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  [No.1163] Feed For World 投稿者:イケズキ   投稿日:2014/03/07(Fri) 18:55:58   62clap [■この記事に拍手する] [Tweet]

初の連載です

人が死にます。残酷描写はないと思いますが、苦手な方は両手で顔を隠して指の隙間から覗くといいかもしれません


  [No.1164] まえがき 投稿者:イケズキ   投稿日:2014/03/07(Fri) 18:58:50   56clap [■この記事に拍手する] [Tweet]

例えばの話をしよう。
 一つの夢を追い続けて、やっとの事で叶えられた者がいたとする。それは幸せなことだろうか? ホントに手放しで喜べることなのだろうか? ちょっと穿った見方をしてみれば、夢を叶えることは、追っていられる夢を失うということだ。それは悲しいことではないのか?
 大して気にすることでないのかもしれない。何も気にせずその先を生き続けていくのが普通だろう。
 でも、もしそれが出来ない人がいたら? どのようにして「その先」を見出していくだろうか?
 これはそんな人がいたらという、例えばの話。


  [No.1165] 1 投稿者:イケズキ   投稿日:2014/03/07(Fri) 19:00:26   52clap [■この記事に拍手する] [Tweet]

 木造一軒家の一室、男が一人黙々、ある作業をしていた。
 男の有様は酷いものだった。下着のみの格好で、黄ばんだタンクトップとトランクスを着て、その間からたるんだ腹が、溶けかかったチーズのように垂れ下がっていた。作業中はボサボサの髪から大量のフケが、天井からぶら下げられたロープを確認する度床へと降り落ちていった。
「よいしょっと」
 ロープの真下に置かれた派手な椅子の上に立った。これは男がポケモンリーグで優勝した時にテーブルとセットで親からもらったものだ。優勝記念がテーブルセットなのにも疑問だが、なによりこのデザインが気に入らなかった。有名デザイナーの作品だそうが、自分にはこの真っ赤な色も歪んだ形も全部派手すぎて気に入らなかった。
 自殺する準備は整った。後は死ぬだけ。
 死に別れた大切な人がいるわけでも無く、返しきれない借金を抱えているわけでもないが、男は自死を決意した。つまらなくなったのだ。
 男には長年追い続けてきた夢があった。そしてその夢はつい最近やっと叶った。叶った時は、それはもう有頂天になって喜んで、子供みたいに連日はしゃいでいた。だが、一週間、二週間と経つにつれ余韻は冷め、一つの疑問に囚われるようになった。
 ――この先は?
 お笑いでいう所の、芸人が話終わったあとに意地悪な司会から「ほぉ、それで?」と言われた時と同じだ。先が続かない。夢というのは人生のネタだ。完結すればその先は無い。オチの後に「それで?」なんて言われても、何も出てはこないのだ。
 だから死ぬ。そんなバカげたことで、と思われるかもしれないが、男は死ぬことに決めた。オマケの人生をだらだら生きるのは非常につまらない。
 首にロープを巻くと繊維がチクチクと刺さって痛かった。何でもいいやと思って家にあった古いロープを使ったのが間違いだった。まぁ、どうせこれから死ぬのだから大した問題じゃないが。
 首にロープをかけた状態で、出来る限り部屋をぐるっと見渡してみた。汚い部屋だ。掃除なんて一度もしていない。リーグ優勝した時のトロフィーが右の棚の中に見える。夕日に当たってピカピカ輝いているはずが、棚の窓が汚くてひどく曇って見えた。
 未練はない。
 ――目をつむった。
 未来もない。
 ――重い椅子をどけるのに片足を降ろした。
 最後の瞬間ギュッと強く目をつむり、降ろした足に力を込めた。
 ――さようなら。


  [No.1166] 2 投稿者:イケズキ   投稿日:2014/03/07(Fri) 19:01:09   61clap [■この記事に拍手する] [Tweet]

 これが死後の世界であるなら、私は地獄に落ちたのだろうか? それともここは天国なのだろうか? いや、天国でも地獄でもないSF小説に出てくるような宇宙の彼方へ飛ばされたのかもしれない。目の前の光景を見てもさっぱり見当がつかない。
 そこは見覚えのある場所だった。
「さぁ、間もなく始まりますカントーポケモンリーグ決勝戦! いよいよやってきた運命の時に、会場のボルテージは最高潮に達しておりますっ!」
 あんたのボルテージが一番高いよ、とツッコミたくなるテンションで司会の男が叫ぶ。
 ここはセキエイ高原。かつて選手としてフィールドで戦っていた私は、その周りに設置された観客席に座っていた。あたりは大量の人、人、人……、それらが発する黄色い声援に埋め尽くされとてつもなくうるさい。
 と、ふと大事なことに気付いて自らの格好を確認した。しかし確認してすぐに安心した。私は下着一丁の姿ではなく、普段外出する時のみ着る、よれた黒のTシャツに左の膝のとこが破けたジーパンという姿だった。見苦しいことには変わりないがまだ社会で許される範囲だ。
 私は全く今の状況がつかめずスタンディングオベーションの中一人座って考えていた。
 確かに私は死んだはずだ、下着だけの姿で、首を吊って。そう思って首筋をさすってみた。絞められた跡はない。
 それにいったいどうして今私はセキエイ高原にいるのだろう? ついさっきまで自宅の、自分の椅子の上で自殺していた私がどうして。
 ――どーーん!
 会場が爆発した。
 少なくとも私にはそう感じた。試合会場に全く目を向けず一人考えていた私は、会場が一斉に歓喜の声を上げたのに驚き心臓が止まる思いだった。……すでに止まっているはずだが。
「来ました! ポケモンリーグカントーチャンピオン、ワタル! 黒のマントをたなびかせ今、堂々の登場ですっ!」
 会場の反対側、大量のスモークとレーザーを使った派手な演出の中からワタルが出てきた。ここから見るとまるで黒い米粒だが、自分の周りにいる者たちは皆大声で名前を叫んだり、ちぎれんばかりに手を振っている。
 私はワタルの真上に設置されているオーロラビジョンを目を細めて見ていた。
 ――おかしい。
 ワタルはチャンピオンじゃないはずだ。なぜなら私が彼を倒したから。すでにチャンピオンの座を退き、トレーナー業からも引退したはず。なのにこれはいったいどういうことだろうか。
 私はここで突拍子もないこの事態について一つの予想をしていた。予感、という方が正しいかもしれない。ナンセンスにもほどがある予感だったが、そもそも死んだはずの私が今ここで生きている(?)事自体ありえないのだから、あながち的外れでないのかもしれない。
「続いて挑戦者の登場ですっ!」司会が絶叫する。私はいったい誰が挑戦するのか、じっとオーロラビジョンを見つめていた。
 挑戦者側にもスモークとレーザーの無駄に派手な演出がなされていた。おかげでなかなか姿が見えない。
「ヤマブキシティ出身、30歳遅咲きの新星――」
 司会の絶叫も、観客の声援にほとんどかき消されてしまう。ワタルの時よりも心なしか声が大きいような気がする。
 じっと画面を見つめていると、やっと煙の中から人影が浮かびあがってきた。
「幾多の困難を乗り越え、今、カントー最強を決める戦いに臨みます――」
 だんだんと顔がはっきりしてくる。まだぼやけた感じだったが、私にはそれで十分だった。見慣れた顔。これで事態がはっきりした。
「チャレンジャーの名は――」
 とうとう全身をスモークから出し、緊張でこわばった顔をした――

 私が出てきた。


  [No.1167] 3 投稿者:イケズキ   投稿日:2014/03/07(Fri) 19:02:40   47clap [■この記事に拍手する] [Tweet]

 そこから先はまるで二度目の映画だった。
 見覚えある試合が目まぐるしく進んでいく。最後に私のサンダースが紙一重でワタルのカイリューの『ドラゴンダイブ』をジャンプでかわし、空中の不安定な体勢から放った『かみなり』がうまい事ヒットし試合が決するところまで全く同じだった。
 試合後、ワタルと私(?)はバトルフィールドの中心で互いの健闘を称え固い握手を交わし、決勝戦は終了した。
 もうここまで来ては一片の疑いの余地もない。
 ――ここは、過去の世界なんだ。
 なんてことだ。死んだはずの私は、天国でも地獄でもなく、どこか宇宙の彼方でもない、自らの過去に来てしまった。
 なんだか無性にやるせない。オマケの人生を避けて死んだのに、本編までさかのぼって来たのじゃ、まったく意味がない。
 閉会式が終わり、次々と観客が会場を出ていくのを眺めながら、私は一人座って考えていた。
 この世界から抜け出すにはどうしたらいいのか。試しにもう一度死んでみるか? 次こそ今度こそ天国か地獄か、とにかく死者が向かうべき“それっぽい”所へ行けるかもしれない。
 いや、やめておこう。というか、嫌だ。だいたい死ぬ生きるなんて、ほいほい決めるような問題じゃない。死ぬのだって大変なんだ。怖いし、痛いし。さっきのもずいぶん悩んで決めたことだった。やっと覚悟を決めて死んだのに、過去に戻ってきてしまうなんてホント迷惑な話だ。
 私は自分で考えてイライラして、この状況に八つ当たりしていた。
 とにかく死ぬのはやめておこう。もう少しこのまま生きてみて、それからまた悩もう。
 ギャラリーはすでに閑散としはじめていた。試合会場は、兵どもがなんとやらといった様相で、無茶苦茶に荒れたフィールドだけが先ほどのバトルのすさまじさを物語っている。
 ぼーっとフィールドを見ていてふと思った。
 ――今頃、あの「私」はどうしているだろう。
 ふと思った瞬間から、気になってしょうがなくなった。
 確か、試合が終わった後私はポケモン達をポケモンセンターに預けて、そこで大量の記者に取材責めにあって、疲れ切って部屋に戻ったはず。オーロラビジョンの横にあるデジタル時計は午後4時前を指している。
 ――行ける!
 今らならまだ『私』は取材責めに遭っている最中のはずだ。控室に戻ってくる前に部屋の前で張り込んでおけば……。
 思い立ったらいてもいられず、すぐさま控室へと向かった。場所は覚えている。

