛び跳ねて喜んだ。
最初は全然音が出なくて、一日中その強情な横笛と格闘した。リコーダーとは勝手が違う。ほんの少し吹きこむ息の角度が違うだけで、それは全く反応してくれない。すかすかと空気が通り抜けていくだけだ。
やっと鳴らすことができたフルートの音は、リコーダーよりも透き通っていた。それは、時々うちの畑を吹き抜ける風の声にも似ていた。
それから私は「横笛吹き」になった。この町にはあまりいない「横笛吹き」になれたのは、私のちょっとした自慢だ。
吹奏楽部では、週末の演奏会に向けて全体練習を繰り返していた。ただ、曲の後半の転調するところが全然合わなくて、顧問の富岡先生がその小節ばかりを何度も調整していたから、前半のソロだけの私はすごく暇だった。シンバルの田口くんにはもうちょっと落ち着いて叩いてもらって、ホルンの堤さんが音量を抑えてくれるだけで、上手くまとまるのに。
なんて、ちょっとした不満を頭の中に巡らせていたら、だんだん眠くなってきた。なにせ、暖房を効かせた音楽室はぽかぽかで、寝るのには申し分のない環境なのだ。シンバルの音もホルンの響きも、少しずつ遠退いていった。壁にかかっていたモーツァルトやベートーヴェンも、私から目を逸らした。そしてとうとう舟を漕ぎ始めた私を、隣に座っていたのんちゃんが小突いた。
「富岡にバレたら殺されるよ、茉里」
はっとして、私は目を擦り、椅子に座り直した。
「――うん、ごめん。ありがと」
「私だって暇なんだから。一人だけ譜面台に隠れて寝るなんてずるいからね」
そういえばのんちゃんのクラリネットも、転調のところは全く出番がなかった。
「分かってるー。でも、眠くもなるよ」
「分かってない。横笛吹きは、もっとしゃきっとしなきゃ。少なくとも、縦笛吹きよりはね」
「――そうなの?」
「そうなの。ほら、頭から通すって」
富岡先生が指揮棒を振り上げ、私は一時間ぶりにフルートを構えた。
吹奏楽部の練習が終わったあと、私はユズちゃんより先に校門に着いた。辺りはもうとっぷりと夕闇に包まれていた。グラウンドではサッカー部が最後のシュート練習を切り上げ、ダウンのストレッチをしている。野球部はもう練習を終え、残りの数人がげらげらと大きな声で笑いながら、駐輪場の奥にある更衣室へと向かっていた。
体育館の方から掛け声が聞こえる。校門側からはちょうど校舎の裏にあり、体育館の錆付いた屋根だけが辛うじて見えた。掛け声は女子たちのものだったけど、バスケ部かどうかは分からなかった。
学校の裏側にあるなだらかな丘は、夏はあんなに原色の緑だったのに、今はもうすっかりくすんだ茶色だった。そこから吹き下ろしてくる風は枯れ葉と土の匂いがして、おまけにすごく冷たかった。私はお母さんに編んでもらった紺色のマフラーをきつめに縛り直した。
少しして、ユズちゃんとバスケ部の二年生たちが、おしゃべりしながら現れた。私に気付いたユズちゃんは、遠くから手を振ってくれた。少しはにかんで、私も小さく手を振り返す。
バスケ部の女子たちは、互いに押し合ったり、体を触り合ったりして、何度も大笑いしていた。その中には、ユズちゃんも含めて、小学校も一緒だった子が何人かいる。
中学に入ってから、一気にみんなが大人になったように見えた。特に、バスケ部はみんな「早い」子たちだった。制服の着崩し方も、可愛い髪型も、化粧を覚えるのも、それに、男の子の話も。彼女たちは前に進む速さが全然違うんだという気がした。私なんかよりもどんどん前に進んでいって、そのうち全然知らない街に出て行って、後姿さえも見えなくなってしまうような気がした。
ユズちゃんもやっぱり、そのうちこんな小さな町から、さっさと出て行ってしまうのだろうか。
ときどき、本当にときどき、そんなことを考える。将来、この町での生活にはあっさり背を向けて、立ち去ってしまうのかな。私のところからは全然見えないところまで、遠く離れていってしまうのかな。
そんな日が来ても、私たちって、友達でいられるのかな。
「ごめんごめん、結構待ってた?」
それは、誰にも分からない。たぶん、もろの木さまだって分からない。それはきっと、私たち次第なんだと思う。
「もう、すっごく寒かったんだよー。早く行こう、ユズちゃん」
学校から天原駅まではそう遠くはなく、校門からすぐの橋を渡って、河川敷に沿って歩いて、商店街のあるところで曲がると五分ほどで着く場所にある。でも、家のある方向とは真逆にあるせいで、普段はあまり行くことはなかった。もろの木さまに会うのも、夏のコンクールで吹奏楽部のみんなと電車に乗った時以来だった。
久しぶりに歩いた河川敷は、校門よりもさらに風が強くて、その冷たさで頬がひりひりした。ユズちゃんの赤いマフラーが、大きくはためいている。闇の中で流れる川はどぽどぽと音を立て、少し不気味だった。
「会えるかな? 座敷童さん」
商店街に入って風が弱まり、私はやっとしかめっ面を元に戻した。
「目撃情報は、大体このくらいの時間帯よ。ちょっと寒いけど、条件は整ってるわ」
商店街は早くも眠りに就いているようで、もうほとんどのお店がシャッターを下ろしていた。薄暗い通りは人影も少ない。精肉店のおじさんと、呉服屋さんの若い店長さん。あとは駅から流れて家路を急ぐ人たちと数人、すれ違っただけだった。
「――会ったら、なんて言うの?」
「そうね、いきなり問い詰めるのも失礼だし」ユズちゃんは、にやりとして言った。「『よかったら、友達になって下さい』って、シタテに出てみようか」
座敷童と友達かあ。もしなれたら、それはちょっと面白そうだけど。でも、どうなんだろう。
「思ったんだけど、座敷童って、誰が最初に言い出したんだろう。ホントに座敷童なのかな」
