夜野宿をしていて眠れない時に耳をすますと、ポケモンの世界の入り口に足を踏み入れることができる。
耳から夜眠るポケモンたちの寝息や、夜行性のポケモンたちの声が入り込んでくるのだ。不意に、バサッとな
にかが飛び立つ音が聞こえた。まん丸いシルエットは、どこか昼の空と白い雲を合わせたポケモンを連想させて
──。
「なんだ、ホーホーか」
つぶやきが聞こえたのか、ホーホーはバサバサと翼をはためかせ、こっちを見る。何でもないと手を振れば、
ホーホーは夜空の向こうへと飛び去っていってしまった。この地方でホーホーとは珍しいが、誰かの手持ちのポ
ケモンが夜の散歩に勤しんでいるのかもしれない。
「チルットだと思った?」
「マサト、起きてたの?」
寝袋にくるまった弟の目が開いていたことに驚いて、ハルカは目を見開いた。てっきりぐっすり眠っていると
思ったのだが。こっちが驚いてるのも構わず、マサトは寝袋から這い出して、そばにあったメガネをかけた。
「どっかの世話のやけるおねーちゃんが、くらーい顔してブツブツ言ってたからね」
「何よそれ」
「へっへー」
ひっぱたくマネをすると、マサトはロケットずつきをする前のカメックスみたいに頭を伏せて引っ込めて、防
御の体制を取った。これはカメックスも顔負けだ。
「チルットかわいかったもんね。やっぱりたまに、思い出しちゃう?」
「時々、どうしてもね」
群れもはぐれたチルットのことを気にしていたのだから、捕まえず見送ったのがベストな選択ではあったのだ
と思う。だけどポケモントレーナーとしては捕まえるという選択肢もあったのだとも少しだけ考えた。視界に入
れたランプの灯が明るすぎてチカチカする。
「そういえば、魔法の粉ってとっさによく思いついたわよね」
「飛べないってので、ママによく読んでもらったピーターパン思い出してさ。おねえちゃんも一緒に聞いてたよ
ね」
「なつかしいなあ。まあ、わたしはもう立派に大人だから、おこちゃまなマサトみたいにとっさに思いつかなか
ったけど」
「むー、酷いなあ、もう数年すればトレーナーとして旅に出られるし、子どもじゃなくなるもん」
「ホントにい? まだまだピーターパンにあこがれるお年ごろってやつじゃないの?」
「違うよ」
ムキになる弟が面白くて、ついつい意地悪を言ってしまったが、どうもマサトは本気で否定しているようだっ
た。ぷいとそむけた顔を元に戻して、ずいぶんと真面目な口調で、言い聞かせるように反論する。
「いい、おねーちゃん? ピーターパンはさ、どこでも鳥ポケモンみたいに飛んでっちゃうけど、実際はどこに
も行けてないんだ」
「なぞなぞみたいね」
「そう。なぞなぞみたいなやつなんだ。どこにでも飛んでけるけど、どこにも行けない。結局エラそうにできる
のは、ネバーランドの中だけで、ずっと子どものまま。おねえちゃんといっしょにママに読んでもらった、ピー
ターパンのお話はとっても面白かったけど、だからってピーターパンになりたいとは思わないよ」
まるで魔法の粉をかけられたウェンディの弟達のように、マサトは両手を広げる。その動きはどこか荘厳で静
かだった。寝袋にくるまったサトシの近くで丸まっている、ピカチュウの寝息が聞こえて来る。
「だってさ、もうちょっとだけ大人になったら、ピーターパンにならなくても、自分でいろんなとこに飛んで歩
いて行けるんだよ。それってさ、魔法の粉を使って飛んでくよりステキじゃないか」
「なるほどね。マサトもいろいろと考えてるじゃない」
「とーぜんさ。どっかの知らないことだらけのおねーちゃんとボクは違うからね」
ピーターパンではないらしい弟は、今は嘘をついたピノキオみたいに鼻を高くしているようだった。へし折っ
てやろうか、と考えてやめておく。粉の代わりに夢を全身にふりかけたマサトは、いつか一人で飛び立つのだろ
う。空を飛ぶのではなく、大地を踏みしめて。
今とは違う冒険の景色に映る人とポケモンとの出会いに、胸を高鳴らせながら。