 控室の近くまで来た。が、それ以上近づけなかった。
 控室までの道は一本の細い通路で、会場のコンコースとつながっている。そこまでは何も問題は無いのだが、コンコースと控室までの道の間に警備員が一人立っているのだ。選手だったころは特に意識したこと無かったが、当然と言えば当然。あの道は関係者以外立ち入り禁止なのだ。そして今、私は関係者ではない。しかも、選手そっくりの顔した私が道を通ろうとして何か騒がれても厄介だ。
 絶対引き止められると思いつつ、とりあえず向かうことにした。何か言われた時には選手の親戚とでも言っておけばいい。実際、似たようなものだ。
「あ、あのー……」警備員に近づきつつぼそぼそと声をかけた。
「……」気づいていないようだ。声が小さすぎた。
「あのー」もう一度声をかけた。今度はもっと大きな声で、すぐ横から。
「……」反応してくれない。
「すみません!」今度は耳元でもっと大きな声で呼んだ。
「あっ! どうしました?」まるで今さっき気づいたかのように、びっくりした様子で警備員がようやく反応を返した。
「その……私チャンピオンの従兄弟でぜひ、今回の優勝のお祝いをしたいのですが」私は今の反応を訝しみつつ頼んでみた。
「だめだめ。ここから先は選手以外立ち入り禁止ですから。親戚でも家族でも、選手が出てくるまでは待っててください」
「あ、はい。分かりました……」やっぱり駄目だった。
 再びコンコースの端に戻った。あっさり引き下がりすぎたかもとは思ったが、まだあきらめたわけじゃない。私は今さっきの現象について考えてみた。
 さっきのあの警備員の反応は絶対おかしい。私は存在感ばりばり出してるようなタイプじゃないが、それにしたって真横から話しかけて無視されるほど影の薄い人間じゃない。あの気づかなさは異常だった。無視されたわけじゃなさそうだし、本当に大声で呼びかけるまでそこにいることにも気づかれてないようだった。
 私はもう一度警備員に近づいてみた。こんどは一切話しかけず、こっそりと。と言っても視界に入りずらいよう、入口の正面からではなくコンコースの壁に沿って近づいただけで、これでも普通なら十分気づかれるはずだ。
 しかし警備員は気づかなかった。最後彼と壁の間ををすり抜けて控室までの通路に入った時も、彼は相変わらず退屈そうな顔をしてぼんやり遠くを眺めていた。
 通路半ばまで行き控室の扉の横で、「私」が帰ってくるのを待ちつつ、さっきのことを振り返ってみた。
 やっぱりあの無視のされようは普通じゃない。気づいていないというより、見えていないって感じだ。
 だとしたら、さっきギャラリーにいた時のことはどういうことだろう? 確か会場のギャラリーにいた時、私は椅子に自分一人で座って、そこに誰か座るわけでもなく、閉会式の後だって周りの人間は座ったままの私を皆避けて左右に分かれたり、前を通っていった。
 ――今の私って何なのだろうか?
 過去の世界にとって、私は本来いないはずの人間だ。それはいったいどういうことなのだろう。ここにいるのは間違いない。でも、何だか妙に影の薄すぎるような、他人に気付いてもらうのにこんなに苦労するのはなぜだろう。
「幽霊」
 もちろん本当の幽霊じゃないが(本当の幽霊がどんなものかは知らないが)、それが一番近いのかもしれない。直感的に存在を感じられても、意識されることがない。集合写真の中の一人のようなものだ。特別に注意をひかないないかぎり、私は景色全体を構成する一部分でしかいられない。
 誰にも意識されないというのはなんとも寂しい感じがするが、これは便利だ。これで誰にも気づかれずどこへでも行くことができる。
 それなら何も外で待っている必要はない。私は控室の中に入った。後で、あの「私」が来た時、勝手に部屋にいる不審者と騒がれたらと思ったら、とても中まで入る気になれなかったが、気づかれないならそんな心配はない。
 控室は私だけが使う専用の部屋で、入口から入って右へ横に長い形をしている。入口の正面には化粧台が設置してあり鏡の中には少し疲れた顔をした私が映っていた。ちょっと陰気くさいのは否定できないが、幽霊にしちゃ元気な顔をしている。
「あとでまたお話聞かせてくださいね。今日はホント、優勝おめでとうございました」
「ありがとう。それじゃ、また今度」
 ドアの外から声がした。一人はこの大会で知り合った選手の女の子……のはず。今じゃ名前も覚えていない。とにかく、私が優勝した後から急に馴れ馴れしくなってきた者のうちの一人だ。
 もう一人は間違いない、「私」だ。とうとう帰ってきた。私は生唾を一度ゴクリと飲み、ドアが開くのを待った。
 ――バタン。
 ドアが閉まるのとほぼ同時に女の子を見送っていた「私」が振り向き、こちらに顔を向けた。
 私はまっすぐ「私」を見た。
 ついさっきまではそれなりの笑顔を浮かべていたのだろうが、今の「私」は無表情でいかにも疲れ切ったという様子だ。
 「私」はすぐにでも部屋のソファに座りに行くかと思ったが、意外にもそのままじっとこちらを向いて突っ立っていた。私のことは見えていないはずなのに、じーっとこちらに顔を向け続けている。
「あれ? 見えてる?」
 「私」の大きく見開かれた両目は、まっすぐ私に向けられていると気づいた。

「あ……」
 「私」は口を半開きにしてそのまま二、三秒ほど突っ立っていた。
「あ、その……」
 私も似たようなものだった。目の前の「私」にいったいなんと切り出せばいいのか分からず、しかし何か喋らないといけない気がして、酸素のなくなった水槽でもがく魚のように口をパクパクさせていた。
「あなたは……?」初めにまともに口を聞けるようになったのは、過去の「私」のほうだった。未来の私が、過去の「私」に後れを取ってしまった。
 「私」がどういうつもりで「あなたは?」と聞いたのか知らないが、そのままの意味でない事はなんとなくわかった。
「あー……」私はまだまともに話せないでいる。
「その、これにはいろいろ事情があって……」
「はぁ……、と、とりあえず座りますか」部屋の真ん中に置かれたソファを指して言った。
「ああ」私はなんともあいまいな返事をして、ソファを見やった。座ろうかと言われたものの、なかなか動きだせず、「私」が動き出すのに合わせてあとを追った。

 ソファに座るとまたしばらくお互い何もしゃべらない時間が続いた。お互いなんと切り出したらいいのか分からないのだ。
 自殺したはずが気が付いたら過去に来ていました、とは言いづらい。突拍子もない話だし、百歩譲って信じてもらえても、自分が自殺したと言うのはなんだかマズイ気がする。なんといっても、目の前の男は“私自身”なのだ。
 一方、「私」の方もこちらをじっと見つめつつ固まっていた。先ほどから瞬き一つしない。なんとなく、目の前の「私」が、私を誰だか分かっている、そんな気がした。これといった根拠はないのだが、同一人物同士だからこそ働く第六感というのか、そんな感じがする。自分と私が同一人物であると分かっていて、だからこそ混乱しているのだ。
「えー……」今度は私から先に口を開いた。
「はい?」
「とりあえず、初めまして……でいいのかな」ぎこちない笑みを浮かべつつ、挨拶した。自分に向かって“初めまして”なんて、心底笑えないジョークだ。
「あ、初めまして……?」目の前の「私」の挨拶にも疑問符が付く。
「あの、変なこと言うようだけど、君と僕って、なんていうかなぁ……あなたと私は似てるというか……鏡の前にいるみたいで、初めて会ったような気がしないです」
「そ、そうなんだ」変な汗が首筋を流れる。
「ところで、その、あなたはどうしてここに?」“我”ながら落ち着いている。私とは大違いだ。
「あー……」また私は言葉に詰まってしまった。
 もともとなんで過去の私に会ってみようと思ったのだっけか。たしか、ここが過去の世界だと気づいて、ただ無性に会ってみたくなったのだ。しかし、実際に会って何を話そうかなんて全く考えていなかった。
 ――沈黙が続く。
 何を話すか。考えてみてもサッパリ思い浮かばなかった。せっかくの機会なのだ。未来を知っている私から、過去の私がこの先生きていくのにウマイ情報をたっぷりあげるのもいいかもしれない。
 ――生きていく?
 生きるのをやめてここにいる私が、なにを言っているのだろう。私は自殺した時にすべて捨ててきた。親も名誉も過去の私も――。結局全部捨てるのに、何かを与えるなんてまったく無駄なことだ。
「ちょっと、聞きたいことがありまして……」質問に切り替えた。
「なんでしょうか?」
 ――なんだろう?
 ここまで来て何も話さず、かといって言うべき言葉も思い浮かばず、苦し紛れに質問してみたがいよいよ追いつめられてしまった。
 ――コンコン。
 ドアをノックする音が背後から突如響いた。
「あっ! 申し訳ない、ちょっと待っててください」
「は、はい」
「私」は慌て気味に立ち上がるとドアの方へ向かっていった。振り返ってみるとドアの向こうにいるのは、姿は見えないが若い男のようだ。話の内容からして大会の役員だろうか。
「お待たせしました。大変申し訳ないのですがこのあとすぐにテレビ取材が始まるそうで、実は今すぐ向かわないといけないそうなのです……」「私」が戻ってきて言った。
「そうですか……」自然と口調が沈んでしまう。私は今、二度とない絶好のチャンスを失いつつある、そんな気がした。
「向こうの取材がどれくらいかかるのか分からないのですが、それまでお待ちいただけますか?」
「そんな! これ以上お時間いただくわけには……」思ってもないことが口をついて出る。ホントはもっと話がしてみたい。私には聞きたいことが――。
 ――あれ? 聞きたいことってなんだ?
 苦し紛れに言っただけのことが、いつの間にか本当の事になっていた。あの時の、そして今目の前に立っている私にどうしても聞いておきたいことがある。しかし、それが何なのか分からない。
 ――コンコン。ノックの音が再び響いた。
「はい、もうすぐ行きますんで、もうちょっと待ってください!」
 「私」が扉の向こうの男に返事する。残された時間は少ない。
「あ、あの……」
「なんでしょう?」
 口をパクパクさせても伝えるべき言葉が出てこない。舌がカラカラに乾く。まるですべての唾液が蒸発してしまったみたいだ。
「あ、あなたは今……幸せですか?」
 沈黙。過ぎたのは一秒程度の時間だったかもしれないが、私には一年にも近い時間に感じられた。
「ふふっ、もちろんですよ」面喰って硬直していた「私」の顔が、満面の笑みに変わった。
「……よかった」かすれた声がこぼれた。

 「私」が去った後もしばらくソファに座ってぼーっと宙を眺めていた。
 ――よかったってなんだよ……。
 自然と口から出た言葉であったが、欠片も私は「よかった」とは思っていなかった。
 ずーっと頑張って、何度も諦めかけて、でも諦めないでまた頑張って、それでやっと叶えた夢。あの時の私は夢が叶って幸せだって、本当にそう思っていたんだ。
 でも叶ってしまった夢なんて、クズだ。タチの悪い燃えないゴミだ。役に立たないくせに、捨てることもできない。心の中でいつまでも図々しく幅を取り、感傷という名の腐臭を放ち続ける。そんな粗大ごみを抱えた俺は、本当は世界一の不幸者だったんだ……。
「あーぁ、そろそろまた死んでみようかなぁー!」
 空しさを振り払いたくて、わざと大声で言ってみた。しかし、この声に気付く者は誰もいない。一人の部屋に響く声がより大きな虚しさになって返ってきた。