「あたしは最初、野球部の古川から聞いたけど。まあ、ホントかどうかを確かめに行くんだから、その問いは無用よ」
古川くん――同じクラスの野球部で、ショートを守っていて、休み時間も授業中も、とにかく人を笑わせることに命をかけている、あの古川くんかあ。なんだか噂の信憑性に翳りが見えた。
商店街を抜け、私たちはとうとう駅前の広場に到着した。もともと小さな駅で、止まる電車の本数も少ない。それでも、町の中では人の集まる方だ。ただもう辺りは真っ暗で、人影はほとんどなかった。そして、真ん中にぽつんと佇むもろの木さまに目をやっても、そばには誰もいない。もろの木さまは一人で夜の空を見上げていた。
「いないみたい」
広場をぐるりと見渡してみても、座敷童らしい人影は見当たらなかった。駅から出てくるところの老夫婦と、ちょうど店仕舞いをしていたお弁当屋のおばさん。そして私たち二人だけだ。やっぱり、そう簡単に噂の大元と遭遇することはできない。会うことができなかったのはちょっぴり残念だけど、正直、ほっとした。
「しょうがない、張り込むわよ」
「――え、本気?」
耳を疑って、私は聞き返したけど、振り向いたユズちゃんの目は紛れもなく本気だった。
冷静になってみると、ツチノコのときも、河童のときも、木霊のときも、ユズちゃんは諦めが悪かった。そういえばユズちゃんはバスケ部で、ディフェンスとリバウンドの粘り強さに相当な定評があるらしい。悪さをする輩は竹ぼうきを持ってどこまでも追いかけるおばあちゃんと言い、このしつこさは「血」なのかもしれない。
私たちは、駅の改札口のそばにあるベンチに座り、もろの木さまを監視することにした。ぶるぶる震えながら、まるで雪山で遭難した登山者みたいに身を寄せ合って、座敷童が姿を現すのを待った。
佐渡原くんの描いたあの絵と同じ場所だとは、とても思えない景色だった。秋晴れの青空も、鮮やかに染まった紅葉もない。もちろん、あの不気味なほど表情豊かな着物姿の女の子もいない。どんよりとして、どこまでも暗い空。申し訳程度に等間隔で光る水銀灯。人気のない広場。一応石畳で舗装されているものの、それもずいぶん昔のもののようで、隙間からところどころ雑草が覗いているのだった。
もろの木さまは、時々吹きつける冷たい風に葉を揺らすだけで、じっと動かない。寒空の下、静かに、本当に静かに、佇んでいた。お年寄りには「御神木」と呼ばれるほどの由緒正しい木のはずなのに、見れば見るほど、やっぱりどこかみすぼらしい。幹はところどころ禿げているし、くねって伸びた枝も、全体的にちょっと傾いている。緑色の葉は、そのうち山の木々たちのように茶色に染まり、冬になれば落葉し、もろの木さまは素っ裸だ。真冬のもろの木さまは本当に寒そうで、見ているととても不憫になる。
第一「御神木」って、神社の境内とか、もっと相応しい場所に立っているもののような気がするけど。どうして、お世辞にも「神聖な場所」とも言えない殺風景な駅前の広場なんかに、ひとりぼっちで立っているんだろう。
張り込みを始めてから、三十分が経ち、一時間が経ち、まもなく時計は十九時を指そうとしていた。冷たい空気が頬を刺し、マフラーは意味をなさなくなり、足先の感覚がなくなってきた。
さすがのユズちゃんも「今日はもう……限界ね」と呟き、女子中学生二人の刑事ごっこはあえなく終了した。座敷童らしき人影は、とうとう現れなかった。気配さえも、なかった。
「なによもう! 噂なんてもう信じないんだから!」
広場を猛ダッシュで駆け抜けながら、ユズちゃんは後悔をぶちまけていた。
「ユズちゃん、それ毎回言ってるよ」
「だってー! 古川がかなり詳しくしゃべってたから、今度こそと思ってー!」
「古川くんの話だよー。三分の一も真に受けちゃダメだよ」
走ると顔にぶつかる風が冷たくて涙が出た。駅前広場を横切り、真っ暗闇の商店街に入る。
まさにそのときだった。
背中に、熱を持った何かを感じたのだ。
「えっ?」
びっくりして、振り返った時には、それはもう消えていた。背後には、さっきまでと全く変わらない、駅前広場と、もろの木さま。
「何、どうしたの? 座敷童?」
急に立ち止まった私に気付いて、ユズちゃんが言った。
「――いや、なんか」
それは、光だ。確かに、光だった。突然太陽が背後から照り付けたかのような、温かい、光の玉だ。
紛れもなくそれは、もろの木さまの辺りから向けられていた。方向的に、そうに違いなかった。それは、ぱっと輝いて、一瞬で消えてしまった。今はもう真っ暗闇に戻っている。
けど、私の身体にはその温かさが残っていた。それは、ほんのり緑色の、命の脈動のような、生き生きとした光だった。驚いたことに、さっきまであんなに寒くて凍えていたにも関わらず、背中にじんわりと汗をかいていた。百メートル走でゴールした直後みたいに、息が苦しかった。
「茉里? どうしたってのよ?」
「ユズちゃん、今の――今の、感じなかった?」
「今のって、何のことよ?」
「今のは、今のだよ!」
たとえ一瞬だとしても、あんなに煌々とした輝きだったのに、ユズちゃんは気付いていないようだった。そんなはずはない。私はたった今起きた出来事を、ユズちゃんに説明した。出来るだけ詳しく、分かりやすく説明しようとした。
なのに、なぜか話そうとすればするほど、説明が曖昧になって、やがて本当にそんなことが起きたのか、自分でも疑わしくなってきた。記憶には、きちんと残っている。残っているのに、それは事実のはずなのに、ところが振り返ると、冷え切った暗闇と孤独な御神木があるだけなのだ。
心臓が、どくどくと鳴っている。
「私、もしかしたら座敷童よりすごいもの見ちゃったのかも」
「えー! ズルい茉里だけっ! 一体何見たの!?」
考えた挙句、私のおつむでは、なんとも幼稚な言葉しか思いつくことができなかった。
「――妖精さん?」
◆ ◆ ◆
もしかしたら駅前広場での出来事は、一晩寝てしまうと全て忘れてしまうのではないか。そんな考えが頭を巡り、ちょっぴり床に着くのが怖くなったけど、翌朝目が覚めても「妖精さん事件」は、きちんと私の頭の中に残っていた。
むしろ、息を切らして家に帰って来た昨日の夜よりも、あの光の記憶は鮮明になったような気がした。人は寝ている間に脳の情報を整理するのだと、何かの本で見たことがあるけど、おおよそそんな感じで、朝食の席に着いた私の頭はとてもすっきりしていた。
「そりゃあ、茉里、あんた『八百万の獣』を見たんだぁ」
おばあちゃんがしわがれた声で発した言葉は、途中まで聞き覚えがあった。
お父さんとお母さんには、昨晩のことを話していない。私はちゃっかり、帰りが遅くなったときのために(突然、ユズちゃんに連れ出されてもいいように)、吹奏楽部の練習が長引くことがあると言っていた。昨日も家に帰ってきた時は、駅前で張り込んでいたことなんて、一言も口にしなかった。嘘をついていることはちょっと後ろめたいけど、でも、部活をサボって悪いことをしているわけじゃないもの。このくらいの「方便」は、女子中学生にも許可して欲しい。
ただそれに対しておばあちゃんには、なんでも話してしまうのだった。おばあちゃんは、門限に厳格だったり、規則や慣習に口うるさかったりするわけではない。むしろ、いつも穏やかで優しくて、時々私から見ても甘すぎるんじゃないかと思うくらいで、それ故に、何を考えているのか分からないこともあるような、そんなおばあちゃんだ。
学校の通信簿で下がってしまった教科のこととか、ユズちゃんとくだらないことで喧嘩し、口を利かなくなった一週間のこととか、横笛が上手に吹けなくなってしまったときのこととか、人に話したくないようなことも、おばあちゃんに「どおしたの?」と訊かれてしまうと、全部しゃべってしまいたくなる。溜めこんでいたものが、まるで砂時計の砂が落ちるみたいに、するすると口からこぼれていく。そして、そのことをゆっくりゆっくり話す私は、不思議と優しい気持ちになる。それはたぶん、ゆっくりゆっくり話を聞いてくれるおばあちゃんが、優しい気持ちの持ち主だからだ。
すっかり話してしまった私に、おばあちゃんは頷くだけか、時にはなんにも反応がない時さえある。でも、なんだか私は「もう大丈夫かな」って気持ちになるのだから、本当に不思議だ。
実は昨日のことも、おばあちゃんにだけはすぐ言おうと決めていた。なんだか今回のことは、そうしなきゃいけないような気がした。
だからこうして、朝ごはんにきちんと起きて、お父さんとお母さんの目を盗んで、私はおばあちゃんにこっそりと話したのだ。
「やおよろず? 神様なの?」
「いんや、神様とはちと違うんだけんどね。一人の神様に必ず一匹、お手伝いのもののけがいんだぁ。神様なんて全然見るこたぁねえけど、八百万の獣たちは、ばあちゃんも昔は時々見たもんだぁ」
やおよろずの、けもの。
「でも、全然獣っぽくなかったよ。ぴかって光ったと思ったら、すぐ消えちゃったし」
「そりゃあ、茉里、いろーんな獣がいるんだよ。なんせ、神様の数だけいっからねぇ」
じゃあ、私が昨日見た「八百万の獣」さんは、たぶん、もろの木さまのお付きの「八百万の獣」さんなんだろう。でも、どうして昨日の「八百万の獣」さんは、ユズちゃんには見えなかったんだろう。逆に、私には見えなくて、ユズちゃんには見える「八百万の獣」さんはいるのだろうか? いや、そもそも私だってちゃんと「八百万の獣」さんを肉眼ではっきりと見たわけではないわけで――
これは、私に何か特別な力があるのだろうか。でもその前に、どうしても気になってしまうことがある。
「おばあちゃん、やおよろずのけものって長いよ。『もののけ』さんでいいかな? そういう言い方って、失礼じゃない?」
おばあちゃんは、とたんに目を丸くした。それから大きな声で、まるで神社の鈴を思いっきり鳴らしたみたいに、がらがらと笑った。
「そーんなことで八百万の獣は怒ったりしねぇよ。大事なのは気持ちだかんねぇ」
そう言って、おばあちゃんは茶碗から白いごはんを多めに取り、ぱくりと食べた。いつもにこにこしているおばあちゃんだけど、何だか今日は余計に嬉しそうだった。
その日の朝、教室で会ったユズちゃんは、おはようの代わりに大きなくしゃみをした。
「もう踏んだり蹴ったり。昨日張り込んだおかげで風邪拗らせるし、帰り遅くなってばあちゃんに竹ぼうきで叩かれるし、茉里ばっかり何か見えたとか言って興奮してるし」
「なんかごめん――でも、きっとそのうちユズちゃんにも見えるよ。もののけさんは、神様の数だけいるんだって」
私は今朝おばあちゃんから聞いたことをユズちゃんに話した。
「そう言えば、うちのばあちゃんも似たような話前にしてた。『湯の神さま』がいて、その『八百万の獣』っていうのと一緒に、うちの銭湯を守ってくれてるんだって。まあでも、神様とか、茉里のいう“もののけ”とか、ホントにいるかどうか正直微妙だよね」
噂はすぐ信じるくせに、根は結構リアリストなのだ。
ユズちゃんは銭湯の娘だ。この天原町には全部で四つ銭湯があるけど、ユズちゃんちの「銭湯ゆずりは」は、私の家から一番近いところにある銭湯だった。ユズちゃんは大きくて古い木造家屋に三世帯で住んでいて、同じ敷地に銭湯もある。その建物から長い長い煙突が生えているのが、私のうちからも見えた。