  [No.1168] 4 投稿者:イケズキ   投稿日:2014/03/07(Fri) 19:03:18   64clap [■この記事に拍手する] [Tweet]

「馬鹿は死んでも治らないとはよく言ったものだな」
 突然後ろから声がした。脳みそが震えるような威圧感と重々しさのこもった声だった。
 私は何事かと思い振り返ろうとした。が、
「おっと、振り返るなら覚悟するんだな」
 首の動きを止めた。
「振り返ったらもうお前は死ねなくなる。私が死なせない。そしてこの地獄をもっともっと味わってもらうことになる」
「地獄ってなんだよ? というか、あんた一体なんなんだ?」
 首の位置を再びまっすぐに向き直し、空に向かって質問した。
 こいつは一体何者だ? さっきの「私」と同じで私のことに気付けるみたいだ。威圧的な声のせいか、なぜだか一瞬強盗かと思ったが、人質相手に「死なせない」はおかしなセリフだ。
「振り返れば教えてやろう。だが振り返るなら覚悟しな。後悔したくなければまた死ねばいい。そこのクローゼットに丈夫なベルトが何本かある。ドアノブを使えば多少苦労するだろうが十分死ねるはずだ」
 正体不明の男(?)の返答からはまったく状況がつかめない。意味不明だ。
「さっきあんた『馬鹿は死んでも治らない』って言ったな?」鎌をかけてみることにした。
「あぁ、言った」
「ということは……私が今“どうして”ここにいるのか知っているわけだな?」
「知っている。……ふふっ、もちろん、知っているとも」堪えきれないという風に男は笑った。
「もちろん? もちろんってどういうことだ?」
「ふふっ、これ以上答えることはない。さ、どうする? 死ぬか?」男は相変わらず面白げであったが、言葉には有無を言わせない重さが込められていた。
 謎だらけだが、選択に迷いはなかった。私は何も言わずクローゼットへまっすぐ向かった。扉を開くと大量の衣装が目に入った。そして内側のレールには確かに、様々な種類のベルトが並んでぶら下げられていた。私は中でも金具の少なくて、出来るだけ新しそうなものを一つ選び手に取った。
 黒い革のベルトを握りしめて、私は驚くほど冷静だった。さっき死んだ時にはいろんな思いが頭の中を巡ってぐるぐるしていたというのに、今はまるで空っぽだ。なぜだろう? きっと安心したからだろう。さっきの質問で、あの時自分が幸福の絶頂にいたことを確認できて、それはつまり私が、私の人生において大きなものを一つ残せたということで、安心したのだ。それが分かればもう、いい。
 さっきから男の声がしない。気配も感じない(もともと大して感じていなかったが)。まぁ、その方が都合がいい。自分が死ぬところを誰かに見られているというのは、あまり気分のいいものではない。
 ベルトで輪っかを作り、私は少し悩んだ。つりさげられたロープなら、首をひっかけて重力に任せるだけでいいが、ドアノブは位置が低すぎてどうしても床に体がついてしまう。これで本当に死ねるだろうか。とりあえずL字のドアノブにベルトをひっかけ首を通してみた。
 ――思ったより締まるな……。
 上体の重みだけでもかなり首の締め付けれる感じがあった。これならもう少し体重をかければ十分そうだ。
 私は、最初に首を吊った時と同じように、またあたりを見渡してみた。どうやらさっきの男はすでにいないらしい。どうやって消えたのか、なんていうことは今の私にとってどうでもよかった。
 目の前におかれた化粧台の鏡にちらっと自分の顔が映っているのが見える。無様だった。無抵抗のまま死んでいく姿というのがこんなに醜いものとは思わなかった。
 最期に自分が残したものをもう一度見たくなり、優勝トロフィーを目だけで探した。
 ――見つからない。
 もう一度見渡してみた。しかし、ない。この部屋においてあるものとずっと思っていた。
 探している間も徐々に意識が薄れていくのを感じていた。知っている。これが死に向かっているということだ。
 私はひたすら目で探し続けた。それはもう眼球が飛び出してしまうのではないかと思うほどに、ぐるぐるぐるぐると……。
 ――ない!
 まるで目が覚めたような気分だった。焦る。なぜない!?
 体が思うように動かせない。意識がどんどん遠のいていく――
 ――死にたくない!
 狂気。指一本動かせないというのに、私は心の中でもがいていた。
 ――死にたくない、死にたくない、死にたくない!
 目を開けていられなくなった。視界が真っ暗になる。
 ――あと少し……あと少しだけ……生きていたい……。
 
 私は再び死んだ。


  [No.1169] 5 投稿者:イケズキ   投稿日:2014/03/08(Sat) 13:27:17   48clap [■この記事に拍手する] [Tweet]

 どこからかさっきの男の声がする。
「中途半端な奴だ。死ぬと決めてから慌てて……」
 目の前は真っ暗なまま、しかし首を絞められる感覚はすでになかった。
「これが最後のチャンスだ。生きたければ振りかえろ。そして覚悟しろ!」
 さっきと同じ、私に迷いはなかった。生きられるのならなんだってする。なんだって覚悟する。
「いいんだな」
 私は、見えない体を動かして後ろを振り返った。

 目の前が急に明るくなり、眩しさに思わず怯んだ。
 目を細めて、光に慣れてくるのを待つ。時間が経つにつれてぼんやりしていた周りの様子がはっきりしてくる。
「あ、あぁ……」
 だだっ広い空き地。夕日に染まったヤマブキの高層ビル群が遠くに見える。この場所がどこかはすぐに分かった。昔、私がまだポケモントレーナーとして旅立つ前、よく遊んでいた場所だ。状況もすぐに納得できた。セキエイリーグに来た時と同じだ。
「おじさん、ねぇ、おじさんってば!」
「えっ、あ、何かな?」
 すぐ近くで呼ばれる声がするのに気づいて、はっとなった。目の前には10歳前後といった年頃の男の子がいた。
「おじさんそこで何してるの?」男の子は純粋に、不思議そうに聞いてきた。
「あ、いや、ちょっと……ね」
「ちょっと何なの?」
 この子は空気を読むということを知らないらしい。割とうっとうしい。
「懐かしい風景だなぁって眺めてただけだよ。おじさん、ずいぶん長い事遠くにいたから」
「おじさんもこの街の人なの?」
「そう。ポケモントレーナーになってから旅に出ちゃったんだけどね」
「えっ!! おじさんポケモントレーナーなの!? ねっ、じゃ、ポケモン見せてよ!」
 男の子の好奇心は暴走を始めていた。
「ごめんね。今、ポケモン持っていないんだ」
「えぇー……そんなぁ」
 あからさまにがっかりした顔をする。ちょっとかわいそうなくらいだ。
「ねっ、じゃあさ、おじさんがどんな旅してたのか教えて!」
 訂正。全然かわいそうじゃない。なんなんだこの立ち直りの速さ……。
 ここで振り切ろうととしてもしつこく付きまとわれ続けることは分かっている。しかし、だからといって、今の私はとても自分の旅を振り返る気になれなかった。
「分かったよ。でもその前に座らないかい? 立ちっぱなしじゃ疲れる」
 空き地の道路側の端にはボロいベンチが置かれているを覚えていた。
「分かった!」男の子は言うが早いかベンチの方へ小走りで進んでいった。
 前を行く男の子をゆっくり追いかけつつ、その様子をなんとも言えない気分で見ていた。洗いすぎてプリントがボロボロのTシャツ、ポケットのところが異様に膨らんだ短パン、遊び過ぎてドロドロのスニーカーという格好。彼の幼さを見ていると私は何やら面白いような、ちょっと切ないような気分になってくる。
 それは私が失ったものを持っている彼が羨ましく感じたせいかもしれないし、彼が着ているTシャツのプリントが好きなアニメキャラクターであることも、ポケットの中身が大量の木の実であることも、スニーカーが誕生日に買ってもらったもので、一週間でドロドロに汚してしまったことも全部知っていたせいかもしれない。

 ベンチに着くと、男の子はすでに座って準備万端という様子だった。
「はやく! はやく!」そうやって私を急かし、足をバタバタさせる。
 ベンチのペンキはほとんど剥げてしまっていて、座るとズボンが汚れそうだなと、つかの間躊躇させる。しかし、すでに深く腰掛けている男の子を見て、私もベンチに座った。
「んー……まず、先に君の事教えてよ」
「僕の事?」
「うん。君がどんな人なのかまだおじさん何も知らないんだよ」
「んー……僕の事かぁ」困ったような顔をして唸る。
「君の好きなものとか?」
「好きなもの? そりゃ、ポケモンだよ! 僕ももうすぐポケモントレーナーになるんだ」得意満面という様子で言った。
「へぇ! それはすごいね。じゃあ、最初のポケモン何にするかもう決めた?」
「それがさぁ、まだ迷ってるんだ。カメックスもかっこいいし、リザードンも捨てがたいし……かといってフシギバナもなぁ。そうそう! この間のポケモンリーグ準決勝見た!?」急に話が変わった。
「あ、いや……」見たことは見た。ただし、20年以上前に。もちろん全然覚えていない。
「うっそ! ありえねー! もうめちゃくちゃすごかったんだぜ! ラストのフシギバナ対カイリュー。フシギバナが体力ぎりぎりで動けなくなって、そこにカイリューがぶわぁーって突っ込んできて、もうこれで終わりかって思ったら、フシギバナがつるのムチ使ってこうガって避けてさ、もうとにかくすごかったのに、おじさんもったいないなぁ」両手をぶんぶんと振り回しジェスチャーを交えて私に解説する。正直勢いだけで全然伝わらない。
「そっか、それはすごかったんだねぇ」
「おじさんホントにポケモントレーナー? もっとちゃんと強い人のバトル見て勉強しなきゃだめだよ」偉そうに男の子は言った。この子には私がチャンピオンであったなんて、知る由もない。
 ――いや、むしろ知らなくていいんだ。
「おじさん?」
「あっ、なにかな?」私はまたぼーっと沈んでいた。
「おじさん、さっきからぼーっとしすぎじゃない? 僕の話ちゃんと聞いてる?」
「ちゃんと聞いてるよ。でも、おじさんちょっと疲れちゃったみたいだ。今日はもう遅いし、そろそろ帰ることにするよ。君も暗くなる前に帰った方がいい」
 卑怯なことをしている気はしたが、どうしても今私は自分の旅を振り返る気になれなかった。特に、この子の前では。
「えー! やだよ! まだおじさんの話聞いてないし」男の子はやだやだという風に首を振る。
「ごめんね、また明日ここに来るから。その時に、話してあげるから。それに、君も早く帰らないと、お母さんにまた叱られるんじゃない?」私は嫌らしい調子で付け足した。
「うっ……うん……じゃあまた明日ね。ぜったい、明日おじさんのこと聞かせてね! ぜったいだよ!」何度も何度も念を押してくる。
「絶対くるよ。また明日ね」
 私が約束すると、彼はようやく納得したようで帰って行った。すでに日は暮れかかっていた。日没前に家に戻らないと、彼の母親が怖い事は、身を持って知っている。