杠(ゆずりは)家のおじいちゃんが亡くなってからは、ユズちゃんのおばあちゃんがほとんど一人でお店を切り盛りしていた。杠家のお父さんは小さな問屋さんを営んでおり、仕事であまり見かけない。お母さんは専業主婦だけど、その問屋さんの方の手伝いに出ていることが多くて、あんまり銭湯の経営の方まで手が回っていないらしい。
でも銭湯の経営くらい、ユズちゃんのおばあちゃんなら、あのおばあちゃんだったら、当分一人で元気にやっていけそうな気がした。あと二十年くらいは大丈夫なんじゃないかと思う。そのくらいユズちゃんのおばあちゃんはパワフルで、若々しさに満ちていた。
「今日、久しぶりにユズちゃんちのお風呂行こうかな。明日演奏会だから、あんまり遅くまではいられないけど」
「いいよ。ばあちゃんに言っとく。六時でいい?」
「うん」
小さい頃から、私はずっと「銭湯ゆずりは」の常連客だった。洗面器とタオルを抱えて、よくうちのおばあちゃんに手を引かれて出掛けていた。お風呂から上がるとおばあちゃんは決まって、ユズちゃんのおばあちゃんと井戸端会議を始める。番台のところで立ち話程度のときなら十五分くらいで済むけど、お客さんの入りが少ない時なんかは、休憩所になっている畳の小上がりに座って、小一時間以上も話しこんでしまう。
それを退屈そうに見ながら牛乳を飲んでいる幼い私の横で「ああいうのって、『湯端会議』とでも言うのかな」と、呆れた様子で私に話しかけてくれた少女がいた。私と同じくらいの歳の子だ。頭一つ分私より背が高くて、いたずらっぽい二重をしていた。ちょうど浴場から上がったところなのか、濡れた細い髪が頬にはりついている。そして、ずいぶんとつまらなそうな表情だ。
ユズちゃんだった。
中学生になって、さすがにおばあちゃんと手を繋いで行くことはなくなったけど、ときどきユズちゃんと時間を約束してお風呂に入りに行く。年季の入った浴槽と、曇りの取れなくなった鏡。観光客向けの旅館の温泉と比べれば、確かに劣るところは多いけれど、私は「銭湯ゆずりは」が大好きだ。ユズちゃんのおばあちゃんが毎日丁寧に手入れしている大きなお風呂で、ユズちゃんとおしゃべりをする。勉強のこととか、町に広まっているの噂のこととか、まだほんの少ししかしたことはないけど、好きな人の話とか。
学校の教室や帰り道では話せないこともある。でも不思議なことに、銭湯の湯船の中だとそれができる。ひょっとしたら「湯の神さま」が湯けむりで、余計な心の壁を隠して、見えなくしてくれているのかもしれない。
「演奏会って、どこで?」
ユズちゃんが、教室の時計をちらりと見て言った。
「香田市だよ。電車でここから四駅だったと思う。去年も香田の市民ホールでやったの」
「見に行こっか?」ユズちゃんが提案した。「ばあちゃんに演奏会のこと言ったら、きっと連れてってくれる。茉里のこと、お気に入りだから」
自分で言うのはちょっとおかしいけど、私もユズちゃんと同じ意見だった。ユズちゃんのおばあちゃんは、私のことを実の孫のように可愛がってくれていた。
たぶんユズちゃんのおばあちゃんは、演奏会でやるクラシックの曲なんて聴いたことないだろうし、有名な西洋の作曲家も、クレッシェンドもピアニッシモも、何ひとつ知らないだろう。
それでも、「茉里ちゃんが出るんだったらねぇ」と、香田まで足を運んでくれるのが想像できた。
市民ホールの観客席に、彼女はちょっぴり居ずらそうな顔をして座っている。でも舞台上に私を見つけると、大きく手を振る。隣りでユズちゃんが恥ずかしそうにその手を下ろさせようとしている。私はちょっとだけ笑って、富岡先生の指揮棒に集中し、横笛を構える。
「どっちでも。お店で忙しいと思うし」
「何言ってんの。あのボロ銭湯が忙しい時なんて、ほとんどないんだから」
そうかもしれないけど……と言いかけて、慌てて止めた。ちょうど良いタイミングで、朝の学活を知らせるチャイムが鳴った。
その日の夜、「銭湯ゆずりは」の暖簾をくぐった私を、ユズちゃんのおばあちゃんは顔をくしゃくしゃにして迎えてくれた。
「やあやあ茉里ちゃん、いらっしゃい! 待ってたんよぉ」
いつもの年季の入った番台の上で、いつもの年季の入った笑顔を見ると、とっても落ち着く。彼女の声はしわがれていて、ときどき早口で聞き取りづらい。けど、太くて、柔らかくて、丈夫そうな声だった。口からと言うより、身体全体から発せられているみたいだった。
「こんばんは。おばあちゃん久しぶり。お邪魔します」
「はいどうぞ。もうすっかり寒くなってきたからね。風邪ひいちゃわないように、ゆっくり温まっていきなさいね」
「うん。ユズちゃんもう来てる?」
「ああ奈都子と待ち合わせだったよねぇ? 全くあの子ったらねぇ。もうすぐ来ると思うから、待っててくれるかい?」
「私もちょっと早く来たから大丈夫」
女湯の脱衣所には先客が一人、畳の小上がりで休んでいた。甘味屋のおばちゃんだ。
「あら、津々楽さんところの。こんばんは」
私も「こんばんは」と会釈を返した。こじんまりとした脱衣所には、壁際の棚に脱衣籠がたくさん並べてある。竹で編んだ、こげ茶色の丸い籠だ。ほとんどが空っぽなところを見ると、今日も浴場はかなり空いているみたいだった。浴場の入り口には、曇りガラスの上から入浴マナーの黄色いポスターが貼られていた。その脇の冷蔵庫の中で、三色の牛乳がきんきんに冷えている。
部屋の隅っこのブラウン管テレビを見上げると、ちょうど六時のニュースが始まったところだった。
東京で五店舗目となる大型の商業施設の売り上げが、前年比の一・七倍を記録した。地域住民の反対を受けて見送られていたダムの建設は、来年四月の着工で押し切られた。一週間前の男子中学生の自殺は、級友によるいじめが原因だったことを、学校側が認めた。自殺した男の子の両親は、学校を相手取り起訴するのだという。
目のつり上がった、無機質な顔の女性キャスターが、坦々と原稿を読み上げていった。彼女の読む言葉たちには、全然現実味がない。テレビのニュースには、いつもそう感じていた。読み上げられた出来事が、悪いことなのか良いことなのか、私には判断できないときがある。極端に言うと、本当にあったことなのかどうかも、疑ってしまう。お母さんはよく居間でニュースを見ながら「世の中物騒ねぇ」なんて言っているけど、私はいつも思う。
お母さん、安心して。それは、テレビの中だけで起こっていることなんだよ。お母さんの言う「世の中」と私たちがいる「世の中」は、違うんだよ。「物騒」は、まだこの天原町には侵入していないんだから。
「ごめんごめん! お待たせーっ!」
ユズちゃんがお風呂道具を抱えて、更衣室に転がり込んできた。おばあちゃんの「奈都子! あんた約束も守れんのかい!」という怒鳴り声も、同時に響き渡った。
「あーやば! 茉里ごめんホント! ばあちゃんが竹ぼうき装備する前に、お風呂逃げ込もう!」
ユズちゃんはすごい速さで上着のフリースを籠に放り込み、もうティーシャツも脱ごうとしている。番台の上ではおばあちゃんが湯気を立てている。甘味屋のおばちゃんは、口を抑えて笑っていた。
「私は別に逃げ込む理由ないんだけど」
向こう側の「世の中」も色々賑やかだけど、こっち側の「世の中」だって、十分すぎるほど賑やかだ。意味合いは大分違ってくるんだろうけど、私はやっぱりこっち側の賑やかさの方が好きだ。
◆ ◆ ◆
ある一つの仮説が私の頭をよぎった。
よぎった瞬間は、それがほとんど確信に近いくらいに感じていたけど、前にお父さんが「人間、自分で思いついたものをすっかり“名案”だと思い込みがちなんだ。だから、いつも自分の考えを疑っていなきゃだめなんだよ」と言っていたことを思い出した。
そう言えば、その言葉と一緒に「お父さんも、お母さんが本当に最愛の人なのか、何度も疑ったもんだよ」という台詞もくっついていたことを思い出したけど、それにはすぐに蓋をした。お父さんの性格だと、本当に時間をかけて吟味をしたような気がして、娘の私としてはちょっと複雑なのだ。まあ、お母さんの性格だと、そんなことは笑って許してしまうんだろうなと思うけど。
とにかく、お父さんのアフォリズムの影響によって、私は自分の“名推理”を言いふらさずに思いとどまった。よくよく吟味をして、これはもう確実であろうとなったとき、初めて口にしよう。
その“名推理”とは、噂になっていた「座敷童」は、「もののけさん(もとい八百万の獣)」のうちの一人なのでは、ということだ。
恐らく第一目撃者が、もののけさんを見ることのできる力を持っていて、本人がそれに気付かずに、その風貌からてっきり座敷童だと思ってしまった。しかし実際には、もろの木さまのお付きのもののけさんで、おばあちゃんは昔はよく見たという「八百万の獣」の類だった。
そして、私があのとき見た、もとい感じた「光の玉」が「八百万の獣」だとすると、やっぱりあの場所には「座敷童」がいたのだ。どういった理由なのか、私の前では光の玉となって現出していたけど。
演奏会の日の朝。フルートの入ったキャリーケースを背負い、私は吹奏楽部の友達と一緒に天原駅のホームで電車を待っていた。
からりと晴れた秋の空は、とても高い位置に千切れた雲が残っているだけで、綺麗な水色がずっと遠くまで続いていた。この季節になると、晴れの日ほど放射冷却で朝が冷える。吐く息も白い。こんな時期からコートを着て、マフラーを巻いて、膝小僧を真っ赤にしている私は、果たしてこの冬を乗り切れるのだろうか。
吹奏楽部のみんなにはあの日のことを全く話していないけど、噂の「熱」自体はまだまだ残っているようだった。駅の構内に入るとき、みんな揃ってもろの木さまの根元を凝視していたし、「朝の六時から夕方までは姿を隠してるから、現れないんだって」とか「ジャシンのない、清らかな心の持ち主じゃないと見えないらしいよ」とか、まだ私が聞いたことのなかった追加情報を、みんな口々に話していた。ここまでくると、なんだか勝手に脚色されている座敷童がひどく不憫になる。必要の無いところにもたくさん尾ひれが付いてしまって、当の座敷童本体はすっかり見えなくなってしまっているような気がした。ところ構わずにょきにょき生えた、不格好な尾ひれを見ると、正直喉元まで来ていた「光の玉」も「座敷童もののけ説」も、全然言いふらしたりするような気分ではなくなってしまった。
「そう言えばさ茉里、今日見に来るの? 杠さんとこのおばあちゃん」
クラリネットののんちゃんが眠そうな声でそう言った。
「うん。昨日演奏会のこと話したら、そう言ってた」
演奏会の前日だというのに、結局昨日はうんと長風呂を楽しんだ。お風呂上がりにフルーツ牛乳を飲みながら、まだ眉間にしわのよっているユズちゃんのおばあちゃんに演奏会のことを話すと、あっという間にしわが口元に移動した。
「あのおばあちゃん、今も一人で銭湯やってるんでしょ? 元気だよねホント」
天原中の生徒達の中でも、ユズちゃんのおばあちゃんは有名だ。小学校の「体験入浴」で、みんな一度は「銭湯ゆずりは」に入ることになるからだ。
うちのお母さんがよくテレビを見ながら「物騒ねえ」と言っている事件は、本当に色んなものがある。けど、前に家族でニュースを見ていたとき、お父さんがお母さんに言っていた。昔に比べ、犯罪は加速度的に「個人主義」化していると。