 私は彼が見えなくなるまで立ったまま見送った。そして、彼の姿が見えなくなると、私はまたベンチに座りなおした。
 太陽が暮れかかって、あたりがオレンジ色に染まっていく。うつむくと、その中に長く伸びる自分の影が見えた。
 ここはもう、何年前の過去になるんだろう。旅に出る前の私がいることからして、20年は昔で間違いない。人生の本編が旅に出てからポケモンリーグ優勝までだとするのなら、ここはさながら人生のプロローグというところか。私は、捨てた人生をどんどん遡ってきている。
 ――はぁ……。
 やるせなさは、ポケモンリーグ決勝戦に戻った時よりも強くなっていた。まざまざと過去を振りかえらされるというのはこうも辛い事なのか。
 私は結局死ぬ間際だったところから生き延びることはできたものの、あの控室にあるはずの優勝トロフィーを見ることはできなかった。しかし、ついさっき半狂乱になって求めたはずなのに、今は全く未練を感じない。トロフィーよりも私は、まだ今の私の半分ほどの背丈しかない子供の「私」の事が気になっていた。
 彼は夢中になって見も知らぬ私に対しポケモントレーナーになると語っていた。彼はポケモンが好きだし、私が失ってしまったピカピカと輝く新品ものの夢を持っている。今更それが欲しいとはこれっぽっちも思わないが、出来るものなら、私は彼からその夢を奪ってしまいたいと思った。
 ――そういえば。
 彼は私に対して一切見知ったような接し方をしなかった。やたらと人懐っこい感じではあったが、自分が今話している相手が“自分本人”であることに気付いている様子はなかった。自分同士に働く第六感があるのかと思っていたが、どうもそういう訳ではなさそうだ。……まぁ、昔の自分が鈍感なだけかもしれないが。
 日がどんどん暮れていく。東の空はすでに夜だった。
 ――今晩どうしようか……。
 どこかで一夜を過ごさなければならないが、ポケモンも図鑑も持っていない状態でポケモンセンターは利用できないだろうし、野宿しかなさそうだった。
 旅していたころに何度か野宿したことはあったが、もちろんテントやら寝袋やらがあったうえでのことで、完全な野ざらしは初めてだ。
 太陽が完全に暮れて、辺りは一気に冷えてきた。一晩で凍死することはないだろうが、きつい一夜になりそうだ――。
「おじさん、まだいたの?」
 ふいにさっきの子供――もとい、昔の私の声がして驚いた。
「あれ? 君の方こそどうしたんだい? 家に帰ったんじゃなかったの?」
「それが、こっちにボール忘れてきちゃってさ」
 確かに、少年の脇の下には泥汚れの激しいゴムボールが一つ挟んであった。
「そっか、それじゃあ、もう暗いから気を付けてお帰り」
「おじさんは? 今日どこ泊まるの?」
「えっ、まぁ、ポケモンセンターかな……」予想外の質問に焦りつつ、とりあえず答えた。
「ポケモン持ってないのに?」
「うっ」
 空気の読めない鈍感なガキかと思っていたのに、こういう時には鋭い奴。ますますもってかわいくない。
「ポケモンセンターに預けているんだ。だから大丈夫だよ」
「ふーん……」
 ちょっと沈んだ感じの返事をする。
「ねぇ、おじさん?」
「うん?」
 彼は先ほどまでと打って変わって、下を向きぼそぼそと喋っていた。
「よかったらさ、今日ウチに泊まっていかない?」
「えっ!?」
 驚いた。確かに昔の私は多少見知らぬ人間に対しぶしつけな所もあったし、疑いを知らないといった感じの部分もあった。そのせいで、よく母からは「知らない人について行ってはダメ」と注意されていた。だが、さすがに、今さっきであったばかりの、30過ぎのおっさんを家まで招待するほど危険知らずだっただろうか。
「君のお母さんはいいって言ったの?」
「……うん。旅のトレーナーさんに宿を貸すのはマナーだって」
 彼は嘘をついている。私の母は確かに、ある時期までは、それが旅人へのマナーだとしてよく家にトレーナーを泊めていた。だが、私が旅に出る2,3年ほど前、トレーナーに成りすました凶悪な強盗事件が発生し、それからは一切トレーナーを泊めなくなった。
 彼がどうして嘘をついてまで私を家に泊めようとするのか分からない。だが、正直なところ、防寒具無しの野宿を覚悟していた私にとって、彼の話はまさに渡りに船。願ってもない話だった。にも拘わらず、私は、彼の家に泊まりたい気持ち半分、あまり気の進まない思い半分といった状態だった。
「うーん。ありがたい話だけど、今日はポケモンセンターに部屋をもう借りちゃってるからなぁ」
「そんなのキャンセルしちゃえばいいんだよ! だからさ、ね? いいでしょ?」
 まくしたてるように迫ってくる。母親の許しがあると嘘をついて、さらに部屋のキャンセルまでさせようとは、私はここまで意固地な子供だったのだろうか。
「分かった。じゃ、お言葉に甘えて今日は君の家に厄介になろうかな」半ば身を乗り出して私に迫ってきている彼の頭をぐしゃっと撫でて言った。
「ホント!?」一気に声が明るくなる
「あぁ、ホントだ。でも、その前にポケモンセンターに部屋をキャンセルすることを言ってこなきゃいけないからちょっとここで待っててもらえるかな」
「分かった」
 彼が再びあのベンチに座るのを見て、私はポケモンセンターへ向かって歩き始めた。

 広場から離れ、彼の姿が見えなくなったところで、私はポケモンセンターから行先を変えた。特に目的地はないが、ぶらぶらと歩き続けた。もともとポケモンセンターに部屋など借りてはいないし、こうやっていれば考える時間が稼げる。
 彼の家に泊まるということは、つまり幼い頃の私の家に泊まるということだ。そこには私が自分の命と一緒に振り切ってきたありとあらゆる物がある。小さなボロアパート、脱ぎ散らかされた靴、誰も見ていないテレビの音、私を出迎える母の姿……。
 きっとさっきベンチへと向かって走っていく「私」を見ていた時以上の、切なさに襲われることだろう。私はどうしてもそれらに耐えられる気がしなかった。
 今、私には三つの選択肢がある。一つはこのまま広場へと戻り彼と一緒に自分の家に泊まる。もう一つは、彼の元へは戻らず、黙ってどこか適当な場所で一夜を明かす。最後は――。
 ――また、死ぬ。
 それが一番いいのかもしれない。
 初め私は、退屈な余り物の人生を避けて自殺した。次に私は、かけがえの無い夢を失っておきながら、それを幸福に感じていたことを知り、安心しつつも自分の人生が馬鹿馬鹿しくなって自殺した。
 どれもこれも、くだらない、他人からしてみれば理解しがたい理由だろう(もちろん私にとってはどちらも十分な理由であったが)。
 だからこれは初めての、最もまともな自殺の理由かもしれない。
 ――逃げるのだ。
 今目の前まで迫ってきている、恐怖、私の心をかき乱す耐え難い脅威から、「死」を利用して逃げるのだ。
「結局、死ぬんだな。お前は」
 突然の声にはっとし、辺りを見ると私は見覚えのない路地裏に来ているのに気付いた。 声はまたあの男のものだ。一瞬どきっとしたものの、私はすぐに冷静になった。
「余計なお世話だ。ほっとけ!」
「そうだな。だが、ついさっき、あれほど生き延びたいと泣きついていたお前が、もう死ぬ気でいるのは何とも滑稽じゃないか?」男の口調は嘲るように笑っていた。
「うるさい! 私は生き延びるにしたって、さっきのあの場所に居続けたかったのに、これじゃ何にも意味がない」私は怒りを抑えきれず怒鳴った。
「そんなことは知らんな。生き続けたいと言うから、その通りにしてやったまでだ」なおも男は私を笑っていた。
「……やっぱりか」
 気が高ぶって、いっそ振り返って男に一発お見舞いしてやりたいとすら思っていたところだったが、これでも一応「一流」と呼ばれたポケモントレーナー、バトル以外のやり取りの中でも大切な部分は見逃さなかった。
「何が、『やっぱり』なんだ?」男が聞き返す。
「お前が、私をここまで連れてきたんだな。初めから、全部、お前の仕業だったんだな!」
「……」男は黙っている。
 初めて現れた時から何となくそんな気はしていたが、今の発言ではっきりした。一体どんな方法を使っているのか想像すらつかないが、今私の背後で話している男こそが、私を過去に送り返し苦しめている元凶で間違いない。
「どうしてこんなことする!? 私はちゃんと死にたかった。自分の過去なんて思い出したくない! 今までのことなんて全部消してしまいたかったのに! それをお前は……」 私は再び怒りで我を失いかけていた。
「……初めにあった時言ったことを覚えているか?」男の声は冷静そのものだった。しかし先ほどまでと違い嘲るような調子はなくなっていた。
「何のことだ?」
「振り返ったらこの地獄をもっと味わってもらうと、そう言ったはずだ」
「はぁ?」
 何言っているんだコイツは。地獄? コイツは頭のイカレたマッドサイエンティストか? 人の記憶を操る機会でも発明して、神になった気でいるのではないか。
「バカバカしい。他人の人生弄んで何が楽しい? いい加減こんな悪ふざけ止めるんだ」
「偉そうなことを抜かすな。与えられた時間の価値を省みず、手前の勝手で捨てた人生だろうが。今更捨てた人生を我が物のようにほざくな」
 私はあたかも図星を突かれたような気になって、言葉を失ってしまった。
「きっとお前は何も後悔してないのだろう。ならばしょうがない」
 男の言葉が終わるかいなや、後頭部を鈍器で思いきり殴られたかのような衝撃が走った。視界が歪み、私はその場に崩れ落ち思わず頭を抱えた。
 ――あれ……?
 何ともない。確かに凄まじい衝撃を感じたはずだが、後頭部は何ともなっていなかった。それどころか、別段痛みすら感じない。そっと首筋のほうをさすってみたが、確かに手の触れる感覚はある。衝撃のあまり皮膚感覚を失ったのかと思ったが、そういう訳ではないようだ。
「うっ……何だったんだ今のは……」
 俯いたまま目をしばしばさせ立ち上がった。すると、すぐ目の前に何か巨大なゴツいもの二つが見えた。
 いきなり頭を上げると痛み出す気がして、私はゆっくりと視線をそのゴツいものの先へ移動させていった。
 鮮やかな青色した、二つのそれは一本が私の胴ほどもある足だということが分かってきた。
 ――足?
 でかすぎる。人間じゃない。巨像か? いつのまに?
 さらに上を見上げていくと、足の主の胴体と思しき部分が見えてきた。その大きさにも驚きだが、何より目を奪われたのは胴体の中央部分で輝いている巨大な宝石だった。
 ――これは……ダイヤモンド?
 しばらく私はその美しさに見惚れてしまっていた。それほどまでに、ある種神々しい輝きを放っていた。
「私のことは知っているか? カントーチャンピオン」
 さらに頭上から声がした。
 シンオウの知り合いから借りた古い本に、伝説上の神として名前と姿が載っているのを見たことがある。しかし、あれはあくまで伝説の話、ほとんど空想のものと思っていた……。
「ディアルガ……なのか?」
 その圧倒的な存在感に気圧され、私にはそれだけ言うのが精一杯だった。
「ほう、さすがチャンピオン。他地方のことまでよく勉強しているじゃないか」
 私は本物の神を目の前にし、混乱した頭の端っこで、こいつが神になったつもりのマッドサイエンティストだった方がどれだけマシだろうと、そんなことを考えていた。