強盗や強姦、殺人などの重犯罪が低年齢化している、なんて書き立てて、今や若い世代は「腫れ物」扱いだけど、実際に青少年の犯罪の件数が突出しているわけではないらしい。マスメディアがこぞってそういう事件を報道するのは、四十代の無職の男が「ついにやってしまった事件」よりも、毎日学校に通い、成績も悪くはなく、友達付き合いも多い、ごくごく普通の少年が「突然変貌した事件」の方が、目を引くからだ。まるで時代を象徴しているようなセンセーショナルさがあるからだ。
「人は自由で平等で、個人として尊重される。そういう教育をずっとずっとこの国はやって来たんだから、若い人も、四十五十のおっさんも、根っこの考え方は大して変わらないんだ」
お父さんは言っていた。事件は今、「個」の問題になってきている。本当は、人は自由でもなければ平等でもなく、個人として尊重される保障はどこにもない。それは、ちょっと考えれば当り前のことなのに、憲法はそれを否定しているのだ。それを勘違いしたまま、「個」を「公」に押し広げてしまったとき、事件は起こる。
昔は、例えば学生運動みたいに、ある考え方の集合体が勝負を仕掛けることで紙面を賑わせた。そこには、何か強い意志が働いていた。新聞やテレビは、それを伝達する役目を果たしていた。でも、今は様相を異にしている。
「最近のニュースなんかではさ、『どうしてこんなこと起こっちゃったんだろう』って思う事件が多いよね。そういう事件を起こしてしまう人は、大抵独りぼっちなんだよ。そして、当人にどうしてそんなことをしたのか訊いてみても、自分でも分からないって言うんだ」
お父さんは農家になる前、裁判所の職員として働いていたらしい。
「その人たちには、家族とかもいなかったのかな?」私は不思議になって訊いてみた。
「家族がいて、恋人がいて、友達がたくさんいても、独りぼっちの人は山ほどいるんだよ」
ふーんと、そのときの私は曖昧に返事をした。
お父さんの言葉の意味が全然分からなかったわけではない。ただ、全部分かったわけでもなかった。とりあえず私は独りぼっちだなんて感じたことはないわけだし、今のところはセーフだろう。私の想像力では、せいぜいそうやって安心することぐらいしか出来なかった。
話がかなり逸れたけど、「体験入浴」はつまり、大人になっても独りぼっちにならないようにするための練習なのだ。公共マナーをきちんと守って、みんなで裸になって、全員で同じことをするのは、「俺はこうだから」とか「私はそうじゃないから」とかいう「個人」が肥大してしまっては成り立たない。そういう「個」が最小化した場が、本来あるべき「銭湯」なのだ。
ユズちゃんのおばあちゃんは入浴マナーには厳しかった。かけ湯をしなかったりとか、男湯と女湯にひとつずつしかない五右衛門風呂を長時間独占したりとか、浴場内を走り回ったりとか、そんな不届きな輩は、一回目はイエローカード、二回目は永久追放となる。私が小学生のときに行われた体験入浴では、湯船でクロールした男の子が、まるでしゃぶしゃぶのゆで上がった肉みたいにお湯から引っ張り出されて、脱衣所に放り投げられていた。昨日あんなにバタバタと騒いでいたユズちゃんも、服はきちんと籠の中に入れていたし、浴場内ではいつもスロー再生されているみたいにおとなしかった。
ユズちゃん曰く、「もろの木さまと湯の神さまが監視してるから」なのだそうだ。 浴場の奥の壁面には、一枚の大きなペンキ絵が描かれていた。男湯と女湯で一枚の絵になっているらしいから、私は女湯側、ペンキ絵の右側しか見たことがない。
ペンキ絵と言うと、普通は富士山が描かれるものだと思うけど、「銭湯ゆずりは」の場合は違った。
女湯側には、薄い紫色の浴衣を着た女性が描かれている。それを着て歩くにはとても不便そうなほど丈が長い浴衣だ。古い家屋の縁側のようなところに彼女は立ち、少し上の方を見上げていた。男湯の方にはもろの木さまが描かれているというから、位置関係的に、きっと彼女はもろの木さまを見上げているのだろう。口元に少し笑みを浮かべ、とても上機嫌そうだった。右手には木製の柄杓を持っている。
彼女が湯の神さまだ。
そして、昨日ユズちゃんとお風呂に浸かりながら、なんとなくそのペンキ絵を眺めているとき、私がずっと不思議に思っていた謎がひとつ解けた。
湯の神さまの傍らに、一匹の大きな亀がいるのだ。縁側でひなたぼっこを楽しんでいるかのように、前足を畳んで寝そべっている。たぶんこいつは、前に動物番組で「ガラパゴス諸島特集」をやっていたときに見た、ガラパゴスゾウガメだ――そう思っていたけど、あんな地球の裏側の、閉じ込められた生態系からペンキ絵の題材をチョイスするなんて、甚だおかしかった。
それにペンキ絵の方の亀は、目は土偶みたいな横線で描かれているし、灰色の甲羅の隙間からは湯気(銭湯のペンキ絵だから、たぶんそうだと思う)が立ち昇っている。その湯気が湯の神さまの姿を四割ほど隠しているので、彼女の妖艶さを一層引き立たせる役目を果たしていた。この亀は、見れば見るほど似ていない。ガラパゴスゾウガメとは全然、似ていない。
きっとこの亀は、湯の神さまの「八百万の獣」に違いない。
大発見だと思ってユズちゃんにそう話したら、彼女の反応は随分とあっさりとしたものだった。
「まあ、湯の神さまと一緒にいるんだから、そうだろうね。ばあちゃんに訊いて確かめてみたら?」
「ユズちゃんは、この亀のこと気にならないの?」
「うーん。なんで亀なんだろうとは思うけどさ。これがその“八百万の獣”っていうのだとしても、へーそうなんだって感じ?」
銭湯の娘は、いるかもしれない噂の生き物には夢中になっても、実在しないとなれば、興味のかけらも沸かないらしい。
「ユズちゃん、バチあたるよ」
「バチよりも、ばあちゃんの竹ぼうきの方がずっと恐ろしい」
それも、一種のバチなんじゃないかなあと思った。
香田市の市民ホールで行われる演奏会には、付近の中学校の吹奏楽部が招かれ、毎年それなりの賑わいを見せる。天原中も六年前から招待されていた。一応プロの演奏家や音大の学生などが審査員となり、参加中学校の中で順位も付くので、長年吹奏楽部の顧問をしている富岡先生はこの十月に入り、少しずつ、しかし確実に笑顔が消えていった。
富岡先生は白髪頭もかなり後退してきた年配の先生だけど、音楽の授業ではとても優しいから生徒にも人気がある。だが、吹奏楽部の「顧問」としての富岡先生は、ときどき別人かと思うほど、生徒に罵声を浴びせる。グラウンドの隅にはナナカマドの木が植えてあるけど、演奏がボロボロだったときの富岡先生の顔は、ほとんどナナカマドの実の赤色に匹敵するだろう。ホルンの堤さんは、もうほとんど毎日泣いていた気がする。
ホルンって肺活量いるし、ボリュームを調整するのが難しいんだよね。「女子中学生に吹かせる楽器じゃない」ってのんちゃんが言ってたけど、一理あるかもしれない。
でも今日の演奏会、そんなホルン担当の堤さんにとって素敵なエンディングが待っていた。
我が天原中吹奏楽部の演奏は、富岡先生に檄を飛ばされ飛ばされ練習してきた甲斐あって、見事銀賞を受賞することができた。私のフルートのソロも、のんちゃんのクラリネットも華麗に決まり、繰り返し合わせた転調も上手く整い、拍手喝采で緞帳が下りた。富岡先生が解散時のミーティングで「堤、お前良かったぞ」なんて言うものだから、堤さんは最後の最後でまた泣いた。
みんなで肩を叩きあって、本当に感動的な場面だった。けど、私は別のことに気が取られていて、半分上の空だった。
ユズちゃんも、ユズちゃんのおばあちゃんも、結局会場には現れなかったのだ。
演奏の直前、舞台の上から客席を見渡した。うちのお母さんとおばあちゃんが中段の右端に並んで座っているのが見えた。お母さんは最近買って異様にハマっているポラロイドカメラを構えていた。部員の父兄や先生方など、知っている顔がいくつかあったけど、ユズちゃんたちを見つけることはできなかった。
昨日は「前の方の席、早めに行って取っとかなくちゃねえ」とまで言ってくれていたのに、どうしたんだろう。何か、急な用事が入ってしまったんだろうか。
帰り際のロビーで、お母さんが走り寄ってきて、ポラロイド写真三枚と千円札をくれた。
「お友達と寄り道してくるなら、あんまり遅くならないようにね」
銀賞おめでとう。お母さんは言ってくれた。おばあちゃんも隣りに来て、大したもんだねぇと、大きな声で笑った。
「うん、ありがとう」
写真三枚のうち、二枚はブレてしまっていて、残りの一枚も、ソロを吹き終わってほっとしている私の、隙だらけな表情の写真だった。私が目を細めて写真を見ていると、「お母さん、まだ修行中だから」と、撮影者は言い訳しながら笑った。
「ねえユズちゃん来てない? 昨日見に来るって言ってたんだけど」
お母さんにも訊いてみる。そのときちょうど、入口の方からのんちゃんたちの催促の声が聞こえた。みなっちとマコもいる。同じ吹奏楽部二年の、仲の良い三人だ。
「あら、そうなの? 私は見てないけど。月曜日に学校で訊いてみたら?」
杠さんのところは忙しいからねぇと、隣りでおばあちゃんが言った。
やっぱり、来ていないのだ。
「ほら、お友達呼んでるわよ」
「うん。じゃあね」
のんちゃんたちと合流して、私は市民ホールを出た。
今朝の冷え込みが嘘のように、ぽかぽかの陽気が町を温めていた。空気は冷たくても、陽のあたるところはコートなんていらないくらいだった。
散々迷った挙句、結局香田駅の前にあるチェーンのドーナツ屋さんでティータイムすることに落ち着いた。去年の演奏会の後も、同じメンバーで来た記憶がある。
とりあえずの話題は、九月にあった実力テストの結果に向けられた。私は思いのほか国語の点数が良かったけど、一年生の頃の単純な数学の公式がいくつか頭から抜けてしまっていたことが発覚した。塾にも通っているのんちゃんは五教科安定して八割をキープしていたらしいけど、みなっちもマコも結果は散々だったと聞いて、私は少し安心した。
十一月に入ると、すぐに二学期の中間試験が待ち構えている。その次は間もなく期末試験で、ぼーっとしてるとすぐに学年末。そして、あっという間に受験生だ。受験生になってしまったら、きっとこんなところでのんびりチョコレート・チュロスをかじったりする暇もないんだろうなと思うと、ちょっと気分が暗くなった。
勉強の話から、今日の演奏の話になり、最近聞いている音楽の話になり、芸能人やアイドルの話になった。四人ともすっかりしゃべり疲れて、帰りの電車では、天原駅までの四駅だけでも寝過ごしてしまいそうになった。
天原駅前の広場は、夕焼けでオレンジ色に染まっていた。
少しずつ暖色に衣替えしているもろの木さまも、夕日に温められて心地よさそうに葉を広げている。やっぱり今も一人だ。
土曜日の夕方というだけあって、広場には人が多かった。家族連れやカップルも意外に多く、商店街の方も、こじんまりとはしているけど、それなりに活気があった。あの張り込みをした夜と比べると、広場全体に命が吹き込まれたみたいだ。
楽器を背負った四人の中学生は、疲れ切ってふらふらしながら広場を横切り、途中各々の家路に分かれ、じゃあまた学校でと、私は三人に手を振った。
のんちゃんは頭が良いから、たぶんこの町でも一番レベルの高い天原高校に行くんだろう。彼女が通っている塾は、ほとんど天高に合格するために開業されているような個人塾だ。毎年教室の窓ガラスに、昨年度の合格率が張り出されている。
みなっちとマコも、三年の夏からは塾に行くと言っていた。