  [No.1331] 6 投稿者:イケズキ   投稿日:2015/10/07(Wed) 21:01:39   43clap [■この記事に拍手する] [Tweet]

 目の前のディアルガは私の身長のずっと上から見下ろしていた。
 しばらく惚けていた私の脳みそは再びゆっくり回転を始めていた。
 こいつが本当にディアルガならこの異常な状況につじつまが合う。本に載っていた話によればディアルガというのは時という概念そのものを生み出しているらしい。時間を生み出すというのはよく分からないが、自在に時間を移動もできるのだろう。それならばあの時自分の部屋で死んだ私をここまで移動されられるのかもしれない。
 「状況は飲み込めたか? チャンピオン」ずっしりと脳天に響き渡るような声だ。
 「本当に、本物か……?」未だ半信半疑だ。おとぎ話の生き物が目の前にいるなんて。
 「ふふっ、鈍いなチャンピオン」嘲るような声で言う。それに“チャンピオン、チャンピオン“とやけに嫌みったらしく私のことを呼ぶ。
 「私が何者かはともかく、私がお前をここまで連れてきた。それだけは信じてもらっていいだろう?」
 今の私にしてみたら信じる信じないというよりも、このディアルガこそが唯一の希望だった。こいつなら私をこの忌ま忌ましい過去から解放してくれる。その可能性がある。
「わかった、信じる。だから頼む。私をここから助け出してくれ」懇願するように言った。
 するとディアルガは、
「はははっ、『ここから助け出して』だと? 一体どこへだ? すでに死んだお前がどこへ行けば救われるんだ?」
 さも面白そうにディアルガが言った。
「それは……あの世とかそんな感じの……」
「そんな場所はない。あの世も天国も生きてる者のなかだけにある世界だ。死んだお前はここにいるか“無“となって消えるだけだ」
「じゃあ早く俺を消してくれ! もう見たくもないもの振り返るのはうんざりなんだ!」
 焦れったいような、もどかしいような気持ちがあふれて来る。
「ダメだ。何度も言わせるな、これは罰だ。終わらせろと言われてその通りにするわけがないだろう」
「じゃあどうしたらいいんだ!?」
 話が一向に進まず余計苛立ちが募る。
 ディアルガはやれやれといった様子で話始めた。
「お前はこのまま“あの子“の誘いを受けて家に行くんだ。翌日のこの時間まで彼らとすごしもう一度ここに来い」
 なぜ私とあの子のやりとりを知っているのかなんて気にもならなかった。そんなことより圧倒的な絶望感に襲われていた。
「そんな……」
「それが出来ないなら、お前は永遠にこの時間の中で過ごすことになる。懐かしいものに囲まれて気の狂うほどの時間居続ければいい」
 ディアルガはそっけなく言った。
 ここに永遠と居続けるなんて考えるだけで考えるだけでぞっとする。
「それじゃあどっか遠い所へ行ってやる。どんな場所でもここよりはましだ」
「残念ながらチャンピオン、それは無理だ」面白くてしょうがないという調子で言う。
「そんなことあるものか! 歩いてでも遠くへ行ってやる」
「お前にはこの街からでられぬように細工させてもらった。出られるか試してもいいがそれこそ時間の無駄というものだろう」
 私はしばらく黙ってディアルガの様子を見た。どこかハッタリを伺わせる素振りはないか……。
「クソッ」ディアルガは依然余裕尺尺といった様子だ。私は完全にこいつの手の内ということらしい。
「“あの子”の家に行けば俺を解放するんだな?」
「一日すごせばな」ディアルガが大事な事と念を押す。
「お前が約束を守るという保証は?」
「私を信じられないならそこまでだ。懐かしいこの街で楽しく暮らせばいい。永遠にな」
 ディアルガが嫌みったらしくつけたす。
 私に選択肢は無いらしい。ふぅと一息ため息をつき私は諦めた。
「明日のこの時間だな」
「そうだ」ディアルガは話がついたのを悟り満足そうに答える。
 ディアルガが約束を守るかは運を天にまかせるしかない。神に祈りたい気分だったが私はもう神を信じられなかった。

 さっきの公園にもどると“私”がすでに待っていた。
「おそいよー!」
 待ちくたびれたように男の子が言った。
「ごめんごめん」
「はやく来てよ!」
 言われるがまま私は男の子に連れられる形で家にむかった。道中のことはあまり覚えていない。私は見覚えのある建物や道が目に入っても極力意識しないよう努めていた。
 男の子の家はあの公園から歩いて10分ほどの所にある小さなアパートの2階だ。
「ううっ……」
 家に着いたとたん思わず呻いてしまった。生々しいほど記憶のままだった。
 家のドアの前まで来たところで男の子に待っているよう言われた。
「泊まるのは全然大丈夫なんだけどさ、一応母さんに先にいっとかなきゃいけないからさ」
 完全に目が泳いでいる。その母さんに大目玉食らうのは時間の問題だろう。
 男の子が一人ドアの向こうへ行ってから間もなく案の定大きな声が聞こえてきた。ドアの向かいの立つ私はおろか、隣人方にも十分響いていることだろう。
 しばらくしてガチャという音とともにドアが開いた。
「あの申し訳ないんですが−−」
 エプロン姿の女性はそこまで言ったところで声が止まった。
 私はその様子を息の詰まるような思いをしながら見ていた。間違いなくこれが、これこそが私の一番恐れていた瞬間だった。
「母さん……?」
 しばらくお互い見つめあった後最初に声をかけたのは“私”だった。
「あなたどこかで……?」
 男の子の疑問を放置し目の前の女性が質問した。
 母さんもまた記憶のままだった。生前の私が最後に母とあったのはリーグ戦が始まる前のことだった。その時の母はもっと白髪が増えていたし顔のシワも多かった気がする。派手な赤い花柄のエプロンも着けなくなっていた。  
「い、いえ……」私はそれだけ言うの精一杯だった。
「ねぇ、母さん! 大丈夫? 顔色悪いよ?」
 心配そうに男の子が言った。異常な雰囲気に気づいたのかもしれない。
「あっ、だ、大丈夫。あはは、ぼーっとしてすいません……。トレーナーさん宿が無くて困ってるんですか?」
 気を取り直したように私に向かい尋ねる。
「えぇ……」
「でしたらうちに泊まっていってください。ちょうど夕飯だったんです」確かに奥の方から食欲をそそるカレーの良い香りがした。
「そんな……いいんですか?」
「もちろん! この子もお世話になったようですし」
「ではお言葉に甘えて」
 私はドアの向こうへ招き入れられた。母さんがドアを開けた瞬間、少しだけ私は期待していた。もしかしたら私を家に入れることを断るかもしれない。ディアルガとの約束を守れないことになるが向こうが拒否したなら仕方の無いことだし許してもらえるかもしれない。 
 しかし期待は裏切られた。これから私の経験したことない長い一日が始まる。


  [No.1539] 7 投稿者:イケズキ   投稿日:2016/04/20(Wed) 20:08:58   32clap [■この記事に拍手する] [Tweet]

 その日の夕ご飯はカレーライスだった。
 小さな食卓に母、小さいころの「私」、そして今の私。父親の顔は物心つく前からよく覚えていない。
「ごめんなさいね、あまり大したものないんだけど……」
 申し訳なさそうにカレ−の盛られた皿を私に差し出す。
「いえいえとんでもない。急に押しかけてご飯まで頂いて、本当にありがとうございます」
「いいんですよ。あ、おかわり言ってくださいね。まだまだありますから」
 母は当然のように優しい言葉をかけてくれる。その様子をまるで天変地異を目の当たりにしているかのように子供の「私」は見ていた。
「どうしたの? おなかすかないの?」
 母が「私」に聞いている。
「ううん……」
 思い出したように「私」はカレーを食べだす。
 気持ちはよくわかる。決して旅人を受け入れなかった母の急変に、私だって同じ気持ちだ。ただそれを態度に出さないでいられるのは子供か大人かの違いだけで。
 カレーライスは当たり前の味で、とっても美味しかった。さんざん食べた記憶の味そのままだった。
 カレーを食べ終わると「私」はすぐに寝にいこうと布団へ向かおうとしたが、それを母はすぐに捕まえ風呂へ連れていった。風呂場のほうから何やら楽しげな二人の声が聞こえてくる。
 誰もいない食卓で、私は針の筵に串刺しにされているような苦しさに襲われていた。何も見たくない、何も聞きたくない、匂いも、空気の温かさも何もかもが辛かった。私は用意されたこの温かさの中で育てられ、苦難の連続でありながらも充実した旅を経て、悲願を達成し、死んだのだ。その先を楽しめる見込みがないという、ただのその理由だけで。最高に素晴らしいネタが最低で最悪なオチへと続くことを知っている。そのことが辛くてしょうがなかった。
 子供の「私」はお風呂からあがるとそのまま気を失うように寝てしまった。
「お先にすいません。あの子あんまり遅くなるとお風呂はいらないで寝ちゃうもので。どうぞ入って下さい」母が風呂をすすめてくれた。
 −−それではお言葉に甘えさせていただいて
 と、言いかけ気づいた。今私は着替えの服もなにも持っていない。しかし体も洗わず寝具を借りることになっては申し訳ない。どうしようか。
 そう私が逡巡していると、
「あれ、もしかして着替えもってません? そういえば荷物は?」怪訝な顔で聞いてくる
「実は、そうなんです。ポケモンセンターに置きっぱなしにしていて……」咄嗟にうそをついた
「え、ずっと宿がなかったのでは?」
 −−やってしまった。母には宿がないということで泊めてもらっているのだった。
 ますます母が険しい顔になる。私はもう本当のことを言うしかないと思った。