「天高まではいかなくとも、柏高や緑が丘高あたりには、この身を繋ぎとめとかないとね。うちのお父さんやたら学歴主義でさ、それ未満は認めないって言われてる。成績によってはこの冬からもう塾行かされるかも」
マコはさっきのお店で、そんなふうに愚痴りながら、ため息をついていた。
受験。私はどうなるんだろう。もちろん全く何も考えていないわけではないけど、きっとちゃんと考えている人からすれば「考えてない」に等しいんだと思う。自分の進路を自分で決めるという実感は、まだ全然ない。
フルートの奏者になって、人のたくさんいるホールで、プロの楽団の人と一緒にコンサートを開く。拍手喝采の中、私は満面の笑みで礼をする。会場を見渡すと、見に来てくれた知り合いがたくさんいて、私はますます笑顔になる。
そんな妄想をしたことがあったけど、一方で、私は思っている。そんな出来過ぎた夢は、九十九パーセント夢で終わるんだろうなと。そして私は知っている。その夢が挫かれたとき、きちんとした仕事に就いて、それなりにまっとうな人生を歩んでいくためには、やっぱり勉強しなきゃいけないことも。
広場を見渡してみた。大人も子供も、男の人も女の人も、たくさんいる。この人たちの中で、一体何人くらいが残りの一パーセントを掴み取ったのだろう。もしくは、これからその一パーセントを掴み取る気のある人は、どのくらいなんだろう。
そんなことを考えながら、夕焼けの駅前広場に佇んでいる私の目に、あるものが映り込んだ。心臓がどくりと一回鳴いて、私は息を呑み込んだ。
もろの木さまの傍らに、忽然と少女が現れたのだ。
ほんの少し前まで、もろの木さまの近くには誰もいなかったはずだった。道行く人は多く、雑踏の中に見え隠れして確認しにくいけど、私たちと同じくらいの年齢の女の子で、短く切り揃えた黒髪をしていて、まるで何か語りかけているかのようにもろの木さまを見上げている、あの少女を見逃すはずはない。
噂は嘘じゃなかった。座敷童は本当にいた。
もろの木さまから十五メートルほど離れたところに突っ立って、私はその少女を見ていた。その姿から、目が離せなかった。雑踏が消えて、視界が狭くなる。
彼女は真剣な眼差しでもろの木さまを見つめていた。祈りを捧げているようにも見えたし、孤独な御神木を憐れんでいるようにも見えた。西の空から照りつける夕日を浴びて、その白い肌と、黒い瞳が輝いていた。
でも、座敷童がこんな時間帯に出現するという話は聞いたことがない。目撃情報では陽が落ちてから現れるということだったし、今はとても人通りが多い。白昼堂々と「噂」の当事者がこんな目立った行動に出ていいのだろうか。
そう言えば、噂では座敷童の服装については言及されていなかった。見たところ、真紅の着物を着て、綺麗な鼻緒の下駄を履いている――わけではなく、ベージュのダッフルコートに紺のスカートという出で立ちだった。
私の視線を感じたのだろう(なにせ、まるまる一分間くらい、じっと彼女を見つめていたのだ)、座敷童もこちらを見た。まともに目が合ってしまい、私はたじろぎ、一歩後ずさりしてしまった。彼女は着ているダッフルコートのボタンをちょっと触り、またもろの木さまを見上げたかと思うと、私に向かってつかつかと歩いてきた。
大丈夫だ。座敷童は悪戯好きだけど、災いをもたらしたいはしないって、ユズちゃんが言ってた。大丈夫だ。「もののけさん」って呼んでも、そんなことじゃあ八百万の獣たちは怒ったりしないって、おばあちゃんが言ってた。大丈夫だ。私はなにも失礼なことをしていない。何か被害を受ける謂われはない。何も――
「あなたは木行(もくぎょう)が一段階開いてるんですね」
座敷童は言った。私はぽかんと口を開けたまま、息もしていない。
「だからあなたには見えるんです。コノの端境(はざかい)で、普通の人に今の私は見えないのに」
学校の教室で、ゲームやアニメ好きの男子が全く意味不明な言語で会話しているのをよく見る。彼らの間でしか通じない異世界の言葉なので、随分真剣だけど、何がそんなに重要なのか分からない。大爆笑していても、何がそんなに面白いのか、皆目見当が付かない。
今、まさにあの感覚だった。この少女は一体何を言っているんだろう。
そんな状態の私を察したのか、分かりました、しょうがないですねえというふうに、彼女は口元で笑った。最初から投げ捨てるような感じのしゃべり方だったけど、笑い方もちょっと冷たい。幼げな顔とこじんまりとした背丈に不釣り合いな、大人びた微笑だった。
私は、そのときちょっと期待したのだ。きっとこの座敷童は、私にも納得できるように「専門用語」を説明してくれるんだ。見えるとか見えないとか、モクギョウがどうとか、ちゃんと分かる言葉に置き換えてくれるんだ。最近では実はこういう意味で使われているんですよ。ご存じなかったですか。高校で習いますよ。
「コノ。隠れてないで姿を見せてください。この人は、きっと力になります」
その期待は、次の瞬間、きれいに消し飛んでしまった。
彼女の頭の上の、何も無い空間。何かがまるでカーテンをめくるように、ひらりと姿を現した。
唐突に、しかしあまりに自然で、何も珍しいことじゃない出来事みたいに、その物体は登場した。
声が出ない。叫び声って、どうやって上げるんだっけ。私は息を呑みっぱなしだった。一体いつから呼吸をしていないだろう。
現れたそれは、生き物だった。背中に羽の生えた獣だ。うっすら緑色がかった体毛に覆われいる。胴とは不釣り合いなほど大きな頭は、球根……嘘ではない。本当に、球根のような形をしていた。
そして、その生き物は“言った”のだ。
「どうして最近の神子(みこ)って、こんな子供ばっかりなのさ?」
あら、これはこれはとっても流暢な日本語で。
私はもう、卒倒しそうだった。