「やっぱりそんなことだったんですね。あの子ったらほんと遠慮がないんだから」
 母は怒ったような呆れたような口調で言う。
「申し訳ない。私がしっかり断っておけばよかったのですが。お邪魔でしたら失礼させていただきます」
「いえいえ、とんでもない。こちらこそウチの子が強引なこと言いましてすいませんでした。時間も時間ですし、よければこのまま泊って行ってください」
「良いのですか?」
「もちろんです。服はうちのを使ってください。もう使っていない男物が残っていたはずなので」
「何から何まで、どうもありがとうございます」
 それから私は風呂に入った。お湯は新しいものに入れ替えてくれていたらしく、綺麗になみなみと溜まっていた。湯船につかっているとまたどうしようもない気持ちで一杯になりそうだったので、私はこの世界のことを考えていた。
 まず、母にはどうして私が見えるのだろう。なんとなく昔の自分自身にだけしか私のことは見られないものと思っていたが、そうではないのかもしれない。血縁の問題だろうか。関わっていた時間の問題だろうか。わからない。
 そしてもっと気になるのは、どうして母が私を家に泊めることを了承したのか。
 −−私が息子だと気づいているのでは。
 ずっと頭の片隅で考えていた。言葉遣いこそ堅苦しいが、これだけ親切にしてもらえるのも、「見知らぬトレーナーを泊めない」という絶対ルールが覆ったのも、私が未来の息子だと気づいたからじゃないのか。
 しかしそんなことあり得るだろうか。多少奇抜なセンスの持ち主ではあったが、母は一応常識人であった。見た目恰好は血のつながりを感じるかもしれないが、まさか未来の子供と思うだなんて、そんな突拍子もない発想をするだろうか。
「わからん」
 顔をお湯で流して私は考えるのをやめた。
 考えても分かることなんて何もない。それどころか余計居心地の悪さが増す。明日私はまたディアルガに会い、それで全て終わる。終わらなかったとしても、”終わらせてやる”
 母から貸してもらった男物のパジャマは不思議とぴったり私のサイズに合った。地味なグレーのパジャマで新しいものではないが、あまり使われた様子はない。誰のものかは何となく察しがついた。
「お風呂ありがとうございました」
 母は居間のちゃぶ台の横で床に座ってテレビを見ていた。明日はポケモンリーグ決勝戦が行われるらしい。
「いえいえ、お茶でもいかがです? お酒はないのよ、ごめんなさいね」
「とんでもないです。お茶を頂いても?」
 母は答える代わりに立ち上がり、お茶の入ったガラスコップを二つ持って戻ってきた。
「まぁどうぞ、座ってくださいな」
 促されるまま私も床に腰かけた。
 しばらくお互い黙ったままテレビを見ていた。テレビは今回のリーグ戦のハイライトを流している。
「あの子も来年はあそこを目指して旅に出るんですよ」
 突然母が口を開いた。
「そうらしいですね。彼から聞きました」
「父親はあの子が小さいうちに旅に出てしまってね。今じゃどこにいるんだか、さっぱり連絡もよこさない」
 そういう母の口調は投げやりなようであって少し寂しげでもあった。私はなんと返したら良いか分からず黙っていた。
「どうしてみんな旅にでるんでしょうね。ポケモンバトルが強いってことが、そんなに大事なことなんですかね」
 −−家族を置いてまでも……
 そんな声が聞こえた気がした。
「夢、だからでしょうか。叶えたいんですよ、どうしても」
 思わぬ母の気持ちを感じて、適当な言葉を返す余裕がなくなっていた。
「夢を叶えたからって、それがなんだっていうんです? 夢が叶って、で、その先には一体なにがあるんですか?」
 真剣な顔でまっすぐ私を見て聞いてくる。私はその質問に思わず顔を伏せた。
「それは……」
 答えられない。答えられるはずがない。まさしく私はそれを見つけ出せず死んだのだから。
「あっ、ごめんなさい。変なこと言って。忘れてください」
 母は我に返ったという様子でテレビに視線を戻した。
 私はバツの悪い思いで一口コップのお茶を飲み、また答えのでない問題を考えていた。
 夢の叶った先にあるものなんてきっと誰にも分らないのだ。母も、今の私も、そして未来の「私」も……。だから母の悲しみも、私の自殺もどうやったって避けられないのだ。いやむしろそうでなければならないのだ。もし仮に「その先」に当たるものがあったとして、もうそれは手に入らないものなのだから。
「そのパジャマね。もともと旦那のものだったのよ」
 再び母が話し始めた。
「結婚してすぐに買ったんです。でも何回も着ないうちにあの人はまた旅に出て行ってしまった」
「ご主人とは旅の途中でご結婚を?」
「いいえ、あの人とはこの町で出会いました。その時には配達員として働いてもいましたし、すでに夢は叶えたといっていました」
「では何のために再び旅に?」
「さあ、分かりません。ある日いきなりどこかへ旅立ってしまいました。……あなたなら分かります? 一度すでに夢を叶えたと言った人が、また旅に出る理由」
「……わかりません」
 父はどうして家族を置いて再び旅に出たのだろう。夢を叶えたあと、一体なんのために……?
 それからしばらく二人黙ったままテレビの画面を見続け、ようやっと母が寝ると言い、奥の部屋から寝具を持ってきた。
「ほかに部屋がないもので、すいませんがここで寝てくださいな」
 テレビの前の机を片付けそういった。
「いえいえ、どうもありがとうございます」
 電気を消し、布団に入る。あたりは真っ暗で物音一つしない。母の悲しみ、旅立った父、そして間もなく旅に出るはずの「私」、いろんなことが頭の中を巡っていた。しかし結局最後には考えても仕方ないことだと全て頭から振り払った。どうせ全部捨てた過去のこと。今更どうしようもないことなのだと。
 私は眠気とともにうっすらパジャマから漂う樟脳の匂いが鼻をくすぐるのを感じていた。


  [No.1545] 8 投稿者:イケズキ   投稿日:2016/05/08(Sun) 20:57:57   43clap [■この記事に拍手する] [Tweet]

 まだまだ起きるには早い真夜中のことだ。私は耳元で呼びかけられる声で目が覚めた。
「おじさん。ねぇ、おじさんってば」
 声の主は小さいころの「私」であった。母親に聞こえてしまわないよう声を抑えながら私を揺り起こそうとしていた。
「うーん、どうしたの? こんな時間に」
 私はまだ眠くてしょうがなかった。少し−−いや、こんな時間に起こされてかなりうっとうしかった。
「おじさんに聞きたいことがあるんだよ」
「旅の話なら明日話すよ」
「そうじゃなくって! 今、聞きたいことがあるんだよ」
 暗闇に目が慣れてきて「私」の必死な表情が見えた。
 私はほとほと面倒くさい気持ちでいっぱいだったが、言う通りにした。眠くてしょうがないのは彼もいっしょのはずだ。それをガマンしてまで一体何の用なのだろう。
 私は普段物置として使われていた部屋へ案内された。この部屋はかつて父が使っていたものだと聞いたことがある。
「それで聞きたいことって?」
 おそらく父が使っていたものであろう机の前まで連れてこられた。母に気付かれたくないからと部屋の電気はつけず机の上に置かれたスタンドライトだけ付けて、それを挟んで私たちは向かい合うようにイスに座っていた。「私」の見たことのない神妙な顔がぼんやり浮かび上がっていた。
「おじさんってもしかして……僕のお父さん?」
 「私」の顔は至って真剣だった。
「は……?」
 思いもしなかった質問に私は面食らってしまった。
「違うの……?」
「ち、違うよ。そんなわけないでしょ。おじさんはただの−−」
 「ただの旅人だよ」と言いかけて口ごもってしまった。それは嘘ではないが、本当のことでもない。私は「私」の真剣な顔を見ているうち、彼に本当のことを話したい気分になっていた。

「ただの、なんなのさ」
 「私」が聞いてくる。相変わらずの表情だ。昔の私がこんな顔をすることもあるなんて知らなかった。
「君はどうしておじさんが君のお父さんだなんて思ったんだい?」
「それは……お母さんの様子がなんか変だったから……」
 そこまで言ってから「私」は頭を振ると続けた。
「ううん、そうじゃない。おじさんを公園で初めて見た時からなんか分からないけどそんな気がしたんだ。どうしてって言われると僕もよくわからないんだけど……」
 私はやっと理解した。初め私が“死んだ”時と一緒だ。やはり過去の「私」は私が誰だか分かっているんだ。はっきりと“未来の自分”とまでは思っていないかもしれないが、それでも何か繋がりを感じているんだ。
 そうとわかってもやはり私は彼に全て伝える気にはなれなかった。未来の自分が自殺したなんてことも、その理由も伝えるべきじゃないと思った。そこで私は本当のことの、一部だけを彼に伝えようと思った。そしてまた私は無性にある事を過去の自分に聞いてみたくなっていた。
「おじさんはただの旅人だよ」
 「私」があからさまにがっかりしたような顔をする。
「でも、ほかの人たちとは違う。夢が無いんだ」
「どういうこと?」ちょっと興味ありげに聞いてくる。
「おじさんは少し前に夢を叶えてしまったんだ。夢が叶った時はとっても嬉しかった。毎日が幸せでそれがずっと続くような気がしていた。でもね、しばらくして大切なものを失ってしまったことに気付いたんだ」
「大切なものって?」
「夢だよ。辛い時も悲しい時もあったけど、夢を追っていられた時がどれだけ幸せだったか気付いたんだ。もっともっと追い続けていたかったって、そう思ってしまった」
 「私」は再び神妙な顔で私の話を聞いていた。
「それから私はこうして夢の無い、つまらない毎日をふらふら生きている。君には大事な夢があるだろう? それがおじさんには無いんだ。もう、死んでるのも同じようなものさ……」
 私はすでに「私」の顔をまっすぐ見ることができなくなっていた。最後のところだけは嘘をついた。私は本当に“死んでいる”のだ。
「こんな私を君はどう思う?」
 沈黙。一秒がまるで一年にも感じられるこの感覚、これも初めの時と一緒だ。
 ピカピカと輝く新品物の夢を持つ「私」が果たして今の私をどう思うのか。情けないとなじられるだろうか、それとも熱く励ましてくれるのだろうか。きっと私はどちらの言葉も冷静には聞いていられないだろう。
 うつむいたまま膝の上に置かれた両手にぐっと力がこめられる。握った手の中も、首筋も、背中も変な汗でびっしょりになっていた。喉がカラカラに乾く、どうしてこんなこと聞いてしまったのか−−
「おじさんって、すごいんだね」
 −−へ……?
「今、なんて……?」
 思いもしない返事に私は何も考えられなくなっていた。
「おじさんは、叶えたら“死んだのも同じ”って思えるくらい大事な夢をやっと叶えたんだね。それってとってもすごいことだよ」
 すごい、なんて言われると思ってもいなかった。「私」は一体なにを考えているのだろう。未来の私にはさっぱりわからなかった。
「でもね、おじさんはきっと気づいていないんだ。つまらないって思ってるこれからの時間にも価値があるってこと」
 目の前にいるのがとても十歳たらずの男の子と思えない。まるで別人と話しているような気分だった。
 −−与えられた時間の価値も省みず……
 あのディアルガが言っていた言葉だ。時間の価値とはなんなんだ。夢の無い人生を生き続けることに一体何の意味があるんだ。
「……明日だけが未来じゃない」唐突に「私」がつぶやいた。
「昔母さんが言っていた。お父さんはそう言って出て行ったらしいんだ。よく意味は分からないんだけど、何となく大事なことな気がして覚えているんだ。今のおじさんなら分かるのかなって思って」
 大事にしていたはずなのにすっかり忘れていた言葉だ。「明日だけが未来じゃない」ゆっくり頭の中で言葉を反芻させる。頭の中でだんだんと言葉が溶けていく。溶けていった先に意味が現れてくる気がして、私は考えるのをやめた。
「分からないよ……」
「そっか。ま、それでもいいや。ゆっくり考えてみてよ。そのうちわかるかもよ」
 生意気な口調で言う。
「おじさんはそうやってゆっくりしていればいいんだよ。まぁ、僕はおじさんみたいにならないけどね」自信たっぷりに言う。
 私はそんな過去の自分が哀れに感じてならなかった。幼さゆえのこの自信。目の前の私が未来の自分だなんて想像もつかないだろう。
「……そうは言っても分からないものなんだよ」
「絶対にならないよ! 僕にはおじさんみたいにゆっくりしてられないんだから!」意固地に彼は言った。
「どうしてそんなこと言い切れるんだ! 未来のことなんて誰にも分らないのに!」
 私も彼の頑なな主張に少し意地になっていた。
 すると「私」はちょっとの間何か逡巡した様子で口ごもったかと思うと、ぽつぽつと“ある事”を話し始めた。
「おじさん、未来に送る手紙って知ってる?」
 それはかつて私が大人になった自分にあてて書いたものだ。そのことは覚えているが、中身は全く思い出せなかった。
 そもそも私はこの家に来てからというもの考え過ぎそうになるのを努めて避けてきた。知ってしまうと思ったのだ、私が生き続けるべきであった理由を……。
 目の前の「私」は打って変わって落ち着いた様子でこちらを見ている。対して私はとても嫌な予感がしていた。
 その手紙こそが”生き続けるべきであった理由”その物だという、確信に近い、そんな予感が。


  [No.1548] 8.5 (手紙) 投稿者:イケズキ   投稿日:2016/05/24(Tue) 19:21:16   32clap [■この記事に拍手する] [Tweet]

 未来のオレへ

知ってると思うけどオレは文章書くの得意じゃないし好きでもない。そのオレがなんでこんな手紙書くのかって言うと、オマエ、というか未来のオレがちょっとだけ心配だから。母さんはこの手紙は大人になったら届くって言ってたけど、これが届いたときオマエが何してるのか知らない。母さんはこの手紙に未来の自分がどうしてるかいろいろ質問したらとか言ってたけど、そんなことしたって教えてもらえるわけじゃないし、そもそもそんなことどうでもいい。そんなこと書くくらいなら昔のオレから未来のオマエにいろいろ教えてあげたほうがずっといいと思ってる。
今のオレのゆめはポケモンのチャンピオンになること。カントーの全部のバッヂ手に入れてセキエイのチャンピオンリーグに挑戦する。それであのワタルを倒してオレが最強になるんだ。もしかしたら未来のオマエにこの手紙が届くころにはもうチャンピオンになってるかもな。チャンピオンになって、超有名人になって、女の子からモテまくって、うまいもの毎日たくさん食べて過ごしてるかもな。もしそうじゃなかったら早くそうなるんだ。だいじょうぶオマエはオレなんだから。バトルは誰にも負けない。ちょっとぐらいミスとかで負けるかもしれないけどそれでもオレはさいきょうになるんだからオマエだってさいきょうのはずだ。
 なにがかきたかったか良く分からなくなってきたけど、とりあえず早くチャンピオンになれ。なまけんなよ。ちょっとくらいのことでへこたれんなよ。だいじょうぶ、オマエはさいきょうだから。

 ヘタクソな字と文章で読みづらいことこの上なかったが、私はゆっくりすべて読み切った。全く記憶にない文章だった。でも、かといって新鮮味のようなものはなかった。思い出したくない記憶が徐々に、引き出されていくのを感じていた。
 ――昔の私へ。君の夢は叶ったよ。チャンピオンになったら一瞬だけモテた時期もあったけど、本当に一瞬だったよ。美味しいものもあまり食べなかったな。追うべき夢を無くしたらそんなことする気なくなっちゃったんだ……。
 心の中でそっとつぶやいていた。
「おじさん泣いてるの?」
 言われて気が付いた。抑えきれなかった気持ちがあふれ出してきていた。
「僕の秘密を読んだんだから、それだけで終わらせないでよね。ちゃんと続きも読んでよ」
――えっ?
 私は知らなかった。手紙の内容はすべて読んだものと思っていた。しかしそうではなかった。
 その手紙、つまり、私の夢には続きがあったのだ。


  [No.1606] 9 投稿者:イケズキ   投稿日:2017/09/26(Tue) 19:18:14   42clap [■この記事に拍手する] [Tweet]

 翌朝までのことは良く覚えていない。手紙の二枚目を読んだ後、私は“大切なこと”を思い出し、興奮やら焦りやらでしばらくとても眠ることが出来なかった。母が早出の仕事に出て行く音でようやっと少しは眠れていたことが分かった。子供の「私」はまだ寝ている。
 まだ起きるには早いと思ったが、これ以上寝られそうも無いのでのそのそ布団から出ることにした。布団の上に立ち上がりせめてたたんでおこうとすると、枕元に一枚の紙が置かれてあるのに気づいた。
『おはようございます。見送りの挨拶もできないですいません。キッチンのところに朝ごはん作っておきました。昨日のカレーもあります、よければ食べてください』
 キッチンの方を見やると炊飯器とラップのかけられた皿がおかれてあった。となりのコンロにある鍋にはカレーが入っている。
『昨日は変な話してごめんなさい。さらに遠慮無しで悪いのですが、もう少し変な話の続きをここに書かせてください。宿賃と思って読んでくれたら幸いです。
 実を言うと、我が家は旅の方を泊めるのは禁止していたのです。ご存知かとは思いますが、あの強盗殺人事件以来、うちにも小さい子がいますので怖くなってしまって。それなのになぜ今回あなたのこと(お名前すら伺っておりませんでしたね……)を家に招くと決めたのかというと、実を言うとはっきりした理由はないのです。ただあなたの顔を初めて見たときまるで主人が帰ってきたのか思ってしまったのです(不躾なことで申し訳ありません。他意は無いのです。深く捉えないで下さい)。だからという訳でもないのですが、あの子も何かあなたには特別な興味を抱いているようで、どうしても追い返す気になれなかったのです。
 昨日はあんなこと言いましたが結局のところ私自身が、叶えた先の見えない夢を追う方々を応援したいと思っているのかもしれません。もしもこれから先困難や挫折、夢のその先に迷うことがあれば、我が家のことを振り返って見てください。何も出来ませんがずっと応援しています』
 手紙を読みきり私は身を切り裂かれたような気分だった。母も子供の「私」同様に私に対して何かつながりを感じていたのだ。圧倒的理性でもって息子ではないと理解しつつ、それでも私をここまでの言葉を尽くし応援してくれている。こんなに幸せなことが果たしてあるだろうか。
 私は心の中で一つの決意を固めていた。今晩、あの酷い神様に何としても一つの願いを聞き入れてもらう。絶対に、もう一度チャンスを――。


  [No.1607] 10 投稿者:イケズキ   投稿日:2017/09/26(Tue) 19:18:22   37clap [■この記事に拍手する] [Tweet]

 その日の夕方、例の路地裏に着くとそこにはすでにディアルガの姿があった。
「おぉチャンピオン! ここまで来てくれてよかった。もしやしたら家族の歓迎に耐え切れず、また命を絶つのでは無いかとひやひやしたぞ」
 さも嬉しそうな声で言った。
「白々しい。分かってたんだろ。そんなことしないって」
「かいかぶりすぎだ。未来なんぞ誰にも分からん。神ですらな……まぁお前らより多少洞察には自信があるがな」
 ディアルガの声の調子がずいぶん弾んでいる。よほど私がここに来たことが嬉しいらしい。
「じゃあ、その洞察力で今から私がお前に頼むことも予想できてるんだろ」焦る気持ちを必死でこらえ話を続けた。
「うんうん、分かっているとも! お前を“無”とし、今すぐここから消してやろう」
「違う!! 私を生き返らせてくれ!」
 私は思わず叫んだ。ディアルガは私がそれを望まないことを分かっていたはずだ。つくづく酷い神様だと思う。
 ディアルガは私の叫びを聞いて笑っていた。一頻り笑い続け、話し始めた。
「あの手紙を読んだのだな。安易に命を絶ったお前がするべきだったことをやっと思い出したのだな」
「そうだ……。私の夢は達成されたと思っていた。夢を叶えたらもうその先を生きる価値なんてないと……。でも、そうじゃなかった。私の夢はまだ続きがあったんだ」
 噛み締めるようにゆっくりと私は話していた。
 しばらくの間、ディアルガは何も言わなかった。じっと私を見下ろしている。
「私は父上から力を賜り、世界の時の流れを作っている。時の流れは平等かつ普遍的なものである。笑っている、泣いている者、路傍の石にも同じ時が与えられている。だが勘違いするなよ。“時間”とは私の慈悲であり、父上の奇跡だ。その価値は到底お前の夢一つと天秤にかけられるものではない」
 唐突にディアルガは話し出した。私は話の脈絡が捉えられず少し混乱した。
「これでお前に説明するのは三度目になるな、チャンピオン。ここはお前にとっての地獄だ。お前はその身勝手な理由で時の流れを拒絶した罪をここで晴らさねばならぬ」
 ディアルガは冷たく言い放った。私はようやく言葉の意味を理解した。
「頼む……お願いだから……」
「これもさっき話したことだが、お前はもう死んだのだ。この地獄にとどまるか、“無”となる他はない」
「嘘だ!! なぁディアルガ、お前は神様なんだろ? だったら何でも出来るはずだ。もう一度、私に時間をくれよ!」
「くどいぞチャンピオン! 時の流れに二度は無い。あったとしても決してお前には与えない。罰を受け入れよ」
 最後にディアルガはそれだけ言い消えた。路地裏に一人取り残された私は後悔の炎に身を焦がされていた。
 あぁ、私はなんと取り返しの着かないことをしてしまったのか。悔やんでも悔やみきれない。
 −−どうしたらいい?
 −−どうしようもない
 −−どうにかしたい!
 −−もうおそい
 −−何か、何か……
 −−何も無い。
 繰り返される自問自答。事実を受け入れられない。やり場の無い感情が体の中を暴れ回り、私は地面をのた打ち回った。頭が割れるように痛む。誰か、助けて……。
 地獄の苦しみに獣のうなり声を上げる罪人が一人。
 


  [No.1608] 11 投稿者:イケズキ   投稿日:2017/09/26(Tue) 19:18:30   36clap [■この記事に拍手する] [Tweet]

 地べたに座り込み、汚れたビルの壁にもたれかかって私は身動ぎもせずにいた。どれ程の時間が経ったか分からないがすでにもがく体力も無かった。
 ディアルガは自らが与えた時間を蔑ろにした私を決して許さない。生きていた頃には時間の価値なんて考えたことも無かった。価値があると思える楽しい時間、嬉しい時間もあったが、苦しい辛い時間もたくさんあった。でも今なら全て時間あってこそのものだっただと分かる。私はとても大切なものを捨ててしまった。
 あれからしばらく経つがディアルガが再び現れる様子はない。きっともう二度と会う事はないのだろう、そんな予感がしていた。私を後悔のどん底に突き落としもがき苦しませることが目的だったらしいし、今でもこの憔悴しきった私をどこからか見て笑っているのかもしれない。私は空を仰いでみた。
 自殺を神が許さない以上、死んだ私にできることはもう無い。それはさっきの会話でよく分かった。暮れかかった空がヤマブキの高層ビルによって直線的に区切られている。澄んでいく都会の空気が頭を冷やした。
 ―−まだだ、まだ手はあるぞ。
 神が全てを見通していると思っていた私に、ディアルガは自分を買いかぶりすぎだと言った。未来は神にすらも分からないと。ディアルガの目的が達成された今、これから私のすることまで果たして洞察しているだろうか。意気消沈したまま気が触れていくだけだと思っているのではないか。
 −−そんなことにはならない……!
 私の中にある一つのひらめきが浮かんでいた。

 私は今、夜も更けた高層ビルの天辺、一歩踏み出せば真っ逆さまという所に立っている。この姿もどこかでディアルガは見ているのかもしれない。奴の目には絶望のあげく気の触れた男が、精神病患者の自傷癖さながら、悪戯に身を傷つけているように見えるのだろうか。
 −−我が家のことを振り返って見てください。
 若き日の母の手紙の文面を思い出す。生きていた頃にはちっとも振り返ってあげなかった。私が旅立ち一人きりになった後、彼女はどんな思いで毎日を過ごしていただろう。果たして帰ってくるかも知れない父の寝巻きを大切にしまっていたように、私のこともいつか帰ってくることを望んでくれていたのだろうか。思えばこの上なく不孝な息子であったし、非道い夫だった。なのに彼女は自分ひとりを置いて夢を追いかける私や父を、それでもずっと応援してくれていた。
 これから私は後ろを振り返り続ける。だが、この一歩は終わりではない。「その先」へ向かう未来への一歩となるのだ。

 それから私は何度も何度も自殺を繰り返した。自死を繰り返すうち、私は徐々に理性を保てなくなっていった。私が死ぬ度に私は見覚えのある自分の過去を振り返り続けた。それらをまざまざと見せつけられることで私の心は千本の針山に串刺しにされ、釜茹での灼熱にあてられ爛れ壊れていった。
 もう何のために死ななければならないのかも思い出せない。新しい過去で気が付くたびに、さながら壊れた機械人形のように自殺を図り続けた。
 私を突き動かしたのは理性でも目的でもなく、ただただ執念だけであった。
 あの時の自分に“たった一言”伝えたいことがある――。

 何度も見てきた暗闇から目が覚めるとそこは狭いアパートの一室であるようだった。玄関に立ち廊下の向こうから西日が差し込んでいるのが見える。私は何も考えず次の自殺を図るため辺りを見渡した。すると西日の前に何やらぶら下がっており私の顔にちらちらと影を落としているのに気づいた。
 次の瞬間、私は全てを思い出す前に駆け出していた。今まさに目の前で死のうとしている「私」へと向かって――
 この段になってようやっと神が私の企みに気づいたようだ。駆け出そうとした足から消滅していくのを感じた。「無」となりかけているのだ。
 あと一秒も時間はいらない。たった一言だけ、一言――

「振り返れ!!」
 後姿の「私」に向かい絶叫した。
 過去の私は、未来の「私」に夢を託し、世界から消えた。


  [No.1609] 12 投稿者:イケズキ   投稿日:2017/09/26(Tue) 19:18:39   33clap [■この記事に拍手する] [Tweet]

 目が覚めるとあたりはすでに真っ暗だった。体のあちこちが痛い。立ち上がろうとしたらよろめいて転んでしまった。それでも何とか立ち上がり部屋の明かりのコードを引っ張った。
 天井に先のちぎれたロープがぶら下がっていた。何でもいいやと思って用意したロープは結局私を死に至らしめる前に切れてしまったらしい。首に巻きついたままのロープを外したら絞められた時の傷跡がひどく痛んだ。
 自殺に失敗した今、改めて行動を起こす気にはとてもなれなかった。しばらくぼーっとした後、何となくテレビをつけてみた。チャンネルを切り替えていると昔好きだったアニメの再放送がやっていたのでそこでリモコンを置いた。画面の中では4人の少年少女が次の街へ向かい旅をしていた。
 意識を失いかけていた時、確かに誰かの声がした。ドアの鍵は閉めているし誰かが入ってきたとは考えにくかった。それにあの言葉……
 ――振り向け。
 聞き間違いじゃない。確かに声はそう叫んでいた。しかし『振り向け』とはどういう意味だろう。
 何となく後ろを振り向こうとすると、また首の傷跡が痛み出す。思わず怯んでしまったが、なんとか声のした方向を振り返ることに成功した。
 しかしそこにはいつもの廊下しかない。汚い、ゴミの散乱したいつもの家の廊下。ところがさらにその先を見るとあることに気づいた。ドアポストに何か入っている。
 ロープから落下した時にどうやら足を挫いてしまったらしい。立ち上がる以上に歩くのは困難だった。のろのろと時間をかけてようやっとドアポストの前にたどり着くとカバーをあけ中身を取り出した。
 一つはいつもの広告チラシ。また新築物件の案内だ。どうして私が今の住居に不満を持っていると思うのだろう。
 もう一つは電気代の請求書。知らない間に死んでしまっていたらよかったものの、今や心残りになってしまった。
 もう一つは母からの封筒であった。珍しい。年賀はがき以外で手紙なんかもらった事無いのに。
 残り二枚を真っ赤な机の上に放り投げ、私はテレビの前に座り封筒を開けた。中身は3枚の手紙で、内一枚は一筆箋に母の字でこう書かれてあった。
『お元気ですか。面白いもの見つけたので送ります。大人になったら渡してくれって言われていたのをすっかり忘れていました。またこっちにも帰ってきてください 母より』
 もう二枚はずっと汚い字でさらに文章もヘタクソでとても読みづらかったが、どうやら私が子供のときに書いたものらしい。言われてみればこんな手紙を書いた気もするが、どうにも内容は思い出せなかった。

 一枚目の中身はいかにも幼き日の私といった内容だった。チャンピオンになって優雅な生活を送ることを夢見ている。達成した今となってはむなしい事このうえない。そして私は二枚目をめくった。内容は一枚目の半分程度だったが、私はその読みにくい文章を何度も何度も読み返した。

『それでチャンピオンになったらこんどはポケモンマスターになるんだ。母さんはポケモンマスターなんてもの無いって、チャンピオン以上のトレーナーなんて無いっていってたけど、言ってたけどそうじゃないんだ。カントーだけで一番になってもそんなのまだまだ足りないんだ。ジョウトでも、ホウエンでも、シンオウでも、イッシュでも、カロスでも、とにかくどんな地方のどんなトレーナーより強い、トレーナーになるんだ。一度チャンピオンになるだけでもだめなんだ。それから先にあらわれる、名前も声もしらないどんな奴にも負けないんだ。それがポケモンマスターで、オレの夢だから、ずっといつまでもがんばるんだ』

 「ポケモンマスター」なんて言葉もう随分と忘れていた。昔はよく周囲の人間に夢の話をしては「そんなもの無い」と言われムキになっていたっけ。過去を振り返ることが無ければ本来二度と思い出すことの無かった言葉。手紙から顔を上げると首を吊った時のロープが転がっているのが見えた。じっと見ているうちに胸の奥から何だか熱いものがこみ上げてくるのを感じていた。
 ――生きていて良かった……
 私の夢は達成されたと思っていた。だがそうじゃなかった。追い続けるべき夢がまだここにあったのだ。
 なんだか私は色々なことを振り返りたい気分になっていた。チャンピオンになった時のこと、旅に出ている時のこと、旅に出る前のこと……。ふと気づいたら、テレビ画面の中はいつもの悪役三人組が空の彼方へ吹き飛ばされる佳境に入っていた。
 悪役たちとは裏腹に私はなんだかとっても良い気分だった。それは私がこれまでの人生で確実に残してきたものがあるという事実と、この先を生き続ける理由に気づけた安堵からであった。
 テレビ画面の中の物語は終盤を迎えていた。奪われた物は取り返され、悪役たちは去り、再び彼らの旅が続いていく。本編を見終えた私は少し寂しさを感じつつも電源を切ろうと再びリモコンへと手を伸ばした――が、ふと流れてきたエンディングテーマが気になり動きを止めた。
 
『振り向いてごらん 君のつけた道が
 顔を上げてごらん 未来を創るよ』

 子供のころに聞いたはずの言葉が、なぜだかとても新鮮なものに感じた。
 ――子供向けアニメにしてはなかなか面白いこと言うじゃないか
 曲を聴き終える頃には私の中で決意が固まっていた。私の旅が「その先」へ向かい、続いていく。


  [No.1610] あとがき 投稿者:イケズキ   《URL》   投稿日:2017/09/26(Tue) 19:18:48   42clap [■この記事に拍手する] [Tweet]

例えばの話をしよう。
 一つの夢を追い続けて、やっとの事で叶えられた者がいたとする。それは幸せなことだろうか? ホントに手放しで喜べることなのだろうか? ちょっと穿った見方をしてみれば、夢を叶えることは、追っていられる夢を失うということだ。それは悲しいことではないのか?
 もしもそんな疑問を抱く日が来たら、あなたの今までを振り返ってみるといいだろう。
 夢を失った「その先」を生きるに必要なヒントがきっと過去にある。過去こそが「その先」の世界を広げる糧となるのだ。
 これはそんな日がきたらという、例えばの話。